ふうまじゅつしとしゅごせんし
封魔術師と守護戦士
朔と望−月下奇談(陽の巻)/因縁ロゴ
 深呼吸し、気を落ち着けると、寧奈(ねいな)は数珠を握り締めた。
「天地神明、悪鬼尽滅! 我、封魔の術師・梓川(あずさがわ)。魔を闇に帰(き)すべく、今、封魔の力、解き放たん!」
 数珠を掲げ、回し振る。
「禍々禍々……彼(か)の者を戒めよ。縛呪!」
 数珠から鋭い光が放たれ、獄怨鬼(ごくおんき)に向かっていく。だが、戒められたのは彩夜祢(あやね)の身体だけ。背後に揺らめく黒い霧は少しも自由を奪われてはいなかった。
『くぁーーーーーかっかっかっ、愚か者よ! 守護のない、半人前の術師に何ができようか。小娘よ! 手始めにそなたから血祭りに上げてくれるわ!』
 ギラギラと滾る禍々しい眼。その二つの光の下にぽっかりと空洞が開いた。もしやそれが悪鬼の口か。と、その穴から吐き出される毒々しい瘴気。周りの竹の葉を見る間に腐らせていった。
「結界! 反呪!」
 鮮やかな光が寧奈を包む。青く煌く清浄な光。瘴気を撥ね返した。
『ほほぅ、少しは骨があると見える。じゃが、そのような脆い結界など、いつまで持つかのぅ。精々楽しませてもらうぞ、小娘よ……ククククク……』
 次々と黒い霧に吸い込まれる光。獄怨鬼の糧は無限大にあるようにすら思えた。あれを、屍食鬼(しじきき)たちを止めなければ、恐ろしい悪鬼が完全に復活してしまう。けれど多くの術師たちの手で張り巡らされた結界を、寧奈一人で元に戻せるだろうか。
 結界を戻さなければ勝ち目はない。唇を引き締め、数珠を強く握り直した。呪文を唱えようとする。そのタイミングを邪悪な赤い光が見逃すわけがなかった。
『小娘よ! そなたの血が見たい。憎き梓川の血がのぅ……盛大に血飛沫を上げるが良い!』
 瘴気ではなく鋭い突風が向かってきた。結界に当たり激しく閃光を散らす。懸命に念じるが、このままではどのくらい結界が持つかわからない。儀式を怠るとこれほどまでに力が衰えてしまうとは。
「果々倖々……呪の力を高めよ。乗呪!」
 少しだけ、術が強度を増した。焼け石に水という感が無きにしもあらずだが。ただ時間稼ぎにはなる。結界が破られたことなど榊
(さかき)ならとうに気づいているだろう。綻びが修復され供給が止まるまでに、できるだけ獄怨鬼の力を消耗させられれば。
「禍々禍々……闇に光を投じよ。星呪!」
 獄怨鬼目掛け流星の如く光が降る。聖なる光は闇を滅する。しかし、奴には蚊ほども通用しなかった。
『つまらぬ……虫けらめ、痛くも痒くもないわ。もう良い、小娘よ。次は儂の番じゃ。じわじわと嬲り殺してくれようぞ……くかかかか……覚悟せい!』
 瘴気が渦を巻いて寧奈に襲いかかる。最初の瘴気の比ではなかった。
「滅呪!」
 瘴気を掻き消す光が数珠から溢れ出す。岩盤を削る大河と同じく、奴の力を僅かでも削り落とせているのか。相変わらず屍食鬼の結界からは夥しい光が流れ続けているのに。
「雪平(ゆきひら)……!」
 心で叫んでいた名が、口を衝いて出た。
 その時――
 引き千切られた注連縄(しめなわ)の向こう、空間の歪む結界の中で俄かに閃光が湧き起こった。幾度も光は瞬きを繰り返し、そのうち強烈な玉(ぎょく)と化す。玉は見る見る大きさを増し、やがて弾け、辺りに光を撒き散らした。光が現れた空間に二つの人影。雪平と榊。寧奈の胸が高鳴った。
「現!」
 雪平の手に、瞬時に光剣が握られた。地を蹴り、背後から獄怨鬼に斬りかかる。
『ぐぬぅっ!』
 斬りつけた反動で、獄怨鬼は彩夜祢の身体共々、数メートルは飛ばされた。寧奈との距離が縮まる。
 悪鬼を怯ませておき、素早く寧奈のもとまで走り寄る。振り返ると全身で彼女を庇って立った。獄怨鬼の足元に彩夜祢の姿を見つけ、雪平は眉を顰めるが表情はそれ以上変わらない。打ち捨てられた注連縄を拾って立つ榊も気づいていた。獄怨鬼の背後に位置する結界の入口に榊。正面には寧奈と雪平。前後で挟み込む態勢となった。
「闇の者! 封魔術師に仇なす者は何人たりとも許さぬ。守護・小埜江(おのえ)の名にかけて!」
 信じていた、雪平を。声を聞いてきっと来てくれると。彼の息遣いを側に感じただけで、寧奈の奥底から力が湧き出してきた。
『恨み重なる梓川と小埜江。やっと雁首を揃えおったか。もはや、容赦はせぬ!』
 縛呪が弱まっていた。出し抜けに攻撃され倒れていた彩夜祢が、よろよろと起き上がる。静かに立ち上がり、雪平を見てにやりと笑った。その笑みは何を意味するのか。
「哀れな娘よ。闇に囚われおったか。しかしながら、こちらも容赦はせぬぞ。彼の者、捨ては置けぬ!」
 びしっ、と数珠を扱いて榊が叫ぶ。
「天地神明、悪鬼尽滅! 我、神と共に有りて封魔の力解き放たん! 歪を正へ、空呪! 開を閉へ、場呪! 後を前へ、時呪! 動く魔を戒めよ、縛呪! 邪なる者を留め置け。結界!!」
 数珠から放たれる眩い光が竜巻に変わる。結界内で渦巻き、屍食鬼共を絡め取った。竜巻は結界の中心で尚も渦巻いている。いつの間にか結界の入口に、引き千切られた注連縄が元通りピンと張られていた。獄怨鬼は糧を失った。
『おのれ! 老いぼれめ!』
 悪鬼の突風が榊に向けられた。だがしかし、触れるか触れないかの瞬間、溢れ出る光に掻き消された。その光の向こうに現れたのは小埜江の先々代・彦之丞(ひこのじょう)。光の槍を構え、獄怨鬼を威嚇する。
「悪鬼よ! 往生際を見極めるが良い。封魔術師に禍なす事は許さぬ! 守護・小埜江の名にかけて……神! 光! 護!」
 彦之丞と榊を暖かい光が包み込む。どちらの者も、とても老人とは思えないほど強靭で精悍な輝きを見せていた。
「寧奈、雪平! 我らの力も使うが良い!」
 彼らが同時に叫んだ。と、思いがけなく気の流れが変わった。寧奈と雪平を取り巻く強力な陽の気。二人の内部から益々力を湧き上がらせた。
「禍々禍々……彼の者を戒めよ。縛呪!」
 すぐさま寧奈の数珠から光が飛び出した。最初の縛呪とは違う。彩夜祢のみならず、完全に獄怨鬼を戒めた。
『馬鹿な! 望の儀式なくして、何故そこまでの力が出せるのじゃ!』
 明らかに狼狽している。寧奈たちの儀式や長老たちの画策は、彩夜祢の意識を読み取られ獄怨鬼に知られてしまったようだ。が、奴は封魔・守護一族を甘く見ていた。力の融合には様々な形があり、一組の封魔術師と守護戦士に限ってではないことに気づかなかったのだ。加えて、榊が早々と結界を修復したために奴はまだ完全に蘇ってはいなかった。
 寧奈は悪鬼を睨めつける。これまでにない憤りを篭めて。人の弱みを突付き、苦しませ、心を操るとは許せない。
 同じ想いを抱いていたのか、彩夜祢と。所詮は見果てぬ夢。寧奈は掟に縛られ、彩夜祢は分に縛られる。自分ばかりが心の苦しみを吐露していた。聞いてもらえる心地良さに自分だけが甘えていた。厳しい修行を重ねる術師の姉たちにはとても言えない他愛もないこと。相手の気持ちも思い遣れずに彩夜祢一人に苦しみを覆い被せてしまった。雪平を慕い続けていた心の内を知っていれば、分かち合うこともできたかも知れない。今となっては言い訳にしかならないのだ。
 何としてでも救い出す。そして、今度こそ彩夜祢の心を慰められる人間になる。一方的でなく分かち合える広い心を持とう。苦しみも悲しみも切なさも、二人なら半減するはずだ。
 彩夜祢を思い、渾身の力を篭めて念じた。
「禍々禍々……光成す処、彼の者の居場所なし! 彼の者、己が世界へ立ち戻れ! 闇の世界へ立ち戻れ! 封呪!」
 放たれた力は彩夜祢の背後に蠢く黒い霧にのみ向けられた。
 次の瞬間、寧奈は我が目を疑うことになる。獄怨鬼に術が通用しなかったのだ。確かに霧に向けて真っ直ぐに放った光は、奴に触れると曖昧に消滅してしまった。やはり儀式を行わなかったせいなのか。
 すると、雪平が低く呻いた。
「彩夜祢……まさか、融合してしまったのか」
 ――融合?
 榊の言葉が追い討ちをかけた。
「愚かな……完全に獄怨鬼と融合しておる。……こうなれば、もはや彩夜祢は救われぬ。せめて魂を浄化してやるが良い」
 何故そんな簡単に言い捨てられる? できるわけがない。姉のように慕ってきた人をこの手で殺せと言うのか!
「何をしておる、寧奈!」
 震えながら呟いた。
「で……できません……」
「愚か者! 敵に情けをかけるでない!」
 叱咤する榊の声など聞きたくはなかった。けれど雪平までが無情にも叫ぶ。
「寧奈! 躊躇うな! 情けは無用だ!」
 酷すぎる。彩夜祢は雪平だけを一途に慕い続けてきたのに。
「寧奈様……どうか……どうか、御赦しを……」
 不意に弱々しい声が聞こえた。顔を上げる。
 彩夜祢が泣いていた。術に束縛されながらも儚い笑顔を浮かべ、涙を流していた。あの、寂しげな瞳から。
「騙されるな、寧奈! あれは獄怨鬼が言わせているだけだ。彩夜祢共々でなければ奴は封じられない。だが、封じれば彩夜祢は永遠に闇を彷徨う事になるぞ。……破邪をかけろ。彩夜祢の魂を解放してやるんだ!」
 激しく首を振る。涙が止まらない。まだ彩夜祢の苦しみを何も聞いていないのに。失うわけには行かない。失いたくない!
「ゆ……き、ひら……さま……」
 彩夜祢の瞳が何かを訴えていた。雪平が尚も叫ぶ。
「寧奈! 彩夜祢が闇に囚われたままでいいのか。救ってやれるのはおまえだけだ。破邪をかけろ! 彩夜祢の魂を救ってやるんだ!」
 強く目を閉じた。涙を振り切り、もう一度、目を開ける。彩夜祢がこちらを見ていた。切ない瞳で何かを懇願していた。
「天の神よ……地の神よ。世界を統べる……数多の神よ……諸々共に、入らせられよ。……我、封魔の名に於いて請い奉る。我に力を与え給う……」
 ぐい、とばかりに涙を拭い、力一杯、数珠を握り締めた。
「禍々禍々……邪なる者よ! 己が世界を拒むなら、一切を滅し、一切を葬るべし! 臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! 破邪!!」
 凄まじい光が寧奈の数珠から雪平の光剣に流れ込んだ。破邪の力を帯びた剣を躊躇なく雪平は振り翳す。一寸の狂いもなく、切っ先は彩夜祢に向けられていた。
「彩夜祢を連れて行かせはせん!」
 雪平が地を蹴った。
「邪! 砕! 滅!」
 剣が振り下ろされる。
 光が風となり豪風となる。辺りを無差別に駆け回り、竹の葉をざわざわと騒めかせた。邪な者に対して全てを滅し葬り去る風。黒い霧が、滾る赤い眼が、奈落の口が、あるべき所へ吹き飛ばされていく。そして、彩夜祢の邪悪な笑みも。
『ぐごぅおぉぉーーー! あな口惜しや! 梓川ぁ! 小埜江ぇ! 恨み晴らさで……ぐわっがごおぉがあぁぁぁーーー!!』
 断末魔の叫びと共に彩夜祢の身体が倒れ伏す。豪風は獄怨鬼を連れ、無の彼方へと消え去った。
 倒れる瞬間の、彩夜祢の口の動きを雪平は見ていた。その心の声も聞いた。彼女が最後に告げようとした言葉は、おそらく永遠に忘れられないに違いない。
「彩夜祢!」
 走り出し、彩夜祢に縋りつく寧奈。止め処ない涙が彼女の頬を滴り落ちる。もう二度と何も語らない唇。永遠に光を映すことなく閉じられた瞳。それなのに、彩夜祢は微笑んでいた。儚く悲しい笑みではなく、落ち着いた、安らかな笑顔だった。
「彩夜祢! どうして……どうしてこんな事に!」
 泣き濡れる寧奈の肩にそっと置かれた手。振り返る彼女に、雪平が静かに囁いた。
「彩夜祢は救われた。永遠に闇を彷徨う事もない。魂は浄化されたんだ、彩夜祢の願い通りに。おまえが救ったんだぞ……最後に礼を言っていた」
 深く頷いた。寧奈にも聞こえていたから。彩夜祢の最後の、心の声が。
 倒れ伏す瞬間、寧奈と雪平を捉えた瞳。涙の一筋が頬を伝う時、彩夜祢は確かに言った。
「寧奈様……雪平様……ありがとう……」と。
 明け染める前の空、望月の名残だけが彼らを見守っていた。あの月は、彩夜祢の魂を宇宙(そら)に導いてくれるのだろうか。
【忠告と指輪】へ続く
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