かけこみさかばへ 駆け込み酒場へ |
案の定、知り合いの宿とは、イアーゴの怪しげな宿だった。《金の馬車亭》などという洒落た名前があったことなど今知ったが。 「うわぉ! 飛焔! まだ生きてたのかよぉ!」 暫く振りで会う飛焔の知り合いは、決まって最初にこのような言葉を発するらしい。 「そっちこそ! よぉこんなオンボロ宿が潰れんと商売やっとれるもんや。ホンマ、マリアッドは平和な土地やなぁ!」 バザールでの挨拶といい、飛焔の返す言葉も大体似たようなものだ。 「相変わらず不愉快な挨拶だなぁ。それはそうと、お嬢さん、まだ飛焔と一緒にいたのかい? あんた物好きな人だねぇ。あ、そっか。付き纏ってんのは飛焔の方か」 「じゃかましい! 早よ部屋に案内せんかい!」 一喝されて縮み上がるイアーゴ。臆病なところは変わっていないようだ。 「部屋って……まさか、この人数で一部屋ってことはねえよなぁ。ウチは男女のノーマルなカップルじゃなきゃお断りなんだけどよぉ、飛焔とお嬢さんはともかく……」 横目で透と紫音を見つめてくる。何を勘違いしているのだ。 「アホっ! 別にやりにきた訳ちゃうわ。部屋貸してくれ、ゆ〜とるだけや。しゃーから一部屋でもええんや。一部屋ぐらい空いとるやろ?」 興味津々で透たちを見ていたイアーゴは、少し期待外れな顔をした。それに何処か前と違って、覇気のない目をしている。少し疲れた溜息を吐いて言った。 「一部屋どころか、ほとんどの部屋が空いてるよぉ。何処でも好きに使ってくれよ、三階の部屋は全部空いてるから」 飛焔が怪訝な顔をした。 「どないしたんや、おまえんトコはマリアッドでも一番の連れ込み宿やろ? 女と男がいる限り商売やって行ける〜、ちゅーとったんはおまえやないか? 宵の口どころか昼間でも、ワンサカ客が来とったんちゃうんか。何でそんな閑古鳥、鳴くハメになったんや? ……さては、えげつない商売敵でもでけたんかいなぁ?」 彼の言葉に、イアーゴはだんだんと不機嫌な表情になっていった。プシケが前に会った時は、呑気でのほほんとしていて、飛焔の言葉に震え上がる以外は、ほとんど飄々としていた。何だか今のイアーゴは、何処か切羽詰った様子だ。 「へん。肝心の女がいなきゃ、おいらのトコだって閑古鳥くらい束になって鳴くよぉ」 イアーゴは何気なく愚痴ったつもりだった。いつものように飛焔の毒舌が飛んでくるかと思っていたら、思いがけない力で両肩を掴まれた。 「どういうこっちゃ! 女がおらへんて! マリアッドは女がおらな、やって行かれへん町やろ?」 掴まれた肩の痛みに震え上がり、飛焔の形相に縮み上がって、彼はようやっと声を絞り出す。 「す、すっ、すまねえよぉ飛焔! けどよぉ、おいらのせいじゃないぜ。アグスティに女がいなくなったんで、マリアッドの倍の賃金で働かないかって、アグスティの連中が引き抜いて行きやがったんだよぉ。マリアッドに執着のない女たちは、みんなアグスティに流れて行きやがったんだ。この町に残ってんのは古株と、前払いで足抜けできねえ女たちばかりなんだよぉ。若くて人気のある女たちは、みんなアグスティの連中に連れてかれちまったんだ!」 「アグスティ!!!」 透たちは同時に叫び、沈黙した。 西は女狩り。東は女を操って男が狩られた。北では信仰心の厚い者が、そして中央の砂漠では伝説を恐れるキャラバンが、見境もなく命を落とした。その全てがアグスティに、或いは、アグスティに向かったと思われる三人の男女に繋がっている。 「おかしいわね。アグスティでは女狩りが浸透しているって、ここの女の人たちも知っていた訳でしょう? それなのに、どうしてアグスティで働こうなんて気になったのかしら?」 「アグスティの領主が、わざわざマリアッドに出向いて来たのさ。地方で教育を受けてたアグスティの女たちが帰ってきたんで、今度はマリアッドの女たちに教育を受けさせて、しかも働き口まで探してやるってよぉ。教育を受けてる間も賃金が貰えるってんで女たちは飛びつきやがったんだ。噂になってた女狩りも、噂通りじゃねえって領主が否定するんだから、みんな信じちまったんだろうさぁ」 アグスティは、およそ女性の社会的地位が低く、女性は教育を受けることなどできなかったそうだ。今の領主、エルンスト・リテラ卿は、就任した当初から、そんな女性たちの地位を憂えていた。彼は女性の地位を向上させるべく、様々な提案をし実行に移し、彼女たちが理不尽な目に遭わないように心を配った。その最たる公約が女性を教育することだったという。教育を受けさせることで彼女たちの意志を尊重し、社会に発言のできる場を提供しようとしたのだろう。アグスティではまだまだ差別があるために、地方で彼女たちを学ばせていたのだそうだ。 それにしても、領主がわざわざ出向いてきたというのもおかしな話だ。自分の権力外である、この独立都市に。 「あれ? おかしいよ、絶対おかしい。マリアッドは独立都市だって聞いたんだけど。だったらよその土地の領主が干渉してくるなんてできないはずだよね? 普通は……」 初対面の透の疑問にも、イアーゴは即座に答えてくれた。 「どういう訳だかおいらにもわかんねえよ。けど、わかってる事は、突然、アグスティとマリアッドが同盟を結んだってことだ。それってどういう意味かわかるかい? マリアッドは独立都市と言いながら、そうじゃなくなっちまったのさ。今は、アグスティの領主の配下になっちまったのと同じ事さ」 「何でや? 何で急にそないな事になったんや?」 「知らねえよ。ただよぉ、アグスティの領主は女の子を一人連れてきた。召使なのか何なのかはわかんねえけどよぉ、同盟の交渉の席にまでその子を同席させていたってことは、重要な子だったんじゃねえのか? 金髪で青い瞳の女の子だったけど、まだ子供だったんじゃねえかなぁ、おいらにはそう見えたけどさぁ」 プシケが目に見えて表情を険しくさせる。 「ピリア……こんなところにまで……」 彼女の呟きは気にも留めず、己と商売の行く末を案じ、自嘲気味に、忌々しく、イアーゴは言葉を吐き捨てた。 「おいらの商売は、そんなにイケナイ事なのかよぉ。マリアッドの女たちは好きで売りをやってたんだぜ。男も女も好きなんだ。好きなように生きて何が悪い? 女が求めるから男も求めるんだろぉ。おいらは、そんな男と女に場所を提供してただけだ。何も悪い事なんかしちゃいねえ、マリアッドじゃ悪い事なんかじゃなかったんだぜぇ。それなのに、女がみんなこの町を捨てちまったら、男だって寄りつきゃしなくなるんだよぉ。何だって、そんなひでえコト、アグスティの領主がやりやがるんだよぉ、わからねえ……女がいなければ商売なんてやってけないんだ、この町も、おいらの店も……」 かなり泣きが入っている。相当経営に行き詰まっているようだ。 気がつけば、飛焔の表情も今までにない険しさを見せていた。いつもは人懐っこい顔つきなのに、今は眉間に深々と皺が刻まれている。 「三階、全部使ってええんやな、イアーゴ?」 「お? あ、ン? ああ、どうぞどうぞ」 イアーゴは目をパチクリさせながら、階段を上り始めた透たちを見守っていた。 「調べに行くか? アグスティを」 三階の端の部屋――以前、プシケと飛焔が泊まった部屋――で、窓から外を眺めながら紫音が言った。 「けど、お嬢ちゃんはなぁ、アグスティの連中に狙われとったさかいに……」 言い淀む飛焔。プシケの身を案じている。紫音にもわかっていた。彼女自身が女狩りの話を語ってくれたのだから。 「だからアグスティに行くのは俺とおまえだけだ。プシケはここに残れ。透、おまえも残ってプシケを守るんだ」 彼女は無言で紫音を見つめた。彼らの足を引っ張るわけにはいかない。自分が一番アグスティでは危険な存在であることを、彼女は充分に認識していた。不本意な視線を散々紫音に浴びせながらも、彼の言う事に従わざるを得ないと、暗に同意する。 暗黙の了解を紫音は確認した。そのまま視線を透に移す。だがその時、透は別の考えに捕われていた。答えがないので紫音は念を押す。 「透、おまえもそれでいいな?」 「へ?」 「おまえ、俺の言う事を聞いてなかったのか? 俺たちがアグスティに行ってる間、ここでプシケを守ってろって言ったんだ、わかったか?」 「僕一人で?」 「一人じゃねえだろ。おまえの肩に、強い味方が乗っかってるだろうが」 確かに。透の右肩にはクリスがちょこんと座っていたが、強い味方なのか? 『あはぁ♪ おまかせぇ〜♪ あたしがいる限り、透とプシケは大丈夫よぉ』 言葉の達者さでは、間違いなく誰にも負けそうにはないが。 「ほな、そうと決まったら、ワイはもうちょい詳しい話、イアーゴから聞き込んでくるさかい。兄ぃは準備しもって待っといてんか」 言うなり飛焔は出て行った。階段を駆け下りる音が遠ざかるのを確認して、紫音は透に近づき耳元で低く囁いた。 「何、考えてた?」 「へっ?」 「俺を誤魔化せねえのはわかってんだろ?」 慌てて紫音を振り仰ぐと、責めるような視線が突き刺さってきた。今度はうろたえて視線を逸らす。彼からできるだけ離れるために一歩踏み出したところで、ベッドの端に躓いてそのまま座り込んだ。 「あー、えーと、そのぉー、え、えーとぉ……」 必死に笑いに紛らせてみたものの、そんな手など通用しない相手なのはわかっていた。プシケは側の椅子に凭れ、二人の成り行きを見守っている。紫音はベッドに座り込む透を睨みつけた。大きく溜息を吐き、どかっと隣に座り込む。 「言えよ。おまえがそんな死にそうな顔をしている時は、ロクでもねえ事を考えてやがるに違いねえからな」 そう決めつけなくても……と、透は思う。確かに、こんな切羽詰った時にロクでもない事なのかも知れなかったが。 「別に、大したコトじゃないよ。何でもない。僕のコトなんか気にしないでくれよ。ホント、紫音が心配するようなコトじゃないから!」 それで引き下がるような相手ではなかった。 「言えっつってんだ。言わねえと締め上げるぞ、コラ!」 「またぁ、そんな口先だけの脅しには乗らないよ。だいたい言ったら、またガキだとか何とか言うだろ? んでもってまた散々僕をからかうだろ? でなきゃ説教するんだ……言わないよ、絶対! つまんないコトほじくってないで、飛焔が戻ってくる前にアグスティに行く準備しといた方がいいんじゃないの?」 言ったとたん本気で締め上げられた。クリスが慌てて紫音の頭に飛び乗る。彼の髪を引っ掴んで喚いている。 『紫音ったら、透を殺す気? 本気で締め上げてどうすんのよっ! 早く離してあげてっ!』 「うるっせえ! コイツが気懸かりでアグスティになど行ってられるかってんだ!」 言いながら、背後から透の首に回した腕をぐいぐいと締め上げる。透は手足をばたつかせ、観念して叫んだ。 「わかった! わかったよ! 白状するからっ!」 紫音は仏頂面で腕を離したが、暫くぜいぜいしながら時間を稼ごうとしたのがばれたらしく、不機嫌に透の頭を小突いてきた。いよいよ観念するしかない。 「その、何て言うか、個人的なコトなんだけどぉ……。納得いかないんだよ、何だか、この世界に来てから……その、自分のコトが……」 プシケは透を凝視している。何も言わないが、透の言葉を聞き漏らさないよう身を乗り出してきた。 「どういう事だ?」 透は俯き、溜息を吐く。深く深く息を吐いた。それから意を決して吸う。一気に言葉を吐き捨てるために。 「瞑想洞の修行を終えても、僕は自分が変わったなんて思ってない。心の制御ができてるかどうかなんて自分じゃわからない。いや、そう思えないんだ。僕は相変わらず、ガキで、情けなくて、臆病で……」 「その上、バカがつくほどのお人好しだな」 紫音が横槍を入れる。 「もう。余計なお世話だよ。確かにそうかも知れないけど、僕だって腹が立つコトもあるし、人を恨んだりするコトだってあるよ。聖人君子じゃあるまいし、普通の感情を押さえたりなんかできないんだ修行したからって。だから、ホントにあの修行が成功したのかわからなくなってきたんだよ。実感が湧かないんだ、今となっては……」 「それでも、瞑想洞でおまえの《心眼》の力が目覚めたのは事実だろうが」 突然、紫音に向き直ると、ビシッと人差し指を立てて言う。 「そこだよ!」 「な、なんだぁ?」 「確かに僕は見ようと思えば余計なモノまで見えるようになったよ。だけど、僕は何も変わってない。僕自身は前のままのはずなんだ。だいたいそんな大それた力が、一回修行やったくらいで目覚めるなんてのもおかしいじゃないか。修行中に鬼に食われちゃった人もいるんだよ。僕だってヤバかったんだから。なのに、なんでこんな力が目覚めたのか信じられないんだ。それだけじゃないよ。この世界に来てから、みんなが僕に癒しの力だ何だかんだって言うのも納得いかないんだ。僕の目を見てほっとするって言われたって、僕は何にもしてないんだから困っちゃうだろ? 僕は何も変わってない。変わってないのに周りの反応が意外すぎて納得いかないんだよ。僕には人を癒す力なんてない。そんなコト、自分が一番良くわかってるよ。だけど周りが理解できないコトを言うから、だんだん自分自身が納得できなくなっちゃうんだよ。紫音が僕の立場だったら、どう思う?」 「あのなぁ……」 途中で言葉を切り考え込む。納得がいかないのは紫音の方だ。透の順応力の高さは驚くほどだと思っていたから。不可思議な力を持ったがために自分自身に不信感を抱くなど、透に限ってありえないと漠然と思っていたのだ。 「僕は平々凡々な高校生だった。誰にでも良く見られたくて人の顔色を窺う姑息なヤツだった。……今でも僕は、何も変わってない。……だから、困るんだよ。僕はこんなちっぽけな人間なのに、この世界の人たちは、世界を救うだの何だのって僕に多大な期待をしてる。僕の目を見て、癒しの力を受けたと錯覚してる。……僕は誰の期待にも応えられないよ。僕をそんな風に有難がられても困るよ、困るんだよ。……僕はそんな、できた人間じゃないんだから」 答えも待たずに一気に捲し立てた。そして、透は俯いて急に黙り込む。 やっと納得がいった、と紫音は思う。透が怖れているのは、かけられた期待に応えられないという現実。馬鹿がつくほどお人好しの相棒は、人様の期待に応えるために平凡な十七年間を費やしてきた。感覚が染み付いているのだ。どんな多大な期待であっても応えなければという、不必要な使命感に未だに捉えられている。全く何というお人好しっぷりだ。 「阿呆ぅ。俺たちに世界なんぞ、救えるわけがねえだろうが」 「でも、周りはそうは思ってないんだ……」 気配がして透は顔を上げた。プシケが笑っていた。柔らかく穏やかな天使の微笑みで。弱音を吐いてしまったことに俄かに後悔の念が湧き上がる。だが、プシケは彼を軽蔑したり呆れたりなどしていない。ただ当たり前のようにそこにいて、見守っていた。 「そうね、透は何も変わっちゃいないわ。変わったのは周りの方よ。でも、何も根拠がないことじゃないわ。彼らは確かに、あなたによって癒されているのだから」 「僕は何もしてないよ」 彼女の言葉にすぐ反論した。 「あなたは信じられないかも知れないけれど、それは《心眼》を持つ者の宿命よ。あなたが直接作用したのでないにしても、彼らは間違いなく癒されているの」 徐に立ち上がり、透に向かってくる。紫音と反対側の隣に座った。彼女は語る。納得のいく説明を彼女ならしてくれるに違いなかった。 「あなたたちは心現界では類い稀なる存在だわ。普通なら、《心眼》の力を得るためには想像を絶する修行を積まなければならない。そうして自分の中に眠る力を覚醒させなければならないの。だけどね、透の《心眼》は天性のものなのよ。修行する必要がないほど、あなたの中で完成された力だったのよ。だから一回の修行で開花した。《心眼》の力を持つ者は、瞳に真実を写す力を持つ者。その瞳に見つめられると人は嘘など吐けなくなる。……人っていうものは誰でも心に何かを隠しているわ。人に言えない秘密、過去の汚点、未来の欲望……人間だからこそ当たり前のように持ち、人間だからこそ誰にも知られたくない。知られないためには嘘も吐くし誤魔化しもする。でもそれはとても苦しいことよ。始終、他人の目を気にしていなければならないし、誰かに知られることを怖れて心の休まる閑などないでしょうね。そして自分自身にも嘘を吐き続けていくわけよ。本当は解放したい気持ちを隠し続けているのだから。どんな小さな子供だって、どんな些細な事だって、秘密を持っている限り、人は心に重荷を背負って生きているのよ。一日足りとも休まずにね」 プシケが透の瞳を覗き込んだ。 「そんな時、嘘を吐く必要のない人が側にいたらどうかしら? 人を騙すことも、自分を誤魔化すことも、しなくて済む相手が側にいれば……。あなたの瞳はそういう作用を齎すのよ。誰もあなたの瞳に見つめられれば嘘なんか吐けない。だからこそ、心の重荷が取り払われて人は解放感を得る。本能のままに立ち戻った瞬間に人は安らぎを覚えるのよ。そして心が癒されるの。あなた自身が念じて彼らを癒したわけじゃないけれど、あなたの力で彼らの精神が癒されたことは事実なのよ」 涙が出るほど論理的な説明だ。しかし何処かに反撥を覚えて透は呟いた。 「僕にはそんな大それた力……」 「違うわ。あなたにとっては極普通の力なのよ。息をするのと同じくらいね」 透の言葉を遮って彼女は続ける。 「日常茶飯事のことよ。あなたはいつも、多分無意識のうちに周りの人を見ていた。そしていつも不思議なくらいわかっていたはずよ。人が自分に何を求めているのか。だから周りに自分を合わせることができた。……他人の顔色を窺ってビクビクしていたわけじゃないし、流されていたわけでもないのよ。子供の頃から自分をしっかり確立させていたから、悟ることができたのね。地球にいる時からあなたの《心眼》の力は働いていたの。あなたには見えていたはずだわ。だけど見たくないものは見なくていいから自然に制御していたのよ。あなたの中に眠る力は既に完成されていた。瞑想洞の修行はあなたにとっては儀式だったのよ。力の使い方を悟るためのね」 「地球にいる時から……使ってた……?」 「意識下では力の使い方を知っていたのね。ただ単に表層意識では認識していなかっただけよ。瞑想洞の修行がなければ自覚できなかったでしょうね」 膝で頬杖をつき、両手で頭を抱えながら複雑な表情を浮かべる透。 「考えたコトもなかった……」 「だから天性のものなのよ。自覚がなくても力を確立できるのだから……。そうね、心現界広しといえども、天性の《心眼》を持つ者など、あなたしかいないわよ、透」 プシケは感心しているらしい。が、取り敢えず透は不満げに言ってみた。 「全く大それた話だよ」 彼女は笑った。いたずらっぽく光る瞳で紫音を見つめて言う。 「もっと大それているのは紫音よ。あなたの方が只者ではないかもね」 紫音が迷惑そうな顔をした。 「紫音の力は《無》と言うの。全ての精神攻撃を無効にする力。だけどそこに別の力が混ざっている。受けた力を自分の中に取り込み増幅する力を《相乗》と言い、それを変換して攻撃でも防御でも撥ね返す力を《鏡反》と言うのよ。その三つの力を兼ね備えている人間なんて、心現界にも、いいえ、どんな世界にも他にはいないわ。多分ね」 言葉だけで聞いていれば確かにもの凄く大それた話だ。本人を知らなければかなり驚異な人物に聞こえる。 「あなたたちは、類い稀なく大それた力を持った名コンビってわけよ」 顔を見合す二人。お互いに、胡散臭そうな表情をしている。 「まあな。コイツみたいなお人好し野郎には、俺のような参謀が必要だろうからな」 「参謀? 乱暴の間違いじゃないの?」 再び締め上げられる透。ついでに捻じ伏せられた。プシケは落ち着いたものだ。本気でないのがわかっているのだ。 「紫音はお人好しって言うけど、それは仕方がないわね。《心眼》の力は、純粋で、人を疑うことができない者にしか目覚めさせられないわ。逆を言えば、潜在的にでも《心眼》の力が強い者は、純粋な心を失わず、人を信じる心を忘れないってことよ。透がお人好しなのはそのためだわ。まして力が覚醒してしまった今では、もう変わりようがないわね」 紫音が力を緩めたので、彼の手を撥ね退け起き上がった。透は荒い息でぜいぜい言っている。 「力の付録がぁ……お人好しだけなら……いいけどね……」 横から茶々が入った。 「残念ながらそれだけじゃねえからな、おまえの場合。何処までも警戒心のない能天気野郎だし、何度失敗しても懲りねえ大バカ野郎だし、時々くだらねえ事で死にそうな顔をしているところなんざ、全くどうしようもねえガキだからな」 「幾ら何でもひどいなぁー。そこまで言うコトないじゃないか!」 敵わぬまでも紫音にかかって行こうとした瞬間、階段からドタドタと激しい音がした。上がって来たなと思ったら、ドアが蹴り開けられ、飛焔とイアーゴが雪崩れ込んできた。 「飛焔! ヤバイよ! そりゃあヤバイって!」 「この臆病もんっ! 何もせんで事が解決するかいっ!」 イアーゴが血相を変えて飛焔の膝の辺りに縋りついている。まるで臭い芝居のようだ。 「頼むよぉ、飛焔。おいらから情報が漏れたなんてバレたらおいら殺されちまうよぉ。頼むから行かねえでくれよぉ」 飛焔は彼を無視して歩こうとする。イアーゴは横座りのまま、ズルズルと数歩引き摺られた。 「全く鬱陶しいやっちゃ。早よ離さんとぶっ飛ばすぞ、われぇ!」 「おいらは何が何でも阻止するぞ! 全殺しよか半殺しのが、まだマシだからな」 震えながらも果敢にそんなことを言っている。珍しく勇気のある発言だ。 「いったい何の騒ぎだ?」 紫音が立ち上がってイアーゴを見下ろした。 「兄ぃ、コイツの情報屋がおもろい話をしてったそうや。アグスティに常連しか知らんエドの酒場っちゅーとこがある。通称駆け込み酒場や。そこにマリアッドから消えた女が何人かおったそうやで。今でもそこにおるかどうかはわからんけどな」 「そこを探りに行こうってのか?」 「そうや。この酒場が繋がっとる先が、女狩りの本拠地やさかいな」 突如イアーゴが立ち上がり、飛焔の胸倉を掴んで叫んだ。 「違う、違うって! 何の根拠もない、ただの噂なんだよぉ! お門違いかも知れねえから行くだけ無駄だって!」 情けない視線で縋ってくるイアーゴに、容赦なく言葉を放つ。 「おまえなぁ、エドの酒場がなんで駆け込み酒場って呼ばれとるんか知らんのんか。あっこは裏稼業の元締めや。ヤバイ事がしょっちゅう駆け込んでくるからそう呼ばれとるんや。そこにマリアッドの女がおったっちゅー事は、めっちゃきな臭いっちゅー事になるやろ? しゃーから調べに行くだけや。何も殴りこみに行く訳やない。そんなに殺られんのが怖かったら、暫く店畳んで夜逃げでもしとけ。その間にケリつけたるさかい。だいたいなぁ、おまえもこのまんまやったら商売上がったりでかなんやろ。どうなんや?」 力なく俯くイアーゴ。震える声で、彼にしては一世一代のセリフを吐いた。 「わかったよ……もう止めねえよ。……けどよぉ、おまえらがアグスティに行ってる間、お嬢さんと坊主はここに置いてくんだろ? だったら夜逃げなんてしてられねえよ。おまえらが帰ってくるまでは、宿の主人としてここにいなきゃなんねえじゃねえか、 お客がいる限りはさぁ」 飛焔がにやりとした。二回りくらい小さい男の肩に手をかけ、真っ直ぐに相手を見遣る。 「さすがはマリアッドのイアーゴ。頼りにしてまっせ、旦那ぁ」 どうやら話は纏まった。いよいよ敵の本拠地に探りを入れに行くのだ。 「透。しっかりプシケを守れよ。だが、もし万一の事があった場合、おまえの判断で行動しろ。自分を信じろよ」 何処までも真剣な表情で紫音が言った。だしぬけに漂う緊張感。彼らが行ってしまったら、透の力でプシケとクリスを守らなければならない。 「わかってる。紫音と飛焔も気をつけて」 言葉少なに答える。 「兄ぃ。銃はすぐぶっ放せるようにしといた方がええ」 今まで聞いたこともない張り詰めた声が言った。 「おまえは刀を抜かないのか?」 「これは……」 言い淀む声。 「これは、必要な時が来るまでは、抜く訳にはいかんのや」 飛焔は無表情だった。 それ以上何も訊かず、紫音は戸口に向かっていった。ドアに手を掛け振り返る。 「行くぞ、駆け込み酒場へ」 後には、クリスを抱く透と、ベッドに腰掛けたままのプシケと、呆然と佇むイアーゴが残された。 【領主館へ】へ続く
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