きんのばしゃていへ
金の馬車亭へ
西へ…東へ…ロゴ
 イシュタル・ハーンは色の浅黒い、精悍な顔立ちの男だった。中近東系な様子だが、瞳は褐色ではなく澄んだ美しい空色をしていた。しかも彼はレディ・ファーストの精神を持つ。つまり女性を大切にする男なのだ。
 がっしりとした体型の彼は、プシケがカムレイから降りるのを抱きかかえて手伝い、華奢な手を恭しく取りながら、己の主人のもとへと誘っていく。後の男は勝手について来い、と言わんばかりの態度。男は殴り飛ばして、女は守るというのがこの男の信条だった。
 月の井戸と呼ばれる広大な泉の側に、綺麗な布を張り巡らせて作られたテントがあった。そこにキャラバンの長がいる。キャラバンと言うのはバザールからバザールを渡り歩き、物を売り歩く商人の団体だ。このキャラバンも総勢五百人を超える大団体だと言うことだ。
 イシュタルに呼ばれ、長がテントから顔を出す。プシケの姿を見つめて、愕きの余り後ろにひっくり返った。
「イシュタル、何事じゃい! 悪魔を連れて帰ってくるとはぁ!」
 彼は悪びれもせず答える。
「心配しなさんな。この人は悪魔なんかじゃねえ、ただの女性だ。前にも話したろ? 俺の命の恩人が、今、お守りしているお嬢さんだよ」
 言われて長はイシュタルとプシケの背後を見た。最初に透の姿を認め、またも叫び出す。
「ひいぃっ! やっぱり悪魔ぁ!」
「人聞きの悪い事を言いやがるぜ。誰が悪魔だってんだ?」
 そう言う紫音の髪の色に気づいて、更に叫んだ。
「ひええええっっ! やっぱり悪魔の一行じゃないかあぁっ! イシュタル、早く何とかしろい! 何のために高い報酬を払ってると思ってるんだぁ!」
 透も紫音もプシケも、げんなりと溜息を吐いた。
「あのなぁ、おっさん、ええ加減にせぇよ。人の話、聞く前から悪魔、悪魔、言わんといてくれや」
 飛焔がひっくり返って尻餅をついたままの長に、顔を近づけて凄む。長は目を丸くして震え上がった。
「バラム・レイドさんよぉ、そいつがな、あんたが会いたがってた鬼火の飛焔だぜ」
 突然、がばりと身を起こすと、長は飛焔の胸倉を掴み上げ震える声で言った。満面の笑みが湛えられているということは、喜びに打ち震えていると言った方が正しい。
「あんたか? あんたが鬼火の飛焔か? こりゃいいところで出くわしたわい。お願いだ! あんたが一生楽して暮らせるくらいの報酬を用意させるから、このキャラバンが無事に終えられるように用心棒をやってくれい!」
「あのなぁ。ワイは今、このお嬢ちゃんに雇われてるんや。雇い主の二股はでけへんがな」
「だったら、そのお嬢さんも一緒に旅をすればいい。キャラバンの旅は楽しいぞい。仲間は山ほどいるし、バザールの賑やかさも旅の醍醐味ってもんだぁ!」
 飛焔は目を細め、冷たく薄笑った。
「あんたらこれから東に向かって行くんやろ? ワイらは西に向かっとんのんや」
「そこを何とかお願いですじゃい! 丁重に扱いますからぁ!」
 長はだんだんと下手になってきた。野太いだみ声が猫なで声に変わっている。
「いやや! ワイの雇い主を悪魔呼ばわりするようなおっさんと、一緒に旅なんかでけるかいっ!」
 とたん、長は地面にがーっくりとくずおれた。いや、地面に額をつけ謝っていた。
「鬼火の飛焔さま、許してくだせえぇ。良く確かめもしないで悪かったと思っとりますぅ!」
「そんな卑屈に謝らんでも。冗談やがな〜」
「では一緒に旅をしてくれるので?」
 がばと跳ね起きると、飛焔の両手を力いっぱい握りしめた。ぶよぶよと大肥りなオヤジは、掌と甲の区別もつかないくらい手もぶよぶよとしている。可愛い女の子ならともかく、こんなオヤジに手を握られるのは不本意の極みだ! とばかりにバラムの手を振り払った。
「い・や・やっ!」
 バラム・レイドは、叱られた子供みたいにしゅ〜ん、と項垂れた。でっかい体が少し萎んで見える。
「はっはっはっ! バラムさん止めときな。その男は一度イヤだと言ったら梃子でも動きゃしねえからな」
 遠慮のない声がして、透たちは後ろを振り返る。背後には、色の浅黒い男・第二号が大笑いしながら立っていた。黒い縮れ毛の、緑の瞳の男。年の頃はイシュタルと同じくらい、二十代の後半といったところだ。
「何や、ハデス・ヤン。何でおまえまでこんなトコにおんねんな。ヤコブの爺さん、バザールの店一人で守っとんのに、息子のおまえがキャラバンで何しとんねんや?」
 この男も飛焔の知り合いらしい。ん? バザールのヤコブ・ヤンと言えば、妖仙山脈の情報をくれた人だ。この男は彼の息子なのか。
「けっ! 親父とは喧嘩中だ。それに俺はおまえと同じで一つ処にはいられない性分なのさ」
 一体全体ここは同窓会会場か。飛焔の知り合いは世界の至るところにいるというのは、あながち嘘でもハッタリでもなかったのだな。
「とにかく、バラムさん。コイツらに、あんたが何でそんなにビクビクしてるのか教えてやってくれよ。場合によっちゃ力になってくれるかも知れねえぜ」
 がっくりと肩を落としていたバラムは、きょろきょろと透たちを見回し、すぐに自分のテントに招き入れた。
 
 
 テントの中では暫く雑談が続く。バラム・レイドが本題になかなか入ろうとしないからだ。
 透たちの姿を見て悪魔とまで言ったのだから、信用されていないのかと思ったら、大歓迎はしてくれているようだ。車座になる彼らの真ん中に食事用のマットを広げ、次から次へと珍しい食べ物を並べ捲る。久し振りに会った男三人は、さっさと出された物に手をつけ、思い出話に花を咲かせていた。最初にバラムに大歓迎を受けた飛焔と、バザールの知識に詳しく客人として招かれているハデスはともかく、おまえは雇われ者だろうとイシュタルには突っ込みを入れたくなったが。
 気を取り直して話に耳を傾けると、イシュタルが飛焔を命の恩人と言い、頭が上がらない訳がわかった。彼はその昔、金持ちだけを襲い、奪った金品を貧しい民衆に分け与える義賊だったそうだ。民衆にとっては有難い存在だったかも知れないが、金持ちにとっては甚だ良ろしくない人物であることには間違いない。だから当然ブルジョア階級から指名手配がかかった。そして捕まり、危うく私刑――この場合は法に則ったものではない。つまり個人的に制裁を加えるということだ――になりそうになったところを、どういうわけだか、飛焔が気紛れで彼を助けたという話だ。
「あン時にはホント助かったぜ。ま、この俺様がドジ踏んじまうなんて前代未聞、天地逆転な話だけどな」
 イシュタルが反り返って、大声で笑った。
「そないゆ〜たら、おまえ〜、そン時の借り、返して貰ってないで〜。確かワイが困った時、助けてくれる〜ちゅーてたやんなぁ。忘れたとは言わさんでぇ」
「んで? おまえに困った時なんて、あんのか?」
「別にあらへんなぁ……」
 イシュタルは再び反り返る。飛焔は永遠に借りを返して貰えなさそうなのを悟ると、
「アホくさ。盗人のくせに詐欺までやんのんかい」
 と、ぼそりと呟いた。
 それ以来、《鬼火の飛焔》についての命の恩人伝説が実しやかに囁かれ始め、風に乗ってあっという間に広まったという。囚われの義賊を救う情け深い無敵の男。妖怪呼ばわりされたり英雄として崇められたり、飛焔は本当に忙しい男だ。だからバザールの長だけではなくこの辺り一帯では、用心棒を雇うなら、一も二もなく《鬼火の飛焔》という図式になるのだそうだ。……それはそれでいいのだが。
 そろそろ本題に入って欲しい、と男三人の姦しい笑い声に辟易しながら思う。砂漠の旅の疲れも溜まっているし、あんまりどうでもいい雑談ばかりなので少し眠くもなってきた。思わず据わった目でぼんやりとバラムを見つめていると、彼が慌てて飛んできた。
「何かお気に召さない事でも?」
 透はびっくりして目を見開く。すぐに笑顔で誤魔化し、誤魔化したつもりが、本音がぽろっと出てしまった。
「い、いや、そうじゃなくてー、そのぉ、そろそろ本題に入っていただけないかなー、っと……」
 男三人がぴたりと言葉を止めた。しまった、雰囲気を悪くした、と思うのも束の間、バラムが透の瞳を覗き込んでくるので目を逸らすわけにもいかない。すると、最初に声を出したのはハデスだった。
「噂、聞いてるか? 飛焔」
「噂て、何や? キャラバンの事か? それやったらイシュタルから聞いたで」
「……だってよ、バラムさん」
 それまで透の瞳を見つめていたバラムが、ハァー、と深く溜息を吐く。彼はいつまでも透に視線を据えたまま、やっとこさ、事の経緯を話し出した。
 
 
 発端は十月余りも前。キャラバン仲間では上から五本の指に入る、総勢三百五十人の大キャラバンが一夜にして全滅した、という噂から始まった。
 噂のキャラバンは、バラム・レイドの親友が長をやっていた。確かにそれ以来、親友にもキャラバンの商人にも会っちゃいなかったが、幾ら何でも一晩では、と最初から本気にはしていなかった。
 そのうち総勢三百人を越える大キャラバンが、次々と行方をくらませていった。或るキャラバンは砂嵐に呑まれたといい、別のキャラバンは盗賊に皆殺しに遭ったという。噂が噂を呼び、尾ひれを付けて巷を飛び交うようになった。グラジ砂漠を旅する商人は、やがてキャラバンに参加するのを怖がり始めた。
 そうなると困るのはキャラバンのリーダーだ。商人が集まらなければ品物も集まらない。それではキャラバンを結成する意味がない。名のあるキャラバンの長は、こぞって情報を集めようと躍起になった。
 そして遂に見つけたのだ。全滅したキャラバンで只一人生き残った商人を。
 彼は言う。今となっては、何故、自分一人が生き残れたのか解せないと。この目で見たものは全て、夢か幻、或いはあやかしの類だったのではないかと。
 彼ははっきりと見たはずだ。だがその不可思議な光景が余りに彼の常識から逸脱していたので、とても現実の出来事だとは思えなかった。心が拒絶反応を起こして、現実と認識できる形から、その経験を弾き飛ばしたのだ。それでも譫言のように話してくれたのは、こんな話だった。
 月の細い夜、彼らの野営地に現れた男と女の三人組。金に光る髪の美少女、黒髪の翳りのある青年、銀髪に金の瞳を持つ男。彼らは旅の者とだけ言った。
 キャラバンの連中は、大抵、商売に繋げようとするので誰も彼も愛想がいい。彼らを快く迎え、何か入用の物があったら安く譲ると話を持ちかけた。旅の三人も笑顔で話を聞き、それならばどうしても欲しいものがある、と申し出た。
 ここまでは常識の範囲内の話だ。が、ここからが突拍子もない話に変化する。
 三人の中の唯一の女性、金の髪の美少女は、肌の色が抜けるように白く、瞳は何処までも澄み切っていた。その瞳に見つめられると、誰もが我を忘れてしまう。彼女が優しく微笑んでくれるだけで、もう彼女の望むことは何でもしてあげよう、そんな気にさせられてしまった。生き残った彼も例外ではなかった。
 そして彼女の望むままに、己の命を差し出そうとしてしまったのだ。常に腰に下げていた、愛用の刀でもって。
 首筋から流れる赤いものが、徐々に衣服に染み渡っても、彼は少しも後悔などしていなかった。あの少女がそれで幸福ならば、何も惜しいものはないではないか。この期に及んでも、まだ彼はそんなことを考えていた。彼らが立ち去った後、運良く通りかかったキャラバンに助けられるまでは。
 意識を取り戻した彼は真っ先に叫んだ。――あれは伝説の、《砂の都の姫》だと。
「砂の都の姫、ですか?」
 相変わらず透を見つめるバラムの視線から、どう逃れようかと算段しながら尋ねた。
「グラジ砂漠には幾つも伝説がありますがなぁ、その中でも最も悲しくも不思議な物語、それが砂の都の伝説ですわい」
 バラムはうるうるとした瞳で熱っぽく語り出した。どうやら、総勢五百人のキャラバンを率いる貫禄十分の大肥り男は、普段は悲恋だの悲話だのの類が大好きな、意外と愛すべき面も持ち合わせているらしい。と、言うか、非常に外見とはアンバランスな男だ。
 砂の都とは伝説上の都であって、歴史上、実際に存在したものなのか、それとも摩訶不思議なところに存在するのかは定かではない。物語に登場するのは、砂の都と、対極にある緑の都だ。
 砂の都の王には娘がいて、緑の都の王には息子がいた。両国の王は同盟を結ぶ為に姫と王子の婚姻を考えた。砂の都の王は、王子に姫と共に砂漠を統べるように望み、緑の都の王は姫を緑の国に迎えようとした。どちらも只一人きりの後継ぎ。どちらの王も頑として譲らなかった。
 姫と王子はお互いに会ったこともなかったが、幼い頃から言い交わされた約束によって、次第にお互いを求めるようになっていた。だから早く交渉が纏まり、どちらの国でもいいから、晴れて二人で暮らせる日が来るのを待ち望んでいた。
 けれどそんな日は永遠に来なかった。
 両国の王は我を張り続け、結局は争いとなった。同盟を結ぶ為の話し合いにも関わらず本末転倒となってしまったのだ。そして惹かれ合う姫と王子は、手紙や贈り物はもとより、お互いの名を口にすることも許されなくなった。
 砂の都の姫は嘆き悲しんだ。だってそうだろう。幼い頃から只一人と決めた相手と、出会う前から引き裂かれたのだから。
 こんなにも会いたいのに会えない。せめて手紙だけでも、せめて様子を知らせてくれる使いの者だけでも。名前すら口にしてはいけないなんて、愛しいあの方のお名前すら……
 姫は見る見る痩せ細っていく。美しい顔に翳りが差し、瞳から光が失われていく。王は焦った。焦ったがどうにもならない。交渉は決裂したのだ。今さら緑の国に頭を下げる事などできない。既に、戦争になる一歩手前だった。
 戦争になどなったら永遠にあの方とは幸せになれない。姫は決断する。永遠に会えなくなる前に、せめて一度だけでも王子様に会いに行こう、と。
 糸の月が見守る夜、姫は二人の従者を連れ、たった三人で緑の都を目指した。太陽と見紛うばかりの金に輝く髪の姫と、月の色を映したような銀の髪の従者、闇に紛れる黒い髪のもう一人の従者。太陽と、月と、夜と……。彼らは目指す。天の恩恵を受けた、緑の大地を。
 決して辿り着くことのできない見果てぬ夢。砂漠は彼らを逃さなかった。砂の都に生きる者は砂の都から出てはならぬと、彼らを砂嵐で包み込んだ。もう二度と、愚かな考えを抱かぬようにと。
 それ以来、糸の月が輝く夜は、砂の都の姫が現れるという。緑の都に未だに辿り着けない姫の一行。まだ砂漠を延々と徘徊しているのだ。そして人の姿を見つけては、魂を吸い取っていく。砂嵐に襲われた為に失ってしまった生気を、取り戻そうとするかのように。
 この伝説があるが為にグラジ砂漠では、糸の月夜に旅をしてはならない、必ずオアシスで足を停めなければならない、と言い伝えられていた。悲恋悲話の主人公である哀れな砂の都の姫は、まるで悪魔のように怖れられているのだ。
「なるほどな。それでおまえたちは、いつ砂の都の姫が現れるかと始終ビクビクしてるってわけだな。俺たちが追っているのは明らかに同じ連中なのに、一方では両極の天使と崇められ、他方では砂の都の姫と怖れられているのか。人間ってなぁ、勝手な思い込みで人をどうとでも変えやがる」
 呆れた風に紫音が言う。
「正に主観の相違ってことね。……人と云うものは、たとえ同じであっても、見る方向によっては違うものだと認識してしまうのよ。だからこそ、どちらが善でどちらが悪かなんて簡単には定められない。誰もが皆、自分は善だと思っているし、善だと思ってやった事に疑いなど持つはずはないわ。それを悪だと決めるのは自分ではないからよ。他方にいる者が、それを悪だと決めつける。他方には他方の善があり、もう一方と相容れることができなければ、それを悪だと認めざるを得ないのね。当事者であればあるほどそうなるものよ」
 公平なる黒の門番の論理が展開された。
「彼らもそうなのかも知れないわ。一方だけで見ても、彼らの真の姿は見えては来ない。あちら側に立つことができなければ公平とは言えないわね。彼らには彼らの事情というものがあるのだから……」
 言葉を切ると、プシケは暫し考え込んだ。彼らを案じる気持ちはわかる。今の言葉は、彼女自身の切なる希望なのか、あくまでも公平な立場が言わせたことなのか。
 それまで黙って聞いていた飛焔が、突然、口を挟んだ。今まで彼らに関する話題の時は、一度だって言葉を発したことがなかったのに。
「なぁ、おっさん。今でも全滅するキャラバンってあるんか? 最近でもそんな噂、流れとんのんか? どや? 噂、聞いたことあるんかないんか、教えてんか」
 バラムは、はちきれんばかりの腕を組んで、じーっくりと思い返した。
「そう言えばぁ……ここ三月くらいは聞かなくなった気もするがなぁ」
 答えと同時に、飛焔は隣に座っていたハデス・ヤンの背中を、めいっぱい思いっきりぶっ叩いていた。
「さよかっ! 今度のんは病気みたいに伝染したりはせんようやなぁ。アイツら、他で忙しいんとちゃうか? しゃーから今のうちや! 今のうちにアイツらまで辿り着いて、早よ何とかせんとなぁ……」
 謎めいた言葉を発し一人で納得している。ぶっ叩かれたハデスは、飲みかけの酒を噴き出して咳き込んでいた。
「取り敢えず、こっから一番近い町はマリアッドや。マリアッドにワイの知り合いがやっとる宿があるさかい、そこで後の事は考えよか? どないする? お嬢ちゃん」
「そうねえ……」
 プシケはちらりとバラムに目を遣る。彼はしつこいくらいに透の瞳を覗き込んでいた。
 ついに透は耐え切れなくなって、情けない声でバラム・レイドに抗議した。
「あのぉ〜、何だって、そんなに僕のコトばかり見てんですかぁ?」
 彼は今になって、自分が透を凝視していたことに始めて気づいた。照れ笑いを浮かべながら、それでも力強く答える。
「これは失礼。何だかおまえさんの目を見てるとなぁ、こう、何と言うか……力が湧いてくると言うか、勇気が奮い立たされると言うか……そのぉ……とにかく、今まで心配で心配でぇ、いても立ってもいられんかった事が何でもない事に思えてきたんじゃい。こっちにゃ五百人からの猛者が揃ってるんだぁ、簡単に砂の都の姫に殺られたりはしないぜぇ、って気になってきたんだなぁ、不思議なもんだわい」
 不思議なのは透の方だ。何故、会う人会う人続けざまに、癒されるだの何だのと言うのか。癒しの力なんてものは、彼には今ひとつ実感がない。しかしバラムの陽気な顔を見ていると、不思議と愉快な気分になってきた。
「そうですよ! 噂や伝説に振り回されて、朝から晩まで怯えて暮らすなんてバカげてます。砂の都の姫が現れたって、自分をしっかり持ってれば大丈夫! 彼女がどんなに哀れな人でも理不尽な要求をしてくるんだったら、それは間違ってますよって教えてあげなきゃ。五百人もいるんだから、誰か一人くらいはお姫様を説得できますよ」
 少しばかりずれた励ましだが、至って人のいいバラムは大笑いをする。
「わっはっは、面白い事を言う。確かにその通り! こちとら人生、酸いも甘いも噛み分けた旅の達人ばかりだからなぁ、年若い姫様に話して聞かせるくらい、訳もないことだわい」
 二人の呑気な会話を聞いてプシケは安堵した。
「どうやらキャラバンの人たちは大丈夫みたいね。元々過酷な旅を好んでする人たちなんだから、心配はいらないだろうけれど」
 隙間から朝陽が洩れ込んでくる。テントの端を軽く持ち上げて紫音は言った。
「夜明けだ。砂漠の連中は自分たちで何とかできるだろうさ。今までだってそうして来たんだろう? だったら心配はいらねえ。咄嗟の判断ができるような経験を、彼らは五万と積んでるだろうからな」
「ほな、荷物纏めてさっさとマリアッドに向かおか。三ヶ月振りやさかいな、その間に宿が潰れてんことを祈るわ。ほら、坊もいつまでもおっさんと笑っとらんと、早よ用意してんか。行くでぇ、金の馬車亭へなぁ」
 マリアッドにある飛焔の知り合いの宿屋とは、もしかして……。
【駆け込み酒場へ】へ続く
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