つきのいどへ
月の井戸へ
西へ…東へ…ロゴ
 不思議な動物だ。カムレイという名のこの動物は、砂漠の旅には欠かせないそうだ。
 大きな顔は少しばかりラクダに似ている。が、背中に瘤はない。体型は馬に見えるのに足はダチョウ並に野太く頑強だ。その四本の足でしっかりと大地を捉え、身体も大きいので人なら二人くらいは軽々と乗せてくれる。従順で丈夫な生き物の彼らは荷物を乗せて運ばすのにも便利だという。
 広場に二頭のカムレイが控えていた。しかもその背には砂漠の旅に必要な物が充分に乗せられている。どちらのカムレイもこちらを向いて鼻を鳴らせた。人懐っこくもあるらしい。
「私どもの、ささやかな感謝の気持ちです」
 司教が言った。
「砂漠の旅は過酷です。これらがあれば少しは楽になりましょう」
 教皇が頷きながら言う。それに従って、カムレイの手綱を握っていた修道士が、紫音と飛焔にそれを託した。教皇が満足げに微笑む。
「僕たちは大したコトもしていないのに、ここまでご親切に甘えてもいいのでしょうか?」
 司教が目を見開いた。
「何を仰るのです。あなた方が私どもに齎したものが、どれだけ大きなものなのか、おわかりになられていないのですね」
 そうは言われても透には何をしたという実感もないし、彼らが負ったリスクの多大さを考えると、感謝して貰う筋合いなどないに等しい。
「私どもは聖職者です。神に仕える者です。ゆえに神の力、奇跡を信じます。あなた方がどう思われようと、あなた方に依って奇跡は齎され、私どもは救われました。たとえ両極の天使と関わりを否定されたとしても、私どもには、あなた方が正に救世主なのですよ」
 何と大それた言われようだろうか。
 透が赤い顔をして司教の言葉に骨抜きになってしまったため、プシケが代わりに後を繋ぐ。
「教皇様、司教様、お気持ちありがたく受け取らせていただきます。どうぞ今後も精神を強く養われて、信仰にお励みになられますように」
 まだ赤い顔をしてまごまごしている透の腕を引いて、彼女は歩き出した。
 ファティムール寺院の大聖堂では、清廉な鐘の音が鳴り響いていた。
 
 
 カムレイの背に揺られながらプシケは思う。
 彼女を前に乗せ、背後で手綱を握るのは飛焔だ。彼はどうやら何度もカムレイに乗り慣れていると見える。巧みな手綱捌きといい、カムレイの扱いといい、初めてとは到底思えない。何事にもそつの無い紫音ですら最初はこの動物の扱いに戸惑っていた。飛焔はカムレイの頬を一・二度、撫でただけで、言う事を聞かせてしまったのだ。
「お嬢ちゃん、あんじょうワイに捕まっときや。何やったらワイがずっと、お嬢ちゃんの身体抱いててもええけどなぁ」
 相変わらずニヤニヤ笑いをしてセクハラ発言を怠らない。本気なのか冗談なのか、未だにこの男から真実が伝わってこない。だからわざと、深々とその胸に身を預けてみた。
 思った通りだった。
 これだけ至近距離にあり、あまつさえこれだけ体が触れていながら、この男からは何も読み取れない。微々たる感情の何一つも読み取れないのだ。彼女ほどの力がありながら読み取れないなどとは、この男がよっぽどの曲者であるという以外の何者でもない。加えて彼はアグスティ世界を異様に知り過ぎている。必要以上に精通していると思えてならないのだ。それがプシケの疑念を駆り立てる。透の《心眼》を信じても足りないほど、飛焔は得体が知れなさ過ぎた。
(そろそろ砂門のことを彼らに話しておきたいのだけど、飛焔だけは要注意だわ)
 心現界に関わる者だとしても深く理解しているかは保証できない。深く知らない者に迂闊な話をするわけにはいかないのだ。仲間だと認めておきながら飛焔を蔑ろにするのは心苦しい気もするが、この際、彼には潔くはみ出していただくのが得策だ。
 透に記憶を読んでもらおう。そうすれば必然的に紫音にも伝わる。二人には、精神の波長をピタリと合わせてもらえばいいのだ。
 いつもは彼ら自身、微妙に波長をずらせている。でなければ相手に感情をダイレクトに伝えてしまうからだ。心理的な波長の乱れまで伝わってしまっては、心の動揺を引き起こし面倒な事になる。二人は無意識のうちにその事を悟り、誰が教えることもなく最良の方法を取っていた。
 西の地平線に太陽が沈みかけていた。
「兄ぃ、がんばってや。グラジ砂漠にはちっちゃい無人オアシスが山ほどあるさかいな。もうちょい行ったら最初のオアシスがある。今晩はそこで野宿やな」
 飛焔の言葉を聞きながら、今夜、彼が眠った後にしようとプシケは決意した。
 
 
 砂漠の夜は異常なほど気温が下がる。それはこの世界でも同じだった。
 寺院で貰った物の中には、砂漠の夜の対策グッズも数多くある。薄地の割に羽織るとべらぼうに暖かい布、暖めるとコーヒーのような味のする飲料、カイロと思われる物まであった。
 オアシスの小さな泉の側で、火を熾し、不思議な布に包まる。食事の後、紫音が火の番をすることになり、飛焔はゴロリと横になった。すぐに寝息が聞こえ始めた。
 透の腕の中で一緒に布に包まりながら、クリスもスヤスヤと寝息を立てている。精神の塊である精は眠りが一番の栄養だ。
 プシケが眠ってから透も横になろうと思っていたら、ふと、彼女が手を握ってきた。何を要求しているのかすぐに伝わってくる。そして、彼女が頑なに飛焔を警戒していることも。
 透は紫音の顔を見つめる。彼は即座に理解した。紫音が精神の波長を合わせてきたのを感じ取ると、透はプシケの記憶を読み始めた。
 程なく意識に流れ込んでくる彼女の記憶。ピリアについて、如・砂門についての過去の記憶が、まざまざと透の意識に映し出された。
 
 
 魔法使いの森――透と紫音がプシケと出逢った森を、村の住人はそう呼んでいた。森の近くの村はアヴィダ。村の住人たちはプシケの力を目の当たりにし、異形の者として敬遠した。
 誰も近づくことのない森に、足繁く通う少女がいた。ピリアという名の村の娘は、十六にもなるのにまだ恋も知らない。だからこそ心が透明だった。人を疑う事をしないから偏見もない。村の誰が止めても、同じ年頃の友人に会いにくるつもりで森に通い詰めてきた。
 もちろんプシケも忠告した。彼女が自分のために村で困った立場になることを憂えたから。それでもピリアは聞かない。儚げな外見とはうらはらに、強い信念を持ち、信じたものにひたすら向かって行く。信じる者に対しては全てを分け与えても少しも惜しいとは思わない。寧ろ喜びにすら感じるほど、見返りを求めない無償の心を持っていた。障害をものともしない精神の強さ、真摯に夢を見る純粋さ、何よりも、人を惹きつけるその心の美しさがプシケを捉えて離さなかった。
 プシケはピリアの純粋さを守りたいと思い、ピリアは彼女を親友だと慕った。そのまま行けば時の流れを乱さずに、ピリアの生涯を見守ることができたのだ。例え彼女の人生を、既に見定めていたとしても。
 破滅は突然に訪れた。
 森に現れた男、如・砂門。彼はその時代にいるはずのない人間だった。中世・革命後のエルメラインに存在すべきでない男は、遥か未来の世界から不自然な力を用いてやって来た。彼の目的は未来世界を変える事。過去の時代を操作することによって、未来を自在に変更しようとしていた。
 彼の時代は途方もない苦悩に晒されていた。至るところに出現した多元空間が世界を混沌に巻き込んでいく。最初は一つだった多元空間が、生き物のように周りの空間を浸食していったのだ。発端となる多元空間は《荒野》という異名を持つ。具現化された目視できる形が、荒れ果てた岩だらけの荒野だからそう呼ばれる。そこは透と紫音が囚われていた場所だ。
 《荒野》ができてしまった最大の原因はピリアにあった。いや、正しくはピリアが産むことになっている子供にあった。未来を変える最短の手段。《荒野》を発生させないためにはその子供を抹殺すれば良い。彼の使命はただそれだけだった。
 計算違いは、訪れるべき時代に僅かなずれが生じてしまったことだ。不自然な力の限界と言えるかも知れない。ピリアの子供はまだ産まれてはいない。だから彼は標的を彼女に変えた。
 そこに思わぬ誤算があった。ピリアが砂門に恋をしてしまったのだ。彼女の心の純粋さは砂門の心にも波及した。砂門は彼女に惹かれ、彼女を失いたくないと切望し、彼女を連れて逃げた。次元の狭間へと。
 プシケの役割は世界の力の均衡を守る事。不穏な動きを感じ取り、己の門に影響するなら、何処へでも行かねばならない。世界の力が均衡を崩せば心現界にも影響する。心現界が乱れれば世界の均衡も乱れるのだ。あらゆる世界は相互に微妙な関係を築いて成り立っているのだから。
 例えピリアが死んでも、ピリアの子供が死んだとしても、それは時代の小さな歪みでしかない。小さな歪みは大きな流れの中で修正され、結局は在るべき形に帰結する。彼女がいようがいまいが結果は同じなのだ。大きな時代の流れの中で、結果というものは偶然ではなく必然だからだ。全てのものは何らかの理由を持って存在しているのだ。
 砂門のした事は無駄な足掻き。それどころではない。悪くすれば結末を早めてしまいかねない。けれど彼にそんなことはわからない。運悪く彼はまだ覚醒していなかった。森にとって、ただの闖入者なら放っておいても良かったのだ。だが彼はそんな簡単な存在ではなかった。
 プシケが導師の予言によって待ち望んでいた存在。彼は心現界に深く関わる者。しかも重要な役割を持つ。彼を手に入れるために、迫害を受けながらも森に棲み、ずっと待ち焦がれていたのだ。すんなりと逃がすわけにはいかなかった。
 何よりも放ってはおけないのは、彼が限りなく《魔》に近かったからだ。《魔》を帯びる者は他を侵害する確率がかなり高い。彼は心現界になくてはならない人間。だからこそ、彼に心現界の禁忌を犯させるわけにはいかなかった。
 追わなければならない、何処までも。地の果てまでも追い詰めて、彼を自分の管理下に置かなければならない。砂門の《魔》に何者かが惹かれて、彼の力を利用しようとする前に……。
 
 
 透の心の中で何かが軋んだ。
 砂門がどんな力を持っているかは定かではない。けれど既に、彼は何者かに力を利用されつつある。瀕死の重病を負いながら、ピリアと共に連れ回されているのはその為ではないのか。凍てつくような金の瞳を持つ、得体の知れないあの男に。
 彼らの間に緊迫感が染み渡っていった。どちらにせよ、出遅れているのは明白だ。一年以上も前の、奴らの足取りを辿っている彼ら。あの三人が何処にいて今何をしようとしているのか、プシケは朧げながらも気づいていた。透や紫音も、偶然関わった事件に現れたピリアの姿を通じて、奴らが何処に辿り着いたのか知っていた。あんなにハッキリと少女は言ったではないか。アグスティに戻らなければ――と。
 紫音はだしぬけに地図を広げて見た。透もプシケも地図に顔を寄せる。
 グラジ砂漠の向こうにはカティック地方が広がっている。その発端に独立都市・マリアッドがあった。男も女も乱れた風俗の中、色を売りにし大儲けする商売の都。司教はあの三人が《退廃に彩られた嘆かわしい町》を目指すと言っていた。だが奴らはここで何もせず通過している。
 すぐ隣町はアグスティだ。マリアッドとの距離はかなりのものだが、その間には町も村も何もない。そこから先はアグスティの領主が治める土地が続いている。アグスティは西の果て。終着点はここに間違いない。
 奴らがマリアッドを放置したのには何か理由があるのだろうか。しかもアグスティでは《女狩り》が浸透している。彼らがこの世界に来た半年以上も前から、既に何かが起こっていたのだ。
 狩られた女たちの行方は杳として知れない。奴らが荒っぽい方法を強行したのは、そこでは両極の天使という究極の偶像など通じなかったからだろう。確かに、あの辺りに信仰心の厚い者がいるとは思えなかった。だからこそ、その土地に合った手段を講じたのか。
 奴らが狩るもの。それは人の精神の力だ。精神と肉体を切り離し、結果的に人の命を奪っている。その仕業は一体誰の力なのか。ピリアなのか、砂門なのか、銀髪の男なのか……。願わくば、ピリアでも砂門でもないことを祈るしかない。
 しかし、もしも彼らだったら、もしもピリアか砂門がその力を駆使するのだったら、プシケは彼らをどうしなければならないのだろう。
 彼女の心中を思うと急激に胸が締め付けられた。親友の少女と、仲間になるかも知れない青年。どちらを失うにしても、或いは両方を失ったりしては、彼女には大きな痛手となり、心に打撃を受けることは充分に考えられるのだ。プシケは自分の弱さに負けたりはしない。けれど心の奥深くで、対極へと彼女を引き摺る多大な重荷。心の葛藤は半端なものではない。
 自然と焦りが芽生える。透だけではなく紫音にも。いいや、プシケにも焦りが芽生えていたのだ。体調を省みず、無理に旅を続けようとするところから見ても。
 彼らは千々に乱れる心を持て余した。こうしている間にも、一体、何人の人が精神を侵害されているのか。それを思うと、とてものんびりとはしていられない。早く。早くアグスティに辿り着かなければ、何もかもが手遅れになってしまう。
 誰もが悪い方向に考えが進み、背中に悪寒を感じた瞬間、
「アカン、アカンって! 何処、触ってんねんなぁ。あんたはワイに任しとったらええんやでぇ〜……」
 間の抜けた声の突拍子もない寝言が聞こえてきた。
 俄かに彼らは脱力する。恐ろしいくらい急激に頭が冷めた。
「コ、コイツは……どんな夢を見てやがるんだ。あからさまな寝言を言いやがって」
 紫音が額に手を当てる。
「でも、彼はいつも、これ以上はないと言うくらい間がいいわね」
 言われてみればそうだ。彼らが冷静さを乱される時、或いはマイナスの考えに頭を悩ませる時、必ず飛焔は何かをしでかす。彼らの心を完璧に見切っているみたいに。
「僕はあんまり運命だとか、考えたくないし翻弄されたくもないけど、飛焔が僕たちにくっついて来たのは必然だと思えてならないよ」
 透が言うと、
「そうだな。コイツはそれほど馬鹿じゃねえ。コイツのお蔭で俺たちは、アグスティなんていう不慣れな世界でも思ったよりスムーズにやって来れたんだ。案外、役に立つヤツだというのが本音だな」
 紫音があっさりと認めた。
「彼に私の力が通じないのは何か理由があるのね、きっと。私には、彼には別な目的があるように思えてならないけれど、それは私たちの妨げになるものではないという気がしてきたわ。私たちがどんな話をしていても、彼は理解してくれるし、他言は一切しないのだと信じたくなってきたのよ」
 プシケの中で、飛焔に対する疑念が薄れ始めていた。
 
 
「一つ、二つ、三つ……」
 飛焔が数を数えている。
「十二、十三、十四……次が十五番目やな。ちゅー事は、今度のが最後のオアシスかいなぁ」
 グラジ砂漠に入って二十日以上になる。小さな無人オアシスで何度も身体を休めなければならなかった。プシケがまだ完全でないという理由もあるが、それだけ砂漠の旅が過酷なものだと、透は初めて知った。
 最後のオアシスの一つ手前で夜を迎えてしまい、夜明けを待って、次のオアシスに向かうことにした。今夜の火の番は飛焔だ。透は寝付けなくて、彼の側で何と言うことのない会話をしていた。紫音は木に凭れかかっている。眠っているのかいないのか。プシケは紫音の膝を枕にして、ぐっすりと眠っていた。少しやつれた顔が痛々しい。
「東から十五番目は、西の果てのオアシスや。無人は無人やけど、こんなちっちゃいオアシスとはちゃうでぇ。《月の井戸》ゆ〜て、人だかりがせえへん日ぃなんか一日足りともあらへんトコやさかいな。絶対どっかのキャラバンが屯しとるはずや。キャラバンは情報の宝庫やで。なんせ、西へ、東へ、バザールからバザールへ渡り歩いとる連中やからなぁ。何かええ情報が入るとええんやけどな」
 飛焔が石炭に似た黒い石を焚き火に放り込む。小振りな石は、鋭く爆ぜて燃え上がった。
「飛焔はどうしてこの世界にそんなに詳しいの?」
 透の疑問に、腕に抱かれたクリスも、じっと飛焔の顔を見た。飛焔はこちらに顔を向け笑う。クリスのことも見つめたが、前のような絡みつく視線ではなかった。
「なんで、て……ワイはこの世界を歩いて長いさかいな。あちこちの町を歩き回って来たんや。お蔭さんで、そこら中に知り合いおるし、知らん町もなくなったしなぁ」
 それはわかる。飛焔の顔の広さは想像以上だった。
「飛焔は何のために旅をしているの?」
 そう訊こうとした矢先だ。
 突然、飛焔が腰の刀を握りしめた。紫音に目を遣ると、既にプシケを抱き起こして銃を片手に身構えている。大気が騒めいていた。無人であるはずの小オアシスに、彼ら以外の人の気配が蠢いていた。
 次の瞬間、背後から何者かに襲いかかられた。息を吐く隙もなく飛焔に腕を引かれ、紫音たちと共に木立の陰に逃げ込む。焚き火から遠ざかると怖いほどの闇に包まれた。今夜の月は、糸にも負けないくらい細く、暗かった。
 今度は背後と左手から襲われた。何者かは複数らしい。蠢く陰の様子からいくと、おそらく十人近くはいる。また賊の類か。旅人というものは、つくづく災厄から逃れられないものなのか。
 と、呑気に考えを巡らせている場合ではなかった。紫音に引っ張られ木立を抜け出す。飛焔はプシケを抱き上げ逃げ回っていた。驚くほど機敏な動き。さすがは元、忍者だけのことはある。
 奴らは多勢に無勢。何故か執拗にプシケと飛焔を追い回す。辟易する飛焔が彼女を下ろし、賊に向かって行こうとすると、背後からプシケを襲った。
「させるかいっ!」
 鞘つきの刀でぶん殴られた賊は、つんのめって透たちの側まで来た。ぶつかりそうになった挙句、
「こいつも悪魔だ!」
 言うなり透に襲いかかって来た。
 振り上げられた曲刀の、行方を見切って瞬時に避ける。その横やりから紫音の蹴りが賊の後頭部に命中した。飛焔は飛焔で何だか腕の立つ賊と差しの勝負となっていた。その間にも、プシケに向かう賊の攻撃は緩まない。飛焔はそれに向かいながらも、腕の立つ相手とも戦っている。
「いい加減にしねえと、どいつもこいつもぶっ飛ばすぞ!」
 紫音が叫んだ。
 一瞬、空気が止まり、その場にいた全員の動きも止まった。しかしすぐに再開される、薄暗がりの小競り合い。紫音は再び叫んだ。
「わからねえなら、わからせてやる!」
 何もない、誰もいない砂ばかりの空間に、紫音は銃をぶっ放した。パワーは最大。閃光が、辺りを昼間の如く照らした。
 目を射る閃光が治まった後、誰もが愕然とその場所を見た。小高い砂山だったはずの場所に、何やら蟻地獄のような馬鹿でかい穴がぽっかりと開いていた。大気に溶け込む砂塵。風に乗って無差別に、彼らに降りかかってきた。
 激しく咳き込み、戦いどころではない。飛焔は涙を流しながら紫音を責める。
「兄ぃ〜、ちょっとは考えてんかぁ! ……げほっ、何でワイらまで、ごほごほ……こんな目に合わすんやぁ! がはがは、げほっ!」
「阿呆ぅ! 只でさえ長旅で消耗してるんだ。無駄に体力使っちまえば、後々困った事になるだろうが。おまえが一番動き回ってるんだぞ。そんなこと、自分で判断しろ!」
 と言いつつ、紫音も多少なりとも咳き込んでいた。
「せやかて〜、ごほごほ……売られた喧嘩は買わな〜……げほっ……この世界ではやってかれへんで〜……ぐほっ、げほげほげほ……」
「いつまでオーバーに咳き込んでやがる。どいつもこいつも手が止まりゃそれでいいんだよ!」
 実際、どいつもこいつも手が止まっていた。既に戦いどころではない。闘魂の失せた賊は、もはや刀を振り立てる気力もないと見える。どれ、賊の頭と思われる輩をふん縛って、何のつもりか吐かせてやるかと見回したところ、
「おっ、おめえ、飛焔じゃねえか! 何だって、鬼火の飛焔がこんなところにいる?」
「何やてぇ?」
 飛焔が、今まで戦っていた腕の立つ賊を見据えた。頭を布で覆い、顔まで布でがんじがらめにして、目ばかりがギラギラと光っていた。声に聞き覚えがある気がするが、と飛焔は首を捻る。
「俺だよ、俺」
 賊はそう言うと、頭と顔の布を取り払った。
「お、おまえ〜、イシュタル・ハーンやないかぁ! どうりで覚えのある太刀筋や思たわ。で、おまえこそ、こんなトコで何してんねんな!」
 相手はそれには答えず、
「おめえら、止めだ、止めだ! コイツらは悪魔の仲間でも何でもねえ。この鬼火の飛焔は俺の命の恩人だからな。金輪際、コイツらに手を出す事は俺が許さねえぞ!」
 彼の部下と思われる賊たちは、即座に刀をしまい込んだ。
「どうでもええけど、おまえ〜、今度はキャラバン襲う賊になったんかいな? 孤高の義賊がいつの間に徒党組んで善人襲うようになったんや?」
「相変わらず早とちりなヤツだ。今は盗賊なんかやっちゃいねえよ、足を洗ったのさ。このご時世、どういう訳かキャラバンの用心棒が引く手数多でな、俺もそれに便乗したってとこだな」
 飛焔が驚いて声を上げた。
「キャラバンの用心棒! 何で急にそないな事になったんや? 元々キャラバンには、商人やゆ〜ても腕の立つ連中が集まっとるやろが。せやのに専門家まで雇うんか?」
 驚いた飛焔に、更に驚いたのは相手の男だ。
「おめえ、暫く合わねえうちに随分情報に疎くなっちまったな。このところ、グラジ砂漠じゃ三百人を超えるクラスのキャラバンが幾つも全滅の憂き目に合ってるっていうぜ。腕の立つ輩を集めたくなるのも当然ってもんだろ?」
「どういうこっちゃ?」
 イシュタル・ハーンは不敵に笑うと、飛焔を挑発した。
「知りたきゃ月の井戸へ来な。俺の雇い主が詳しく話してくれるだろうさ」
 飛焔は黙って、事の成り行きを見守っていた透たちに視線を移す。彼らに異論のあるはずがなかった。
【金の馬車亭へ】へ続く
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