ぐらじさばくへ
グラジ砂漠へ
西へ…東へ…ロゴ
 ついに、飛焔はパミーシュ村で一度も口を開くことがなかった。不可思議だ。あれほど口さがない男が、たったの一度も溜息すら洩らさなかったのだ。何があったと言うのだろうか。
 不安になり、飛焔の腕に触れてみた。驚いて向けられた顔は、今目が覚めたとでも言わんばかりの表情をしていた。
「何や? 坊……」
 暗く沈んだ声。透は慌てて言う。
「どうしたの、飛焔? 飛焔らしくないよ」
 ぱっと明るい顔をして、飛焔が笑って見せた。
「ワイかて考え事ぐらいするがな〜、人間なんやさかいな。こう見えても悩み多きお年頃なんやでぇ、お兄ちゃんはなぁ。……って……何や、何や、そんな顔して。食いもん取られたようなヒモジイ顔しぃなや、坊」
「飛焔! 僕はマジメに心配してるんだよ!」
 それと言うのも飛焔の腕に触れた瞬間、何か、覗いてはいけないものを覗いてしまったような、そんな罪悪感に囚われたのだ。何に起因する感情かはわからない。唯一つ感じたのは、彼が途方もなく重い何かを背負っているらしい事。それが飛焔の運命を大きく変えてしまったのだと痛感したのだ。
 飛焔は穏やかな目で透を見つめている。人懐っこい笑みは既にその顔に戻っていた。
「心配せんでもええ。坊が笑ぅてくれてたらそれでええんや。坊の笑顔見てたら、何やほっとするさかいなぁ」
 何処かで聞いた風なことを言う。
 紫音だ。以前、紫音にも同じ事を言われた。あれはエルメラインを彷徨っていた頃。プシケと出会う少し前だ。
 透が落ち込んでいる時、いつも励ましてくれたのは紫音だ。口が悪いから励ます時ですら痛烈な言葉を投げかけてくる。最初はそれが理解できなかった。彼が人に対して不器用な人間だと、その時は知る由もなかったから。
 自分の心を持て余している時に彼の口調はかなり堪えた。しかし傷つくのを恐れては本当に人と心を通わすことはできない。それを彼に気づかされ、透は懸命に会話を試みた。多少の苦痛が伴い、自分の弱さと戦わねばならなかったけれど。
 そんな時、彼が一言洩らしたのだ。
「おまえが笑っている方が……ほっとする」と。
 忘れもしない。初めて紫音の心に触れたと思えた瞬間だった――
 という訳で透は首を捻る。この二人はどこまで似たような発想をするのだろうか、と。
 この期に及んでも透はまだ微塵も気がついていなかった。一体、彼がどれ程までに、周りの人間を癒しているのかということに。わかっているつもりでも、意外と自分を理解できていないのは、他ならぬ自分自身なのだ。透も例外ではない。
 前を行く紫音が二人を振り返る。透たちの足が遅れ始めたのが気に懸かるのか。突然の風が紫音の前髪を吹き上げ、彼の表情が露になる。蒼い瞳が物語っていた。彼にとって飛焔は、既にただのお荷物野郎ではなくなっていたのだ。透の心配が紫音にも伝わっている。それが彼の瞳から有り有りと読み取れた。
「ノロノロ歩いてんじゃねえ! さっさとついて来やがれ、カメ野郎ども!」
 それでもやっぱり口は悪いのだ。
 
 
 西の麓を目指して行くと、やがて広がる広大な湖。鮮やかな青い色は空がそのまま溶け込んでいるためか。波一つない静寂に包まれた水面。聖なる空気がそこ此処に漂っていた。湖を縁取る森は目にも冴え冴えとする緑。そして対岸に聳え立つ巨大な寺院。堂々とした姿を湖に映し、その美しさに見惚れているかにさえ思えた。厳かで気高く美しい外観。それが目的の寺院であることは遠目に見ても簡単に納得できた。
「何処まで行けば彼らに追いつけるのかしらね。……いいえ。終着点はもう見えているのかも知れないけれど……」
 どんなに果てが見えていようと、彼らの足取りを端折ることはできない。プシケは辿るつもりだ。彼らがこの世界に及ぼした軌跡を辿らなければ、心現界の門番として、彼らを公平な目で見ることはできない。
 思いつめる彼女が意外なくらい憔悴しているのに、いち早く気づいたのは紫音だった。
「少し、休んで行くか?」
 驚くほど優しい声だ。だが彼女は首を振る。
「いいえ。一刻の猶予もならないのよ。急ぎましょう」
「そうだな」
 それ以上、紫音は何も言わなかった。ただ寄り添うようにプシケの側にぴたりとついている。もしもの時は自分が彼女を抱えてでも連れて行こう、そう考えていた。
 本来ならそれは飛焔の役目に違いない。彼は指輪で雇われたといえ、好んで彼女を守るためについて来たのだから。しかし、今の飛焔がそれどころじゃないのを紫音は感じていた。透の意識を通じて。
 近づけば近づく程、ファティムール寺院は半端な規模ではないことが窺える。この中にどのくらいの聖職者が集い、どのくらいの信者が通うのか。同じファルナ教を伝える神の家でありながら、パミーシュ村の教会との落差は激しいものがあった。それは何処の世界でも同じ。宗教であれ民衆であれ、貧富の差、位の格差というものは、どんな世界にも厳然と存在するのだ。
 白亜の城にも似た外観。荘厳な雰囲気を醸し出す塔が幾つも立ち並んでいた。中央に聳える建物の正面には、ファルナ教の証である例のシンボルが飾られている。壁の所々を美しく飾るモザイクの色彩。何処か回教寺院を思わせた。だがこの寺院の教えは回教ではない。両極の天使の伝説はここでも頑なに信じられているのであろうか。
 敷地内に入ると延々と続く広場があった。湖から水を引くための水路が出現し、寺院の中に新たな湖を作り出していた。その人工湖に写し撮られる寺院の風景。余りの美しさに息を呑む。ここが観光地なら、さぞかし観光客でごった返すだろうに。透はそう思い、密かに笑む。
 やっと辿り着いた礼拝堂の正面に人影が見えた。服装から窺うに寺院の者であることは間違いない。宗教に依るだろうが、彼らを何と呼べばいいのか。僧侶なのか、聖職者なのか。それよりも、ここでは彼らに話を聞く事が最大の目的だ。透たちは足を速め、彼らに近づいていった。
「この愚か者が!」
 一人の僧侶が叫んでいた。いや、僧侶というよりは服装から考えれば神父か。周りの数人の者とは明らかに格の違う衣装。風格のある面差しからしても、彼が位の高い聖職者であることが見て取れる。
「何故、そのような勝手な事を!」
 また叫んだ。
「お許しください、教皇様! 私にも、何が起こったのかわからないのです!」
 側に控える者が訴えている。それで風格のある聖職者が教皇だとわかった。教皇と言えばカトリックなら司教の最高峰だ。ファルナ教ではどのような位置付けかは定かではないが、寺院というからには仏教か回教に近いものがあるのかと思ったら、組織的にはカトリックに近いようだ。
 教皇がこちらに顔を向けた。品の良い初老の男だ。銀混じりの白髪は綺麗に撫でつけられ、飾り気のない白い帽子が頭の上部を覆っている。衣装にもごてごてとした飾りは全くない。帽子と同じ白い聖衣には金の刺繍が施されてあるが、それは華美というよりは、荘厳で重厚な印象だ。
「あの者たちは、まさか?」
 教皇の声で先程訴えていた者もこちらを見た。彼の聖衣も、もちろん教皇ほどではないが、他の者に比べると慎ましいながらも重厚な印象を受けた。彼の地位は司教といったところか。
 彼は、暫く声もなく透たちを見つめていたかと思うと、
「いいえ、あの方々ではありません。初めて訪れる旅の方です」
 と、教皇に語りかけた。
「ふむ。だが……」
 教皇は透を見る。プシケに視線を移し、紫音を見つめて怪訝な顔をする。最後に飛焔を見、そしてまた透に視線を戻した。
「何故、このような事が……」
 ひとりでに洩れた呟きだ。彼もパミーシュ村の神父と同じく信じられないでいる。似通い過ぎている両極の天使。その符合をどう考えていいのか、立場を弁えるなら葛藤があるのは当然だ。
「教皇様。私たちを何かと勘違いされているなら大きな誤解ですよ」
「これは失礼。あなた方は教えを請われに参られたのですね」
 教皇は上っ張りだけの笑みを浮かべた。その瞳にはまだ疑念が渦巻いている。
「いいえ。私たちはファルナ教の信者ではありません。私たちのような姿をした者が、以前こちらを訪れたのでしょう? その者たちが何をしていったのか、それをお尋ねしたいのです」
 単刀直入なプシケの物言いに、教皇も、側に控えていた司教やその他の者たちも、愕然とした表情を隠せなかった。
 何もかも見透かした瞳で佇む少女。側にいる少年と対に考えれば、伝説に存在する両極の天使と思えるのも無理はない。その少女が驚くべき事を口にしたのだ。彼らが今直面している重大事を見事に言い当てていたのだから。
「あなた方は、何を知っておられるのだ?」
「何も。唯一つお伝えするなら、あなた方が両極の天使と信じた彼らは、天使などという存在ではない。それだけです」
 その時点で教皇は、プシケの瞳の奥に尋常ならぬ光を見出してしまっていた。この世ならぬ世界を見極めるかの如く、妖しく輝く緑の光。人ならぬ者が人の姿を借りている、彼らをおざなりに扱ってはいけない、と強く印象付けられた。
 人ならぬ者――宗教者には答えは二つしかない。神か悪魔か。
 教皇は彼らを前者に取った。人ならぬ光を放つ別の瞳。透の瞳が癒しの力を持つ事を見抜き、禍を成す存在ではないと信じたのだ。
「どうぞ、こちらへ」
 教皇が礼拝堂の中へ彼らを誘おうとした。
 とたん、プシケの身体がぐらりと傾いた。
「プシケ!」
 透の腕に支えられ、青ざめた顔を上げる。
「……大丈夫よ」
 そんなはずはなかった。考えてみればオアシスのバザールを出発してから、ろくに睡眠も休憩も取らずにここまで強行軍でやって来たのだ。女性の身体には無謀なほど負担が掛かっているだろう。彼女はそれをおくびにも出さず、今まで男たちと同じように旅を続けていたのだ。
「すみません、少し休ませていただけませんか?」
 腰の低い透の口調は、聖職者たちに俄然、好印象を与えた。
「どうぞ。さ、こちらへ」
 司教たちは快く彼らを迎え、あまつさえ、プシケを運ぶのに手を貸してくれた。
 
 
「お加減はいかがですかな?」
 教皇が、先ほど側に控えていた司教を連れて入ってきた。表情から険しさが消え、柔らかい眼差しに変わっている。
 信者のための部屋だという一室。おそらくは身分の高い信者のためだろう。広く心地よい部屋の中には、調度品や美術品など、如何にも位の高い貴人を想定して、細かいまでの気遣いが成されていた。
「お陰さまで。随分、楽になりました」
 まだ青ざめてはいるが、先ほどよりは、かなりしっかりとした声音でプシケは言った。
「どうぞ、ごゆるりとお休みくだされ」
 だが、彼女は一分一秒も惜しんで話を切り出す。
「お話しいただけますね。この寺院で何が起こっているのかを」
 教皇と司教は互いに顔を見合わせ、一つ溜息を吐いてから、教皇が口を開いた。
「あれは十月余り前でしょうか。私が数人の司教を連れ、遠方の教会へ教えを説きに旅立った直後のことです」
 側の司教を前に押し出し、促した。
「実際に彼らを目の当たりにし、生き残ったのはこの司教だけです。今となっては記憶も朧のようでございますが」
 司教は話し出した。
 ファティムール寺院は、教えを説く千人以上の聖職者を抱え、その何倍もそれを学ぶ修道士がいる。訪れる信者も万を越えると言う。身分の高い信者も数多くいるが、大部分は地位の低い貧しい信者だ。彼らは昼も夜も構わず寺院を訪れる。両極の天使に救いを求めて。
 問題の一行に出遭ったのは、教皇や司教の大半が布教活動に出た後、残された司教や修道士たち、その時ここを訪れていた信者たちだった。それは寺院の三分の一の聖職者、修道士の半分、約五百人程の信者たち。彼らは悉く、訪れた旅人を両極の天使だと信じ、彼らの要求を受け入れたのだと言う。
 それはパミーシュ村で行われたのと同じ行為――夜の天使の為に命の炎を捧げて欲しい。あなた方を救いの道へと、永遠の繁栄へと導きましょう、と。彼らは例外なくその言葉を信じ、実行に移した。
 何故、ファルナ教の者がそれほどまでに、ピリアに心を囚われたのかわからない。しかし司教はその時の心情を詳らかに語ってくれた。
「恐ろしいのは、昼の天使と称する少女の瞳を見た時に、何も考えられなくなってしまった事です。美しい瞳でした。青く、何処までも澄み切っていて、これほどまでに清浄な光は他にはないと思えるほど、無垢で聖い印象を受けたのです。その瞳を見つめ続けると、何かこう、無心になると言うか、とにかく現実の事が何も見えなくなってしまったのです。天使様の望む事ならとても尊い事だ、天使様が望むのなら叶えて差し上げようと、そればかりが頭から離れなくなりました。他の者もおそらくそうだったのでしょう。両極の天使様が旅立たれ、一人、また一人と命を絶ち始めた時には、私たちはもう後戻りのできない事になってしまっていたのです」
 彼だけが何故生き残れたのか。説明を受けて、なるほどと思う。彼は教皇の次に徳の高い聖職者で、修道士や信者の信望が厚いこともあり、まだ生きている修道士や信者たちが必死で彼を引き止めていたのだ。そして戻ってきた教皇に渇を入れられた。
「私がここへ戻って参りましたのは、つい先日でございますが、十月も経つのにまだこの現象は治まってはおりません。それで先ほどは彼を問い詰めておったのです、お見苦しいところを……」
 憂いに満ちた眼差しを向けてくる。教皇としては、寺院に戻り事態を知った限りは、何としてでもこの重大事を早急に解決したいのだ。
 パミーシュ村といい、天使の一行が旅立った後で事が起こっている。それは恐ろしいことに連鎖反応を齎すらしい。修道士や信者を介し、その時その場にいなかった者にまで、義務感が伝染していったらしいのだ。このまま止める者がいなければ、彼らはどこまで天使の願いを叶えてしまうのだろう。そんな只中に教皇は戻ってきた。
「このまま聖職者や信者を失い続けると、寺院を存続していく事ができません。あなた方は尋常でない存在でありましょう。どうか、お知恵をお貸しくださいませんか?」
 随分な思い込みの激しさだ。勝手に位置付けられても困る。宗教者とは皆こんなものなのだろうか。
 プシケが静かに語る。独り言かと思うほど小さな声で。
「そう……それがピリアの力だったの。気づかなかったわ……」
 やはり独り言か。彼女は考え込んでいる。険しい表情を貼り付けたまま。
 やっとのことで顔を上げると、プシケは透に向かって言った。
「透。もしかしたら、あなたになら何とかできるかも知れないわ。《場》に呼びかけるのよ。《場》を介して、彼らが盲目的に信じている者の真実の姿を見せるのよ」
 透は困惑する。
「真実の姿? ……だけど僕は見ていない。見ていないものを見せることはできないよ」
「心配しなくても、見た人間はそこにいるわよ」
 プシケの視線の先には司教がいた。
「そうか。この人の意識の奥に彼らの姿が焼き付けられてるんだ。彼らの真実の姿を、僕が見極められればいいんだね?」
 透は司教の手を取り、彼の瞳を見つめた。自分と同じ鳶色の瞳が見返してくる。司教がほっと息を吐いたとたん、心が解放されたのを感じた。
 意識に流れ込んでくる三人の姿。三人三様、それぞれに強烈な印象を放っていた。
 金の髪の美しくも愛らしい少女。それは透が見たのと同じ姿。白く気高く透明で、純粋であるがゆえの恐ろしさは計り知れない。
 暗い瞳の若い男。透と同じ黒い髪。翳りのある眼差しは何を見つめているのか。絶望と苦痛に打ちひしがれた心。彼が酷く物悲しく感じられて胸が締め付けられた。
 三人目の人物。何もかも射抜くかと思われるほどの金に輝く鋭い瞳。流れる銀髪は凍てつくような冷たさを醸し出す。男の眼差しは何も見てはいない。暗い、暗い、奈落の底だけを映し込んでいる。心がない。この男からは微塵も心の動きを感じられない。
 一気に恐怖感が高まり、俄かに震えが起こる。怖い! 只ならぬ恐怖が心を鷲掴みにする。この男は人ですらないのかも知れない。
 透の恐怖が《場》に蔓延した。
 突然、その場にいた全ての者に透の感じた思いが伝わっていく。《場》を介して、彼らから受けた印象が余すところなく伝えられていく。
 それはその場にいた者にだけではなかった。ファティムール寺院の《場》が支配する中にいる、全ての人々に伝わっていった。聖職者にも、修道士にも、信者にも、無差別に。だが透の恐怖が大きすぎて、彼らの映像は乱され定かではなくなっていた。
 誰もが言葉を失った。透も身動きすらできないでいた。沈黙を破る司教の言葉。
「……悪魔だったのか」
 あの男は悪魔とか、そんな枠組みで括られる者ではない。だからと言って、はっきりとした属性が指摘できる訳でもない。それがわかるのはこの場にいる誰でもない、透だけなのだ。他の者には恐怖だけしか伝わらなかった。
 それだけでも目的は果たせたと言える。少なくともこれからは、あの三人の為に命を投げ出そうとする者はいなくなるだろう。この恐怖を覚えている限り。
「私たちがどれだけの事をできたかはわからない。時が経ってみなければ結果が出ない事の方が多いのだから。だけどここからは、あなた方が信者を導いて、彼らが誤った事をしないように見守ってあげるべきね」
 まだ司教の手を取ったまま、透は溜息を吐く。
「僕のしたコトは、役に立ったのかな……?」
「そうね。少なくとも、その司教様はもう彼らのことを信じたりはしないでしょうよ」
 目を上げる。司教が縋るように見つめてきた。見つめ返していると司教は微笑んで言う。
「あなたの瞳を見ていると、何故か心が和むのです。不思議ですね。あなたは癒しの力を持っていらっしゃる。それは夜の天使と同じ力ですよ」
 思わず目を丸くした。今の今まで自分が癒しの力を持っていたことなど、少しも気づきもしなかったので。
「司教様。唯一人、天使を騙る一行を覚えているあなたにお訊きしたいの。彼らはここを出て、何処へ向かって行こうとしていたのですか?」
 考え込むように目を閉じ、すぐに開いて司教は答えた。
「西の町を目指すと言っていました。西には退廃に彩られた嘆かわしい町がある、神の教えを説くために、その町を訪れるのだ、と。……ですが、そこへ向かうには途中にグラジ砂漠があります。彼らには充分な準備があったとも思えないのですが」
 司教は不安げな顔だ。プシケが発する答えがわかってはいても、彼にはどうすることもできない。透たちの身を案じているのだ。
「私たちも同じ道を辿ります。彼らが途中でどんなことをして来たかを知るために」
 立ち上がろうとするプシケを制して、教皇が静かに提案する。
「グラジ砂漠へ向かわれるのですね。では、準備をいたしますから、しばらくお休みになられてお待ちください」
 そう言うと、司教を連れて部屋を出て行った。
【月の井戸へ】へ続く
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