ろうのそとへ
牢の外へ
西へ…東へ…ロゴ
 意識の中で何かがスパークした。キラキラと光るクリスタルの輝き。クリスタル……水晶……プシケの水晶?
 透は恐る恐る目を開けた。
 目が慣れるまではいやに薄暗くて、そこが何処だかさっぱり見当もつかなかった。慣れてくるに従って、薄暗いのではなく、視界が暗いだけなのに気がついた。辺りには灯りが山ほどあるようなのに何故か明るくは見えない。殴られた衝撃から立ち直れていないのだろうか。僅かに身じろぐと、突き走る痛みがそこにあった。思わず呻く。
 それを聞きつけた何者かが透に歩み寄ってきた。灯りはすぐ側にある。しかし、覗き込む男の顔は良くわからない。
 男は鼻で笑い、大声を上げた。その声すら何処か遠いところで聞こえている。
「ガキが目を覚ましやがったぜ!」
 言うなり、透の襟首を掴み上げ引き摺っていく。足場の悪い地面にゴツゴツと当たる感触。背中がやけに熱くて痛いが、それよりももっと、みぞおちが疼いていた。
 自分はどうなったのだろう。何処に連れて行かれるのだろう。いや、そんなことより、紫音は、プシケは、飛焔はどうなったのだろう。
 身動きができず、引き摺られるまま成す術もない。やがて山賊たちの騒めきが近しくなり、灯りが前より強くなった。視界が暗いと思い込んでいたのも大間違いかも知れない。視力が徐々に蘇り、無慈悲な山賊たちが酒を手に手に大笑いする様が、目に飛び込んできた。
「透!」
 叫んで駆け寄ってきたのはプシケ。戒められているわけでもなく、乱れた様子や傷のないことから見ても、まだ理不尽な事をされてはいないようだ。だが、いつまでその状態を維持できるのか。
 透を引き摺ってきた男が手を離す。後頭部をしこたま打った。男と入れ違いに頭もどきがやって来て、透の髪を鷲掴みにして首を上げさせた。
「ガキめ。おめえはまだ使い道があるから生かしといてやらぁ。おめえを殺すと脅せばアイツらは大人しくしやがるからな」
 卑怯者!
 叫びたくとも呻き声しか出ない。情けない限りだ。
「乱暴はやめて!」
 プシケが頭もどきの手をはたき飛ばす。透の頭を胸の中に、しっかりと抱きかかえた。
「気の強え女だぜ」
 男の無骨な手が彼女の顎を掴み、無理やりに上を向かせる。絡みつく野卑な視線。男の目がプシケの額の水晶に止まった。
「ほぅ……こりゃすげえや」
 触れようとする。
「やめて!」
 彼女が顔を背けた。頭もどきはまたも、彼女の顎を掴んで自分の方を向かせた。視線は水晶にピタリと張り付いている。
「後悔したくなければ、この水晶には触らないことね」
 低い声が言った。男を睨み返す瞳は、心の底まで凍てつかせるほど冷ややかだ。妖しく光る緑の瞳。この世ならぬ場所にでも吸い込まれそうに思えた。
 男が呻き声を洩らし、彼女の顎から手を離す。
「けっ、後でたっぷりと可愛がってやらぁ。泣き喚いても容赦はしねえぜ。そいつぁ、その時にでもいただくとするさ」
 捨てゼリフを残してその場を去る。手下たちのいる場所へ行き、真ん中の席にどかりと座って酒を呷り始めた。
 透はプシケの胸に抱かれたまま、安堵の溜息を吐く。深く長い吐息。彼女の手が背中を擦っているのがわかる。
「ごめんなさい、透……あなたをこんな危険な目に合わせて……」
 囁く声。震えていた。
「君のせいじゃないよ。君だって被害者だ」
 透も囁き返した。
 彼女は透に覆い被さる。彼の耳に口を近づけるために。首筋の傷。血の滴りこそないが、まだ生々しく赤ずんでいる。
「透、彼らの会話に耳を傾けてご覧なさい。あなたに刃を当てた男は、どうやらボスなんかではなさそうよ。私の受けた印象によると、無理やり部下にそう呼ばせているように思えたわ。もしかしたら彼らは仲間割れを起こしているのじゃないかしら?」
「仲間割れ?」
「そうよ。あの男はきっと仲間内でも一番残忍な人間なのだと思うわ。あなたにした仕打ちから考えてもね。部下が誰も彼に敵わないのなら、脅されて無理に従わされていることは充分に考えられるでしょ? だとしたら、私たちにはまだ打開策があるはずよ」
 驚くほどプシケは冷静に奴らを観察していた。透が気を失っている間も、奴らの会話を逐一聞き逃すまいと耳をそばだてていたのだろう。陵辱の危機に晒された女性とは思えないくらいの度胸っぷりだ。
「彼らの本当のボスが何処にいるかが問題ね。もし彼らが信頼の絆で繋がれているなら、私たちの敵はあの野蛮な男だけよ」
 簡単に言うが、頭もどきをやっつけたとしても事態は解決するのだろうか。本物の頭がもっと残忍な奴だったらどうなるのだ。
「ねえ、紫音は? 紫音と飛焔は何処にいるの?」
 プシケは僅かに身体をずらす。腕の隙間から自分の背後が見やすいように、透の頭の位置を変えた。
「あそこよ」
 彼女の背中から十数メートルほどの位置に、岩穴がぽっかりと口を開けていた。鉄の格子が嵌っているだけの牢だが、実に頑丈そうだ。そこに確かに人影が見える。薄暗くて定かではないが、男であろう影が、一つ、二つ、三つ――三つ……?
 牢に閉じ込めている安心感が奴らにはあるのだろう。彼らも戒められているわけではなさそうだ。身じろぐ影の誰もが、手も足も自由に動かせると見て取れた。
 奴らに目を移す。迂闊にも、密かに策略を練る透たちに、奴らが注意を払わない要因は何だろうと思っていたら、奴らは紫音の持っていた金袋の中身を数えるのに忙しいらしい。げらげらと下品な笑いを洩らし、手の中の金ピカを眺めている。奴らの最大の戦利品はあれだったのだ。
「副頭……い、いやっ、お頭ぁ!」
 筋肉が弛緩した笑いを洩らす頭もどきのところへ、まだ若い手下が走りこんで来た。泡を食ったその様子に男は怒鳴り散らす。
「いい気分になってる時に何だってんだ、馬鹿野郎がっ!」
 手下を足蹴にする。手に持っていた刀が弾き跳んだ。飛焔の刀だ。
 手下は地面に突っ伏していたが、よろよろと起き上がり、うろたえた声で言う。顔が鼻血塗れだ。
「こっ、この刀を見てくだせえ! もしかして、この刀の持ち主はっ……」
 口篭もる。
 差し出された刀を乱暴に掴むと、頭もどきはジロジロと検分した。黒塗りの鞘、銀の鍔。鍔には細かな細工が施され、穿たれた穴に金の紐が通されている。その紐は鞘の口と柄に巻きつけられていた。封印がしてあるのだ。それを見た男は目を見開いた。
「げえっ! これは鬼火の飛焔の刀じゃねえか! 何てこった。こりゃあ、とんでもねえヤツを拾っちまったなぁ。けっ、面白くなって来やがったぜ」
「何言ってんですかっ! アイツに暴れられたら、俺たちゃ只じゃ済まねえですぜっ!」
「馬鹿野郎がっ! 俺たちにゃ、切り札があるだろうがよぉ」
 頭もどきが、卑劣な視線を透たちに向けてきた。
 
 
 さて、こちらは牢の中。
 紫音と飛焔にはさしたる怪我もない。戦い慣れている上に、いたって頑強な身体をしているためだ。
「ホンマ、洒落ならんわ。盗人が山賊に捕まるやなんて、何ちゅーアホな話や」
 と、ゴロリと横になり手足を伸ばす。
「ふん。おまえがもっと早く誰に会いに行くのか吐いていれば、アイツらを安全な場所に置いていくこともできたんだ。だったら、こんな屈辱的な事にはならなかっただろうよ」
「そやかて、起こってもーた事を、とやかくゆ〜ても始まらんで、兄ぃ。取り敢えず、こんな状態やと様子見るしかないやろ?」
 紫音は忌々しく舌打ちをする。
「全く、ムカツクぐらい呑気な野郎だぜ」
 彼は飛焔から離れようと座る位置を変えた。鉄格子の近くに座り込み、透たちの様子を見守る。と、あの残忍な頭もどきが透に歩み寄るのが見えた。
「コイツさえいりゃ、あの男に手出しはできゃしねえだろうよ!」
 勝ち誇って叫び、透の首を締め上げる。あの男は面白がっている。完全に透を弄んでいた。
「ちっくしょぉぉぉ……」
 呻く声に飛焔が反応した。
「どないしたんや、兄ぃ?」
 紫音は沸々と怒り捲っていた。
「あの髭面野郎があぁ! これ以上透を傷つけやがったらぶっ殺す! 身体を傷つけたのも許せねえが、心を傷つけやがったら只じゃおかねえ! あの男だけは何があってもぶっ殺す! 手下どもは二度と足腰立たねえようにしてやるぜ!」
 半端な怒りようではなかった。透のこととなると見境がない。鉄格子を掴み身体を怒りに震わせている。そのまま鉄格子を捻じ曲げて出て行きそうな迫力だ。実際にできれば非常に便利だが。
「兄ぃ、兄ぃ、落ち着かんかい。心配せんでも、ワイらがおる限りアイツは坊に手ぇは出さん。坊はワイらを脅す大事な手駒やで、アイツにとってはな。アイツは人質でも取らな、一人ではよぉ戦えん臆病もんやさかいな」
 飛焔に向き直り、胸倉を掴み上げた。
「てめえ! 確実に言い切れるのかよ!」
「何や、何や、ワイに八つ当たりかいな。ホンマ、かなんお人やなぁ」
 眉を八の字にして、情けな〜い顔で見つめ返してくる。その顔を見ていると急に脱力した。
「バカバカしい、止めだ。とにかくここから出ないことには話にならん。おまえと言い争ってるヒマはねえ」
「そやそや、仲間割れしとる場合やない。……それはそうと、兄ぃ。さっきから気になっててんけど、あの奥におるんは誰やろなぁ?」
「知るか! 先客だろう。俺たちにゃ関係ねえ!」
「そやろか?」
 飛焔は興味津々に、奥に横たわる人影に近づいていった。
「すんません。ちょっと、あんさん……何でこんなトコにおりますのん?」
 臆面もなく声をかける。人影が身じろいだ。
「ちょー……あんたぁ、まさかぁ……?」
 その肩に触れると、相手は跳ね起きて飛焔を見た。
「何やぁー、やっぱりそうやん! ロン・フェイの爺さんやん。何してんねんな、こんなトコで?」
 人影は胡散臭く目を細める。薄暗くて良くは見えないが、ごま塩のたっぷりとした髭を蓄え髪もまだたっぷりとある。爺さんと言われるには少し早いのではないか。しかし、その暗い瞳にはまるで覇気がなかった。
「その声。おめえ、鬼火の飛焔か? こりゃ奇遇なとこで出くわすなぁ」
「奇遇ゆ〜とる場合ちゃうで。何で爺さんがこんなトコに入れられてんねんな?」
 紫音が会話に乱入する。
「おまえの知り合いか?」
「知り合いも何も……」
 一度言葉を切り、爺さんを支えながら飛焔は答えた。
「ワイら、この爺さんに会いに来たんやで。この爺さんが山賊どもの頭や」
「何だと?」
 言葉を失い、男を凝視する。山賊の頭が牢に入れられるなどとは馬鹿げている。思わず飛焔の記憶を疑ったほどだ。
「よせよ、鬼火の。俺はもう頭じゃねえんだ」
「どういうこっちゃ? 訳わからんわ」
 ロン・フェイは嘆息を洩らし、しみじみと言った。
「知れた事よ。俺はもう老いぼれだってぇ事さ。だからアイツが……ペイ・チーの野郎が、俺に取って代わりやがったんだよ」
「何や、仲間割れかいな。人を脅さなゆ〜コト聞かせられへんくせに、あの髭面野郎も大胆な事すんで。しゃーけど爺さん、このままにしといてどないすんねんな。がつーんと一発やっとかな、アイツつけ上がるばっかしやろ? こんなんやったら手下が可哀相とちゃうんか」
 彼は自嘲する。力ない口調で。
「俺にはもう何もできゃしねえさ。アイツが暴力でだろうが何だろうが、手下どもを引っ張っていく。老いぼれは消えていくだけだ」
 情けなくも諦め切った言葉だ。本当にコイツが、総勢五十人以上の山賊たちを率いていた頭か。まだ信じられない面持ちで、紫音は彼を見据えた。
 背後でした気配に気づき、反射的に振り向く。鼻血に塗れた面の男が鉄格子の前に立っていた。泣きそうな声で言う。
「鬼火の飛焔、おめえは出な。但し余計な事はするなよ。あのガキが死んでもいいなら別だけどな」
 その男が指し示す方を見遣ると、ペイ・チーという名前らしい髭面の男が、透の首を締め上げたまま、こちらをにやにやと見ていた。全く胸糞の悪い卑怯者野郎だ。
 飛焔は状況を瞬時に察して大人しく従った。これから何が起こるかも想像に難くない。
 紫音も手出しすることはできない。目の前で錠が外され、飛焔が引き摺り出され、また錠が固く閉ざされても、男の背中を透かし見たところに透の苦しげな顔があると、とても動くことはできなかった。
「おめえが鬼火の飛焔か」
 引き摺られてきた飛焔を前にして言うと、いきなりその腹を蹴り上げた。
「うげっ!」
 飛焔の口が切れ、血が迸る。
 ペイ・チーは何度も飛焔の腹を蹴り上げた。透を盾に取り、これ見よがしに刃物を突きつけ反撃することを許さない。飛焔の目つきが気に入らないと、何度も何度も蹴り込んだ。
「はっはっは! ざまあねえな! いい顔してやがるぜっ、鬼火の飛焔さまよぉ!」
 奴は大笑い、手下どもに指図する。
「おめえたちも精々遊んでやりな!」
 それまで遠巻きにしていた手下どもが、恐る恐る飛焔に近づいた。奴の睨みに耐えかねて飛焔に蹴りを入れる。彼が身動きしないのを確認すると、さらに何人もで寄ってたかって蹴りを入れ始めた。
 牢の中の紫音は余りの卑怯っぷりに吐き気がした。それというのもコイツがと、憎々しげに後ろを振り返る。
「やい、ジジイ!」
 ロン・フェイの胸倉を掴み上げ、無理やりに立たせた。激しく振りながら怒鳴る。
「てめえ、部下にどんな教育してやがんだ! あんな反吐の出る卑怯者野郎に育てやがって! てめえがあの野郎に追い落とされたのも自業自得だろうが!」
 その瞬間、電撃のような感覚を覚えた。意識に流れ込む敵意。明らかにロン・フェイから伝わってきたものだ。しかもそれは、妖仙山脈の敵意に非常に似通っていた。
 紫音は思わず手を離す。虚ろな視線が彼を捉えていた。嫌悪と敵意の眼差し。この男は精神の力を使うのか。例えそれが、意識的な働きでないにしても……
 
 
 そしてまた、こちらは牢の外。
 透は目の前で嬲り者になる飛焔を見て、涙が零れそうになるのを必死で堪えた。
 泣いている場合ではない! 自分の落ち度で彼はこんな目に合っているのだ。この手で彼を助けなければ。何としてでも!
 だが、ペイ・チーに捕えられた身体は身動きがとれない。透よりも遥かに巨漢な奴は、その体躯に相応しい馬鹿力を持っていた。乱暴に掴まれ刃物を突きつけられたまま、透には成す術もないのか。そうこうするうちに、飛焔はもっと手酷い事をされようとしていた。
 ペイ・チーの指図に従い、手下たちは、飛焔の身体をうつ伏せにして地面に押さえつけた。何人もで押さえつけると彼の左手を引っ張る。その小指に嵌っている物を抜こうとした。
「アカン! それに触るんやないっ! 大体なぁ、何べんもやってみたけどワイにかって抜けへんかったんやで! 無駄や、無駄や!」
「無駄かどうか、やってみようじゃねえか」
 残忍な笑いを浮かべ、手下に言う。
「指輪ごと小指を切り落とせ!」
「あほんだら! なんちゅー事ゆ〜ねん!」
 さらに数人で左手を押さえつけ、小指を伸ばさせると刃物を近づけようとする。
「やめーっっ! 何すんねんやっ! ワイ、四本指になってまうやんかっ!」
 さすがにこの人数に圧し掛かられると、飛焔といえども歯が立たない。彼は必死で抵抗するが、小指の根元には無情にも刃物が宛がわれた。それを一気に地面に押し込むと、飛焔の指はぽんと飛ぶだろう。
「堪忍してんかぁっ! ワイの指やのーて、指輪の輪っかの方、切ったらどないやねんっ!」
「馬鹿野郎、それじゃ面白くねえんだよ。無敵と聞こえた鬼火の飛焔だからこそ、おめえの指をすっぱりと飛ばしてえんじゃねえかよ」
「ボケーーーーーっ! 死んだら化けて出たんぞ! 末代まで祟ったるさかいな!」
 もはや猶予はない。
 例えどんな結果になったとしても、他に手立てはなかった。透は決意する。《場》に邪魔されようが何だろうが、後で化け物扱いされようがどうだろうが、何が何でも飛焔の指が飛ぶ前に助けなければ。手段を選んでいる暇などないのだ!
 ――クリス! 手を貸してくれ! ――
 透は意識の力で絶叫した。
 即座にクリスは反応する。飛焔の指輪から滲み出る霧に見える不可思議な物体。それは徐々に空間に広がり、一つの形を取り始めた。淡いピンクの色を帯び、キラキラと眩く輝く巨大な形。炎を吐き、翼を打ち立て、暴れ狂うドラゴン。飛焔の指を押さえつける奴らに襲いかかった。
「ひえええええぇぇぇぇぇー! 魔物だあああああぁぁぁぁぁーーーーー!」
「うぎゃあぁぁぁ! 助けてくれぇーーーーー!」
 蜘蛛の子を散らした大騒ぎとなった。右往左往する手下たち。逃げ惑うが、何処に逃げていいのかもわからず、ただ走り回っている。完全にパニック状態だ。
 ペイ・チーも例外ではない。突如現れた魔物から自分だけは逃れようと、透を突き飛ばし、あくせくと足を動かせた。しかし腰が抜けたのだろう。思うように動けず無様に這い回る。
 自由になった透が飛焔に駆け寄る。どさくさに紛れてプシケも逃れてきた。
「飛焔! 大丈夫か?」
 が、飛焔も腰が抜けかかっていた。山賊どもの誰もが見た事もない恐怖の怪物。それは飛焔にも言えるのかも知れなかった。目を皿のようにして、青ざめた顔でクリスの変化を見上げたまま、ひくひくと唇を動かせて固まっていた。
 外の騒ぎを見ていた紫音。チャンスだと口の端で笑う。
「クリスか。やるじゃねえか」
 素早くロン・フェイに振り返ると、
「おい、爺さん、奴らはおまえの部下だ。部下の失態はリーダーであるおまえの責任だ。俺たちは奴らに散々迷惑をかけられた。償いはして貰うぞ」
 と、睨みつける。相手は虚ろな眼差しで視線を泳がせていた。
「逃げようったってそうは行かねえ。落とし前はつけて貰う。牢から出してやるから手を貸しな」
 更に紫音から目を逸らす。言われた意味がわかっていないのだ。
「牢の外へ出してやろうってんだ。さっさと手を出しやがれ!」
 言い終わると同時に、無理やり老人の手首を掴んだ。彼の力は使えると、そう踏んでいたから。
【崖の下へ】へ続く
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