しんのとうへ
真の塔へ
西へ…東へ…ロゴ
 見た目は確かにどうってことない林に見える。しかし何かが渦巻いていることは確かだ。
 薪を拾い、水を汲み、野営の準備をする間も、飛焔は彼女の側を少しも離れない。
「そんなに恐ろしい魔物が出るの?」
 彼は首を振る。
「ホンマは魔物やない。場合によっては魔物より、もっと恐ろしいかも知れんけどなぁ」
 飛焔はそれ以上、もう何も言わなかった。
 夕暮れがやって来て、夜のベールで林を包む。燃え盛る焚き火だけが明々と辺りを照らしていた。眠りにつき、精神を休めなければなるまい。だが眠れない。魔物が恐ろしいわけではなく、もっと気の抜けない相手がすぐ側にいたから。
「ワイが火の番しとくさかい、あんたはちょっとでも寝た方がええんとちゃうか?」
 人懐っこい顔で飛焔が言う。その言葉通りにすると、寝ている間に何をされるかわからないではないか。プシケは疑り深い眼差しを向ける。
「心配せんでええって。ワイがしっかり守ったるさかいな」
 そう言うおまえが一番危ないのだ。
「あなたこそ眠った方がいいわよ。肉体労働の後は身体をゆっくり休めたら? 火の番なら私がするから」
「何ゆ〜てんねん。雇い主にそんなことさせられるかいな。あ、そーか、寝られへんのんか。ほなワイが添い寝したろか。ゆ〜てぇ、ワイが添い寝したら寝かせへんけどなぁ」
 やはり、この男を起こしておく方が危ない。どうすれば大人しく寝てくれるのだ。
「あんた、ワイが寝てる間に何かする〜、思てるやろ?」
 ぎくりと身構える。図星だ。
「疑り深いお嬢ちゃんやなぁ。ほな、あんたもワイもゆっくり寝られる状況を作ればええんやな?」
 そう言って、立ち上がった。
 彼は懐から何かをつまみ出す。細長い紙に文字が書かれてある。どうやら御札のようだ。それを野営地の四隅の木々に貼り付ける。この男、どうやって見極めたのか正確に東西南北だ。そして両手の指を組み合わせ、
「吽!」
 と気合を入れた。
 そのとたん、空気が変わった。プシケの見たこともない方法だが、この男は御札に囲まれた空間に結界を張ったのだ。結界は、目には見えないが充分に感じられる。
「これで、ワイも安心して寝られるわ。ワイが寝たら、あんたも安心して寝られるやろ? ただし結界があったところで、どうにもでけんもんも、あるけどなぁ」
 飛焔はごろりと横たわった。
 その背中を見つめ思案する。実はアグスティに着いてから、一度もまともに眠っていない。少しは眠らないと精神が萎える。いざという時に力が出せなくては困るのだ。だから、眠らなければなるまい。
 彼女は飛焔を窺う。寝息を立てていることをじっくりと確かめると、彼より少し離れたところで横になった。
 
 
「レイラ……」
 昔の名で呼ぶ者がいる。懐かしい声。
「レイラ、会いたかった」
 忘れもしないその声。目を開ける。失ったはずの恋人がそこにいた。
「アドリエ……」
「レイラ、愛している……」
 彼は唇を重ねてきた。夢か、そう思う。だが、余りにもリアルな感触。忘れられないその感触。甘くて、優しい。
 彼女は目を閉じる。懐かしい感触に酔いしれた。これは夢だ。わかっている。だって、アドリエは……
 再び目を開ける。まだ夢は覚めていなかった。
「レイラ、会えて嬉しいよ。ずっと探してたんだ」
 赤毛混じりのブラウンの髪。生真面目に後ろで束ねられている。吸い込まれそうな青い瞳。間違いない。失ったはずの愛しい人。
「アドリエ……」
 もう一度目を閉じる。再度重ねられた唇。横たわる彼女に、恋人は覆い被さる。髪に触れる優しいその指の動き。甘い吐息。
 夢なら許されたい。許されてもいいではないか。失った刹那を取り戻すこと。せめて夢でだけなら。
 首筋を這う唇の感触。強く抱きしめる腕の温もり。何もかもが、あの頃のまま。忘れられるはずがない。こんなにリアルな夢を見るほど……
 けれど許されないのだろう。もう随分前に諦めてしまったことなのだから。早く目を覚まさなくては。早く目を、覚まさなくては……
(いけない、レイラが目覚めてしまう……)
 プシケは目を開ける。だが夢は覚めてくれない。目の前にいるアドリエ。消えてくれないと、歯止めが利かなくなってしまうのに。
「レイラ、君が欲しい。僕のものになってくれ」
 彼女が言葉を発する前に唇を塞ぐ。その時にはわかってきた。
 これはただの夢ではない――
 最初に目を閉じたのが間違いだった。少しずつ、レイラの意識が身体を支配し始めていた。封じ込めたはずのレイラとしての記憶。プシケとして生きるためには不必要なもの。永遠に眠らせていたはずなのに……!
 アドリエの背に回された腕。もうプシケの思い通りにはならなかった。レイラの意識で動かされているこの身体。プシケとしての意識が遠くへ追いやられて行く。
(いけない! もう一度眠って!)
 意識が深いところへ追いやられる。諦めたはずなのに。何もかも、諦めたはずなのに。
(駄目よ! 取り込まれてはいけない!)
 叫んだ。レイラの意識は納得しない。彼女は、求めて求めて止まない恋人を、やっと取り戻したのだから。
「レイラ、愛している。もう離さない」
 抱きしめる力強い腕。暖かい胸。レイラの瞳から涙が零れた。
「アドリエ……愛しているの……」
 恋人は、もう一度、深く深くキスをした。
 
 
 その時だ。
「しっかりしろ! 黒の門番! 呑まれるな! 自分を取り戻せ!」
 聞き覚えのある声。意識の奥ではなく、すぐ耳元で響いた。深い意識のどん底に嵌っていたはずのプシケとしての意識が、その声により、瞬時に元の姿を取り戻した。
 目を開ける。空間の歪みに消えていく恋人の姿。そして、目の前に立つ紫音の姿。
「紫音……」
「どうしたよ、らしくねえぞ。おまえがあんなものに呑まれるなんてな」
 身体を起こし、額を押さえる。紫音に訊いてみた。
「あれは何だったの? ビジョン?」
「わからねえ。ただのビジョンでないことは確かだ。いやにリアルだったからな。男であることは間違いねえだろう。茶髪で青い目の男だ。おまえを抱こうとしていた」
 レイラの意識は瞬時に眠りに就いていた。いつものプシケがいつもの口調で言った。
「あなたにも私と同じに見えていたって事ね。私の意識から彼の映像を引き出したとしても、他の者にまで同じ映像を見せられるなんて、どういう力かしら?」
「さあな。危うく俺もやられそうになったぜ。人の一番痛いところを突いて来やがる」
「あなたが?」
 プシケの顔が綻ぶ。
「何だ、何がおかしい?」
「瞑想洞の修行を終えたあなたでも、痛いところがあるのかと思って」
「言うな。痛いところなんざ何処にでもある」
 紫音は不機嫌にそっぽを向いた。
 プシケはまだ密かな笑いを洩らしながら、辺りを見回す。そこは、彼女と飛焔が野営地に選んだ場所ではなかった。いつの間に、こんなところまで夢遊病者の如く、歩いて来たのだろうか。
「俺よりも、痛いところが山ほどあるのは透の方だ。アイツは瞑想洞で危うく鬼に食われそうになったからな」
「大変だったわね。でもここにいるってことは、無事に克服できたってことでしょ? で? 透は何処にいるの?」
 はたと気づく。
「ヤバイ。俺は透を探しに来たんだった!」
 
 
 二人して透を探す。彼らの野営地はすぐ側だと言う。透はそこから姿を消した。紫音が夢に捉えられているうちに。
「全くヤバイぞ! 俺でさえあんな夢を見させられたんだ。アイツがどんな夢を見させられているか知れたもんじゃない。一番弱いところを突かれたりしたら、アイツはどんなに脆いか……」
 珍しく紫音が焦っている。彼の見たという《あんな夢》というのも気になるが、今は透を探すことが先決だ。紫音は、透のいないところでは、彼を気遣う気持ちが半端ではない。本人の前では一切見せはしないくせに。
「私は野営地から少し移動したようだわ。透も同じかしらね?」
「どうだかな。俺が目を覚ました時には側にいなかったが。もしかしたら戻ってるかも知れねえ」
 取り敢えず、彼らの野営地に赴く。明々と燃える火が目に映る。その前で薪をくべている人影。紛れもなく透だった。
「透! 何処に行っていた?」
「ああ、ゴメン。焚き火が消えてたんで薪を拾ってた。一応、何が出るかわからないから焚き火は絶やさない方がいいと思って」
 などと澄ました顔で言う。
「透。あなたは無事だったの?」
 彼はこちらを向き、大きく目を見開く。そして懐かしく微笑んだ。
「プシケじゃないか! こんなところで会えるなんて。やっぱり倫明さんの言った通りだ。途中で出会えるって言われてたから、今か今かと待ってたんだよ!」
 屈託の無い笑顔。さっきまでの緊張が一気に緩和する。人の心を癒す眼差し。ほっとした。
「どうやらあなたは無事だったようね」
「何のコト?」
「夢だ。おまえは夢を見なかったのか?」
「ああ……」
 照れ臭そうな笑いを浮かべ、彼は言う。
「それなら大丈夫だよ。心配ない」
 だが、それ以上は言わない。どう大丈夫かの説明がない。それでも、彼が大丈夫だというのだから何事もなかったのだ。
「おまえが無事ならそれでいいんだ」
 溜息混じりに紫音が言う。滅多にない柔らかい口調だった。
「それよりさぁ、プシケは一人で旅をして来たの? やっぱり君ってハンパじゃないなぁ」
 何かを忘れていると思ったら。
「いけない。私、連れがいるのよ。彼のことをすっかり忘れていたわ」
 とにかく野営地に戻らなくては。飛焔は夢幻林を良く知っていたようだが、だからといって夢に取り込まれていないとは限らない。
 透と紫音が火の始末をすると同時に、彼女は駆け出した。
 
 
 飛焔は寝入っていた。時折寝返りを打つだけで、ビジョンは外に出ていない。
「彼……夢に取り込まれたのかしら?」
 彼女のすぐ後ろで透の声がした。
「その人、ただ寝てるだけだよ。夢を見させられているわけじゃないみたいだ」
 振り返り、問う。
「透、あなた心眼が開いたのね? 本質を見抜く力が開花したのね?」
 彼ははにかんで頷く。
「そう。なら話は早いわ。……彼を見て。彼は心現界に関わる者かも知れないの。でも私には気配が掴めない。あなたなら何かわかるかも知れないわ」
 透が飛焔を凝視するのを確かめると、彼女は歩み寄った。
「飛焔、起きて。起きてったら、飛焔」
 頬を軽く叩く。目を覚まさない。
「目を覚まさないわね」
 透たちを振り返った瞬間、背後から抱きすくめられた。
「あんたぁ、まだ服着とったんかいな。しゃーないなぁ、ワイが脱がしたろぉ」
 左手で胸を鷲掴み、右手をローブの胸元から入れようとする。寝惚けるにもほどがある。これは一発張り倒しておかねばなるまい。
「ちょ〜待ったってや。今すぐ、トロけるほどええ気持ちにしたるさかいな」
 唖然と固まる透たちの前で、彼女の胸を掴んでいた手を腰の辺りに這わせる。良く良く見ると彼は寝惚けているわけではない。単なる悪乗りか。これは張り倒すより殴り倒した方が賢明だ。
 と、拳を握りしめた瞬間、
「かっ……関西弁だっ!」
 透が素っ頓狂な声を上げた。
「あ〜?」
 飛焔は手を止め、透を見つめる。
「プシケ、この人はいったい誰なんだ? どういう経緯でこの人と知り合ったの? この人は僕の国の言葉で喋ってる。しかも関西弁だ!」
 そう言う透を見つめる飛焔の瞳が、緩んだ。
「おまえ〜、何や懐かしい言葉やなぁ! ちょ〜頼りないけど、それ、江戸の言葉とちゃうんかい! おまえ江戸もんかぁ?」
「え、江戸?」
「何や、ちゃうんか? どっちでもええわ。この世界でワイとおんなじ国の言葉喋るヤツ、他におらへんさかいなぁ。いやぁ〜、懐かし〜わぁ」
 人懐っこく笑う。
 その隙を見て、彼女は飛焔の腕からするりと逃れた。透の側まで小走りで行き、耳元に短く囁く。
「どう?」
「わからない。言葉には仰天だけど、心現界に関わるものは何も見えてこないよ、今のところ」
「そう」
 ひそひそと語る彼らに、飛焔の声が飛ぶ。
「何や? 何《こそこそ噺》してんねんや。ほんで? お嬢ちゃん、コイツらはいったい誰やねんな? 説明したってぇや」
 胡坐をかき、ついでに頭も掻く飛焔を見据えて、紫音が言った。
「おまえこそ何者だ? 俺たちはプシケの仲間だ。おまえにゴタゴタ言われる筋合いはねえ」
「何や、偉そうなやっちゃなぁ」
 睨み合う二人の間にプシケが割って入る。
「紫音、彼は私のボディーガードよ。女一人だとこの世界は危ないから、水晶の指輪で雇ったのよ」
 そして飛焔に向き直り、
「飛焔、あなたのお陰で無事に彼らと巡り会えたわ。私はこれから彼らと旅をするの。あなたの仕事はここで終わりよ」
「何やてぇ!」
 彼は突然立ち上がり、プシケの側まで駆け寄ると抗議した。
「そんな一方的な話あるかいっ! ゆ〜たやろ? ワイは只働きは好かんけど貰い過ぎも好かんって! 貰た分の働きはさせてもらう、そうゆ〜たやないかっ!」
「でも、ボディーガードはもういらないわ。彼らが私を守ってくれるから」
「それが一方的や言うんや。せやろ? 納得いかへん、そんな話! 納得いくかいな!」
 飛焔は強い力で彼女の肩を掴んだ。その手首を握りしめる紫音。
「いい加減にしな。いらねえって言ってるんだ。大人しく諦めろよ」
 紫音の手を振り払い身構える。腰の刀に手を当てて飛焔は言う。
「なるほど、あんさん強そうやなぁ。ほな、どっちが強いか勝負と行こかぁ」
 言うが早く、彼はプシケから離れるために飛び退った。その跳躍力。やはり只者ではない。
「往生際の悪いヤツめ」
 紫音は肩の銃を下ろし、構えた。
「あんさん汚いなぁ、飛び道具かいな? こっちはこれ一本やゆ〜のにぃ」
 腰の刀を鞘ごと抜き、飛焔は高々と掲げる。
「うるせえヤツだな。だったらこれでいいんだろうが」
 紫音は透に銃を投げた。それを落とさないように懸命に受ける。透の腕にずしりと重量感が響いた。
 それと同時に、ブーツに仕込んでいた小刀を抜き出す。抜き身のそれは、刃渡り三十センチほどだが切れ味は良さそうだ。素早く構え、駆け出した。
「行くぜ!」
 走り込んだ勢いで小刀を振り下ろす。飛焔は刀を横一文字に構え、弾き飛ばした。押し戻され、後ろに滑り込むのを足で止め、紫音は更に切りかかる。順手に構えた刀でそれを払う飛焔。切りかかる、右に払う。切りかかる、左に払う。だが飛焔は、決して刀を抜こうとしない。
「いつまで遊んでやがる! 抜けっ! それとも何か? それは飾り物か?」
 更に切りかかる紫音。それを受ける飛焔。がっちりと組み合った。
「あほんだら! ワイにかって、抜くに抜けんもんがあるんや!」
 組み合った反動でお互いが弾き飛ばされる。間合いを取り、睨み合う紫音と飛焔。
 彼らの勝負を遠巻きに見ていた二人。プシケは冷静な目で彼らの動きを見守り、透はその瞳で、しきりに飛焔の刀を見つめていた。
 彼の刀には封印が施されてある。何の意味かはわからないが、彼は決して、刀を抜こうとはしないだろう。
 そうこうするうちに小競り合いは再開した。今度は飛焔から飛びかかって行く。飛焔の刀は目算でも刃渡り七十センチはあろうかと思われる大刀だ。抜き身でこそないが、打ち負かされるとかなりの衝撃に違いない。振り下ろされる大刀。紫音はあっさりと横に払う。更に大刀が彼を襲う。だが、ものともせず、紫音の小刀は相手を巧みに翻弄する。
「埒が明かねえっ!」
 渾身の力を篭め、飛焔の刀を振り払った。飛焔の手から離れ、弧を描く大刀。
 その瞬間、透の瞳が何かを捉えた。
 透の記憶に蘇る、瞑想洞の光の間に漂う光。それは余りにも一瞬で、余りにも曖昧だった。
「プシケ……」
 彼が呟く。
「もしかしたらあの人……封鬼老師を知っているかもしれないよ」
「何ですって?」
「良くはわからない。一瞬だけど感じたんだ。光の間の光……曖昧過ぎて、確信は持てない」
 その言葉だけで充分だった。
 依然、飛焔が何者か解明できたわけではない。だが彼らと無関係な存在でない事は明らかになった。敵か味方かは判別できないが、彼をこのまま放置するわけにはいかない。
「やっぱり、長い付き合いになりそうだわ」
 彼女は穏やかに呟いた。
 払い飛ばされ地に落ちた大刀を背に、紫音は相手を見据える。
「あんさん、只もんやないなぁ。このワイをここまで追い込んだんは、あんさんが初めてや。しかも、戦い慣れてるだけやのぅて、殺し慣れとるようやしなぁ」
「ほざけ! おまえがこれ以上俺たちの邪魔をするなら、容赦なく息の根を止めるぜ」
 紫音の手で、小刀が冷たい光を放った。
「まだ終わったわけやない!」
 飛焔は素手で飛びかかって来た。その動き、その速さは尋常ではない。不意を突かれた紫音の手から、小刀が弾き飛ばされる。続いて繰り出される飛焔の手刀。紫音は拳で防御する。
「彼は忍だと言っていたわよ。盗人ともね」
「忍? 忍者だ。忍者で泥棒? 忍者ってことは、戦国時代か江戸時代の人だな。僕のことを江戸者って言ったからには江戸時代の人だ」
 尚も彼らの格闘は続く。接近戦で個人戦なら紫音の得意とするところだ。飛焔がどれだけの素早さを持とうが、どれだけの格闘技術を持とうが、百戦錬磨の紫音に敵うはずはなかったと見える。
 見る見るうちに勝負はついた。紫音は自分よりも大柄な男を、あっという間に捻じ伏せ、首根っこを押さえつけた。
「いい加減にしやがれ! 俺たちゃおまえと遊んでるヒマはねえんだ!」
 飛焔は喉元を押さえられながらも、威勢良く怒鳴る。言葉の内容は降参の意味だったが。
「参ったわ! ワイの負けや! あんさんの好きにしたらええがな!」
 紫音は深く息を吐く。徐に立ち上がった。
「だったら、これ持って消えちまいな」
 転がっていた飛焔の刀を拾い上げ、紫音は彼に投げ渡す。彼はそれを抱きかかえ、ガックリと肩を落とした。
 消沈する飛焔の前に佇むと、プシケはしゃがんで彼の顔を覗き込む。
「飛焔、私と離れたくないの?」
 戯れに言ってみたが、
「そうや! ワイはあんたに惚れとる。心底惚れとるんや! しゃーから、あんたの側を離れたないっ。あんたと一緒にいたいんや!」
 思いがけない答えが返ってきた。
「いいわよ。一緒に行きましょう」
 驚きの余り言葉もなく彼女を見つめる。驚いたのは紫音も同じ。
「おい。いいのかよ? 俺たちに関わらせても大丈夫なのか?」
 意気込む紫音を、諭すように優しく言う。
「いいのよ。彼はこの世界に詳しいようだから、やっぱり私には必要な人よ」
 手を差し出し飛焔に笑いかけた。
「あ、あんたぁ、やっぱりええ女やぁ! それも飛び切り極上の女やなぁ」
 突然プシケを抱きしめる。彼女が抗うと、尚もきつく抱きしめてきた。
「ワイはあんたに惚れとるでぇ! ホンマ、一回お願いしたいわ。たっぷりと、ええ気持ちにしたるのになぁ」
 こんな時ですら悪乗りな男だ。
 紫音は飛焔の頭を後ろからはたき飛ばす。
「ふざけんじゃねえ! このどスケベ野郎が!」
 紫音が言うのはどうかなあ、と横目で二人を見る透。この二人、似たもの同士ではないかと密かに思い始めている。
「あたたたた、痛いやんかなぁ。あんさん、いや兄ぃ、ワイは兄ぃにも惚れたでぇ。これからは兄ぃの行くトコ何処にでもついて行きますさかい、よろしゅうおたの申しますわ」
 思わず引く紫音。透を盾にして言う。
「うるせえ! お荷物はごめんだ」
「いやぁ〜、殺生やわぁ。そんなん言わんと仲良ぉしたってぇなぁ」
 プシケは思わず吹き出した。透もけらけら笑っている。
「おまえら。笑い事じゃねえぞ。俺たちはこれから真の塔へ行くんだ。こんなおちゃらけたヤツが中にいると、調子が狂っちまうぜ」
 笑うのを止め、彼女は切り出した。
「あなたたちが真の塔へ行くなら、私たちもお供するわ。あなたたちの用が済むまで、私たちは外で待っているから」
 透が紫音と顔を見合わせた。こちらに向き直り言う。
「じゃ、そろそろ行こうか? 真の塔へ」
 誰からともなく頷くと、彼らは出発の準備を始めた。
【オアシスへ】へ続く
【萬語り処】 ← 感想・苦情・その他諸々、語りたい場合はこちらへどうぞ。
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