まりあっどへ
マリアッドへ
西へ…東へ…ロゴ
 薄暗い町だ。そう思い、辺りを見回す。
 日暮れた路を照らすものは古びた街燈のみ。彼女の着ているローブが闇に溶け込んでしまう。金の髪と額の水晶だけが、街燈の僅かな灯りを受け、煌いた。
 何処の世界にも似たような町がある。そう思い、また辺りを見回す。
 ここは差し詰めヨーロッパの下町といった感じだ。自分が昔住んでいた田舎町よりも性質が悪い。酒場では男たちが騒ぎ、路地にはゴミが溢れている。薄暗い上に薄汚い町だ。町の名前はアグスティ。この世界の言葉で《退廃》という意味。何とも的を射た名前ではないか。
 ふと思う。
 幾ら日暮れたからといって、町に一人も女の姿が見当たらない。情報を仕入れようと入った酒場にも女はいなかった。酒場に女はつきものなのに、この世界は少し変わっているのか。
 想いを巡らせ、ひた歩く。余りに思案に高じていたため、周りの不穏な動きに気づくのが遅れた。
 突然、背後から羽交い絞めにされ口を塞がれた。その力具合や体格から言っても相手は男だろう。しかも一人ではない。辺りから、わらわらと男達が集まってきた。
「女だ」
「女だぞ」
「それも上玉だ」
 彼らは口々に言う。
「こりゃもったいねえや。領主様に引き渡す前に、俺たちでやっちまおうぜ」
 野卑な視線が彼女の身体に絡みついた。
 彼女はもがいた。もがいたが、どうにもならない。相手は一人ではないのだ。あっという間に側の小屋に連れ込まれ、押し倒され、手足の自由を奪われた。
「やめて!」
 口を塞いでいた手がなくなったので取り敢えず叫んでみた。が、止めるような連中でないのは一目瞭然だ。
 彼女は考える。力を使うべきか否か。
 物理的に身を守ることができない者には、必然的に強靭な精神力が備わる。彼女も例外ではない。こんなケダモノたちなど、力を使えば一発で眠らせられるのだ。
 そうしたいのは山々だが、事前調査では、この世界は不可思議な力の存在を認めてはいない。そんな力を使うものは魔物として扱われる。多くの人間がそうであるように、彼らも、自分たちと少しでも違う者は排除する側の人間なのだ。
 今、騒ぎを起こすのはまずい。できるだけ秘密裏に事を運びこの町を出たかった。
「やめて!」
 彼女はもう一度叫ぶ。それが面白いのか、彼らは猥雑な笑いを浮かべた。
 彼らはもう止まらない。押さえつけていた手に力を込め、彼女の衣類を引き剥がしにかかった。一人は馬乗りになり、彼女の胸の辺りを弄った。どいつもこいつも目が据わっている。ケダモノの目――正に飢えた狼の目だった。
 力を使うしかない!
 こんな奴らに躊躇の必要はない。こんな町はさっさと逃げ出すに限る。決意して彼女が念じようとした瞬間、馬乗り男が突如、横倒しになった。
「なんや、無粋なオッサンらやなぁ。女の子はもうちょい優し〜に扱ったらなアカンがなぁ」
 間の抜けた声がする。それは横倒しになった男の背後に立つ、大柄な影から聞こえてきた。
「てめえ! 何者だ!」
「何者や言われてもなぁ、通りすがりにアンタらが女の子にちょっかい掛けとるさかい、気になって覗いてみただけや。そのコ、やめてー、ゆ〜とるから手伝ったろう思てなぁ」
 またもや間の抜けた声が言った。どうも調子が狂う。
「ざけんじゃねえ! 殺っちまえ!」
 男たちは一斉に飛びかかって行った。ああ、多勢に無勢。刃物を閃かせているヤツもいる。たった一人相手にそれはないではないか。
 手助けをするべきか。腕と足を押さえていた男たちがいなくなったので、徐に起き上がりながら彼女は思う。
 が、そんなものは影には必要でなかったらしい。見る見るうちに連中を畳んで一つに纏めると、小屋にあったロープでがんじがらめに一括りにした。
「ほな、長居は無用や。行こか?」
 影は軽々と彼女を抱き上げ小屋を飛び出した。
「ちょっと待って。下ろして」
「アカン。この町は女狩りが浸透しとるさかい、姿見られたら早よ逃げんのが一番や。それに女の子の足より、ワイの足の方が速いに決まってるやろ」
 間の抜けた声の男は、依然彼女を抱き上げたまま走り続ける。確かに彼の足は異様に速い。疾風の如く町外れの森の中まで逃げ出すことができた。
「ここまで来たら一先ずは安心やろ」
 そこでやっと、男は彼女を下ろしてくれた。
 良く良く見ると彼は奇妙な恰好をしている。髪は金と茶の混ざった斑な赤毛。癖のあるウェーブを描き、肩よりももっと長い。一つに纏めているようだが、一向に構わないのかさんばらだ。瞳は灰色がかった緑。何処か人のいい色を含んでいた。彼が着ているのは、海老茶と深緑の曖昧なグラデーションの衣装だ。日本という国の民族衣装に似ている。腰には帯でなく極太のベルト、足には茶革のロングブーツという出立は、彼女の知っている男のアンバランスさを思い出させた。腰の刀も日本のそれだろうか。地球に住んでいた頃、日本の文化には興味があった。それゆえ、この男には余り違和感を覚えなかったのかも知れない。
 彼女からすれば、彼は見上げるくらいの大男。不敵な笑いを浮かべ黙って立っていられると、少し怪しい。だが、口元を緩め言葉を放つと、
「あんた、別嬪さんやなぁ」
 どうも間が抜けている。彼女の知っている少年と同じ国の言葉のようだが、イントネーションが違うのかテンポが違うのか、何故か調子っぱずれな感じだ。顔はどちらかと言えば綺麗な顔立ちなのに、二枚目と言うよりは二枚目になり切れなかった三枚目といった印象なのは、この言葉のせいだろうか。
「あんたみたいな別嬪さんが独りで旅するやなんて、無謀もええトコやな」
 言いながら彼女を見つめている。上から下まで目線だけ動かして見つめている。黒いローブにすっぽり包まれた彼女の何処を見つめる必要があるのか。出ているところは顔と髪と指先だけだというのに。
 腰よりも長く伸びた緩やかなウェーブを描く髪。額の飾り紐につけられた、清冽な光を放つ水晶。首のチョーカーでも同じ物が煌いている。美しい面差しの中で愛らしく光る緑の瞳。そして、指先で慎ましく輝く水晶の指輪。それらの上を、彼の視線はゆっくりと、しかし執拗に移動していく。
 彼女は後悔した。この男に助けられて本当に良かったのだろうか。人の良さそうに見えるのが外見だけだったとしたら……
 男が一歩踏み出した。思わず後退る。
 男はにんまりと笑うと、
「あんた、ワイを雇えへんか?」
「……はぁ?」
「あんたみたいなええ女が、独りで旅続けとったら、さっきみたいな事なんぼでも起こんでぇ。ワイやったら、あんたを安全なトコまで連れてったる事、でけるさかいな」
 大した自信だ。それとも単なる馬鹿か。
「私には護衛は必要ないわ」
 彼女はきっぱりと断った。これ以上、この男に関わるのはどうかと思ったのだ。
「そんな強がりゆ〜てぇ。さっきかてワイが来ぉへんかったらアイツらにやられとってんでぇ。危ない、危ない、世間知らずのお嬢ちゃんやな。ワイを雇てくれたらホンマ、二度とあんな危険な目ぇには合わせへんさかい。どや?」
 男の癖に口数が多い。
「取り敢えず、助けていただいたお礼は言うわ。ありがとう」
 沈黙。男は次の言葉を何か期待していたようだ。
「そんだけか? 他に何かゆ〜コトあるんちゃうのん?」
「何かしら?」
 彼は期待外れであったことを顕著に表情に出し、大袈裟に溜息を吐いて見せた。
「あのなぁ、世の中、魚心あれば水心っちゅーやろ? この世知辛い世の中、何の報酬もなしに動くような奴、なかなかいてへんで」
 幾ら日本贔屓とは言え、日本の諺など言われてもわからない。何しろ彼女の故郷はフランスなのだから。
 小首を傾げ相手を凝視する。男は掌を上に向け、もう一方の手でペチペチと叩いた。
「わかるやろ? ワイの言いたい事。ホンマやったらあんたなぁ、ワイがおらんかったらアイツらにさんざん楽しまれて、領主の館に連れてかれてもーて、その後何されるかわからんかってんで。え? 命もなかったかも知れんねんで、そやろ? ワイがおったから、そんな目ぇに合わんで済んでんやろ、な? 命失うこと思たら、大した事ないんとちゃうか? な? わかるやろ?」
 わからない。わからないから単刀直入に訊くことにした。
「要は報酬が欲しいってこと? 何が欲しいの?」
 男は、待ってましたとばかりに高らかに指を鳴らせた。
「ワイはちぃーとばかし金に困っとる。さっきのはサービスにしとくさかい、あんたの目的地まで雇てくれへんか? あんたが現ナマ持ってんねんやったらそれでもええし、なかったら、あんたの宝石どれでもええからくれへんやろか? もちろん貰た分の働きはするでぇ。ワイは只働きは好かんけど、貰い過ぎも好かん。貰たら貰ただけの労働奉仕はするさかい、損な話やないと思うで、お客さん」
 なるほど。この男は金に困っていたのか。それならそれで納得がいった。報酬も要求せず付き纏うだけの男だとどんな下心があるか計り知れないが、ここまであからさまに要求を主張するなら、それだけ理性的でかえって都合がいい。
 この世界の下調べでは、余り力は使わないほうが身のためだ。ただの男に守られてみるのもカモフラージュになって助かる。もしかしたら、もっと他にもこの男の使い道があるかも知れない。
 彼女は打算で答えを出した。
「この水晶でどうかしら?」
 指輪を男に見せる。彼は華奢な手を取り、指輪をしげしげと眺めた。
 ここでは水晶がどのくらいの価値があるのかわからない。が、心現界では間違いなく最高位の石だ。男はいつまでも彼女の手を取ったまま、水晶とにらめっこをしている。
「こら、大したもんや」
 やっと男が口を開いた。
「ただの水晶やない、黒水晶や。それも不純物の混じった価値の劣る黒水晶やない。石の真ん中にだけ黒点のある珍しいタイプの黒水晶や。中の黒点は模様になってて、同じ模様はひとつとないんや。しゃーから価値はようわからんなぁ。もしかしたら、あんたを一生守ても釣が来るくらいの価値、あるんとちゃうやろか?」
「そう。なら商談は成立ね」
 あっさり言う彼女に、男の方がうろたえた。
「あんた、そんな軽ぅ決めてええんかいな。さっきもゆ〜たやろ? 半端な価値やないねんで、その指輪。こんな得体の知れん男にあっさりくれてやるもんやないやろぅ、なぁ?」
 言い出したのはおまえだろう、と、突っ込みの一つも入れたくなるようなことを言っている。人がいいのか悪いのかわからない男だ。
「でも、あなたの言う通り命には替えられないわ。守ってくれるんでしょう? この指輪があれば」
「そら、貰えるんやったらその指輪の分だけ働くっちゅーたさかいな。嘘は言わへん。けどなー、そんな大層なもん、なんや納得行かんわ。他に何かないのんかいな?」
「ごめんなさい。これ以外に差し上げられる物は何もないわ。これで納得してもらえないなら、商談は決裂ね」
 彼女は踵を返し、次の町へ向かって歩き出そうとした。
「ちょい待ち、ちょい待ち、待ってぇな。わかった。ほな、こないしょ。成功報酬やゆ〜ことで、あんたを目的地まで無事送り届けられたら、その指輪貰うことにするわ。どんだけの働きになるか知らんけど、釣の分はおまけやゆ〜ことで納得してんか。どないや?」
 彼女は振り返ると無表情で言った。
「別に。私はどちらでもいいのよ。あなたがついて来てくれるならそれでいいし、ついて来てくれないならそれでもいいわ。あなたがいてもいなくても、私は目的地を目指すだけ。私は報酬を払うと言っているのだから決めるのはあなただわ。どうするの?」
「そんな言い方せんといてぇな。可愛い顔して元も子もないお嬢ちゃんやなぁ。ワイに選ぶ権利はあらへん。最初から雇てくれゆ〜てんのはワイの方やさかいな。決めんのはあんたの方やで」
 横目で男を見、薄笑った。
「なら、ついて来てくれるわね。ボディーガードとして」
 男は人懐っこい顔で嬉しそうに言う。
「よっしゃ! まかしとき。これからはワイがおる限り、変な野郎にちょっかいは出させへんでぇ」
 余計な荷物を背負ってしまったような気がしなくもないが、やはり見知らぬ物騒な土地を旅するなら、女独りよりは男つきの方が便利だろう。
 そう思い、男に視線を移す。単純なのか馬鹿なのか、彼は素直に喜び張り切っている。
「あんたみたいな、ええ女と道連れやなんて、ワイは幸せもんや」
 冗談なのか本気なのか、全然この男からは見えて来ない。変わった男だ。だが何故か憎めない。
「取り敢えず、町に行きたいわ。野宿は嫌でしょう?」
「それもそうやな。まぁまかしとき。ワイは至る町の宿屋とか抜け道、知っとるさかいな。次の町やったら知り合いの宿屋やから、なんぼでも融通きくでぇ」
 男は先に立って歩き出した。
「言い忘れたわ。私はプシケよ」
 振り返り、満面の笑顔で彼は言う。
「プシケ? 可愛い名前やないかぁ。ホンマ、あんたにピッタリな名前や」
 どうやらこの男、女にお世辞を言い捲ることに、何の抵抗も感じない部類らしい。ツルツルと良く口が滑る。
「あなたの名前を教えて。雇い主として呼ぶのに困るでしょ?」
「ああ、そやった。昔の名前は忘れたけどな、ワイを知ってるもんはみんな飛焔て呼びよる。飛ぶ焔と書いて、ひ・えん、や。覚えたか?」
「ええ、よろしくね、飛焔」
 彼はまた、人懐っこい笑顔を返した。
「ほな行くとしょうかぁ。次の町はマリアッドっちゅーんや。そんな遠ないさかい、お嬢ちゃんの足でもそんなかからんと思うけど、急いでんねんやったら、またワイが担いでったろか?」
 プシケは丁重にお断りした。
「ご心配なく、自分の足で歩けるわ。それよりしっかり案内してね、マリアッドへ」
 飛焔の顔を上目で見つめる瞳は、何処か冷めていた。
【屋根の上へ】へ続く
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