そせい
蘇生
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「立ちなさい」
 プシケが言う。命令口調だ。
 アメリアは言われるまま、よろよろと立ち上がった。弱々しい表情の中に、何処か嫌悪の色が浮かんでいる。
「あなたは自分が何をしたかわかっている? 自分の欲望のために、自分を守るためだけに、何人犠牲にしたかわかってるの?」
「私じゃない……私がやったわけじゃない! 私は何も知らないわ……私は何もしていないのに……」
 恨みがましい声で涙ながらに訴える。
 彼女にはもう精魔は憑いていない。これが本当のアメリアの姿だ。気弱な表情、遠慮がちな瞳。だが、透たちの記憶に残るアメリアとは確実に違う。
 透たちは、アマンダの目を通してしかアメリアを知らない。アマンダのビジョンのアメリアは、気弱で清楚な微笑みの、慈悲深い瞳を持つ少女。神々しいまでのイメージを醸し出す娘だったはずだ。
 だが、目の前に佇む少女は余りにもそのイメージとかけ離れている。気弱だが翳りを持つ表情。その瞳は理不尽な恨みを投げかけている。歪む唇から漏れる言葉は、何処までも他を無視していた。
「あの魔物が勝手にやったのよ。私じゃない。私が魔物に頼んだわけじゃないもの! ……あの魔物は私を助けてくれるって言ったのよ。だから言う通りにしただけ……私は悪くないわ! だって魔物が勝手にやったのだもの。……私はただ、怖かっただけなの……だって、あんな真っ暗なところに閉じ込められて……どうしろって言うの? わからなかったのよ。……だから魔物の言いなりになったの。悪いことをしたのは皆、あの魔物だわ。私じゃない! あの魔物がいけないのよ!」
 透は愕然とした。
 これが、アマンダが命を懸けてでも助けようとしていた姉なのか。ビジョンの中でアマンダを慈しんでいた、愛情深い姉の姿なのか。彼女の話す言葉の数々が、救いようのない身勝手さで彩られていた。しかも彼女はアマンダのことは何ひとつ口にしない。己を庇って死んでいった妹のことを。
「なんて情けない人! あなたはそうやって、いつも自分を正当化し、他に罪をなすりつけて生きてきたのね。十七年間もそうやって生きて、他から何ひとつ学ぼうともせずに。あなたは他人を愛せない。あなたが愛して大切に思っているのは、自分のことだけなのね!」
 憤りを隠せない口調で叫ぶ。
「あなたのような人、アマンダに頼まれなければ、本当は精魔と一緒に封印してしまいたいくらいよ」
 思いがけない言葉を聞いた。
 アマンダに頼まれなければ……? 彼女はアマンダを知っているのか。
「君は……君はアマンダを知っているの?」
 疑問は素直に口を突いて出た。プシケは透を振り返り、すまなそうな顔で言う。
「黙っていてごめんなさい。私もアマンダに頼まれたの。アメリアを助けて欲しい、と。……そして、あなた方を探して協力して欲しい、と……」
 彼女は、いつ、何処で、アマンダと出逢ったのだろう?
 問いかけようとした時、もう、プシケはアメリアに向き直っていた。
「今のあなたをアマンダが見れば、どう思うかしらね。あれほどまでにあなたを慕い、信じ続けたアマンダを、あなたは裏切るつもりなの?」
「どうして……どうして私ばかりが責められなければならないの? アマンダはあんなに、お父さまとお母さまの愛情を独り占めにして来たじゃないの。私だってアマンダのことを可愛がってあげたじゃないの。もういいじゃない。少しくらい私に幸せをくれたっていいじゃないの! どうして皆、アマンダ、アマンダって……私はここにいるのに……助けて欲しいのに……」
 いい終わりさめざめと泣く。その姿に、プシケの憤りがボルテージを上げた。だが、堪え切れなくなり叫んだのは透だった。
「いい加減にしろよ! 誰も君のことを愛してないみたいに、何でそんな風に考えるんだよ! 君は誰にも愛されていないわけじゃない。君のことを考え愛してくれる人は、君のすぐ側にいたのに。……君はアマンダに言ったんだろ? アマンダは心の支えだって。アマンダはそれを信じてた。信じてたから、君のことだけを想い、君を助けようとしたんだ。命を懸けてまで……」
 アメリアは透を見つめている。驚きと怖れの入り混じった瞳。悲痛な色が蠢いている。
「君だって、アマンダを愛していたはずだろう? だってあんなにアマンダを可愛がっていたんだから。……アマンダは間違いなく、君を愛してた。誰よりも、誰よりも、君を大切に思ってたんだ。だから僕たちに頼んだんだよ。君を助けて欲しいって。元のおねえちゃまに戻して欲しいって。ずっとアマンダは言ってた……死ぬ間際まで、ずっと……」
 思わず零れた涙。ひとすじの涙が、透の頬を伝って地面に落ちた。
 土が透の思いを受け止める。草が透の思いに呼応する。風が透の思いを震わせた。《場》の全てが、彼の思いを受け止め、呼応し、震わせる。そこに言葉はいらない。言葉ではなく思いが、確実にアメリアに伝わっていった。
「アマンダ……」
 アメリアの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。声を曇らせ、彼女はくずおれる。
「ア……アマンダ……大切な妹……。可愛くて、優しくて、大切な……。でも、憎らしかった……あの子が誰からも愛されたから……。いいえ、私も愛していた。あの子は私よりももっと、私を愛してくれたわ。それなのに……私があの子を死なせた……。あの子は私を庇って死んでしまった、私なんかのために! ……私は愚かだわ。どんなにあの子に愛されていたかを、今になって知るなんて……そして、どんなにあの子に救われていたか、今さら思い知ることになるなんて……!」
 彼女は両手を合わせ握り締める。愚かな自分と葛藤している。その胸にどんな想いが渦巻いているのか。強く握り締めた両手の爪が己の手を傷つけ、血が滴り落ちた。
「もう……もう遅すぎる! 取り返しがつかない! どんなに願っても、あの子はもう私の元へは帰って来てくれない! 私はどうやって、あの子に……いいえ、私が傷つけてしまった全ての人に、償えばいいの……?」
 苦痛に滲む瞳が、透に、プシケに、紫音に縋りついた。透には掛けてやるべき言葉が見つからない。こんな時、頼りになるのはやはり紫音だった。
「済んじまったことは今さら言っても仕方ねえ。取り返しのつかないものは、どんなに足掻いても取り戻せやしねえんだ。だがな、悔い改める気持ちがあるなら、それを決して忘れないことだ。一生その重荷を胸に抱き、生きていくことが、残された者の償いだ」
 紫音の言葉が胸に響く。静かだが、励ます力を秘めた言葉。アメリアの胸に流れ込んでいく。
「ええ……そうね……生きなければならないのね」
 アメリアは、声もなく泣いた。
 
 
「心から後悔しているようね」
 静かな声。プシケの瞳にはもう憤りは見られない。
「もしアマンダが、あなたの側にいてくれたら、あなたはもうアマンダを悲しませたりはしないわね?」
 驚きと失望の入り混じった表情。アメリアは後悔の溜息とともに語る。
「もし……もしあの子が私の側にいてくれたら、今度こそ私はあの子の側を離れない。あの子のことだけを考えて生きていくわ。……あの子が私を許してくれるのなら……でも、もう、遅すぎるのよ!」
 止め処なく流れる涙。絶望の色は消えない。
「いいえ、遅くはないかもしれないわ。私はアマンダの希望通りにしてあげたいの」
 プシケはそれだけ言うと奇妙な行動を取った。
 水晶に反射した月の光の中で、指で輪を作る。それを地面に投げると月の輪郭ができた。月の輪郭は徐々に広がり光を放ち始めた。まるで、そこに月が降り立ったかの如く。
 光の淵が出来上がり、そこから光が溢れ出す。空に向かって伸びる光の柱。その中にひとつの影が見えた。
「あれは……アマンダ……?」
 光を透かし見て呟く。透の呟きに応えたのは、光の中の人影。
「透おにいちゃま……」
 光の中に目を凝らす。今度は紫音が呟いた。
「アマンダか?」
「紫音おにいちゃま……」
『アマンダ!』
「テディ!」
 プシケが光の柱に手を差し伸べる。
 その手に掴まって姿を現したのは、紛れもなく、失ったはずの少女。アマンダが笑っている。嬉しそうに笑っていた。
「アマンダ!」
「おねえちゃま!」
 姉妹は再び巡り会えた。今度こそしっかりと抱きしめ合う。
「アマンダが、生きてる。そんな……僕たちは間違いなくこの目で、アマンダが死んでしまうのを見たはずなのに……」
 呆然と呟く。確かに納得のいかない光景だ。
「アマンダは一度死んだわ。でも、心現界がアマンダの力を惜しんで蘇生させたのよ。私はその後であの子と出逢った。あなた方のことを聞き、アメリアのことを頼まれたの。けれど、私にとってもこれは幸運な巡り合わせになったのよ。私がいつか出逢わなければならない人達。導師が私に教えてくれた人達。その情報をアマンダが齎してくれた。それがあなた方。だからアマンダのビジョンを介して、あなた方の世界や過去を垣間見た。あなた方に出逢うまでは、本当のあなた方を知る由もなかったけれど」
「それで、『知っていたと言えば知っていた』か。はぐらかすための禅問答じゃなかったんだな」
 紫音が苦笑いする。
「出逢わなければならない……って、僕たちが?」
「そう。導師が予言した。私には協力者が必要だったの。でも、あなた方は想像以上の存在だったわ。出逢ってみて、はじめてそれがわかったのよ」
 彼女の口元が緩んだ。笑っているかに見える。
「アマンダ、アメリア、あなた方はもう離れてはいけないわ。アマンダの力はアメリアの弱い心を打ち砕き、アメリアの力はアマンダの力を増幅する。そしてあなた方の力は心現界を支える源となり、またあなた方に還元されるのよ。これからはアマンダが、お姉さんを守ってあげなさい」
「はい、プシケおねえちゃま」
 アマンダは、赤いワンピースの裾を軽くつまみ、愛らしい仕草でお辞儀をした。小さな貴婦人だ。そして、アメリアと手を繋ぎ光の柱に向かった。
「迷うといけないわ。この子を案内人につけましょう」
 先ほど精魔を封印し浄化した玉を、プシケは光の柱に掲げた。それは、ぽう、と光を放ち、柱の中でふわふわと揺れる。
「これは精の卵。心現界のあるべき場所へ自分の意志で戻るの。あなた方はついて行くだけで、あなた方のあるべき場所へ帰れるわ」
 姉妹は無言で光の柱に入って行く。そして振り向いた。
「紫音おにいちゃま」
 紫音は顔を上げた。前髪を掻き揚げ、アマンダの姿をその瞳に焼きつけようと、懸命に見つめた。
「紫音おにいちゃまのことは、けしてわすれない。紫音おにいちゃまからおそわったこと、なにもかも、アマンダのむねのなかにあるの。それはアマンダのささえ。アマンダはしんげんかいで、おにいちゃまたちのちからになる。いつもいのっているわ。紫音おにいちゃまのゆめが、かないますように」
「アマンダ」
 彼は笑う。安堵に満たされた顔で。
「元気でやれよ」
 アマンダも笑った。
「透おにいちゃま」
「アマンダ!」
「透おにいちゃまのことも、けしてわすれない。透おにいちゃまのやさしさ、あたたかさ、アマンダうれしかった。いっしょにゆめをみて、はげましあったこと、アマンダのたいせつなおもいでよ。アマンダのゆめはかなったの。だから、透おにいちゃまもまけないで! ゆめをあきらめないで! いのっているから」
「ありがとう、アマンダ。僕も決して、君たちのコト忘れないよ」
 精一杯笑顔を作る。けれど瞳は切なく潤み、透の頬をまた涙が伝った。
「透おにいちゃま、なきむしね。アマンダはもう、なきむしはそつぎょうよ。……いつかきっと、またあえるわ、きっと」
 透は苦笑した。
 五歳の少女は五歳の姿のまま、心は一足飛びに成長していた。泣き虫で、すぐ笑う、くるくる表情の変わる少女。あの幼い少女はもういない。その無垢な紫の瞳には、力強ささえ宿っていた。
「テディ、いっしょにいこう!」
 アマンダが言う。クリスに向けて手を伸ばす。
 クリスは一瞬、はっと顔を上げたが、そのまま何も言わなかった。透の腕の中で固まっていた。
「そうね。テディがそうおもうなら……」
 アマンダは、クリスに向けた手をアメリアに委ねる。アメリアはアマンダを抱き上げた。
「あなた方のことは決して忘れません。私の目を覚まさせてくれたこと、アマンダと巡り会わせてくれたこと、感謝しています。このご恩に報いるためにも私はもう二度とこの子と離れません。本当にありがとうございました、皆さん」
「さようなら。透おにいちゃま、紫音おにいちゃま、テディ……いいえ、クリス……」
 アマンダが手を振っている。
『アマンダ!』
 透の腕の中、クリスが蠢いた。
 光が増した。光が強烈になり、姉妹の姿をぼやかせる。
「クリス。今ならまだ間に合うわ。あなたは心現界に迎えられるべき存在よ」
 クリスは首を振った。
『いいの!』
 クリスの決意を受け取り、プシケは光の柱に向き直る。
 光の柱は一瞬高く伸び上がったかと思うと急に小さくなり、やがて光の淵も消え、月の輪郭も消えてなくなった。後には草が風に吹かれるのみ。
 月が清らかに照らす舞台は、風渡る緑の草原。静寂の中、残されたのは、茫然と佇む彼らの影。
 無言で彼らは立ち尽くす。涙が瞳に宿ったまま、クリスを腕に抱く透。風に髪を遊ばせながら、月を見上げる紫音。額の水晶を煌かせ、何処か別の空間を見つめるプシケ。
 彼らはただ立ち尽くし、風に吹かれ続ける。
 
「終わったな」
 沈黙を破る紫音。
「終わったわね」
 ポツリと呟くプシケ。
 透は月を見上げ、クリスを高く抱き上げた。
「僕たちは、アマンダとの約束を果たしたんだ!」
 晴れ晴れとした笑顔で言った。
【夢】へ続く
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