ふういん
封印
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 側には紫音とプシケ。クリスは肩に乗っている。
 透はプシケに話しかけた。
「ここは、何処?」
「森の外よ。心現界の通路を使って空間を飛び越えたのよ」
 心現界の通路? 前にクリスが言っていた類似空間の通路というヤツか。
「ここはもう私の結界外。でも《場》は透に味方してくれるわ。精魔が来る前に結界を張るのよ、透」
 一瞬プシケの顔を見つめ、透は俄かに悟る。難なく《場》を味方につけ、この場に確かな結界を張れるのは透だけだ。
 透は念じた。《場》が彼に反応するのがわかる。《場》の力が流れ込み透の補助をする。一瞬のうちに強力な結界が彼らを包み込んだ。
 念じ終わりプシケに問いかける。
「さっき君が言っていたこと、依代が精魔を取り込んだって。あれはどういうこと?」
「あなた方が探してた人には隠された力があったようね。あれだけ強大化した精魔を取り込むなんて、かなりのものだわ」
「どんな力なんだ?」
 空を窺いながら紫音が言う。精魔の気配を探しているのだ。
「少し、性質が悪いわ。力そのものは単純な作用しかしないみたいね。融合した力を増幅するだけの力。精魔の力を増幅させていたのは彼女だったのね」
「性質が悪いってのは、どういう風に?」
 透が訊ねるとプシケは眉を顰めた。
「困ったことに依代に自覚がないのよ。精魔の意識はそのままで取り込んでいるから、動いて語るのは精魔のように思えるけど、実際は依代が動かせているはずだわ。依代自身は自分が吸収されたと思っているから、性質が悪いのはそこね」
「アメリア自身が思い込んでるってことだろう? 悪いことをしているのは自分じゃない、精魔だってな」
「さすがに鋭いわね」
 だとすると、彼らの敵は精魔でなくアメリアということになるではないか。アメリアを攻撃しなければならないのか。
 紫音が視線を下げる。そこに緑の吹き溜まりが見えた。徐々に姿を形作る。邪気に彩られたアメリアが現れ始めた。
「何処に行こうと逃がしはせぬ!」
 精魔はいきなり攻撃を仕掛けてきた。
 燃えさかる緑の炎が彼らを襲う。透の結界は見事にそれを弾き飛ばした。尚も迫り来る炎。精魔は間髪を入れずに攻撃を繰り出してくる。
 結界に守られながら彼らは悟る。このままでは埒があかない。攻撃に転じなければ勝ち目はない。攻撃は最大の防御だ。
 思いの外、精魔の力はアメリアによって増幅されているようだ。やがて結界に亀裂が走り始めた。
『結界が!』
 クリスが叫び、結界の亀裂に飛びついた。発光するクリス。自らの身体を不定形に変え、結界の亀裂を修復した。
 透も懸命に念じる。だが、長くは持ち堪えられないのは目に見えている。
「甘く見てちゃいけねえな」
 呟く紫音。透たちを後ろに庇いながら構えた。
 亀裂が広がる。弱っているクリスでは事足りない。透も回復が充分ではなかった。念じても、尚も亀裂は広がる。
 緑の炎が亀裂から入り込んで来た。紫音はその攻撃を真っ向から受ける。
「下がってろ!」
 透たちに叫ぶ。次の瞬間、紫音の掌から閃光が放たれた。精魔に向かって真っ直ぐに飛ぶ。精魔は慌てて避けるが間に合わない。幾ばくかのダメージは与えられたはずだ。緑の炎が止んだ。
 だが、紫音は止まらない。懸命に制御しようとするが、ままならない。コントロールができなければ、受けた力が枯渇するまで止まらないのだ。
「透! 紫音を止めて!」
 透は弾かれたように紫音に飛びついた。背後から腕を回し、紫音の両の手首を握り締める。
「紫音! 僕の意識に同調して!」
 精神の波長が透と完全に一致する。紫音の中に残された精魔の力は、透を介して結界として放出された。結界は甦り、それだけでなく前よりも強力になった。
「それでいいわ」
 プシケは呟くと、結界の中から足を踏み出した。
「プシケ!」
 透が叫んでも動きは止まらない。ゆっくりと、精魔に――アメリアに向かって歩き出した。
 クリスは元の形に戻り、透の肩に乗っかっていた。透の耳元に囁く。
『大丈夫よ、あの人は』
 確信を持った囁き。クリスはプシケから何かを感じ取っていた。
 にじり寄るプシケを弾き飛ばそうと、アメリアは嵐を巻き起こす。緑の風が荒れ狂う。結界の中以外は、息苦しい大気で満たされた。
 プシケは一度足を止め、再び歩み始める。アメリアに向かって行きながら、低く叫んだ。
「カリュブディス! 捕えよ!」
 空間が歪み、渦が巻き起こる。暗黒の闇。風を巻き込みながら徐々に広がっていく。渦はアメリアの背後まで漂って行き、その身体に絡みつくとアメリアの自由を奪った。
「離せ!」
 恐怖が貼りついた表情。逃れる術もない。暗黒の渦が緑の風を吸引する。暴れれば暴れるほど渦が身体に絡みつく。
「やめろ!」
 アメリアは叫んだ。
 プシケは歩みを止めず、もう一度低く叫ぶ。
「シラ!」
 再び空間が歪む。やがて空間の隙間から炎が噴出した。そこから現れたのは竜のような怪物。二枚の強靭な羽を持ち、頭が六つもある。長い尻尾を振り立てて大地を踏みしめる足。いったい幾つあるのか。
 目を釘付けにされながら、透は漠然とギリシャ神話を思い出す。六つの頭に十二の足。神話の海魔スキュラ――確かシラとも呼ばれていた。あれもプシケの下僕なのか。どうして彼女に関わるものは、こうもギリシャ神話に拘るのだろう。
 シラは容赦なくアメリアに襲い掛かる。切り裂かれるようなアメリアの悲鳴。
「ぎゃあぁあああぁぁぁー!」
 炎がアメリアを包み込んだ。
「アメリア!」
 透が駆け出そうとした。紫音が止める。
「黙って見てろ!」
 その様子を察してプシケが説明する。
「心配はいらないわ。シラは精神しか攻撃しない。依代の身体には傷もつかないわ。それに、今シラが攻撃しているのは精魔の方よ」
 その声に応えたのか、シラが鋭い牙でアメリアを攻撃した。とたん、何かが彼女の体から弾け跳んだ。
 緑の気体。精魔の本体。
「出たわね」
 その姿は哀れなくらい、ぼろぼろに縮こまっていた。もはや風も起こせなければ、炎も吹き出せはしない。
 精魔は震え逃げ惑おうとする。だが、その姿さえカリュブディスは捕えて離さない。
 プシケは空を見上げる。凪いだ空に月が浮かんでいた。いつの間に夜になっていたのだろう。
 額の水晶に指を当てる。月の光を受け、水晶は内部から輝くように光を増した。今までにない、目の眩むほどの輝き。
 ふと見ると、プシケの手に玉が握られていた。水晶球のミニチュア。いや、ガラス玉にも見える。それを掌に乗せ、掲げる。
 ――やめろ! 私を封印するな!
「ダメよ。あなたはもう逃れられないのよ」
 精魔は恐怖に縮こまる。
 ――お願いだ! 助けて! 私は封印されたくない!
「およしなさい。命乞いをしてもあなたの罪は消えないわ」
 冷ややかな声。
 ――仕方なかった! 生き延びるために仕方なかった! もっと早く救いの道を教えてくれれば、そんなことはしなかったのだ!
「今さら遅いわね。罪を償いなさい」
 精魔は絶叫する。
 ――嫌だ! 私は消滅などしたくない! 助けて! 封印しないで!
 カリュブディスに捕えられたままの精魔を、彼女は無言で見つめる。その瞳には、憐れむような慈愛に満ちた光が宿っていた。
 沈黙の後、彼女は穏やかに言う。
「心配しないで、あなたは消滅する訳ではないの。再生するだけよ、もう一度。けれど、この出来事だけは忘れてはいけないわ。あなたが外れた道、あなたが犯した罪を、決して忘れてはならないのよ。あなたは記憶の奥底にその出来事を秘め、二度と同じ過ちを繰り返してはいけない!」
 それは、今までのプシケの声とは思えないほど、確かな抑揚のある声。慈悲の思いが篭められた、辛く悲しげな声。
 プシケは真っ直ぐ精魔に向かって腕を伸ばす。掌の玉が、ころりと微かな光を放った。
 月の光が額の水晶に反射し、掌の玉を突き抜けて精魔に降り注ぐ。精魔の本体は光に捕えられた。聖なる輝きに捕えられ、身動きもままならぬ精魔。少しずつ玉に吸収されていく。
 もう、それは抵抗をしなかった。あきらめたかの如く大人しく玉に吸い込まれていく。最後の姿が吸い込まれようとした時、悲しげに大気が震えた。
 透明だった玉は、毒々しい暗緑色に変化していた。それは精魔の本体の色。魔に毒された精の証。
 透たちが見守る中、彼女は両手で玉を捧げる。月に向かって、愛おしそうに。
 月はその想いに応える。プシケの額に柔らかく降り注いだ。
 その光は水晶に反射し、掌の玉を包み込む。見る見るうちに玉は色を失い、淡いピンク色に染まったかと思うと清冽な光を放った。クリスと同じ、聖なる輝き。
『あっ!』
 クリスが叫んだ。
『あの人、精魔を封印するだけでなく、浄化したわ!』
「えっ?」
『そんなことができるなんて、一体何者なの? あの人……』
 肩の上で黙り込むクリスに、ヤキモキしながら透は訊いた。
「すごいコトなの、それって?」
『精魔を封印するくらいなら、ある程度の力を持つ者はできると思うの。でも浄化するとなると話は別よ。魔を浄化するなんて心現界でも限られた人間にしかできないはずだわ』
「………」
「アイツは心現界でも限られた人間だってことだな?」
 黙りこむ透の代わりに紫音が言った。
『精魔が言ってた水晶使い……聞いたことがあるわ。水晶は、聖の力も魔の力も併せ持つ心現界の最高の石。心正しく清い者が使えばどちらの力も最大限に引き出せる。けれど精神力の弱い者が使えば魔に取り込まれてしまう。それで、強大な力を持ち、不屈の精神を持つ者だけが、水晶を手にすることを許されているの。水晶使いはそうでなければ務まらない。だから心現界でも数えるほどしかいないはず。もし、あの人が水晶使いだとしたら、心現界で相当の役割を持っている人ってコトだわ!』
 浄化された玉を大事そうに両手で包み込むプシケ。彼らを振り返り、穏やかな声で言った。
「もう結界から出ても大丈夫よ」
 その声が合図となり、彼らは小走りに彼女に駆け寄る。彼女はついと顔を上げると、真っ直ぐにアメリアの姿を捉えた。
 透も紫音もそれに倣う。
 闇に蹲るアメリアの側には、もはやどちらの怪物の姿もなかった。
 アメリアの側に佇む二つの影。闇のマントで身を包む、暗黒の髪、金の瞳の男、カリュブディス。その傍らで佇む、オリエンタルな衣装を身に纏い、赤く波打つ髪、赤い瞳の女。これがシラの変化した姿だろう。
『どうしましょうか? プシケ……』
 赤い髪のシラが意識に呼びかける。
「もう、あなたたちの力は必要ないわ」
『では……』
 短く言うと、二人の姿は闇の空間に滲み込む。瞬きもしないうちにその姿は掻き消えていた。
「心強い仲間だね」
 透が何気なく呟く。
「仲間? 違うわ。下僕よ」
「うん。でも君の命を守ってくれるんだよね?」
 僅かな沈黙。続く声は苦しげだった。
「彼らは私の命を守る。けれど私が逃げ出せば私を殺すわ。そのために彼らはいるのよ」
「おまえを監視してるのか?」
「そう。……でも彼らを創ったのは私自身。精に水晶の魔を植込み創り上げたのよ。……いつか私が、運命から逃げ出したくなった時に、私を消滅させてくれるように……」
 プシケの瞳が、表情が、声が、感情というものを取り戻していた。今までの彼女からは感じられなかった、胸を突かれる物悲しさ。俯いた、その切ない表情は何を思う。彼女は何を背負っているのだろう。
 透は言葉もなくプシケを見つめた。
 が、すぐに彼女は顔を上げ、アメリアに向かって言った。
「もう、あなたが責任を転化する者はいないわよ」
 軽蔑の篭められた冷ややかな声。
「ここは……何処? ……私は何をしていたの……? ……私……? ……私はいったい……」
 怯える瞳。辺りを落ち着きなく見廻すアメリア。アマンダのビジョンでも同じことをしていた。
「いい加減に目を覚ましたらどう? あなたは何人の人間を巻き込んだと思っているの?」
 厳しい口調だった。
「私……何もわからない……どうして私はここにいるの? いったい何をしていたの? ……あなたたちは誰? 私をどうしようと言うの……?」
 涙を流すアメリア。怯える瞳が光をぼやかせる。縋るような視線を、透に、紫音に絡ませてきた。
「もうお芝居はやめなさい! ここにいる者は誰もあなたを助けやしない。現実逃避もいい加減にしてね。あなたは夢を見ている訳じゃない! これが現実なのよ!」
「………」
 アメリアは呟くのを止めた。
 そして、嫌なものでも見るように、弱々しくプシケを見上げた。
【蘇生】へ続く
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