つき
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「……西の方角じゃな」
 節くれだった指がロウソクの薄明かりにぼんやりと浮かぶ。声の主は占い師の老婆。何に使うのか見当もつかない道具がテーブル上に散乱し、その中で最も占いに適していると思われる水晶玉を、穴の開くほど見つめている。
 老婆の聖地とも言える占いテントの中には、主の他に二人の若者。息を呑んで、老婆の言葉に神妙に耳を傾けていた。
「おまえさんたちが探しているものかはわからんが、西の方角に何やら光が見える……」
「光?」
 透が身を乗り出した。燭台のロウソクに照らされて、鳶色の瞳が橙に染まる。老婆の正面に据えられた椅子に腰掛けたまま、透は背後に立つ紫音を振り仰いだ。
「どう思う?」
 一瞬の沈黙の後、
「知るか!」
 冷たく言い放つと紫音はそっぽを向く。透の好奇心に少々ウンザリしているのだ。
 森を出たところでジプシーの群れに遭遇した。彼らは旅をしながら歌や踊りを披露する集団だ。透は初めてジプシーなるものを見たらしいので、好奇心が刺激されたのだろう。突然、行くべき方角を占ってもらおうと言い出した。
 紫音は占いなど信じない。余程のことがない限り、他人など当てにはできないと思っている。だから透に背を向けたのだが、こんな時だけ、彼は妙に強引だった。無理矢理ここに引きずり込まれたので不機嫌にもなろうというもの。
(だいたい、一刻を争うという時に、何を考えてるんだ、コイツは……?)
 時折ロウソクの炎がはぜながら大きくなり、紫音の顔を明々と照らし出した。相変わらず顔の半分は長い前髪に隠れており、表情を窺い知ることは難しい。が、透には、紫音がいかに不機嫌かということが手に取るようにわかった。
 ほんの好奇心でここに入ったことは認めるが、彼とて、何の収穫も考えずに飛び込んだ訳ではない。占いに頼ってでも確かめたいことがあった。後で紫音に話したとしても、言い訳にしかならないことはわかっているが。
「そんなに怒らないでよ、紫音。あのさぁ、前に自分で言わなかったっけ? 情報は多ければ多いほどいいって」
 己の言葉を逆手に取られて、ついに紫音は爆発した。だが怒鳴る相手は透ではない。占い師の老婆に矛先は向いていた。
「やい、婆ぁ。結局どういうことなんだ!」
 透の言葉がかなり不愉快だったらしい。怒鳴ると言うより吠えている。
「俺たちが探してる女はどっちに行きゃ逢えるんだ。さっさと答えろ!」
 老婆は溜息をついて彼を見上げる。
「やれやれ、まったくせっかちな若者じゃ。少しは落ち着いて、人の話を聞きなされ」
「婆ぁ、俺たちゃぐずぐずしてられねえんだ。わかってんならさっさと言え、もったいぶってんじゃねえぞ。わからねえならそう言え。どっちなんだ!」
 明確な答がない限り、彼の腹立ちは治まりそうにもない。今にも老婆に食ってかかりそう…というより老婆を食い殺しそうな剣幕だ。
「紫音ってば、焦ったってしょうがないよ、手掛かりなんて全くないんだから。この際、神でも占いでも頼りにしてみてもいいんじゃないの?」
 その呑気な物言いが火に油を注いだ形となった。
「この阿呆ぅ! そんなにぶっ飛ばされてえのか。おまえが婆ぁと茶飲み話している間にも、あいつぁどこまで行っちまうかわからねえんだ。とっとととっ捕まえて始末しなきゃ取り返しのつかないことになるんだぜ。わかってんのかよ!」
 肩に担いでいた馬鹿でかい銃を、紫音は軽々と構え透に突きつけた。怒りのままにあっさり発砲しそうだ。
 が、そうはならないことを透は重々承知している。
「嫌だなぁ、紫音。ちゃんと彼女の行方を占ってもらってるんだよ、僕は。でも、もっと面白い結果が出そうなんだから、ちょっと黙って聞いててよ」
 と、さっさと老婆に向き直った。
「おまえさんは聡いようじゃの、いい心がけじゃ」
 老婆はしわ嗄れた声でふぉふぉふぉと笑うと、再び語り始める。
「……ここから西へ向かって行くと、途中に深い森がある。……そこには魔物が棲んでいるが、おまえさんたちなら問題はなかろう。……その森の入口でしばらく待ってみなされ。おまえさんたちにとって重要な意味を持つ人物が現れるはずじゃ。……その人物がおまえさんたちの敵になるか味方になるかは、おまえさんたち次第じゃがのぅ」
 しわ嗄れた声がふぉふぉふぉと笑う。
 懸命に沈黙を守り、大人しく老婆の話に耳を傾けていた紫音が、ふと気づいて問いかけた。
「で? 俺たちが探している女は? いつ話の中に登場するんだ」
 老婆は笑うのをやめ、
「それはわしにもわからん」
 あっさりと言ってのけた。
「婆ぁ、ぶっ飛ばす!」
 今度こそ紫音が老婆を殴り倒しそうだったので、透は慌てて立ち上がった。紫音は危うく頭突きを食らうところを、間一髪でかわす。
「透、てめえ……」
 透は彼に構わず、
「助かったよ、お婆さん。ホントまったく手掛かりがなかったもんだから。……で、最初に聞いたコトだけど、本当に見料はいらないの?」
 そう言いながら、改めて老婆の手元の水晶玉に視線を落とした。
「いいんじゃ。おまえさんたちがここへ来ることは薄々感じておったのじゃから。……わしが見たいと言ったのじゃから、気にせんでもよい……」
「ホントにありがとう。……じゃ、お元気で」
 簡単な挨拶をしてから、二人は連れ立ってテントの入口を出る。その背中に老婆が呟いた言葉は、彼らの耳には届かなかった。
「気をつけてな……おまえさんたちはもう、後戻りはできんのじゃから……」
 
 
 一歩外に踏み出すと、頭上にはおそろしく巨大な満月。少なくとも地球ではお目にかかれない大きさだ。大きな月の向こう側には、ひと回り小さな月の姿。この世界の月は同じ夜にふたつ浮かぶのだ。
 月は地面の上にくっきりと、周囲の樹々の影を縫いとめている。そうして我がもの顔の月たちに、闇はどこかに追いやられてしまっていた。
「やっぱり、紫音らしくない」
 透が呟いた。
「何だと?」
「だって、そうだろ? あんな風に怒鳴ったりして。冷静さを欠いては、参謀は務まらないんじゃなかったっけ?」
「俺を試したつもりか? 小賢しい」
 透の目的の半分は読まれていた。
 紫音はアマンダの墓標を後にした時から、いつになく焦って見えた。クリスの事情を知ったせいかも知れないが、それにしても紫音らしくない。そのことが透をひどく不安にさせた。
 だから確かめてみたかったのだ。彼自身それに気がついているのかどうか。どうやら紫音も自覚してはいたらしい。
 が、どうにもならないこともある。透にしても、変わりなく振舞おうとはしていても、やっぱり何処かに無理があるに違いない。失ったものが大切であればあるほど、そんなに簡単に気持ちが切り替えられるはずがないのだ。
 失ったものの重みを誰よりも知っている紫音と、はじめてそんな想いを抱えることになった透。アマンダの死は、二人の心に徹底的なダメージを与えてしまっていた。それでも彼らが自分を見失わないのは、まだクリスが残っているからだろう。お互いの絆と守るべき仲間。そして守らなければならない約束。そんなものが彼らを奮い立たせていた。
 紫音は無言で月を見上げる。何を考えているのか透にはわからない。だがひとつだけわかっているのは、当分、彼と旅を続けなければならないということだけだ。
「……行くしかないか」
 紫音が呟いた。
「……行くしかないね、せっかくだから」
 透は目だけで彼を見上げる。彼は面倒くさそうな溜息を返しただけだ。
 透は抗議するように口を開いた。
「紫音が信じなくたって僕はあのお婆さんを信じるよ。僕だってこんな世界でもなきゃ占いなんて信じなかったさ。僕の世界の占いは女の子の遊びみたいなもんだからね」
 勢い込む透に、駄目押しをする。
「魔物が出るってよ」
 紫音の言葉に一瞬の迷いが走ったが、それでも、
「こんな世界なんだ、何が起こっても驚かないよ」
 と、果敢に答えた。
「ふん、言うじゃねえか。……俺と出会った頃はびいびい泣いてたくせに」
 透はバツの悪い顔をして紫音を睨む。
「……痛いトコを……」
 不機嫌だったはずの紫音が、にやりと口元を緩ませた。
 彼は、頼りないくせに生意気で、いやに要領がいいこの年下の相棒を、やり込めることに快感を覚えていた。
『……相変わらず人が悪いね、紫音……』
 どこからともなく声がしたと思ったら、いつの間にか透の肩にクリスが乗っかっていた。老婆が目の当たりにすると飛び上がるのではと思い、外に待たせておいたのだ。
 見るたびに透は思う。何だかパピヨンって犬に似ている、と。透の知っている犬の種類にそんなものがあった。耳に当たる部分が羽のように広がって垂れている。そして、実際に背中にも羽が生えている。彼女(彼?)はそれによって飛ぶことができるのだ。
 最初の頃とは違って、既に紫音にも、クリスが透と同じように見えている。精神の波長が透と一致しているためだろう。
 クリスの映像は相変わらずゆらゆらと不確かだ。森を出る前よりも、輪郭は明確になってはいたが。
「クリスがこの姿なら、まだあんまり遠くには行ってないね、彼女……」
『でも、どんどん遠ざかるような気がするわ』
 どのくらいの距離に近づけば、クリスの姿は元通り見えるようになるのだろう。
「ごたくは沢山だ、行くぞ」
 紫音が月に向かって歩き出す。
「やっぱり? ……やっぱり歩いて行くんだ。どのくらい距離があるのかもわかんないのに?」
 戸惑いを隠せない声に苛立った声が返答した。
「おまえが婆ぁを信じると言い出したんだろーが。さっさと歩け!」
 背中を向けたまま、紫音はどんどん歩いて行ってしまう。腰まであるくせのない薄空色の髪が、月の光に銀に閃いた。
 
 
 双子の月が道案内に飽きたように地平線の彼方に姿を消し、背後の空が明るみ始めた頃、それまで黙々とひたすら月の影を追いかけて歩いていた透が、ポツリと呟いた。
「……何か、変だ……喉が渇いて……」
 その言葉の続きを紫音が受ける。
「そういや、腹も減ったな。……忘れてたぜ、こんな感覚」
「……何でだろ、急に……あの場所を離れたせいかな……?」
 その答えはクリスが知っていた。
『そうね。ポイント0では時間は流れないけどここでは普通に流れているもの。何も不思議なことではないわ』
「なるほどな」
 彼らは立ち止まり、辺りを見廻す。
「結界が消滅して出られたのはいいが、とたんに人間らしさが戻ってきたってことか。自由を手に入れて、かえって食い物や何かの不自由を感じるなんざ、本末転倒もいいところだな」
 あたりは草原。建物の影は見当たらない。
 植物が育つからには水源がありそうなものだが、せせらぎは聞こえず水の在りかもわからず仕舞い。せめて草でも毟って食ってみるかと見たところ、一様に棘が生えている有様。
「けっ。このままじゃ飢え死にだな」
 紫音は、腹立ち紛れに小刀で草を掃う。
「せめて朝露でもついてりゃ渇きぐらいは治まるんだけど、この時間じゃねえ……」
 太陽は既に真上に向かって驀進中だ。思いの外、この草原で無駄な時間を過ごしていたことになる。
「長居は無用だ、行くぜ」
 彼らはとぼとぼと草原を後にした。
 
 
 行けども行けども、だだっ広い空き地か棘草の生える草原。これまでのところ、最初に出てきた森以外に樹々の密生した風景には出遭えなかった。どのくらい歩けば目的の森に辿り着くのか。もちろん、人の住む建物など影も形も見当たらない。
 ポイント0を歩き慣れていた彼らとは言え、さすがにこれには参ってしまった。何よりも、飢えと渇きを感じることが最も大きな要因だ。
「だめだ……もう、歩けないよ」
 先に弱音を吐くのは、いつも透。今回も例外ではない。その場に座り込んで動けなくなった。
 珍しいのは紫音も弱音を吐いたこと。
「ちくしょう。こんなところで野垂れ死になんざ、洒落にもならねえ」
 声に力がない。地面に横になると、彼も動かなくなった。
 棘草の草原は途切れ、乾いた土の空き地が広がる。地平線には起伏などなく、山がなければ川もないと思われた。
『ふたりとも、しっかりしてよぉ』
 クリスは石の精なので飢えも乾きも感じない。しかも本体は意識の塊なので身軽なことこの上ない。実に羨ましい限りだと、透も紫音もぼんやりと思う。
「ああ、どうしよう……クリスが食べ物に見えてきそうだ……」
 クリスの姿は、見る者が見たいものに見えるのだと前に言っていた。
『透ったら。悪ふざけはやめてよ』
「心配するな。おまえなんか食ったって、腹の足しにもならん」
 クリスはかちんと来たが、今の紫音はいつもの彼ではないので、とりあえず反撃は我慢することにした。尤も、彼が弱っている時こそ反撃のチャンスだったかもしれないが。
 突然、紫音が身じろいだ。地面に耳をつけ何かを窺っている。
「どうしたの?」
「静かにしろ」
 彼はしばらくそのままでいたが、唐突に立ち上がると、ある方向を目指して動き出した。
「水だ」
 反射的に透も立ち上がり、紫音の後を追う。
 空き地の片隅が緩やかに下っている。獣道ができているので下に降りられるのだろう。闇の中を暗躍していただけあって、紫音は耳も鼻も利く。下に降りたところで、透にも微かにせせらぎの音が聞こえてきた。
「なるほど。俺たちは崖上を歩いていたようなもんだったのか」
 そこには木々も草も水もあった。今まで歩いて来たところとは別世界だ。
「崖の上だという意識がなけりゃ、下に何があるかはわからねえもんだな」
 密生する木々や草むらの間に、申し訳程度の小川が流れている。
「川だっ!」
 一も二もなく透は飛びついた。紫音が叫ぶ。
「おい、待て! 飲めるものかどうか確かめてみないと命に関わるぞ!」
 紫音の言葉は間に合っていなかった。透は既に、川の水を掬って飲み込んでしまった後だ。
「何てことを! 全くおまえってやつぁ……」
「大丈夫だよ、紫音。無味無臭、しかもこんなにキレイな水だよ。今のところ生きてるし、危ないものじゃないって」
「阿呆ぅ! 体当たりで毒見なんざ、するんじゃねえ。何処までも警戒心のないガキだな、全く」
 憤慨する紫音に、クリスが補足説明を入れる。
『ホントに心配いらないわ、紫音。透はもう《場》を味方につけているもの。彼の命に関わるなら、《場》の方が透に危険信号を送るはず。それがなければ、ここら辺りは危険じゃないってコトよ』
「《場》が味方をしてくれるだあ? はっ、そりゃ便利なこった! だったらサッサと水でも食い物でも、自分で出しちまえば良かったんじゃねえのか」
『ちょっと! ここはポイント0じゃないんだから、透だって力が出しきれないわよ! だいたい何よ、水だの食べ物だの。結界を張れる程度の力で物体を出せるとでも思ってるの?』
「……ごめん」
 紫音の言葉より、クリスの言葉の方が堪えた。自分の力がこんな時には何の役にも立たない。その事実が、急に重く圧し掛かって来た。
 力なく詫びる透の姿に、紫音もクリスも内心ひどく慌てた。アマンダを失って以来、彼が、懸命に明るく振舞おうと努力していたことを知っていたからだ。少なからず透に救われていたことを、紫音もクリスも実感していたのだ。
「何て顔で謝ってんだ。おまえのような危険探知機がいれば、今後、ヤバイものに当たらなくて便利だろうが」
『紫音ったら! 追い討ちを掛けるような事を言ってどうするのよっ』
「………」
 透は無言のまま、紫音たちを見つめる。
「おまえを責めてるんじゃねえ……いや、責めてるのかもしれんな。だが、それはおまえの無謀な行為を責めてるだけで、おまえ自身を責めてるわけじゃねえんだ。頼むから、二度とあんな軽はずみな事はするな」
 その時、唐突に悟った。
 紫音は、守る者を失うことを怖れている。
 漠然とだが、彼の意識が透の意識に流れ込んだ。瞬間、より一層、紫音が身近に感じられた。
「ごめん、もうしないから。……心配かけて、ホントに、ごめん」
 照れ臭いのか、不機嫌に紫音はそっぽを向いた。クリスは透の肩に飛び乗ると、
『ごめんね、透。あの、悪気があったわけじゃないのよ』
 と、耳と羽を垂れる。
「わかってるよ。そんなの、わかってるって」
 透が微笑むと、紫音もクリスも安堵した。
 
 透が安全だと言うので、側の木に成っていた実を貪りながら、紫音は終始無言で背を向けていた。
 彼が何も言わない時は、何かを考え込んでいる時だ。それはわかってはいるのだが、気になって仕方がない。声をかけてみようかと透が身じろいだとたん、
「この川を下ってみるか」
 背を向けたまま言う。
「川を下る?」
 紫音は振り返ると、いつもの様子で、
「川が流れるところには人も集まる。水は生きていくのに不可欠なものだからな」
 確かに。ここ暫くの間で透はそのことを痛感した。彼の言う通り川を下って行けば、ジプシー以外の人にも出会えるに違いない。
 空腹は木の実などでは治まらないが、とりあえず、水だけはたっぷりとある。川沿いに歩きながら、彼らは川下を目指した。
【面影】へ続く
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