わな
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 最初は小さな玉だったものが、それなりの大きさを保てるようになった。一度コツを覚えるとそれから先は早いものだ。透の要領の良さは全てに於いて表れる。
 それでも随分と時間がかかった。
 その間、アマンダとクリスは透たちと共に過ごし、紫音は数え切れないほどの言葉をアマンダと交わした。透が挫けそうになるとアマンダが励ましてくれる。彼女の存在は彼らに未来を信じさせてくれた。
 暗い悲愴感に包まれていた岩穴の洞窟は、彼女たちの出現と同時に、柔らかい光に溢れたものに変わった。アマンダが見せる未来のビジョン。彼女は記憶だけでなく、希望も具象化できるようだ。
 彼女たちは、透にとっても紫音にとっても守るべき存在となっていた。今となっては欠くことのできない、かけがえのない仲間。精魔から自由を勝ち取るために、彼らは絆を深めていった。
 この頃では掌に球体を現すこともなく、結界球を作り出せるまでになった。敵に悟られないためには結界球に形があってはならない。最初は半透明の球で、それから完全な透明体を作れるほどになり、やがて輪郭を消し、ついには気配をも消せるようになった。今では手を動かさなくても結界球を生み出すことができる。
 それと同時に、精魔の結界の外側に結界を築くことも学んだ。岩穴の外側に結界を張り、透が作り上げた《場》である荒野中を、取り巻くように張り巡らせる。そうすることで、精魔のテリトリーを囲んだ形となった。既に荒野の全てが透の結界内だ。
 その中ではクリスも安心して本体を現せる。
 荒野を徘徊する時は必ず、クリスは透の肩に乗っかっていた。クリスの抜けたアマンダは、紫音の側を離れない。紫音は相変わらず先頭を行く。
 不思議なことに、いつの間にか紫音にも、クリスが透の言う小動物に見えはじめていた。それは、守る者ができたことで紫音の心の足枷が外れかけているのか、クリス自身が望む姿になりたがっているのか、彼にもわからないが、本当のところは両方なのだろう。そう思い、振り返ると、透の肩の上でクリスが小首を傾げた。
『きっとそうよ』
 クリスが言う。紫音はまた心を読まれたのかと思ったが、矛先は別の方へ向いていた。
『精魔はこうなることを怖れていたんだわ。透が力に目覚めること、それが一番の恐怖だったのよ。だから透を中継して結界を広げたなんて、いい加減なことを言ったんだわ』
 透は立ち止まり、左肩に顔を向ける。彼の頬に子犬の顔をしたクリスが触れた。霧か靄に見えるので本体は気体かと思ったが、意外にしっかりとした感触がある。心地よいクッションのようだ。
「でも、今僕ができることは《場》を創り結界を張ることだけだ。他には何もできないよ。攻撃する力なんて僕にはないんだから」
『それで充分よ。いいえ、それが一番大切なことなのよ。後のことは私もいるし、紫音もいるから大丈夫』
「何だぁ? 俺をケツに持ってくるたぁ大した自信だな」
『だって、紫音の力がわからない限り、体を張ってもらうしかないでしょ。そしたら、透の次に重要な役目をするのは私だわ』
 肩の上で仁王立ちになり、つーんとそっぽを向く。紫音はもう前を向いて歩き出していて、背中で話しかけていた。
「ああ、わかった、わかった。それで? どうやってヤツを封印するんだ? 取り押さえたその後はどうするんだ?」
 とたんにクリスが縮こまる。
「思った通り、その先は考えてなかったんだな」
『だってぇ〜、アメリアから精魔を追い出せれば何とかなると思うのよ。精魔を封印するなんて私にはできないもの』
「けっ。やっぱり中途半端じゃねえか」
 クリスには返す言葉がない。透の肩で小さく丸まってしまった。
「しょうがないよ紫音、クリスは生まれたばかりなんだから。情報が少ないのはやむを得ないだろ。僕たちはその少ない情報で何とかするしかないじゃないか」
「阿呆ぅ。情報は多ければ多いに越したことはない。相手を良く知りもしないで闘うなんざ、死に急ぐにも程がある。精魔というのがどれだけの力を持っているのか、俺たちの記憶だけでは計り知れないだろうが」
 クリスはますます丸くなる。
「アイツのあの力を完璧に封じなければ俺たち全員がやられちまうぜ。大体お嬢ちゃんの体からアイツを追い出すったってどうやってやるつもりだ? 悪魔払いみたいな訳には行かんだろうが。体を傷つけたりしたらお嬢ちゃんが元に戻れなくなる、そうじゃないのか?」
 紫音が悪魔払いを知っていることが驚きだ。彼の世界でも悪魔がいると信じられていて、牧師が聖水で悪魔払いを行ったりするのだろうか? そう言えば精魔のことを最初に魔女と言ったのも紫音だ。思いの外、彼の世界は透の世界と似たような発想を持つのかも知れない。
『ダメよ! ダメダメ! アマンダの体は絶対に傷つけないで! それと精魔の目を見てはダメよ。あれはかなりの曲者だから』
「見なくても見られたらどうするんだい? 僕の場合、僕があの子の瞳を見ていただけじゃどうってコトなかったと思う。あの子が僕の額を見つめていたから衝撃を感じたんだよ。見られたら逃げ回らなきゃならないってコトかな?」
「見られないように取り押さえりゃいいのさ。だが、その後はどうする? 傷つけられないならどうやればいい? アイツが反撃に出たらこっちも手加減はできねえ。相手は五歳の子供の体だぞ。間違って殺っちまったらどうする気だ?」
 何気なく怖いことを言っているが、本心からでないことを透は心得ている。
『やーね、もう。コワイこと言わないで。そりゃあ、多少締め上げるのはやむを得ないことだろうけど』
 クリスも何気にコワイことを言っている。
『そうねえ、アメリアが自分を取り戻してくれさえすれば、それでいいと思うのよ』
「どういうことだ?」
 紫音が立ち止まり、振り返る。
『精魔は人の心の弱い部分に巣食うのだと聞いたわ。だからアメリアが自分を取り戻し、心の弱さを克服したら、精魔は憑いていられなくなるんじゃないかしら?』
「つまりは説得技ってコト?」
 透も立ち止まった。
『そうなるわね』
 何とも悠長な話だ。精魔相手に緊迫した状況で、そんな時間のかかることをしていられるのか。
「ねえねえテディ。アマンダもおてつだいする」
 それまで紫音の側を歩きながら、何度も振り返り、クリスが丸くなるのを面白そうに見ていたアマンダが言った。
『ダメ! アマンダは危ないから離れていなくてはダメよ!』
 クリスの口調が思わぬ強さだったので、アマンダは怯えて硬直し、涙ぐむ。
「テディ、こわい……紫音おにいちゃまあ」
 そして、紫音に取り縋り泣き出した。
『ゴメン、ゴメンね、アマンダ。泣かないで。私が悪かったからぁ、お願い泣かないでよぅ〜』
 クリスも泣き出したと見える。涙こそ出ていないが石の精も泣くことがあるものなのか。というより、クリスは精と言うには余りにも人間味があり過ぎる。生まれて最初の宿主が人だからだろうか。
 そんなクリスにちらりと視線を寄越すと、
「テディ……もう、おこらない?」
『怒ってなんかいやしないわ。アマンダのことが心配だっただけよ』
「じゃあ、テディも、もうなかないで」
 涙に濡れた瞳でにっこりと笑う。
 クリスはほっと胸を撫で下ろした。
 どうやらクリスの弱点はアマンダらしい。クリスとアマンダは精神の波長が一致しているので、ひと方ならぬ想いがアマンダに対してあるのだろう。
『ああ、心臓に悪い。アマンダを危険に晒すなんて冗談じゃないわ』
 クリスが薄蒼い光を発した。人間で言うと青ざめたというところか。石の精の何処に心臓があるのかわからないが、やはり人間くさい言い方だ。
「いや、いい方法かもしれんぞ」
 その場に佇み、アマンダを見つめる。紫音はアマンダに向かって言った。
「お嬢ちゃん、おまえが姉さんに呼びかけるんだ。おまえの呼ぶ声が、一番効果があるはずだ」
『何てこと言うの紫音! 精魔にアマンダを近づけるなんて絶対にダメよ!』
「うるせえ、黙ってろ!」
 紫音の一喝が飛ぶ。クリスにはもう何も言えなかった。
「いいか、アマンダ? おまえが姉さんに呼びかけるんだ。アマンダのところへ帰って来て、とおまえが姉さんに伝えるんだ。おまえの心からの叫びをアメリアが聴かない訳がない。そうだろう? アメリアにはおまえしかいないはずだからな。どうだ、やるか?」
 無言のまま紫音を見上げ、次にクリスに目を移す。
「テディ……」
 クリスが反対の意を唱えてぷるぷると蠢いた。
 だが、アマンダの答えは決まっていた。
「わたしやる。おねえちゃまによびかける。おねえちゃまからわるいのをおいだすために、アマンダがおねえちゃまによびかけるわ!」
『アマンダ!』
 アマンダを止める事は誰にもできない。アメリアを想う気持ちはこの中で一番強いのだから。
「クリス心配しないで。僕が守るよ。アマンダの周りに結界を張って、僕がアマンダを守るから」
 クリスを安心させようと頬ずりをする。小さな体が不安そうにぷるぷると震えた。
「それでいい。行くぞ」
 紫音が先に立って歩き出す。アマンダは彼を追いかける。そしてクリスを肩に透。いつもの順番でいつもの徘徊が続く。
 荒野は透の手の内に入ったのに、戻り行く場所は変わらない。流浪の果てにあるものは、足元にぽっかりと口を開けた巨大な岩。精魔の呪縛は何処まで透たちに付き纏うのだろう。
 
 
 ピンク色に体を発光させて、クリスが精の力を振り絞る。精魔の気配を探しているのだ。
 洞窟の中心にできた透のテリトリーに結界を張り、徐々に入口へと広げていった。これだけ己のテリトリーが狭まったにも関わらず、精魔は現れる気配を見せない。まるっきり透たちに危機感を感じていないのだろうか。
 透の結界の中では、クリスは驚くほどの力を発揮できた。そのクリスのアンテナにさえ引っかかって来ない。おまけに、クリスがサーチできる範囲内にあるどの世界にも、精魔の影も形も見当たらないと言うのだ。
『どう? 透は感じる?』
「全然」
 透の肩の上で小さな体を丸め、深く溜息をつく。そのまま膝の上にひらりと降り立った。
『しようがないわね、おびき出しましょう』
「簡単に言うけど、どうするつもりなんだい?」
 クリスは紫音を見上げた。
『精魔にとって一番重要な存在は紫音だわ。と言うことは、紫音がポイント0からいなくなれば大慌てよね。紫音は力が強いから、精魔の結界外にいても気配を感じられるのだと思う。だから精魔の結界内にいながら紫音が気配を忽然と消してしまったら、ヤツは慌てて飛んでくると思うのよね。紫音の気配を最初から消しておけば不意打ちにも便利だし』
「どうやって気配を消すの?」
『紫音の周りに別の《場》を創って、透と私で念じるのよ。もちろん紫音も念じなければダメよ。自分の気配を押し殺すんだからね』
 紫音は額に手を当て考える。
「俺でも念じれば何とかなるのか?」
 すると、ちょっと馬鹿にする言い方で、
『当たり前じゃないの、あなただって曲がりなりにも力を持っているんだから。ぜーんぜん自覚がなくったって何とかなるわよ。そんなの透で立証済みでしょ』
 と言った。クリスは一度でいいから紫音を負かしてみたいのだ。
 が、当の相手は嫌味な物言いを全く気にせず、
「何でもいい。ヤツをおびき出せるのならな」
 と立ち上がった。やる気が漲っている。
 いよいよ事を起こすに当たり、透たちは精魔の結界内に移動した。入口付近の周辺が一番、結界の力が強い。
 クリスが作り出した地場球の中へクリスとアマンダ。紫音の周りは透の地場球で固める。どちらも透たちがお目にかかった最初の地場球とは違うものだ。目には見えず自由に動ける。
 透とクリスが球に念を送った。紫音はその中で、自分の気配を消すべく一心に念じる。
 誰も言葉を発しない。誰もが皆、精魔の気配を感じ取ろうと毛を逆立てた。
(本当にこれで、紫音の気配を完全に消せたんだろうか?)
 疑念を感じた直後、透の意識の中に、ざらりとした嫌な感触のものが流れ込んできた。
「来た……!」
 透の一言で、全員がより一層感覚を研ぎ澄ませた。嫌な感触がだんだん強くなってくる。それは入口に向かって立つ、透の真正面に集中していた。
 彼らは計画通りにポジションを取る。透はそのまま精魔の気配に立ち向かう。紫音は入口の右、クリスたちは左。精魔を中心に三角に囲う形で、それぞれの位置に散らばった。透以外は岩陰などに身を潜めた。紫音は己の気配を消すことを念じながら。
 透は意識を集中する。アマンダに、クリスに、紫音に結界を張るために強く念じた。
 気配はますます強くなる。徐々に映像が現れはじめた。ゆらゆらと揺れる幼い少女。紛れもなく赤い魔女の姿。
 透は更に意識を集中する。次はこの魔女を結界球の中に閉じ込めなければならない。
 だが、その禍禍しさは今までの比ではなかった。ビジョンだけではない本体の証か。並外れた力の圧迫感。息苦しいまでの邪悪さが、辺り一面を覆い始めた。
 透は懸命に力を込めた。
(まだだ……まだ足りない……)
 揺れていた映像がはっきりとした形を取った。赤い魔女が透の前に立ちはだかる。
「透……紫音を何処へやったの?」
 無言のまま懸命に力を込める。
「答えなさい、透! 紫音を何処へ隠したの!」
(今だ!)
 目には見えないが、透は真っ直ぐに精魔に向けて結界球を放った。
「おまえは! もう力を操ることを覚えたのか!」
 赤い魔女は明らかに狼狽している。
 だが結界球に封じてもなお、その邪悪さは衰えない。小さな体から発せられる激しい波動。それは透を圧迫する。本当に、精魔の力より透の方が上なのだろうか。
 赤い魔女の瞳が妖しく燃え始める。その瞳は躊躇なく透に向けられた。
【解放】へ続く
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