ひかり 光 |
岩が発光している。明らかに洞窟の光源はこの岩の群れだったのだ。 「中は広いのね」 クリスは人間の少女の姿で、ずかずかと奥に入っていく。 「おい、本当に大丈夫なのか。ヤツに気取られないだろうな?」 彼女は不機嫌に振り返った。 「や〜ね。あんなおマヌケな精魔と一緒にしないで! いくら生まれたてだからって、私は自分の気配を隠すこともできない中途半端な精ではないわ」 「ふん。へなちょこのくせに一人前の口を利くぜ」 それを無視して更に奥へ向かう。半分以上事実なのを本人も自覚していた。 透と紫音が寝床に使っている場所に来ると、彼女の顔が綻んだ。 「ああ、ここは……」 この場所は精魔の結界の中にありながら、何処か空気の流れが違う。クリスは一瞬でそれを察知した。 「ここは完全に透のテリトリーになっているわ。でも、精魔の結界って意外と狭いのね」 「そんなことないよ。あの子は僕を中継しているから結界の範囲が広がったって言ってたんだ。次元の嵐が来ないところは、全部あの子の結界内じゃないのかい?」 彼女は首を傾げ、考え込む。 「それはおかしいわ。まさかとは思うけど精魔は気がついていないのかしら? もしかして、透たちに悟られては困るのでわざとそんなことを言ったのかしら?」 「どういうこと?」 「精魔が《場》を創り結界を張っているのはこの岩穴の付近だけってコト。外側は全部、透のテリトリーだわ」 「え?」 「おまけに他の結界の中にまで、あなたは自分のテリトリーを創ってしまっている。精魔の力より透の方が遥かに上ってコトよ」 「そ、そうなのかい?」 何だか気恥ずかしいものだ。これまで平凡な高校生をやっていたので、自分に特殊な力があるなどと考えたこともない。事実を目の前にぶら下げられても俄かには自覚し難かった。大体、回りが大騒ぎしているだけで透は何もやっていないではないか。 「透はこの洞窟を全部自分のテリトリーにすればいいわ。それで外側に結界を張れば、精魔の結界を狭めることができる。きっと精魔の気配も感じられるようになるわよ」 いとも簡単にクリスは言う。 「でも、どうやればいいのかわからないよ」 「あら。思うだけでいいのよ。念じ続ければそれでいいの。結界を張るにはそれなりの練習が必要だけどね」 それだけ言うとクリスは、見た目は岩がゴロゴロ、その実体は公園の芝生という透のテリトリーに座り込んだ。 「おい、俺は何をすればいい? 黙って見ているのは性に合わないぜ」 立ったまま腕組みをして紫音は言う。透もその後ろに立ったままだ。 「二人とも立ってないで座ったら? 落ち着いて話もできないじゃないの」 促されて大人しく座る。 「そうね。紫音の記憶によると精魔は感応術を使うようね。つまりは精神に直接作用する力なんだけど、どうやら大した力でもなさそうだわ。あなたは不意打ちが得意みたいだからアイツを取り押さえるのを手伝って。精魔の力は私が封じるから」 「任せろ。格闘戦は得意だからな」 紫音がにやりと笑う。闘い慣れている顔だ。喧嘩をしたこともない透には、計り知れないものがある。 「だがそう簡単に行くか? アイツは別の世界にいて、ここにはビジョンを送って俺たちに姿を見せているらしい。本体がなきゃ捕まえようがねえな」 「でも、いつかはここに本体を現さなきゃならない時が来るわ。でなきゃおびき出せばいいのよ。まあ、ここ暫くは姿を現さないみたいだけどね」 「何故わかる?」 クリスはちらっと一瞥をくれると、 「時を超えてみただけよ」 と言った。紫音は矛盾に気がついて即座に返す。 「おまえ、ここには時間の流れはないって言わなかったか?」 「あー、またおまえって言ったぁ! もう! 何度言ったらわかるのっ、私はクリスだったらっ!」 彼は辟易して声を荒げた。 「うるせえ! いつまでもくだらねえ事にこだわってんじゃねえ! さっさと説明しろ」 透を盾にしながら紫音を睨む。口が減らない割には臆病な精だ。 「さっき自分で言ったじゃないの。アイツは別の世界にいるって。その通りよ。あなたに言われるまでもなく私にはわかっていたわ。だからビジョンの残像を追って精魔がいる世界をサーチしておいたの。そこには時の流れがあったわ。で、近未来に渡って精魔の行動を追っかけてみただけよ。当分ここに来ることはなさそうだったからそう言ったの。これで説明になったかしら?」 「いつの間に時を超えやがった? ずっと俺たちと一緒にいたのに」 確かに。石の精と出逢ってから、彼女が二人の側を離れたことはない。 「言い忘れたわ。私が時を超えることができるのは精神だけよ。元々宿主がいないうちは精神の塊なんだから、体ごと時を超える必要はないんだもの」 そう言えばクリスが考え込む時、時折ネジが切れたように固まったままのことがある。その時に時間を操っていたのか。 「じゃあ君は、僕たちを連れて時間を超えることはできないんだ」 「精神だけならできるわよ。置いてきぼりの本体の保証はできないけど」 「役に立つのか立たねえのかわからん力だな」 とは言うものの、ある程度役に立っているのは事実だろう。クリスのおかげで赤い魔女がここには当分来ないことがわかったのだから。彼らはその間にできるだけの準備をしておくことが必要だ。 「ま、気長に行きましょ。その間に透は結界を張る練習をすればいいし、センエツながら私が指導するわ。その時はアマンダの相手をヨロシクね、紫音」 「何ィ?」 アマンダの相手とはいったい……? 答えはすぐに判明した。 結界を張る指導をする間、クリスは人間の体を離れ透につきっきりになる。必然的にアメリアの姿をしたアマンダが残される。 となると、相手の中身は五歳の子供だ。じっとしている訳がない。そこで手の空いている紫音が相手をしなければならない、という事だったのだ。 「冗談じゃねえぞ、まったく」 とは言うものの、彼らの計画を成功させるためには透の結界は不可欠だ。透の訓練がはかどらないと、それだけ計画の遂行が遅れることになる。 アマンダはやはり子供だ、泣いてばかりではない。精魔に悟られないようクリスが用意した地場球の中を、物珍しそうに走り回る。透がやっていることも物珍しく覗き込むので気が散って仕方がない。 「しお〜ん」 紫音は憮然とした表情で、 「おいお嬢ちゃん、おまえの相手は俺だ。こっちへ来い」 と指で手招きをする。 アマンダは素直に紫音の前に来た。長いスカートをたくし、中世の貴婦人のように丁寧にお辞儀をする。本物の姿だとさぞかし可愛らしいのだろうが、アメリアも美しい少女なのでそれなりに愛らしい。 「おにいちゃま、おなまえは? わたしはアマンダです」 顔を上げ、にっこりと紫音を見上げる。 「俺は紫音だ。何でもいいから座れ、お嬢ちゃん」 言いながらその場に座った。アマンダもつられてきちんと座る。どうもこの姉妹は上流階級のお嬢様達らしい。物の言い方や仕草の端々にそれが表れている。 「紫音おにいちゃま、あちらのおにいちゃまはなんておなまえ?」 「透だ」 姿と中身のギャップに少し戸惑いながら答えた。 「紫音おにいちゃまと透おにいちゃまはとてもつよいんですって? おねえちゃまをたすけてくれるのでしょ? テディがそういっていたの」 「テディ?」 「あれ。わたしのクマさん」 アマンダが指差す先には石の精、クリスの本体があった。 「クマ、だと?」 「そう。わたしのいちばんのたからもの。おねえちゃまがくれただいじなテディ」 紫音には少女の姿に見えるように、アマンダにはクリスが宝物のぬいぐるみに見えるのだ。 そのテディと呼ばれた石の精は、懸命に結界技を指導している。 『そうやって掌で球の形を作って、そこに球があるのだと強く念じて』 言われるままに念じる。何度も失敗を重ねているが、その度に何かが変わりつつあるのを、透は微かに感じていた。 「……こう、かな?」 球体を心に描いて強く念じる。透の手の中にぼんやりとした光が宿った。 『やったあー。できたじゃない』 安心して気を抜くと、光はすぐに逃げていった。 「あ、あ……まだ球体にもなってなかったのに」 『焦らない、焦らない。最初から完璧にできる人なんていないわよ。さ、もう一度念じて』 クリスの励ましを受けて再度挑戦する。薄ぼんやりとした光は、やがて青みがかった半透明の球体に変化した。 『すごいわね、透。もうこんなことができるようになるなんて。やっぱり半端じゃないわ、あなたの力は』 透は俯いて深く息を吐く。 「でも、まだまだ序の口なんだろ? これは結界球でも何でもないもんな。先は余りにも長いよ」 『まだ始まったばかりだもの、この程度でも上出来よ。少し休みましょう』 それまで透たちを見守っていたアマンダが問う。 「透おにいちゃまはなにをしているの? おほしさまをつくっているの?」 セリフが実にメルヘンチックだ。だが、紫音は忍耐強く付き合った。 「アイツはおまえの姉さんを捕まえる練習をしてるんだ。あの玉におまえの姉さんを閉じ込めて悪いヤツを追い出すのさ。もっとも、あの大きさだとお話にもならねえな」 「あのみどりいろのわるいのをおいだしたら、おねえちゃまはほんとうに、もとのおねえちゃまにもどるの? そうしたらアマンダとずっといっしょにいてくれる?」 心もとない様子で紫音の顔を見上げてくる。 「心配するな。精魔さえ封印すればおまえの姉さんは元に戻る。正気になったらおまえを一人ぼっちにさせておく訳ないだろう。また二人で前のように暮らせるはずだ」 言いながら、つくづく無責任だと思う。 考えてみれば、彼女たちが元に戻れる保証など何処にもない。自分たちですらそうなのだ。増してや失ったものを取り戻すことなど、時を遡りでもしない限り無理だ。父も母も住んでいた場所も、彼女たちには残されていない。 紫音は自嘲気味に笑う。似合わないことを言ったと後悔した。 「紫音おにいちゃま」 アマンダが、彼の手をそっと握り締めた。 「おねえちゃまはね、とてもやさしいけど、アマンダがいなきゃだめなの。アマンダはおねえちゃまのささえなのですって。アマンダがそばにいなきゃ、おねえちゃまはたおれてしまう。だからアマンダがおねえちゃまをまもってあげるの。……だって、もうおとうちゃまもおかあちゃまも、きっとかえってこないから……。でも、アマンダにはおねえちゃまがいるわ、おねえちゃまにはアマンダがいるもの。だから、おねえちゃまがそばにいてくれるだけでいいの」 五歳の子供が大人びた事を言う。しかも、驚いたことに現実をしっかりと認識していた。アマンダは幼いながらも、現実から目を背けず、過酷な現実に立ち向かおうとしている。むしろ弱いのはアメリアの方だろう。彼女が自分を見失わなければ、ひょっとして精魔に取り憑かれたりはしなかったのではないか。 紫音はまじまじと少女を見た。思わぬ言葉が口を突いて出てくる。言わずにはおれなかったのだ。 「子供が余計な心配をするな。必ずおまえの姉さんを助けてやる。首尾よくおまえたちが元に戻れたら、新しい故郷を探しに行こう。おまえたちの故郷はもう何処にもないからな。だが安住の地は、探せば必ず見つかるものだ」 紫音らしくはないが、心からの言葉だった。 アマンダは安心して無邪気な笑顔を見せる。彼の手を握り締めたまま、微笑ましい事を言った。 「おねえちゃまがもとにもどったら、紫音おにいちゃまのところへつれていって。そこでおねえちゃまと紫音おにいちゃまと透おにいちゃまとテディと、みんなでくらすの。おおきくなったらアマンダが、紫音おにいちゃまのおよめさんになってあげる」 それもどうかと思う。 紫音の世界はこことは違う意味で混沌としている。命の保証などこれっぽっちもできないのだ。透の世界の方が遥かにいい。 だが、今は笑って頷いておいた。 「早く大きくなれよ」 アマンダが嬉しそうに笑顔を返す。 アメリアにとって、いや他の誰にとっても、この少女は希望の光だったに違いない。無邪気なことを言い、幸せな夢を見る。後ろ向きではなく、前に広がる現実をしっかりと見据えて。 誰もが少女を愛し慈しんでいたのだろう。それは逆に、少女から希望の光を与えられたからではないだろうか。人を励まし勇気づける光。守られるべき小さな存在の少女が、誰よりも力を持つ大きな存在になっていたのではあるまいか。 紫音もアマンダの持つ希望の光に感化されたのだろうか。守るべき者が増えたと思った。 守る者が増えれば、それだけ紫音は強くなる。そして、その重みの分だけ責任を感じてしまうのだ。忘れられない過去の傷。今でもその責任を背負ったままだ。クリスが少女の姿に見えるのも、そんなところが原因なのかもしれない。 二度と同じ過ちは繰り返さない。そう思い、彼はアマンダの手を握り返した。 アマンダの背中の向こうでは、もう一人の守るべき存在が懸命に結界を張る訓練をしている。透の手の中に生まれた球は、へろへろと宙を舞い、下に落ちて消えた。 これは長くかかりそうだ。 【罠】へ続く
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