しんげんかい
心現界
0の地点ロゴ
 石の精によると、心現界というのはあらゆる意識の融合した世界――精神の力で築き上げられた世界だという。心を現す世界と書いて《しんげんかい》と読む。
 では、形のない世界、バーチャルな世界かというとそうでもないらしい。現実として認識できる形があり、れっきとした国として存在する世界なのだそうだ。
 だが石の精の知識は中途半端で、生まれたての精だという話がなるほどと頷けるほどだ。どこまで信憑性があるかは実際に見てみないと何とも言えないが、それ以上に知識のない透たちがとやかく言える状況ではない。
 透たちが閉じ込められた混沌とした空間のことを、心現界では《ポイント0》と呼ぶのだと言う。無であって有である。全ての要素があり何もない空間。ここから始まりここで終わる。あらゆる世界の入口があり出口がある場所。無であるからゼロ、全ての始まりだからゼロ。
 驚いたことに、このような空間は、実は世界の到る所にあるのだそうだ。
『意外と知られていないけど、あらゆる世界に存在するものなの。よく神隠しとか云われるもの、或いは類似するもので、人が突然いなくなったりってコトあるでしょ? あんなのはピンポイントに存在するこういう空間が原因だったりするのよ』
「そういうのが到る所にあるのか。物騒なこった」
「地球で言う神隠しってのはそういうのが原因だったんだね。みんなどこかの次元に飛ばされてしまったってコトだよね?」
 透の質問に石の精は頭を捻る。
『どこかの次元に飛ばされたかどうかはわからないわね。先輩に聞いた話だけだから実態調査はしていないもの。普通の人間だったらどうかなぁ、生き残れるのかしら? でもアマンダのように、次元の狭間に取り残されても心現界に来ることができる人たちもいるけどね』
「普通は無理なの? アマンダは運が良かったってコトなんだね」
『違うわよ。力があったってコトよ。アマンダは並外れた精神力の持ち主なのよ。だから心現界が手助けをしたんだわ、きっと』
 場に力があるだの世界が手助けをするだの、ここに来てからというもの、いちいち透の常識の枠外に位置する話が飛び交う。だが、既にそんなことで戸惑う彼ではなかった。むしろ紫音の方が自身の常識を捨て切れないでいるに違いない。あぐらの上で頬杖を突き、懸命に頭の中で先ほどからの話を反芻している。
「心現界は精神力が強い人に味方するものなのかい? まるで世界そのものが意思を持っているみたいだね」
『心現界、というより心現界の長老たちね。心現界には七つの門があり、そのそれぞれに三つの扉があるそうよ。おまけにその扉のひとつひとつに強力な精神力を持った番人がいて、心現界に災いを成す者は決して通さないんだって。その強固な門に守られた心現界の奥の奥に長老たちがいらっしゃるそうだわ。私たちの仲間は誰も見たことがない。私たちは心現界のほんの入口にある聖なる泉で生まれるから。私たちのような下の階級の精には、心現界の奥へ行くことなど到底有り得ないことなのよ』
「なるほど。おまえは下っ端の精だったわけだ。どうりでへなちょこな力しかないと思ったぜ」
『あなたって本当に意地悪な人ねぇ、紫音』
「余計なお世話だ。それより気になってたんだが、俺たちを飲み込んだこの得体の知れない球体は何なんだ? さっきの記憶の玉といい、おまえは訳のわからん技を使う」
 ちょっと得意になって石の精が言う。
『さっきの記憶球はちょっと失敗だったけど、この地場球はなかなかのものでしょ? これは心現界の擬似空間を造りだす玉よ。本当の心現界っていうのは七つの門の向こう側だけで、それ以外の心現界は全て類似空間なの。私たちはそこで生まれたから別の次元や世界に擬似空間を生み出すことができるのよ。私の場合、まだまだ広範囲には無理だけど』
 紫音が胡散臭い顔になった。
「で? 何で俺たちはこんな玉に閉じ込められなきゃならねえんだ?」
『あら。だってポイント0に私がそのままの姿を現したら、アメリアに、と言うより精魔に私の存在を知られてしまうわ。私が精魔を感知できるように精魔も私を感知できるはずだもの。だからまずいと思って擬似空間にあなた方を招待したのよ。この地場球には私の結界が張ってあるから、精魔に悟られることはないわ』
「ふん、ずいぶん強引な招待だな。ところで、よくも長々とおまえらの身の上話を聞かせてくれたもんだが、いい加減ここから出してもらおうか。俺たちはおまえらを助ける義理もなければ、おまえらを信用した訳でもない。おまえが精魔とやらの仲間で罠を仕掛けていないとも限らんからな」
 石の精は急に萎れたように俯いてしまった。透の膝の上で眠るアマンダに乗っかると、ピンクの気体になり彼女を包み込む。そして、少しずつその姿に染み込んでいった。
 アマンダが目を覚ます。それは五歳の幼児から、一見年相応に見える最初にお目にかかった少女に戻っていた。少女は明らかにがっかりとした眼差しで二人を見つめる。
「残念だわ。私たちのことわかってくれる人達なら助けてもらえると思ってたのに」
「甘ったれるな。いきなり来て問答無用な扱いをしておいて、俺たちに信用してもらおうなんざ無理な相談だとは思わねえのか」
「……な〜んつって、最初っから『邪気は感じられないからアイツの仲間には思えない』って言ってたくせに」
 透がすかさず茶々を入れる。
 紫音は苦い顔をして、
「口の減らねえガキは長生きできねえぞ」
 と、拳を握り締めた。
「もういいわ。お騒がせしました、サヨナラ」
 少女が不機嫌に立ち上がる。
「ああ、さっさと消えろ。俺たちは、ここから出て行く方法を探すことで頭が一杯なんだ」
 歩き出そうとしていた少女が立ち止まった。意外といった表情で二人を振り返る。
「それは、精魔の結界から出たいってコト?」
「ああ。何だかわからんが元の世界に戻りたいだけだ」
「だったら、精魔を封印すればすぐに結界が解けるわよ」
 少女が事も無げに言う。
「何?」
「私たちがお願いしたいことはそれなのよ。精魔を封印するのに協力して欲しいってこと。そうすればアメリアは元に戻るに違いないと思って」
 脈ありと見たのか、少女はもう一度透の側に座り込んだ。
「へえ、じゃあ利害は一致した訳だね。君たちの問題は僕たちにも無関係ではなかったんだ。ねえ紫音、こうなると話は違うよね」
「ああ、そうだな」
 渋々ながら紫音も頷いた。
「だがたとえ結界を解いたところで、俺たちが元通りの世界に戻れるって保証はあるのか?」
 少女が思案の体勢に入った。腕組みをして考え込む。と思うと、透と紫音の顔を交互に見やってまた更に考え込む。しばらくして、やっと少女は口を開いた。
「あなた方は別々の世界からここへ連れて来られたのよね。精魔が私と同じ故郷を持つなら、類似空間の通路を使ったんだと思うわ。類似空間の通路を使えるのは私も同じ。精魔の辿った道を逆に辿って行けば、それぞれの世界に帰れるんじゃないかな?」
「あれ? 僕たち別々の世界からここへ来たなんて言ったっけ?」
「うふふ、私は石の精よ。紫音の心より透のほうが読み易いわね」
 透は石の精の力を失念していた。
「じゃあ君は、僕たちを元の世界に連れて帰れる力もあるんだね。すごい、見直したよ」
 急に少女が困った顔になった。
「えーとぉ……今すぐ、って言うのは無理かも。少し時間をくれないかしら? やったことないのよね一度も。人を連れて類似空間を通るのって……」
「けっ、頼りねえな。結局できないってことじゃねえか」
「違うわ。やったことないって言ってるだけ。だから時間をちょうだいって……」
「うるせえ。俺たちにそんな時間があるか。一刻も早く元の世界へ戻りてぇんだからな」
 彼女はきょとんと目を丸くする。
「あのー……もしかして、気がついてないの?」
「何がだ?」
「ポイント0には時間の流れは存在しないのよ。あなた方はここに来る前と、どこか変わったところがある?」
 言われてみればそうだ。透はもうずいぶんの間、飢えも乾きも感じない。紫音に至ってはどのくらいの期間、飲まず食わずなのか知れたものではない。
「知らなかった。じゃあ僕たちが元の世界に戻れたとしたら、ほとんど時間が経ってないかもしれないんだね?」
「それはどうかしら? わからないわ」
 ボケた答えを返す少女に苛立つ声が降ってくる。
「おい、時間が経ってねえからって落ち着くなよ。こっちは気分的には果てしない時間を過ごしたつもりになってたんだからな。独りでこんな訳のわからん場所に押し込められれば、時間の感覚なんざあっという間に無くなっちまうもんなんだよ。おまけに途中からこんな呆けた小僧の面倒まで見させるたぁ、あのチビは何を考えてやがるんだ」
 苛立ち紛れに、握り締めた拳をもう一方の掌に叩きつけた。紫音の手の中で軽快な音が響く。
「お言葉ですけど。ホントのところは透も紫音も別々に閉じ込められてたんだと思うな。だって、あなた方二人の意識の波長は恐ろしく良く似たパターンなんだもの。多分お互いが引き合って、別々だった結界が繋がってしまったんじゃないかしら。精魔もこんなことになってしまうなんて思ってもみなかっただろうけど」
 赤い魔女が再び現れたのはいったい何のためだったのか? もしかしたら予期せぬ出来事を確かめに来たのではないのか。
「そう言えばあのチビ、俺たちをもう引き離せないとか言っていたな」
 それ以外にも気になる言葉を残していった。その時から、透の心に重く圧し掛かる謎が巣食ってしまったのだ。
「あのさ、君は僕たちに協力してくれって言うけど、いったい何をさせたいんだい? 僕たちにどんな力があると思ってる?」
 再度、目を丸くして
「透。あなたは自分の力に全然気がついていないのね」
 と少女が呟く。
「僕の力? あの子も言ってた。僕の力っていったい何なんだよ?」
 一瞬の沈黙の後、少女は丁寧に説明してくれた。
「あなたは《場》を創ることができるのよ。どんな空間にもその精神力で《場》を創り上げることができる。それはとても重要な力よ。鍛錬を積めば結界も張れるようになるし、念じればもっといろんなことができるようになるわ。透がこの空間に《場》を創ってくれたおかげで私たちはココに来ることができたんだもの。本当なら、こんな場所に擬似空間を生み出すなんてコト、私にはできない。驚いたのは、あなた自身が気づいてもいなかったその力を無意識に使っていたってコトね。あなたには天性の素質があるに違いないわ」
「そうか、なるほどな。次元の嵐が来なくなったのも、風景に変化がなくなったのも、洞窟の中で透の周りだけが快適に変化するのも、おまえの力だったって訳か」
「僕は……何もしてないよ」
 どうにも意外で仕方がない。念じた覚えも何もないのだ。
「無意識のうちに思ったことを具象化できるなんて、透の力は途轍もなく強力なのかもしれないわ。あなただったらきっと精魔を捕えることができる。お願い。私たちを助けて!」
 少女が悲痛な顔で見つめる。困惑の余り言葉も出ない。おまけに紫音までが乗り気で、
「おい。おまえが本当にあの魔女を捕まえられるのなら迷わずにやれ。後は俺に任せろ。俺たちをコケにしやがった礼は、たっぷりとしてやるからな」
 などと言う。方針が180度転換しているではないか。
「そんなこと言ってぇ……僕より紫音はどうなんだよ。僕はあの子に危険人物扱いされたけど、紫音は必要とされてるんだろ? 僕なんかより紫音の力の方がすごいんじゃないの?」
「俺の力だと?」
 透は少女に訊ねた。
「君は僕の力を見抜くことができたんだから、紫音の力だってわかるんじゃないのかい?」
 少女が紫音を見つめる。彼の側までにじり寄り、あらゆる角度から見ようとした。
「じろじろ見るな。ぶっ飛ばすぞ」
 慌てて透の隣に戻る。
「確かに紫音からは半端じゃない波動を感じるわ。紫音の力は並外れて強力なんだと思う。でも、それがどんな力なのか今のところはわからないわね。まだ覚醒していないみたいだもの……何だか怖い。あなたの力は使い方を間違えると、とても恐ろしいことになるような気がする……」
 少女はそっと、透の腕にしがみついた。
「おまえ……ムカツクな。化け物でも見るような目で俺を見るな。ほんとにぶっ飛ばすぞ」
 青い顔でビクッと体を震わせると、
「うわーーーーーん!」
「泣き真似も止せ!」
 少女がピタッと黙り込む。が、次の瞬間にはあどけない表情でにっこりと笑う。
「だけど、あなた方が協力してくれるとわかって安心したわ。私にできることは何でもするから言ってね。だから必ずアマンダとアメリアを、元の二人に戻してあげて」
 どうやらもう、そういう事になってしまったらしい。透もこれ以上、拒むつもりはなかった。何よりも紫音がやる気になっている。
「そう言えば君、名前がないって言ってたよね?」
「ええ。生まれたばかりだし、すぐに先輩たちともはぐれてしまったから、名前なんてないの」
「名前がないと不便だよ。君を呼ぶのにも困るし。そうだなぁ……クリスってのはどう? 僕の世界では水晶のことを別の言葉でクリスタルって言うんだよ。君の本当の姿は、何だか水晶のようにキラキラしていたからね」
 人懐っこく笑う彼に少女は思わず抱きついた。少女――石の精は、透とはウマが合うらしい。
「心現界では水晶は最高の石とされているのよ。いつかは私もそれに宿りたいと思っていたの。とても嬉しい! ありがと透!」
 透は苦笑しながら紫音を見た。一応了解を取ってみたのだ。
「いいんじゃないか。喜んでるからそれで。名前なんかどうでもいい。それよりも」
 透にしがみつく少女に向かって言う。
「おい、おまえ。ヤツを捕まえるには、取りあえずどうするかが問題だぞ」
 きっとした表情で紫音を睨む。
「おまえって言わないで。おまえって言ったらもう返事してあげないから。私の名前はクリス。クっ・リっ・スっ・よっ!」
「うるせえ。ごちゃごちゃ抜かしてないで俺の質問に答えろよ。俺は意外と短気なんだからな。これからどうするんだ? おまえの考えを言え」
「………」
 少女は本当に返事をしなかった。
「止めた方がいいよ、クリス。紫音は歩く武器庫だからね。君は石の精かもしれないけど、アマンダがいるしその体は人間のものだろ?」
 実は、紫音が体中に武器を装備していることを、透は薄々感づいていたのだ。
 クリスは慌てて彼の質問に答える。
「えーっとぉ、えーっとね。先ずはこの姿の私を、精魔の結界の中へ連れて行って」
【光】へ続く
【萬語り処】 ← 感想・苦情・その他諸々、語りたい場合はこちらへどうぞ。
  前の話へのボタン 次の話へのボタン 『0の地点』目次へのボタン 水の書目録へのボタン 出口へのボタン