せい
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 風は凪いでいる。
 目前には既に見慣れた風景となった、岩だらけの荒野が広がるのみ。もはや次元の嵐はやって来ない。ここも結界の中ということか。
 広範囲を歩き回る二つの影。二人は黙々と日課の如く歩き回る。
 いや、日課と言うのはどうだろう。
 ここには朝も昼も夜もない。景色に何の変化も見られないのだから判別のつくはずもない。時間の感覚など今は皆無に等しい。疲れたら――体が疲れたらというより精神が疲れたら――眠り、それが夜。目が覚めたら、それが朝。そして、起きている間はずっと昼。それが彼らの一日だった。
 平坦ではない足場の悪い荒地。岩穴から遠ざかるために歩き回るにも拘らず、同じ岩穴にいつの間にか戻ってしまう悪循環。奥行きのわからない重苦しい空。いい加減うんざりする。
 ここには朝焼けも夕暮れも何もない。変化のない空間が天に広がっているだけ。透はそれを見上げ、初めて撮った写真を思い出す。近所の川に沈む何気ない夕陽、透の日常とは切り離せなかったはずの風景。つたない透の写真でさえ、今なら何よりも美しく感じられるに違いない。
「もう……」
 透が膝をついた。
「……もう、歩けないよ」
「疲れたか? 少し休むか」
 首を振る。
「……そうじゃなくて……もう……もうダメだよ。僕たちは永遠にここから出られないんだ」
「阿呆ぅ! 弱音を吐くな。アイツの思うツボだぞ」
「だって、だってそうじゃないか! もう数え切れないほど歩き回ってるのに同じことの繰り返しじゃないか! その度に希望を失うのが耐えられないんだよ!」
「俺はその何十倍も歩き回ってる!」
 透は口篭もる。
 そうだった。紫音の方が、より深い絶望感に苛まれてもいいはずだ。
「いいか透。あきらめてどうする? あの薄暗い洞窟で膝を抱えて座ってるのか? そうやってじっとしていれば何かが変わるのか? え? 何も変わるわけないだろうが。何かを変えようと思ったら自分が行動を起こすしかないんだ。自分を信じろ! あきらめたらお仕舞いだぞ」
 透は座り込み、唇を噛みながら、手をついた地面の砂塵を握り締めた。
「こうなったから言うが、俺はおまえを見捨てることはできねえ。俺と一緒にここを出て、おまえが自分の世界に戻れるまでは、側を離れるつもりもねえ。おまえは俺に関わったことで、俺はおまえに関わったことで、運命を共有することになっちまったんだからな」
「紫音……」
「だから、おまえが弱音を吐き出したらケツを叩いてでも連れて行くのが俺の役目だ」
「……!」
「わかったか? わかったらさっさと来い。置いて行くぞ、坊主」
「坊主……って……僕の名前は透! 子ども扱いするな!」
 透は立ち上がり、紫音の後を追った。
 
 
 何度目の徘徊だろう。相変わらずの渇いた景色。麻痺した心が加速度を増す。
 いつも先を行くのは紫音。透は三歩ほどの距離を空け、後からぼんやりとついて行く。
 この時もそう。紫音が立ち止まったのにも気づかず、彼の背中に頭からぶつかってしまった。
「??? どうしたの?」
「ああ、いや……」
 彼の視線の先を追うと、遠くの方に何か光が見える。
「何だろう?」
 その光が透には希望の光に思えた。急に駆け出したい衝動に駆られ、足早に紫音を追い越した。
「待て!」
 強い制止に反射的に立ち止まる。
「得体の知れないものに簡単に近寄るな」
 そう言い、紫音はその場を動かなかった。注意深く光の動きを追っている。
 透も彼の真似をした。光はだんだん大きくなっていくように見える。
 違う。事実大きくなっていた。
 光はやがて物の形を取りはじめた。水晶玉のような透明な球体。それが淡く発光しながら大きくなり続けていく。
 よく見ると、それは大きくなっているのではなく、二人に近づいて来ているのだ。それも思いもかけない速さで。
「逃げるぞ、透」
 その声に咄嗟に振り返り、駆け出そうとした時にはもう遅かった。透の体は半分、得体の知れない巨大な球体に呑み込まれようとしていた。
「紫音!」
「このマヌケ! 何やってる!」
「だって〜」
 紫音は舌打ちをしながら、もがく透の腕を掴み引き戻そうとした。
 その時、突然球体は勢いを増し、あっと言う間に二人を抱え込んでしまった。
 球の中に取り込まれた瞬間、それはまるで風船かゴムマリに似た感触だった。柔らかく二人を包み込むと、あっさりと腹の中に収めてしまった不思議な玉。完全に透明体なので、今までいた場所が中からでもはっきりと見える。
「ふざけやがって」
 紫音がレーザーガンをぶっ放した。
 が、その鋭い光線を、いとも簡単に球体の壁面は吸収してしまう。しかも叩いても殴っても手が痛くなるのがオチ。外面の柔らかさが嘘のように内面は硬く頑強で、防弾加工が施された強化ガラスでもこうは行かないと思うほどだ。
 今度は銃で殴ってやろうと紫音が身構えたとき、
「紫音、あれ」
 透が指差す場所に目を向ける。
 そこにいたのは、長い淡紫の髪を風に揺らせる美しい少女。歳は透と同じくらいか。まだあどけない顔をしている。
 少女はしばらく透たちを眺めていたが、徐に両手を差し出しながら球体に近づいてくる。少女の瞳は何か別のものを見ているようで捉えどころがない。
「し、紫音……」
 透は思わず紫音の袖を掴んだ。心なしか声が震えている。その手を無下に振り払うと、
「たかがガキだ。びびってんじゃねえ」
 真っ直ぐ少女に視線を向けた。
 少女は差し出した手から徐々に、透たちと同じくめり込みながら球体に吸い込まれてくる。少女の体が完全に球の中に入ったところで、紫音は彼女に照準を合わせた。
「ようこそ、来やがったな。おまえはあの魔女の仲間か?」
 少女はきょとんとしている。怖れることなく紫音に近づき、
「これ、なあに?」
 銃口に指を突っ込んだ。
「何しやがる。ごまかしてんじゃねえ」
 少女はあどけない笑顔でにっこりと笑った。澄んだ青い瞳には邪気など微塵も感じられない。
「これ、なあに?」
 銃口に指を突っ込んだまま同じ言葉を繰り返す。
「おまえ、銃も知らんのか」
 呆れて紫音がそう言うと、
「銃ってなあに?」
 と、銃口からすぽんと指を抜いた。
 テンポを狂わされ、半ばヤケクソになった紫音は憮然と言い放つ。
「武器だ。人を殺す道具だよ。それよりおまえはいったい何者だ?」
 紫音の言葉に、一転して悲しげな顔をする。
「人を……殺すの?」
「何だと?」
「いけないわ……それは悪い人のすることよ」
 見知らぬ相手に言われたくもない一言を吐かれて、紫音は完全にヤケクソになった。構えていた銃を肩に担ぎ、その場にどかりとあぐらをかく。
 透の出番となったらしい。
 透も紫音の側にあぐらをかいた。それに倣って、少女もその場に座り込む。ただしこちらはあぐらではない。横座りでにこにこと透を見つめている。
「君、誰? 何者?」
 少女は少し考え込んだ。
「ん、と……この姿のことを言っているのなら、これはアメリア・パーカーグレイ。でもその内の意識は妹のアマンダのものよ。今話している私のことを言っているのなら、残念ながら私には名前がないの。石の精とだけお答えしておくわ」
「???」
「……?」
 彼女も、彼らのそれぞれの世界とは別の言葉を使っているようだが、言葉は理解できても話している内容が難解だ。
「あの、もう一度訊くけどぉ、君は何だって?」
「だ・か・ら! この姿はアメリアで、内にいるのはアマンダなの! 私はアマンダに憑いている石の精だったら。わかった? 透?」
 今度は透がきょとんとする。
「どうして僕の名前を知ってるんだい?」
「私は石の精よ。それに今は人に憑いているわ。だから人の記憶を読むなんて簡単なことなの」
「ふ〜ん、便利なもんだね」
「感心してる場合か。コイツはまともなもんじゃねえぞ。邪気は感じられないからアイツの仲間には思えんが」
 紫音がうんざりと少女を見つめる。
「えーっ、と、さっきの話だけど、もう少しこのお兄さんにもわかり易く説明してくれる?」
 と横目で紫音を捉える。紫音は明らかに不快な顔をした。
「わかり易く……ってどう言えばいいのかしら? この姿がアメリア・パーカーグレイという少女だというのはわかってくれる?」
 透も紫音も頷いた。
「でも、この内にいるのはアメリアの妹のアマンダなの。あなた方が魔女と呼んでいる女の子がアマンダの本当の姿なのよ。で、今アマンダの姿をしているのはアメリアの方」
 紫音がそわそわし出した。
「で、君は?」
「私はアマンダの意識に引き込まれたの。気がついたらこの子の意識と同調して、アメリアの体の内に一緒にいたの」
 紫音が身を乗り出して喚く。
「わかり易くしろって言っただろうが! だんだんややこしくなってるぞ!」
 少女は耳を塞ぎ、肩を竦めながら恐々と紫音を見上げる。
「や〜ん、どうして怒るの〜?」
「紫音、ダメだよ怖がらせちゃあ」
 透が彼女をなだめながら紫音を睨む。思わず固まる紫音を尻目に彼女に向き直ると、
「ごめんね、コワイお兄さんで」
 と子供をあやすように言っている。
(もう何も言うまい)
 紫音はそっぽを向いた。
「つまり、こういうことだろ? アメリアとアマンダという女の子がいて、二人は姉妹なんだね。それで、その姿がお姉さんのアメリア。僕たちが魔女と呼んでいた姿が妹のアマンダ、だろ?」
「そうそう」
 少女が顔を綻ばせる。
「でも、今はどういう訳だか二人の意識は入れ替わってて姿が逆転している、ってことだよね?」
「そうそう!」
 驚きとも呆れともつかぬ表情で、紫音が透を振り返る。
「で、君は石の精で、アマンダと波長があったんだ。彼女の意識と同調して今はアマンダに憑いているって、こういうことなんだよね」
「そうよ、そう!」
 少女が満面に笑みを湛える。
 紫音は驚きを隠せない。言葉面ではわかっていてもすぐには意味など理解しかねることを、透はいとも簡単に呑み込んでいる。透は頭の回転が速いだけでなく、心の回転も速いのだということを思い知らされた。麻痺の度合いが紫音よりも急激なのか、それとも単に要領がいいだけなのか。
「で? どうして二人の魂、というか意識が入れ替わったんだい?」
「それは私にも詳しくはわからないの。ただ、強大なエネルギーの流出があって場の均衡が乱れたために、彼女たちはそれに巻き込まれたのよ。だから私とアマンダは巡り会うことができたの。本来ならそんなことは有り得ないのだけど……」
「強大なエネルギーの流出ってなぁなんだ?」
 紫音が再び身を乗り出す。少女は一瞬たじろいだが、紫音の口調が先ほどとは違うと感じ、安心して先を続ける。
「詳しいことは本当にわからないのよ。でもこの場所は、前はこんな混沌とした場所ではなかったの。そのことはアマンダが一番良く知っているわ。だって、ここにはアマンダの住んでいた村があったのだもの。だからアマンダの話も聞いてあげて欲しいの。このままだとアマンダは何も話せないから、ちょっと待ってて」
 少女は静かに目を閉じた。
 しばらく見つめていると、少女の頭の方から、何やら淡いピンク色をした影のようなものが見えはじめた。それは上の方へ徐々に伸びて行き、やがて彼女の頭の上に浮かぶ形になった。
『うふふ、驚いた? これが本当の私、石の精の姿。紹介するわ。この子がアマンダよ』
 石の精はするりと少女の横に降り立つ。少女に目をやると、それまでは歳相応に見えていたのだが急に泣きべそをかきはじめ、あっという間に五歳の幼児に早変わりしていた。
「お、おねえちゃま、おねえちゃまぁ……どうして……どうしてアマンダのそばにいてくれないの……どうしてえ、おねえちゃまぁ……」
 後は泣きじゃくるばかり。
『アマンダったら。泣いてちゃダメじゃないの、このお兄さんたちにちゃんとお願いしなきゃ。ねえアマンダ、泣かないで』
 少女は泣き止まない。ひたすら姉のことを呼び続ける。
 少女を励ます石の精の声が、心なしか先ほどとはどこかが違う。
「何だか君の声さっきとは違う。耳から聞こえるんじゃなくて直接頭に響く感じがする」
『そうね。あなた方はそう感じるのね。私たちは形を持たないから声を出して喋るということはできない。だから精神の力で、あなた方の意識に語りかけているのよ』
 そう言えば、石の精は何だか霧か靄のようだ。不定形でぼやぼやとした透明体。だが、淡いピンク色をしていて、クリスタルの如く清冽に煌いている。
「形がないって……? 僕には愛玩犬か何か小さな動物みたいに見えるけど?」
「??? 俺には女に見えるぞ」
『ふふふ、それは見る人によるのよ。なまじ形がないから見る人の身近なもの、或いは見たいものに見えるだけなの』
「……!」
「え……」
 男二人は顔を見合わせた。
「ガキ……」
「……スケベ」
「うわーーーーーん!」
 放ったらかしにしていた少女の泣き声がピークに達した。
「おい、透。おまえがなだめて何とか泣き止ませろ。うるさくてたまらん」
「そんなこと言われたって……」
『しょうがないわねえ、アマンダったら。この手を使うしかないかしら?』
 石の精が、ふわりと透たちの方へやって来る。
『アマンダがあんな調子だから、彼女の記憶をビジョンにしてお見せするわ』
 すると、ピンクの靄の中から何か発光する物が生まれ、球体の形を取り始めた。
【憧憬】へ続く
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