まじょ
魔女
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 振り返れば父がいた。
 そこで夢だと気づいた。何故なら、紫音の父はとうにこの世の者ではないからだ。
 母もいる。おそらくは幸福な頃の幻影。まだ両親と暮らし、幼なじみの少女たちと、漠然とした将来を語り合っていた頃の夢なのだろう。
 父は政府の高官、母は有名な女優という、裕福な家庭に紫音は生まれた。父譲りの才覚、母譲りの美貌、全てに恵まれた境遇。幼い頃から、彼は父から学問や武道の教育を受け、母からは溢れんばかりの愛情を注がれて自由奔放に育った。
 隣家に住む姉妹は家族ぐるみの付き合い。姉のマナ・シルビスは気が強く男勝り。妹のフロレンティーナは気が弱く泣き虫。年下の少女たちは紫音にとってかけがえのない親友たち。いつも彼らは同じ時を共有していた。
 めくるめく思い出の中、語り合う夢。きらめく陽射しのような日々は、あまりにも儚く、あまりにも切ない。
 
 破滅は突然に訪れる。
 
 脳裏に映し出されるのは業火に焼かれるカーマイン邸。その中には紫音の父が、母が、幼なじみの少女が炎に包まれている。
 ――何故だ。何故今更こんな幻を見せる? 何故、同じ苦しみを繰り返させるんだ。
 夢だとは分かっている。分かってはいるが直視するのも酷すぎる幻影。隣家は類焼を免れず、親友たちの両親も紫音の両親と同じ運命を辿った。
 生き残り、その為に重い現実を背負わされたのは、紫音とマナだけ。
 父の同僚が言った。
「おまえ達の両親は裏切り者だ!」と。
「国を、政府を、民を欺いた罪人だ!」と。
 真相はわからない。
 だが、彼らは国を追われ、星を追われた。
 
 
 真実を握っていたのは父の同志たち。
 彼らは闇に潜み暗躍する革命組織。志を同じくして集う者たち。父も母もマナの両親でさえも、その組織の一員だった。
 彼らの一人が言った。
 紫音の両親を、マナの両親を、かけがえのないティーナを殺したのは、政府が率いる闇の軍隊だと。そして、彼らの邸に火を放て、と命令したのは皇帝その人なのだと。
 皇帝の喉元にいながら、父は裏の顔を持っていた。
 父と並び皇帝の右腕となっていた将軍が、それを知り、いち早く手を打ったのだ。
「裏切り者はどっちだ」と、同志は言う。
「将軍は彼が憎かったのだ。邪魔者を排除したに過ぎない」と、彼らは言う。
「皇帝はもっと悪辣だ。民を裏切っているのはヤツだ!」と、さらに言う。
「我々には、皇帝も政府も必要ではない!」
 そして紫音は知った。参謀として彼らを率いてきた父が、唯一息子に望んだことを。
 父は同じ道を歩ませるために、教えられる全てのことを紫音に伝え遺したのだ。彼が学んできたものは、参謀として組織を率いるための知識や技に他ならない。
「おまえたちは憎くはないのか」と、同志は言う。
「奴らはおまえたちから全てを奪ったのだぞ」と、彼らは言う。
「敵を討ちたくはないのか。愛するものを奪われた者たちよ」と、追い討ちをかけるように言う。
「我々は、おまえたちにならついて行く」
 そうして彼らは紫音たちの手を求めた。
 
「憎いっ!」
 
 叫んだのはマナだ。
 人前では決して涙を見せないマナが、涙でいっぱいの瞳を空に向け、そう叫んだ。
「あいつらを、私は決して許しはしないっ!」
 満天の星を振り仰ぎ、マナは叫び続ける。
「奴らを地獄に叩き込むことが、ひいては民のためとなるのなら、私はこの身を滅ぼしてでも奴らを地獄に引きずり込んでみせるっ!」
 銃を手に取り空に向ける。辺境の惑星ラルトーの上空、遥か彼方に光る星エルメラインに向けて引金を引く。レーザー銃の光が弧を描き、弾けた。
「おお、マナ・シルビス。我らのリーダーよ!」
 彼らは口々に叫ぶ。
「我らはあなた方と共に、もう一度立ち上がる!」
 
 紫音は悟った。
 彼らが求めていたのは、マナのようにカリスマを持つリーダーと紫音のように謀略に長けた参謀。失ったものを埋めるために彼らは二人を求めていた。マナと紫音の関係。それは、二人の父の関係とまさに同じだったのだ。
 マナの父がリーダー、紫音の父が参謀として、導いてきた革命組織『カオス』。彼らを勝利へ導くことが紫音たちに遺された使命だった。
 それは紫音が十六歳、マナが十五歳のことだ。
 
 
 紫音が才覚を現すのに時間はかからなかった。
 利用できるものは利用し、障害を取り除くためには手段を選ばない。暗殺も襲撃も眉ひとつ動かさずに遂行する、情け容赦のない『カオス』の参謀。瞬く間に紫音・カーマインの名は知れ渡り、人々を怖れさせるまでになった。
 ――いつか必ず、おまえを勝者として故郷に連れて帰ってやる。それまでは決して側を離れない。
 いつもそう思っていた。今でもそう思っている。
 マナが求めることなら紫音は何でも叶えられた。そのためにこの手を汚すことも厭わない。彼女が望もうと望まざろうと、彼は堕ちるところまで堕ちていった。
 だが、彼女はそうであってはならない。何故なら、人々の理想を一身に背負い導くべき存在として、どんなことがあっても光を失ってはならないからだ。
 マナは守られることを望んではいない。そんなことはわかっている。人々の理想を叶えるためにいつでも危険に臨む覚悟があることを、紫音が一番よく知っている。
 けれど、同志はもう二度とリーダーを失ってはいけない。彼らを導くべき光ある存在は、もうマナしかいないのだから。進んで危険に臨む者はいくらでもいる。その筆頭が紫音なのだ。
 そして、八年の歳月を彼らは暗躍し続けた。
 マナは人々の理想を受け止めることで、紫音は彼女を支えることで、悲しみと苦しみと怒りと憎しみを乗り越えたのだ。
 今更敵を討ったところで、失った者たちは還らない。憎しみを忘れたわけではないが、それよりも、多くの人々の抱える願いが彼らを激しく突き動かしていた。
 ――勝利を我らの手に! 
 ――もう世界が動いてもいい頃だ。
 膨大に膨れ上がった彼らが、エルメラインを襲撃するのは目前だった。
 
 
 小さな沼のほとりに霧が立ち込めている。
 それは紫音が最後に見たラルトーの風景。折しも、宿命の星を襲撃する前夜のことだった。
 沼の水際の大木に凭れ、眠りを取る。
 いつものことだ。彼は意識を休める時、誰とも共にいようとしない。
 紫音の名は知られている。いつ寝首を掻かれてもおかしくない。同志が無駄な巻き添えを食らうことだけは避けたかった。
 だが、彼とてそう簡単に殺られはしない。誰よりも研ぎ澄まされた感覚。木の葉ひとつ震える音も、何ものの気配も逃さない。それに、武器庫のように体中に装備された武器。とりわけ愛用のレーザーガンがその手を離れることはなかった。紫音を襲撃するのは至難の技だ。
 それなのにどうした訳か。紫音は《それ》が間近に迫るまで気配に気づけなかった。
 《それ》は突如現れたように思う。
 水面にふわりと浮かぶ影。金色になびく髪を赤いリボンで結わえた、少女の姿をしたモノ。瞳は紫の炎のようだ。
 一瞬で邪悪なモノだと悟る。が、声を出すより銃を構えるより、《それ》が彼を指差す動作の方が早かった。
 額を貫く激しい衝撃。
 ――殺られた……
 意識が闇に支配される刹那、紫音の心にはひとつのことしかなかった。
 
 ――済まない、ティーナ。俺はおまえを守ることができなかった。……今、おまえのところへ行く……
 
 運命は、彼に安らぎを与えてはくれなかった。
 目を開けると辺りが仄明るい。意識が戻るにつれ視界が開けてくる。
 そこは岩だらけの、洞窟を思わせる空間。まるで岩が発光しているかのようにぼんやりと薄明るい。彼らがよく潜んでいた場所と大して違いはない。だが、ここは明らかに、先ほどまでいたラルトーの風景ではなかった。
 視線の先に《それ》はいた。
 赤いリボンに赤いワンピース、金色の髪の幼い姿。紫の瞳を持つ魔女。
 紫音は素早く起き上がり、体勢を整えた。銃は既に握られている。
「おまえは何者だ?」
 ――うふふふふ……
 赤い魔女が笑う。
 その笑い声は、風体に似つかわしく愛らしいにも拘らず、邪悪に満ちて燃えさかる瞳。
「ここは何処だ?」
 ――あはははは……
 笑うのを止めない。
 紫音は銃を構え直し、引金に手を掛けた。
「俺を『カオス』の紫音と知ってのことか?」
 銃口を向ける。
 赤い魔女は楽しそうに笑った。
「もちろん知っているわ、泣く子も黙る凄腕の参謀さん。おまえのその力が欲しい。私の目的にはおまえの力が必要なのよ」
「何抜かしてやがる。おまえの力になる筋合いはねえ」
「ふふふ、これは命令よ。何のためにここに連れて来たと思っているの」
 重力に逆らうように金色の髪が逆立つ。その瞳が一層激しく、邪悪な光を放った。
「ここは何処だ?」
「ここはおまえの知っている世界ではない。混沌と空間が入り混じった無の世界。そこに結界を張りおまえを閉じ込めた。もうおまえは私のもの。どこにも逃がしはしない」
「何?」
「時期が来ればおまえを迎えに来よう。その時こそ私の役に立ってもらう。それまでは私の結界の中で無の世界を満喫するがいい」
 言葉と同時に映像が揺らぎ始めた。
 それは何と不思議な光景。少女の影が揺らめき薄らいでいく。程なく、赤い魔女の姿は完全に掻き消えた。
「何処へ消えやがった。さっさと姿を現しやがれ。俺をこのままにするつもりか、ふざけたガキめ」
 返事はない。
「ちくしょう! 俺を元の場所に戻せ!」
 紫音の声が空しく響く。洞窟の岩だけが音もなく発光していた。
 
 ――ここは俺のいるべき場所じゃない!
 
 
 飛び起きたとたん、胸に抱いていた銃を転がり落とした。大きく肩で息をつく。
 とんでもない悪夢だ。思い返したくもない現実を突きつけられた。そう思い、目を上げると、そこには悪夢の続きが存在していた。
「おまえはっ……」
 心なしか少女の影が薄い。だが、いつぞやのようにくすくすと愛らしい声で笑っている。
「何しに来た。時期とやらが来たのか?」
 赤い魔女が笑うのを止めた。
「それとも、俺が逃げおおせてないか確かめにでも来たか」
 答えない。強張った表情が張りついている。
「何故コイツをここに送り込んだ?」
 傍らの透を見る。疲れているのかぐっすりと寝入っている。
「コイツはおまえにとっては危険な存在なんだそうだな。だったら何故ここに送り込み、俺と一緒にしたんだ?」
「それは……」
 紫音は銃を取り、立ち上がる。少女がじわりと後退った。
「危険な存在なら何故すぐに殺らなかった? コイツをここに閉じ込める意味がおまえにあるのか? おまえにとって必要でないなら、コイツをすぐに元の場所に返してやれ」
「それは……できないわ」
「ふん、失態だな。俺はコイツのおかげで、ますます逃げ出すファイトが湧いてきたぜ。おまえは俺を独りきりで置き去りにし、孤独に絶望したところで言うことを聞かせたかったんじゃないのか?」
「………」
「図星だな」
 紫音は少女に銃口を向けた。引金に手を掛ける。
「無駄よ」
「どうかな? やってみなければわからない」
「およしなさい。無駄なことよ」
 赤い魔女は真っ直ぐに彼の額を見つめた。燃えさかる瞳に邪悪な色が宿る。
(また、あの力か?)
 紫音は歯を食いしばった。
 だが、何も起こらない。額に衝撃どころか痒みすら感じられない。
(何のつもりだ、このガキ)
 二人は睨み合いを続ける。
 その時いきなり、透から少し離れたところにあった岩が、音を立てて砕けた。
 透は飛び起き、紫音の側まで這いずり寄る。
「な、何だったの、今の?」
 慌てて立ち上がり、紫音の視線の先を追う。
「きみは……!」
 言葉を失う透を押し退けて、紫音が言う。
「おいおい。コイツをわざわざ起こすために妙な力を使ったのか? どうしたよ、魔女さんよ。それこそ無駄ってもんじゃねえのか」
「い、い、いったいきみは、なんだって……」
 透も彼女に言いたいことは山ほどある。が、
「うるせえ! おまえは黙ってろ!」
 にべも無く言い放たれ思わず口篭もった。寝起きの鈍さも手伝っているらしい。
「いい時にここに来やがったぜ。今日こそはおまえをとっ捕まえてここから出る方法を吐かせてやる。たとえ手足がなくとも口さえありゃあ喋れるからな。逃げ出せないように先ずは足からやるか」
 銃口が赤い魔女の足を狙う。
 透は気が気ではなかった。どう見ても、透の目には小さな少女にしか見えないからだ。そのいたいけな少女を紫音が撃とうとしている。
「ちょっと待ってよ、紫音!」
「阿呆ぅ、見た目に騙されるな。返り討ちにされるぞ」
 紫音の銃口は執拗に少女の姿を捉えている。
「やっぱり……」
 赤い魔女が呟く。
「やっぱり、おまえたちを引き離すことはもうできない。……でも、いいわ。透の力を逆に利用できることがわかったから……」
「何だと?」
「???」
 少女の顔に笑いが戻った。愛らしい声でくすくすと笑う。
「透の力のおかげで私の結界が強まった。遠く離れるとこの岩穴に結界を張るので精一杯だったけど、今は透を中継することができるから結界も広範囲に張れる。これで少しぐらい紫音が遠出をしても、危険な目に遭うことはなくなったわ。なにしろおまえは、私がちょっと目を離すとどういう訳だか結界を外れて、次元の嵐の吹き荒れる危険な場所にでも、簡単に出て行けたものね」
「僕の力……?」
 少なからずショックな話だ。これでは、ここから出られない原因の一端を、透が担ってしまっていることになる。
「このガキ、舐めたことを!」
 銃口が光を放つ。真っ直ぐに走った光は少女の姿を直撃した。
 が、何事もなかったかのように少女はその場に佇んでいる。
「無駄だと言ったでしょう? おまえたちが見ているものはただのビジョンに過ぎない。私は別の世界にいる。おまえたちに私を傷つけることなどできないのよ」
 少女の姿が揺らいでいる。くすくす笑う声と共に。
「おまえたちはこれからも、精々仲良く無駄な努力を続けることね」
「待ちやがれ!」
 だが、もう姿は掻き消えていた。くすくす笑う声だけが岩穴に響き残り、やがて薄れて消えていった。
【精】へ続く
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