こうや
荒野
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 目を開いた時、透は信じられない光景を目の当たりにした。一面に広がるのは岩だらけの荒野。風が砂塵を巻き上げている。先ほどまでの緑あふれる公園はどこにも見当たらない。こんな風景は透の知っている近隣の記憶にはない。
 何処かに連れ去られたのかもしれない。そして、得体の知れない場所へ置き去りにされたのか。俄かに未知の場所への不安を覚え、さらに脳裏に焼きついた少女の禍々しい瞳を思い出し、身震いせずにはいられなかった。
 だが、こうしてもいられない。一刻も早くこの場所を解明して帰る方法を模索しなければ。もしかしたら今日中には帰れないかもしれない。いや、それよりもどのくらいの間意識を失っていたのだろうか。そう言えば大事なカメラが手元にない!
 頭の中を忙しなく駆け巡る想い。認めたくはないがパニックを起こしているようだ。
(落ち着け、透。もう一度よく思い返すんだ)
 とは言うものの、初夏の公園でカメラ片手に昼寝をしていて妙な少女と遭遇、言いがかりをつけられて気がついたらここにいた。事実を何度思い返したところで、ここが何処だかわからなければ解決策は見つからない。
(とにかく回りをよく見てみよう)
 混乱する心を抑え、何とか自分を奮い立たせるのに成功したところで、やっとその考えに思い至った。
 視界に入る場所は一様に、なだらかな起伏を描く大地の上に、大小様々な形の岩が横たわり、色薄いさらさらした砂に石の砕けたものが混じった、粗い砂塵が敷き詰められていた。人の姿は見えない。それどころか何もかもが無機質で全く生気が感じられない。
 至近距離に一際目立つ大岩がある。透はそれに凭れ、肺の中身を全部吐くつもりで溜息をついた。さらに吸う。空気が埃っぽい。不覚にも涙がこぼれそうになったので懸命に空に顔を向けた。先ほどは気がつかなかったが、空が異様に暗い。雨でも降るのだろうか。
 そう思って見つめていると、案の定、遠くの空で稲光が走るのが見えた。雷は遠いのか音は聞こえない。奥行きの良くわからない空の彼方に鋭い亀裂が光る様が、透の目にはひどく美しく見えた。
(ここにカメラがあったらなぁ……)
 ぼんやりとそんな風に考えていると、突然、
「危ねえ!」
 叫び声がしていきなり抱えられ、さらに得体の知れない場所に引き摺り込まれた。どこかに落下したらしく、透は逆さの姿勢のまま斜面をだらしなく滑り落ちる。頭を打たなかったのが幸いだ。
 すばやく起き上がり相手を見る。行動を強制した苦情でも言ってやろうと思ったのだ。相手は入口らしきところから外を眺めている。きっかけを失ったため仕方なく立ち上がり、同じようにしてみた。
 透が先ほどまで凭れていた大岩が見える。目を凝らしていると、やがて巨大な稲妻が大岩を直撃した。次の瞬間、激しい轟音と破壊を想像した透の目に、異様な光景が繰り広げられた。
 音は何も聞こえない。大岩は破壊されたのではなかった。ただ、見えている映像がゆらゆらと歪み、暗闇に包まれるように物体が消えてなくなった。
「あ……?」
 透はそんな光景をテレビの特撮以外で見たことがない。文字通り、開いた口が塞がらなかった。
「な、な、何が……?」
 何が起こったのか、と言いたかった透の意図を汲んで、相手が答えてくれる。
「あれは次元の亀裂だ。吸い込まれたらどの次元に跳ばされるかわからない」
 透は隣に立つ相手を見た。まじまじと見た。まじまじと見て数歩後退りした。相手も透の方に顔を向けている。
 外見だけを透の見解で言うならば、たぶん男の分類に属するのではないかと思う。背が高くがっしりとした体型は明らかに男だろう。が、どうもそのなりが見るからに怪しげだ。透のつたない知識を全開で駆使しても、こんな格好の人間はついぞ見た覚えがない。
 着ている物は、どこか中国の民族衣装か拳法着に似ている。丈の長いゆったりとした上着、腰に帯。頭にも同じ色の細い紐がハチマキ風に結ばれている。かと思えば、足元を包んでいるのは革のロングブーツではないか。見事にアンバランスだ。
 何よりも一番の驚愕はその髪だった。癖のない髪が真っ直ぐに腰まで伸びている。前髪も随分と長く、顔の半分を隠してしまっているので表情が窺えない。奇妙なのはその色だ。銀に近いが明るい空色をしている。東洋人にそんな色素はない。
(……カツラなのか?)
 謎めく観点がやや違う。
 相手も透を値踏みでもするように見ている。しばらくそのままでいたが、突然、髪を掻き揚げて右目だけ覗かせた。深い蒼い色の瞳だ。
 彼の背が高いせいもあるが、下目使い、というより半眼で見つめ続けるので見下げられているような気がしてならない。不快指数がアップして、いい加減にしろよ、と声を出そうとした瞬間、相手が先に口を開いた。
「おまえ、どうやってここに来た?」
 口調が横柄だ。黙っているとさらに続ける。
「ここには誰も来られないはずだ、俺が出られないのと同じように。……どうやって来たのか覚えてないのか?」
 こちらこそ聞きたいくらいだ。相手はもう髪を下ろしてしまっているので、視線の行方は掴めない。
「……どうやって来たのかなんて、わからないよ。気がついたらさっきの所にいたんだから」
 答えはない。無言で話を促しているのか。
「気を失う前は公園にいたんだ。そういや変な女の子に逢った。金髪で赤いリボンの……」
 そこまで言って急に違和感を覚えた。
 ――何故言葉が通じるのだろう?
 相手が話す言葉は明らかに日本語ではなかった。それなのに意味が理解できたのだ。ひょっとしてそれは自分だけで、相手は透の言葉を理解していないかもしれない。
 その懸念は一言で吹き飛んだ。
「あいつに遭ったのか」
 やはり日本語の響きではない。
「あの魔女に遭ったのなら、おまえも俺と同じか。別のルートからやって来たわけじゃないんだな」
 それだけ言うと、急に興味を失ったように奥に向かって歩き出した。透は慌てて彼を追う。
 この場所は奥行きがあるわりに何故か薄明るい。どこに光源があるのだろう。入る時は確かに岩の裂け目から地下に落ち込んだはずなのに。
 少し行くと開けた空間があり、そこで彼は立ち止まった。透がついて来ても何も言わない。その辺りの岩にどっかりと腰を下ろす。
 透も恐る恐る、適当な場所を見つけて落ち着いた。彼には聞きたいことが山ほどあるのだ。
「……えっと……その、さっきは助けてくれたんだね……ありがと」
 相手は答えない。ただ黙って透を見ている。
「さっきあんた、あの子を知ってるみたいに言ってたね? あの金髪の、赤いリボンの……」
「魔女か?」
 今度は明確な答えが間髪を入れずに返ってきた。
「あの子はどう見ても子供だよ。あんな子が魔女だなんて」
 彼は薄笑いを浮かべている。馬鹿にされているような気がする。
「見た目と中身が同じものとは限らない。あれは少女の姿はしていても実体はもっと邪なものだ。もっとも、おまえのように警戒心の薄い奴なら気づけなくても無理はないな」
 やっぱり馬鹿にされていた。
 透は少々むっとしたが質問を続けることにした。彼を怒らせたりしては、他の誰に質問をすればいいのかわからない。
「あんたの言う《魔女》ってのは、何者のこと?」
 彼の口元から微笑いが消えた。
「おまえ、あの魔女の目を見たか?」
「目? あの子の目が何?」
「見ていて何か感じただろう、禍禍しいものを」
 言われて思い出した。確かに、あの瞳に見つめられて透は意識を失ったのだ。額の激しい衝撃がまざまざと蘇る。
 遠い目をしていると、彼は更に言葉を繋ぐ。
「あの邪な力を操ることができるだけでも魔女と呼べるシロモノだ、あれは」
「見つめるだけで他人に危害を加えることができるなんて、そんなこと……」
 言葉を遮って相手が言う。
「できるんだよ、ヤツには。念じただけで思い通りのことができる。……それにこの場所もな」
「……ここ?」
「この場所にもそんな力があるらしい。俺の願いが通じたことなど一度もありゃしないが」
「……???」
 場所というものに何かの力があるものなのだろうか。透には今ひとつ彼の言うことが呑み込めない。そこで思い切って訊いてみた。
「あの、それって、まさかとは思うけど、念じたことが現実になっちゃうってコト?」
「なんだ、わかってるんじゃねえか」
 彼が再び薄笑う。微笑いながら続ける。
「誰でもってわけじゃないらしいがな。そういう素質があるヤツに限られたことらしい。例えばあのチビ魔女みたいなヤツだな」
 それなら相当特殊な力が必要なのだろう。彼にできないのなら透にもできる芸当ではない。妙に納得している相手には悪いが、透に信じられる話ではなかった。
「ところで、ココっていったい何処?」
 その質問は彼を不機嫌にさせた。目の表情は定かではないが、口元が明らかに不機嫌を表現している。
「俺にもわからん」
「わからないって……じゃ、どうやってココに来たの?」
「多分おまえと同じだろう。あのチビに寝込みを襲われて、気がついたらこのザマだ。まったく情けなくて涙も出ねえ」
 彼は自分の不甲斐なさに憤りを感じているようだ。それもそうだろう。例え就寝中であっても、大の男が小さな女の子に攫われたなんて、笑い話以外の何ものでもない。透は少しだけ彼に共感を覚えた。
「あんたもあの子を怒らせたんだ」
「おまえはあのチビを怒らせたのか? その間抜けた面を見ていると予想はつくが、アイツの正体もわからずに何かやらかしたんだな」
 前言撤回だ。
「僕は何もしていない。ただあの子の写真を撮っただけだ」
「写真を撮った? それだけか?」
「そうだよ。そういうあんたは何をやらかしたんだよ?」
 問いただしても、彼はなかなか答えようとしない。俯いて何か考え込んでいる。
 透は溜息をついてもう一度質問をした。
「あんただってあの子を怒らせたんだろ?」
 彼がやっと顔を上げた。
「いや。俺は目が覚めたとたん、ここへ連れて来られたからな。それまであんなチビ見たこともなかった。だが、アイツは俺を知っていたらしい。知っていて連れて来たんだと抜かしやがった。俺の力が欲しいんだそうだ」
「力? 力が欲しいって……何か手助けして欲しいことでもあるのかな、あの子?」
「そんなこと俺の知ったこっちゃねえ。あのチビは俺をここに置き去りにしやがった。そして何処かに行っちまったんだ。それ以来俺はここにいる。どのくらい時間が経ったのかはわからない。時間の流れがわかるものは、ここには何ひとつないからな」
「そんなに長い間ここにいるの? ひとりで?」
「そうだ。どんな手を使ったのかは知らんが、俺はここから出られない。元の場所を探して歩き回ったところで結局はここへ戻ってしまう。この薄暗い岩穴だけが俺の存在できる場所らしい」
 透の心にひしひしと不安が広がってきた。
「ココから出られないって……もしかして、元の場所には戻れないってコト?」
 透の問いに相手は無言で答える。
「ウソだよ、そんなこと……信じられない」
「信じようが信じまいが、おまえの好きにしろ。俺は数え切れないほど、この得体の知れない荒野をさ迷い歩いたが、未だに出口は見つからねえ。どの道おまえも同じ運命だろうよ」
 愕然とする透を見て僅かに彼の表情が翳った。立ち上がり、すぐ側まで来てしゃがみ込む。
「おまえだって理由があるからここに連れて来られたんだろう? あの魔女に目を付けられた原因はなんだ?」
 彼の問い掛けに、訳も分からず悪寒を覚えた。
 理由なんてわからない。写真を撮っただけなのだから。それともそれが理由なのか?
 次の瞬間、頭の中を不吉な言葉がよぎるのを感じた。寒気のする言葉が。
「あの子……あの子が言ってた……僕は危険だって……」
 他にも何か言っていたのではなかったか。震えながらも頭の中を模索する。
「……そう、思い出した。あの子の姿が見えたから、僕は危険なんだって、そう言ってた……だから、永遠の《混沌》に閉じ込めるんだって……」
「永遠の《混沌》?」
 震えが止まらない。
「……確かに、そう言ってた……」
 彼が透を見つめている。
「……なるほどな。ここが永遠の《混沌》ってわけか……おまえも俺もここに閉じ込められたってことだな」
 透は絶句した。
 
 
 目は開いているのに、意識ははっきりしているはずなのに、視界が暗い闇に包まれている。あの時感じた額の衝撃が、今は胸の奥にあるのだ。やっぱり同じように奈落の底に落ちて行くのだろうか。
 ふいに暖かいものを感じた。頬を軽く叩く手の感触だ。
「おい、あきらめるな。出口なんざ死に物狂いで探しゃいいんだ。こんなところで自分を見失ってどうする。アイツがもう一度ここに来たら、とっ捕まえて吐かせてやるさ」
 彼の髪が銀に閃いて見える。透の目に焦点が戻ったようだ。
 だが、言葉までは出てこない。ただ俯いて、膝を抱えることしかできなかった。
 透の様子を見て安堵したのか、彼は立ち上がり、何処からか持ち出した毛布よりは薄手の布を、投げて寄越した。そういえば少し寒い。
 透は無言のまま、それをかき寄せ羽織ってみる。ほんのりと暖かい。側に彼の気配を感じながら目を閉じた。
「おまえ、名前は?」
「透……早坂透……」
「透ってのが名前か?」
 透は頷いた。
「俺は紫音・カーマイン。紫音でいい」
 耳慣れない名前だ。何処の国の名前だろう。
 言葉が終わると、身近にあった彼の気配が薄くなった。慌てて目を開ける。少し離れたところに横になった彼の姿が見える。
 少しだけ、胸の痛みが遠のいた。
 考えてみれば、透は独りきりで置き去りにされなかっただけマシなのかもしれない。紫音と出逢うことができたから。話の様子から察すると、彼がここに閉じ込められた時は独りだったのだろう。そんな状況はとても透には耐えられそうに無い。彼と出逢えなければ、透はどうなってしまっていただろうか。
「……透」
 突然、声をかけられて飛び上がった。眠っているとばかり思った紫音が、背中を向けたまま話しかけたのだ。
「透、あきらめるんじゃねえぞ。俺はあきらめたりなんかしない、絶対に……必ず元の場所に帰るんだ。……俺たちの居場所はこんなところじゃねえからな」
 繋ぐ言葉が見つからない。ただ黙って彼の背中を見つめていると、紫音は徐に起き上がり、
「わかったか? わかったら少しは頭を休めろ! 溜息がうるさくて眠れやしねえ」
 同じ場所でまた横になり、背中を向けた。
 お先真っ暗な行く末が不安すぎて、溜息ばかり漏らしていたらしい。つっけんどんに言われたおかげで、彼の言う通り頭を休める気になった。
 透はその場に横になってみる。
 公園の芝生なら寝転がるのも大歓迎だが、こんな岩だらけのところではちょっと……と、思っていたら不思議と地面が柔らかい。それに何だか温もりもある。首尾よく睡魔がやって来た。
 透は再び目を閉じる。
 気掛かりなのは両親のこと。自慢の息子がいなくなってさぞ心配しているだろうに。
 両親に何も伝えることができない今の自分が、透は歯痒くてならなかった。
【変化】へ続く
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