5月30日
ポンペイ
ポンペイの街はローマと同じ位に古い起源を持っており、紀元前8世紀頃と
言われております。イタリア半島を南から北へ向かう中継点に位置し、海か
ら内陸に向かう出発点という地の利を得て、大きく繁栄しておりました。
最初の大惨事は起源62年に突然ポンペイを襲った大地震で、壊滅的打撃を
受けたが、不屈の闘志で再生し、以前にも増して繁栄を誇っておりました。
2回目の大惨事はベスビオ火山が大噴火を起こし、厚さ6メートルもの火山
灰に街中が覆われ以後2000年の間一度も復活の槌音を聞くことも無く、
月日が流れて来ました。20世紀になって少しづつ発掘が進んでおりますが
2000年前の街並がそのまま残っておりパン屋さん、浴場、当時の金持の
家、いわゆる娼館、馬車が通った溝や水道管まで残っております。
ナポリ
南イタリアの代表的都市ナポリ。「ナポリを見て死ね」と言う言葉があるほ
ど美しい海を持った都市と言われております。ナポリ市内は殆ど車窓からの
観光でした。
ナポリにはマフィアよりも、たちの悪いカモッラと言う組織が横行していて
殺人はおろか、人さらい、臓器売買など日常茶飯事とのこと。一度だけ海に
面した歩道に下車しサンタ・ルチア港と卵城をチョットだけ見学しました。
フォロ(広場)
フォロはポンペイの宗教,政治,経済活動の 中心となる広場。 |
柱廊と両替所と食品市場の入り口。 |
ポンペイからベスビオ山を望む。 |
道には荷車の、わだちの跡が残っている。 |
ポンペイの小劇場。 娯楽施設も揃っていた。 |
アポロの神殿。 |
街角の水汲み場。 |
フォロの浴場 内部の壁画。 |
フォロの浴場 内部の壁画。 |
フォロの浴場 内部のレリーフ。 |
当時の商店街の跡。 |
パン屋さん跡。小麦を牛を使って 「ひきうす」で粉にしていた。 |
フォロの浴場内部の柱像。 |
ファウヌスの家の中庭。 |
当時の娼館。 |
娼館内部。石のベットがある。 |
絵で描かれた料金表。 サービス内容で料金が決められていた。 |
絵で描かれた料金表。 |
娼館への道案内(道路標識)。 |
ウェッティーの家。客間のフレスコ画。 「ポンペイの赤」独特の赤色壁画で有名。 |
ウェッティーの家のフレスコ画。 性愛描写は当時の魔よけの意味を持っていた |
ポンペイの大劇場。 紀元前3世紀に建設された。 |
アポロの神殿跡。 |
奥に見えるのは「パシリカの法廷」 |
ポンペイ遺跡への出入り口周辺。 |
ポンペイ遺跡への出入り口周辺。 |
ここより「ナポリ」。
ナポリ市内。バスの中から撮影する。 |
カルテル・デローボ城(卵城) 12世紀ノルマン王により建てられた城塞。 |
ナポリの海岸通り。 |
高台に這い上がるように広がるナポリ市街。 |
ナポリの海岸通りより、ベスビオ山を望む。 |
ナポリの海岸通りより、ベスビオ山を望む。 |
ナポリの海岸通り。 |
日本の七五三と同じ意味か?海岸のあちこち で家族揃って子供の写真を撮っていた。 |
最良ポイントには、順番待ちも出来ている。 |
ナポリ湾の一部。 |
ナポリ市街。 |
ナポリ市街。 |
子供を正装させ、プロの写真家を連れて来て 一家揃って写真撮影。 |
ナポリ湾周辺。 |
私の旅日記 |
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