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<中国自然歩道・西から東へ >

 中 編 ・・・島根・浜田から鳥取・米子
期 間:平成15年9月23日から10月7日


関 連 資 料・・・・  <概念図&タイム&写真へ>   <会計&資料へ> 
  
・・・・・ 初 秋 の 島 根 路 ・・・・
 
 
1 はじめに
 中国自然歩道トレースの第2ステージとして、前回の終了地点・JR浜田駅から鳥取県・米子駅まで約320Km・2週間の日程を組んだ。
 前回は梅雨時のため連日雨に遭い、すっかりシゴカレタので今回は秋晴れを期待したい。今回のトレイルは、これまでの東海や九州のそれに比べて標高差が少なく、また里山と海岸沿いのトレイルが主流だから天候が良ければ距離を稼げるだろう。
 荷物の軽減のために、中間地点の立久恵峡ユースホステルに宿泊予約をして食料品のデポを送る。秋空の澄んだ空気を期待して23日新宿から夜行高速バスで浜田駅へ向かった。 
                        ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
  2 行動の記録   概略総距離322 Km ― 総行動91時間30分(実績値)
 第1日目 9月24日(天気 雨):JR浜田駅から有福温泉
                      (距離18Km)行動5時間。 
 天気を期待していたのに雨の出迎えを受けて浜田駅に着く。初日位は爽やかな日和の歩行がしたいものだ。
 雨具の完全装備をして両足の指にもテープを張り生爪の予防をして出発。浜田駅から2時間で石見畳ケ浦に着く。案内板によると「明治5年の浜田地震により隆起海床で出来た千畳敷と呼ばれる岩棚と岩間には貝化石や鯨骨がある」とのこと。
 観光用の人道トンネルを通って岬の突端に出ると侵食断崖が頭上に迫り自然の勢い感じた。トンネルを引き返して海岸の沿った石見海浜公園の中を進む。この公園は県立の都市公園で海水浴場は勿論、健康広場やオートキャンプ等広いスペースの施設だが、今はシーズンオフで閑散としている。
 公園の先で国道9号を横切るとトレイルは内陸部の有福温泉へ向かう。幸い雨は小降りになって<この調子なら今夜は温泉迄行けそうだ>とファイトが湧いて来る。今夜の予定地より2km先の有福温泉に無事着き近くの八幡宮にテントを設営。
 10分程離れた公衆浴場・さつきの湯を探して¥300円也で湯につかる。濡れた身体には源泉46度の温泉は何よりだ。
 日暮れから本降りになるが屋根の庇のお陰で直接テントが濡れないので大助かり。
            

 第2日目 9月25日(天気 雨後曇り):有福温泉から千丈渓出口
                          (距離24Km)行動7時間10分。
 途中から降り出しては面倒だから雨具を被る。今日は殆ど舗装道歩きでトレイルを見失う心配もないので朝5時前に出発。道路の白線が判別出来る程度で表示文字は暗くて見えず、要所ではライトを灯して確認して進むと30分ほどしてライトも不要になる。
 跡市集落で県道300号線から297号線へ移り東進すると井沢峠に着く。早朝とは云え車も人も通らず忘れられたような山間の空間帯が続く。
 10km先の千丈渓までこうした舗装道歩きになるようだ。市東と云う集落で八戸川を渡ると「中国自然歩道」の案内板がこれからのトレイルの概念を示している。この先は日和川にできた3kmの渓谷・千丈渓を辿るが増水で水量が多い時は巻道の「林道を選ぶように」と看板があった。<ダメなら引き返そう>と思いつつ沢沿いの道を進むと階段や橋がしっかり整備され、トレイルは水面より10mほど高い位置に設けてあり案ずることなかったが雨天で足元は滑り易かったので慎重に歩いた。


 第3日目 9月26日(天気 快晴):千丈渓出口から湯谷温泉
                   (距離30Km)行動8時間40分。
 夜明け前の星空を眺めてテントを撤収。予報通り今日は好天気のようだ。しかし、勢い過ぎて夜明け前に出発したので日和地区で道に迷う。地図にない新規舗装道が幾本も出来て分岐路に標示もないので1時間ほどロスした。
 明るくなってトレイルの112号線に出て大利峠のトンネルを越える。この道もバイパス道が出来て利用者は皆無のようだ。峠を越えて3km下ると視界が開けてきて秋の陽射しが心地良い。
山裾に沿って魚断渓へと北へ向かうと交通量の多い幹線道の291号線と合流。狭い歩道を歩くのでダンプカーや大型車が通ると風圧で煽られ、気が高ぶるが幸い途中から旧道が現れホッとした。
 魚断渓の入口から周囲の景観を楽しみながら北上して行くと江の川に出た。JR三江線が川沿いに走っており線路沿いに上流に進み上川本駅に着く。ここで江の川を渡り187号線を谷戸、下条集落へと進む。
 途中に「湯谷温泉まで3km」の看板が眼にとまる。<今夜も温泉ダ!>とテント予定地を通過して温泉まで進むことにする。下郷集落に日帰り湯谷温泉・弥山荘があった。
対岸に小学校の跡地があり、近所のオバサンに「今夜一晩テントを張らして下さい」とお願いして了解を得る。一昨日に続き今夜も温泉に入れるとは今回の旅はツイテいる。明日も少しムリして古い温泉地・温泉津(ゆのつ)に泊まろう。
 今日からしばらくは、天候も安定しているようだし風呂後のビールは格別だ。ルンルン気分で至福の夜を迎える。


 第4日目 9月27日(天気 快晴):湯谷温泉から温泉津温泉
                     (距離28Km)行動7時間40分。
 出発して1時間は順調にトレイルを歩けたが、北佐木集落付近で新規道路がトレイルを寸断してウロウロする。早朝では民家で尋ねる訳にもいかないので「誰か来ないかナ・・」と20分ばかり休憩をしてやっと朝仕事のオバサンに聞くことが出来た。
 舗装された自然歩道など歩く人がいないので標示板がなくてもクレームがないのだろう。トレイルの32号線を見つけて南佐木、福田・殿村集落を通り史跡の高野寺へ着き小休止。このお寺も古い歴史があり風雪に耐えた建物からは歴史の風格を感じられる。
 稲刈りも一段落して10段ほどに吊るした稲干の風景が山間地で区画整理さてない棚田とマッチして一昔前の農村を思い出させてくれる。
 やがて遠方に海が見えてくると、今夜の泊地・温泉津町に到着。温泉津は海と山に囲まれた古い温泉郷で石見銀山の海の玄関港として栄えた所とのこと。
 駅前の看板に「櫛島・キャンプ場」の印があったので30分かけて行ってみたが閉鎖しており水もなく諦める。温泉街の上部に総合運動場と体育館があったので事務所の職員にお願いして隅の休憩所にテントを張らしてもらう。
 当温泉はさすが江戸時代から続く名湯で身体の芯から疲れがとれた。効能書きると「主成分は食塩泉で神経・リュウマチ・疲労回復に特効あり」とのこと。「なまずの湯」と書かれた公衆湯は入浴代200円也と今時珍しい料金だ。又浴場を出た所に源泉湯が沸いていて飲料出来るので、飲んでみると炭酸が強く舌がピリッとして塩味の温泉だった。


 第5日目 9月28日(天気 快晴):温泉津温泉から湯抱温泉
                      (距離34Km)行動8時間40分。
 今日は、鎌倉末期から開かれた石見(いわみ)銀山の遺跡と<銀山街道>と呼ばれる当時の主要道を歩く。
 温泉津から15km先の代官所跡まで江戸時代の最も栄えた頃銀山には人口20万(江戸の人口は40万)の生活物資の運んだ道とのこと。地元の人の話では牛荷が主要手段だったそうだが、苔むした石畳の古道は多くの人々が歩いた歴史を物語っている。
 味気ない舗装道のトレイル以外にこのような趣のある未舗装道を歩けるのはありがたい<道は文化>とは良く云ったものだ。
 日本海の展望か良い降路坂峠を越えると銀山遺跡地区に入る。「間歩(まぶ)」と呼ばれる銀を採掘した坑道がトレイル脇に数ヶ所続く。子供が出入りするほどの小さな坑口は、採掘に従事した人々の悲惨さ思わずにはいられない。周辺の山に300近い間歩があるそうだが、
その中でも規模の大きな龍源寺間歩は観光の目玉として坑内の見学が出来るが見る気にはならない。
 銀山遺跡から舗装道・31号線のトレイルに戻る。途中で「萩原集落へ分岐するトレイルが現在荒れていて通過はムリ」とのコメントを得て新設農道を教えてもらう。登山道以外の山道は荒れていて通行困難な所が多い。
 375号線からの山道もパスして湯抱温泉へ進む。湯抱温泉は3軒の旅館があるがシーズンオフで1軒しか営業していない。駐車場の休憩所前にテントを設営して今夜も温泉に浸かることが出来ラッキーな「温泉と好天気に恵まれた日々」が続く。
       

 第6日目 9月29日(天気 快晴):湯抱温泉から佐津目
                       (距離24Km)行動7時間。
 トレイルは湯抱温泉から2kmほど林道をつめて山道に入るが、入口の古い小橋を見逃して林道を行き過ぎ「おかしい!」と荷物を置いて引き返してトレイルを探す。
 地図では浮布池までシングルトレイルになっているので、これまでに様に荒れて通行不能ではないかと心配しつつ夏草で被われた山道を進む。昔は広い里道で利用されていた面影はあるがフカフカの踏み後に最近人が歩いた感覚はない。
 三瓶山は登山の対象になっていて周囲をトラバースして北面は「国立・青年の家」があり周辺は広い公園になってこの付近は整備されていた。
 この先の自転車専用道からトレイルに入る分岐路にも標示板がなく「これで良いのか?」と疑問を抱きながら進む。これまで東方へ続いたトレイルは三瓶山から北へ向かう伊佐川に沿って281号線を進む。
 数軒の集落を幾つも通る。地図の佐津目と云う集落に学校マークがあったので「今夜はここに設営しよう」と行ってみたが現在は廃校になりバスの車庫になっていた。
 好天気と温泉のお陰で1日予定より早く行動しているので、明日のユースホステルの宿泊日を変更しなければならない。佐津目で家内工場があったので「スミマセン電話を貸してください」とオバサンにお願いする。昼休みでオバサンも暇のようで「何処からきたの?」「何処迄いくの?」と荷物を背負った変わり者に興味を示す。
 事情を話すと「泊まる所があるワ。夏に山村留学の子供達を泊めているので・・」と直ぐ近くの古い民家を紹介してくれた。このオバサンの持ち家で空家になっているそうだ。早速「庭にテントを張らして下さい」とお願いする。
 私有地には設営しないことにしているが「許可を得れば云うことなし」である。ところが、夜8時ごろ「モシモシ・・・」とオバサンと村のオマワリさんが訪ねて来て「最近は色々と物騒で・・」と旅の目的やら住所氏名をメモされた。何でもオバサン宅が巡査の立寄先で「何か変わったことは?」と聞かれたので一応案内して来たとのこと。自然歩道の存在もトレースも認知されていないようで、巡査はウカヌ顔をしていた。
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