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< 九州自然歩道・縦 断  >

 後 編 ・・・宮崎・牧水公園から福岡・皿倉山
期 間:平成15年4月22日から5月16日
  
・・・・続 き・・・・

 第8日目 4月30日(天気曇り):休養日・墓参
                       (距離0Km)行動0時間。
 交通網の発達のお陰で2年前から九州横断のバス路線が開通。2時間足らずで九州山地のほぼ中央に位置する墓所に宮崎県側から行けるようになった。
 高千穂バス停の一番バスに乗り1回乗り継いで山深い故郷に着く。1年振りの墓掃除と供養をして午後には宿へ戻った。
 不足していた電池、食料品、足マメ治療用のテープ等を購入して明日からの歩行に備える。「割安だから」と買った1Lの焼酎は2日間では呑めず、空のワンカップに小分けしてザックにいれる。


 
第9日目 5月1日(天気 晴):高千穂町から五ケ所・本村
                      (距離24Km)行動7時間40分。
 フトンに二晩寝たお陰で疲れが取れたようだ。特に、足指のマメと爪が数ケ所痛んでいたので良い休養になった。今日は北上する県道325号を8kmほど歩く。
 トレイルは途中から西南の役で有名な小坂越の山道を通っているが、地元の人の話では歩かれていないようだから迂回して県道を進む。
 平底集落でトレイルと合流2km先の竜泉寺に着く。丁度朝7時で寺の梵鐘が聞こえて来た。寺から林道のトレイルは標高差600mの登りになり、山頂部は四季見台キャンプ場になっているので車が通る立派な舗装道を歩かされる。

 この先からはあまり一般的でなく、未舗装の林道になる。治山と植林作業専用のようで3ケ所の分枝道があるが幸い標識があり助かる。地図に記載されていない道で標識がなければ<お手上げ>だ。
 北方に明日登る祖母山が真近に聳えている。この山を越えると大分県に入ると思うとファイトが湧いてくる。祖母山を源流とした大谷川まで下ると五ケ所・本村集落の着く。
 近くにウエストン碑があるそうだが、トレイルを外れて集落に降りたので見ることが出来なかった。テントを舗装林道から外れた沢近くの農道脇に張る。


 
第10日目 5月2日(天気 晴):本村から大分県・神原矢作バス停
                       (距離22Km)行動7時間40分。 
 出発して歩いているとライトをつけた車が3台追い越して行った。多分上部にある登山口の駐車場へ行くのだろう。テント地から7kmほど歩いて駐車場に着く。ここから2時間半程で山頂に着くので大分側より祖母山登頂は容易のようだ。
 トレイルは途中の国観峠から山頂へ行かず北方へ下山するので、荷物を国観峠に置いて急登を40分登り山頂へ。連休のため10名ほどの登山者と挨拶を交わす。

 県境の国観峠から一気に高度を下げて五合目で遊歩道になり更に1kmほどで駐車場に出る。数軒の集落をいくつか過ぎて神原川沿いに北上する川はあちこちからの支流を集め大きな流れになる。
 大分県入りの初日は、神原渓谷を過ぎて矢作バス停前の小さな橋を渡り対岸の農道脇にテントを設営。川の上流に集落があり飲料には出来ないので、近くの民家へ「お水下さい」と貰いに行く。
 留守番のオジイサンが心良く水道場へ案内してくれた。「何処から来たノ」「明日息子が横浜から帰ってくる・・」と帰省する息子家族を心待ちにしている老親の心が伝わってきた。

 テント側の河原で洗濯をしていたら、定年ホヤホヤの夫婦か来て「珍しい石を集めているので見つけに来た・・」と話し掛けてきた。九州自然歩道の説明をすると奥さんが「まるで山頭火デスネ」と笑いながら云った。「エエ、詠わぬ山頭火デスヨ」と返事をした。
 自然歩道の知名度は低く、東海自然歩道を歩いている時と比べて落差が大きい。


 
第11日目 5月3日(天気 晴):矢作バス停から朝地町・サヤノ木
                       (距離26Km)行動7時間40分。 
 朝からしばらくは舗装道を歩くので、ライトなしで夜明前でも歩ける<早発ち早着き>が原則だから今日も早めにテントを撤収して出発。
 田植中の道路沿いの集落を幾つも通り過ぎ、湧き水が豊富な地域のようで日本百名水「泉水」、「河宇田」で美味い湧き水を飲む。北方は平地が開けておりJR線豊後竹田駅方面だ。やがて竹田の町が近くなり車の数も増えて賑やかになる。

 トレイルは市街地には入らず<荒上の月>で有名な岡城跡の下を通り北上して、日本最大級の磨崖仏を見るため普光寺へ行く。寺のアジサイも有名だが時期が早く花は咲いていなかったが、葉の新緑が15m程の断崖に彫られて不道明王とマッチしていた。
 トレイルを更に4km北上するとJR朝地駅に着いた。駅前のスーパーで不足気味の食料を補給。重くなった荷物と格闘しながら1時間林道を進み水がなくなる前の林道脇にテント設営。
 

 
第12日目 5月4日(天気 晴):サヤノ木から納池公園
                       (距離28Km)行動8時間。 
 連休中は天気が安定していて歩くには最適の日和だ。高い山はないが深さを感じる山波の中へドップリとつかって数日が過ぎた。そして「こんな山深くに人家が・・」と不思議になる。今は車があり容易に町まで出れるが、以前は大変な暮らしだっただろうと想像する。
 大分県は温泉が豊富だからこれからは楽しみだ。今日は最初の長湯温泉を通るので入浴しよう。
 これまでの数日間トレイルは北上気味だったが2時間ほど歩いて温見集落から西へ向かう。今日は登降の少ないコースなので気が楽になる。

 長湯温泉に朝9時に着き1時間程<町営温泉・¥200円也>に入浴する。先客はバイクで旅行中の青年が独り旅の疲れを癒していた。お互いの道中の様子など話して湯治を楽しむ。
 まだ昼前でテントを張るには早すぎるので、ふやけた足に汗臭いソックスを履き行動シャツを着て出発する。
 3時間ほど前に進み納池公園にテントを設営する。この公園は湧き水が多量に出て大きな杉が林立している。公園内で茶屋のオジサンからお茶の接待を受け公園の由来を聞く。
 明日は九州の名山・久住連山に入るので標高差1100mの登が待っている。 久しぶりに山に登る興奮を覚え、好天気を期待して早目にシュラーフにもぐる。
               

 
第13日目 5月5日(天気 晴):納池公園から法華寺温泉・大船山登頂
                       (距離20Km)行動8時間50分。
 厳しい登路の一日になるだろうから早目に出発。山裾を1時間ばかり歩いた頃辺りが明るくなる。
 舗装道から山道に入る登山口は牧場内を通るのだが、トレイルは<牧場内は関係者以外通行禁止>のカンバンと厳重に鉄柵で締めてある。
 周囲に迂回道がないか1時間ほど探すが見つからない。しかたがないのでトレイルを外れて、直接中岳へ登る一般登山道をとることに変更する。
 1/5万の地図によれば一般登山口は2km西の表登山道になる。展望台まで行くと「自然歩道」の標識があり、トレイルはここに変更されていたようだ。

 牧場の上部を再び2km東方へも戻り、本来の山道に出て佐渡窪を経て法華寺温泉・坊ガつるに着いた。
 テントを設営後、東に聳える大船山登頂に空身で出かけた。九州本土最高峰だけの大きさを感じさせられた。
 帰幕後に登山者しか入浴できない(車がはいらない)法華寺温泉に入浴する。時間が早いので誰もいない貸切湯だ。豊富な湯量の乳色をした温泉は骨の髄まで温まる。今回の大きな目標の一つが達成出来て大満足。


 
第14日目 5月6日(天気 雨):法華寺温泉から地蔵原・ファミリーキャンプ場
                      (距離19Km)行動5時間40分。 
 数日間恵まれた天候もいよいよ崩れ今日から雨。せめてテント地は屋根のある所にしたいものだ。
今日は下山だから登りはあるまいと思っていたが雨ケ池峠まで200mの登りがある。峠を越えて本格的に下り、長者原ビジタ−センターに着く。ここは別府・阿蘇道路(やまなみハイウエイ)で急に別世界に来た感じがした。
 ハイウエイ沿いの歩道を4km行くと牧ノ戸峠に着き、ここから車の通らない県道に入って静かになりホッとする。

 温泉街道とも云える、筋湯、ひぜん湯、河原湯と数キロ毎に温泉があるので途中入浴したいが、雨で体が冷えるのでグッとガマンしてテント地を求めて先へ進む。
 地蔵原集落から先はしばらく人家がないので「チャンスは地蔵原のキャンプ場」と期待して行くと幸い休憩所にテントスペースがあり、濡れ物を干してホッと一息。


 
第15日目 5月7日(天気 曇り後雨):地蔵原から平原・三島公園
                           (距離30Km)行動9時間10分。 
 昨日は雨のため、予定より手前でテントを張ったので今日は沢山歩こう。今日も日平峠付近でシングルトレイルを5kmほど通る。
 資料では<新林道と牧場の鉄柵でトレイルが数ヶ所切断>しているそうだ。久住山麓と同様に狂牛病事件以降に牧場内の管理が煩くなって関係者以外の立ち入りを厳しくしてせいだ。
 迂回路とかそのフォローの説明が欲しいが、滅多に来ない変人?(バックパッカ−)のために配慮しないのも納得出来る。
 宝泉寺温泉から県道を12km北上すればJR豊後森駅に着くが、トレイルは10km余計に歩き、西方の万年(ハネ)山を登り迂回する。雨の中を視界もないので山頂に行っても仕方がないが、標高差600mの登りトレイルに従うことにする。

 万年山(1140m)はメサ台地で山頂部は広い台地を形成して牧場になっている。山頂近くまでは林道で標識もあったが、山頂部の500mほど熊笹でトレイルも消えて雨と霧の中苦労する。
 山の反対側は山頂まで遊歩道が出来ており難なく下山してJR豊後森駅に着いた。大手スーパーストアで久しぶりに肉類の食料品を買い3km北上して三島公園内の野外スタジオの裏手にテントを設営。


 
第16日目 5月8日(天気 雨):三島公園から馬場・御祖神社
                       (距離18Km)行動5時間。
 夜明けにはカミナリが鳴り本降りだった。いつもより1時間遅く雨の中を出発。トレイルは片草集落からシングル・トラックに入り更に地図に記載のない道を歩くことになっている。視界がないのに草深いトレイルを探しながら進む気持ちにならず、県道を選んでトレイルが合流する内匠へ進む。
 ここから旧中津街道になり、鳥屋、中百合、持田と各集落を通る。今日も終日雨天だから屋根のある所を探して進むと小学校がある持田集落に着く。集落の神社の舞台袖が見つかる。テントを張って「誰か来たら許可を得よう」と思っていたが誰も来なかった。
 

 
第17日目 5月9日(天気 晴):馬場から福岡県・雁股山
                       (距離31Km)行動9時間30分。 
 今日は自然歩道・最終県の福岡に午後入る「いよいよ後半の仕上げの区間に入る」と思うとファイトが湧いて来る。しかし、難関の大平山から2日間で英彦山登山口まで30キロの縦走が待っているので気が許せない。
 山中1泊で済むように少しでも今日は前進しておきたい。西谷川沿いに北上して僧禅海が30年かけて岩を掘り抜いた青の洞門で小休憩。説明では<開通後は人馬の通行税を取ったので有料道路の開祖>とか。

 典型的な耶馬渓の景観を眺めながら600m高度を上げて大平山に着く。山頂には公園になっているが水はないので山頂までの沢で給水して縦走路に備える。行動用の水と炊事用2Lが加わりザックが急に重たく感じられる。

 人気コースらしく標識が完備されているので迷うことはないが、小さなピークがいくつもあり50mから100mの登降の繰り返しでジワーッとダメージがたまる。
 目標の山頂は雁股山、経読岳、犬ケ岳で、いずれも修験者の山で気を許せないトレイルが続く。天気も安定して降雨の心配がないので雁股山直下の平地にテント設営。


 
第18日目 5月10日(天気 晴):雁股山から豊前坊
                        (距離22Km)行動8時間40分。 
 山道はペンライトでは暗すぎて歩けないので夜明けを待つ。鎖場が数ヶ所あり、瘠せ尾根を昨日同様小さなピークを登降して西へ延びる稜線を進む。
 その昔<鬼の山>と恐れられた岩路の険しい犬ケ岳まで来ると反対側からの登山者が20名以上登ってくる。
 土曜日にしても人気がある山でこれまでにない賑わいである。途中の野峠までは車で入るので日帰り登山が出来るそうだ。

 野峠でやっとシングル・トラックの登降から開放さて舗装道なり、4km下るとバス停のある英彦山・豊前坊に着いた。豊富な湧き水が乾いた喉を潤しテント設営。
 明日は友人宅を訪問するので衣類を洗濯と少し寒いが水浴をしてサッパリする。土産店でワンカップ・焼酎を買い今日までの無事を祝う。


 
第19日目 5月11日(天気 晴):豊前坊から北坂本後友人宅
                        (距離9Km)行動2時間20分。 
 昨日のアップダウンで疲れが残っている感じだ。高千穂町の休養から10日間連続行動で疲労が蓄積しているのだろう。
 今日は飯塚市在住の幼馴染の朋友・荒木氏宅へ行くので良い休養日になる。英彦山(ひこさん)は日本三大修験道場のひとつで<神の山>として崇められた霊山であり、地元の人にも古くから親しまれ山全体が霊所となっているそうだ。
 山麓の彦山駅まで4kmほどトレイルを外れ電車で友人宅へ。荒木夫妻の心温まる歓待を受けて生き返った気持ちになる。暖かいフトンの感触には眠るのが惜しいくらいだった。


 
20日目 5月12日(天気 晴):北坂本から柳原・源じいの森キャンプ場
                      (距離23Km)行動5時間30分。 
 翌朝トレイルに戻り北坂本集落から歩き始める。天気も良いし、大きな山越えもないので気分はルンルンだ。
 道角と云う集落では縄文時代の住居跡を発掘調査しており、柱跡のマーキングが集落の大きさを伺わせる。道路や人家を消して数千年前の古代の風景を想像しながら歩いた。
 トレイルは直線的に北上しており効率良く最終地点の皿倉山に近ずく。これが西や東へ蛇行するのは遠回りを意味するので足が重い。今日は出発の時間が遅かったのではかどらなかたが、急ぐ旅でもないので午後2時過ぎにザックをおろす。

 10軒ほどの後山集落の入口に神社があり湧き水が出ているので路肩にテントを設営。夕食の準備をしているとバイクで巡査がパトロールに来て「こんにちは、大丈夫デスカ」「昨日、この村に盗難の被害が2件、車の被害も出て警戒中」とのこと。
 自然歩道歩きの説明をすると「ウエーそんなに長く歩いているデスカ!」「気をつけて」と云って引き上げて行った。
 その後1時間程して近所のオヤジサンが「ここは私有地ダヨ、地主さんに断っているの?」と文句気味に来た。路肩と思っていたが良く見ると果樹畑の一部である。先ほどのオマワリの話から歓迎されていないようだ「スミマセン地主さんに断ります」と云うと、「今留守のようだから・・」「この直ぐ下にキャンプ場があるヨ。ここへ時々バイクで若者が深夜騒ぐことがある・・」と云う。無理して居る事も無いので10分ほど先にあるキャンプ場へ移動した。

 キャンプ場は村オコシの一貫で平成筑豊鉄道・田川線油須原駅の近くに開設。シーズンオフでキャンパーはいないが規則によるとテント1張り950円+炊事場利用代1000円だ。「炊事はしません」と云って950円だけで泊まるがそれにしても高い。
              

 
第21日目 5月13日(天気 曇り):柳原から平尾台・千仏鍾乳洞
                        (距離30Km)行動8時間10分。 
 2時間ほど舗装道をあるいて大坂集落を過ぎると、早朝の野良仕事に行くライトバンが止まり「これから何処へ行くの?」とオヤジサンが聞くので「飯岳山へ」と返事をすると「ヘー・・熊が出るヨ」と脅かし「登山口はこの先に標識がる」と教えてくれた。
 標高差400m程度の山道だがメジャーな山でないので、廃道になっている恐れもあり心配して歩いていたのでホッとする。
 飯岳山の由来は、奈良時代中期・藤原広嗣が山頂から時の過ぎるのも忘れて景色に見とれて、腹が空いて村人の作った飯を食べたとガイドされている。

 下山の北面側は道もはっきりして直ぐ舗装道に出て幾度も車道を横切り山道をくだる。山を越えた北面には呉ダムがあり、この付近はウオーキングのモデルコースになっていて表示板が幾つもあった。
 さらに北上し、国道201号はバイパスの開通で旧道は閉鎖されているがトレイルは旧道を通る。依然は主要道路だったが今は舗装も剥げてその面影はなく、500mの仲哀トンネルにはライトもなく日中とは云えトンネル内は薄暗く足音と湧き水の音だけで気味が悪くなる。

 天気が下り坂で雲が段々低くなってきたので今夜は雨になるようだ。出来れば屋根のある設営地を見つけたい。
 平尾台の千仏鍾乳洞の駐車場しか屋根は期待できない。しかし、屋根は無く露天の出来るだけ高所にテントを張っていると「ここの管理人だけど・・そこは雨が溜まるのであっちが良いヨ」と教えてくれた。お礼を云って早速テントを移す。
 皿倉山のゴールまで残り2泊だが出来るだけ快適な夜を過したいので、テント廻りに水はけの溝を掘って雨にそなえた。
 予報通り夜半から本降りになり明日のテント徹収が思いやられる。


 
第22日目 5月14日(天気 雨):千仏鍾乳洞から鱒渕ダム
                        (距離17Km)行動4時間10分。 
 雨の中をテント撤収・出発する。山口県の秋吉台と並ぶ日本有数のカルスト台地で北九州国定公園の中心地で、特異な石灰塔や石灰盆地を楽しみにしていた平尾台だが、視界がきかずに<羊の群れのようなカストル>もガスの中。ひたすらトレイルを風にあおられて前進する。
 明日は、最後の山で北九州国定公園の中核をなす・福知山・標高差700mを登り17km北上するとゴールの皿倉山だ。
 道原と云う集落で「この付近に公園はありませんか」と聞いて鱒渕ダム下の公園に屋根付きの休憩所を教えてもらう。二日連続の雨中設営は避けたいので大助かりだ。

 テント設営後、濡れ物を干していると、今日もパトカーが来て「60歳位でスポーツ刈の男の人を見ませんでしたか?」と尋ねられた。これまで随分と無断宿泊をしたが、巡査がパトロールに来たのは一昨日が初めてだったので「地域のせいか、時期のせいか?」いずれにしても何となくオマワリと話すのは気が引ける。


 
第23日目 5月15日(天気 雨):鱒渕ダムから皿倉山・JR下関夜行高速バス帰京
                        (距離21Km)行動8時間10分。 
 鱒渕ダムからの登山コースは、一般的のようで未舗装の道幅も広く快適な樹林帯歩きが楽しめた。生憎の雨模様で視界が悪いがトレイルがはっきりしているのはありがたい。
 福知山(900m)山頂で単独のハイカーに会う。山頂からは福知山山系の尾根歩きで雨に濡れた若葉のトンネルが続く。やがて<皿倉山より7k>の案内が出てくと「いよいよゴールだ!」とファイトが湧いてくる。

 一ノ瀬峠から標高差300m・1時間の登りが終わり、平坦な稜線を進むと開けた皿倉山(622,2m)に着いた。降雨で視界はないが九州自然歩道・起点のモニュメントの写真を撮ってケーブルカー山頂駅に向かった。
 ケーブルカー山麓駅で着替えをして、2km下ってJR八幡駅の出た。
                       
   
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 3 あとがき(反省と所感)
1)20数年前に整備された本トレイルは、高度成長と車社会の影響で<元自然歩道>と思えるような区間が多かった。名所・旧跡や人気のある山の登山路はトレイルの標識も完備されていたが、その連絡区間のトレイルは福岡県以外、不十分であった。福岡県は<自然歩道友の会>が定期的に管理しており東海自然歩道並みと思えた。

 2)舗装道・歩きについては、利用者(バックパッカー)が極端に少ない現状から仕方がないが、未舗装路やシングル・トレイルの荒れた道の道探しには興味が湧かない。せめて赤布か簡易板でも良いので標示板が欲しかった。

 3)車社会のツケ(犯罪と過疎化等)で田舎暮らしも大変だと思えた。数軒の集落を幾つも通ったが廃家が多く、この国の将来を暗示しているようだ。

 4)たまに出会う集落の人との挨拶が楽しみだが、一般的に男性の無愛想サに対して女性は<活発で元気・笑顔が絶えない>と云った印象を受けた。又朝の登校中の子供達も屈託がなくて元気を与えてくれた。

 5)今更云うまでもないが、車の普及は<歩きを忘れた日本人>を増やし、環境省が全国に自然歩道を整備しても一部を除いて利用者が少ないようだ。その理由のひとつに、日帰りハイクが主体のコースを無理に繋げた所に問題があると思う。このままでは、<自然歩道>は朽ちると危惧する。
 対策として先ず、地域住民に自然歩道の意義を認知してもらい行政と民間が協力し、例えば県毎に山岳連盟やスポーツ連盟を母体に<自然歩道友の会>が出来、地域の文化財として管理すれば、トレイルが見直されるのではないだろうか。

 6)前回は3週間の旅で後半には心身共に疲れが出てネンザをした。反省点として「入山は3週間が限度か!」と思えた。
 しかし、これまでの入山パタ−ンを改めて<1日の行動時間を短縮し、休養日やアクセントと設けることにより1ケ月間の旅をするには何が必要か>そのスキルを習得するには現在を逃がしたらチャンスは無いように思えた。今回はそうした長期間の山旅に対する行動指針を求めてみた。
 第一要因しては荷物の軽減である(最大18kg)。対策として装備は期間に関連なくほぼ一定だから、食料の不足分は現地で補給した。
 今回は予定通りの行動できたが、補給が出来ないトレイルの場合はやはり1ケ月はムリのようだ。


 1)行動について
1−1)前回より2ケ月遅いので夜明けが早くなり行動開始も早く出来た。基本的には、<3時半起床・4時半出発>とし昼にはテント地に着くようにした。午前中は午後の行動より疲労が少なく、トラブルで行動時間が延びても対応が容易。また、洗濯の乾きや疲労回復についても有利。
 欠点は、道中の少ない食料店で時間が早く開店前で購入の機会や地元の人との交流(道を聞く等)が減ること。

1−2)今回は25日間の長期入山のため、計画ではスケジュールを緩やかにして、1日6〜7時間行動(20Km前後)で、短中長の3段階の行動をセット考えたが、日数が多くなると集中力が低下して行動総量が増えた割には達成感が少なかった。
 やはり最長15日間程度が現状では適当と思えた。

1−3)歩行速度は今までと同様、歩き始めの1・2時間はウオームアップで1分間歩数を90歩前後。その後は平坦路100〜110歩、下り路110〜120歩。休憩は1時間半〜2時間毎に10分程で補水と行動食を取った。
 しかし、これに拘らず天候や体調によって<遅からず、早からず・最適な行動>を心がけた。これは単独行動の利点のひとつ。

1−4)ウオームアップと同様にクールダウンをして<身体に優しい>歩行をしたいが出来なかった。その理由は、テント地の不確定さやクールダウンをする気持ちの余裕がなかったこと。息の長いバック・パックのためにも次回の課題にしたい。

1−5)今回の歩行距離は480Km・総行動時間は152時間で平均歩行速度は3、15Km/Hrであった。普段の速度より早かったのは平坦な舗装道が多かったせいだろう。



2)食料・装備について
2−1)荷物を軽くするために今回は<食料品のデポ>をした。1週間後の立寄地・高千穂YHに約1週間分(5kg程度)の主要食料を置いた。
 デポ先としては宿泊地(宿や知人宅)、郵便局留が考えられるので今後も活用して行きたい。

2−2)燃料を最小限使用のために1日1回使用とした。要領は、昼過ぎにテント地に着いて3時から4時頃に遅い昼食(ラーメン1袋+餅1ケ)を作り、引き続き夕食(無洗米150g)を炊く、燃焼時間は約50分。ラーメンの汁は夕食用として残し、6時過ぎに食べる夕食の30%は翌朝食用に残す。
 餅の代りにソーゼイジ、肉(現地購入)。米飯にはウドンの素を混ぜたり、フリカケ、缶詰(現地購入)を状況により適宜1品とした。その結果、ガソリン使用は60CC/日程度であった。

2−3)トランジスターラジオ(電源:単4デンチ2本)は軽量化でイヤホーン専用タイプにしたが、長期間では3日毎に電圧不足になり幾度もデンチ交換した。午後からラジオを聞くため長時間使用になるので、単3使用のラジオにしたい。

2−4)2日連続雨天の行動は靴内が完全に濡れて、足指にとっては厳しい歩行(爪の剥離、マメの悪化等)になる。乾燥する余裕がない時は、歩行時間を少なくして(3〜5時間/日)足指の負荷を軽減したい。天候が回復すれば不足分の距離は比較的容易に取り返せるが、身体のダメージの回復には時間がかかる。


                                                ・・・・完・・・・

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この続きは・・・・
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