1998年 <北米>ジョンミュア・トレール : ビショップ・峠からマンモス・レイクス
2 登山行動の記録

 2−1 まえがき

 

 2−2 行動記録



 
2−1 まえがき
  • 雪嶺会の仲間とボルネオ島のキナバル山(4401m)に合宿を持ってから、今年で20年がすぎた。 その間、数年に一度の割合で海外の山へ入り今回で8度目になる。  <せっかく時間とお金をかけるのだから、次の山行に役立つ様な登り方をしたい>と思い手作で計画したため失敗も多くあったが、そのうちに自分の能力に合う山行要領もだんだんと掴めてきた。

  • 今回の目的は、ジョンニュア・トレールの完全トレースの一環として残り40%のトレースである。 次回で完了するつもりだが、予定通り実行出来るかは今回のトレール消化量の如何によるので気合いを入れて入山した。

2−2 行動記録
  • 第1日(7/30) 成田〜ビショツプ
    岩槻(9:00)_成田空港(11:00- 13:00)_ロス空港(08:00- 08:40)_ロス・ダウウンタウンバス停(10:00-16:45)_ビショップ(0:30)

    岩槻から日暮里乗換・京成電車で成田空港へ。 チケットには搭乗口が34番とあったが、実際は31番ゲートであった。 同一時刻に34番ゲートから別の便がありまぎらわしかった。

  • ロスアンゼルス空港は、紺碧の空を予想していたが曇天で朝早いせいもあって静かである。 バス停のあるダウンタウンまでシャトル・バスに乗って30分。一日一便のバス発車まで待ち時間が6時間もあり、待合室で休養する。 待合室の70%は有色人でスペイン語が主に使われているようだ。 バス停の周囲は治安が悪いし店らしい店もないので外へ出る気もしない。 

 

 

  • 時差のせいで体はとろけるように眠い。
    今夜の宿には深夜0時過ぎに着くので、その旨電話で伝える。 2年前に投宿した宿で現地のバス停から5分位の所にある。 待ちくたびれた頃やっとバスが出る。 途中何度も少停車して8時間かけ目的地の町ビショップに着く。 ひとつ前の停車場が似た様な町名で、一人の登山者が下車したので自分も一緒につられて降りてしまい慌てて停車名を運転手に確認しバスに戻った。 次の停車区間まで30kmも離れているので、まちがえてしまっだら大変な事になる。 今山行の第1号トラブルになるところであった。

    長い一日であったが無事宿に着き、靴を脱ぐのももどかしく、ベットにもぐり込んだ。

  • 第2日(7/31) ビショツプ〜サウス・レイク〜ロング・レイク
    ビショップ(11:00)_サウス・レイク(11:40-12:00)_ロング・レイク(14:30) 行動時間:2時間30分

    7時前に一度眼がさめたが、また眠ってしまい8時に起床する。 パツキンの整理をして、スーパに買い物に行く。 町から30Km奥の登山口まで車で入るのでその車の手配をする。 宿の受付に聞いたがらちがあかず近くのパック・サービス店を紹介してもらい、開店の10時を待って行ってみると若い店員が2、3件こころ当たりをあたってくれたがダメ。 更にスポーツ店を紹介してもらう。スポーツ店も、午前中は閑なようで奥の事務所で電話番号を教えてくれた。 そこえ電話したが<留守電デス、ご用件を…・>とのこと。 
  • 再度スポーツ店へ行き「他の町では、白タクを紹介してくれたヨ、何とか探してください」とねばり、そのかいがあって「30分したら来るヨ」の回答をえてホッとした。 店の裏で待っていると40代のオバサンがワゴンで迎えにきてくれた。

    雑談の中で「今年は異常気象で、山には残雪が多い」との情報が気になるがとにかく登山口まで行けることで、本日の目的は達成された。 登山口から明日のジョンミユア・トレールまでは前回トレースしているので気が楽だ。 道はゆるやかな登りで、近くの湖にキャンプする家族に混じって今夜のテント地に向かう。
    2ピッチで予定地に着いた。 夕食を作る時、ホエーブスの給油栓が加圧ポンプに合わず、ポンプ専用の給油栓を忘れてきた事に気が付くが後のまつりである。

  • 第3日(8/1)ロング・レイク〜ビショップ峠〜リトル・ペテ
    ロング・レイク(5:30)_ビショップ峠(17:30)_レコンテ・レインジャ小屋(11:20) リットルプレート(14:00) 行動時間:8時間30

    歩きは初めて1時間もすると、雪上を歩くようになった。 時間が早いのでクラストしておりトレールもハッキリしているので歩き易い。 前回は峠付近だけに残雪が残っていたが、今年は相当に多い。 峠を越えてカール状の台地を下る、雪面とガラ場のミックスした所で、ガラ場から雪面に移る所の踏み跡が不明瞭で捜すのに苦労する。
  • 広いカールで夏道を外すと何処へ下るか解らなくなるので、慎重に地図を頼りに下る。 途中1張りのテントがあっただけで人とも会わない。

    高度差1000m程下降してミュア・トレールと合流すると、雪も消え夏道に従って歩く事が出来た。 午後に1名登山者と会ったが相手も「24時間振りに人に会ったヨ」と云っていた。 明日も峠を越えるので出来るだけ先へ進みたい。予定泊地より2時間先の大岩の下に設営跡を見つけ今夜のテント地とした。

  • 第4日(8/2) リトル・ペテ〜ミユア峠〜BM10.800湖
    リットルプレート(5:30)_ミユア峠(10:15-10:30)_ サフイア・レイク(14:30)  行動時間:9時間

    朝食は昨夜の飯に水を加えてオジヤにする。 夜明けと共に出発するので朝の準備はライトをつけて炊事をする、途中でホエーブスのガスが空らになったのでエアー抜きをして燃料をタンクに入れる事にした。 タンクが空なのでエアー抜いてもたいしてない、しばらくしてライトでは暗いのでローソクを灯すことにする。 マッチをつけた瞬間にテント上部に残っていたガスに引火し前室の網フードを焼損した。 眠気も吹っ飛び驚く。 もしガスが多かったらテントを燃やすところだった。 ガソリンの取り扱いは基本に従い手抜きは禁物と反省した。

  • ミュア峠まで登り3時間と予測して歩き始めたが、すぐ雪道になりトレールが薄く捜すのに時間がかかる。 その上目安となる湖を間違え地図と現場の様子が違い混乱する。 <日本・北アの5月の山>を思わせる雪の具合で沢を囲む山稜には雪がベットリと付いて迫力がある。 消えかけたトレールを頼りに上へと進む雪が多いので夏道はほとんどみえない。 沢と云っても広いのでカール状の台地である。  地形も複雑で現物との比較が難しい。 先の状態が不明で<このまま先へ進むのはヤバイナ>と引き返す気持ちが頭をかすめる。

  • 峠を越す予定の3時間は過ぎてもそれらしい所に着かず弱気になった。 丁度その時1人の登山者が登ってきた。 これこそ<天の助け!>と「峠へのトレールが解らない・教えて下さいナ」と頼んだら、「アンタは湖を間違えているヨ・高度計を持っているかい?必需品ダヨ」とのこと。 その後彼と1時間雪面を登り峠の避難小屋に着くことができた。

    小屋前記念写真を撮り一休後また雪面のトレールを捜しながら下る。 沢水が増水して雪とガラ場と渡渉、で歩き難い彼は「マカールや南米のワスカラン、アコンカグワに昔登ったヨ、今は夏地元のこの付近を2,3日歩いている。 このコースも以前に来たが、この峠付近が全トレールで一番難しい所で、そのため避難小屋もここしかない」とのこと。 峠から2時間程下ったころ2組みのパーテイに会った4人が今日会ったすべてで本当に静かな一日であった。

    広いキャンプ地に自分一人のテントを張る。 明日はガイドブックで紹介されていた<本トレールただ一つの温泉があるキャンプ地>に着く。距離は27Kmと長いが下りだけで、雪の心配はない。


  • 第5日(8/3) BM10,800湖 〜ホット・スプリング
    サフイア・レイク(5:30)_ホット・スプリング(14:30)  行動時間:9時間

    今山行で最も長い距離歩く日である。 しかしほとんど沢沿いに下り大きい尾根を巻きながら広い台地に向かう。 テント地のホット・スプリングは標高2400mで西側のフローレンス湖から入り易く縦走をしないパッカーも多い。 またパッカーの補給デポ地として利用出来る。加えて人工の手を加えない<天然露天風呂>があるとかで、計画の当初から<ぜひ行ってみたい所>であった。

    途中2時間程下って水量も増えた所で深さヒザ上まで10m幅の渡渉になる。 その冷たさに気合いを入れられる。 ヨセミテから来て今日で10日目の5名のパーテイに会う、リーダは40代の女性で他は20代の男女である「日本からトレースに来た」と云つたら、我が意を得たりと云った顔で「そうヨ!このトレールはそれだけの価値があるワ、私の娘は昨年10日間で全トレースしたの、若い人はパワーフルだからネ」とのこと。この国は女性の位置が高く、それに比べて日本はまだまだだと思った。

    連日の行動で、これまで出来たこともない<マメ>が両足の指とかかとに出来悲鳴を上げている。 肩の荷もさることながら下りは足のマメにも泣かされるがルートを捜す時の苦労と比べると小さい問題である。 



  • テント地に着いてテント設営後、温泉を捜しに出るが訪ねる人もいず1時間程で戻ってきた。 しばらくして温泉方面から1人のオヤジサンが風呂あがりのような雰囲気で来たので「温泉に行ったのですか?」と聞いたら「そうだヨ、3ケ所あって一番上のは熱かったナ、場所は此処」と教えてくれた。  先ほど行った所から50m程先の草原の中らしい。 5時過ぎているが8時まで明るいので、聞いたからには今日行くべし、と再度タオルを持って出かけた。 話の通り草原に出て、それらしき池を見つけ手を入れると温泉である。 さっそくシャツを脱ぎ中へはいる。  3坪程の池で周囲は草の土手、腰位に深さで底は泥で足首まで泥の中に埋まる。足を入れた衝撃で沈んでいた泥がワッと浮き上がるが直ぐに沈み透明の湯になる。 体を伸ばしたいので足をそっと抜き対岸の土手に乗せ片方の土手に頭を乗せ頭と足だけ湯から出し夕日の空を仰ぐ。

    翌日再度訪れて、大きい池に入る。 こちらは底に数本の枯木丸太を敷いてあり泥の歓迎は少ないので快適であった。中央部から熱湯がブクブクと湧いていた。広々とした草地のなか<野生の温泉>にふさわしい遠景を眺め今日までの疲れをいやした

<露天風呂>

  • 第6日(8/4) 休養日

    マメの手入れや食料・装備の点検をした。 夕方テントに着いたバック・パッカーが「君の食料保管法では、クマに取られるヨ」と注意してくれ、「良い場所がなかったら俺の所に一緒にキープしてはどうか」と云ってくれた。 なるほど彼のはガイド・ブック通り十分な高さと木からの距離もある。 「これはクマが登った木の跡ダヨ」と近くの木に残された爪跡を見せてくれ納得する。

    「朝早いが面倒見てくれますか?」と云つたら「5時半出発は早いナ・でも食料降ろしを手伝うヨ」と答えてくれた。 彼も下山は私と同じ町とのことだが出発時間が3時間違うので途中で逢うことはない。 でも、同じルートを歩いている人がいることは心丈夫だ。

  • 第7日(8/5) ホット・スプリング〜セルダム峠〜イーストフォーク出合
    ホット・スプリング(5:30)_セルダム峠(10:30)_イーストフォーク出合(13:30) 行動時間:8時間

    昨日の休養で疲れも取れ、マメの状況も良好。 荷も軽くなり予定通り4時間でセルダム峠を越えた。

  • 峠からの下りは残雪があったが入山者もあり、トレールを捜すことも少なく雪の消えた夏道まで下った。 
    テント場近くで他のルートに間違って入り30分ロスして元の戻る。 原因は案内板にまぎらわされたこと。テント地手前で渡渉するが、水量が多く正規の場所は2の足を踏む深さだ、細い踏み後が下流に付いているのでそれに従うと少しはましな場所にでる。 それでも独りでは心細い水流である。

 

 

  • でも渡らなければテント地に着かないので、近くで棒切れを捜し靴を脱ぎ沢に入る、冷たいのでモタモタは出来ないバランスを水流で崩さないように気を付けて何とか無事渡ることが出来た。

  • しばらくして2名のパッカーが降りてきて、正規の場所をパンツひとつになって渡ったが、彼らは背も高いのであまり苦にならないようだが「ここは、渡渉で一番悪い所だ!」と云っていた。
    悪い条件の渡渉は2、3名のパーテイが有利と思えた。
    今夜のテント地も地図では<テント適地>のマークがあるが貸切のようだ。クマに食料を取られぬよう教科書通りの枝にロープでセットした。

  • 第8日(8/6) イーストフォーク出合〜ポケット・メドー
    イーストフォーク出合(5:35)_ポケット・メドー(12:30) 行動時間:6時間55分

    今日は全体的に下り最後に1時間程の登りになる。 ほとんど樹林帯のルートなので日射もあまり気にならない。
    途中2名のパーテイに逢う一人は日本人の若者、他は日本に留学している米国人でヨセミテ公園から来たとのこと。 「今日で6日目だが途中でクマに食料を取られので、食料手配で2日余分な日数をかけた」「ヨセミテ方面では他にもクマのトラブルがあり気を付けた方がよい」とのこと。それにしてもここで日本人に会うとは思わなかった。

  • 第9日(8/7) ポケット・メドー〜シルバー・峠〜レイク・バージニア〜ダツク・レイク
    ポケット・メドー(5:40)_シルバー・峠(8:00)_レイク・バージニア(12:30)_ダツク・レイク(15:30) 行動時間:9時間50分

    出発して10分登ると渡渉になる。 せっかく履いた靴を脱ぎ4m幅の沢である。 渡り終えて上流を見ると丸木が沢に渡してあり、靴を脱ぐこともなかったと悔やむがあとのまつりである。

    今回最後の峠に向け緩やかな登りを進む。 予定通り2時間半で峠を越す、しばらく下り2度目の登りにかかる30分程で道は下り気味になるが、パープル湖に向けて3度目の登りになる1時間で湖に着きここからは下りである。  下り疲れた頃ミュアルートから離れダック湖への登り20分で湖に着いた。下 山の町マンモス・レイクから近いため2張りのテントがあった。  風が強いので、ブッシュ帯の狭い所に設営した。最後の米を炊いて長かったテント生活に別れを告げる

  • 第10日(8/8) ダルク・レイク〜メリーレイク(登山口)〜マンモス・レイク(バス停)〜インデペンデンス(予約宿)〜ローンパイン
    ダツク・レイク(6:20)_レイク・メリイ駐車場(9:30)_マンモス・レイク町(10:40-12:30) インデペンデンス(14:20-15:10)_ローンパイン(15:40) 行動時間:9時間20分

    昨日2日分の行動をしたので、本日は<テント泊から開放されベットに寝ることが出来る>と思うと元気が湧いてくる。 荷も軽く加えてミユア・トレールのルートからはずれ、下山は下降だけで登りはなく残雪も消え立派な山道に従って下る山行で一番楽しい時間である。 
    途中4名のボーイスカウトパーテイに追い抜かれるが、バテた一番後方のスカウトはザックのファスナーが壊れ荷が半分出ているので「オイ、中身が落ちそうだヨ!」と注意してやる。v大分バテており彼らも下山途中なのであまり気にしていないようで他のメンバーはそのまま下って行った。  パッキングが悪くファスナーに無理な力が加わり閉まらない、やもなく手持ちの細引きを貸して応急処置をして「出来るだけショックをかけずに歩くのだネ」と注意した。

    自分の知る範囲では、日本のボーイスカウト・キャンプの日数は1週間位だが、テント、生活道具一式を自ら担いでの行動はしない、すべてテント地まで車で運び移動はしないので、キャンプの中身が違い自然とのかかわりもその分充実度も違うようだ。

 


  • 登山口の湖付近は大規模なカー・キャンプ場になっており、麓のマンモス・レイクはこれらの人々を対象にしたリゾート町であった。埃かぶったバック・パッカーはあまりお呼びでない雰囲気である。  案内所で、町の様子やバス停の位置を確認後、ここで泊まるのを変更して50Km程下った町のユース・ホステルに出発前に予約を入れてあるのでそこへ行くことにする。 予約日は11日で2日早いが、田舎の宿なので変更しても大丈夫だと思い、バスの発車時刻もせまっており現地に着いてから交渉する事にした。

  • 宿で変更したい旨申し込むが、「変更は出来ません、今日は満室」との返事。やむなく予約のキャンセルだけして外へでる。近くにモテールがあるが、この町もパットしない所で、更に30Km下り、以前に投宿したローンパインの宿に行くことにする。と云っても、車がなくてはどうにもならず、ヒッチハイクを試みるが、乗せてくれる気配はない。  小型トラツクの荷台に乗せてくれる可能性が高いが通過する車はほとんどワゴンかセダンで、埃かぶったバック・パッカーを乗せないのも道理である。やもなく先方の宿主に実状を電話し「迎えに来てもらえまいか?」とお願いしたところ、名前と声を覚えて居てくれ「以前に来た日本人ダネ、OK ダヨ、30分したら迎えに行くよ今何処?」との答えにホッとする。 <予約の宿にあらかじめ電話で確認しておけば、こんな状態になららかった>と反省した。

  • 第11日(8/9) ローンパイン
    ローンパイン(14:40)_ロスアンゼルス(20:50)

    この町は、ホイットニー山の登山口として栄えているが人口2000人程の落ち着いた所で、西部劇に出てくるような雰囲気の親切な人の多い町だ。 今回で4度目の訪問なので町の中も大体解り、安心して休養できる。 終日散歩して体調を整えた。

  • 第12日(8/10) ローンパイン
    昨日同様に終日休養する。 宿のプールにつかったり、土産店をのぞいたり、山の案内所で、次のコースの資料を聴取した。

  • 第13日(8/11) ローンパイン〜ロスアンゼルス
    ローンパイン(14:40)_ロスアンゼルス(20:50)
    バスは午後に出るので、それまで荷の整理などして帰国の準備をする。 町外れの飛行場がバス停になっており、久しぶりに荷を担ぎ30分歩いて行くと3名のバック・パッカーが乗車を待っていた。
    国内で予約していたホテルに夜チェックインする旨電話してバスの人となる。 最初に乗った12年前はうさん臭い乗客が多かったが、近年は市民の足として子供、女性が多く雰囲気も良くなったようだ。

  • 第14日(8/12) ロスアンゼルス
    近くのマーケットで中華風の朝食後、チャイナタウンとリトルトウキョウ内の日米移民博物館を見学した。 来年オープン予定の同館新設工事がかなりの規模で施工されていた。

  • 第15日(8/13) ロスアンゼルス空港〜機中
    成田空港(14:00-14:40)_岩槻(16:30)
    宿からシャトルバスに乗り20分で空港に着き、飛行機は予定時刻通り離陸して成田へ向かった。やはりシーズン中なのでほぼ満席である、きゅうくつな座席で長いようで短かった今回の山行を振り返り時間の過ぎるのを待った。

  • 第16日(8/14) 機中〜成田〜岩槻
    予定より30分早く成田空港に着いた。税関も空いており30分で通過して蒸し暑いなかを汗を拭きふき岩槻に帰った。