思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その36
    今回も、4世代9人旅で
  臺灣ー高雄カオション・墾丁ケンディンへの旅
関空から直行便で高雄空港へ6日間〈2016年3月26日〜31日〉 
はじめに…比較的近場で直行便で行ける海外旅行先を探して 
 
海外旅行に出かけると、俄然元気になる西矢の母・妙さんをお連れする旅、近いアジア版を探して決まったのが高雄でした。当初、韓国の済州島が候補になっていたのですが、関空からの直行便は最近なくなり、意外と台湾南部の高雄空港へLCCが飛んでいて、この地域を考えることになりました。
 台湾へは2010年に従姉夫妻とパックツアーに出かけ、駆け足でしたが台北からの一周旅行を体験済みでした。その時も高雄はワンポイントの旅行先でした。妙さんも台湾へは出かけていたのですが、高雄だけは訪れていないという好都合でした。最近は孫達の力も借りねばならず、ちょうど春休みに合わせました(健介君の高校合格祝いも兼ねて)。
 LCCはスクートというシンガポールの航空会社で、関空・高雄間のルートは魅力的でした。ただ、LCCらしく、基本料金は安いのですが、何も付いていないので、水一滴まですべて有料、機内持ち込み以外の荷物は全部有料(何と20kgまで8千円)という徹底ぶりでした(荷物を預ける時に初めて気付くという無知な私達でした)。慌てて全部機内持ち込みにしましたが、それを9人でやるので時間のかかる客でしたが優しく付き合ってくれました。
 高雄からどこへ向かうかが問題です。周辺の観光地はそれほど多くないし、小・中・高の孫たちと一緒ですから、身体を動かせる所も探さねばなりません。意外と日本では知られていないようですが、高雄より更に南へ行けば、海沿いですから、南国的な雰囲気のリゾート地があることが判りました。バスで2時間半ほどの墾丁に後半の宿泊を取ることにしました。宿泊はブッキング.comで予約しましたが、よく分からないことばかりの中、西矢が奮闘してホテル予約をしました。

@出発は関空発午後5時でゆったり目、着いたら直ぐ有名な高雄の夜市へ〔@は1日目、以降同じ〕

 こんな出発便は初めての経験でしたが、高槻を昼の1時頃に出発して現地に午後7時過ぎ(時差はマイナス1時間)に着くプランで、ゆったりした感じでした。荷物の予想外の扱いはありましたが、空港からタクシー2台に分乗してホテルには午後9時頃に着きました。ホテルの選定は、地の利最優先です。今回も有名な六合夜市に近い場所は好都合でした。ただ、着くまでよく分からなかったのですが、このホテルはビルの8階だけのホテルなのです。他のフロアーにはクラブのようなものも入っていて、その係員風の男性もたむろしているのです。まぁ地の利優先だし、チャンと寝られたらいいし、価格もリーゾナブルなので問題無しでした。
 フロントの娘さんらしい人は英語で、お母さんらしい人は日本語で対応してくれました。
 落ち着いたら直ぐ夜市に出かけました。5年前にも夜市に行きましたが、ホテルから遠かったのでバスで送迎して貰った記憶がありますが、今回は歩いて3分くらいのロケーションでした。前回より随分明るく感じました。町も清潔になった印象でした。
▲ファンハウスライフホテルのフロント ▲六合夜市に出向く ▲色々物色中
▲美味しかった炒飯。オジサンの手さばき ▲テーブル席で色々食べる ▲フルーツが豊富
A高雄市内見学へ。先ずは蓮池潭・龍虎塔へ
 高雄のホテルはビジネスホテル風で、朝食付きなのですが、クーポンを貰って台湾風と洋風の店へ出向く仕組み。ホテル近くの台湾風の店へ行きましたが、文字通り長蛇の列。『地球の歩き方』にも載っている地元では有名な朝食専門店でした。あまりにも人が多いので、仕組みがよく分からず制限の範囲内なのに追加料金を取られたようです。
 高雄と言えば代名詞のようになっている蓮池潭(中でも龍虎塔)へ地下鉄で向かいました。地下鉄は新しく、どこもエレベーターが完備していて車椅子には何の支障もありませんでした。天候にも恵まれ、爽やかな訪問でした。
▲朝食は興隆居で ▲地下鉄駅には北海道新幹線開業の宣伝 ▲龍虎塔に向かう
▲此処は出口(虎の口) ▲龍の塔から ▲蓮池潭の全景  ▲蓮池潭の湖岸で
午後は、相当離れた、佛光山仏陀紀念館へ
 午後の訪問先は、高雄に着いてから決めたのですが、佛光山仏陀紀念館へ向かいました。龍虎塔付近から、大亮が交渉してくれて2台のタクシーで向かいましたが相当な距離で、こんな山中に?と思ったのですが、突然壮大な施設が広がっていました。
 施設のガイドさんが話していましたが仏教施設と言うより博物館という趣(或いはテーマパーク)でした。壮大な施設は2012年に造られたようで、真新しい印象です。
 寄付金で建てられたと言われていますが、よくこれだけのものが作れるなぁ…と驚きました。最新の技術も駆使されていることも特筆に値します。スターバックスの店まであり、ベジタリアンの店もあり、ここでこの旅一番の豪華昼食を頂くことになりました(妙さんの奢りですが)。
 帰りもタクシー2台でホテルへ戻り、その後若者が集う新堀江へ散歩に行ったりし、夕方は再びお近くの勝手の分かった六合夜市へ出向きました。
 
▲仏陀紀念館(礼敬大庁)前で ▲成仏通りを進む ▲大仏を望む菩提広場  
▲大仏広場で ▲大仏の横にきれいな花  ▲布袋さんもIT調
 
▲ヴェジタリアンの店(漢來蔬食)で昼食 ▲若者の町・新堀江で
 ▲今夜も六合夜市へ  
B午前は高雄港へ。午後はバスに揺られて一路南下、墾丁へ
 昨日の人気店は定休日でなので朝食はファーストフード店の方にしました。この店もお粥があったりしてそれなりに台湾風でした。3日目は月曜日に当るのが不運で、予定していた訪問地の殆どは休館でした。
 高雄港の南側、ビジネス街に有名な85ビルがありますが、名前通り85階建てという訳です。そのビルの展望台は有料ですが、どうしても見たいわけではないので、その周辺・上下をウロウロするにとどめました。ただ港の周辺は公園風の広場が広がりのんびりできました。
 地下鉄駅前の大きな百貨店には、珍しく大きな本屋さんがあり見学に値するフロアーでした。
 昼食は美麗島という地下鉄駅の近くの道路沿いの屋台風の店で食べることにしました。
▲今日はファーストフード店で朝食 ▲ここが六合夜市の道、昼の部 ▲交差の駅・美麗島駅
▲港へ向かう道 ▲85ビルから港への公園 ▲高雄港で
▲高雄港前の公園 ▲同じくガジュマル ▲公園おモニュメントで  ▲85ビルの横の蓮
▲駅前の百貨店 ▲地下鉄駅のエレベーター  ▲美麗島駅前でランチ
午後は、快速路線バスで海沿いを走り抜けて、墾丁へ
 ホテルからタクシーでバスターミナルに異動。約2時間半で、真ん前がバス停のハワードビーチリゾート・ケンディン(墾丁)に到着。小湾と言うバス停でしたが、ホテル着は午後5時半でした。ここは少し古いのですが、この地域の老舗の大型リゾートホテルですから、相当な収容力があり、真夏には相当な人が駆けつけそうなところでした。
 ここにも台湾名物と言うのでしょうか、ホテルを出ると直ぐに夜市がスタートし、バス道沿いの両側に長い夜市が続きます。この日も夕食は夜市で頂くことになりました。
 
▲ゆったりしたホテルの部屋 ▲夜市から帰ってピザを食べる ▲部屋のベランダから月も出た  
Cホテルにはプライベートビーチもあり、テニスコート、ボーリング場と多彩なアミューズメント施設
 ホテルは地上は高い所で4階しかないのですが、地下が2階もあり、結構な広さでした。前を走る幹線道路をトンネルで越えてビーチに出られるのがウリのようでした。テニスコートもあり、無料なのですが誰も利用者は無く、独占状態でした。
 毎日、朝食バイキングが利用でき、相当なボリュームで、ゆっくりとたくさんの料理を頂きました。私達は少しテニスもしましたが、妙さんをお連れして、さらに南下、台湾最南端の鵝鑾鼻(オルアンビ)灯台へ行くことにしました。歩と4人旅になりましたが車椅子をしっかり押してくれるので大いに助かりました。
 タクシーで20分ほどの所にあり、最南端に惹かれて台湾の人達の観光バスがたくさんやって来ていました。中々風情のある光景でした。灯台からは私達のホテルの近くにある大尖山(文字通り尖った山)がよく見えました。ワゴン車だったこの時の運転手さんと交渉して、帰国する日の早朝にも空港まで送って貰うことになりました。
 帰りは路線バスでホテルのある小湾まで戻り、少し休憩してから、みんなでボーリングを楽しみました。少し古い形でしたが、一応8レーンありました。
 この日も夕食は夜市の出ている道路沿いのレストランで取ることになりました。ただ、私達と妙さん・歩が入った店はメニューがオール台湾語で何が出て来るのか判らず難儀しました。
▲部屋はマウンティンビュー ▲独占状態のテニスコート ▲灯台へ行ってきまーす
▲灯台からホテル方面 ▲灯台前で ▲灯台を横に帰路
▲ボーリング場 ▲トコトン辛かった台湾料理 ▲味は梨?  
D実質最終日は朝の散歩、ビーチとプールで過ごす
 ホテルの真向かいに、形の良い山が見え、大尖山(ダー・チン・シャン)です。その麓に牧場があり、その辺りへ早朝散歩に出かけました。帰ってからは最後の朝食バイキングでしっかり腹ごしらえ。今頃にウェルカムドリンク。今日も独占状態のテニスコート、そして、キッズは2回目になりますが、妙さんを含む全員は初めてのプライベートビーチで遊びました。天候も暖かくなり、まだまだ暑くはないのですが、海に入ると寒さを感じなくて済む印象でした。
 プールは超寒いので、横にあるジャグジーのお湯に浸かったりしていました。 
▲4階から1階の朝食会場 ▲左に道路、右にビーチ  ▲近くの小学校  
 
▲大尖山の後ろに回り込む ▲帰路に就く
 ▲最後の朝食バイキング  
▲今日もテニス独占状態 ▲向うに大尖山
 ▲今頃ウェルカムドリンクですが
▲ビーチバレー ▲ビーチサッカー ▲海は冷たい?
 
▲6人入っていました ▲海辺を駆ける少年たち ▲豪華ランチタイム  
▲海上を歩く ▲暖かいジャグジーが最高  ▲見ての通り、人の少ないプール  
最後の夜も夜市通りの感じの良いレストランで夕食。
 前日の夕食はうまく注文ができなかったので、この日は大亮達が使ったレストランで最後の晩餐にしました。少し早目だったからか、店も空いていて、妙さんの奢りでゆっくりたらふく食べました。
▲ホテルのエントランスで
▲ホテル前からバス道まで
 ▲最後の晩餐
E打ち合わせ通り、ホテル前までジャンボタクシーのお迎えで、空港へまっしぐら
  前日にお願いしていたタクシーの運転手さんからホテルに再確認の電話があり、準備万端OKでした。その上、早朝7時に出発なら、ボックスに朝食を詰めてくれると言うので願ったり叶ったりでした。不安定な早朝バスでなく、捕まえられるかどうかの不安もなく、ジャンボタクシーだったのでホントに安心でした(その上価格もリーゾナブル)。お蔭で予定より30分ほども早く空港に到着できました。
 
途中運転手さんがパイナップル畑で車を止めてくれたりもしました(写真を撮り忘れたけど)。 
▲迎えに来てくれたジャンボタクシー ▲空港に到着。青い袋は朝食ボックス

南国のビーチリゾートとしての発展の可能性を孕む台湾南部
 台湾が沖縄(特に八重山諸島)の直ぐ西側にあることは分かるのですが、その地域よりもっと南国の雰囲気が豊かだと気付くことはありませんでした。だから、そこにビーチリゾートがあることも何だか実感がわきませんでした。でも沖縄がそいう発展を遂げている今、当たり前のことに属するんですね。
 だから、上の印象記にも少しは触れましたが、食べ物とかも豊富なんですね。だから、日本人観光客が高雄止まりでも、少し南へ下ればリゾート地が広がっていても不思議はないのですね。本当に色々と認識不足が多いことに気付きますね。 
それにしても、漢字の繁体字は難し過ぎる。何とかならないかなぁ…
 このHPのタイトルを敢えて臺灣としたのは、今でもこういう文字を台湾で見かけたからですが、学校での漢字の勉強はとてつもなく大変だろうと思います。だいぶ前に、韓国・中国を旅した時に痛感して、「週刊金曜日」に投稿し掲載されたのですが、表意文字の優れた点を広めると言う意味でも、漢字文化圏の日韓中で漢字の共有化を図れないか、という趣旨でした。もちろん、繁体字が一番難しいので台湾を交えてです。どこまで漢字の簡略化が進んでいるのか分かりませんが、今回も台湾最南端の灯台の名前を書くのが大変でした。ワープロでカオシュンと打てば候補に高雄が出ることにも驚きましたが、よく見たらこの読み関連性はありますね。この地名にしても単なる日本の押し付けではなく「打狗」という現地の言葉の音は生かしているようですね。
 簡体字もいいのですが、中国の簡略化は行き過ぎではと思うので、少し揺り戻してもいいのではとも思うのです。
歴史を振り返ると、単純には語ることができない台湾の色々な問題
 日本では、よく「台湾の人は世界でも一番対日感情が良い人達」と言われるのですが、侵略しておいてその言い方は無いだろう!?と思っていました。特に日本語を話せる人が相当な年配層には居られることをプラス評価で語られると、苛立ちを覚えたものです。
 ただ、真面目に台湾の歴史を勉強していなかったので、この機会に少し調べてみると、結構複雑な問題があるんですね。広大な中国大陸の近くにある小さな島である故の難しさです。
 もちろん、日本の植民地になるのは日清戦争後の下関条約で「割譲」されてからです。よく考えたら割譲って何?ですが、さして疑問もなく使われて来ました。韓国併合よりも長い50年の日帝支配です。ところが、韓国と違うのは、この島の人々の大陸の人々との関係が基本的に良好ではなかったことです。沖縄と本土の関係と類似性があるかも知れません。元々、台湾先住民は大陸との関係を拒絶してきました。ヨーロッパからの侵略を経てそれを追い払った中国の鄭成功達の軍事的勝利によって中国に組み入れられただけで、先住民が選択した結果ではなかったのです。
 だから、日本への割譲にしても、「三国干渉」によって遼東半島は中国に返還されましたが、台湾はそうならなかった。そのことへの中国政府への失望があると言われます(中国の台湾切り捨て)。もちろん、50年間の日帝支配に対して反日闘争が散発しましたが、中国政府の支援があったわけではありません。
 そして日本の敗戦で「光復」が実現し、国民党政府に組み込まれますが、台湾への支配体制は外相人の奢りで本省人の反発を定着させたようです。そのことが「まだ日本の支配の下の方がマシだった」という反応を生むと言われるようになります。間もなく国共内戦での国民党の敗北で彼等がこの島に大挙流入したことが、徹底的な反発を招いたことは知られている通りです。
 だから、台湾の人達にとって大陸の人々はほぼ一貫して信頼に足りる人ではなかったことになります。その人達と日本人の単なる比較の問題なのでしょう。そして、東アジアの韓国、香港の問題と中台問題は違う問題を持っています。韓国は言うまでもなく、民族全体の問題だったし、香港はイギリスが中国に認めさせた租借問題なのです。
 二つの中国問題は、以前は僕も蒋介石一派の反革命の動きの一環と考えていましたが、台湾の一般人(特に本省人)にとって、中国に帰属するという選択肢は自明のこととはならない、と今は思います。国とは認められず、地域としか捉えられない苦難がある。だから、国の呼称一つとっても、チャイニーズ・タイペイでは不満と言うのもやっと理解できるようになりました。
 こういう複雑な国際環境の下で、経済発展を遂げている背景は何かと思わざるを得ません。シャープの買収を手掛けた鴻海が台湾企業であることとも絡むし、これまでの海外旅行ですれ違った人々が「タイワンニーです」と元気に話していたことも思い出します。先般訪れたNZでも、台湾人と名乗る若い方にマウントクックとかで会いました。




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