思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その7 |
1年半の準備が実った 案ずるよりは産むは易し
韓国修学旅行 ソウル・水原 2002年10月末4日間・引率の記 |
月・日 | 行 動 | 宿泊ホテル |
10月28日午前 | 関空集合8:05 関空9:40⇒11:30仁川空港 | |
10月28日午後 | 統一展望台 景福宮 | 漢江ホテル |
10月29日午前 | 国立中央博物館前集合。ソウル市内グループ別自由行動へ | |
10月29日午後 | ソウル市内自由行動から戻る。 新羅免税店 | ジサンホテル |
10月30日午前 | 韓国民俗村 | |
10月30日午後 | 三一高校との生徒交流 | ジサンホテル |
10月31日午前 | 【Bグループ】仁川市付近で物産店・【Aグループ】仁川市内散策 | |
10月31日午後 | 関空に到着。現地解散 |
私自身は画像送信でオフィスへ行っていたので、帰ってきた風景をジックリ見ていないのですが、見た限り、ガイドさんと記念写真を撮ったり、アドレス交換し、涙を流すガイドさんまで居たようです。
出発地点が集合地点でもあったのですが、ここで別れを惜しみ、次の目的地水原(スウォン)市の山裾にあるジサンポレストリゾートホテルへ向かいました。途中、トイレ休憩をかねて新羅免税店に立ち寄りました。お土産を何処で買ったらいいか不安な生徒は結構買い物をしていたようです。
午後の三一高校との交流では、主担の津田さんが当初から企画したように、セレモニーは最小限に抑える、生徒間交流重視のプランが有効でした。
大冠の生徒の頭髪指導はそれなりにやったのですが、完璧ではなく、その点での反省はありますが、ただ、意外だったのは、生徒がバスから小学生の姿を見て「先生、話が違うやん」と茶パツの小学生が居ることを報告していたこと。後で聞くと、日本と同じで小学校は自由で、中・高は茶パツ厳禁だそうです。
全国観光は全てのガイドさんの携帯電話番号を一覧表にして生徒に渡すなど、セキュリティ管理は万全でした。集合に遅刻したグループはガイドさんが全国観光に叱られるというくらいでした。
生徒が立てたプランに必修で入れる歴史ポイントは、大半が安重根記念館で、タプコル公園が2割ほど。国立博物館が1割ほど。西大門刑務所跡地はルートが逆になるのでロスが出るため2グループほど。生徒が見つけてきた柳寛順記念館は現地のガイドさんも知らない所で、彼女の出身の梨花女子高校のホールの一廓にあり、私達が訪問しても大変わかり辛く難儀したくらいだから、生徒もガイドさんと相談して変更したようです。
自由散策では、ロッテワールドとかを選択したグループは殆どなく、南大門、東大門、明洞辺りが中心【写真A・Bは明洞の街で】。
昼食も、ガイドさんに案内してもらった地元の評判の店でタップリ食べたという生徒も多かったようです【写真Cビビンバを食べる生徒達】。
このホテルは、韓国では珍しいスキー場に建てられたリゾートホテルで、コンドミニアム形式。韓国らしく全室がオンドル部屋で、家族や友人で自由に過ごせるようになっているホテル。管理には楽で、周りは林で静か。何も無いということでもあるわけです。
1日目の夕食は生徒諸君には余り好評ではなかったのですが「韓定食」。僕達には結構いける味だと思いましたが…。
ここで連泊するのですが、予想外だったのは生徒諸君はオンドル部屋がたいそう気に入ってくれたことです。オンドルに布団を直に引くというのはどうだろうと心配したのですが、寒くなってきたせいもあり、床暖房は好評だったようです。
昼食は韓国風すき焼である、プルコギでしたが、これも大好評でした。
1年の終わりに大冠高校紹介の英文手紙(修学旅行委員合同作成)送付。生徒全員によるパートナーへの英文手紙送付(1学期末)。返事がきた生徒は1、2割程度。この頃に、英語が苦手な生徒が結構多いことも判明。返事をくれるように督促。こちらの生徒主体で2名のペアリング。合計4名を基本にグルーピング。
予想した手はずにはならず、ドッと相手探しに乗り出すという形でパートナー探し【写真A】。それで少し時間はかかりましたが、順調にグループ成立【写真B・C】。
前述したように韓国の生徒の何割かは英語が不得意なため、スタート時点では、日本の生徒が英語が通じないと訴える場面がありました。どうコミュニケーションをとったのか、とにかく大半の生徒は手を組みながら明るく帰校してきました【写真D・E】。
グランドに到着し、バッジを交換する者【写真G】、ネクタイを交換し、締めてあげる者【写真H】、そして、日本語教科書を見ながら解説する者【写真F】、突然サッカーをし始める者【写真I】。別れる時には、激しく手を振る者、抱き合う者、もちろんアドレス交換する者、多くの生徒が満足げに交流を終えました【写真J・K】。
韓国側の生徒がこちらの都合でペアーにさせられたものだから、向うは仲が良くなく、分かれてしまったという例もあったようです。自宅に招待されご馳走になった生徒も居るし、本格的なスタジオに行き、一緒に写真を撮った生徒も居り、交流の中味は千差万別だったようです。
いくつか見られた混乱は、マア、予想範囲、許容範囲で、全体的には生徒同士の直接交流は盛り上がり、意義深いものになりました。
そこには、多分日韓の民族の歴史や文化の違い等はほとんど反映されず、あるがままに、生身の高校生同士の交流が広がっただけなのでしょうが、それはそれでいいのでしょう。
出発前の予報では心配もあったのですが、結局最後まで、好天に恵まれラッキーでした。
Bグループはお土産屋さんに寄るだけで仁川空港へ。Aグループは仁川市のワールドカップスタジアムに立ち寄ることができました。
復路はいっそうスムーズで、無事関西空港に着き、ターンテーブルから重くなったカバンを受け取り、その場で解散としました。
Copyright © 2002 MIKAMI HIROSHI