思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その7
1年半の準備が実った 案ずるよりは産むは易し
韓国修学旅行 ソウル・水原
2002年10月末4日間・引率の記 


[ソウル市内グループ自由行動に出発。ガイドさんと顔合わせ] [三一高校生徒と水原市内散策へ。華虹門で] [三一高校で交流を終えてバッジの交換など]

 はじめに…色々と教えて頂いた友人に感謝を込めて韓国修学旅行の報告です 
 大冠高校16期生の担任団が発足したのは2001年2月。当初から色々議論を進め、条件付ながら韓国修学旅行が決定したのは3月26日。それからでも1年半が経過しました。
 10月31日、日本でも厳しい寒さが訪れていた秋に、無事関空に帰って来ました。既に大冠高校のWEBサイトに最新情報を掲載していますが、少し落ち着いたので、このサイトでも引率記をアップすることにしました。
 この行事では、既に韓国修学旅行を実施された近隣の高校の担当者の皆さんに、色々とご教示を頂きました。これから韓国修学旅行を検討されている高校もあり、情報提供を要請されたりもしています。文字が多いとお叱りを受けていますので、実施上の詳細な注意点等は割愛します。ご連絡頂けば、わかる範囲でお答えしたいと思っています。 
 尚、いつものことですが写真説明は写真上でクリック下さい。


月・日 行               動 宿泊ホテル
10月28日午前 関空集合8:05 関空9:40⇒11:30仁川空港
10月28日午後  統一展望台  景福宮   漢江ホテル
10月29日午前  国立中央博物館前集合。ソウル市内グループ別自由行動へ
10月29日午後  ソウル市内自由行動から戻る。  新羅免税店 ジサンホテル
10月30日午前  韓国民俗村  
10月30日午後  三一高校との生徒交流   ジサンホテル
10月31日午前  【Bグループ】仁川市付近で物産店・【Aグループ】仁川市内散策  
10月31日午後  関空に到着。現地解散  

概ね順調に集合・出発! [予約でゆったりはるか車内]
 関空現地集合にしたのが良かったのか悪かったのか、最後まで悩みました。意外な盲点はバスでした。高槻ですから直行バスはないのですが、茨木から出ています。バスは避けるように伝えたものの、そう多くはないだろうと高をくくっていたのが間違いの元。前日にアンケートを取ると、掌握しているだけで60名近く。急遽、担任から電話でJRへの変更を勧めました。
 特急はるかは保護者にJR関係の方が居られ、団体乗車を募り、70名強が申し込みましたが、これは正解でした。バスも「はるか」もそうなのですが、朝早い便は混み合うのです。「はるか」自由席は150%位の乗車率でした。
[関空での荷物預け]  結局、遅刻は父親に自家用車で送ってもらった2名だけでした。因みに賢明な親は自家用車で送っても日根野からJRに乗せる(橋の通行料節約)。
 カバン類は、事前に強調したせいか、意外に大きなものはなく、荷物預けも順調な方でした(でも、160人ですから時間はかかります)。ただ、機内持込のみという生徒はごく少数でした。間違って、筆箱を機内持ち込みに入れその中に何故かハサミが入っていて預かってもらった真面目な生徒が居ました。
[JALでの機内食]  韓国くらいの半端な飛行距離の国際線は機内食で昼食を済ませられるのかが問題。私達は、結局韓国に着いてからバス内で韓国のり巻の昼食を用意しましたが、機内食は写真のようなものでした【JALの例】。
 乗り合わせた一般客には迷惑だったでしょうが、離陸の時に感動や驚愕の声があがるのは不可避で、マア我慢してもらいましょう。  

分断国家の厳しい現実…統一展望台。でも、好天の下、眺望を楽しむだけ(?) [仁川空港でガイドさんとの対面式]
 仁川空港に着いた後、安心なのは、クラス毎にガイドさんが付いて色々な世話は任せていいことです。空港でこれも一般客には迷惑でしょうが、対面式。
 韓国の受け入れ先である全国観光のチーフであった車(チャー)さんにも下見で聞いたのですが、このガイドさんは日本語通訳試験をパスしている方達。現地で聞いても、3年かかったとか、塾に通ったとか、相当な難関のようです。そういう方達が4日間同行してくれます。
[統一展望台でビデオを見る。前にはイムジン川と漢江が広がる]  バス内で軽い昼食をとり、両替をし、少しガイドさんが分断国家の現状を話したら、到着という感じ。
[統一展望台の屋上から。後にはイムジン川]  生徒がどの程度、この統一展望台の意味を理解したかは、覚束ないのですが、それは仕方ないことでしょう。拉致事件の直後だけに、僕等だって複雑な心境なのですから。多分天気もよかったので、いい景色を見たという印象くらいかも知れません。時間がないので、望遠鏡で北(模範村)を見るというような時間も取れなかったので余計にそうでした。
 

景福宮(キョンボックン)は冷え込み、駆け足で。夕食は何たってカルビ [景福宮の新装された門の前で]
 翌日は休館なので、この日に見学することになった景福宮。ガイドさんが案内してくれるのですが、急に冷え込み、駆け足で見学したようです(私は画像送信のため全国観光の本社オフィスへ出向いていたので、詳細は知らないのですが)。
[韓一会館でのカルビの夕食]  食事を何にするかは、選択肢があります。でも、今回の選択は好評でした。生徒のアンケートでは食事は満足度が高かったようです。グルメの旅のようだったと書いている生徒も居るくらいです。初日はご存知カルビ。美味しかったようです。この夕食時に初めて全クラスが合流したことになり、そこから漢江ホテルに向かいました。部屋はベッドとオンドル部屋に分かれたのですが、ここではベッドの方が好評だったようです。オンドルに慣れないと少し暑く感じたようです。
[漢江ホテルロビーに勢揃いしたガイドさん達]  ここでも、フロントに全クラスのガイドさんが集合し、世話をしてくれました。フロントでカードを買い、国際電話で自慢げに通話している(携帯にもつながる!)生徒の姿が印象的でした。
 おやつの好きな生徒諸君にとっては外出禁止が誤算のようで、韓国でのお菓子は明日までお預けになり、不満顔でした。


メインイヴェントの第1 ソウル市内グループ別自由行動は大好評

[漢江ホテルを出発]

 2日目は、今回の企画の第1の山場、ソウル市内グループ別自由行動。予想通りアシスタントガイドさん(全員女性だった)が若く、年齢的にも生徒に近いので、楽しく出発し、散策を楽しみました【写真@グループ毎にアシスタントガイドさんと顔合わせ】。
 全国観光は全てのガイドさんの携帯電話番号を一覧表にして生徒に渡すなど、セキュリティ管理は万全でした。集合に遅刻したグループはガイドさんが全国観光に叱られるというくらいでした。
 生徒が立てたプランに必修で入れる歴史ポイントは、大半が安重根記念館で、タプコル公園が2割ほど。国立博物館が1割ほど。西大門刑務所跡地はルートが逆になるのでロスが出るため2グループほど。生徒が見つけてきた柳寛順記念館は現地のガイドさんも知らない所で、彼女の出身の梨花女子高校のホールの一廓にあり、私達が訪問しても大変わかり辛く難儀したくらいだから、生徒もガイドさんと相談して変更したようです。
 自由散策では、ロッテワールドとかを選択したグループは殆どなく、南大門、東大門、明洞辺りが中心【写真A・Bは明洞の街で】。
 昼食も、ガイドさんに案内してもらった地元の評判の店でタップリ食べたという生徒も多かったようです【写真Cビビンバを食べる生徒達】。
[国立博物館前でアシスタントガイドさんと顔合わせ] @[明洞を散策する男性グループ] A[明洞を散策する女性グループ] B[ガイドさんと一緒に昼食・ビビンバ] C

 私自身は画像送信でオフィスへ行っていたので、帰ってきた風景をジックリ見ていないのですが、見た限り、ガイドさんと記念写真を撮ったり、アドレス交換し、涙を流すガイドさんまで居たようです。

[アシスタントガイドさんとお別れ] [アシスタントガイドさんとアドレス交換]

 出発地点が集合地点でもあったのですが、ここで別れを惜しみ、次の目的地水原(スウォン)市の山裾にあるジサンポレストリゾートホテルへ向かいました。途中、トイレ休憩をかねて新羅免税店に立ち寄りました。お土産を何処で買ったらいいか不安な生徒は結構買い物をしていたようです。
[ジサンホテルの夕食・韓定食]  このホテルは、韓国では珍しいスキー場に建てられたリゾートホテルで、コンドミニアム形式。韓国らしく全室がオンドル部屋で、家族や友人で自由に過ごせるようになっているホテル。管理には楽で、周りは林で静か。何も無いということでもあるわけです。
 1日目の夕食は生徒諸君には余り好評ではなかったのですが「韓定食」。僕達には結構いける味だと思いましたが…。
 ここで連泊するのですが、予想外だったのは生徒諸君はオンドル部屋がたいそう気に入ってくれたことです。オンドルに布団を直に引くというのはどうだろうと心配したのですが、寒くなってきたせいもあり、床暖房は好評だったようです。

最大の行事 三一高校との生徒交流は大成功 [韓国民俗村入口で記念撮影]
  実質的に最終日になる第3日は、[昼食はプルコギ。これも大好評] 午前中韓国民俗村を訪れ、その後、この修学旅行の目玉となる三一高校との生徒交流へ向かいます。民俗村は、時間も十分でなく、きっと生徒諸君もあまり興味を示さないだろうと思ったのですが、アンケートでは「もっと居たかった」という感想も結構ありました。
 昼食は韓国風すき焼である、プルコギでしたが、これも大好評でした。

[吹奏楽部による大冠高校校歌演奏で迎えられる]  午後の三一高校との交流では、主担の津田さんが当初から企画したように、セレモニーは最小限に抑える、生徒間交流重視のプランが有効でした。
 1年の終わりに大冠高校紹介の英文手紙(修学旅行委員合同作成)送付。生徒全員によるパートナーへの英文手紙送付(1学期末)。返事がきた生徒は1、2割程度。この頃に、英語が苦手な生徒が結構多いことも判明。返事をくれるように督促。こちらの生徒主体で2名のペアリング。合計4名を基本にグルーピング。
 予想した手はずにはならず、ドッと相手探しに乗り出すという形でパートナー探し【写真A】。それで少し時間はかかりましたが、順調にグループ成立【写真B・C】。

[グランドに整列する両校の生徒] @[パートナー探し] A[グループ成立] B[グループ成立] C
 ただ、直前に、パートナーにならなかった生徒も交流したいという三一高校側の申し出(日本で一応断ったのですが)を断れず、韓国側はパートナーの生徒の仲良しも加わることになりました。
 前述したように韓国の生徒の何割かは英語が不得意なため、スタート時点では、日本の生徒が英語が通じないと訴える場面がありました。どうコミュニケーションをとったのか、とにかく大半の生徒は手を組みながら明るく帰校してきました【写真D・E】。
 グランドに到着し、バッジを交換する者【写真G】、ネクタイを交換し、締めてあげる者【写真H】、そして、日本語教科書を見ながら解説する者【写真F】、突然サッカーをし始める者【写真I】。別れる時には、激しく手を振る者、抱き合う者、もちろんアドレス交換する者、多くの生徒が満足げに交流を終えました【写真J・K】。
[三一高校へ帰るグループ] D[手を組み帰って来るパートナー] E[教科書で日本語授業?] F[バッジ交換] G[ネクタイをプレゼント、締め方も教える] H[突然、サッカーで交流] I

 大冠の生徒の頭髪指導はそれなりにやったのですが、完璧ではなく、その点での反省はありますが、ただ、意外だったのは、生徒がバスから小学生の姿を見て「先生、話が違うやん」と茶パツの小学生が居ることを報告していたこと。後で聞くと、日本と同じで小学校は自由で、中・高は茶パツ厳禁だそうです。
 韓国側の生徒がこちらの都合でペアーにさせられたものだから、向うは仲が良くなく、分かれてしまったという例もあったようです。自宅に招待されご馳走になった生徒も居るし、本格的なスタジオに行き、一緒に写真を撮った生徒も居り、交流の中味は千差万別だったようです。
 いくつか見られた混乱は、マア、予想範囲、許容範囲で、全体的には生徒同士の直接交流は盛り上がり、意義深いものになりました。
 そこには、多分日韓の民族の歴史や文化の違い等はほとんど反映されず、あるがままに、生身の高校生同士の交流が広がっただけなのでしょうが、それはそれでいいのでしょう。

[別れを惜しみながらバスへ] J[見送りの三一高校生と] K

いよいよ最終日、一路日本へ [ジサンホテルでの朝食バイキング] [ジサンホテルを出発]
 最終日は、再び二つのグループに分かれ、帰国の途へ。朝食はどの日もバイキングでしたが、これも生徒諸君には好評でした。
 出発前の予報では心配もあったのですが、結局最後まで、好天に恵まれラッキーでした。
 Bグループはお土産屋さんに寄るだけで仁川空港へ。Aグループは仁川市のワールドカップスタジアムに立ち寄ることができました。
 復路はいっそうスムーズで、無事関西空港に着き、ターンテーブルから重くなったカバンを受け取り、その場で解散としました。
[無事関空に着き、ターンテーブルで荷物受取り]




韓国修学旅行の計画がある皆さんには、更に詳細な情報も
 冒頭に書いた通り、ここには書き切れなかった、書かない方がいいものを含め、情報伝達は可能ですので、質問等ありましたらメールを頂ければいいかと思っています。そうすることが、色々教えて頂いた方々への御礼にもなるかと思っています。




Copyright © 2002 MIKAMI HIROSHI