思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その6《前編》
 ここまで暑いとは思わなかったが、やっぱりエジプトは夏だ! 
真夏のエジプト・3人旅・15日間 


[考古学博物館に一番乗りして見たツタンカーメンのマスク] [砂漠を横断しながら見た三大ピラミッド] [音と光のショーのアブシンベル大神殿]

 はじめに…夏の盛りに無謀なエジプトと言われたのですが 
 2001年夏は、三上が前半3週間を普通教科「情報」の免許講習にさかれ、終盤は同窓会的ハワイツアーで、西矢の母との3人旅はお休みでした。
 02年の旅は、体力がある間に行っておいた方がいいところ、エジプトにしました。この選択は正しく、75歳になる母にとっては体力的に最後のチャンスだったかも知れません。僕達夫妻にとっても年齢を重ねてからではシンドイ、そういう旅でした。
 西矢の母は、何度かエジプトの旅を申し込んだのですが、昨年の9.11事件、だいぶ前になりますがルクソールでの銃乱射事件、等で直前キャンセルになるという憂き目に会って来ました。母はもうエジプトには縁が無いのだと諦めていたところでした。彼女はパックツアーで、世界の主なところはもう相当廻っているのですが、残された未踏の地でした。
 毎年のことですが、西矢の勤務する摂津市は8.6平和登校を継続しているので、それまでに帰らねばなりません。他の航空会社も検討したのですが、日程の関係で今回は珍しく直行便、エジプト航空を使うことになりました。関空からは昨年再開されたばかりでラッキーでした。それでも週3便だけですから、20日出発というキツイ日程になりました。試験休みがなくなるという生まれて初めての経験で終業式直後の出発は不安もありましたが、まあ何とかなりました。
 真夏のエジプトは暑過ぎるのは聞いて知っていましたが、この時以外に2週間を取れる時期は無いので選択の余地はありませんでした。母にとっては秋、冬の方がよかったのでしょうが。
 そして、少し開き直って、表題に書いたように、これぞエジプトという暑さを体験してきたという訳です。
 尚、いつものことですが写真説明は写真上でクリック下さい。


月・日 行               動 宿泊ホテル
7月20日                  関空13:55⇒21:15カイロ空港 ロータスH
7月21日  エジプト考古学博物館  ハン・ハリーリ   ヴィクトリアH
7月22日  ギザ(クフ王等三大ピラミッド、スフィンクス)、太陽の船博物館 ヴィクトリアH
7月23日  サッカーラ遺跡(ジェセル王の階段ピラミッド)メンフィス遺跡 ヴィクトリアH
7月24日  オールドカイロ(聖ジョージ修道院等)イスラーム地区   夜行列車
7月25日  東岸(カルナック神殿・ルクソール神殿)   フィリップH
7月26日  西岸(ラムセス葬祭殿、ネフェルタリの墓)  ルクソール博物館   フィリップH
7月27日  西岸(王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿)   フィリップH
7月28日  フルーカ遊覧     クレオパトラH
7月29日  アブシンベル大神殿、小神殿「音と光のショー」     ネフェルタリH
7月30日  アブシンベル大神殿、小神殿     ワゴンリー(夜行)
7月31日  アレクサンドリア海岸散歩 海鮮料理探索   メトロポールH
8月1日  カタコンベ、ローマ劇場、グレコローマン博物館、アレキサンドリア図書館   ヴィクトリアH
8月2日                カイロ14:30⇒   機中泊
8月3日 ⇒08:30関西空港    ほぼ予定通り

歴史がぶち切れている不思議なエジプト [カイロの国鉄駅構内で礼拝するムスリム。あちこちで見かける光景]
 イスラム教圏への旅は、これが初めてということになります。以前、イベリア半島の途中、ジブラルタル海峡を越えてモロッコのタンジェに一泊したことはありましたが、極めて短時日でした。トルコにはそこそこ居ましたが、このWEBページでも書いたようにモダナイズされていますから少し違います。
 紛れも無いアラブ諸国であり、イスラム圏なのですが(ゴザの上とかで礼拝する光景は多かった。写真はカイロの国鉄駅構内)、この国や民族が5000年前世界最古の文明を作り上げ、それも、現地に来て改めて実感する程の驚くべき高度な文明を築いた事実とどう繋がっているのか、一旅行者に現地の人に尋ねる余裕はありませんでした(とりわけこの暑さでは聞く元気もなし)。
 少なくとも、現象的には全く繋がっていないのです。実は、「はじめに」でも書いたように忙しい中での出発でしたから事前学習は殆どできなかったのですが、旅をしながら読んだ『古代エジプトを発掘する』(高宮いづみ)と『インカとエジプト』(増田義郎・吉村作治)〔いずれも岩波新書〕で改めて確認したのですが、古代エジプト語等は基本的に継承されていないようです。中国で漢字が形を変えているとは言え、連綿と繋がっていることと随分大きな違いがあリます。
[オールドカイロにある聖ジョージ修道院]  ここは世界史を考える場ではないのですが、紀元前2500年頃にこれだけの文明が!?と何度も思うにつけ、今のエジプトとの繋がりを考えざるを得なかったというのが実感なのです。古代エジプトはやがてローマ帝国の支配下に入り、そして、7世紀にはイスラム教圏に属することになリ、色々な経緯はありますが、そのままということになるようです(だから、言語も文字もアラビア語)。一時ビザンツ(東ローマ)帝国の支配下にもあったのでキリスト教圏にも属したことがあり、1割ほどはコプト教(エジプト流に受け継がれたキリスト教)信者だと言います。キリスト教の修道院も訪れましたが【写真左】、勿論ギリシャ正教で、なぜかギリシャの国旗がありました。
 因みに、先に紹介した2冊は大変興味深い内容でした。前者はあの有名な早稲田の吉村さんの愛弟子のような方で、女性であることから、そういう観点でのエジプトへの見方もあり、発掘現場の実態やエジプト学の現状、そして要所要所にエジプトの歴史が盛り込まれ読み易い。後者は題名通り。このWEBサイトで掲載している通り一昨年ペルーを訪れている僕達にとってはピッタリの内容。増田というインカ研究者が真面目にエジプトの勉強をして対談されているので突っ込みが深い。そういう内容です。

意外にも、英語が通じない。そして、アラビア数字が通じない! [カイロの空港行きバスのナンバー表示。読めますか?]
 いつもの旅情報の定番的に報告すると、英語は観光関連は別にして意外と通じません。あまりいい連想ではないのですが、フィリピンやインドと同じように支配国であったイギリスや合州国の言語が通じるものと思っていたのですが違いました。そんなに困る訳ではないのですが、タクシーのドライバーにうまく通じないことも時々。
 これはこの国だけではないのですが、警察官が意外と英語が通じないのですネ。まあ、日本でもそうかも知れませんが。ただ観光国だけに困ることが多いように思います。後で触れますが、観光ポリスがやたらとたくさん居るのですが、概してこの人たちが話せません。何のための観光ポリス?と何度も思いました。
 もう一つ意外だったのは、数字です。アラビア数字と言いますから、アラビアでは当然通じると思っていたら、何と違う。「アラビア語の数字」という何とも変なことを言わなければならない。これも僕達のようにバスや市電、列車に乗る人は大変困る。アラビア数字だけは世界共通だから(読み方が判らなくても)と生徒にも教えてきたのにショック!?

誰がスッタフなのか、単なるタカリなのか?そしてポリスもバックシーシーを求める
衣食足りて礼節を知る!?なのでしょうが…
[サッカーラで頼んでもいないのに説明する人。キッチリ要求された]
 これも散々聞かされてきたことではあるのですが、バックシーシーと言うチップとかお駄賃の要求の凄さです。旅には親切とか、心遣いとかが嬉しいものです。衛兵が一緒に写真撮りましょうか、とか、シャッター押しましょうか、とか。今回も何度かそういうことがあったのですが、「イエイエ、結構です!」とならざるを得ない。これって厭ですね。
 だから、このサイトでもそうですし、アルバムを見ても現地の人の顔が写っていないのです。撮らせてナンボの世界なのです。冷静に考えればたいした金額ではないのですが、嫌な感じですから、お断りしたことが多かったです。それと、墳墓とかでは、チケットを見せろと言う人が、正式のスタッフなのか、バックシーシー目当てで居る人なのか見分けがつかなくなってきて戸惑います。ネームプレートとか制服は大事ですね。尤も、プレートくらい偽造するでしょうか。
   [どこの入口にも白い制服の観光ポリスが沢山]
 有名なルクソール(ハトシェプスト女王葬祭殿)での銃乱射事件以来なのか、9.11事件以降なのか、よく判りませんが、観光ポリスがウヨウヨ居るのです。三ツ星以上のホテルには必ず入口に2、3人。主な観光地には周辺を含めあまた居ます【写真左】。普通の道路にさえ。日陰で気持ち良さそうに眠っている方も。これは監視機械メーカーを助けるためか、ホテルの入口には空港にあるような四角い枠が設置してあって、通る度に意味無くピーピー鳴るのです。
 これは雇用対策なのか。しかしこれだけの人数を雇うとすれば相当な出費なのでしょうから低賃金に相違ありません。だから、観光客からバックシーシーをおねだりしないとやってられないのでしょう。もうちょっと量より質の方向転換をしないと余りにも壮大な無駄、と感じました。そして、一日中暇にしてるんだから申し訳ないけど英語のお勉強くらいしたらどうでしょう。 [アレクサンドリアのトラムの中で]
 ただ、エジプト市民の名誉ために付け加えると、商売とかに関係しないところでの市民の反応は良く、例えばアレクサンドリアなんかは余り観光地化されていないのでトラム(路面電車)に乗った時など、ほんとに親切に席を譲ったり、降りるところを教えてくれたり、無償の親切に遭遇しました【写真右】。
 今回エジプトの旅に参考にさせてもらい、一部は世界史の授業にも使わせてもらっていた木村薫さん(現在はUSAのボルチモアで日本語教師)の「KAORU'S エジプト探訪記」(97年夏)はもうメッチャ面白いのですが、その中にあるエジプシャンの日本語の話。誰が教えたか「山本山」。薫ちゃんは英語・日本語の教員として許せないので、訂正してあげたようですが、さすがに山本山は聞くには聞きましたが激減しているようです。今多いのは「さらばじゃ」かな。山本山よりはいいのですが、訪れた途端に「さらばじゃ」と言われると面喰いますヨネ。
 他に良かった日本語は「がんばれ、がんばれ」ですね。暑い中、ヘトヘトになっている時にこう言われると、元気も出ようというものです。これを教えた日本人はエライ!

暑さについては、ちょっとナメテタかな? [こういうところを歩くことも多かった。サッカーラで]
 帰国してから知人に「暑い言うても、カラッとしてるんでしょ?」と聞かれます。実は僕らもそう思っていたのです。それが間違い。カイロについて、「何?この湿気!」が第1印象。この湿度の高さは南北に長いエジプトのどこも基本的に変わらず。だから、イタリアやスペインの夏が結構暑いと言うのとは訳が違うのでした。
 特に午後の陽射しは並大抵ではありません。概ね毎日快晴ですから、雲も出てくれません。昼頃は当たり前ですが陽射しは真上です。日陰はありません。偶にこういう中を歩くと、太陽に喧嘩を売ってるようなもんです。「なんやネン、やるんカ!?」の世界です。スリッパの下が融けているのではと思うほどです。 [ルクソール西岸からの日の出と気球]
 と言う訳で、基本は「午後は行動しない」。これです。その分、早く行動開始。何度「早起きは三文の得」と唱えたことでしょう【写真左:こういう日の出を何回か見られました】。
 バス・路面電車はもちろん、タクシーもエアコンは無し(日本でもそういう時代が長かったのですが)。逃げ込む喫茶店も多くはエアコン無し。
 ただ、エアコンがガンガンに効いてそうなのは大型観光バス。日本人だけでなく、欧米人もこのパターンで廻っている人が多かったのもヨーロッパなんかとは違うところでしょうか。偶然かも知れませんが、今回日本人パックツアーの団体さんとはあまり遭遇しませんでした。そのかわり、欧米人団体さんが次々と訪れていました。日本語、英語ならガイドさんの説明をチャッカリ立ち聞きするのですが、フランス語やスペイン語も多かったようです【写真下】。
 こういう旅なら、むきだしの暑さは避けられるかも知れません。エアコンの効いたバスに逃げ込みたい気持ちはわかるのですが、これではエジプトを体感した事にならないノダ!とチョッと痩せ我慢っぽくなりますか。
 冗談ではなく、帰りにカイロ空港で伺ったパックツアーの人などの話では、よくある8日間コースで、訪れているところは僕達の8割くらいですから、ムチャクチャハードスケジュールで、却ってお疲れのようでした。 [カルナック神殿で。僕らが帰る頃には多くの人]
 ここで話が元に戻るのですが、こういうパックは午後も行動するのです。そうしないとスケジュールが消化できないからです。午後に観光地に着いて「ハイ、見てきてください」と言われても、「降りて少し写真を撮ったら直ぐにバスに戻るしかなかったです」とのこと。
 だから「午後は行動しない」というのは、大変な贅沢なのかも知れません。かけてるお金はエコノミーなのですが、かけてる時間はすごく贅沢。そこで、今回は「リッチな旅」、これが僕達の結論でした。

物価は安い。地下鉄13円、コーラのボトル26円。だから今回はホテルも中級で
 さて、そのお金の話ですが、物価は総じて低い。ガイドブックなどには、レートは1£(正式にはL.E)=30円程度と書いてあったのですが、この7月現在、26円弱。 [アレクサンドリアで食べた夕食] 地下鉄が殆どの区間は0.5£、コーラのボトルが直接店で買うと1£、タクシーが短い距離なら5£(130円)、空港からのバスは2£、エジプト製のタバコは2£、大体こんな感じですから、相当安いです。
 食事にかかる費用も安く、カイロで3泊したホテルのディナーもメニューを見たら3200と書いてあり、これナンボ?と驚いたら、単位はピアストル(ptと表示=0.01£)で、だから32£(830円ほど)のことでした。勿論そんな豪華なディナーではないのですが、一応スープ、パン、メインディッシュ、サラダ、フルーツが出てきました。味も悪くなかったです。
 食事で感動したのは、最終盤、アレクサンドリアは海辺の町だからと海鮮料理を食べた時のこと。ここでは、店頭の魚介類を欲しいだけ量り売りしてもらい、「ボイルorフライ?」と聞いてくれ、程なく料理して運ばれてくるという仕組。アエーシ(ナンのようなもので、間が開き、そこへ色々なものを挟める)や、野菜の刻んだものは注文しなくてもついてきます。エビとカニ、大き目の魚を注文し、炒めご飯は一人前にしましたが、とにかく、タラフク食べました【写真:左上】。それで払った代金は一人当りたったの390円。 [フィリップの屋上プールで] [フィリップの部屋]
 ホテルも、イタリアやスペインでは星無しから二つ星くらいのところにも泊って、そう悪くなかったのですが、こんな物価水準ですから少しグレードを上げて三ツ星クラスにしました。物価だけの問題ではなく、とにかく先に書いた暑さですからエアコン無しは考えられない。エアコンがあっても、音のウルサイ古いエアコンでは困る。そして、今回は帰って寝るだけのホテルではない、午後の休憩やシャワーにも存分に使う。こういう理由から中級にする必要がありました。
 この選択は、大正解でした。午後に観光スポットから帰り、簡単な昼食をとったり、シャワーを浴び、午睡も適当に、という時に、ホテルの快適さは消耗を回復するのに役立ちました。
 その上、こんな贅沢は初めての経験ですが、ホテルのプールにも入れる【写真:上】。そこでお値段ですが、僕達の今回のホテルセレクションベスト1はルクソールのフィリップでした(ここがプール付き)が、1泊1人1200円強(勿論朝食込み)。もう驚くほかありません。ツイン+エキストラベッドの料金を3で割るので相対的に安くなるという利点はあるとしても、しかし安い。 [アレクサンドリアのホテルの豪華な朝食]
 ですから、決算して改めて驚いたのですが、エジプトでのホテル代は合計して丁度20000円。10泊分ですから平均2000円。最後のアレクサンドリアは、夏がハイシーズンで目当てのリーゾナブルな価格のホテルが満室で取れなかったので、僕たちには少し不釣合いな豪華4つ星ホテル【写真右】に泊ったので、少し平均値を吊り上げていますが、それでも1泊6400円でした。勿論、今回も情報源は『地球の歩き方』で、かなり精度の高い情報を得ることができ、編集部には感謝の便りを送ろうと思っています。
 旅の費用を眺めてみると、この全ホテル代に匹敵するのが博物館や遺跡の入場料です。合計15800円。一つひとつはさしたる金額ではないのですが、どこへ行っても、20£くらい取られるので結構な額になります。ルクソール西岸のネフェルタリの墓なんか、100£(2600円)。ホテル2泊分と思うと少し不釣合いな感じは否めませんでしたが、まあ、遺跡保存のためのカンパと思えばいいのでしょう。
 他の費用は、先に書いたような安さですから、昼・夕食を合計しても全行程で5000円以下(これも3人で適当に分け合うので割安になっていますが)。あまり食欲がない時には、現地の人が並んで買っているアエーシのケバブ(シシカバブ)サンドをゲットし、ホテルでエジプト紅茶やジュースと共に食べるというような食事も含んでいます(これだと費用は一食100円位)。これは貧相な食事ではなく、野菜やトマトが入っていて大変美味しいのです。
 費用のことを報告するためには、旅の行程でこれからプランを立てる人のためにどうしても書いておかなくてはならないことがあるのですが、それは次の項にまとめて書くとして、現地でかかった費用は全て込みで7万円強。先に書いた薫ちゃんの探訪記にあった5万円以下という訳には行かなかったですが(何せ僕らは中級だもん!)、航空運賃14万円強を合計して、かかったお金は21万円少々という結構な決算になりました。

夜行列車はそこそこ快適。アブシンベルへはアスワンでパックを買うのがベスト
 エジプト国内の移動手段は色々考えられ迷うところです。飛行機・列車・バス。費用・時間・乗り心地。飛行機については国際線を使うと国内線が無料(割引)になったりするケースがありますが、エジプト航空はダメ。 [カイロからの夜行列車]
 僕たちは、長距離の移動には夜行列車を使いましたが、これはなかなか良かったようです。エジプトの場合、当然ですが、ナイル川沿いに主な観光スポットがあり南北に移動。北はアレクサンドリアから南はアブシンベルまで、結構距離はあります。カイロ・ルクソールは夜行で9時間、1等車でも1740円。1列3席のゆったりしたスペースでリクライニングも深くぐっすり眠れました【写真右】。
 ルクソールからアスワンまではバス。列車は本数が少なく、時刻も不適切なので、本数も多いバスにしました。1本目が7時15分、30分ほど前から待ったのに1時間待っても来ず、聞いたら「ブレイクで、来ない」とさりげない返事。マ、急ぐ旅でないからいいけど。現地の色々な人が乗降して面白かった。
 アスワンからカイロまでの復路も夜行列車。ただ、これは有名なワゴン・リーを使用。寝台列車で夕・朝食付き。コンパートメントが二人仕様なので狭くは感じられたけどマア、快適。マアと言うのは、スペインで新幹線のマドリッド行きの食事が良くてそれを連想していたのでそこまでは良くなかったという意味。このチケットは取れないと取り返しがつかないので、早々と着いた翌日にカイロ駅で購入。因みに料金は約8600円。所要時間は12時間。
 最も迷ったのはアスワンからアブシンベル。アスワンのホテルで朝食は3時からOKと言うので何で?と聞いたら、3時半出発のアスワン行きのマイクロバスがあるからとのこと。これで行ってアブシンベル7時過ぎ着。2時間後その車で戻って来る。前と後を警察の車に挟まれて行くので面白いかなと思ったけど、この長時間はマイクロバスでは辛そうでやめました。 [アスワン空港からエジプトエアーで]
 アスワンでエジプト航空のリコンファームをするのと同時にエジプト航空がやっている(正確には航空会社ではなくそのツアー部門でオフィスは隣の小さな建物です)、アブシンベル往復パックツアーを購入。ホテルからの送迎、飛行機代、ホテル夕・朝食代オール込み。これで13800円は、この間のエジプト価格水準からすれば高いかもしれないけど、普通の水準にすればリーゾナブル。
 価格以上に得難い体験もできました。それは、翌日夜明けと共にアブシンベル神殿を訪れると誰も居ないのです。先の陸路で来る人々が来る7時15分まで、アブシンベル独り占めでした。ホテルの宿泊客はシーズンでないからかも知れませんが、大変少なく、朝から神殿を訪れる人はもっと少ないと言う訳です。
 更に、短時間往復パターンでないことの利点は、夜のSound&LightSHOWが見られることです。大・小神殿の外壁ををフルに使った、迫力のあるものでしたが、観客は20人ほどで、もったいないなぁと思ったほどです。

ゆったりプランのお陰か、体調は、ほぼ順調。
精神衛生上良くない交通マナー、ゴミ問題
 全般的な報告の最後になりますが、行く前から警告され、覚悟もしていた水アタリなどでの体調不良。 [甘いスイカを冷やして。これ何と26円] 勿論、ナマ水など一滴も口にしないのはヨーロッパでもそうですが、恐る恐るサトウキビジュースも、スイカ、イチジク、マンゴも食べました。サラダも危険だと言われていましたが、食事のバランスを考えると、食べずには居られない。でも、大丈夫でした。
 体調とは直接関係しませんが、精神衛生上よくないのは、交通事情です。そんなに多くの都市を廻った訳ではありませんが、世界のワースト3に十分入ります。ナポリ、北京、そしてカイロ。車線なし、信号殆どなし、あっても守らない、人はどこでもお構いなしに車の間を渡って行く。北京でもバスの最前列に居たら、思わず右足を踏む事が多かったのですが、ヒヤッとすることしばしば。タクシーはルームミラーは大きいのですが、助手席でサイドミラーを見たら、とれていて無い!
 それでも、ナポリのようにあちこちで事故が起こっているという風でもないので、相互理解が進んでいるのならそれでもいいのですが、困るのは警笛の騒音です。歩行者に向けて、隣の車に、前の車に、場所によっては馬車に、とにかく鳴らさない訳には行かないのです(日本でも警笛を鳴らさないように道交法が改正されたのは何時のことでしょうか?)。ですから、ホテルに居ても道路が近いと、この警笛の騒音が凄まじい。ラッパのマークに車線の入った交通標識を見かけ、一応制約されているのかも知れませんが、勿論守られていません。
 そして、精神、身体いずれにも良くないのが、ゴミ問題。それぞれの民族性の違いがありますから目くじら立てることはないでしょうが、ゴミのポイ捨ては普通のこと。で、掃除しないかと言うとそうではなく、夜中とかにするんですね。お店なら客の少ない時にやるんです。だからトコトン溜まるのではないのです。ところがとにかく人の多い国ですから、その日の分だけですごいゴミになります。だから夕方なんかは最悪になります。そして、最も困るのが誰も掃除をする人が居ない所。典型は列車の線路脇。都会の線路脇はゴミの山。或いは地中海の海岸線。せっかくのデート、夕涼みコースも台無しと僕らは思うのですがネェ。夜だから見えないか…

考古学博物館は一番乗りが鉄則。ツタンカーメンも誰も居ない中で見られました。 [ツタンカーメンの部屋に直行、周りに誰も居ないのが分りますか?]
 さて、後は順を追って報告して行きます。
 考古学博物館はカイロ周辺を廻ってから見るか、見てから廻るか、これは大変な難問です。と言うことは、どちらにも一長一短があるので、どちらでもいいと言うことでしょうか。ここでシッカリ事前学習してから、と言う説に従って、僕たちは先に訪れました。ただ、色々廻っていると、この本物は博物館にあるとか書いてあって、「そんなんあったケ?」ということもありました。 [博物館の2階から入口付近を見る]
 ただ予想外だったのは、ここもエアコンなしで、あるのはツタンカーメンの部屋とその隣だけ。だから、人も多くなると屋内とは言え、相当な暑さです。だから、朝一を目指すべきだと思います。そして、2階にあるツタンカーメンの部屋へ直行が正しい見学の仕方です。ここはガラスケースに入ったデスマスクや棺が置かれていますが、人が多くなると覗くのも大変ですから、直行です【写真右】。
 2階建てで、そう広くもないので、口の悪い人は「物置」と言うそうですが、その通りで、廊下とかにもいっぱい置かれていて、少し雑然とした印象はあります【写真】。ただ、ここを建て替えてスッキリした展示にしたら、後どれくらいのスペースが要るのだろうと思いますし、それはそれで見て廻るのが大変になるだろうなと余計なことも考えました。
 ただ、保存を考えると世界的に貴重な遺物をこんなままでは傷んでしまうのでは?と少し心配になったりもしました。ネフェルタリの墓で100£も取るんだったら、ここで入場料をもっとあげて改修の資金を貯めたらどうかと又しても余計なことを考えるのでした(因みにここは20£)。
[色々なスフィンクスも雑然と並べられている] [ハトシェプスト女王の頭も廊下に] [アマルナ芸術の部屋は少し変わった雰囲気] [ツタンカーメンの玉座] [博物館の入口にはパピルス(上エジプト)と蓮(下エジプト)が浮かぶ池]

ギザの三大ピラミッドはやっぱり壮観
 川・沃地・砂漠が接近していることを実感。砂漠を3時間近く歩くという快挙or暴挙?

[バス停から見えるピラミッド] @[クフ王の玄室はなにもない] A[玄室入口出てきたところ。石の大きさ] B[斜めからクフ王のピラミッド] C[カフラー王のピラミッドの前で手を上げる] D

 驚いたのは、バスを降りて左を見たら、そこにもうピラミッドが見えると言う距離感です【写真@】。確かに川・沃地・砂漠がひっついているのでしょうが、ここまで近いとは。沃地の端にバス停があり、砂漠の端にピラミッドがあるのですから、当然と言えば当然なのですが。
 クフ王の玄室は午前中150名様限定というので、これまた、何はともあれ直行です。この日も朝一でしたから、入れましたが、言われているように辿り着いた所には何もありません【写真A】。先の吉村氏らの本によればピラミッドは墓であって墓でないそうで、発見されているピラミッドで墓室があったのは一つだけだそうで、何もないのは不思議ではなく、盗掘の結果だけではないようです。
 資料等で知らない訳ではありませんでしたが、一つひとつの石の大きさを実感し、その全体的な巨大さを見つめたものです【写真BCD】。
 カフラー王、メンカウラー王のピラミッドの玄室への道は現在閉鎖中で、見るだけです。これらのピラミッドの周辺は車道が整備されていて観光バスが通行できます。多分午後の炎天下では歩く人は居ないのでしょうが、まだ午前中でしたからボツボツ歩いている人も居ました。ラクダに乗る誘いは何度も声を掛けられはしましたが、噂ほどはしつこくありませんでした。車道を歩いていても、この辺りは、高台だからか風もあって、陽射しは別にして涼しく感じられました。

 でかいピラミッド三つですから、これを見渡すにはそれなりに離れなければなりません。チャンとビューポイントがあって車組はそこを目指します。見渡してみるとラクダ組にも別のポイントがあります。僕達のような歩き組はどうしたらいいのか?迷いましたが、ラクダ組のポイントへ向かうことに決定。アスファルトの車道を往復するのも気持ちよくないし、こちらの方が見応えがありそうだったからです【写真A】。
 午前中とは言え、砂漠を歩いている人は物売りの人くらいだったようです。ビューポイントにはロバに飲物を運ばせているおじさんが居て、トタンで一人分の日陰を作っており、そこへ入っていいよみたいなことを言ってくれるのですが、例のバックシーシー怖さにお断りしました。
 75歳の老婦人が砂漠を横切るなんてギネスブックものではないか、等と言いながら頑張りました【写真B】。ピラミッド・ビューを堪能したことは言うまでもありません。
 クフ王とカフラー王のピラミッドの間に太陽の船博物館がオープンしていて、ここに辿り着いた時には、何よりもエアコンが効いていることとトイレがあることに感謝しました。復元された太陽の船も見ましたが、むしろ、休憩タイム【写真C】。
 その後はスフィンクスを目指し、この頃は正午近くなリ、陽射しに耐えられず、アッサリ目に通過【写真D】。帰りは来た時と場所が違うので、バス停もよく判らず、値千金のタクシーに乗りました。

[ビューポイントに到着、ヤッター][砂漠を横切る][太陽の船博物館][スフィンクス前でピラミッド一周ウォークゴールイン]


ギザより古いサッカーラの階段ピラミッドへ。結構、見応えあり
 3日目は、ギザより南のサッカーラ、メンフィスを目指しました。ここはタクシーでないと相当厄介なので、ホテル前から捕まえました。タクシーについてですが、メーターはないか壊れている。着いてからでは遅いので、乗る前に交渉です。面倒ですが、変な所をグルグル回られる心配がないのは却って安心かも。この時は運転手はサッカーラのことも分らず、20£で。走り始めたら結構距離があるので、再交渉。30£で決着。ゲートに着いたら開門5分前。気合いを入れて歩き始めました。【写真@】
 ここはナイル川の西の緑地が見えて気持ちよく、少し上り坂でしたが朝早めなので最初は苦になりませんでした。ギザの三大ピラミッドより前に作られ、階段状が特徴ですが、よくこれが崩れてこないものだと変に感心したりしました【写真A】。このピラミッドの場合、玄室は地下にあったようですが、公開はされていません。
 ここの観光ポリスは誠実そうな人だったので、バックシーシー覚悟で色々と案内してもらいました。やっぱり、人柄ですね。ピラミッドコンプレックスと言うだけあって、階段ピラミッド以外にも遺跡があるのですが、さすがに陽射しがきつくなり出すとあまりウロウロする気にならず、メレルカの墓だけ行きました。ジェセル王のピラミッドなのですがその妻がメレルカ。そこにはジェセル王の像と共に壁にレリーフがあり、その表現が労働現場とかで、実にリアリティがあるものでした【写真B】。
 少し高いところに上がると、北には遥か離れてギザのピラミッド、南には屈折・赤のピラミッドも見えました【写真C】。

[サッカーラに着き、開門直後に歩き出す] @[階段ピラミッドの前で手を上げる] A[メレルカの墓にあるジェセル王の彫像横の壁画] B[サッカーラから見える屈折ピラミッドと赤のピラミッド] C


繁栄を誇ったメンフィスは、今は農村の一区画に残るのみ

[顔の壊れていないスフィンクス] [ラムセスUの巨像を覗き込む]

 ジェセル王のピラミッドもメンフィスが首都の時代のものなのですが、距離はそこそこあって、またタクシーを使わざるを得ません。タクシーなんていくらでも拾えると思っていたのが誤算。タクシーをチャーターして廻るというのは、急かされるようで嫌ですから、僕達はしないことにしているのですが、そうしている人が多いらしく、ゲート辺りで待っても来ないのです。ゲートの係のおじさんが5分待てと言うので待ったのですが、20分待っても来ず。諦めかけたところへ到着。ただ、待っている間に、ナイル川沿いの地点でバスを降りて歩いて20分くらいでしょうか、到着した日本人の若い女性2人組がいて、感心しました。
 メンフィスは、京都のようなところで、首都が置かれ、テーベ(現在はルクソール)に移ってからも、繁栄を続けたところなのですが、全くその面影はありません。ラムセスU(2世。以下同様)の巨像【写真左】があるのと、ギザと違って顔の壊れていないスフィンクス【写真右】があるくらいなのです。でも、その歴史ゆえでしょう、訪れる人は多いようでした。 [メンフィスからの帰り道タクシーから小運河沿いの風景]
 ここからの帰りがまた大変で、タクシーがあまり無いことを盾に、1台あったタクシーが70£等と吹っかけます。ほんとに別の方法を探す積りで拒否すると、40£迄下がりました。但し、オーストラリアの女子学生をサッカ−ラ迄送ってからカイロに向かう。この運転手さんは、乗せた日本人客の感想を見せてくれるのですが、日本語が解る訳でもないので、褒め言葉ばかりではないのです。でもその方がリアリティがあっていいようです。「お腹が空くと怒りっぽくなる」とか。結構長い道のりを、ナイル川と並行して走る運河沿いの農村風景を眺めながらカイロ中心部へ向かいました。

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