- ゆとりを持ってカイロ市内。オールドカイロ・イスラム地区
- きつめの3日間を終えて、カイロ最終日は行ける範囲で市内の街見学。初めの方に書いたエジプト風キリスト教であるコプト教の教会が博物館になっている所【写真左】。ここへは地下鉄7つ駅ほど南下します。日本でもよくある途中から地上に上がる路線です。地下鉄はどこでもそうですが乗り慣れると大変便利です。カイロの中心はタフリール広場ですが僕達のホテルがある所は少し離れていて地下鉄で2駅。料金が50ptですから、随分便利。ただ駅名が歴代大統領の名前。ナセル駅、サダト駅、ムバラク駅。日本で言えば岸駅、池田駅、佐藤駅…、ああ気持ちワル!
もう一つ訪れたのがガーミア・ムハンマド・アリ。ガーミアは英語ではモスク(トルコでは、確かジャーミーと言った)。この寺院は、19世紀の建物なので別に古い歴史を持つわけではないのですが、とにかく巨大な建築とドーム内のステンドグラスとかが綺麗。それと、カイロ市の南部の高台にあるので、市内が一望できる見晴らしがよかったです。
- 喧騒の街・カイロを離れて一路ルクソールへ
- 後は、ホテルに預けてあったザックを取って、先に書いた夜行列車に乗り込むだけ。夜行列車の時だけ防寒具が要りました(エアコンきつ目)。定刻の朝7時過ぎにはルクソールの街に着いていました。ここでのホテル探しは、少し離れた所を選んだのが正解だったのでしょう、先に書いたフィリップホテルに落ち着けました。日本とどうしてこうも違うのだろうと思うのですが、ヨーロッパの僕らが行くようなホテルでもチェックインについては厳しくないので助かります。この日も部屋でユックリしてから出かけられました。
ルクソール東岸と言うのですが、要するに街のある方です。ここのカルナック神殿へ、街を見ながら、横をナイル川も流れているしと思いながら歩いて出かけたのですが、結構な距離と陽射しでした。ただ、カイロと違うのは騒音かな。観光馬車が多く、「バシャ?」と声を掛けられたり、タクシー?とも言われるのですが、歩き始めたら歩かんと…
ここの見所は参道にあるヒツジの顔をしたスフィンクス【写真@】や、134本もの巨大な柱のある列柱廊【写真A、B】、大きなオベリスク【写真D】などです。列柱の周りにもレリーフがあるんですね。2階部分みたいなのもあるんです【写真C】。こういう建物は全部そうですが、日を遮るものが無いのでキツイんですね。妻と母はそこまで行く余裕がなかったのですが、一番奥まで行くと眺めも抜群でした【写真E】。
- 庶民的日本食の店、ハイ・ライフはお奨めです
- 朝早めに出かけたので最初は空いていたのですが、帰る頃には観光客が押し寄せていました。例のバスでどっと来る欧米人の団体さんで、見終わったらさっさと引き上げるのですが、だから空いている神殿前のカフェテラスで昼食をとりました。暑いには暑いのですが、マア、日陰で、風もあり、いい気分でした。ここから歩くのは正午近くになり無理と判断し、これ一回だけなのですが馬車に乗りました【写真左】。
食事については、当たり前のことですができるだけ現地の人が食べるものを食べることを基本にしているし、第一、海外で食べる日本食というのは概ね高級料理店で、高い金を出していつも食べているものをどうして?と思います。ただ、胃の調子が悪くなったりするとこの限りではなくなるんですね。今回、母が少し調子が悪くなり、丁度庶民的と名の付いたレストランがありました。
ルクソールの駅に近いゴチャゴチャした辺りにあるんですが、ハイ・ライフ(安宿の屋上。天井あり)。オジヤとか肉野菜炒め定食、照焼き丼とかあって、結構おいしいのです。勿論味付けはエジプト風ですが、それなりに日本食なのです。みんな大満足でした。三食中、2回はここで食べることになりました。先のメニューをみんなで食べて払ったのは何と全部で550円!特にここのマンドゥさん【写真の奥の青いシャツの人】は働き者で、頑張って料理を作ってくれました。
- ルクソール神殿は夜10時までオープンなので、涼しく神秘的
- 夕食後は、ホテル街にも近いルクソール神殿へ。
ここは10時までオープンなので夕涼みがてらに行くのにピッタリ。ここの入口のオベリスクの1本がフランスに寄贈され、今、パリのコンコルド広場にある。これは侵略の結果などではなく、ムスリム政府にとって大した価値が無いと判断されたようだと何かに書いてありました。
ライトアップされた神殿は神秘的でした。もともとこの神殿はカルナック神殿の補助神殿で、そのため、あまり広さはありません。夜のことでもあるし、その程度で十分。ここから、あのカルナック神殿まで、スフィンクスの参道がずっと続いていたそうですから、壮観だったことでしょう。そのホンの一部が残っていますが写真はうまく撮れませんでした。
まだ西岸には足を踏み入れていないのですが、ナイル川越しに見える風景は殺伐とした土色一色で、明日からの二日間を思うと一抹の不安がありました。食料と水は必携と言うので、ラスクのようなものを買い込んだりするのですが、実は杞憂でした。
- いよいよルクソール西岸へ。まだ暗い5時にはフェリーに乗る
- フェリー乗場はホテルからそう遠くなく、乗船。たったの1£。乗っているのは現地の人ばかり。フェリーを降りると、そこにはパンを売る家族がいて、可愛い女の子が懸命に声を掛けています。美味しいパンだったので、昨日買ったラスクは不要。それに、ホテルには冷蔵庫があってそこで凍らせた水もある。もうバッチリの態勢です。
普通、西岸観光は1日で済ませるのですが、この炎天下、無理はすまいと言うことで、二日に分けました。今日のメインはネフェルタリの墓。ここも1日150人限定。チケットをゲットできないと困るので、6時には売り場に行かなければなりません。フェリー乗場からは一定の距離がありますからタクシーなのですが、その料金交渉が難しく、結局10£に。その値打ちはありました。と言うのは、売り場に直行してそこで待てるものだと思ったのに、そこからだいぶ前にゲートがあって6時にならないと通せないと言うのです。ポリスと直接交渉しましたが埒は開かず(大阪の天気はどうやとか、そんな悠長なこと言うてる場合か、お巡りさん!)、タクシーと共に待たざるを得ず。これでチケットを取り損なったらどうしてくれるネン!?
しかし、そんなに必死になることはなかったようです。ネフェルタリの墓への入場者は多くはありませんでした。7時半にしかオープンしないので、その前にラムセスV葬祭殿を訪れました。そこへの道すがら日の出【写真@、A】。そして、昨日思っていた土色の世界は川から始まるのではなく、ここも沃野があり少しホッとします。
ラムセスV葬祭殿の前は沃野ですからホテルもありました。ここからネフェルタリの墓までは10分くらいですが例によって日陰がありません【写真B】。ここが100£、制限時間10分という所。もちろんカメラ禁止。確かに綺麗な壁画が残っているのですが、95年にオープンと言いますから、それまでに修復したのではと思うに十分な程、綺麗過ぎるのです。
そこからは距離もあるのでタクシーでラムセウム(ラムセスU葬祭殿)へ【写真C】。貴族の墓は民家群の中にあって分りにくかったのですが、センネフェルの墓の壁画は天井にブドウが描かれ、なかなか気持ちがよかったです【写真D】。ここから、小型トラックの乗合版みたいなのに乗ってフェリー乗場に直行。乗ろうと思うと、「直ぐ出すから、ボートで行かないか」と声が掛かり、1£。それは面白いのでOK【写真E】。乗るとホテルはどこか聞くのでフィリップだと言うと「その前の岸に着けるから、2£」。それもいい。川面はこれがまた涼しい。お陰で、ホテルに着いたのは10時15分。食べていなかった朝食を頼んだら、OK。何か物凄く得をしたような気分でした。
こんなにユックリできたので、余裕もでき、それではと、屋上のプールへ。こんな贅沢は初体験でしょうか。朝早かったので、シャワーを浴びて、午睡などもして過ごせました。
- 暑い時でも大丈夫、冷房完備のルクソール博物館
- 夏時間の関係もあるのでしょうが、6時ごろを夕暮れ時と考えたら間違い。7時頃に動き出さないと日も暮れていません。ただ、ルクソール博物館は冷房完備で問題なく、見学に出かけました。ここは落ち着いた展示で、照明にも配慮してあって、なかなか見応えのある博物館でした。像の名前が大きくローマ文字表記されているのも嬉しい。こういう博物館にしては30£と少し割高な入場料でしたが、その価値はありました。この日の夕食は看板でメニューが出ているホテルのレストランを選んだのですが、どんな事情があったのか不明ですが、料理が出てくるのが極度に遅く、さすがに怒ってしまいました。値段は安かったのですが。
- ルクソール西岸2日目。もう、西岸のベテランだ、怖いものなし
- 西岸二日目は、昨日のような不安は何もありません。早く行ってもゲートで待たされるだけ。そこそこの時間に出発。タクシーで、チケット売り場で購入後、一路、王家の谷を目指す。
王家の谷は、要するに地下墳墓群です。『歩き方』で評判のいい墓を見ようとするのですが、あちこちで「保存のため閉鎖中」。王家の谷というネーミングも良いのでしょう、観光客は多く、ゲートとホントの入口が少し距離があり、ここを歩くかシャトルトレインに乗るか。僕達は行きは歩いて、帰りは乗り物【写真@】。
そういう訳で、どの墓の壁画かよく判らないくらい色々なものを見ましたが、なかなか面白い絵柄もありました【写真ABC】。ただ、しょうもなかったのは、ツタンカーメンの墓。考えてみれば当たり前なのですが、ここにあるものは全部考古学博物館へ持っていかれているんですから、何もありません。あるのは棺のケースみたいなものだけ。中の棺はレプリカです。壁画は運べないのですが、ここに限って、また何もないのです。特別料金40£は詐欺みたいなもの。
ここから、有名なハトシェプスト葬祭殿へ。例の銃乱射事件があった所です。ここはどんな車も近くには入れないので、平等に陽射しを浴びなければならない、いい配置です(笑)。第1テラスから第3まで、長い道のりを歩いて行きますが、風も少しあり、長くは感じませんでした【写真DE】。
正面をドッと登ってしまい、終わるのですが、2階部分の両脇にハトホル女神礼拝所【写真F】とアヌビス神の礼拝所【写真G】があって、これもユニークなものでした。奥の至聖所だけですが、断崖に掘り込まれ、その前に建物が広がるこの構図は壮大そのものでした。
この後、セティTの葬祭殿を訪れたはずなのですが、どうもガイドブックと実際が違っているようで、あれは何神殿だったんでしょう?ただ、案内のおじさんが屋上へ連れて行ってくれ、見せてくれた景色はいい眺めでした【写真H】。
実はこの後、面白い事件が起こります。ハトシェプスト女王葬祭殿から、セティT葬祭殿を経てフェリー乗場までで話のついていた小型トラック。ところが、セティTの外で待つはずが、居なくなってしまい、彼の知り合いのおじさんが「直ぐ来るから待て」というようなことを言います。しかし、しびれを切らして他の乗合小型トラックに乗って出発。このトラックには地元の人ばかりで、鶏を2羽脚をくくったものや、大量のトマトを運んでいるおばあさん等が乗り込んでいて面白かったのです。
ところが、もう直ぐフェリー乗場という所で先の運転手が追いついて「こちらの車に乗り換えてくれ」と息せき切って言います。勿論、抗議したのですが、一応謝るので、乗り換え、変な話ですが約束の料金を払いました。と言っても日本円で400円弱なのですが。この迫力には関心した次第。
この日はさすがにホテルの朝食は断念せざるを得ませんでしたが、前日と同じようにプールや休憩で午後を過ごしました。
- 初めてのバス移動。アスワンへ
- ルクソールからアスワンはそれほど離れていないので、バス移動したことは最初の方に書いた通りです。観光客は殆ど乗っていないのですが、途中ドリンクタイムを取ったりしながら走りました【写真左】。昼頃着くのが、チョッとしんどいのですが、第1便故障でもっと遅くなり、ホテルはバス停近くに即決せざるを得ませんでした。ここで翌日以降のプランについて色々迷ったりしたことは前記の通りです。
ここはほぼエジプトの最南端の町ですから、暑さも相当なもの。その中をエジプト航空に出かけるのは中々のものでした。
この町の観光スポットは何故か閉門が早く、博物館とかには行けません。そこで、夕方から、ナイル名物フルーカに乗ることにしました。
フルーカは帆船と言うか、帆掛け舟ですから、風が無ければ進まない。と言うことは風があって涼しいということになります。前に島があり、そこを一周すると時間がかかり過ぎるので、1時間適当に、という契約でブラブラという感じでした。船長さんの指示で助手の青年も動き、なかなか早く進みました【写真右】。
- いよいよ、最南端、最終目的地アブシンベルへ
- 翌日、昼前にホテルまで車が迎えにきてくれ、空港まで。エアコンつきのトヨタ車で快適。他の客も一緒かと思ったら、僕達だけ。車の少なくなった空港への道を走り抜けました。途中、アスワンダムの上を走り上流【写真左】と下流【写真右】とを眺めましたが、これで間に合わず、アスワンハイダムが出来ているのですが、そこは遠く、モニュメントが見えるだけでした。
アスワンからアブシンベルのことは、初めの方の交通手段の報告の項目で書いていますから割愛しますが、往きの便は昼過ぎで、宿泊客用ということになりますが、大変乗客は少なく僕達とあと1家族のみ。
ハイシーズンではないとは言え、これでは3つのホテルはあがったりダナと又しても余計な心配をしたものです。案の定、僕達の泊ったネフェルタリホテルはキャパは大きいのに、客は少なく、スイートをあてがってくれました。ここにもプールがあって前はダム上に出来たナセル湖が広がるリゾート地の雰囲気でした。部屋はプールのまん前で喜んだのに、水が無い!フロントで聞いたら掃除のために2日間は水が入らないと言い、客が少ないからそう言ってるんだろうと思って諦めていたら、夕方から注水開始。ラッキーにも翌日はおニューの水で泳げることになります。
ダム計画で水没するアブシンベル神殿をユネスコの協力で60m上に移動したという話は有名ですが、その分うまく作られていて、ホテルも爽やかな道を10分ほど歩けばいい位置にあります。周りには何もありませんから、着いた日の午後は洗濯日和。そして、翌日の午前中はプール三昧ということになる贅沢なプランになりました。
落日を見ながら、涼しくなった神殿への道を歩きました【写真左】。Sound&LightSHOWは座席にイヤホーンがあり、言語が選べ、日本語もありました。スピーカから聞こえるメインの音はこの日は英語でした。神殿前の巨像をアップで照らすという単純な手法ではなく、小神殿と大神殿は直線的ではないのですが続いているので、これ全体をスクリーンのようにして色々な写真が映し出され、音楽とナレーションでアブシンベル神殿移動の経過と、ここを建てたラムセスUの物語が展開されます。どこに何が映し出されるのか興味津々なのですが、ビデオを撮るのには苦労しました。写真は殆ど不可能【写真右】。
翌日、今度は、朝焼けを見ながら進み、日の出を待ちました【写真右】。そして、初めに書いたように、来ているのは僕達だけ、という贅沢。観光ポリスや係員の方が圧倒的に多かった。
ラムセスUが妻のネフェルタリのために建てたという小神殿の中の壁画は素晴らしく【写真BC】、ゆっくり鑑賞。大神殿は内部にも列柱室があったり【写真F】と凄い造りでした。それにしても、ラムセスUの自己顕示欲は凄まじい。ここだけでも一体、自分の像をいくつ造ってんの?《正解:16体》 カイロの駅前にはレプリカでない本物の彼の像があるし…。当時にしてはチョー長命だったにしてもダ。彼は90歳まで生きたそうで、早稲田隊が発掘調査しているカエムワセト王子なんか相当のやり手だったのに先に死んでしまったそうで、気の毒(先の本で初めて知る)。尤も、ラムセスUには子供が百数十人居たそうですから、彼がもう少し長生きしても次の国王になれた保証はないのですが。
1036個のブロックに分割されて、移転されたと言うので、シッカリ見るとそれらしき接合痕が判らないでもありませんでしたが、気のせいだったも知れません。
壁画も多様で、特にヒッタイトとの戦いの壁画は躍動感がありました【写真G】。一番奥には至聖所があり、ここには年数回だけ日が差すように設計されており、先ずラムセスUに当るようになっている所が凄い【写真H】。
アブシンベル神殿独り占めを堪能した頃、陸路組が到着。その中にハトシェプスト女王葬祭殿で一緒になり、ハイライフでも、アスワン行きのバス停でも一緒になった関東の野村君という学生にまた会いました。彼はマイクロバスに乗ったようで、「ケツが痛くなりました」との感想。学生はそうでなくっちゃ。
後はホテルに帰り、朝食、プールと続きます。隣の部屋に居られた年配の方はドイツ人で、プールに入るでもなく、神殿に行くでもなく、本とカメラだけ。こういうのをゆとりと言うのでしょうね。もっと居たいのだけど、仕事が入ったのでご帰国とのことでしたが。
- 旅も最終盤、一気に北端のアレクサンドリアへ。ワゴン・リー(寝台列車)で
- アスワンに戻った後、スークで少し買い物をし(西矢と母だけで。騙されかかった話とか色々あるのですが、長くなるので割愛します)、ワゴン・リーで12時間、カイロに着きます。これも初めに書いた通りです。夕・朝食は、勿論食堂車等で食べるなんて余裕はありませんから、コンパートメントに配られますが、見た目よりは味はよかったです【写真左】。クーラーが効き過ぎて、寝台の毛布で助かりました。コンパートメントには洗面、コンセント等も完備です。
カイロからアレクサンドリアへは列車で4時間。1等車で、同じような座席ですからゆったりです。直ぐには列車は無く、カイロ駅構内喫茶でゆっくりしてから出発しました。時刻表なんて、数字からしてアラビア数字でないのでとても読めません【写真右】。
アレクサンドリアでのホテル事情も書いた通りです。カイロと気候が違う(地中海性気候)ので、夏はカイロより3、4度気温が低いようです。ホテルの前は海ですから【写真右】、早速散歩しましたが風のせいもあるでしょうが、他の都市ほど暑さは感じませんでした。夕食は例のシャアバーンで満腹。
実質的なエジプト最後の日はアレクサンドリアのあまり多くない観光スポットをザッと廻りました。先ずは、コームッシュアーファのカタコンベへ。カタコンベというのは昔は弾圧を逃れるための地下教会だったのですが、ここは地下墓地跡のようです。ここへ出向くのにトラム(路面電車)に乗ったことは前記の通りですが、椅子席の切符売りのおじさん【写真左】が、どこで降りるかも最後は教えてくれました。
ローマ円形劇場跡は国鉄のマスル駅の直ぐ北側にあるのですが、周りの塀のせいでよく判りませんでした。ただ、劇場跡そのものは、そう壮大なものでもありません。グレコローマン博物館は改修中で入場は出来るものの、展示も少なく、落ち着かない雰囲気でした。
最後に訪れたのは、アレクサンドリア図書館。これは、ヘレニズム時代に世界最大と言われた図書館がここにあったためそれを記念してユネスコの協力で建てられ、昨年オープンしたばかりのもの。全貌が見学できるようにしているところが味噌で、ほんとに良く見えるのです。外観も独特で壮大でした【写真右】。
近くには地中海の海水浴場もありましたが、水は綺麗とは言いがたい状態でしたし、波も荒く、泳がなくて正解【写真】。
高級ホテルメトロポールでザックを受け取り、昨日予約を入れてあるカイロのヴィクトリアホテルへ向かって、そこで美味しかったエッグバーガーとかを食べるはずだったのです。ところが予想外の事態が発生。5時発が満席だと言うのです。次便は何と7時半。朝、トラムに乗る前、時刻確認に来た時にチケットを買う予定だったのですが、両替が出来ず、直前に購入しようとしたのが失敗の元(駅前に銀行がない大都会は初めて)。とまれ、次便を待つしかない羽目に。そういう駅の周辺なので気の利いた店も無く、構内喫茶で待つしかなく、ここでは全員ゲンナリ。体調も少し不良に。
そんなこんなで、ホテルに着いたのは夜の10時半頃。それでもしつこく1£のエッグバーガーを買いに行きましたが。マア、後は、翌日空港へ向かうだけですから、このミスの影響は大きくないとしましょう。
翌日は金曜日、イスラム圏では休日。実は、このホテルは前がモスクで朝4時半頃からアザーン(お祈り)の声が大きく、それだけが玉に疵だったのですが、それもお休み?いつもの喧騒も和らいで、中級ホテルにしては珍しいビュッフェ形式の朝食を美味しく頂きました。
カイロ空港に早めに着いたのですが、第1ターミナルだけかも知れませんが、改修中で、普通なら1つ分くらいのゲートスペースに5つのゲートがあり、カフェコーナーも席が無く、座り込む人もあるくらいでした。関空直行ですから乗客は日本人ばかり。今まで殆ど日本人に会わなかったので、この人たちはどこから集まってきたの?という感じでした。
後は、僕達の席付近にエジプトの何かのスポーツ選手の一団が陣取り一晩中騒いでいたことを除いて、万事順調に塚脇に到着しました。



Copyright © 2002 MIKAMI HIROSHI