思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その5
 「ギリシャ・スイスの会」 Bグループ6人組 
マウイ・オアフ島9日間の旅 


[ハレアカラのクレーター] [コンドミニアムの前のカマオレ・ビーチV]





 はじめに……今回は「同窓会的海外旅行」 
   私達の海外旅行体験の歴史は結構浅く、1985年に始まるに過ぎません。学生時代は北海道にさえ行かない(行けない?)ワンゲル暮らし。就職してからは、仕事、組合、政治等の活動に忙殺され、そして、子育て。
 転機は85年でした。海外なんかに全く興味のなかった三上を西矢が説得して参加したのが互助組合主催のギリシャ・スイスの旅でした。長男が小4、長女が小2の時(一緒に海外へ旅するのはこの6年後)。それ以降は、受験とか、家の建て替え騒動とか色々あり、3年、5年と間隔の空く海外の旅になります。
 いずれにしろ、この初体験は鮮烈でした(因みに、この期間に御巣鷹山での日航機墜落事故があり、僕達はアテネで知りました。遺族の人には悪いのですが、事故何周年は、僕達の初体験何周年と重なります)。
 実は、この旅で個人旅行についての情報を仕入れた僕達は以降、パックツアーには特別の場合を除いて参加しなくなります。
 でもメンバーにも恵まれ、いいパックツアーで、個人的な行き来も続きました。そして、10周年の集いを持ち、2000年には15周年を持ちました。
[ビショップ博物館の前庭からダイヤモンドヘッドを望む]  その時、盛り上がり、「このメンバーでまた海外へ!」ということになりました。いわば同窓会的海外旅行です。
 時期は01年の8月下旬、行き先はハワイ。遠くないこと、此処なら色々な希望が満たせる、メンバーの中にハワイのリピーターが居られること、そんな理由からでした。
 参加者は、15年も経つので、高齢のため参加が難しい人、子育て中で断念する人、色々ありました。でも、家族ぐるみというメンバーも加わり、Aグループ…22日〜27日 21人、Bグループ…マウイ島を加えて19日〜27日 6人。
 僕達にしてみれば、個人ではマア行かないハワイであれば、丁度こういう機会にと思っていました。しかし、ワイキキの喧騒だけをイメージしていたハワイの印象は、随分違っていて、中々奥の深い所だと見直すことになります…。
 尚、いつものことですが写真説明は写真上でクリック下さい。



月・日 行               動 宿泊地
8月19日  関空16:00⇒17:50仁川空港⇒9:50ホノルル空港⇒12:05カフルイ空港(マウイ島) レンタカーでコンドミニアムへ16:00頃 マウイ・カマオレ
8月20日  ハレアカラ登山  SUGAR・MUSEUM  ビーチ&プール   マウイ・カマオレ
8月21日  イアオ渓谷  古都ラハイナ マウイ・カマオレ
8月22日  カフルイ空港9:24⇒9:55ホノルル空港 カラカウア通り
 クヒオ・ビーチ
エヴァ・ホテル
8月23日  マカハ農園(ホア・アイナ・オ・マカハ)
 マカハ・ビーチ  アロハタワー  
エヴァ・ホテル
8月24日  ハワイ大学  ハワイ日本文化センター
 ポリネシアン文化センター  
エヴァ・ホテル
8月25日  ダイヤモンドヘッド登山  アリゾナ記念館(パール・ハーバー)
 ビショップ博物館  
エヴァ・ホテル
8月26日  ホノルル空港12:00⇒16:40仁川空港(27日)   機中泊
8月27日              ⇒16:40仁川空港19:05⇒20:45関西空港    これより40分遅れ

気付かなかったけど考えてみれば、ハワイは「多文化共生の島々」 [やっとの思いで発見した「ホア・アイナ・オ・マカハの看板]
 今回の旅は、いつもなら最後の方に記す「現地で読んだ本」から書かねばなりません。山中速人さんの『ハワイ』(岩波新書)。格安航空券を扱っている“マイ・チケット”でも薦められたもので、この本がなければ、この旅行はもっと平板なものになっていたに違いありません。
 いつもそうなのですが、訪れる段になって、初めてその国や地域をマトモに知ることになります。少し考えれば当たり前なのですが、ハワイは多文化共生の地域なのです。山中氏流に言えば「みんなマイノリティ」。マジョリティの存在しない「複合文化社会状況」ということになります。
 詳しくは『ハワイ』に譲りますが、合州国本土のように、厳然と白人支配があるわけではなく、そして、いわゆるインディアンに当るハワイアンがもっと力を持った社会。ハワイアン・ルネッサンスの運動以降は尚のことそういう傾向が見られると言えそうです。「マルチ・エスニック・ライフ」。「民族のるつぼではなく、民族のアラベスク模様」。「混ざって金色になるのではなく、虹のような形態」。キーワードだけ指摘すればこういうことになります。
 正直言って、今回の旅は「三上、西矢さんらしくない」と周りからも言われ、自分たち自身もそう思っていたのですが、この本を読み始めた出発直前には「意外とそうでもないカモ…」と思い始めていました。いつもながら準備不足が悔やまれました。特にこの夏は、9時から5時までの3週間研修(「情報」免許講習)で忙殺されていたので、余計にそうでした。

難儀を極めたホア・アイナ・オ・マカハ(「友情によって共有されるマカハの大地」の意)訪問 [ホア・アイナ・オ・マカハの食堂でイタリア人を前に話すジジさん]
 「らしくないハワイの旅」は、もう10年程前、ユニークな旅をしていて昨年『朝鮮へ行こう』を書いた岡本澄さん(吹田東時代の同僚)がハワイへ行くと聞いた時、僕が発した言葉でもあるのです。その時彼女は「何言うてるんですか、ハワイはタロイモですよ、このツアーはマイ・チケット主催のタロイモツアーですよ」と応えたのですが、その時にはあまり詳しいことを聞かずじまいでした。
 今回、現地に足を運び、改めて岡本澄の先見性を高く評価したのですが、もっとチャンと聞いとけばよかった!とにかく、今回は個人旅行のようであって、そうでもない旅だったので、向うでのプランがどうなるかわからないので、航空券を受け取りに行ったマイ・チケットでも詳しく聞かなかったのです。
 これが間違いの元で、オアフ島に渡った次の日、「マカハの谷行き」を決心したものの、情報は先の『ハワイ』の1ページのみ。マカハの谷のマカハ農園、それだけでした。後で触れますが、幸い、何処まで言っても、1.5jというザ・バスの乗り放題チケットがあったので、これを頼りに観光客は余り行かないオアフ島の西海岸へ出かけました。
 ワイキキからバスで約1時間半。その周辺には達したのですが、詳細がわからず。バスの運転手さんに「マカハ農園に行きたい」と伝えたら自信たっぷりに「OK!」なんて言うもんだから、さすがザ・バスの運転手は詳しい、と喜んでいたら、降ろされた所は「マカハ・リゾート」。此処はゴルファーの憩いの場所。空気も景色もよかったけど、何で此処がマカハファームやねん!?チャンとハワイ語でもホア・アイナ・オ・マカハと伝えたのに! [ホア・アイナ・オ・マカハの農園風景]
 そこに駐車していた郵便配達のおばさんに聞いたら、この人こそさすがにプロ。初めは判らない風だったが、ミスタージジの名前を出すと、それはきっと小学校の傍だろうと言うことで番地まで書いてくれました。とにかく、此処からバスで登って来た谷を下れと言う。バスも来ないのでヒッチハイクを試みたが、うまくいかず、歩き出して途中、ハワイアンのおばさんに乗せてもらえました。セブンイレブンで聞いたら、同じく判らなかったがミスタージジで、それなら小学校だということになり、炎天下、20分ほど歩く。
 これだけ探して、ジジ違いやったら、どうすんねん!と思いながら、小学校を探し当てる。近付いたら、「あった!」 “WELCOME TO ホア・アイナ・オ・マカハ”の看板。
 タイミングよく、3日ほど前ハワイ大学に着いて、今しがた農園を訪れた古橋さん(白鳳短大教員)が農園を案内して下さり、そのジジさんにも引き合わせてもらいました。丁度、イタリア人の一行が訪問中で、食堂で昼食を一緒にご馳走になりました。 [ジジさんと話す弘志・古橋]
 この農園の沿革は割愛しますが、ハワイアンルネッサンスを実際に試みる教育農園といった感じ。教育に夢をかけ、ハワイアンに自信と希望を取り戻す運動。
 マイ・チケットの山田さんのことはジジさんの話にも出てきて「航空券はマイチケットで買いましたか?」。YES!と言えて良かった。義理人情でなく、ここが一番安かったのです。因みに山田和生氏の名前は前記『ハワイ』のあとがきにも出てきます。
 ついでにもう一つ付け加えれば、この農園20周年を記念した冊子(英文)をパラパラとめくったら、何と、あの岡本澄を含む写真が掲載されていた! あの時の写真だろう。

マウイ島から始まるコンドミニアムやレンタカーの初体験 [マウイ・カマオレの室内。中2階が有効]
 トピック的に書いていくとゴチャゴチャしそうなので、話は元に戻ります。Aグル−プは4泊6日の日通旅行プランのオリジナルパックツアー。それはチョッとという僕達はプラス3日でプランニング。この3日はマウイ島で過ごしました。この旅で初めての体験はコンドミニアム。話には聞いていたけど、二人や三人の多い僕達の旅ではこれを使う機会はなし。2ベッドルームで6人宿泊が経済的。ベッドルームに4人と、リビングのソファーを引っ張り出して2人。今回はぴったりのケースで、居住性も抜群に良好。特にマウイの方は中2階に1ベッドルームがあり、キッチンもフル装備で文句なし。大型冷蔵庫、電子レンジ、流しもディスポーザー付き。食器類や調理器具も揃っていて、調味料まであり。その上、洗濯機に加え、乾燥機まで。ワイキキの方はこれと比較するからかかなり劣悪。キチネットと言い、簡易キッチン。みんなでケチネットと呼んだくらい。都会の割に低価格だったため。 
 マア、TAXやクリーニングチャージとかあって、色々計算は複雑なのですが、一人一泊約5000円と言ったところ。マウイ・カマオレはコンドミニアムゾーンにプールがあり、バーベキューセットも完備。駐車場も無料。こういうことを入れると相当リーゾナブルな価格。 [マウイ・カマオレの外観と前にレンタカー]
 これも、普通なら列車、バスの多い僕達にはない体験のレンタカー。マウイは全く交通機関が発達していないので、レンタカーでしか動けない事情と、ハワイでは国際免許証が不要なこと。7人乗りのミニ・バンで、これも保険とか色々計算はあるのですが、一人あたり1日2000円程度。ガソリンは3日間で1人500円ほどで済みました。
 貸してくれた車はほぼ新車で快調でしたが、アメ車。フットブレーキに慣れず、ウインカーが左にあるのに戸惑いました。左ハンドル・右側通行も噂には聞いていましたが、左側通行に体が慣れているので、交差点などではつい左に入りそうで、車内から「右!」の声が何度も響きました。
 マウイ島は交通量も多くなく、慣れれば、運転はそう苦にならない3日間でした。ハレアカラ登山も地図では相当なつづら折れで、日本の中央アルプスや日光を連想していたのですが、大違い。日本で言えば、山並ハイウエーという感じ。何はともあれ無事完走、空港で返却した時にはホッとしました。

カマオレビーチもクレータもイアオ渓谷もラハイナ港も、どれもいいマウイ島の3日間 [コンドミニアムから歩いて3分のビーチの夕暮れ]
 マウイ島には合州国からは直行便がありますが、日本からはありません。そのためでしょう、ワイキキのあるオアフ島に比べたら人の数は30分の1位でしょうか。日本人の数もウンと減ります。その分、静かでのんびりした印象です。
 ビーチは至る所にあるのですが、僕達のコンドミニアムの近くはカマオレ・ビーチVというところ。キヘイ地区に属し、ここは、比較的庶民的なコンドミニアムが集中している街。前が直ぐビーチという所もありますが、環境問題を考えても、歩いて3分で充分でした。着いた日の夕方、2日目の夕方、3日目の早朝&夜と泳ぎに出かけました。遠浅で、砂が細かくて感触は最高、波も余り高くなく、人も少なく、ベストコンディションでした。
 それに良いのは、その後直ぐにコンドミニアム付属のプールで泳いだり、砂を落としたり、暖かいジャグジーに入れることでした。 [ハレアカラからの雲海]
 2日目はハレアカラという火山に登りましたが、頂上直近迄車でいけました。世界で2番目の規模と言われるクレーター(噴火口跡)が壮観でした。【冒頭の写真】 朝一に来ていれば周りは一面海だったのでしょうが、少し遅めだったので一面雲、雲海が広がっていました。
 3日目はイアオ渓谷訪問。雨勝ちのところで、僕達が訪れたときも小雨交じりでしたが、その方が雰囲気があるのかもしれません。イアオ・ニードルと呼ばれる尖がった山が面白い形状をしていました。 [捕鯨船の博物館から見たラハイナ港。後は最古のホテルパイオニア・イン]
 
その日の午後は、渓谷から30分強のドライブで古都ラハイナ。途中の景色は海が広がり抜群だったようですが、ドライバーは見てはいけないのでよく判りません。この町はハワイ王国の昔の首都なので、それを生かして街並み保存が行われているようで木造のしっとりした雰囲気のお店が並んでいました。 
 ラハイナの西に続くのがカアナパリという地区でここは僕達が滞在するキヘイより数段上のコンドミニアムやホテルが並ぶ所。ハワイは概ね“Open to Publick”が原則なので、偶々入りやすかったハイアット・リージェンシーホテルを訪問。ここのカスケードというい野外パーラーでブルーハワイなどのトロピカルドリンクで乾杯。ドライバー三上はレモンライムに酔ってしまいましたが、休憩後出発。  [プールサイドでのバーベキューで乾杯]
 マウイ島は交通の便がよくないので、良くも悪くもこのミニバンで動くしかありません。チョッと買い物するにも車です。だから、6人組の絆はいやが上にも強まらざるを得ませんでした。退職がらみ、ローンの話(もちろん教育絡みの話はイッパイしましたが)…ヤッパリ16年の歳月は争えないか? 食事は、もちろん車で。イタリアン、タイ料理、そしてプールサイドでのバーベキューと豊富な夕食体験でした。でっかいコーヒーメーカーがあったので、コーヒー好きのメンバーには結構な毎日でした。朝食はトースターで食パン、サラダ。昼食には手作りサンド、いずれもフルキッチンのお陰でした。

ワイキキはやっぱりワイキキらしく。そこを離れると見所も結構色々あり [ワイキキビーチからのダイヤモンドヘッド] 
 マウイ4日目はオアフ1日目。この日Aグループがホノルルに着くので、ホノルル入りは同日。後で聞いたことですがAグループは台風11号の影響で出発が4時間以上遅れたとかでグッタリ。ここでの僕達のコンドミニアムはエヴァホテル。西矢の奮闘で、Aグループのホテルの西隣で、ロケーションは最高。
 さて、ホノルルのワイキキ。やはり、ここは僕たちもハワイと言えばここを連想したように、そして、らしくない所と思ったように、「チャラチャラした」というイメージ通り。海辺に近いカラカウア通りと少し奥のカヒリ通りがメインストリートなのですが、前者は噂通り日本人がいっぱい。なぜ日本人がこんなに多いのかは先の『ハワイ』にも色々書かれているので、そちらに譲りますが、僕の若い頃から確かに「××して、ハワイへ行こう!」のようなCMがありましたね。
 捕鯨、砂糖、パイナップルと来て、今ハワイが観光立国でしかなり行かないなら、金を落としてくれる日本人も悪くないのだろうと思ってしまいますが、少なくとも、ここにだけ来て、帰ってしまうのはもったいないナ、とは思いました。
 この辺りにはABCストアーというコンビニのようでコンビニでもない、単なる土産物屋でもない店があまたあります。すごい時には10mと離れていない。僕達も結構ここで買い物したのですが、日本の中学生くらいの子供達がいっぱい買い物していて、なんか雰囲気がよくないんですね。生意気に見えると言うか、我が物顔と言うか。で、気が付いたのですがよく似たTシャツを着ています。その何人かに聞いてみました。そしたら「習い事の団体で来ています」「英語の」。そんな団体で来てるんだったら、日本語でベラベラ喋りながら買いもんすんなヨ!第一、英語の勉強で海外研修するんやったらハワイなんて最悪でしょ。親も学校も何考えてんねん!?とショウムナイことに憤ったりしました。
 これは西矢が見た光景ですが、僕らがケチケチ買い物してる横で、子供がこれもあれもとレジに持って来て、お父さんが2百数十ドル払ってる風景。普段忙しくてこういう機会でなければこんな役回りもできないとか色々事情はおありでしょうが、何か変な感じがするんですよね。
 何だかひがんでるみたいだけど、結論。子供をこんな所へ連れてきて甘やかすな!お年寄りが多く、家族連れの海外旅行にはふさわしいのかも知れません。たくさんお金を落としていくのもいいでしょうね。ハワイ経済にとっては。現地の人が本音ではどう思っているかは別にして。

The Busは いい乗り物でした。うまく使うと値千金 [庶民の味方=THE BUS]
 初めの方にも触れたザ・バス。2001年の6月までは1$だったのですが、1.5$に値上げされました。少し支払いが面倒になったようですが、それでも安い。特に4days Passが15$とお得な上に、いちいち料金を支払わなくていい便利さ。マカハを訪れた時もこのパスでOKでしたが、ポリネシアン文化センターのときも1時間半。路線図とかが入手できなくてよく判らない面もあったのですが、とにかく乗り継いだり、乗り換えたり、色々したら、どんな所にも行ける。ただ、バス停に名前が書いていない、時刻表が其処に掲示されていない。これは困ったことでしたが。
 そして、車の前に自転車が2台までなら無料で積んで貰えるのです。これもハワイならではのような気がしました。

壁画もさすがハワイ大学。どれだけ日本人が訪れるんだろう日本文化センター [ハワイ大学の階段横の壁画]
 オアフ島2日目は最初に書いたマカハ農園訪問と、その近くのビーチ。そしてアロハタワー。ここはウオーターフロントで神戸みたいな所で結構趣がありました。人も意外と少なくゆっくりできました。 [天皇家と君が代を示す掛図]
 3日目はコンドから比較的近いハワイ大学へ。先の山中さんも古橋さんもここのイースト・ウエストセンターで研究されたようです。なかなか権威のある研究所のようです。別に其処を尋ねようというのではなく、マア、雰囲気を見に行っただけ。多文化共生の島の大学らしく壁画などはそういうスタンスのものが鮮やかに描かれていました。
 大学から歩いて10分ほど下った所にあるのが、ハワイ日本文化センター。ここは移民やその後の日系人の生活などが展示されている博物館。変にナショナリスティックでもない落ち着いた展示でした。日本本土では見られないような天皇家と君が代を示す掛図が印象的でした。本土では御真影がこんなに無造作に?飾られることは無かったろうと思うのですが。
 
 
 
 
A・Bグループジョイントでポリネシアン文化センターへ [ポリネシアン文化センターのカヌーが通る川] [イブニングショーの一こま]
 オアフ島に移動してからは、Bグループでも、ザ・バスのお陰で(?)、行動は色々になっていましたし、A・Bが混ざることも出てきました。これで予定通りなのですが、全員で行こうと日本でも決めていたのがポリネシアン文化センター。それも、ザ・バス利用で格安プラン。
 久しぶりの団体行動が却って新鮮に感じられ、16年前ツアーコンダクターだった和田さん(今は家業を継がれている)復活の感。このポリネシアン文化センターはランクが複雑でよく判らなかったのですが、センター内でのガイド付きがあるようでした。かなりの規模で、整備された施設と人が配置され、それぞれの村でショーが頻繁に行われていました。ディナーとイブニングショー付きで、団体割引40$はそう高くない感じでした。イブニングショーもたっぷり1時間半堪能しました。驚いたのは、何百人と観客が居たのにザ・バスに乗ったのは僕達と後15人ばかりだったことでした。 

最終日は、ダイヤモンドヘッド早朝登山から [ダイヤモンドヘッド頂上からのご来光] [朝日を浴びるワイキキ]
 実質最終日の朝は5時に起き、まだ暗い中をタクシーでトレイルまで行き、一気に登頂。「ご来光」を待ちました。ピークに来ていたのは10人程で静かなものでした。ご来光もですが、朝日の当るワイキキもなかなかのものでした。 [アリゾナ記念館と向かうボート]
 
この日の午前はパール・ハーバー訪問。でも、パール・ハーバーそのものは大変広い湾ですから、目的地としてはアリゾナ・メモリアルとういことになります。これもザ・バスの乗り継ぎで。軍と内務省の共同運用で、すべて無料。ただ、整理券を貰って、約1時間待ち。マア、景色も悪くないし、展示もあるので退屈はせず。映画『パール・ハーバー』は合州国では不評だったようなのでその為ではなく、いつもこんなに混雑している感じでした。もちろんアメリカ人でイッパイ。
 先ず、映画でこの攻撃の経過とその後の展開を見る。その後、ボートでアリゾナ記念館へ。この建物自体は何も無く、トイレさえない。沈没したアリゾナ号を跨ぐ形になっている。それを見るのと戦没者の名簿があるだけ。慰霊施設だから静粛にというようなことも書かれてありました。当然といえば当然なのでしょうが、ここは、アメリカ人に対する愛国心教育の場といった感じでした。場内のポスターに“Experience Your America”とありました。

 

最後の訪問先は、見応えあるビショップ博物館 [ビショップ博物館の荘重な外観]
 再びザ・バスで最後の訪問先ビショップ博物館へ。折角乗ったバスが車庫行きでチョッと手間取りましたが午後2時には施設内のレストランで昼食にありつけました。ビショップさんの妻が王家最後の直系子孫でもあり、ここのコレクションは相当なものです。今は州立になっているようでハワイと太平洋諸島の文化に関する収蔵品の質の高さは一級品揃い。 [壮大なハワイアン・ホール]
 前庭にモアイ像が置いてある【冒頭の写真参照】のも、単なる遊びではなく、そこ(イースター島)までが同じ文化圏であることのメッセージであるということで納得。濃密な展示とゆったりした敷地はさすがという印象で、風も爽やかで5時起きの疲れた体をリフレッシュできました。
 最後の夜はワイキキに戻り、歴史の刻まれた一流ホテルのパブリックスペースを探索したりして、チャラチャラした雰囲気(?)に浸りました。 

 

MAHALO(ありがとう)!ハワイ、 そしてグループの皆さん [エヴァホテルから空港へ立つ前に全員集合!] [大韓航空機からワイキキとダイヤモンドヘッド]
 ホントの最終日は、先に発つAグループを見送り、ワイキキ東端のカピオラニ公園散歩を最後にエヴァホテルを出発。ホノルル空港から仁川空港経由で無事帰国しました。日付変更線の関係で27日の夜遅くに塚脇に着くことになります。
 
いつもなら冒頭に書く諸データ―的なこと
 物価はこれだけ日本人観光客が多いのだから当たり前ですがほぼ日本並み。日本食は日本に比べたらもちろん高め。そういうこともあって、この旅の費用は近い割には安くないのですが、それでもパックツアーよりは安くついています。普通なら余り使わない大韓航空に乗りましたから、これだけで直行便より3万円安。ロスタイムが少なく、仁川APで韓国海苔等買って過ごせばそう苦にならない日程でした。パック旅行風に計算すれば127000円程度(これに食事代やショーの価格が入って+3万程度)でした。 [カピオラニ公園のバニヤンツリー]
 天候・気候ですが、全シーズンこうなのかは分りませんが、ほんの少しお湿りがあった程度です。大変涼しいとは言えませんが、湿度が低いのといつも風があるので過ごし易い。翌日の天候を心配しなくていいというのは観光地としてはベストなんでしょうね。
 



Copyright © 2001 MIKAMI HIROSHI