思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その4
 駆け足 韓国4日間 金貞美との4年振り再会



[金貞美と3時間トークの後喫茶店前で]

 はじめに 
   〈今回は、出発前に以下のようなメールを多くの方に出し、貴重なアドバイスを頂きました。有難うございました。文体はやはり、 手紙風印象記です。帰国翌日が日曜日だったので1日でまとめたホットレポートです。尚、いつものことですが写真説明は写真上でクリック下さい。〉

 ご無沙汰しています。学校の予算が逼迫しているため、クーラーをつけるつけない でもめごとの絶えない大冠高校ですが、ようやく期末考査が始まり少なくとも午後の 授業はなくなりました。今時、クーラーのない、環境に優しい(?)職場で働いている 数少ない人種から暑中お見舞いです。
 何人かの人にはお知らせしている通り、7月11日から3泊4日でソウルへ無事出か けられることになりました。
 3泊4日と言っても、1日目は夜に着くので、正味2日半ですが。こんな忙しい時に出 かける人は少なく、飛行機もホテルもお任せなので29000円と格安。ところが見込み 違いで11日の出発便が5時前に指定され、西矢がそんな時間には行けないということ で、あわやキャンセルの危機。7時の最終便のアシアナに変更してもらえてセーフ。
 元々、その内、機会があればソウルへ行って、4年前にローマのナヴォーナ広場で 知り合った韓国の小学校教員(当時は大学生。その後英語で文通)と話して来ようと いうことになっていたのですが。丁度、僕の学年が来年修学旅行に韓国へ行くことに なったので、錦の御旗がたったという感じです。西矢も夫がそういう事情で…と訳の わからないことでお出かけです〔因みに、保護者の一人から『韓国修学旅行反対の意 見書』が出されました。かなりキッチリした新自由主義史観派の方のようで、自虐史 観を刷り込みに行くのだろうと言う訳です。あまり大騒ぎにはなっていませんが、こ ういうことはあり得ることのようです〕。
 ホテルはさすがにダウンタウンから離れていますが、うまくいけば2日目には板門 店へ。3日目にはうまくいけば独立記念館へ。1日目は勿論ソウル散策(これは僕達の 修学旅行の一つのメインイベントです)。もう一つ因みに、韓国映画『JSA(板門 店のこと)』を事前学習(?)として見ましたが、シュリなんかと違って大変良かった。 オススメです。 [利川で陶器用の土について相談する姜さん]
[メガネをゲットした南大門市場の雑踏]
 メガネ(日本の3分の1くらいの価格という噂。倫子さん、雅さん情報ありがとう) と陶芸用の土(お世話になっている退職教員で陶芸をされている方に)を買うこと。そ して、金貞美さんと日韓教育事情を交流?すること。後はうまくいかなければ、また の機会に、とユトリを持って出かけようと思っています。教員以外の方のために言っ ておきますが、これは年休で自費で出かけます。
 というわけで、もうあまり時間がありませんが、もし何かアドバイスがあれば送信 下さい。



月・日 行               動 宿泊地
7月11日  関空19:00⇒21:00仁川空港 空港からバンでホテルへ23:00頃 ニューオリンピアナ
7月12日  仁寺洞陶器街・景福宮・国立中央博物館・西大門刑務所歴史館
 南大門でメガネ物色  夜はツアーに付いていた焼肉&アカスリ(梨泰院)
ニューオリンピアナ
7月13日  利川へ高速バスで1時間。陶芸村で陶器用”土”を購入
 利川バスターミナル近くの温泉に入る
 夜、金貞美と夕食&トーク(仁寺洞)
ニューオリンピアナ
7月14日  南大門で最後の買い物。少しの時間で徳寿宮散策。
 ツアーにつきもののショッピング(ロッテワールド免税店)
 仁川空港16:20⇒関空18:00

準備不足、甘い見通しで、予定変更やむなし
 はじめに書いたように、今回のひとつのメイン行動は板門店へ出かけることでした。事前情報によれば24時間前なら現地で申込み可能。ところが、ロッテホテルの3階の大韓旅行社で2日目の朝申し込みに行ったら「フル」。他の旅行社2軒も同じ返答。キャンセルは待てないかと粘ったがダメ。
 何故かこの日は大韓旅行社は催行なし。土曜なら空いてる。それは帰る日だ! これでかなりガックリきたのですが、マア、日本から予約しなくても行けるだろうと思った甘さの故、またの機会に。
 もうひとつ変更は独立紀念館訪問。最終日の午前に行って来ようと思っていたのですが、何せ安いツアーにつきものの買い物タイムが付いていて、集合が何と11時20分。こちらの方は修学旅行の下見で必ず行くことになりそうなのでパス。
 その分の時間は結局、陶器用の「土探し」に充てたことになります。マア、板門店へ行けなかったからこそ、陶器の里、利川(イチョン)へ行けたし、そこで珍しく温泉に入ったりできました。僕達がベルリンの壁を見た1年後に、壁が崩壊したので、38度線の壁もまだまだ無くなりそうにないということでしょうか。

気候は大阪並か、少しマシかも知れない
 よく考えたら、大阪でも、こんな天候の下、都心をウロウロすることはないでしょうから、無謀な観光と言うことになります。日本と同じ梅雨時ですから、ジットリしていて曇りがちの空模様でした。でも、その方がしのぎやすかったのかも知れません。
 大阪に帰ってきて、やっぱり、暑さの点では大阪の勝ち!と実感しました。しかも3日間とも、曇りがちではあれ、雨は一滴も降らず、帰りの空港で激しい雨になっているという幸運。

物価は安い。経済不振から立ち直っていないからかどうか判りませんが
 いつも海外に行くのに欠かせないのが電卓ですが今回はほとんど不要。ほぼ、1円=10ウォンですから0を一つ取ればいいという便利さでした。イタリアやトルコほどでもなく便利なのですが、こういうレートがいつまで続くでしょうか。
 地下鉄がほぼどこ迄でも60円。タクシーは普通の距離なら模範タクシーで300円。3日目に出かけた利川迄高速バスで1時間乗って300円。食事や飲み物も半額から3分の1程度でしょうか。
 いろいろな施設の入館料・見学料がほぼ統一されているようで70円。

教科書問題の影響は観光には見られず [パゴダ公園の前の教科書問題の抗議の立て看]
 教科書問題で日本政府が書き替えをほぼ否定した後の訪問でした。例の旅の最中に読む本に選んだのが関川夏央氏の『ソウルの練習問題ー異文化への透視ノート』(岡本澄さんの『朝鮮へ行こう』の中で共和国に関するルポが大変高く評価されていたので、この人が書いた南のものもキット信頼できるだろうと思って)は丁度82年の教科書問題の時期のものでしたが、その時とは雰囲気が違うことはハッキリしていました。池明観教授が語っている通りでした。
 当時は、日本人への反発が強いことを予想して旅行取り止めが相次いだと書かれていますが、今回はそんなことはありません。今回のツアーはほとんどフリープランなのですが、11人参加で、ほとんどは20才代の女性でしたが、そういうことを気にもかけていない様子でした。時間もないので聞きもしませんでしたが。
 ソウルでテレビを見るとトップに教科書問題が報道されているし、新聞も1面トップに取り上げられているのですが、日本人と判ったからといって何らかの不安を感じることは一度もありませんでした。あの有名なパゴダ公園(公園自体は改修中で閉鎖されていましたが)の前に日本の侵略を示す写真を掲げた抗議の立て看があるのが目に付いた程度でした。尤も、結局時間が無く行けなかったのですが大学のキャンパスなどに行けばまた違った光景を見ることができたのかも知れませんが。
 こういう状況が良いことなのか良くないことなのかよく解りませんし、そういうことを尋ねるほど語学力がある訳でもないので、レポートする資格はないようです。ただ、西大門刑務所歴史館のガイドをして下さった金さんは、控え目に「事実を見るだけです」と話されていました。

財政状況が気になるほど公共投資は大きそう [明るく清潔な地下鉄の構内] 
 驚いたのは博物館の類いがしっかりしている割には入館料とかが安い。警察官の数も多い。地下鉄が今も延伸中、それもかなりいい施設として建設が進んでいる。
 実は修学旅行を韓国に決定する過程で出て来る心配は「治安の良し悪し」だったので、ついそういうことが気になったのですが、治安はきわめて良好。警官の数だけでなく、兵士も暇だからか、あちこちに居るし、国民皆兵制のためか、軍服を着た青年が一般市民に混じって行動しています。あまり個人的には気持ちよくないのですが、マア、治安と言う意味では役立っているかも知れません。
 先の夏川さんの本に出てくるのですが「東京の人々の電車を待つマナーがよくなったのはオリンピック後。韓国の人も今はマナーが悪いけど気にしなくていい」というようなことが書かれていたのですが、その通りの様で今のソウルの人のマナーのいいこと。地下鉄に乗る時キチット2列に分かれるのには驚きました。この伝で行くと、北京の人々のマナーも2008年前後にはウンと良くなるかも知れませんネ。ソウルで新聞を見てハングルでなく写真で北京開催を知りました。ヨカッタヨカッタ。

相当ヘビーな西大門刑務所歴史館 [中央博物館にある総督府があった時期の模型] [仁寺洞の全国漢字教育推進総連合会]
 さて、順を追って2日目からの行動記録に移ります。 
 国内外を問わず、旅行の最初は体調が万全でないことがママあります。今回も学期末の仕事を無理して片付けた影響か、実質スタートの日はしんどかったのでゆっくりした行動を取りました。この旅には食事がほとんどついていないので朝食をパゴダ公園の手前の麺類の店で食べたのですが、冷麺と思ったらラーメンでこれがべらぼうに辛くさすがの西矢さんも閉口。その後仁寺洞(インサドン)の陶器屋さんで土探し開始。結局いくら陶器をそこで作っていても土を買うなんてことはできないことが判明。
 この通りは骨董品やお面を売る店も多くいいプロムナードでもあって、ヨーロッパ系の人も多いようでした。全国漢字教育推進連合会なんて看板の事務所があり、共感して激励したかったのですが時間なく通り過ぎました。
 この通りを抜けるとそこはもう景福宮の近くです。ここはあの朝鮮総督府があった所で、景福宮を塞ぐように建っていた為に総督府が歴史的建造物であるにもかかわらず、撤去されたという所。景福宮そのものも小学生から高校生まで色々な学生が見学に来ていましたが、今は無き総督府の横に博物館があり、中に、総督府の位置を示す模型が展示されているのが印象的でした。 [西大門刑務所歴史館・木造は柳寛順の記念館] [ボランティアガイドの金さんの説明]
 ここから地下鉄でひと駅先に独立門という駅があり、ここに「西大門刑務所歴史館」があります。朝鮮独立の活動家が捕えられ、拷問され、処刑された場所。それを保存し周りは公園にした資料館。入るなり、日本の方ですか?と聞かれ、早速ボランティアの日本語ガイドさんを付けてくれました。金鴻哉さん。訪問者はそう多くないので余計に話が深刻に感じられ、特に拷問の場面を人形で再現したところなどは、相当ショッキングなものでした。拷問の声がテープで流れているところ等は朝鮮語であっても臨場感いっぱいで、西矢さんは倒れそうになったくらいでした。  
 金さんは植民地時代に日本語を学ばせられ、それが今のガイドに繋がっているようで、かなり忘れているがと言われていたが、結構解り易い説明でした。朝鮮のジャンヌダルクと呼ばれる柳寛順の記念館が木造で残っている女性の刑務所跡にできているのも印象的でした。ここも大冠の生徒の訪問地に入るはずなのですが、この酷さに絶えられるかどうか心配になります。
 ぐったりした後、気を取り直して南大門へ向かいました。もちろん、メガネショッピングのためです。とにかく日本人の為に日本語で安いとか配達OKとか日本語できますとかガラスに書いてある店がいっぱいでした。しかしメガネなんて日本で買っても安いのかどうかよく判らないのであまり日本人が入っていない店で感じのいい店員さんが居る店で買って、翌日夕方受取りに。その後はこのツアーに付いている焼肉とアカスリに合流しました。

チョッと不満のツアー。安いから仕方がないけど
 焼肉は実に少ない量。モットと言う人には追加注文。アカスリもできるだけフルコースに持っていこうとする。僕らは肉の追加注文もせず、マッサージも頼まず。
 元々余分に付いていたものですから、期待もしていないのでいいのですが、やはりホテルの位置はこういう場合大事。中心部の明洞(ミョンドン)辺りへ行くのに3、40分かかるというのは少しきつかったようです。ただ、最新の地図でも載っていなかった地下鉄の新路線ができていて新駅(夢村土城という名前)の直ぐ前で、乗換が必要とは言え、助かりました。
 ニューオリンピアナと言う如くオリンピック(ソウルは何と13年前!)の時に建てられ、そのまま手を加えていないかなりおんぼろホテルでした。お陰でホテルに帰りたいとは思わないのでジックリ街に居られたのかも知れません。
 ガイドさんはパートタイマーのような感じの人で、これに不満を言う人も居たのですがアッサリしていてよかったかも。アカスリだけで終えた僕達を先に送ってくれたのですが、方針変更して東大門へ。渋滞に引っかかって困ったのですが夜更かし族が多い東大門周辺へ。日本のどこにもあるような風景で若者がステージでダンス。
 これも仕事柄気になるのですが、茶髪率はほぼ日本と同じくらい。ピアスの率は極端に少ない。東大門はあまり訪れず、買い物は偶々専ら南大門ですることになりました。もっとも、イスタンブルのグランドバザールとかとは比較にならないほど小さいので気が楽でした。ただ、24時間営業のようで、最終日朝8時ごろ訪れてもシッカリ営業中でした。途中でお休みというのもあって困ったこともありましたが。 
 
陶器の里、利川へ。念願の「土」を入手 [利川の陶芸村の店並]
 どうしてこれほどまで「土」にこだわるのか。実は子供の歩・大亮の結婚式でオリジナルのカップを何十個も焼いて頂いた田中先生へのお礼の意味をこめているのです。どこの土でも一緒かも知れないのですが、異国の土を喜んで下さるだろうという期待からです。
 東ソウル総合バスターミナルを8時半頃出発、キッカリ1時間で利川着。タクシーで陶器屋さんや窯元が集まる村へ。偶々尋ねたお店で日本語ができる若い店主が親切に「土屋」さんを教えてくれ、地図と、日本へ送ってほしい旨を韓国語で書いてもらい、10分ほど歩いてその工場に到着。
 白磁、青磁、造形物用の3種類があり、喜び勇んで都合200Kgを買うことにしたのですが、問題は運賃。ここのオーナーの姜聲振(カンスンジン)さんが親切に電話で色々調べてくれたのですが、船便でもここまで取りに来る費用とかを入れるので大変な金額になることが判明。結局手で持って帰ることに。10キロを2つ。ワンゲルで鍛えたとは言え、なかなかのものでした。
 この姜さんと話が比較的進んだのは筆談のお陰。中国人でもないのに何故と思われるでしょうが、彼は40才だそうですが、高校の時、第2外国語で日本語を勉強したとのこと。だから今の日本の漢字を書けるのです。この工場を教えてくれた李さんも大学で日本語を学んだと言われていたし、あの金貞美も高校で一応は日本語を学んだそうで、結構日本語を学ぶ機会があるようです。西大門の金さんのような経過ではないことにホッとしました。
 相当安い陶器がたくさんあったようですが、いくらなんでもこれ以上買う訳にはいきません。小物だけにしました。
 この20キロの荷物を持って利川のターミナルへ戻り、ミランダホテルで入浴。温泉かどうか定かではないのですが、昼間から結構入浴客がありました。

学期末の忙しい時に金貞美に4年振りに会う [プレゼントした浮世絵入りの扇子を見る金貞美]
 今回の旅のメインイベント、金貞美(キムユンミ)との再会はこの日の夕方6時にロッテホテルのロビーで待ち会わせ。それに間に合うように南大門の眼鏡屋さんに寄って滑り込む。
 彼女とは親子(西矢の母と夫妻)3人旅の時、偶々ローマのナヴォーナ広場で知り合った後、手紙、Eメールで断続的にやり取りをしてきた仲。ソウル教育大を出て、難関を突破して小学校教員に。心なしか少し疲れている様子だったが4年前と変わらず。
 コリアンレストランで夕食をということで、明洞付近は高いので離れようということで昨日見た仁寺洞の裏通りがいいと僕らが薦めてタクシーでGO! [金貞美と食べた韓国料理]
 後で『歩き方』にも載っていることが判ったのですが「オウロンドウロン」(日本語でナカヨシコヨシだとか)という店で。韓定食ではなく適当にチョイス。カードで払う下限(2000円)にも達しない安さ。プルコギ(牛皿風)が美味しく、味噌汁は激辛! 
 彼女の仕事は昨年色々苦労している風だったのが、今はOKということだったので深追いせず。1年目は6年担任で今年は4年担任。ところが、私費留学でUS(アラバマ州立大)へ8月に旅立つ予定。近年、小学校3年から英語を学ぶらしいが日本の音楽や家庭みたいに学年内の担任同士で交替するようでした。
 教科書問題は日本の教員は皆怒っているのか、いつ採択が行われるのか、などの話になりました。彼女は日本語、特に漢字が全くダメなのですが、大阪教組のニュースや高槻の市民運動が撒いたビラとかを少し説明して渡して、日本でも不十分ながらこの教科書(bad textbook!)に反対する動きがあることを伝えました。日本語が解る仲間に見てもらうことにしました。
 途中から同じ仁寺洞の喫茶店に場所を変えて色々話をしましたが、割愛します。個人的なことですが彼女にはボーイフレンドがいて大学の政治学専攻のようです。韓国は徴兵制の影響で結婚年齢が高めになると言っていました。
 彼女がUSから帰ったら結婚でしょうか?その後日本にも行きたいと言うことだったので、是非拙宅へということを約束。あっというまの3時間でしたが、彼女も学期末なので地下鉄の乗換駅で別れを告げました。

仁川空港は利便性抜群の素晴らしい空港 [徳寿宮の入口。衛兵が行進] [徳寿宮の博物館と前庭]
 最終日は初めの方にも書いたように、ホテル出発が11時20分で時間的余裕がなく、梨花大方面へでもと思ったのですが断念。南大門市場で頼まれ物を買ったりして、残った時間で市庁舎の近くの徳寿宮へ。ここは韓国の最後の外交交渉の場でもあり、色々な重要な会談が行われたようです。市庁舎や有名ホテルが林立する中で緑に囲まれた史跡でした。日本も天皇が退位し、今の皇居が早くこういう市民の憩いの場になればいいのですが。
 ロッテワールド免税店で200円分のテレカをもらい、何も買い物せず。予定にあった食料品店もガイドさんの計らいで?取り止め。結構でした。ロッテワールドのデパートは時間があればもっとウォチングしたかったのですが。
 空港へは1時間少々で着きました。仁川空港は来た時は夜中だったのですが、帰りにゆっくり見てみると大変いいのです。どうしても下見意識が抜けなかったのですが、新しいとか広いは当然ですが、すべてがフラットなのです。同じ階に免税店、レストラン、ゲートなどがあり、北ウイングとか南ウイングもなく、関空のように電車に乗ることもなく、どこへも歩いていけるのです。これは優れものです。生徒の引率向けには完璧。

遣り残したことは色々。また気軽にお出かけしましょう
 これも最初に書いたことですが、正味2日の旅ゆえ、いっぱいし残したことはあって当たり前。この10月には修学旅行の下見。来年の10月には本番。その間に出かけてもいいかも。もう少しハングルが読めるようになって。ウォンを使い切る必要などなかったのにいつもの癖で必至に勘定したのはチョッとアホかなと思っています。 
 ワールドカップ向けでしょうか、改修中が結構ありました。パゴダ公園、景福宮、徳寿宮など。これもワールドカップ後にはどれも完成して、我が大冠の修学旅行の頃にはリニューアルされているのでしょう。



Copyright © 2001 MIKAMI HIROSHI