思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その40
    2年連続、同じ季節のネパール訪問
  ヒマラヤ・トレッキング第2弾 ポカラからアンナプルナ・ポーターさん付ガイド・ポーター無しの個人旅行で
〈2017年12月19日~26日〉
はじめに…昨年に続いてヒマラヤトレッキング。その理由は3つ。 
 
昨年のこの時期に、初めてのヒマラヤトレッキングに出向き、それなりの達成感があり、このサイトに報告もしました。今年もほぼ同じ季節に再びヒマラヤへ出向くことにしました。感動忘れ難く再訪というほど単純ではない理由がありました。一つは、私達の年齢を考えると、ゆっくりしていたら体力的に行けなくなるのではないかと考えたこと。二つ目に、前回の経験から、この地域の山行は現地の物価が格安であることから、相当割安な旅行が可能ではないかと考えて、自由旅行でもう一度訪れてはどうかと考えたこと。三つ目は偶然が重なったのですが、現地の支援学校を訪問するのにポカラが最適になったこと。
 前回はこういう山行は初体験で何も分らず、西遊旅行のお世話になったのですが、あまり高い山に挑戦する訳でもない僕達にとっては前の経験を生かせばガイド・ポーター無しでも大丈夫と思った次第です。前の報告でも書きましたが、同宿になった宮城県の伊藤さん情報で個人旅行ならどうなるかも大方解かっていたのも刺激になりました。
 航空券は早く予約を取れば、相当安く手に入るし、ホテルやロッジは相当安い。食事も昨年のメニューと変わらなければ、格安。旅行社の「専用車で」というプランも自分達でタクシーやジープをチャーターすれば高くはなりそうにない。ということで半年ほど前には航空券・ホテルの予約を完了しました。
 私達のプランと同様なパックツアーがありましたが、昨年とほぼ同額の20万円台の後半の価格でした。昨年のキャセイパシフィックでなく大韓航空でチケットが取れたので、乗り継ぎ時間が大幅に短縮されるという利点もあり、エアーチケットだけなら往復6万円で入手可能でした。カトマンズからポカラまでのセスナ機が飛ぶ距離が短いのに残念ですが2万2千円と割高でした。空港使用料とかを含めるとこれだけで10万円近くかかってしまいました。ただ、ガイド・ポーター無しですから後は宿泊・食事費用、そしてタクシー・ジープ等の移動費用くらいです。これは驚くほど安いので、詳細は最後に触れますが、一人当たりかかった費用は、何と13万円程で済みました。旅行社を通す費用の半額ほどでした。
 どうしてこんな年の瀬の時期に?と聞かれることもあったのですが、それは解散総選挙絡みです。安倍さんは何をするか読めない総理です。この山行が解散と重なると困るのです。前にその為にキャンセルした苦い経験。それを避けようとすればいかに安倍さんであろうと総選挙はしない時期に行くこと。いかに彼でもこんな年末に選挙はしないと見立てたのです。まぁ信じられない名目のない10月選挙が行われてしまったのです。選挙結果には色々あるとしても、何の心配もない時期の山旅になった次第!?

①仁川での待ち時間は短く当日夕方着、カトマンズ空港近くのホテルで寝るだけ〔①は1日目、以降同じ〕
②早朝、セスナ機でカトマンズからポカラへ飛んで、目いっぱい行動が可能でした

 ネパールはアライバルビザが空港で取れるのですが、昨年時間がかかり過ぎたので、今年は大阪の領事館で取って行きました。大阪の教育会館近くのビルの7階にあり、ついでに行く機会もあり、受取りは郵送可能で助かりました(領事館は今西組の一郭にあり、現地の博物館でも展示されていましたが、今西さんはマナスル登頂の一員だったそうです)。
 空港は例に漏れず、出口付近は喧騒に包まれていますが、少し離れると何もなく真っ暗で買い物もままならない状態でした。それより困ったのは、ATMです。昨年は首都ダウンタウンのホテル前のATMでクレジットカードを使って現地通貨が容易に引き出せたのですが、今回は空港に1台しかなく、ホテル近くにも1台しかない。その上、ルピーが引き出せないのです。マァ翌日、空港へ行くだけですから、特段困るわけではないのですが。
 国内線で18人乗りセスナ機でポカラへ30分程。そこの気候は予想通りとは言え「暖かい」印象。首都より少し洗練された印象。とにかく、現地通貨が欲しいので空港でATMを見つけトライ。ただここもクレジットはダメで、新生銀行のキャッシュカードだけが正常に機能。上限が35000ルピー(レートは1R=1円で計算簡単)(実際は1R≒1.2円)だったが、機能したのはこれが初めてで最後。何度かポカラでトライしましたが全滅(止む無く最終盤に1万円札で両替)。何がどうなっているのか不明でしたがこういうこともあると勉強。
▲空港近くのホテルの朝食は予想外の良さ ▲空港前の露店 ▲ポカラ行きのシムリックエアー
▲プロペラ機の窓から山々を見る ▲2列の機内 ▲ポカラ空港
ホテル・オーキッドに午前中にチェックインOK。直ぐにセワ・ケンドラへ。
 タクシーは全て交渉制。レイクサイド迄、400Rと言うので『歩き方』を見せて「300と書いてある」と指すとそれでOK。フロントに日本語が話せるオーナーは居なかったが、判り易い英語で十分。はじめにも書いた今回の3つ目の企図理由である、「セワケンドラ」訪問を模索。
 昨年カトマンズでのナビンスクール訪問のことはHPに書きました。その時もこの学校の使命は終わりそうと書きましたが、今は閉校しています。そこで宍粟・ネパール友好親善協会は支援先をこの学校に替えられたのです。セワ・ケンドラと言うのは「支援センター」という意味で、障がい児・者の支援学校みたいなものです。ネパールでは公的に制度化されている訳ではなく、そういう意味でも支援の対象にされたようです。宍粟で教員をされていた宮内さんという方との繋がりで支援が始まったばかりで、しかもその所在地がポカラだったのです。
 友好協会の鈴木先生の後継者である薄木さんとのメールで情報を貰ってネパールへ飛びましたから、詳細不明、不安なままのポカラ入りでした。住所を教えて貰っていたので、タクシーは真前まで運んでくれました。
 学校なので、そういう佇まいを予想していたのですが、道路沿いには私宅でその奥に学校らしい建物がありました。最初女性が迎えてくれ、後で判ったのですが彼女の連れ合いが施設長のシュレスタさんでした。事務室で色々話を聞きました。
 通所者は15~33歳の24人。知的障がい者が中心。スタッフは7人。運営経費は寄付、カンパで、日本の宮内さん、安達さんや最近紹介された宍粟のグループに支えられている。シュレスタさんはここの創始者である大木神父と一緒に仕事をしていたが、自身の子供さんがダウン症だったこともあり、この施設を任された。神父の繋がりで岡山の施設で半年ほど研修させて貰ったのでその時に身に着いた日本語等が役立っている。

 この後、教室へ行き、持参したプレゼントを渡したり、見学させて貰ったりしました。創設から10年少しが経っているそうですが、まだまだ世間の理解は進んではいないようで、色々と苦労されているようでした。
▲ホテル・オーキッド前庭 ▲セワ・ケンドラのエントランス ▲学校の2階。作業中
▲手土産のおかきと折り紙を渡す ▲施設長のシュレスタ夫妻と ▲1階の教室
▲クリスマス用の食事作り最中のスタッフ ▲教室棟の全景 ▲セワ・ケンドラの表示坂
シュレスタさんに送って貰い、自然史博物館へ。そこからネパール観光局へ。
 シュレスタさんの自家用車で近くの自然史博物館へ。プリティビ・ナラヤン・キャンパス内にあり、学生で賑わっていました。この博物館は蝶の収集で有名だと言われました。大変良い環境にあり、キャンパスからマッターホルンに似たマチャプチャレの峰が見えました。
 乗り合いバスがたくさん走っていて便利そうですが、行先とかを伝える自信は無く、タクシーで南下し、ネパール観光局へ向かいました。この地域では必須のTIMSとACAPの許可証を申請するためです。昨年は旅行社がやってくれたものです。もちろん申請書に必要事項を書き込み、持参した写真を出し(カードに貼るのですがホッチキスで留めるのはやめて欲しかったです)、お金を払えば問題無しです。ただ、係員の不愛想さには慣れましたが、何とかならないかなぁとは思いました。
 そこからは見学がてらレイクサイドを歩き、湖上にあるバラヒ寺院へ往復しました。ボートは往復で100ルピーでした。
 レイクサイドの土産物屋さんを探索したりしながら、夕食。美味しくてボリュームがあり、それでいて安いという三拍子揃った中華料理店があり(蘭花飯店)、再訪することになります。
▲キャンパスの光景 ▲自然史博物館の入口 ▲ご自慢の蝶の標本
▲歓声が響く大学生の球技大会?(バレー) ▲キャンパスからマチャプチャレ ▲大学門前でサモサの昼食
       
▲絶対行かねば!のネパール観光局 ▲バラヒ寺院 ▲寺院への往復のボート  ▲2日目の豪華夕食      
③タクシー、ジープを乗り継ぎ、ヒレへ。歩き始めて正味3時間ウレリのロッジに。宿泊料は??
 入山許可証も入手、準備整い、山に入る日。ホテルからタクシーを呼んで貰い出発。ただ下山して来る時の打ち合わせは少し高度な(笑)日本語必要で、オーナーのカルキさんが来てくれて相談。ベニ迄タクシーの迎えを出す話は予定が不確定なので無しに。カルキさんは東京のホテルで4年間仕事されて、お金も貯め色々勉強されたみたいで、関西には出費多大であまり行かれなかったようだ。今は二つのホテルを持ち、現地旅行社も経営。
 相当な悪路をタクシーで走ること1時間。舗装と壊れた舗装が交互に現れるのは何とかならないものかと嘆息。ナヤプルからはジープしか上がれない。何台かのジープが待っていて、直ぐに交渉成立。小一時間走って2500ルピー、OK。このジープも凄い道を走ってくれた。運転はこの辺りの若者で、挨拶も交わしながらヒレの手前、歩いて20分の所まで。そこから先はシャベルカーが居て通れない。
 合計1時間程歩いて、ティルケドゥンガで昼食。愈々そこから、3600段の石段で高度を600ⅿ稼ぐというメインの登りに挑戦。フラットな道は全くないのがきつく感じられる道で、コースタイムを超えて2時間半で今日の宿泊予定のウレリに到着。何となく同じコースを歩いているグループの大半はここのロッジに泊まる。
 10軒くらいロッジがあるのですが、小さな看板に「ヨーロピアンスタイル…」とか書いてあるのを眺めていたら、ロッジの主が声をかけて来て、宿泊料は?と聞くと「ペイド」と言うので何のこっちゃ?と思っていたら、夕食と朝食を食べてくれたら、無料だと。そして唇に指を当て、「シィー」(他のロッジには内緒、ということ)。窓からの眺めも良いということで、只より安い物はないと、ここに決定。建物は相当古かったのですが、もちろん2ベッドの個室で問題無しでした。
 昼間はシャツ1枚で通せるのですが、陽が落ちると急に寒くなり、夜や早朝はかなり冷え込むのが、この辺りの気候。この日も夕食時には、ドラム缶て作った薪ストーブをガンガン焚いて暖かくしてくれました(もちろん食堂だけ)。スペインのカップル、フィリッピンの元気な女性とイギリス人、韓国からの女性達、オーストラリアの夫妻に3人娘と多彩な宿泊客でした。明日のこともあるのでゆっくり話す時間はありませんでした。
▲ACAPのチェックポスト周辺
▲凄い悪路を走破してくれたジープと  ▲こういう村を通って
▲ティルケドゥンガで昼食 ▲吊橋を渡って ▲渡ってロバの一団とすれ違う 
 ▲3600段の階段も終了近く  ▲ウレリのロッジから来た道を見る  ▲ロッジからアンナプルナサウスが見える  ▲暖かい食堂でくつろぐ
④今回のメイン、展望の一等地プーンヒル(3200m)を目指す
 今回の山行のメインはプーンヒル、そこへのピストンの起点ゴレバニまで、意外ときつい登りもありました。
 ウレリの村を出るまでにも少し急坂があり、森に入ったり、と変化のある登山道でした。
 ナンゲタンティで昼の腹ごしらえをして、最後の登り2時間に臨みました。ゴレバニ・デオラリ(デオラリは峠の意味、上村とも)に着いてホットしたのは2時半頃でした。どこへ行っても日本人には殆んど会わないのですが、この峠の村で同じ思いの山城未佳さんと出会い、意気投合し色々話ができました。
 彼女の刺激で、翌早朝に行く予定のプーンヒルにも夕方に出向きました(下見?有効で、翌朝、舐めずに行けました)。同じロッジにしたので夕食もご一緒しながらの旅談義が続きました。今は看護師・鍼灸師なのですが、早くからバックパッカーで駆け巡り、ワーキングホリデーでカナダ、合州国、モーターバイクでアラスカからメキシコまで走破とかの豊富な体験。2か月の休暇を得て、エベレストBCからアンナプルナBCへ来て、ネパールのビザも30日+2週間、この後陸路でインドへ入りカンボジア・ベトナムそして来年1月に帰国するという計画、全て単独行。脱帽としか言いようがない方でした。 
▲ウレリの早朝、朝焼け ▲ウレリのロッジの部屋 ▲ウレリのロッジ出発
▲村を出る。マチャプチャレとアンナプルナⅢ峰 ▲段々畑に育つ葉物 ▲なだらかな道も  ▲昼食にはパンケーキも
▲ゴレバニのゲート ▲ゴレバニのロッジの寝室 ▲寝室からの風景  
急いで45分はきついけど、プーンヒルの展望は素晴らしかった!
 ゴレバニからプーンヒルまで「45分」と書いてあるので、それくらいなら夕飯前に丁度いいや、と思って登り始めたけど、何の何のずっと登りで結構大変でした。
 さすがにアンナプルナ山域で1、2を争うと言われている展望台ですから、ダウラギリからマチャプチャレ迄180度の展望が開けていました。
▲こういう道が続くプーンヒルへの道 ▲展望台が見えた ▲正面にアンナプルナサウス。右端がマチャプチャレ
▲展望台の下に見取り図 ▲下り始めの坂からサウス ▲右が下村、左が上村
⑤プーンヒルのご来光、急いで下ってもシーカにジープの形跡は皆無。トラクターのお陰でタトパニへ。
 真っ暗な中、4時半にプーンヒルに向かう。頂上でホットドリンクを売る人達と一緒に到着。日の出を待つ人100人以上。ご来光と朝陽射すアンナプルナ、サウスとⅠ峰。素晴らしかったです。山城さんは同じ景色が見られるからと早朝は来られず、既に別ルートで出発。私達もシーカでのジープの出発時間があるので、朝食も抜きで歩き始める。
 下り坂なので体力的にはしんどくないのですが、膝にかかる力は大きい。そんな道を歩くこと4時間程。『歩き方』によれば道も通ったのでジープもチャーター可能みたいなことが書かれていたシーカ。ところが、それらしき光景は全く見えず。現地の人、登り慣れていそうな登山者、誰に聞いても、ここからジープなんて出ていない。タトパニ迄行けば車をゲットできるとのこと。
 結構きつい行程を歩いて来たので、タトパニ迄歩いて3~4時間はきつ過ぎる。開通したばかりの道路を歩きながら、ヒッチハイクも兼ねながら行くしかないか…。後で気が付いたのですが、ヒッチハイクするには車が通ってないと話にならない、でも車なんてほとんど通らない!甘く見たツケか…。思案に暮れていたら、近くのトラクターが動き始めた。丘の上のおばさんが、来たよ、と合図。
 すがるような気持ちでドライバーさんに懇願。タトパニ迄行って貰えないか?お金も払う。返事は方角が違うらしく芳しくなく、断念か…、と思っていたら携帯でやり取りしていた青年が「後に乗れ」と指図。狭い所に大人二人、車体は揺れるなんてもんじゃない、静まることは片時もなく、頭はもちろん腕、腰、尻、あらゆる所を打撲しまくり、必死に体を支えるので手も痺れる、という状態で、「もう無理、降りたい」と思っても、歩くのにも大変な悪路の連続…
 一体どれだけの時間乗っていたのか、後で時計を見たら、何と2時間! 途中、青年は会社の人?とかとも話しながらタトパニにようやく到着。彼はこの道をまた戻って行くのかと思うと気が遠くなりそうでした。初めいくら?と聞いたら500ルピーと言っていて、そんな訳にはいかず、2000ルピー渡すとすごく喜んでくれたけど、大喜びはこちらの方。
▲シルエットが美しい。左端がマチャプチャレ ▲プーンヒルに集う人、100人越え ▲サウスを背に
▲アンナプルナサウスとⅠ峰 ▲ご来光 ▲ロッジの前に立つ
▲最後の道に出発 ▲選挙、投票を訴えるポスター ▲このトラクターがあってこそ。ドライバーの青年と  
⑥ポカラでの予備日的一日。フェワ湖の展望求めて日本山妙法寺へ、そのまま国際山岳博物館へ
 昨夜は、タトパニからポカラ迄タクシーで4時間、ホテル到着は午後9時半になっていました。タトパニにはTIMSのチェックポストがあり、そこの係員がポカラに行くならバスがベターだとしきりに言うので、バスを待ったのですが、工事中とかで遅れに遅れて埒があきそうにないので、遅くに待ち始めた韓国の若い女性と3人でタクシーに乗ったのですが、これがまた中々の道で4時間はきつかったです。それに、ドライバーさんのワイフが同乗して来るし、それってええのん?の世界でした。
 ホテルには朝食がついているのですが、コンチネンタル、ヘビーコンチネンタル、インド風、ネパール風、と選べるので嬉しかったです。レイクサイドに出て、洗車しているドライバーと交渉。日本山妙法寺から国際山岳博物館へ回って1700ルピーで成立。
 日本山妙法寺は日本の平和運動でもご活躍の宗派ですから、一度訪ねるのもいいし、フェワ湖を上から見るのに格好の場所にあります。タクシーは値打ありの相当なカーブの連続でした。タクシーは1時間待ち入れての価格でした。
 ただ、気付いたのですが、ポカラではこの間いつもスカッと晴れていず、アンナプルナ展望もいまいちなので、心配したのですが、それが普通らしく、山岳地帯に入ると僕達が体験したような超快晴になるようでした。この日も瞬間的にマチャプチャレがうっすらと見えるという状況でした。 
▲日本山妙法寺のゲート ▲ストゥーパ前で  ▲ストゥーパ正面  
   
▲2階からの参道 ▲フェワ湖とポカラの街
 ▲由来の記録    ▲正面にマチャプチャレ
ゆったりしたたたずまいの国際山岳博物館
 レイクサイドから少し離れ、空港からも少し離れる所に広々とした感じの国際山岳博物館はあります。
 ネパールの人々が多い印象の博物館でした。前に書いた山西さんの登頂時の物品や女性では世界で初めてのエベレスト登頂を成功させた田部井さんの展示も見つけられました。
 
▲ゆったりした入口付近 ▲日本を含む幾つかの国の紹介 ▲河口慧海の展示  
▲今西さんの展示 ▲田部井さんの展示  ▲広々とした博物館
▲雪男の想像図 ▲博物館前のモニュメント等 ▲博物館前のセティガンダキ
⑦セスナ機は時間早まりカトマンズへ。空港周辺は何もないのでタメル地区だけ訪問
 カルキさんがやってくれたリコンファームで判ったのですが昼頃発のセスナ機が10時発に変更。カトマンズで時間ができたのですが、昨年色々回ったので行く所がある訳でもなく、タメル地区で過ごすことに。ガーデンオブドリームズという旧邸の改装空間へ。高額な200ルピーを払っても来る人が多いのは、そういうゆっくりできる空間が余り無いということなのでしょう、若者がたくさん来ていました。
 タメル地区でよく行ったヤンリンという大衆食堂が忽然と消えていて、尋ねたら7分ほどの所に引っ越し。折角なので探して行きました。お値段と味は昨年通りだったので、情報を『歩き方』に送信することにします。
 大韓航空機は70分遅れると携帯に連絡があったのに、元に戻っていて、何それ?でした。

 仁川空港に思わぬやすらぎスペースがあることを発見。ゆっくりできました。
▲屋上からマチャプチャレ方向 ▲タメル地区の一郭にあるガーデンオブドリームズ ▲地元で人気のヤンリンで夕食          カトマンズから大韓航空に乗り込む    

 最後に、これまでに飛ばしてきた事柄やこの旅全体を通して感じたことを書いておきます。
個人・自由の山旅、その長短について
 初めにも書いたように、今回はネパールの旅の雰囲気も分かったので、ガイド・ポーター無しにしたのがポイントでした。
 結局、航空運賃だけが高く、それだけで1人10万円近くかかり、宿泊代に(2人で。以下同じ)約1万円、食事にも約1万円、タクシー・ジープに2万円弱、ビザ・入山許可に2万円弱、合計すると1人13万円程で済んだことになります。特段切り詰めたわけではなく、普通に出費したはずです。
 TIMSとかACAPの申請は現地観光局で行えますから、少しの労をいとわなければ簡単に済みます。ビザも上六辺りで取れるので容易です。
 結局、不安が残るのは、交通手段でしょうか。タクシー・ジープの類いですね。今回もシーカからのジープの情報が充分ではなかったのが辛かったことになります。ただ、ここはもう一泊する積りでしっかり歩く気構えがあればよかったのでしょうが、甘く見たのがいけなかったみたいですね。もっとジープとかがウロウロしてくれていると思ったのが間違いでした。そもそもタクシー代はどこの国でもそんなに高くないので、もっと気軽に使えばいいとは思いますネ。
 ただ難しいのは、旅のスタイルにも依りますが、単独行は危険だということでしょうね。ゴレバニでお会いした山城さんもおっしゃっていましたが、ガイド無しで単独行は万が一の時にリスキーだということですネ。僕達のような周辺部をうろついている時にはいいのですがベースキャンプくらいまで行くとなると危険は大のようです。

ネパールの産業、観光業の状態は
 今回、極端に日本人に会いませんでした。沢山の人(10人以上)から、「Are You from Korea?」と聞かれました。昔ならこんなに韓国の人と間違われるようなことは無かったでしょうね。12月も後半だったことが日本人の常として出歩かないから、ということになるかも知れないのですが、日本の若者の出不精が響いているようです。大韓航空の直行便がカトマンズに来ていることもプラス要素になっているかも知れません。
 昨年のHPにも書きましたが、ポカラ周辺の観光、そして少しだけアンナプルナに入り込む(例えばオーストラリアンキャンプ迄行くとか)パックツアーは人気が出るような気がします。数年後にはポカラへの直行便も開通しているでしょうから、事情は変わるかも知れません。
3000m級で気候、天候はこの季節、全く問題無し
 12月も後半になると寒さは大丈夫かな…と心配したのですが、全然問題無しでした。ただ、この寒い時に乾季なので雪も降らず、山は白くならないのではと心配するくらいです。きっと2、3月に降雪があり、春に花が咲くのでしょうね。
 聞いてはいたのですが、ポカラは亜熱帯だということが今回再確認できました。ホントに12月と言えども暖かなのです。もちろん5000m級高山の話は別ですが。 
セワ・ケンドラの話
 これもはじめにの項で書いたのですが、ホントにビックリするほどタイミングが合いました。ナビンスクールが役目を終え、閉校。第2ステージとして宍粟市ネパール友好親善協会が市域の中学校にお勤めだった宮内さんが支援を続けておられるセワ・ケンドラへの支援を決められたのでした。その施設があるのが偶々ポカラだったのです。三上は日教組の全国教研の分科会の共同研究者だった兵庫の鈴木先生とのお付き合いの関係でこの親善協会に関わっているのですが、今回無事この施設を訪問することができた次第です。
 
宮内さんはシュレスタさんのご自宅の3階部分を建て増され、そこに住んでおられたそうですが、今は体調を崩されて日本に帰っておられると伺いました。いずれにしても障がい児・者への福祉は皆無に等しいようで、支援は必要なようです。三上・西矢も個別に支援できる体制は無いので、宍粟市のこの協会を通じて支援したいと思っています。ご協力いただける方はご連絡下さい。取り次ぎたいと思っています。亡くなられた鈴木先生の遺志を繋ぎたいと思っています。
登山用品の店は激安という話
 今回はカトマンズで少し時間があったのですが、特に今欲しいものがある訳でもないし、この種の買い物は時間をかけないとまずいので、真剣に見ることはしませんでした。店先にあったキャプだけは被ってみて即ゲットしましたが。





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