「大阪高教組」(高教組ニュース) 2003年秋〜2005年春
 《モナド》〈編集後記的コラム〉 僕の執筆欄 《そのV》

 丁度2000年は高教組結成10周年、その機関紙『大阪高教組』は200号を数え、僕の執筆のコラムを中心に整理し、アップしました。
 続く約3年分も《その後》として2003年に整理、アップしました。
 そして、今も、大阪高教組の会計監査ですが、他にも少しはお手伝いしようと思い、編集部の一員を続けています。「モナド」の執筆は編集部の回り持ちで、今も時々書いています。
 またその後10本程度になったので、あまり貯めて置くと鮮度が落ちそうですので、アップすることにしました。
 尚、このページから見られる人もあるでしょうから、前回と同様、本編の〈まえがき〉はそのまま再掲しますので、以前訪れられた方はパスしてください。
                            2005年 春     三 上 弘 志


 はじめに  [『大阪高教組』の最近号のヘッドライン] [2面右下の固定位置にあるモナド]
  以下のような文章をまえがきにして小冊子を2000年秋に作りました。先に少し補足を。
 大阪高教組:正式名称は「大阪府高等学校教職員組合」。本文に何度か出てくるが、正確には1990年1月21日に結成された。日教組に属し、義務制の大阪教組の一つの単位組織となっている。共産党系と言われている全教・大教組・府高教から独立(正確には高教組が日教組に残った)。
 『モナド』:タブロイド版2面の機関紙2面目の左下に在って、その位置のためもあって先ずここを読むと言う読者も。モナドの意味は「窓」(ラテン語)で、初期の編集部員の原田さんが命名。

 高教組ニュースは創刊時からワープロを駆使。当初はNEC文豪でした。古いフロッピー(何と2DD!)が出てきて、整理するついでに自分の書いたモナドをまとめてみました。今年で高教組が結成10年、ニュースは200号。この間、1年目は副、その後6年間は編集長、後の3年は支部長をしながらの編集部員として関ったことになります。
 モナドは当初、部員の回り持ちで、それぞれのパーソナリティの肉声が聞こえ好評でした。(M) のイニシャルで、登場は早くても2ヶ月に一度と飛び飛びでしたが、個人的な思いのこもった学校、組合、政治・経済の10年史アラカルトと言ったところでしょうか。文章はそのままで、見出しを付けました。                          2000年 秋     三 上 弘 志


年・月・日 見 出 し  モ  ナ  ド など  本  文 
2005.
2月
第296号
海老沢氏と渡邊氏の意外な共通点

 NHKも読売も政治部は政治家癒着部か
  高槻のジェンダー研究ネットワーク等が生前、松井やよりさんを招き、直接話しを聞く機会があった。NHKの不当な番組改変の事実は疑問の余地がない。政治的圧力も推測されたが、プロデューサーが内部告発し、朝日が取材、記事にした。▼NHKは反論し、自らの媒体をフルに使って言いたい放題。安倍氏なんかは「呼びつけた」と「向うから来た」の違いだけで、鬼の首を取ったようにアレコレ言い放っている。安倍氏らの発言の矛盾は指摘されているので触れないが、海老沢体制と言われるNHKの体質が問題視されている。▼海老沢氏が政治部出身だと聞いて、渡邊恒雄氏との類似性を思う。魚住昭氏の『渡邊恒雄・メディアと権力』によれば読売を政治部主導に仕立て、高教組セミナーに来て頂いた黒田氏ら社会部を放逐したと言う。しかも、渡邊氏が頭角を現すのは大野伴睦に取り入り、秘書のような存在になって以来とか。海老沢氏も佐藤・田中派担当だったとか。分業はある程度仕方ないとしても、その癒着ぶりはどうなのか。力作『差別と権力』に続いて、『電波メディアと権力』を魚住さんに書いて欲しいものだ。
2004.
12月
第292号
 OECDショック?学ぶべきは何なのか

 日教組教研での議論に期待
 「OECDショック」余波が続くことになりそうだ。学習到達度調査での日本の落ち込みのことだ。前回の調査は、フィンランドが伸び、ドイツが急落、という結果で、東大の佐藤学さんが現地を訪れてレポートするテレビ番組があり、考えさせられた。それを同僚と見たらいいナと思いながら、果たせずにいるうちに、今回の事態だ。▼前回でも日本の現状に警鐘を鳴らす指摘もあり、現場の感覚からしても全く予想外のことではない。文科省の「○○プグラム」等で解決するほど根は浅くない。ゆとり教育批判派はそれ見たことかと気勢を上げ、苅谷氏のように親の格差の反映を指摘して来た人はその証明と見る。色々な人がこのことを自説の立場から「だから…」と語り始める。▼百家争鳴、大いに結構だ。組合も、個人も意見を出し、議論すればいい。冬は全国教研の季節、そこでの真剣な議論も期待される。ある分科会の司会を初めて担当するが、結構面白くなりそう予感。▼上位と下位の格差が広がったことが影響している。一握りのエリートが育てばいいのだとする三浦朱門氏らにとってはむしろ歓迎すべきことなのかも知れないが、如何かな。
2004.
10月
第288号
優れた教師を優遇!?

 金や地位で釣ろうという輩の品性に呆れる
 この間の報道には、教職員関係の記事に「エッ」と驚くことが多い。ソースは色々だが、府議会で議員の追及に答えたことが府教委見解とされ、斯く斯く「決定した」という記事になったりする。▼しかし、先日の「優れた教師優遇へ―現場の士気向上狙い」の記事(朝日)には怒りを通り越して、呆れてしまった。記事は問題点も指摘しているが、こういうことを迫る府会議員やこういう対応をする教委の浅ましさは哀しく憐れだ。管理職コースに乗らない平教員にも、「スーパー教師」としての特別処遇で誇りとやる気を引き出す。教科や生活面での指導技術に優れ、模範となる人から選ぶそうだ。▼現場の人間を舐めるのもいい加減にして欲しい。そんなことで教員の気持を引き出せると考えること自体が議員や教委の人達の志の低さを示していないか(やたら賞を与えたがる首相も)。管理職コースに乗らなかった教員はやる気を無くしているとお考えなら、それは違う。で、少し銭を与えれば、誇りややる気が生まれるとお考えなのか。それらは真摯な自己評価や職場の仲間から得られるものであって、それ以外ではない。良好な人間関係を潰すだけで、百害あって一利なしだ。
2004.
9月
第285号
大英博物館は誤訳

 展示の略奪物を返還すべき筆頭はペルガモン神殿
 USAをアメリカ合州国と表記するのは本多勝一氏以来相当定着している。しかし、イギリスの場合、変に定着したため、どう日本語表記するのか、難しいところだ。メールアドレスは合州国のみ特権で国表記は不要だがイギリスはUKだ。連合王国だが、これでは通用しまい。本多氏は何でも原語に近い表現をすることには賛成しかねるという立場だ。▼ただ、この夏、大英博物館を訪ねる機会があったが、これはどうだろう。手狭になったため、図書類は大英図書館に移された。浅学のため自らが大層な名称を使っているのかと思っていたが、単にブリティッシュミュージアム、ブリティッシュライブラリーだ。グレイトなんてどこにもない。適切な訳語に変更する方が礼を失しないのではないか。▼展示は侵略の略奪品だから求めがあれば返還すべしという考えに賛成だ。ただ、期待したほどには大した物はない印象だった。ギリシャもエジプトも本国にある展示品の方が豊富だから、この程度なら許されるか。それより返還した方がいいと思うのはベルリンにあるペルガモン博物館だ。ペルガモン(現トルコ)にはほとんど何も残されていないのだから。
2004.
6月
第283号
参議院選挙によせて

 「護憲民主勢力」にふさわしい候補者が登場しているではありませんか

 《投稿》
 太田さんが書く「護憲民主勢力が前進するか、改憲反動勢力の勃興を許すのか」、高教組の運動の前進にとっても大変重要な選挙であるという点では異論ないと思ます。国会議員の選挙で総てが決まるということはないにしても、重要なファクターであることは間違いありません。
 腹立たしいことですが、この選挙の後、二年以上選挙はない等と言われています。そうであれば尚更、今回の選挙は重要だと思います。この短文で政党論を云々できませんが、民主党に護憲民主勢力と呼ばれる資格があるのかは、先日の中央委員会でも意見があったところです。日政連候補の神本さんが奮闘されている様子が前号に掲載されたのですが、日政連議員であれば、民主党から処分されてでも筋を通す議員であることを期待しましょう。
 比例区はさておき、大阪選挙区は、どうでしょう。あの政党の候補者にそういう期待ができるでしょうか。その点、無所属でも、「護憲民主勢力」の名にふさわしい候補者が誕生しています。反省が足りない、時期尚早、等の声がありますが、十分反省をしていると私は思いますし、今後数年選挙がないとすれば、今回パスさせるにはもったいない人物だと思います。粗雑で乱暴な国会論議にストップをかけられる数少ない人物をもう一度国会に送り込みたいものです。  
2004.
6月
第282号
06年の大河ドラマの地・大連を訪れる

偏狭なナショナリズムに煽られる危険
 三月末に、マイレージの期限切れが迫り、日数も僅かなので近場の大連・旅順の旅に出かけた。「予習」として『坂の上の雲』を読んだが、「待望の映像化!NHK二〇〇六年二一世紀スペシャル大河ドラマ」の宣伝が巻かれていた。前委員長の冨井さんによれば「本人は映像化を拒んでいたのに、遺族がOKしてしまった」とか。▼大河ドラマの舞台になることによる観光地の経済効果は凄いらしい。再来年なら大変な混み様だったろうが、今は空いていた。大連も旅順も世界的にはいわゆる観光地ではなく、訪れるのは日本人くらいで、今は工業・商業都市として発展しているのだが。▼利家とまつ、武蔵、新撰組、…大河ドラマは歴史物だが、一年間続くのだから、色々と脚色があるのは仕方がないのかもしれない。ただ、日露戦争を扱うことになれば、脚本家による脚色も笑って済まされない。麻生総務大臣が「日本人は近くの戦争ばかり問題にし、その前の戦争を語らないのはおかしい」等と、とんでもないことを言っても大問題にならないだけに、日露戦争一〇〇年をどう捉えるか、今後注視しなければ、偏狭なナショナリズムに煽られる危険がありそうだ。
2004.
3月
第277号
イラク派兵反対…発信し続けることの大切さ

 ビラ入れで逮捕!表現の自由が危ない
 イラク派兵反対の諸行動が続いている。二〇日には世界的な統一行動も予定されている。民主党や連合も反対ならそういう行動に合流すればいいものをと思うが無いものねだりか?私の住む高槻でも、市民の会が街宣やピースウォークを粘り強く継続している。▼ただ、ことの重大さにしては反応はイマイチのように思う。表現する手立てがないのか、そういうことをしない習性が身についてしまったのか…。しかし、例の「殺すな」を浮き彫りにした新聞広告に名前を出したら、意外な人から名前を見つけたというメールが来たりして、発信し続けることの大切さを思う。▼そういう中で、自衛隊官舎にイラク派遣反対のビラを投函した人が逮捕されるなどという事件が起こっている。住居侵入容疑?宣伝チラシはOK? 前日には、共産党のビラ配布で国家公務員法違反容疑で社保庁の人が逮捕される事件もあった。休日に居住地で違反?この容疑で摘発は二一年ぶりだとか。有事法制や国民保護法で人権侵害が問題になっているが、戦争できる国家は人権蹂躙を伴う悪例として、一足早くにそういう状況が押し寄せていることを許してはならないと思う。
2004.
1月
第274号
新しい教育課程の1年目の総括を丁寧に

 学校のIT化のしわ寄せは誰に?
 以前この欄で、「情報科」について、免許講習の拡充の必要性、TTの必要性を指摘した。高教組の大会でも発言があった。総合的学習を初め、新カリのスタートは色々な取り組みが要請され、当該学年はてんてこ舞いの一年。今、その総括の時期を迎えている。しんどかったことは確かだろうが、精算主義的に終わってしまってはその苦労が本当には報われないのではないか。何れも先送りにした職場でも、しんどさだけを聞き伝えることがあってはならないと思う。▼さて、そのTTの状況はどうか。私の職場では蓄積があり、時間割編成でも教務が要望を入れてくれ、TTも実施され、恵まれているが、これは飽くまでも職場内配慮だ。これも以前に書いたが、全府立高校にインターネットが導入されたことはいいが、ネット管理者は特段の措置が無いため、忙殺されている場合が多い。▼そして、総務サービスの実施が来年度に予定されている。高教組の確認で、ネット管理者はこの業務を担うものではないとされたが、では、トラブル発生の際の業務など誰が担うのか、疑問なまま、負担が一部に集中する危惧は消えない。根本的な対策が必要な時期ではないか。
2003.
12月
第271号
情報リテラシーの重要性

 骨のあるメディアを支援することも必要
 「情報リテラシー」という聞き慣れなかった言葉も少しは定着して来たようだ。今年始まった「情報科」でも取り上げられている。しかし、生徒諸君の学習を促せているかというと、心許ない。受容・使用・表現の各能力の中でも後二者はそう難しくないが、前者はなかなか難しい。情報を「批判的に読み解く能力」とされるが、それは、教員を含め大人にとっても容易なことではない。良質な情報を得るというのは、難しいことだ。▼マスコミの批判力の衰えが語られて久しいが、全否定しても始まらない。富井さんがよく言っているが、いい記事には応援のメッセージを、に同感。一〇周年の週刊「金曜日」でシードマガジン(種になるという意)なる言葉も初めて聞いたが、骨のあるメディアを育てるのもリテラシーの一つなのだろう。▼ミニコミに属するが、メルマガも今は一定の広がりがあるようだ。出水さんに教えてもらった田中宇(さかいと読む)さんのそれは、二十万人が受信していると言う。誠実な姿勢で、目から鱗という情報も多い。国際情勢で良質な情報をと思われる方にお奨め。同名でサイト検索すれば、申し込める。もちろん無料。
2003.
10月
第268号
定年前後の働き方を考える

 豊かさというのは選択肢の多い社会だ、選挙でも
 ご無沙汰だった高校時代の友人と飲みながら話す機会があった。他愛無い話が大半だったのだが、団塊の世代故に「定年」が話題になる。来ていたのは弁護士、大学の教員、中小企業の経営者なので、彼等にはそれがあってないようなものだ。▼それはそれで、「気が重い」と言う。後一〇年も…と思うと、マア解らないでもない。僕自身は活動上の先輩、桂さん、鎌田さんや、初任校寝屋川の先輩が六〇歳代前半で亡くなっているので、余り長く働きたいとも思わないが、どうして、彼等が六五歳以上までで、僕達は六〇歳?と思わないでもない。▼子供がまだ小さいとか、もう少し現場に繋がりたいと思う時、もっと色々な選択肢が有っていいと思う。年金受給の関係で、再任用の道が出来ているが、条件面を工夫し、もっと選択肢を広げる方向で改善が必要だ。豊かさというのは選択肢の多い社会だ。▼総選挙が始まるが、ここでも選択肢は多い方がいい。自民党にもダーティなハト派も居れば、クリーンなタカ派も居る(佐高氏)。新・民主党なんかもっとグチャグチャだ。こんな状況でどちらかを選ベ、というようなマスコミ論調は一層アパシーを広げるだけだ。