「大阪高教組」(高教組ニュース) 10周年以降を振り返って
 《モナド》〈編集後記的コラム〉 僕の執筆欄 《その後》編

 2000年秋は、高教組結成10周年、その機関紙『大阪高教組』200号記念の年で、僕の執筆のコラムを中心にまとめた冊子を作り、WEBサイトにもアップしました。
 それから約3年が経過し、僕自身は支部長を退任し、会計監査に就いています(簿記を教えている適性から?)。
 今も、少しはお手伝いしようと思い、編集部の一員を続けています。「モナド」の執筆者を誰にするかは、方針の変化はありましたが、今も時々書いています。更に映画評なんかを書くことも偶にあります。
 この約3年程の執筆分をアップすることにしました。一層アラカルト的ですが、よければ見てください。
 尚、このページから見られる人もあるでしょうから、本編の〈まえがき〉はそのまま再掲しますので、以前訪れられた方はパスしてください。
                            2003年 夏     三 上 弘 志


 はじめに  [『大阪高教組』の最近号のヘッドライン] [2面右下の固定位置にあるモナド]
  以下のような文章をまえがきにして小冊子を2000年秋に作りました。先に少し補足を。
 大阪高教組:正式名称は「大阪府高等学校教職員組合」。本文に何度か出てくるが、正確には1990年1月21日に結成された。日教組に属し、義務制の大阪教組の一つの単位組織となっている。共産党系と言われている全教・大教組・府高教から独立(正確には高教組が日教組に残った)。
 『モナド』:タブロイド版2面の機関紙2面目の左下に在って、その位置のためもあって先ずここを読むと言う読者も。モナドの意味は「窓」(ラテン語)で、初期の編集部員の原田さんが命名。

 高教組ニュースは創刊時からワープロを駆使。当初はNEC文豪でした。古いフロッピー(何と2DD!)が出てきて、整理するついでに自分の書いたモナドをまとめてみました。今年で高教組が結成10年、ニュースは200号。この間、1年目は副、その後6年間は編集長、後の3年は支部長をしながらの編集部員として関ったことになります。
 モナドは当初、部員の回り持ちで、それぞれのパーソナリティの肉声が聞こえ好評でした。(M) のイニシャルで、登場は早くても2ヶ月に一度と飛び飛びでしたが、個人的な思いのこもった学校、組合、政治・経済の10年史アラカルトと言ったところでしょうか。文章はそのままで、1頁に3回分が入るようにレイアウトし、見出しを付けました。                          2000年 秋     三 上 弘 志


年・月・日 見 出 し  モ  ナ  ド など  本  文 
2003.
7.11
第265号
下戸の私が言うのもなんですが…

酒を巡る話題 
自宅外禁酒発言等
 色々な話がフランクにでき、私は、酒席は嫌いな方ではない。しかし、飲める方ではない。飲めなければ全うな人間ではないなどという文化もお断りだが、旅などすると当地の酒を味わうという楽しみが無く上戸の人を羨ましいとも思う。▼酒についての文芸はあまたあるが、私などは縁遠い。こんなことは冨井前委員長なんかが語るのが相応しいのだろうが(我が委員長・書記長は上戸・下戸が交互?)、いつ、いかなる時も学校で酒を飲むな等という通達に疑問を感じないでもない。▼そこへ例の共産党の自宅外禁酒発言(正確には党員ではなく職員だそうだが)が出てきて、オイオイと思っていたら、直ぐに撤回。議員がセクハラで辞職の事件はこの党にとって痛手ではあろうが、こんなことが日常茶飯の政党もあるだろうから、潔い進退だと評価していたが、志位さんの発言には驚き、色々なアネクドート(寓話)が巷を飛び交った。▼路線論争による陰謀説も頭をよぎるが、その筋によれば有り得ないことらしい。ただ、常軌を逸しおよそ社会性のない発言をする委員長の責任が問われないとしたら、この党の「民主集中」はどうなっているのかと思うのだが。(情宣部 三上弘志)
2003.
7.11
第265号
ハンセン病・そして偏見と闘う

 『風の舞』上映運動に寄せて
 《映画評》
  ハンセン病患者で詩人の塔和子さんをメインに描いたドキュメンタリー『風の舞』の試写会があり、会場のドーンセンターは満杯だった。塔さんは(浅学で初めて知ったのだが、すべての患者さんがそうであるように、入所前の名前は完全に捨てられ、入所と同時に付けられたのがこの名前)十二歳で発病、十三歳から六〇年に及ぶ国立療養所大島青松園での隔離生活を余儀なくされる。入園後に詩作を始められ、苛酷な環境の中でも、生きることの喜びや人間の尊厳をうたった詩を発表し続け、詩集『記憶の川で』で高見順賞を受賞された。
 この詩集との出会いの中で監督は映画化を考え始め、音楽を担当した十河さんも作曲を試み、そして朗読の吉永小百合さんもノーギャラでOKを出したと言う。 宮崎信恵監督が冒頭に挨拶されたが、大変朴訥で、実直な感じの方で、こういう大変な仕事を仕切るエネルギーがどこから湧くのだろうと思われるくらいだった。自分達のような外部の者が入り込んで本当に映画化できるのだろうかと、自問しながらの作業だったと言う。そういう誠実な態度がこの作品を完成させたのだろう。
 映画は五九分と、長くはない。青松園の日常を淡々と描きながらも、差別と偏見の厚い壁を、裁判闘争の過程を含めながら、明らかにしていく。
 らい予防法は、戦前にできたものでない(五三年成立)。その廃止が決まったのは九六年。裁判の末、補償法成立が二年前。色々な病気が出現する昨今、この病気の扱われ方の背景を見ることの意義も大きい。
 監督も「企画進行のネックだった資金の回収のためにも、是非上映運動を」と率直に訴えられていたが、皮切りに高槻で映画だけでなく、歌曲と映画音楽のコンサート・宮崎監督の話を交えての上映会が企画されている。
2003.
5.9
第262号
 憲法記念日に、イラン映画から佐藤さんが語る

 政教分離を希求する流れ
 憲法記念日に、映画評論家佐藤忠男さんの講演を聞く機会があった。氏の『戦争はなぜ起こるか』という易しい読み物がちょっとしたブームで、主催者が講演を依頼。▼佐藤さんは直接その話をせず、映画の世界を中心に話をされ、アジア映画の紹介を精力的に進められている氏らしく、「悪の枢軸」と名指しされたイランがそんな国であろうはずはないことをいくつかの作品を通して語られ、説得力があった。▼心優しい作品が作られる背景に検閲があることを承知した上で、ハリウッド映画に席巻される世界で、こういう映画が作られ得ることの意義を話された。そういう中でも、つぶさにイラン映画を見れば、イスラム原理主義と呼ばれるものから脱却を図る流れが見て取れると言う。他の国が男女差別等がケシカラン(氏の若い頃の日本でもあったこと)と言って攻撃するのではなく、その国の人々が自力で解決を計る動きに注目し、支援することが大切と力説。▼いち早く女性の参政権を実現し、政教分離を実現したケマル革命のトルコが経済問題をきっかけに危うくなっていると聞くと心配もするが、いずれも宗教と社会構造の問題を考えさせるような気がする。(情宣部 三上弘志)
2003.
1.10
第255号
リフレッシュ休暇創設から10年

 ベトナムへの旅…チョッと問題あり戦争証跡博物館
 リフレッシュ休暇の創設から一〇年以上経つ。丁度高教組が結成された頃で、色々な使い方を本紙にも紹介した。忙しくなって、どう行使しようかと思いあぐねている内に期限の二年が過ぎる人も多い。▼祝金は、小切手から旅行券に変更された。ご存知ない方もあろうが、これがJTBのみ。旅行を勧めるのはいいが、どうしてJTBでなくてはならないのか全く不明。府はこの会社と何か特別な関係がおありなのか。旅行に使った証明さえあればいいではないか。▼それはさておき、昨年十二月にベトナムに行かせて貰った。中々発見の多い旅だった。詳細は私のWEBサイトを見て頂きたいが、納得いかなかったのは有名な戦争証跡博物館の展示。世界の民衆のベトナム反戦運動紹介のコーナーがある。その日本の一廓はポスターで飾られているが、どれもいわゆる共産党系のものばかり。▼ベトナムの「指導」政党が共産党で、国際連帯を重視するのは解る。しかし、ドイモイ政策の今、世界をもう少し大局的に見ないと拙いのでは、と老婆心ながら思った。まあ、日本の共産党(彼等も少し面映いと思うのだが)が忠告してあげるのが一番かも知れない。(情宣部 三上弘志)
2002.
10.18
第250号
評価・育成システム

 アンタ私の何がわかるの?
 道学者めくが、誰にとっても、現状を分析し、改善点を明らかにすることは大切だ。デカダンな生き方があってもいいが、教育や組織にとっては必要だろう。僕達の若い頃も、総括とか相互・自己批判とかの言葉が好んで使われた。自主・自立だってそうだ。これらは普遍的価値を持つのだろう。▼だから、教職員・学校がそういうことをすることは推奨されてよいし、その作業を自主的に継続している職場もある。私も課題を共有するためにそういうことを呼びかけてきた。個人も、今年度の課題は何かを考え、実行している。自己評価しろと言われれば、悔恨の情を禁じえないが、できる。▼しかし、それを誰かが評価するとなると話は違う。しかも、五段階。「育成者」の校長が評価者。貴方私の何がわかるのですか?の世界だ。説明に、どれだけ時間が要るだろう。それを全職員に。しかも、僕らはチームの仕事が多いが、その評価なんて並大抵ではない。学校自己診断だってそうだ。生徒や保護者の意見を聞くのはいい。ただそれが(将来的に)何に使われるか分らないとすれば、胡散臭く感じてしまう。▼さらに、待遇や給与に連動するとなればもっと話は違う。(情宣部 三上弘志)
2002.
6.14
第244号
新教科「情報」を巡って

 TTは不可欠!免許講習の追加実施を
 新カリキュラムで、余り論じられていないのが新教科「情報」だ。教科の利害や主張がぶつかり合って進むのが高校現場の通例だが、この新教科は主張の主体が存在しないか、超少数派かなのだ。各校に「情報」免許所持者が居ないわけではない。しかし、一、二名、それもやってみないと判らない世界。その結果、取り合いの調整に使われているのではないかと思われる例も耳にする。▼幸い私の職場では、免許所持者は少ないが先取り実施の蓄積があるので、一定の議論ができている。その経験から言えば、この教科はTTが不可欠だ。これまで、職場の配慮もありTTで来れた。しかし、全学校で実施となるとそれでは済まない。ドッグイアーで進む斯界の先行きは定かでないが、家にコンピュータがあって、使いこなせる生徒も出て来ている。しかしそうでない生徒も多い。ここでデジタルディヴァイドを作らないためにもTTが不可欠だ。大会の二木発言の趣旨でもある。▼免許講習も国の三年計画は今年で終了になるが、それでは済まない現場の事情がある。今年、希望しても受講できなかった人々は結構ありそうだ。本格実施が迫ってから騒いでも遅いのではないか。(情宣部 三上弘志)   
2002.
5.31
第243号
韓国映画『KT』を見る

あの西部邁と姜尚中が同時に賛辞

 《映画評》
 個人的には、佐藤浩市、筒井道隆、原田芳雄は好みだし、期待通りの演技で○。在日の母役の江波杏子もいい。韓国の役者はよく知らないのだが、中々の出来だ。主人公のキム・バクスは大杉漣を思わせる。脚本作りに苦心した経緯をパンフで読むとなるほどと思わせるが、そういう意味では娯楽作品に仕上げるというのは中々大変なことなのだ。スタートと結末は金大中に関しては自明なのでサスペンス風にはなり難い。どういう人物を設定するか、恋や友情などをどう絡ませるか。マア、娯楽作品として工夫されているとは思える。金大中氏がともかく生きているから、KCIA等の描き方も悪の権化のようにはならないし、却って組織の末端で生きるものの悲哀が浮かび上がる。
 脚本の荒井晴彦がインタビューで「右から見たら左の映画に見えて、左から見たら右の映画に見える」ようにしようと思ったと語っている。パンフにあの西部邁と姜尚中が同時に賛辞を送っているのだが。 (情宣部 三上弘志)
2002.
4.26
第241号
 学力論争に寄せて

 金八先生はゆとり教育を支持
 一月本欄に書いた学力低下大合唱の一つ『学力があぶない』の共著者上野健爾さんの話を聞ける機会があった。本書の狙いなのか、対談が多く、皆さんの考えは一致していない。中味も教基法改悪反対が語られ、総合的学習に期待が語られたり、書名ほどには一直線な内容ではない。ただ、指導要領改訂を「ゆとり教育の総仕上げ」と批判される。▼現場教員にとって、耳の痛い指摘もあるが、現場の実態と乖離したような提起もある。例えば、生徒は完全週休二日にせず、教員だけにすればよい、というようなことがどれほど現実性があるだろうか。そういうことをやり取りしたのだが、氏自身は大変誠実な方のようなので、相互交流は大切だと感じた。▼私は連ドラは結構見るが、武田鉄矢の演技はクサそうという偏見から見ていなかった「金八先生」を最近見て驚いた。そこでは、ゆとり教育の中味を前向きに作ろうというメッセージが明快なのだ。小山内さんのリサーチの確かさなのだろうが、敬意を表したい。因みに、卒業式シーンでも、壇上三脚で旗はあったが、歌はなかった。こういう造りを応援するのもメディアリテラシーのポイントなのだろう。(情宣部 三上弘志)
2002.
1.25
第236号
完全学校五日制を前に

 歴史的経過を無視して、なぜ総攻撃?
 いよいよ、〇二年度から完全学校五日制がスタートする。私がこの仕事に就いた頃から日教組のスローガンとしては掲げられていたので、実現に教員生活の一生涯(?)をかけたことになる。今では懐かしい「土休共闘」等という組織も作られ、長い道のりだった。▼ところが、「普通の国」になっただけなのに、大騒ぎが展開されている。丁度新カリキュラムの改訂時期と重なったため、学力低下論の大合唱。全国の大学の先生方から弁護士に至るまで、教育権の侵害だとまでのたまう。そのためか、意欲、関心、総じて言えば生きる力をキーワードにしてきた「改革」は総攻撃を受けている様相。▼これまでの歴史的経緯を少しは考えてもよさそうなものなのに。詰め込み教育の弊害、指示待ち世代を作ったのは誰か、等の議論は何だったのか。とまれ、私達の側でも完全週休二日制に向けた態勢はもっと十全に準備される必要はある。学校の個性を名目にした学校間競争ではなく、共通目標を踏まえることも必要ではないか(無視する私学は助成カットする措置等も必要)。よく民間で言われた「ニセ時短」とまでは言わないが、せっかくの「悲願」達成を実りあるものにしたいものだ。(情宣部 三上弘志)
2001.
12.14
第234号
『梅香里(メヒャンニ)』を見る

 骨太な韓国の米軍基地反対闘争

  《映画評》
 ドキュメンタリー映画は正直言って、制作者の思い入れが勝ち過ぎて、かなり退屈で付き合うのに辟易するものも結構ある。この映画はそういう類いのものとは違い八〇分近いが全く飽きさせない。
 タイトルは『梅香里(メヒャンニ)』と、のどかなのだが、米軍射撃場として強制収用され、干潟の向うにある象徴的な島の姿は痛々しいほど変わり果てている。ソウルから西南へ六〇`の西海岸沿いにこの基地村はある。村人がこの区域に入って、牡蠣等豊富な海産物を採れるのは何と、米軍のお休みの土日だけ。でもその料理で週末に遠来の観光客が舌鼓をうつ。こういう光景は、大きく構えて、息の長い運動を感じさせる。もちろん激しい基地反対闘争の描写もある。
 例の無差別自爆テロ以来、沖縄もそうだが米軍基地のある地域は危険と一般的に言っても、さて、韓国では、どこにどんな基地があるのかとなると、にわかに思い描けない。この映画を見て改めて認識したのだが、朝鮮半島の置かれている状況が韓国の基地問題を顕在化させずに来ている。保安法の存在だ。米軍基地反対闘争そのものがそれに抵触するという厳しい状況。
 金大中氏の太陽政策や相対的な経済発展の優位から来る余裕がこういう闘争の広がりを可能にしたのだろうが、このドキュメンタリーを魅力あるものにしているのは反対闘争の中心になっている漁師、全晩奎さんやその家族の運動の骨太さだ。彼が一度は絶望して西アジアへ働きに行っていた、そしてその後、逃げずにここで頑張る姿は却って共感を覚える。
 自主上映は沖縄からスタートしたという。その意味は言うまでもない。私は幸い、高槻の実行委員会のお陰でチャンスに恵まれた。数多くはないが、年末から年始の予定は次のようになっている。
▽十二月六日(木)18:30吹田女性センター ▽一月一九日(土)12:30、15:30、18:30  キャンパスプラザ京都
2001.
10.19
第230号
観光立州ハワイの苦悩

 報復や恨みの連鎖を切れ
 先日、ハワイ州知事が府知事を訪問し、観光客の来訪を要請したと報道された。この夏ハワイを訪れ、チャラチャラしたリゾート地のイメージが変わり、「『みんながマイノリティ』の民族のるつぼでなく虹のような多民族共生社会」(山中速人『ハワイ』)として見直したのだが(興味ある方は私のWebサイトへ)、観光客激減の大変さは実感できる。色々な歴史を経て、今観光に拠る州でこの事態で一番に首切りにあうのはハワイアン(先住民)になってしまう。▼修学旅行中止も相次ぎ、沖縄等からも悲鳴が聞こえる。空爆し、地上戦を展開してテロが根絶できるのなら、この事態はそのうち回避できるかも知れない。しかし、報復や恨みの連鎖で解決するとは到底思えない。▼経済的影響で自殺者まで出た天皇重態時の自粛は数ヵ月で終わったが、今回は泥沼化を心配する声も大きい。危機に怯えるこの状態が継続し、世界中が萎縮するような循環に陥れば経済的な打撃は報復を支持する人たちの想像を超えるに違いない。そういう選択をしてしまった米国。それを無条件支持し、脱亜入米で忠誠を示せて、はしゃぐ首相。今、引き返すことは恥でもなんでもない。(情宣部 三上弘志)
2001.
7.13
第226号
『JSA』〈共同警備区域〉

 韓国386世代の心意気

 《映画評》
 「謎解き」的な部分を含む映画は紹介が難しい。その上、最近巷に氾濫する「3文字略語」がタイトルと来ている。映画のタイトルをもうチョッとひねったものにと言われて久しいが、マア、このJSAは僕らが知らないだけでもう少しポピュラーなのかも知れない。板門店のことを正式にはこう呼ぶらしい。共同警備区域。なるほど。
 前に、この欄で紹介されていた『シュリ』を上回る観客!等とも宣伝されていた。あまりいい宣伝文句ではない。この欄の紹介で見に行ったのだが、例の南北首脳会談で金正日氏が「見ました。私達にはうれしくない映画ですが」と言ったと伝えられ、僕もこれは北の人達は不愉快に感じるだろうと思ったものだ。
 同僚から「『シュリ』よりはるかにいい」と聞いて見たのだが、この映画の監督が語っていることがそのポイントを突いている。
 「『シュリ』は分断を素材にしただけで、007のスパイがロシアを背景に飛び回るのと大差ないのでは。もし彼が『JSA』を撮れば交戦場面が増え、深刻な戦争の危機が誘発されるように描いたのではないでしょうか。主人公のロマンスも挿入されたでしょうし」。危ない、危ない、内容が漏れてしまう。
 何度か聞いたことがあるが「386世代(30歳台、80年代に大学生、60年代生まれ)」の想いとはこういうものなのかと痛感させられた。日本の全共闘世代とはまた違うこの世代の南北問題にかける感慨は独特のものがあるに違いない。尾崎豊に擬せられる故金光石の主題歌もこの映画の主旋律としてマッチしている。
 この映画が例の南北首脳会談に象徴される情勢の変化が無ければ陽の目を見なかっただろうと言われるし、ここまでのヒットにならなかっただろうと言われるのも頷ける内容だ。かの金正日氏はキットもう見ているに違いないが、さてどんな感想を持たれているのだろうか。
 僕は板門店を訪れたことがない。近々そこを訪れ、イタリアで知り合った韓国の友人(残念ながら20歳台だが)とこの映画についても話してみたいと思っている。
2001.
4.6
第219号
「審議会」の胡散臭さ

 狭い知見から政策を出されては困る
 「シンキロウ」内閣と揶揄されながら、支持率一ケタの森内閣が存続し、モヤモヤ状況が続くとこの国の民主主義は機能しているのかと誰しも思う。議会制(間接)民主主義の成せる業か。▼「民意」はどこにあるか、ということでは、地方議会だって、ごく一部の右翼的議員が声高に叫べば、それが住民の声ということになり、行政は「…して参りたい」等と神妙に承ることになる。もっと間接的になってしまうのが「審議会」、「委員会」の類だ。人選も課題設定も恣意的になり易い。国民・住民に支持された首長・議会が選ぶのだから、適切な人選・課題ということになる。▼しかし、教育改革国民会議や教員の資質向上検討委などを見ていると、選ばれた委員が各自の狭い知見から自らの信念を開陳している感が強い。それだけならまだしも、「政策化」する。しかも、もう少し広い知見を持っている行政担当者の「妨害」を跳ね除けることが民主的と言わんばかりの対処になるから厄介だ。▼民意という意味では労働組合が得意とする「大衆運動」がある。連合もその力を最大限発揮し国会を取り巻き市民にも呼びかける等当たり前のことを今やれば見直されるのに。(情宣部 三上弘志)
2000.
12.13
第213号
 加藤造反劇でのメール状況

 IT環境の整備と職場
 落ち着く先はこんな所だろうと思いつつも、ハプニングで変動もあるかと思わせた加藤造反。当夜ニュース23で批評の声が二三〇〇通も寄せられたと言う。驚いたのはFAXもあったが、大半はEメールだったことだ。二十、三十歳代が圧倒的で、携帯等から仲間内で盛り上がっての送信が多いのだろう。▼こういう現象をどう見るか、難しいが、ただ、こういう世代が投書者の多数を占めることは今までのメディア環境なら考えられなかったことだ。高度情報社会と民主主義の関連を考えさせられた。▼ITと名がつけば何でも要求されたと言われる補正予算だが、教育への措置も進んだようだ。「所詮機器メーカーへのばら撒きだ」等と端から拒否的姿勢をとるのは論外だが、避けて通れない課題として全教職員がこういう事態の進展の中で学校が果たすべき課題についてキッチリ議論したいものだ。▼情報ネット設置の前倒し実施を基本的に歓迎したいが、職場で唐突感や不安があり、生徒に自由に使わせるということにも戸惑いがあるのは当然だ。特に府立高校の現状は千差万別。それぞれの学校にとって最も有効な活用方法を考え、ボトムアップする方途を探りたいものだ。(情宣部 三上弘志)
2000.
11.3
第210号
レイクパピルスの奨め

 川下から琵琶湖の環境問題を考える


 《旬の人》[インタビュー]
 レイクパピルスをご存知ですか?その名の通り琵琶湖のヨシ(葦の忌み言葉)でつくられた紙。環境問題を身近なところで考え、しかもキチッと経済システムの中に組み込めたらと、頑張っている企業家が居る。  伴PRの伴一郎代表にお話を伺った。環境、障害者作業所の問題に関わった話は大変興味深いものだった。琵琶湖の水位に関心が集まる時だけでなく、その質も含めて下流の大阪でやれることを少しでも考えませんか。
 ■この取り組みをされることになったきっかけは?  企業広報のコンサルタントのこの会社を作ったのは十四年前なんですが、当初から一割くらいはボランティアとかで地域に還元しようと考えてきました。  最初は中ノ島公園でニジマスの放流とかやりました。天神祭りの広報委員長とかも一〇年位やらせてもらい、これは世界でも数少ない水上祭なんですが、そんなこともあって「水」の問題にこだわるようになりました。  温暖化とか環境破壊と言っても、誰にでも、近くのことなら解る、それなら水がいいと思います。個人的に琵琶湖でヨットなんかもやっていて葦を見たりしていたんですが、リンクしてなかったんです。  でも、当たり前ですが琵琶湖、淀川とつながっている。琵琶湖から大阪湾まで二十三時間で流れ着くんですよ。  行政からは大事にしろと言われても、農家は商品にもならない葦を放置して非難されるより潰して農地にしたり倉庫を建てるほうがまだまし。  最初は「茅の輪くぐり」(これをくぐると人間も浄化される)の風習からヒントを得て葦でアクセサリーの輪を障害者の作業所で作ってもらったりしました。  作業所の方からもう少し儲かるような方法はないかと相談されて、紙の研究にすすんだ訳です。色々試験した結果、葦一〇%混入が最適の混合率だという結果が出ました。これならどんな印刷機にも適応できます。
■普及状況はどうなってますか?  滋賀県の職員の名刺は今、三五〇〇人分レイクパピルスを使ってもらっている。下流域の私達も多くのところで名刺に使ってもらえるようになってきました。  テレビ大阪や大阪ドームのスタッフの名刺は全部これになっています。
■採算ラインには乗って来ているんでしょうか?  残念ながら、まだ赤字です。例えば紙漉きに使う釜は容量が一五〇tなんですが、一〇tでやったりしていますから、コスト高になります。
■赤字はどう補填されているんですか?  本業のほうで穴埋めせざるを得ないのが実情ですけど、何とかこちらが持ちこたえてる間にトントンの線まで行ってくれればと思っているんですが。
■需要は拡大の方向には向いているんですね?  滋賀県なんかも環境問題はやはり、足元からヤと気付き始めているようです。
■用途の広がりはどうですか?  ハガキとか画用紙とかにも適していますし、卒業証書なんかにも使われ始めています。
■吉田脩二(精神科医・画家)さんなんかも支援されているそうですが?  吉田先生は今レイクパピルスに琵琶湖畔の絵を描かれていて、この紙で印刷した画集を出したりしようということになっています。
■ところで、印刷屋さんとは付き合いがあってそこで発注したい時は、紙だけの注文もOKですか?  何と言ってもレイクパピルスの供給が第一ですから、紙だけの注文にも応じられます。コンピュータでオリジナルの名刺を作られる方にもA4版の紙を使って頂けます。

※葦は…琵琶湖の水を浄化。春に芽吹き、冬には枯れる。枯れたまま放置すると腐食しヘドロ化する。 農家は…需要が無いため刈り取っても採算割れのため、放置せざるを得ない。 有効利用…2年をかけ研究しビジネス用紙に。その作業は滋賀県内の障害者作業所で。