「大阪高教組」(高教組ニュース)200号を記念して
 《モナド》〈編集後記的コラム〉 僕の執筆欄 総集編

 はじめに  [『大阪高教組』の最近号のヘッドライン] [2面右下の固定位置にあるモナド]
   以下のような文章をまえがきにして小冊子を2000年秋に作りました。先に少し補足を。
 大阪高教組:正式名称は「大阪府高等学校教職員組合」。本文に何度か出てくるが、正確には1990年1月21日に結成された。日教組に属し、義務制の大阪教組の一つの単位組織となっている。共産党系と言われている全教・大教組・府高教から独立(正確には高教組が日教組に残った)。
 『モナド』:タブロイド版2面の機関紙2面目の左下に在って、その位置のためもあって先ずここを読むと言う読者も。モナドの意味は「窓」(ラテン語)で、初期の編集部員の原田さんが命名。

 高教組ニュースは創刊時からワープロを駆使。当初はNEC文豪でした。古いフロッピー(何と2DD!)が出てきて、整理するついでに自分の書いたモナドをまとめてみました。今年で高教組が結成10年、ニュースは200号。この間、1年目は副、その後6年間は編集長、後の3年は支部長をしながらの編集部員として関ったことになります。
 モナドは当初、部員の回り持ちで、それぞれのパーソナリティの肉声が聞こえ好評でした。(M) のイニシャルで、登場は早くても2ヶ月に一度と飛び飛びでしたが、個人的な思いのこもった学校、組合、政治・経済の10年史アラカルトと言ったところでしょうか。文章はそのままで、1頁に3回分が入るようにレイアウトし、見出しを付けました。                          2000年 秋     三 上 弘 志


年・月・日 見 出 し  モ  ナ  ド  本  文 
91.
6.14
第26号
情宣部奮闘の大会特集
要約の難しさ痛感 
このコラム持ち回りで
 前号は大会特集で四面構成だったが、情宣部員の総力を投入し翌日の日曜日から作業を開始し、一週以内に組合員の皆さんの手元に届くようにと頑張った。▼ちなみに、わが情宣部員は四人。もちろん専従はいないから、仕事の合間をぬっての作業を強いられる。もちろん原稿は執行部や有志の皆さんの協力で作られている。大会特集の写真では島上の小林さんに今回もお世話になった。▼しかし、八時間に及ぶ大会の模様を紙面に正確に反映するのは至難の業。発言者や修正案提案者には不満も残っていることは容易に想像できる。紙面の制約に免じて容赦願うしかない。▼ただ「要約」という作業はむつかしい。修正案要旨など、これがどうして本部受け入れにならないの?と思われるような書き方が確かにある。簡潔すぎて執行部の見解が明瞭にならないことも。▼文書というものはひとり歩きするものだ。自戒をこめて反省しつつ、いくつか寄せられたご指摘に感謝したい。それだけ本紙が読まれていることの証左でもあるのだから。▼前号から始まったこのコラムは、情宣部員の持ち回りで続けたい。 
91.
9.11
第29号
 ダッハウを訪ねて
 「加害」の歴史を記憶する ピース大阪に期待
 この夏、ドイツのミュンヘンに立ち寄った折り、ダッハウの強制収容所を訪れた。ミュンヘンから電車で二〇分とバスで一五分のところにある。バスは二台が待っていたのだが両方とも満員になってしまうほど訪問者は多い。それも圧倒的に若者が多い。グループ連れもあればカップルもいる。▼強制収容所のたたずまいは、アウシュビッツやその近くのビルケナウに比べたら規模も小さいし、遺品の類いもアウシュビッツのようには多くない。しかし、管理棟にあたる部分を使った展示室は、主に写真パネルなのだが、延々とドイツがナチスの支配を許していった過程、ユダヤ人にドイツ人がしたこと、強制収容所で行なわれたことなどが示されている。それらのことを描いた映画も上映されている。収容所の片隅にはガス室も死体を焼く焼却炉も保存されている。▼三年前、西ベルリンのゲシュタポ本部跡地を訪れた時も、その展示に感銘したことを思い出す。そこは例の壁の間際に位置していたのだが、戦後瓦礫の山となりそのまま空き地になっていたのを市民の運動で一部が掘り返され、地下室(拷問とかが行なわれた)がそのまま展示室として使われていた。市民運動の力でその資料館はベルリン市によって運営されるようになっていた。そこでも、ユダヤ人の虐殺については大きなスペースが割かれていた。▼日本にもそういう資料館があってもよいはずだと思っていたら、今月一七日にオープンする「ピース大阪」は加害者としての歴史も明確にしていると聞き、おおいに期待している。それとともに、府下に散在する朝鮮人強制連行の跡地を資料保存する取り組みも重要ではないか。
91.
12.13
第34号
 真珠湾から五〇年
 過不足ない正確な総括を
 違和感ある市長選総括
 真珠湾奇襲とマレー半島侵略から五〇年で、さまざまな取り組みが行なわれた。この破局への最終決断が、その一〇年前の柳条湖事件に始まる中国侵略の本格化の必然的帰結であったことは明らかである。ところが、「一五年戦争論に立つような歴史観に組みできない」とする石原慎太郎氏等は国会の不戦決議に反対したと聞く。そういう人々を抱える自民党であってみれば、こういう機会になされて然るべき真摯な反省と謝罪の首相演説などは望むべくもないのだろう。▼「過去より未来に目を向ける」(ブッシュ大統領)というような綺麗事ですまない歴史の重みを我々は背負わねばなるまい。あのドイツのヴァイツゼッカー大統領の有名な演説「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」という警鐘を忘れてはならない。日本にとっての「加害」も「被害」も含めて過不足なく歴史を捉えなければならない。こういうことを文字通り「総括」と言うのだろう。▼「総括」といえば、我々の活動にもいつも求められるものでもある。先般の大阪市長選で府高教の総括は「勇気と感動をありがとう」という表題であった。こういう総括が組合員の気持ちを正確に表しているのだろうか、とひとごとながら気になった。一年の終わりを迎えるが、私達も自戒しながらこの一年間の活動を真摯に総括して新しい年を迎えたいものだ。
92.
3.13
第38号
 新聞での紹介の効果
 時には悪意ある報道
 しっかり取材して下さいヨ
 高教組もそれなりの地歩を築いてきたためか、新聞記者のみなさんとの接触もあって、何か事件があったりすると取材を受けたりするようだ。日常的な情報交換もある。▼世論を喚起するという点では、我々も新聞に助けられることは多い。定時制の募集停止反対の運動でも、堺工や春日丘の活動が紹介され、府教委の目論みを撤回させる大きな力になったことは確かだ。高教組が発行した『高校留学を問う』も新聞に紹介されるとその日の内に本部の電話は鳴りっぱなしで、嬉しい悲鳴をあげなければならなかった。▼しかし、かなり悪意に満ちた記事が載ることもある。例の「日教組『スト権放棄』」報道の場合もそうだ。「朝日」など見出しが本文と余りにも違いすぎる(版によっては「スト権条項削除」となっている)。スト権の確立が難しくなっている現状では偉そうなことは言えないが、「ストを配置してたたかう」修正案が過半数まで数票という状態にあることもまた事実だ。その辺りを判って書かれたとすれば、なお悪意があると言わなければならない。▼どこかの党のように「ブルジョア新聞の本質」などと言う気はないだけに残念なことだ。
92.
6.19
第42号
 定期大会を終えて

 時間の制約の中で可能な限りの改善を
 高教組の定期大会が終了して三週間が経つ。前号はもちろんその特集で、私達は編集に没頭し、とにかく早く事実を正確に伝えることに努めた。少し落ち着いてふりかえってみれば、さまざまな大会の感想を聞くし、組織的にも総括が行なわれている。▼いずれにせよ、定期大会は組合の現在の姿を現すものだ(だから、府高教時代には顧みられなかった「修正案の要旨」も掲載している)。可能なかぎり組合の現在の状況、課題、問題点が浮かび上がるものであらねばならない。組合員が組合に求めるものを率直に表明できる場でもある。分会の活動を紹介し、その教訓を広げる場でもある。そういう点でより実りあるものにするための改善は今後もみんなの手で行なわれなければならないだろう。▼発言が十分に行なえなかったとの不満も聞く。多くの発言が求められることは歓迎すべきことだ。「原稿の棒読み」や「鳴り止まぬ拍手」を特徴とする大会ではないのだから、時間の制約のなかでどう運営を工夫するか今後の課題だ。▼執行部の一員としては、開会と閉会の時間をあと三〇分前後に延ばせないか、議案書の作成をあと一週間早められないか、と考えている。
92.
9.25
第46号
『ティーンエイジ・ブルース』
 日米の類似と相違
 先を見通した改革を
 教育改革についての提言が各方面から出されている。高教組も検討委員会の論議を積み重ねて昨秋「見解」をまとめた。友人から奨められた本を、ある支部教研の講師も奨められていたので読んでみた(『ティーンエイジ・ブルース/米国の教育改革』)。▼著者は広大な合州国のさまざまな高校を実際に訪ねてルポにまとめている。色々考えさせられたが、日本の高校と似ている現象がたくさんあることに新鮮な驚きを感じた。生徒のアルバイトが蔓延していること、教師が雑務の多さを嘆いていること、等。▼無論「違い」も多い。合州国の教育の根本問題である教員の地位の低さはひどい。しかし、何といっても、学級定員の少なさは全米に共通している。それでも、著者は「二〇人という人数を境に、教室の雰囲気が変質しだす」とさえ言っている。単純な比較は慎みたいが、文部省の四〇人学級引き下げの拒否は何を根拠にしているのだろう。▼さらに、府教委の打ち出す「改革」の場当たり主義(理数学科の新設!)はその構想力の貧困を曝け出しているとしか言いようがない。もう少しまともな、先を見通した「改革」のプランを打ち出すチャンスなのに。  
92.
12.4
第50号
 五〇号に到達しました
 組合の組織率は「民度」のバロメーター
 本紙も、今号で五〇号を数える。「再建準備会ニュース」八号に引き続いて、第一号は九〇年一月二五日に発行されている。当初は予算の見通しも不確実で、一〇号目まではワープロによる手作りを含んでいる。組織拡大も進み、予算的裏付けも確立し、以降は活版印刷での発行が続いている。発行費用は貴重な組合費の六%強に当たる。それにふさわしい読まれる紙面にしなければという責任も痛感する。▼三年近く経って、高教組の活動も、着実に安定したものになってきている。同時に、新しい課題への取り組みも進められている。このような多彩で豊富な活動を可能な限り多くの教職員に伝え続けたいと思う。そして、少しでも多くの組合員を高教組に迎え入れるための手立ての一助になればと念願している。▼「金権腐敗」に日本の「民度」が問われている。タニマチに期待したり、誰かにお任せするのでなく、身銭を切ってでも要求を実現するというような人々が一人でも多くなることが、根本のところで必要ではないかと思う。組合運動の発展もそういう方向に合流するものだ。組合の組織率は、その国や職場の「民度」のバロメーターだろう。
93.
2.29
第54号
 色々な生徒との出会い
 ミクロの取り組みをマクロの課題とどうつなぐか
 「先生に出会えてよかった。一年の懇談の時、『英語が得意科目やな。これを伸ばせ』。自分ではそんなふうには思っていなかったので驚きましたが、この先生の言葉がすべてでした」考査問題に設けている《らくがきコーナー》にこう書かれていた。彼女は風前の灯の新聞部を辛うじてつないでくれた生徒でもあったのだが、これは僕にとっては初耳のことだった。さして目立つことのない生徒だったが、粘り強さで、成績も伸び、僕の高校からはそう簡単には合格しない大学に進学してゆく。▼「どないしょー。俺はしばらくフリターしたいねんけどな、親は一旦はちゃんとしたところへ就職せぇ言うねん」遅刻も一〇〇回以上、対教師暴言等で停学もしばしばの彼は辛うじて卒業は決まったが、進路は未定。散々教員の手を煩わせたが、彼らが腹の底で何を思っているのかは、今もつかめていない。▼教員としての喜びやはがゆさ、こういうミクロの取り組みの積み重ねの上に僕達の教育活動は成り立っている。これを、マクロの視点での課題とどうつなぎ合わせてゆくのか。こういうことができるのも現場を基礎とする組合活動の優位性だと思う。
93.
4.23
第58号
 「混合名簿」着実な動き
 足元の性差別にきちんと対応できる組合へ
 本紙でも報告してきたが、「男女混合名簿」に向けての動きは着実に進み始めている。この動きを加速したのは、「性別出席統計」が廃止されたことであることはいうまでもない。これは口頭で校長に伝えられたため、よくわかっていない管理職もあるようだ。逆に、新聞でも大きく報道された「府教委、混合名簿を指導」というのは、義務制での話であることもあまり知られていない。義務制には実践の積み重ねがあり、大阪教組の影響力の大きい市町村を中心にすでに広がりがあるという実態の違いがある。▼そういう意味では、高校ではこれからが正念場。この一年間を検討期間にすることを決めた職場もある。同推委で性差別の問題を今年の重点にしようという学校もある。色々の場で新年度の課題にしたい。▼ところで、辞令交付式の宣伝活動の際、さる組合の青年部は待っている参加者にコーヒーサービスをしていた。もてなしは結構なのだが、驚いたことに「お茶くみ」は女性の仕事になっていたようだ。余りのひどさに高教組のメンバーがご忠告申し上げたそうだが、キョトンとされたとか。足元の性差別にキチンと対応できる組合でありたいものだ。
93.
7.16
第63号
 選挙制度を巡る色々な議論
 狼少年的煽動は無益
 単純小選挙区制は、今国会で絶対に成立する情勢にはなかった。提出しているのが自民党一党であり、その自民党は参議院で過半数を占めておらず、他のどの党もこれに同調する動きは全くなかったからだ。▼ところで、この間、「小選挙区制反対」を最重点にしてきた組合がある。しかし、冷静にみれば、先に指摘したように自民党の「改革案」ははじめから通るはずもないものだった。そういう代物にむかって「反対の大運動」を組む組合員は冷静で客観的な分析をしていたのだろうか。▼結果的には、通るはずもない小選挙区制法案を押し通すことで面子を保ったつもりの自民党(しかし嘘つき、改革つぶしの汚名を着せられる)と、「国民の力で」それを「葬った」という某組合。どちらも何かずれているようだ。▼選挙制度だけに矮小化するのでなく企業献金禁止、罰則強化などの根本問題を重視することと、このこととは基本的に異なることだ。併用制、連用制、並立制の問題点を議論するのはいい。しかしそれらすべてを小選挙区制の一つと言うのなら、余りにも乱暴な議論だ。とまれ、ありもしない危機を煽る狼少年的扇動は時代錯誤ではないか。
93.
10.22
第67号
 「連結机特集」に大きな反響
  早急に抜本的解決策を
 本紙前々号(九月二四日)の「連結机特集」の反響は随分大きかった。前号に紹介したような声以外にも、養護教諭、保健主事の方々から「以前から問題を提起してきたが、こういう形で主張を明確にし、運動化することを歓迎する」声も。その一〇日ほど後に「読売」がこの問題を取り上げたこともあって、府民的な関心も高まっている。▼高教組の取り組みの経過は特集で詳述した通りだが、急増期に取り組めなかった悔恨は残る。したがって、一方的に府教委を責めるという構図でもない。しかし、府教委の統一仕様がこの事態を招いたことの責任は免れまい。それに、この事態が現場の解決能力を超えているとすれば、府教委が何らかの予算措置を伴った方向を示すしかない。七月の交渉でも余剰机の処理にさえ、頭を抱えているが、そろそろ抜本的な解決策を示す時ではないか。余剰机の数だけの府教委の調査だが、その一歩であれば歓迎したい。▼この問題が焦点化した後の府高教のあわてようは相当なものだ。内容のない後追いの報道を「速報」で行なっている。遅れ馳せながらでも取り組むのはいいが、事実を歪めるような報道は慎んでほしいものだ。
93.
12.17
第71号
 選挙制度を改悪するなら
 いかに反自民とは言え細川内閣を支持できない
 この夏、三八年間続いた自民党政権が崩れたことは、日本の民主主義にとって歓迎すべきことだった。政・財・官の癒着構造に終止符を打つだけでも、日本の政治を風通しよくする第一歩だ。利権につながれなくなった政党がどういう末路をたどるのかも興味深い。▼細川内閣への高い支持率もそういう期待を表していよう。だから、この内閣に政権担当能力があることを示さなければならないという人達の気持ちはよく解る。ここでこの内閣がつぶれるようなことがあれば、国民の政治不信はさらに深まるという指摘も解らないでもない。▼しかし、そのためには何をしてもよいということにはなるまい。選挙制度は民主主義の根幹をなす。政治に妥協がつきものであることも解る。しかし、今回の政府案は民主主義にとって致命的な欠陥をもつし、世界の趨勢にも反している。いかに政治とはいえ妥協すべきでないことがあろう。▼そもそも、今回の連立の構造そのものが旧自民党のタカ派部分を含むいびつなものでもあるし、自民党の再分裂も予想される長い変動期の一部であると捉えれば、この政権を支えることだけに執着することもないのではないか。
94.
2.25
第75号
 「造反派」に理はないのか?
 選挙制度での総・総会談決着は許されない
 『週間金曜日』の誌上で筑紫哲也と國弘正雄の往復書簡が継続されている。筑紫氏が「地獄(政治改革での自民党寄りの案)への道は善意(政府案への反対)で舗装されている」と述べたことへの國弘氏の反論である。▼その内容には触れられないが、自分たちへの「造反派」のレッテルに、國弘氏は「反逆」であるとして違和感を示している。しかし、「造反有理」と言えば、古いと片付けられるかも知れないが、この言葉は毛沢東の失脚とは無関係に一面の真理ではないか。▼「造反派」であれ「反逆」であれ、彼らが私利私欲で動いたのではないことは明らかで、その苦悩ぶりは伝えられる通りだ。その政治的見通しの甘さを指弾されるが、総・総会談での「決着」という憲法も民主主義も踏み躙った手法を免罪していいのだろうか。▼それに、「どうせやられるなら歯止めをかけて認める」という政治的取引にのみ埋没することの危険を感じる。そういう局面もあることは否定しないが、そういう手法は、結局、国会内での駆け引きに終わり、政治を、大衆運動や、その中での政治的ダイナミズムの展開とは無縁なものにしてしまうのではないか。
94.
5.13
第79号
 七三一部隊展の最中に
 永野発言で見える新生党の「らしさ」
 今年の授業は『シンドラーのリスト』・日本とドイツ・「七三一部隊展大阪」とつなげ、民族抑圧・民族排外主義をテーマに、今も進行中だ。そこへ、あの永野発言が入ってきた。『幻の南京大虐殺』が出されてもう何年になるか。その後、多くの市民、学者、ジャーナリストの努力で完膚なきまで批判され、学問的には決着済み。教科書裁判でさえこの部分は勝訴している。▼確かに、羽田内閣の発足の際、法務大臣の人選には驚いた。元陸幕長が?余程の人材難か。所詮、新生・公明主導、こんなもんだろう、と見過ごしたのはよくなかった。非文民は大臣になれないとその時から言っておくべきだった。▼しかし、アジアの人々にはお叱りを受けるかもしれないが、不幸中の幸いかもしれない。こんな人物に「法秩序」云々と言われたらたまったものではない。一〇日で辞任で結構。新生党という政党がどういう人々を含んでいるかがよく見えたという点でも功績は大だ。類は友を呼ぶ。小沢氏だけがワルではなさそうだ。こういう人達がみんな新生党へ行ったら、自民党も合州国民主党くらいにはなれそうだ。そうなれば護憲で自社連立も悪くないかも。
94.
7.15
第83号
 海部氏勝利の方がスッキリ?
 大教組の主任手当の目的外使用を放置できない
 二ヵ月前、「護憲で自社連立も悪くないかも」と書いて中央委で批判があった。但し、「こういう(永野・小沢氏に連なる)人達がみんな新生党へ行ったら」が前提だった。今回の「大連立」はこの前提を満たしていない。却って、海部氏が勝ち、渡辺、中曽根氏等のグループが新生党に吸引された方がスッキリしたのかも知れない。その後の(改憲・「普通の国家」路線への反発をバネに)「自社連立」なら悪くなかったかも。▼それにしても、組閣を見る限り「型破り」には程遠い。「護憲・ハト派」政権ならそれらしくと期待するが、個々の課題で我々の要求や主張を大衆運動としてすすめるという民主主義の基本に立ち帰るしかないのだろう。▼民主主義と言えば、例の大教組の主任手当拠出金の一億五千万円「流用問題」は我々の提起でしか波風が起こらないところに民主主義の風化を見る思いがする。「貸付」であれ、「利子付」であれ、目的外使用(全教会館建設資金)は流用に当たる。そんなことに気付かないほど内部チェックは萎えてしまったようだ。よその組合のことに口出しするなと言うが、僕の拠出金だって含まれているんだけどナァ。
94.
10.7
第86号
 「分校独立・本校存続」の成果
 後追い府高教の惨め
 歴史の改竄は良くないですヨ
 分校独立・本校存続が補正予算の成立とともに正式決定される。本紙前号の通り、七月の高教組本部交渉での追及で感触を得ていたもの。各分校では「やっと」の思いで独立準備の作業が進んでいる。▼ところで、この課題での府高教の対応のズレとウソが目立った。「独立へ」の九月の『毎日』の報道に慌てて「独立校化の方向で検討しているもようです」と大発見のように言うが、そんなことは本紙前前号を読めば判ること。それもそのはず、府高教は七月の交渉で分校問題を重点課題にさえ上げていない。▼そして、補正予算発表で「設立当初からの府高教の要求が実現」と胸を張ってみせるが、これはウソ。当初、佐山委員長の答弁は要求を退けるものであったことは、忘れられるはずもない。府高教が何もしなかったとは言わないが、歴史の改竄はよくない。▼ウソと言えば、「全教を結成すれば、日教組の被処分者救援の支出もなくなるから組合費は下がる」という甘言もそうだ。昨年、分会還元金の削減で実質値上げをした府高教だが、遂に来年度からは六%程度の値上げを予定。いくら組合員が減っているからと言っても、あんまりではないかな。
94.
12.16
第91号
 改革には準備が必要
 先を見通した早期の指示と定員増を
 学校に限るまいが、新しいことをするには、準備が必要だ。もの、人の配置はもちろん、検討の期間は重要だ。だから、月二回学校五日制についても高教組は早くから「文部省の正式通知がなくとも、予想される事態に備えよ」と要請してきた。▼しかし、府教委から具体的指示が現場に届いたのは一二月五日、いかにも遅い。現場では来年度の選択科目の決定等が丁度終わったところだったりする。今更、減単位して「あれは無かったことにします」とはならない。現場の声を代表する組合の要請にきちんと対応しないと困るんですよ、府教委の皆さん。▼総合学科にしてもそうだ。「第三の学科」を作る、それも学校丸毎なのだから、大変な作業が予想される。高教組はその構想に組織的に関わってゆくことを決めたが、現場の不安が大きいことも示した。府教委は結局のところ「いいとこ取りをして現場に皺寄せをするのではないか」という不信感がある。▼家庭科共学の準備の際の教員採用は色々あったが、加配で早くから確保したのは「英断」だった。総合学科の開始後の教職員の加配は言うまでもないが、準備期のそれも府独自の配慮がされるべきだ。
95.
2.24
第95号
 神戸でボランティア参加
 迷惑をかけまいとする被災者の心情に心痛む
 遅まきながら、一四日に神戸の一泊二日ボランティアに参加した。一日目の夜、六〇才位と見える女性が来られ、「今日から、知人が東灘の避難所から私の家に移ってきています。食事くらい内で何とかなるのですが、『朝食と夕食を避難所で貰ってきてほしい』と言ってきかないので、うかがったのですが、そんなことができるのでしょうか」と尋ねられた。無論私達が判断できることではないのでボランティアのリーダーの植村さんに取り次いだのだが、「そういう事情なら、朝六時半と夕方五時に来てください」との返事で、私達もホッとした。▼どんな方で、どういうご関係かも知る由もないが、その被災者の方の気持ちは痛いほどわかる。配給される食事が素晴らしいものでないとしても、少しでも迷惑をかけまいとする心情は被災者に共通しているようだ。▼看護婦さん達と違って教員はたいした役にもたたないのに、リーダー会議で紹介されて少し恥ずかしい思いもしたが、ここでは、長く参加されている人が年令、職業を問わず要領もわかって指示し、私達はそれに従う。課題によっては相談を持ちかけられることもあるが、それでいいのだと思う。
95.
5.12
第99号
 一〇〇号を迎えました
 府高教にも愛読者?
 型に填らない「新鮮さ」が魅力
 本紙も、次号が丁度定期大会特集で、一〇〇号になる。非専従四人の部員でこれだけのものが出せているのは、多くの組合員の協力があってこそ。急な原稿依頼や、指定の分量の少なさに泣かされた「被害者」も多いに違いない。▼五〇号(九二年一二月)のこの欄に情宣部の思いを書いているが、その号には「朝鮮高級学校の高体連加盟を求める中央委決議」・実習教員の二級格付け問題で実教部長のインタビューが掲載され、女性部学習会「戸籍から日本が見える」の宣伝が載っている。高教組の運動で実現したもの、実現しそうで今一歩及ばないもの、たった二年半だが成果と問題点を見ることができる。▼結成以来、全教職員配布してきたのも本紙の特徴。これが結構好評で、未組合員はもとより、府高教の方にも愛読者がいると聞く。その理由は時宜にかなった内容、現場に密着した編集姿勢(自画自賛?)にもあるのだろうが、何が出てくるかわからないという「新鮮さ」が魅力?全労連から始まる種々の機関紙のどれを見ても同じことのコピーみたいな新聞とは違う本紙。これって、「みんなが作るみんなの組合」の原点みたいなことではないかな。
95.
7.14
第103号
 戦後五〇年
 不戦決議に欠けた大衆運動
 気持新たに四回目のヒロシマ訪問
 戦後五〇年、色々な取り組みがある。苦い結果は「国会決議」。不戦はもとより、直截な反省も謝罪も、盛り込めず、それさえ、党略で傷だらけの結果に。これを村山内閣の攻撃材料にすることもできる。しかし、あの時、私達の側の対応は、決議反対で駆け回った勢力の動きに比して、いかにも鈍かったのでないか。決して大衆運動の盛り上がりがあったとは言えない。そういう弱点を反省したい。▼この夏、ヒロシマに出かける。四回目になる。ワンゲルの大学時代、広島の山でヤケドをした私は一人で営林署の車で広島市内まで送ってもらい、他のメンバーを待つ間に原爆資料館に入り、大きな衝撃を受けた。教員になって間もなく、自衛隊パレード阻止闘争。八二年平和のためのヒロシマ行動。これは統一的な運動だったから、さだまさしまでやって来る凄い盛り上がりだった。▼日独平和フォーラムで高校生が大阪にも来る。そしてヒロシマへ。そこで再会することも嬉しい。加害の側面を見失わない視点がヒロシマの運動にも根付いている。シンガポールのワックスミュージアムで、原爆投下の写真に重ねて「解放」の文字があったことを忘れられない。
95.
11.2
第108号
 定通再編で臨時大会
 組織の内でも外でも本音で話す必要
 この三ヵ月ほど、高教組執行部は厳しい批判を受けている。日教組の「路線転換」をめぐって激しい議論が展開されたし、今また定時制改編をめぐって臨時大会ももたれた。鎌田前委員長が退任挨拶で「これからは事柄は単純で明快とはいかない難しい時期だ」と述べたことが思い出される。▼私だって代議員ならそう言うだろうと思うこともあれば、的外れな批判はやめてほしいと思うこともある。例えば大会で「本部が昇進やポストのために取引をする」等という発言があると、つい悪い癖で野次りたくなる。ただ、休憩中にある組合員と話していて「地獄への道は善意で敷き詰められている」こともあるので自戒の必要を感じた。▼だが、「アンタだけには言われたくないヨ」という方々もある。日教組が救援資金(二千円。今は暫定的に千円)問題で苦しんでいる時に、二百円ばかりの救援資金の負担で、その闘いの成果だけを享受して涼しい顔をしている全教の皆さん。旧府高教執行委員をしていた時、「統廃合反対ではもたないので、定時制の今後について本音で一度話をしませんか」と囁いたある府高教執行委員。本音で話をするのは今ではないかな。
96.
1.10
第112号
 規制緩和がもたらすもの
 あえて規制強化を!
 公私間競争の教育の場でも
 規制緩和がオールマイティのように言われ、その結果、確かに昨年は「価格破壊」が流行語となり、私達の生活にも影響を及ぼした。しかし、消費者であると同時に生産者でもある現代、これが何をもたらしたのか。▼政・財・官の癒着による消費者の利益の侵害等は速やかに解消される必要はあろう。しかし、規制緩和は結局弱肉強食の自由競争への道でしかない。価格破壊で恩恵を受ける国民は、そのために苦しんでいる国民でもあるのだ。価格破壊は単に流通合理化程度では達成されない。▼メーデーの端緒となった八時間労働制も規制だ。こういう規制は今後も強化されなければならない。しかし、規制緩和は労働者保護立法をも緩和させようとしている。こういうやりたい放題が生徒の中にも見られる雇用の「流動化」をもたらしている。▼あえて、規制強化を求めよう。競争が必要としてもその規制の上で、というのが現代であったはず。公私間競争等と言われるが教育の世界でもそうだ。生き残りをかけたやりたい放題を許したままの私学助成の拡大など必要ないと私は以前から主張してきたが、例えば学校五日制不実施校には助成をやめたらどうか。
96.
3.12
第116号
 九十六年問題の成果と課題
 企業派遣を全面否定する必要はあるまいに
 年度末は、総括と新年度の計画が交錯する。減少期は、定員配置数によって学校の計画も違ってくる。高教組が取り組んできた「九六年問題」は一定の成果を挙げているが、何とか現場の計画とうまくリンクできなものか。府予算との絡みがあり、致し方のない面はあるが、もう少し長期展望が出せれば有効な教育計画が立てられるのに、と思う。▼一例だが、選択講座が増えている中、加配がどの教科であるのかが判れば、もっと柔軟な講座編成もできる。分掌人数の削減でも、加配があればもめることもなかったのにということも。▼ある組合の速報は超ファナティックで、大衆運動に扇動が必要であるにしても、度を越してはいないか。「教育予算大削減―怒りの大運動を」と煽るのだが、実際は図書館の建設終了や学級数の減少によるもの。「企業派遣の研修は企業精神をたたきこむから断固反対」。派遣の条件のチェックは必要として、重要部署への教員配置など考えられないが、仮にそうなったとしても、その影響まで捉えれば、立派な研修になるだろう。労働組合が物分かりがよくなるのも問題だが、冷静な分析を欠いたフレームアップはもっと有害ではないか。
96.
5.31
第120号
 宣伝がヘタで資金もない公立諸学校
 報道と批判し合える信頼必要
 年度当初だからか、色々な人から高校のあり方について意見を聞く機会が多い。中でも、仕事柄(?)か、宣伝、報道というようなことが印象に残る。▼中高の懇談会で中学の先生から「お互い、公務員というのは宣伝が下手。誇大でなければ、もっと宣伝したらいいのと違いますか」。別の場で「秋に、私立高校の宣伝パンフが来ますけど、綺麗で、生徒はよく見てます。公立のは学区の全校がチョットずつ載ってるだけでほとんど見てませんわ」。インターネットにはまっている友人は「ホームページを見たら、色々の高校があって、私学は凄い。公立は少ないうえに、ダサイ」と感想。府予算の削減で公立には財源がない。私立はこういうことには金を注ぎ込む。それも私学助成(府予算)で賄われているとしたら、何か変だ。▼若手の新聞記者さん「学校ってやっぱり身構えるんですね。校長に窓口を絞るとか。そのために取材源が少なくなっているかも知れない。だから現場の声を聞かされればとりあえず耳を傾ける」。報道姿勢がまともなら、相互批判できる信頼関係が必要なんだろう。アッ、これって、この機関紙にも言えることかもしれない。
96.
9.2
第124号
 ここまできた規制緩和論
 学校選択の自由はカネで学校を買う自由だ
 今年の新年号の本欄で規制緩和万能論について触れ、結論的に「今、敢えて規制強化を求めよう」と書いた。競争原理に馴染まない領域があること、競争をよしとするにしても一定の枠組みが必要なことは当然だからだ。教育の場でも、公私間の競争でそのことが当てはまることに触れ、学校五日を無視する一部私学には助成をやめたらいいと書いた。▼そうするうちに、この夏、規制緩和を推進する行政改革委員会は、教育分野にまで提言をしだした。『朝日』の社説まで「教育にもっと自由を」などと、それを歓迎。教科書の広域採択などはつとにその弊害が指摘されてきたことであり、それを自由にする、日の丸・君が代を強制などせず、自由にする、そういうことなら大いに結構。▼しかし、小・中学校の学校選択の自由(弾力化)は全く次元が異なる。大阪でのあの「越境入学」をやめる運動がどういう背景やどういう質を持ったものであったかを考えれば、その危険な行方は直ぐに了解されよう。校区変更で差別的反対運動が起こったりすることもあった。金で学校を「買う自由」を奨励する行革委や朝日の論説委員のメンバーの認識の浅さには驚くべきものがある。
96.
11.1
第128号
 公的部門を切れば活性化か
 民活ならぬ官活は必要
 他律的でない改革の提起を
 マスコミの果たす役割も大きいのだろうが、「政治(選挙制度)改革」、「規制緩和」の大合唱があった。異を唱えるものを魔女狩り的に排除し、まるで熱病に冒されるがごとき状態になったりする。後で冷静になってみると、「何であんなことを決めたんだろう」と気付くご仁が出てきたりする。高教組も反対してきた小選挙区制がそうだ。規制緩和で剥出しの競争原理にさらされることがそんなにいいことなのか、もう気付くべきだ。▼そして今度は、今回の選挙の目玉だった「行政改革」。これまでもそうだったが、その言葉で考えていることが違うのに合唱は同じ。例えば、財政投融資をなくす替わりに、財政で賄うのでなく、民間資金をと考える連中がいる。公的部門を切れば活性化が図られるとする考え方に流されていいのか。▼しかし、公的部門が「非能率」の代名詞では困る。民活ならぬ「官活」(熊沢誠氏)が必要とされる所以だ。それにしても、行政の現場労働者はこの動きをどう受けとめるか。我々だって他律的に「教育改革を」と言われれば反発したくなる。行政部門の現場労働者としての主体的な提言・改革があって然るべきではないか。
97.
1.19
第132号
 爺ちゃん婆ちゃんの迎えの増加、心を病む生徒の増加
 構造的な問題に切込まないと
 正月は普段会えない人に近況を聞いたり、少しゆっくり話したりする機会がある。年賀状もそういう役割を果たす。そういう中で、忙しい日常では見落としていることに気付いたりする。他の仕事をしている友人から教えられることも多い。▼保育所をやっている友人から「うちの保育所に来る親は第三次産業勤務が多い。そのためもあって公立保育所だったら仕事を辞めざるを得ないほど不規則勤務か長時間労働。ところが最近それを繋ぐのが爺ちゃん婆ちゃん。迎えが早くなるのはいいけど、親との接触時間は短いし、過保護の傾向も今まで以上」と苦労を聞く。そこには現代社会が抱える問題が凝縮している。▼普段は聞かない知人や近所の人の話になって、意外と心を病んでいる人が多い。年賀状にも「心を病んでいる生徒が増えています」という一筆が幾つかあったことが印象に残った。▼こういう構造的な問題に切り込まないと日々の実践だけでは徒労に終わることも多い。日々の実感を持ち寄って、色々なネットワークで少しでも全体的な問題を探り、その課題を政策にまで高めることが重要だ。実践の場から練り上げられてこそ政策は意味を持つ。
97.
4.18
第138号
 誇大宣伝にご注意。
 教職員共済 (日教済)の叡智と類似共済の違い
 四月は「宣伝」の季節。新入社員、新入生、転入者に様々な宣伝が繰り広げられる。本紙も前号で、「高教組加入」を訴えたところだ。ただ、誇大宣伝は後を絶たないようで、高校生がそれに乗せられることも多く、家庭科等での消費者教育が重要だ。就職先が誇大宣伝と言うより詐欺紛いの条件だったという例が早くもでている。(次号報道予定)。▼「世の中、そううまい話があるものではない」ことを知らしめたという点ではオレンジ共済事件の「功績」は大きい。どの業界も予想利率五%台での組み立てから見通しを変えないと混乱は必至。それを進めた教職員共済(日教済)はその時々に不満も聞いたが、適切な選択をして来た。賢明な皆さんは大丈夫だろうが、類似共済で甘い宣伝のものにご注意を(このことに絡んで、宮城高教組日教組離脱の『週刊金曜日』ルポに冨井さんが論争を挑み、最近に反論・四/一一号もあったが、冨井さんの優勢勝ち?身贔屓かな)。▼わが情宣部は女性メンバーも加わり久々に半数が交替。この欄もまたひと味変わるはず。紙面の方は従来通り、煽伝ではなく、宣伝をと思っている。
97.
6.13
第142号
 「均等法以降」の職場状況は?
 保育所も少子化の影響下で「変化」
 若い新聞記者の皆さんと話す機会があるが、教育関係には女性が多くなっていて、彼女らの言葉に「均等法以後」「以前」がさりげなく出てくることに時代を感じる。しかし、教育が軽視されているのか一年程で異動があったりする。女性が多いのもその反映だとしたら、単純に喜んでも居られない。▼女性と仕事ということでは、保育所の入所状況の変化に驚く。保育所入所の激戦をかいくぐって子育てをしてきた団塊世代には信じられないことだが、少子化は公立の保育労働者まで園児集めに走らせているという。少子化が進んでも、共働きが増えればそう慌てなくともいいはずなのだが、友人が言うには保育所に入る子どもの率は増えていないらしい。これは何を意味するのか。▼そして、希望していなくても保育所に入った方がいい「保育に欠ける子ども」が増えている。だから、保育料のことを度外視しても入所する方がいい。しかし、それは財政効率は悪い。こんなところに今の財政問題の焦点があるのかも知れない。長期的に見れば保育に欠けるまま放置された子どもに将来かかる財政負担を考えると、何が「効率的」か、考える必要があるのだが。
97.
9.19
リレーエッセイ
第146号
 学園闘争渦中での大学でのワンゲルの体験
 複眼的に色々なことを
                 書記次長 三上弘志
 「志半ばにして逝く」という人への気持ちは本当に辛い。僕も三〇代、四〇代の友人を亡くした時の哀感は忘れられないものがある。冠婚葬祭の中でも、葬は慌ただしいが、最近は西暦で、喪主などとせず「夫・子」というような名を冠して挨拶状を作る人もあって、かくありたいと思う。
 大学で先輩を滑落事故で亡くしたこともあった。前々回の米田さんと同じで、僕も大学時代はワンゲル。今は部員も少ないらしいが、僕の頃、多い時は百人を数えたりした。多いことはいいことで、民青も居れば反日共系の活動家も居たし、クラブのあり方を巡っても、山派(亡くなった先輩はこの派で滑落は穂高だった)も居れば里派も居た。結局、学園闘争の昂揚と共にクラブを辞めていくメンバーも多かったが、僕は残った。
 その頃から、何かに全てをかけるという性分ではなかった。色んな生き方があっていいし、全力投球はいいが、複眼的にものを見ながら色んなことをするのがいいと思っている。
 ワンゲルで貧乏旅行の習性が身についた。それが一〇数年経って海外旅行に役立っている。初の海外旅行は一二年前。その三年後にアウシュビッツを訪れている。冷戦の時期に個人旅行で、苦労の多い大変な旅だったが醍醐味もあった。お陰でポーランド人の友人ができたり、無名だった頃の梶村太一郎氏とも知り合えた。生徒には若い時にしかできない旅をして欲しいから今そういう話をしている。
97.
10.3
第147号
 Eメールでの出稿も間近
 見出しだけで危機感を煽るようなことはすまい
 このコラムは、一面のエッセーと違ってリレーではないのだが、その続きを一言。(m)さんと違って編集に携わって長い私でも日常の仕事と折り合いを付けるのは大変なことだ。ただ、有能な執行委員や原稿執筆していただける組合員のお陰で発行が続いている。連絡の手違いから予定分量の何倍もの原稿が届くと圧縮に汗を流すことにはなるが。ただ、以前にも書いたが、ME化に助けられている面はある。フロッピーでの出稿は勿論、これからはEメールでの原稿のやり取りも進みそうだ。▼編集基調で惑うことはある。その昔、「煽動と宣伝」(レーニン)等ということを学んだが、組合の機関紙にある程度煽動的要素は必要なのかも知れない。しかし、高度に発達した情報化社会で且つ教職員を対象にした新聞が煽りを必要とするのだろうかと思う。冷静に事態を見るどちらかと言えば宣伝を基調にした紙面が望ましいと思ってはいる。▼だから、某機関紙のように見出しだけで危機を煽るようなことはすまいと思う。挙げ句の果てにその危機突破のためと称して組合費以外に三千円のカンパを集めるというのはどんな事情があるのだろうかと思う。
97.
11.14
第150号
 入試選抜のボーダーゾーン
 今回の制度が以前より悪いと断定する根拠はない
 高校入試のボーダーゾーンの選抜方法が新聞発表されたが、遅れに遅れ一〇月末になったことで中学校の戸惑いは大きかった。ただ、遅れた原因の一つが、高教組も府高教も他の団体も注文を付けた結果だとすれば、問答無用で押し通す他の県教委よりはましなのかとも思うが、一定の決断力も必要だ。根幹部分は早くに発表されているし、ボーダーの決定方法も「予想の範囲内」で混乱は大きくないのかも知れない。▼この問題での某組合の宣伝はまさに煽りだった。中学生は必要以上に不安を持ってしまいそうだ。根幹部分でも、今までの二〇点満点が八四〇点満点になったから、より競争が激化するなどという見当はずれな批判をする。どこの学校でも結局最後は、四〇〇点とかの細かい点数で合否を決定していたことは周知の事実。そのやり方が高校毎に違い、且つブラックボックスに入っていただけなのだ。内申総評が半分を占める前制度で一段階違いによる影響を考えれば、今回の制度の方がフェアーかも知れない。▼あちこちであの組合の現場の人もあまりにひどい反対論に首を傾げていると聞くが、最近こういう乖離があの組合には多くなっている。
98.
1.30
第154号
 「大合唱」に巻き込まれず見据えたい行く末
 改革妨げる底流に全面発達論
 日本では、どうしてこうも「大合唱」が湧き起こるのかと思う。近くは政治改革を小選挙区制に矮小化し、大合唱。規制緩和、価格破壊、と続く。▼この欄で何回か批判したが、その結果を見てから、「エッこんな筈じゃなかった」と気付くことも共通している。そういう意味では、今回の山一証券や銀行の倒産で何故こんなに大騒ぎするのか、けったいな話だ。そんなことは規制緩和推進では織り込み済みではないのか。体力のない銀行や証券会社は潰れる、ということだったはずだ。▼ただ、行く末を見据えて問題を指摘することは、遅くてもやらないよりいい。マスコミは影響力の大きさから、その責任は重い。ドラマでも「流通戦争」などは、結末がかなり甘かったと思うが、結構突っ込んでいたようだ。▼それは教育の世界でも当てはまるのかもしれない。ただ、府高教の役選ビラで高校改革が「大合唱」されているような印象の文章を見たが、そうだろうか。誰もが「このままでいいとは思っていない」ということなら、その通りだろうけど、その割には改革の動きは府下的には進んでいないようだ。その一つの原因に教条的な全面発達論があるような気がするが。
98.
3.12
リレーエッセイ
第157号
 朝鮮語を専攻した生徒 その後の活躍
 執行委員退任。
 ご支援に感謝
 米田さんが歴史認識を深める取り組みについて書いているが、社会科などは個人でも色々な機会がある。しかし、実際に生徒にどこまでの認識が生まれたか、確かめるすべはあまりない。同窓会で、ある女性が「私がこの道に就くことになったのは先生の授業だったんですよ」と聞かせてくれたことがある。彼女は外大の朝鮮語科に進み、今も色々な場で活躍している。授業で人格権の問題として氏名民族読み訴訟(亡くなられた催牧師のいわゆる一円玉訴訟)や主権に絡めて金大中氏拉致事件のことを取り上げていた頃のことで、「そうだ、朝鮮語をやろう」と決心したという。偶々、問題意識がかみ合うということもあるものだ。
 朝鮮語を学ばれている職場の先輩がムックに載っている彼女の講座を激賞されていたり、昨年ローマで知り合ったソウル教育大の学生と拙い英語で文通したりしていて、韓国・朝鮮語を勉強する気にはなっているのだが、なかなか本格的に始められない。鶴橋で焼き肉を食べようということにはなっているのだが、「もう少し勉強してから」と思うといつのことになるやら。
 話は変わるが、三月で本部役員を終えることになる。重要な課題だった女性執行委員の増加が実現したのでバトンタッチだ。とは言え、情宣部の仕事は担いたいと思っているし、支部長にも選ばれているので、大きな変化はなさそうだが、これまでのご支援に感謝したい。
98.
4.1
第158号
 合州国の博物館等の壮大さ
 ホロコーストメモリアルミュージアムは必見ですよ
 合州国の東海岸を見て廻る機会があった。自分を褒めてやりたいほど自主研修に精出したが、印象的だったことを。▼歴史的風物はさておいて、驚いたのは、聞いてはいたが消費税が州でホントにバラバラなこと。私が訪れた州だけでも、四・五%、五%、八・二五%。隣同士で倍近い差があれば、日本なら不平が充満し、隣州への買い出し等混乱しそう。そういうことを尋ねる暇はなかったが、税と民衆ということを考えさせられた。▼各都市や大学にある美術館・博物館の類の壮大さには圧倒されてしまった。博物館学みたいなことに疎いのでよく分からないのだが、英仏とは違う何かがそれを支えているようだ。ペルガモンにしてもそうだが、帝国主義的略奪の陳列という一面があるが、合州国はひと味違うはず。▼DCに五年ほど前にできたホロコーストメモリアルミュージアムは「博物館かくあるべし」と思われる素晴らしいものだった。現地で日本語教員をしている若い元同僚とも意見が一致したのだが、日本の平和博物館もこれに学ぶべきだ。順路が明快、ビジュアル、現物の再現、コンピューター活用の資料提供等々。機会があれば是非見逃されないように。
98.
7.3
第164号
 府財政危機は尋常ではない
 理事者が悪いだけの運動ではない府民的取り組みを
 高教組はこの間、「府財政悪化のツケを教育に持ってくるな」と、教育費削減を許さない取り組みをすすめてきている。しかし、同時に、府財政悪化の根本問題にもメスを入れなければならないと、率直に現状と問題点を究明する学習会も行ってきた。一面の報告はその最新のものだが、基本的認識は従来冨井さんや執行員会が指摘してきたものと変わるところはない。▼財政支出の削減の対象にすべきビッグプロジェクトや第三セクターを絞り込むことと収入構造の転換だ。ただ、この学習会でも参加者が一様に感じたのは府財政の落ち込みのひどさが尋常ではないことだ。講師は「粉飾予算」と呼んでおられたが、交付税も不確定なまま多めに組まれている。その上、多くの基金の大半が取り崩されて、収入に当てられているのだから、来年はもうその財源はない。▼一時、府高教や共産党が知事選で「基金の貯め込みを許さず、府民のために使え」と主張したことがあったが、その見通しの甘さは犯罪的とさえ言えよう。徹底した情報公開の下、単に「府理事者が悪い」だけに終わらない大々的な府民運動を起こさねば二進も三進もいかないところへ来ている。
98.
10.30
第170号
 「授業したい」「故宮博物館へ」夢かなわず鎌田さん逝く
 今も「按部で越えるな」の声
 お気付きの方もあるだろうが、今年度、情宣部は六人態勢に強化され、バラエティに富んだ本欄だが、一部員としては三か月周期。そうなると書きたいことも多いが、やはり、今回は鎌田さんのこと。▼僕が胃潰瘍の罹病者だから、却ってひどいことを口走ったかな、と思うことがある。鎌田さんが、胃潰瘍で手術と言われるものだから、「それは違いますよ。今時、胃潰瘍で手術なんてしませんよ。胃ガンですよ」。最初の主治医が告知主義者だったからよかったが、勿論、胃ガンなんて恐るるに足らずと言いたかったのだ。▼巡り合わせと言うか、丁度高教組結成時、五六才。専従として定年を迎えることになる。高教組は格好の人物を委員長に持ち得たということだ。ただ、編集に付き合いながら鎌田さんは「授業をしたいな」と何度か言っていたのを思い出す。発病がなければ、特嘱としてでも教壇に立ったかも。退任のインタビューでは「故宮博物館へでも」と言われていた。いずれも果たせなかった。▼鎌田さんが言っていたことで心に残ることは幾つかあるが、最も印象的なのは「按部で越えるな」だろうか。困難に遭遇する僕達が心すべきことかと思う。
99.
2.15
第176号
 教育への支出増は立派な公共事業拡大
 民生重視の景気対策こそ
 不況、財政危機で僕達の職場の周辺でも事態は深刻ではある。これまで、大企業がコストダウンのために下請けの中小零細企業に無理を言っていると批判してきたが、今や中小の印刷業者や食堂等を泣かせているのは学校や役所ではないか。学校管理費削減や生徒減で少なくなった私費会計の尻拭いをさせられている業者さんも少なくない。とにかく消費需要を結果的にはダウンさせている。ここでも悪循環がある。▼消費の冷え込みを抑えるのは、何も土木工事ばかりではあるまい。元々、政府の景気対策として大型プロジェクトに金を注ぎ込まされたのが、地方財政のチョー悪化の元凶の一つなのだ。どうせ赤字国債を発行するなら、ケインズ流の乗数効果なんて不確かなのだから、景気対策として教育予算を思い切って増大させたらいいではないか。これだって立派な公共事業だ。それも中小零細を底支えし、消費拡大という点では有効で、好きな言葉ではないが「教育は未来への先行投資」と考えれば一石二鳥ではないか。▼そして、教職員増も連合の雇用創出プログラムにも入っており、こういう民生重視の景気対策こそが社会構造変革につながるのではないか。
99.
4.9
第179号
 中国に出かけ
 日・韓・中での漢字略字の「統一」を夢見る
 旅をすると、当然のことに改めて気付くことがママある。この三月下旬、北京・西安等を旅し、中国は漢字の国だと再認識した。韓国でハングルに囲まれると、読むのに精一杯で終わるが、漢字だと一応何となく判る。▼洛陽へ向かう夜行列車で、日本へ来たことがあるという人と筆談と英語のチャンポンで話した。オリンピックは北京で開催するのがいいとも話したがチャンと通じたかどうか。オール漢字の中国語と平仮名と片仮名、ローマ文字がミックスされた日本語との比較も考えさせられる道中だった。▼ただ、かの韓国でも漢字の復活を検討しているという。少し文通しているソウルの大学生がほとんど漢字がダメだと言っており、表意文字の少ない世界で、漢字の併用があってもいいと思っていただけに大賛成だ。▼しかし、そうなると、韓国で普及する漢字はどんな漢字になるのか。今更、旧字体そのままではあるまいから、何らかの略字になるだろう。そこで思いついたのだが、この際、日韓中で、略字を統一してはどうか?少し荒っぽい略し方の中国と、もっと略してもいい日本とこれからの韓国が加わり、調整するというのは門外漢の夢物語だろうか。
99.
9.16
第187号
 団塊世代の壮年時の重点課題は増学級阻止
 今「適正規模」の冷静な議論を
 僕たちは団塊の世代で教員数も多くなるはしりなのだが、生徒の急増期でもあったわけで、その頃の重要な課題は「増学級阻止・マンモス校化反対」だった。府立普通科が軒並み十二学級になるなんてことは全国でも稀なことだった。超過大規模では生徒の顔が見えない、教員間の意思疎通も不十分、極論して生徒はブロイラーではないとまでアピールした。▼そういう原体験があるだけに、この間、募集定員数発表シーズンの職場の雰囲気にはどうも違和感があった。いつの頃からか、「減学級」が発表されると落胆の雰囲気が広がるのだ。「ウチの学校は人気がないのか」というように見てしまう。それと共に「学校の活力がなくなる」というような意見も聞く。それでは、学校の適正規模ってどの程度のものなのか。増学級時には過大だとハッキリ言えた。では過小というのがあるのか。▼もちろん、学級定員の引き下げ、それ以前に計画進学率や公私間比率の問題がある。教職員定数や異動の問題もある。それらを視野に入れつつ、財政の論理だけでの統廃合は論外として、「適正規模」は冷静に論議されねばならないと思うのだが、どうだろう。   (情宣部・三上弘志)
00.
4.28
第200号
 授業料値上げの論理への疑問
 府民向けの約束をキッチリ実行してもらおう
 「日本一高い授業料になったので、日本一いい教育をしていただきたい」と、府議会からも注文を付けられた、と校長等から聞く。その不当性等は本紙で再三触れられているが、府議会で授業料の値上げが決まり、飛び抜けて全国一になったことは間違いない。▼しかし、この言い方は、冗談として笑って済ませてもよいが、論理の飛躍どころか、ねじ曲げられたら、教職員に不当な圧迫感を与えかねない。「日本一多額の教育予算を確保したので」と言うなら、まだ少し筋は通るかもしれない。授業料の高さと教育予算の額とはつながっていない。第一、こんな論理がまかり通れば、教育予算を増額させるため授業料値上げを、などという本末転倒した議論になる。受益者負担や独立採算は公教育に馴染まないのは言うまでもない。▼とまれ、府教委は府民向けに色々の約束をせざるを得なかった。これをホントにやったら授業料値上げ分を遙かに上回る経費が要る。こうなったら、是非、空約束にならないよう実行してもらおう。その中には高教組が一大キャンペーンを展開した連結机の分離も入っているのだから、やってもらおうじゃないか! (情宣部・三上弘志)
00.
9.29
第207号
 「情報社会」の光と陰を議論し、生かしたい
 オフミ一つでもいろいろな面
 今夏、「情報」科免許取得の研修が行われ、俄仕立ての為、内容から環境迄、多くの不満が高教組にも寄せられた。ドタバタの中でのこと故、府教委を責めるのは酷だろうが、一日六時間で三週間も続くのだから是非、改善を望みたい。▼今年度から現代社会の一時間を活用、情報社会と銘打って先取り的な授業を試みている。数学のこの道の先輩も一緒になって相談しながらやっているが、結構刺激的で面白い。生徒諸君の方はどうだかイマイチ心許ないのだが。この一学期間だけでもIT革命を初めマスコミを賑わす言葉が氾濫し、森首相が言うと似つかわしくないナと思うが、その光と陰を指摘する議論も興味深い。▼この夏ペルーへ行く機会があり、ダラスですれ違った電機メーカーの貿易部の人との会話でオフミの話を聞いた。今話題のドラマ「リミット」でオフ会というのを耳にしたが、Eメールでやり取りしているメンバーがオフラインで出会う場のこと。ドラマでは犯罪の場に使われるのだが、この方の場合海外赴任先でこのミーティングに大いに助けられたという。海外在住日本人の選挙権取得もこの成果だ。過大でもなく過小でもなく評価することが肝要だ。