思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その15
 合間をぬって ちょっとだけ
 

憧れの(?)ロッテホテルに泊まる ソウルの旅 4日間 
はじめに…3回目のソウル、何とあのLOTTEホテルに3泊 
 2008年は、三上は無事(笑)、定年退職。若い人の職を危なくする再任用の道は採らず、非常勤(週20時間勤務)の「教育専門員」に。これの記念になるような家族でのイベントを4世代4家族9人、ハワイの旅14日間として実行。これは大正解だった。
 2009年は西矢も橋下の所為で退職金の削減には遭いましたが、無事定年退職。4月には息子一家が日本人学校へ赴任することになり、バルセロナへの引越しで慌しく、5月には娘の歩一家の市内新居への引越しで落ち着かず、そうこうしている内に、衆議院の解散総選挙もありそうな雰囲気で、こんなことしてたら、どこにも行けなくなる!…ということで、妙さんの海外旅行願望もあるし、短い旅なら何とかなるか!?という訳で、近場の韓国ソウルへの旅が実現。
 折りしもウォン安で韓国への旅のバーゲンセール真っ盛り、休日を含まなければ更にお安く、という具合で、6月22日(月)〜25日(木)、しかも普通では僕達が泊まるはずもない高級なロッテホテル宿泊で36500円也でOK。
 ただ、こういうパックツアーは飛行機が概ね遅く着き、早く戻るというパターンで、いくら近いとは言え、4日でも結局正味2日になってしまうのが通例。その分、最終日、三上は学校へ行き勤務、という按配になるのだが。そんな訳で、あまり真剣にプランも組まず出たとこ勝負的に出かけた次第。
 ただそういうええ加減なプランが、結果的にはなかなか充実した旅になり、かつ、奇遇と言うか、有り得ないと言うか、ビックリするような出会いにも恵まれた。
 ツアー予約やチケット予約が意外とスムーズに行き、下表のような結果に落ち着くことになった。
 6月22日(月)
全国観光のチャー(車)さんに遭遇
仁寺洞散策
 6月23日(火) 水原(スウォン)の華城/昌徳宮【どちらも世界遺産】 南山公園
 6月24日(水) 板門店ツアー(弘志)//南大門(恵子・妙) NANTA鑑賞
さすが、ロッテホテル。どことなく漂う高級感??

▲ロッテホテルの室内

 ソウルの中心部だけでも高級ホテルが林立し、これを国内の需要だけで満たすのは難しかろうと思われる。その外需を満たすのが日本人観光客ということになるみたいで、私達が利用したHISのツアーは大盛況で、今回は関空to金浦空港のコリアンエアーだったが、金浦空港にはHISだけでも4団体ほどのツアー客が降り立つ。
 マイクロバス1台もあれば、僕達のような普通の観光バス1台もあり、という訳だが、現地ガイドさんの仕事はホテル・空港の送迎だけで、どれだけオプショナルツアーを売り込めるかにギャラが関わるという感じだ。これが今回僕等にとっては大変好都合な事態になる。彼女は携帯電話で直ぐ空きを確認し、予約OKを確認してくれるという寸法だ。
 曜日が曜日だけに、日本人の大半は女性なのだが、往路で寄った免税店は化粧品の店で、真剣な買い物ツアーが展開されていた。それも郊外型店舗でなく、繁華街に近接した店舗だった。僕達には興味はないのだが、来てからプランを考えるのには最適で、かつ、添乗員さんにオプションを発注するにも最適な時間帯ということになった。
 今回も三上と西矢、西矢の母・妙さんの3人旅だったので、エキストラベッドを入れて3人のステイになるが、すっきり垢抜けしてケバケバしくはないが、高級感のあるホテルだった。
全国観光の創立記念式典に遭遇、車(チャー)さんと再開!

▲ロッテホテル2階の全国観光創立20周年記念式


 めったに泊まらない高級ホテルのロッテホテルだが、団体専用のフロアーがあり、そこで鍵を受け取り、デスクが置かれ、例のオプションの予約等を進める場所が確保されることになる。そこはレセプションとは違い2階の裏出口周辺なのだが、2階はまた、レセプション会場でもある。ここが大切な点なのだが、この2階を通過しなければ、何処の誰がレセプションをしていようが問題外なのだ。ただここを通ってしまうので、いやでも看板が目に付き、しかもそれが漢字。「全国観光…」
 全国観光、この日本的な命名、これって、三上が大冠高校の韓国修学旅行でお世話になった現地(韓国)旅行社ではないか。中でも下見から本番までズッとリードして下さったのはチャー(車)さん。こんな機会は滅多に無いので、もし居られれば会いたいものだと思った。しかし、転職されているかも知れないし…。でも、思い切って準備中のスタッフに尋ねる。そうしたら「チャーなら間も無く来ます」とのこと。ほんとに間も無く来られて、偶然の超久し振りの再会を喜び合う。
 韓国修学旅行は2002年だから、7年振りだが、あの時主担だった津田さんは転勤し春日丘で学年主任、この秋には再びチャーさんをリーダーに韓国修学旅行が決定しているとかの話で盛り上がった。わざわざ全国観光を尋ねるほどでもないし、こういうツアーでなければロッテホテルに泊まることも無かっただろうから、幾つもの偶然が重なった結果だった。
角度を変えて見た、歩いたソウル・スウォンは違った趣き
 

▲仁寺洞の韓食レストラン街で

三上にとっては、修学旅行絡みで都合5回目になる韓国。妙さんは何度か来ているが、パックツアーでソウルはゆっくりしたことがない。西矢は金貞美との再開と職場の友人とのパックツアーとで3度目。三上・西矢で来た実質初韓国の時のようにイチョン(仁川)で陶芸土を探すとかもなく、サアー次は何をしようというのんびりした旅でも、生来の気質で結構詰めつめの計画にしてしまう。
 一度来ていても何年振りかに再訪すると意外な側面が見え、面白いものだ。こういうパックにしては早めにチェックインできたので、1日目の夕食は金貞美と食事した仁寺洞へ出かけたが、こういうレストランで自分達だけで注文するのは初体験で、意外と高いのに困惑。日本でもそうだが、量とかがわからないので、注文したりキャンセルしたりと戸惑いもあった。ナムルとかが無料で色々付いてくるのが誤算の元だった。

 三上は修学旅行の中心的なイベントだった三一高校との交流が水原市だったので訪問済みなのだが、良い所なので、3人で訪れる。7年前はもちろん車で移動したが、今回は鉄道で。だから初めてのソウル駅だったが、いつものことながら切符の購入に手間取る。由緒ありそうな旧駅舎は閉鎖中で新駅は大変モダン。プサンまでの幹線に乗るのだが、特急(ムグンファ号)の指定席で30分、何と日本円で約200円。ウォン安とは言え、これは凄い。
 水原に着いて、駅前からタクシーに乗るのだが、初めて水原市の繁華街と華城との位置関係が判る。修学旅行の韓国の高校生との自由交流で僕達教員が待っていた所(北端の長安門付近)にどのグループも来なかった訳が判明。華城の南端の八達門周辺が繁華街なのだ。三一高校は華虹門近くにあり、この門が最も見応えがあるので、そこからの眺めは前回通り素晴らしかった。梅雨時なので心配した天候もスッキリし、青空が続いた。
▲ソウル駅の旧駅舎 ▲水原駅に到着したムグンファ号 ▲華城の華虹門の中
 
▲華城の華虹門 ▲八達門の南側から  
午後、入場時間ギリギリ、急いで昌徳宮へ
 水原から、再び特急でソウルへ戻り、見学(日本語ガイドつき)に間に合うようタクシーを飛ばして、昌徳宮へ。
 ここは、景福宮と並ぶ王宮で、最も韓国的な風情を残すとされる。日本語ガイドの宮殿内ツアーの最後の組に間に合ったが、大変な大人数でガイドさんの声が聞き取りにくいくらいだった。暑いくらいの好天だったが、緑が多いせいか、爽やかなツアーだった。
 
▲カラフルな仁政殿 ▲一番奥の図書館前 ▲帰り道の仁政殿一帯
夜は夕食後、ケーブルで南山公園へ
 ホテルのロケーションが良いので、夜の観光には大変便利。二日目もホテルから明洞へ出向き、夕食を済ませて、今や若者のデートスポットになっているという南山公園へ。タクシーとケーブルで一気に登れる。音と光のマジックショーをやっていて、工夫がこらされているのだが、ソウルタワーに登るのは足が不自由な妙さんにはきつ過ぎるので断念。親切な青年がケーブル駅から展望台までおんぶしてくれて、妙さんはいたく感動。
 
▲明洞で夕食。辛〜い海鮮鍋 ▲ソウルタワー ▲南山公園からのソウル夜景
最終日、三上は遂に板門店へ
 初めに書いたHISのガイドさんがバスの中でオプショナルツアーの一覧を配り、注文を受け付けてくれたが、その中に、板門店ツアーもNANTAもあった。板門店は出かける前、日本でネット予約しようとしたが、直前過ぎてダメ。8年前にもソウルに着いてから急遽予約を取ろうとしてダメだったので、またダメかなと思っていたが、いとも簡単に予約が取れ、ビックリ。料金だけは日本でのネットの1.5倍くらいだったが。
 ロッテホテル前集合でバスに乗って出発。面白いのは、どちらも韓国人だが、日本語ガイドと英語ガイドの二人が添乗することだった。要するにこの2カ国(日米)人の参加が多いということなんだろう。
 あの有名な板門店のJSAだけでは、アッと言う間に終わるからか、前段に統一公園に立ち寄り、臨津閣(イムジンガク)で展望し昼食。そして、いよいよJSAへ、となる。(免税店や土産物屋目当てではないようだ)。このツアーは2社のみ許されているようで、三上が参加したのは在郷軍人会が主体の会社。だからか、統一公園なんかは朝鮮戦争に関わるナショナリスティックな像や碑が並んでいた。
 この時期、朝鮮半島の南北は少し緊張状態にあったようだが、そういう影響は感じられず、周辺農家を含め写真撮影の禁止区域が厳しかったくらいだ。一応すべては国連司令部の指揮下にあるということになる。
 日本人は20人弱で、あまり交流はしなかったが、意外と各地から来られていて、広島や長野、千葉などから。HISのツアーではないから、飛行機も広島空港、中部空港、成田とかから、ということになる。
 因みに西矢は妙さんの体も心配なので、南大門でショッピングに勤しむことになった。
▲肉弾十勇士? ▲自由の橋(捕虜交換) ▲臨津閣からイムジン川方面
▲JSA。後は軍事停戦委員会会議場 ▲本会議場の内部。微動だにしない衛兵と
最後の夜は、NANTA(漢字で乱打)鑑賞
 日本でも公演し、注目を集めたナンタだが、なかなか見る機会に恵まれなかった。初めに書いたガイドさんのリストにあったので、注文。特別席で1000円ほど高いがその値打ちはあった。夜8時の開演なので、ゆっくりホテル近くのチョッと高級な韓国焼肉店で夕食をとって出発。
 常設の劇場を持つまでになっていて、観客も8割方の入り。西欧人も結構混じっていた印象。ただ、料金は普通で4400円と韓国の一般人にとっては少し高価な感じがした。
 それが売りになっているが、言葉は韓国語なのだろうが、判らなくても、十分通じる構成になっている。ストーリーは複雑ではないので、概ね理解できるわけだ。マア、基本は厨房での出来事だ。色々なものが楽器になるのだが、テレビとかで見るのと決定的に違うのは「匂い」だ。料理するのだから、煮炊きすれば匂って来る。その臨場感は流石だ。
 公演中に参加型で観客を巻き込むのだが、三上は特別シートの端に居たので、招き入れられることに。もう一人の参加の女性が作るギョーザを運びながら、伸ばし棒とかを叩いて音を出す。楽しい体験だった。
 終盤、まるで鬼太鼓座のような和太鼓あり、韓風のサムルノリとの融合みたいな世界だった。終演後、全キャストがお見送りしてくれるのだが、そこで再確認したが、全キャストはたったの5人なのだ。そしてもう一つ気が付いたのは、メンバー表に「RED」とあったことだ。言わば赤組で、きっと青組や黄組もあるのだろう。ファンクラブとかも盛んなのだろうか。
 舞台での撮影は禁止だったのでここにアップできないので残念!
▲NANTA舞台 開始前 ▲メンバー表 ▲終演後の出演者

 初めに書いたように、最終日は早朝5:40にホテル集合というキツイ日程。でも免税店にはシッカリ寄るというプラン。それも朝から40分もここで。且つ、高価格。金浦空港を8:40にテイクオフで、三上は午後には大冠高校に居た次第。
 板門店ツアー(9000円)やナンタ(5400円)を別にすれば、ウォン安のお陰か、食事も割安だったし、妙さんの歩き難さからよくタクシーに乗ったが、鉄道運賃を含め、費用は余りかからなかったことになる。
  前に(1988年)、ベルリンの壁を西からも東からも見たその次の年に壁は崩壊したので、三上が軍事境界線を見たから、次の年はそれが崩れる。等と言ったら、チョッと不謹慎なくらい、先行き不透明な東北アジア情勢ではある。
 


Copyright © 2009 MIKAMI HIROSHI