仮説演繹法 : Hypothetico deductive (暫定的)

 仮説演繹というのは帰納法の一種であるといわれます。これは、

 データを説明する仮説(あるいは理論)を考えた

 この仮説(あるいは理論)と前提条件から演繹して考えるとある結論、予測、あるいは予言を導くことができた

 そのような結論、予測、予言は観察や実験で確かめることができる

 そこで、実際に確かめてみる

 このことで最初に導き出した仮説(あるいは理論)の確からしさを検証する

というものです。この方法論は予言を導き出すところは演繹ですが、予言が正しいかどうか観察例を集める点で帰納的です。そのため帰納法の一種であると言われるそうなのですが、仮説演繹という方法論は科学の世界では非常によく使われます。有名なものとしてはニュートンの万有引力とか、あるいはダーウィンの進化理論などがその実例となります。例えばダーウィンの進化理論の場合、

 すべての生物には変異がある

 産まれたすべての生物が生き残り、子孫を残すことはできない

 それぞれの変異によって子孫を残す割合には違いがある

 地域などによって環境には違いがあるために、子孫を残しやすい変異は地域などによって違う

 ゆえに生物は共通の祖先から異なる特徴と性質を持った複数の子孫へと分岐する

以上のこのような事柄からダーウィンは彼の進化理論を提案し、そしてその理論をサポートすると思われる事実を大量に集めてみせました。ようするに仮説あるいは理論から演繹される結果をサポートする事柄を(執拗なまでにうんざりするくらい大量に)帰納的に集めてみせたわけです。こうした作業はまさしく仮説演繹なわけですが、例えば彼が提示した事例には次ぎのようなものがあります。

 属の大きさとそこに含まれる種の数と、種相互の類似の度合いの違い、そしてそれらの相関的な関係

 品種、種の個体にしばしば類縁の種や品種に見られる特徴が散発的にあらわれること

 類似しているが異なる特徴を持つ種が隣接した地域に分布する

 化石で知られる種が、現在の大きく異なる複数の種を結び付けるような中間的な特徴を持つこと

 類似した環境であるにも関わらず、例えば南米とアフリカの生物相は異なり、むしろ同じ地域の過去の絶滅動物に類縁が近い

さらにこのような事柄に加えて、ダーウィンは家畜品種の作出の過程やその様子、一見すると種の出現が突発的に見えることが記録の不完全性と人間の認識のあり方で説明できること、交配実験やいわゆる生存競争の観察など、といった事例も集めているのですが、これらは実験にかなり近い作業であるか、あるいは実験そのものであったと言えます(ともかく参考文献として「種の起原」岩波文庫を読むことをお勧めします)。

 注:ちなみに彼の著作では、自説をサポートする観察例を集めるのみならず、自分の仮説の致命的な弱点となりうる証拠。ようするにいわゆる反証になりそうな証拠に対する検討に非常に多くのページがさかれています。場合によっては、このことに関して自分の仮説をサポートする証拠は、これはもうみんな知っているよね、だからむしろ致命的な弱点と思われる箇所に関して・・・、と言って自説に肯定的な事例の列挙ではなく反証を説明しうる仮説と事例の列挙に力を注いでいるようにも見えます(例えば生物の地理的分布に関する章など:ただしあくまでも北村の解釈ね)。まあこういうのを見るとダーウィンに非好意的な人間は(ダーウィンは悪い人という仮説に基づいて解釈するだろうから)ダーウィンは手を抜いたと受け取るかもしれません。しかし実際のところ、そういう場合ダーウィンは種の起原のなかで自分や著名な他の研究者の過去の著作やレポートを引用しています。ようするに自明なことは参考文献を見なさいというわけです、おそらく(そりゃあ確かにひとつの論文を書くにあたってそのジャンルの歴史と予備知識をつらつら書き出すやつはいないわな)。

 というわけで、種の起原を読むにあたっては「ビーグル号航海記」や現在の進化学の書籍である「進化生物学」D.Jフツマイヤ 1991 蒼樹書房 などを参考に。他の適切な文献はまたおいおい補完。

hilihiliコンテンツ内部の種の起原を読む、はこちら→ 

 このようにダーウィンのやったことは仮説演繹の典型的な実例だといえるでしょう。

 仮説演繹法は帰納法の一種と言われているのですが、かつて、科学の主流とは仮説演繹なのか、あるいは枚挙帰納法であるのか?、そうした議論があったそうな。その議論の過程そのものの詳細は詳しくしらないのですが(だからこそ、このコンテンツは暫定的なものである)、少なくとも枚挙帰納法は以下に示すような問題点や疑問を指摘されたようです。例えば、

 帰納法は観察の積み重ねで理論や法則をつくるというが、観察と理論の作成との間に論理的に正当化できるようなつながりがあるようにはみえない、幾つかの例からすると帰納が理論をつくりだす適切な手段であることに疑問がある

 有名な幾つかの科学理論をとって考えると、どうもそれらの理論は事例を積み重ねて結論を得るという枚挙帰納法では導き出すことができない。ようするにこうした科学理論の形成には枚挙帰納法が使われていない

 最初に仮説をたてて考えないとそもそも枚挙帰納法が(あるいはその重要なテクニックが)使えない

といったものがあります。実際そうした指摘は読んで見る限りではかなりもっともらしいので、おそらく正しいように思われます。つまり人間は(帰納的な作業自体は確かに行なっているが)事例をたくさん集めてそこから純粋に枚挙帰納的に理論を抽出しているわけではない、ということらしい(参考として「科学哲学の歴史」ジョン・P・ロゼー 1974 紀伊国屋書店 の帰納主義 VS 仮説ー演繹的科学観 と「疑似科学と科学の哲学」 伊勢田哲治 2003 名古屋大学出版会 。よりくわしくはおいおい補完。また、「系統分類学 分岐分類の理論と実際」 E.O ワイリー 1991 文一総合出版 pp20~22における指摘も興味深い内容です)。

 一方、仮説演繹が科学において非常によく使われる方法であるということは、そのへんの科学記事を読んでみると、よく分かります。そうした科学者の書いた記事や文章を読むと、

 計算結果からこのような結論が得られたが、それを確認することができた。あるいはできなかった。

 あるいは確認可能な結論や予想、予言が導けない、どうしよう・・・・・

という記述を簡単に見つけることができるからです。ちょっと北村が手持ちでもっている科学者の書いた記事から面白そうな箇所を抜粋してみましょう、

 

 宇宙論検証のカギを握る重力波観測 コールドウェル/カミオンコウスキー 2001 「日経サイエンス 2001 4」

インフレーションによる重力波で最も強度が強いのは、観測しようとする宇宙の直径に匹敵するほどの長い波長の波だ。こうした波を検出するには、―中略―自然はこれにあつらえ向きのものを用意してくれた。それは宇宙背景放射を放射する原子プラズマだ。 pp53

 

 現代宇宙論を採点する ピーブルス 2001 「日経サイエンス 2004 10」

現在進められている観測計画の結果がインフレーション理論に特有の特徴に合致するのなら、その時私たちはこの理論を説得力のある主張とみなすだろう。 pp68

 

 光速不変に挑む新理論 マグエイジオ 2001 「日経サイエンス 2004 10」

インフレーション理論と光速変動理論のどちらが自然に合っているかは、観測結果次第だ。 pp71

   

 平凡な星たちの華麗な最後 バリック&フランク 2004 「日経サイエンス 2004 10」

双極惑星状星雲の形成に関して、恒星風相互作用モデルに基づく検証可能な仮説をたてた。―中略―しかし、残念なことにこの予測ははずれてしまった。 pp47

星の構造と成長に関する理論は、20世紀の科学がもたらした最大の功績の1つだ。この理論は多くの星の観測結果と見事なまでに合致している。―中略―しかし、いまだに大きな欠陥が残されていることも否めない。 pp50

 

 陽子は崩壊するか ロセッコ/ライオネス/シンクレア 1985 「サイエンス 1985 8」(現在の日経サイエンス)

陽子の崩壊を観測し、その寿命を測定することは、理論の正当性を調べるうえできわめて重要なのである。 pp32

そうした理論を検証する方法のうち、説得力のあるのは陽子崩壊の観測だけであるとかんがえられているのである。pp42

 

 超弦理論 グリーン 1986 「サイエンス 1986 11」(現在の日経サイエンス)

内部矛盾がなく予言能力があるという超弦理論の優れた特徴に、― pp49

残念なことに、もっと普通のエネルギーで実験可能な予言や観測可能な予言を、理論から引き出してくるのが難しい。―中略―したがって、理論の低エネルギーでの予言を導きだそうとする試みは、どれも推測を含んだものだと考えるべきであり、具体的な予言を得るには厳しい問題が幾つもある。 pp62

こうした科学者の記述や言動を見る限りでは、彼らが、

 仮説から演繹された予想、推理、予言を実験や観測で確認することによって仮説を確かめる

つまり仮説演繹で行動していることが明らかにうかがえます。仮説演繹が科学の世界で広く使われている方法論であることはまず確実でしょう。

 ところでここで疑問が生じるのですが、そのそもそもの始まりである仮説ってやつを科学者はどのように見つけるのでしょうか?。

 アリストテレスは帰納法でと考えたようですし、事実、枚挙帰納法でそれを行なうのだという考えがあったのも事実です。場合によっては既存の科学理論から演繹的に導き出すこともあるでしょう(あるいはあるらしい)。ですが研究者というのは、しばしば演繹でも帰納でもないまるで違う方法論で仮説を見つけてくるようです。それが仮説発見というものです。

 

 

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