詭弁:進化学と系統学を通して詭弁を考える・その1
わらし:ミラ、ちょっとこっちにきなさいよ。
ミラ:何?
わらし:あなたの詭弁は中途半端なのよ。こんなことではスタンダードな進化学や系統学には勝てないわよ。
ミラ:はあ・・・。
わらし:だから詭弁を極めるためにこれから詭弁のあり方について話し合うだ!!
ミラ:なんで、田舎言葉っぽい語尾になってるのよ、あんた。
わらし:いいかっ、進化学や系統学に反対する人たちの詭弁にはだいたい次ぎのような特徴があるだ。
1:ともかくなにがなんでも自分のコアを守るのが目的
2:実験、検証の無視
3:意図的、あるいは無意識な愚鈍
4:価値観と論理の混同
5:確からしさの違いを無視する
6:補助仮説を必要以上に大量投入する
7:陰謀論
こうしたいわば伝統的な詭弁の極意を学び取って、そして自分のものにしなければ戦えないだ!!
ミラ:いや、その・・・なんか不穏当な名詞が並んでいるわね・・・。
わらし:だめよっ、そういう感想を抱くのがそもそも間違いなのよ。いいっ、そもそもこれは負け戦なの。詭弁を語るにはまず最初にこれを認識するが肝心ね。
ミラ:勝つ話をしておいて、いきなり負け戦かよ。
わらし:圧倒的に激しく負け戦であるにも関わらず、負けていない、互角だ、いや、むしろ勝っている!! こういう根拠もない確信を抱くことが第1よ。
ミラ:ええっと・・・そういうことを私にしろと?、ちょっと冗談じゃないわよ、現実問題として負けているんでしょ?、それでもやれだなんて、何よそれっ!!
わらし:大丈夫。たしかに本当の戦なら敗北は死を意味するわ。劣った技術を持っていたら負ける。現実を操作する能力に劣ったり、現実を無視した方針を示したり、効果的でない政策を施行したり、こうした失敗をした指導者や組織は淘汰されてしまうのが現実世界よ。だけどこれはそういうレベルの戦いじゃないわ。頭でっかちな人が大好きな言葉だけの世界なのよ。ここではそこまで強い淘汰は働かないから安心しなさい。
ミラ:そうかなあ。だって・・、だって科学って実験するもんでしょう? 検証されたらひとたまりもないわよ。目の前に実験結果を突き付けられたらどうするのよ。敗北よ、敗北なのよ。
わらし:あなたは科学者じゃないんだから、実験なんかする必要はないわ。ましてや検証とか実験を認める必要もないのよ。そもそも昔、ジョージ・オーウェルはオブライエンの口を通して語ったわ。
科学や技術の世界では2+2=4でなくてはいけないが、政治や宗教の世界では2+2=5でもいい
これは厳密には科学というよりも数学の話かもしれないけど、でも、現実世界の一端を語っている言葉よね。科学の世界では現実が大事だけど、他の世界、例えば科学以外の思想や学問ではそうではないのよ。だから平気。
ミラ:ええっと・・だから実験や検証を無視しろと・・・?
わらし:無視しても死なないんでしょ? だったら無視してもいいだろうが。無視しろ、無視。無視しないとあなたは負けるのよ。
ミラ:でも事実上は負けているんでしょ?
わらし:そうよ。でも死なないでしょうが。
ミラ:じゃあなによ、事実上は負けているのに、死なないことをいいことに、私は負けていない、私は負けていない、私は負けていないって、敗者のくせに呪文のように言い続けろってこと?
わらし:そうよ。
ミラ:ちょっと!! 冗談じゃないわよ、なんでそんな恥じもなにもかもかなぐりすてたようなっ!!
わらし:えい、うるさい、こうだっ!!
ミラ:あーーーーーーーっ!!!! あっばばばばばばばばばばっ・・・、あー、なんかだんだんそういうことに平気になってきましたあ〜〜〜〜。
わらし:ふう、さっそく効果が現れたようだな。これが詭弁の極意の3、意図的あるいは無意識の愚鈍、なのよ。負けているのに負けていないと言い切れること、そしてそのことに恥じとか後ろめたい思いを抱かないようにする。これが無意識に実践できるようになれば本物に近付けるわ。
ミラ:はい、わかりました。これは、じっけんや けんしょうを むしする ことにも ひつようなのですね?
わらし:その通りだあ。実験や検証を認めた瞬間にミラちゃんは負けを認めたことになるのよ。だから認めてはいけないわ。
ミラ:はい、わかりました。詭弁の極意の2、実験、検証の無視、がこれなのですね?
わらし:そうだあ。科学の根幹のひとつは仮説の確からしさを実験や観測によって検証することにあるわ。だから実験と検証という作業の重要性やその方法そのものを理解した瞬間にあなたは負けてしまう、反対にいえばそれを理解しなければ負けを認識しないですむのよ。いつまでも、永遠に。
ミラ:現実には負けているが、認識では負けていない、そういうことですね?
わらし:そうだあ。もしこれが戦なら死ぬわ。もし戦でなくてもジャングルや海のなかで間違った判断をすれば死ぬわ。スポーツでは敗北。科学では話にもならない。でもね、そんな世界に参加していない私たちならそこまで厳しい淘汰は働かないのよ。私たちは知的に劣っていてもそうそう死にはしないわ。この世界はまさにパラダイスね。こんなすてきな世界に下世話な現実なんてものが必要かしら?
ミラ:つまり間違った認識をしても社会のなかではそうそう死なない。だったら認識では負けていないという行動をしても生きていけるのですね?
わらし:すくなくとも究極の敗北は経験しないですむから安心してありもしない勝利を味わっていていいのよ。
ミラ:なるほど理解しました・・・・って、うんがっうんんんんっ・・・って、ちょっと、なによこれっ!!
わらし:おっ、正気に戻ってきたか。これあまり長時間効かないのよね、残念無念。
ミラ:てめー、このくそがき、なにしやがんだ!!
わらし:でも気持ちよかったべ
ミラ:気持ちいいもなにも、頭の一部が死んだような感じだったわよ
わらし:死んじゃいねーよ、麻痺だよ、麻痺。
ミラ:同じだ、タコっ!!
わらし:でも悩みはなくなったべよ。どうだ、ほれ。うん?
ミラ:まあねえ・・・。でも、進化学や系統学に反対するのって気持ちよくなったりするためじゃないでしょ?
わらし:おらは当事者じゃないから良くは分からないなあ。ただ、少なくともその人にとっての大事なものを守る効果はあるみたいだな。
ミラ:大事なもの?
わらし:例えば創造論者っているわよね。
ミラ:いるわねえ。聖書に書かれてあるように文字どおりに地球や宇宙が7日間で創世されたと考えている人たちでしょ?
わらし:あの人たちの場合だと意図しようがしなかろうが詭弁によって”聖書が正しい”という信念を守っているんでしょうね。
ミラ:でっ、愚鈍なわけ?
わらし:さあどうかしら。意図的な愚鈍というのは詭弁のいわば理想論だしね。現実にそうであるべきというわけではないわ。でも、例えば創造論者が、
天地創造の後に同じ祖先から同属の別種が生じたことは認めたとしても、キツネやイヌのような別属のものは進化によって生じない
と主張する時、そこには自然の生物に対する観察力や知識が欠如していることは否めないわよね。
ミラ:なるほどね。じゃあ系統学に反対する人たちはどうよ?
わらし:そもそも系統学に対する違和感を持つ人のいらだちの元は、そうねえ、例えば系統学の成果が自分達の認識とずれがあることに対するものよね。
ミラ:具体的には?
わらし:例えば系統学にしたがうと鳥は恐竜で爬虫類だし、人間も犬も魚の一種になるから、そういう系統学に対する違和感がひとつあるわけよ。
ミラ:まあ確かに違和感はあるわよね。でもその人たちの大事なものってなによ?
わらし:自分達の認識でしょ? 獣と魚は違うとか、鳥と爬虫類は違うとか、そういう認識。それを守っているんでしょうね。
ミラ:でも・・・その認識って・・・。
わらし:そう認識したってだけよね。それだけだったら神様が世界を作ったんだ、という認識となんら変わりない。すくなくともどちらも”私はそう思う”といっているだけだし。
ミラ:信仰告白のたぐいだってこと?
わらし:すくなくとも両者の区別はつかないわよね。
ミラ:たしかに・・・・獣と魚はまったく違うものだっていう自然科学に基づいた論文ってないわよねえ。
わらし:鳥と爬虫類が違うものだっていう論文もないわよね。
ミラ:ふーんんんっ、だとするとこれもまた大事なものを守るための詭弁ってこと?
わらし:違和感だけだったら詭弁ではないわね。でも自分たちの認識と違うからそれは間違っているに違いないっ!!てその人が言いだしたら・・。
ミラ:それは詭弁ではないかと。
わらし:系統解析に基づいて出された系統仮説が目の前にある、それはすでにある程度検証されている。そうであるにも関わらず反対する。でも自分達の認識の確からしさや自然科学に基づいたリポートは提案しない。そうなったら。
ミラ:そうなるともう、まぎれもない詭弁だわね。実験、検証の無視、と、意図的、あるいは無意識な愚鈍、というわけね。
わらし:さて、そもそもこういう詭弁が出てくる動機は詭弁の極意の1、ともかくなにがなんでも自分のコアを守るのが目的、にあるわけよ。
ミラ:コア?
わらし:その人々にとって守るべき中核のことね。創造論者なら信仰がコアになるし、系統学に反対する人なら自分達の認識などがコアになるのでしょうね。そしてコアに対してどう向かいあうのかが科学者とそうじゃない人の違いになるわけよ。
ミラ:じゃあ今度はそれを見るわけね?
わらし:その通り。じゃあまずは科学者の考え方を見てみましょう。