1984年と科学:その1
:1984年という作品
1984年、原題 [ NINTEEN EIGHTY-FOUR ] George Orwell 1949 (日本語訳は「1984年」ハヤカワ文庫 新庄哲夫 訳)。作者はジョージ・オーウェル、これはペンネームで本名はエリック・ブレア(1903~1950)、インドうまれのイギリス人。
インドの帝国警察に就職してビルマで勤務。後に退職して作家に。社会主義者で1936年、スペイン内乱、つまりスペイン共和政府に対するフランコ将軍の反乱で始まる内戦(結果的にフランコによる軍事政権が樹立される戦い)に市民軍側の義勇兵として参加。第二次世界大戦の時にはBBCに勤務。小説1984年は大戦終了後の1946年から書かれ、1947年に完成の予定であったけども作者の健康がすぐれず出版が遅れ1949年に。
ちなみに題名の1984年とは1948年の48を逆にしたものだとか。
さて、一般的に小説1984年は出版当時から見て30数年後の未来を予想し、恐怖の管理社会、恐るべき全体主義の到来とその危険性を描いた本である。そう言われます。
作中の設定としては第二次世界大戦集結後、50年代に核兵器を用いた戦争がぼっ発、その過程で世界に3つの超巨大国家が出現。中国と東南アジア、日本が統合されたイースタシア。ソ連と大陸ヨーロッパを統合したユーラシア。そして主人公ウィンストン・スミスがくらすオセアニアが成立しています。オセアニアは大英帝国と南北アメリカ、オーストラリア、および大平洋の島々を統合したもので、スミスはイギリスのロンドンにすんでいます。3つの超国家は互いに連合したり裏切り、不意打ちすることをえんえんとくり返して果てしない戦争状態にあり、ロンドンには毎日のようにロケット弾が着弾して死者がでている。国民はほとんど全員が栄養失調状態で、日用品はなにもかも欠乏。すべてのものが配給制。オセアニア国も含めてどの国も一党独裁体制で、国民は厳しく管理されている自由のない世界。
ストーリーを短くいうと、主人公スミスはオセアニア国を統括するただひとつの政党、イングソック党員の一人。自由が許されない管理された過酷な世界で主人公はある女性党員と出会います。しかしこの世界では自由恋愛までも規制されているので、主人公は彼女との密会をひそかに楽しむことになります。オセアニアでは男女がそういう関係になること、それ自体がじつは命をかけた反体制行為。2人は密会を重ね、あまつさえ反政府組織に身を投ずるまでに。しかしついにつかまり、投獄されます。スミスは過酷な尋問と拷問のはてに党に完全に屈服し、党を受け入れ、自分のやったことを懺悔し、党に許しを求め、そして許されること、処刑されることを受け入れ、喜びのなかで銃殺されます。
スミスを直接屈服させるのはイングソック党のさらに内部に存在するエリート集団、内局(インナーパーティー)の一員オブライエン。イングソック党そのものは、イングリッシュ・ソーシャアリズム(英国社会主義)を短くいったもの。
この作品が出版された時、イギリスを含めた西側諸国はスターリン率いるソ連と対峙しはじめていました。だから1984年はソ連と社会主義の脅威を告発した作品であると受け取られたようです。そういえば北村の中学校時代の知り合いでもオーウェルは右翼で、社会主義が嫌いなのだと誤解していた人もいましたね。まあ彼はかなりうわすべりする人間だったからこういう誤解は稀な例かもしれませんが、そういう受け取りかたをされる人、あるいは作品であったと言えます。
ともあれ1984年は管理社会、全体主義の告発という側面も持っているので、最近ではアメリカのブッシュ政権を批判する劇の題材として使われたりもしたようです。
:1984年の実際
とまあ、以上は一般的な受け取り。実際には1984年という小説、かなりとんでる作品で、むしろギャグ漫画みたいなものだと思えばいいでしょう。例えば核戦争の後という設定なのに、主人公のすんでいるロンドンには、首都であるにもかかわらず原爆が投下されていないらしい。爆心地とかクレーターなんてないし、そもそも昔の街並がちゃんと残っている(コルチェスターという街には投下されたという設定)。落ちてくるロケット弾も未来兵器というよりは第二次世界大戦でドイツ軍がロンドンに打ち込んだV1、V2ロケットを思わせます。スミスが街を歩いていると労働者階級のおっさんがスミスに「旦那!!、蒸気船だっ」と警告を発して、スミスが身をふせた瞬間、ボガんっと着弾するシーンがありますが、知人に聞いたらV1ロケットはパルスエンジンだったせいか特徴的な音(ボボボボボボボッ)がするので、なんか独特な呼び名があったのだとか。
爆発の描写もリアルで、黒煙ともうもうとたちこめる漆喰の粉、飛び散ってスミスの体におおいかぶさる無数のガラス片。手首のところでもぎとれた人間の真っ白な手、着弾地点にただちに集まる人々。瓦礫の下から運び出した人間の死体がぐんにゃりしていて重かったという回想など、大戦中の経験をそのまま書いているとおぼしき部分があります。
作中にはトラファルガー広場がちゃんとあって、そこには、”エアストリップ・ワンの戦い”を記念した指導者の像があるという描写がある。
エアストリップ・ワン、つまり滑走路一号とは、この世界におけるイギリス、あるいはブリテン島の呼び名です。つまり、この”エアストリップ・ワンの戦い”とは”バトル・オブ・ブリテン”のこと。ようするに大戦の初期に起きたナチスドイツ空軍とイギリス空軍の戦いのことなんですね。
バトル・オブ・ブリテンには勝利したが、いまだに空から着弾するロケット弾が脅威となる貧困の世界。
1984年の街と戦争のイメージは大戦末期のロンドンそのものらしい。
貧乏描写もふるっていて、配給が足りないので剃刀の刃がなくて困っている。石鹸は質が悪くてがさがさ。これサッカリンじゃないの、本物の砂糖なのよという会話、まがいものでない本物のコーヒー豆をいっている匂いが一瞬してスミスが街中で立ち止まるシーンがあったり、本物の紅茶だ、黒イチゴの葉じゃないんだね!!と驚いたりする場面があります。ロンドンから郊外へいく日曜日の電車の中では、スミスと「これから闇市へちょっと買い出しにね」、と楽しく会話する労働者階級がでてきたりもします。
ですから1984年というのは、オーウェルにとっても読者にとってもつい最近の出来事をリアルに描いた小説なのでしょう。
:矛盾だらけでおかしな小説
それにしてもこの小説、異世界と恐怖の全体社会を克明に描写したものと真面目に考えると矛盾だらけ。体制に反逆し発覚しなかったものは誰もいないと書く一方で、すぐ後で自殺の原因の大半は発覚を恐れてのものだと書かれている。なんでそんなこと知っているんだスミス? 大衆の前で演説し、敵国をアジる弁士はドイツの伝説にでてくる小人のようだと描写されているけど、考えてみればオセアニア国はドイツどころか大陸とはなんの交流もない。
秘密警察が主人公たちを拘束しようと突入する瞬間、部隊指揮者のチャリントンはまさにこの瞬間ぴったりなブラックユーモアとして童謡の一節を叫ぶのだけど、これはこの世界の一員としてはほとんどありうべからざる行動であり、思想犯罪に近しいものではないかとも思えます。チャリントンはいい味を出しているキャラで、砕かれた珊瑚の文鎮を見て「それを拾いたまえ!!」と部下に厳しく命令するところが個人的にはたまりません。
拘束されたスミスの監獄にはなんでか知らないけど、ここぞとばかりに次々に職場の友人がまったくの別件で連行されてくる。だけど、描写としてもストーリーとしてもこれにいったいこれに何の意味があるのかよく分からない。むしろギャグに近いかもしれません。彼らを連れてくる将校はきらきら光る皮具と黒い制服をぴっちり着こなしているのだけど、描写を聞くにまるで安物映画のナチス将校か、さもなければどっかのいけない風俗のようだ。
スミスを尋問するオブライエンは筋金入りの権力マニア。完全無欠に、しかし自分を無自覚に自覚している狂人です。拘束されたスミスを徹底的に尋問し、果てしなくイングソック党と彼らの哲学を語ります。しかしそんな彼のいっている内局のあり方が正しいのなら小説の他の描写がなりたたない。実はエリート集団の内局からいろいろな物資が横流しされていると他のページで描写されているのですが、ところがオブライエンを通してみる内局の姿とは、完全無欠の鉄壁の一枚岩を誇るイデオロギー集団にしか見えません。いったいどちらが正しいのか? もしかしたら彼の語るイングソック党の恐るべき権力構造とは、じつはオブライエンのまったくの虚構なのでしょうか? それとも横流しという現実世界にあった描写と、小説のキャラが乖離していると見るべきでしょうか。
主人公のスミスからして、いわば未知の変な神経的な病気というか症状の持ち主で、詩的で美しいけども、ちんちくりんな白昼夢を突然見てしまうかなり変わった人物です。だから物資の欠乏、健康をひどく害した肉体、党から加えられる過酷な残酷描写がえんえんと続くなかで、突如、小説の内容が宮沢賢治のようにひどく美しいものになったりします。
1984年は書かれた時代からすると一応、未来小説であって、まあ広い意味では、その意味ではSFです。事実、未来的な要素がないわけではありません。1984年の世界では戦闘ヘリが戦争における重要な兵器だそうですが、ヘリコプターが戦争で本格的に使われたのは朝鮮戦争(1950~53休戦)、ベトナム戦争(1965~73)あたりかららしいので、時代を先取りしているように思えます。
一方で戦艦の延長にある浮遊要塞というのも出てきますが、こちらは多分に空想的な兵器でしょう。とはいえ、小説世界では、浮遊要塞は無駄に資源を消費するという役割も担っていますが。
1984年という小説は、作者や当時の読者にとってつい最近の出来事である世界大戦に大幅な基礎を置いている。そしてそのなかに、作者が突如、純粋で異常な権力者イングソック党という非現実的な存在を持ち出してきているので、現実的な背景との矛盾を作っているように思えます。
内局員オブライエンの語る世界観と、小説で描写される世界が矛盾するのはそのせいなのでしょう。第二次世界大戦、落下するミサイル、まいあがる漆喰、死体、物資欠乏、衰える肉体、純化された架空の権力者、現実を無自覚に自覚した狂気の哲学、未来兵器、田舎の道に咲き乱れるヒヤシンス、この小説のおもしろさはそういうところにあるのでしょう。
さて、ここまでは1984年という小説のストーリーと背景の説明です。これがいったい科学とどういう関係にあるのか? それは次ぎのコンテンツで。