分岐学と分類学、その方法論の違い
ミラ:でっ、さっきの話の続きだけど分岐学と分類学はどう方法論が違っているわけ?
わらし:それがよく分からんのだな。
ミラ:はっ? いきなり爆弾発言かよ??
わらし:分岐学の方法論はよくわかっているだ。例えばこちら。しかしだなあ、分類学で何をどうしているのかはよく分からんのよね。
ミラ:??
わらし:人間が生物をどう分類するのかっていう、そういう明白な基準がそもそもないだよ。
ミラ:よく”交配するのなら同種、しないのなら別種”って言うじゃない。
わらし:自分一人で子供を生める生物には通用しないぞ、その定義。
ミラ:あう。
わらし:それにだな、人間が持ち込んだセイヨウタンポポが日本の在来種であるカントウタンポポと交配しているのは知っているか?
ミラ:ああ、聞いたことある。
わらし:セイヨウタンポポとカントウタンポポは交配するから同種でいいのか? あれは生態も繁殖形態も見た目も違うぞ。
ミラ:ああ、いや・・・・。
わらし:一律に種を定義することもできないのに、一律に定義できない種の集合をそもそもどう分類するのかね?
ミラ:ああ、そういう?
わらし:そもそも分類にはその方法論に不明な点が多いのだね。だけども、以下のようなことは言えるのではあるまいか? 例えばA B C D の生き物が
___________A
|_______B
|_____C
|___D
こういう血縁関係をもっていた、あるいはこういう進化の歴史を持っていたとする。
ミラ:はいはい。
わらし:系統を正確に表現して分類するとしよう。その場合、CとDが一番近縁だ。
ミラ:ああ、例えばC+Dで何とかファミリーとか、そういう分類群にするわけか。
わらし:そうだな。そしてC+Dに近縁なのがBなのだから、B(C+B)。
ミラ:この場合、なんちゃら上科にするとか?
わらし:まあ分類的にはそうなるかもな。
ミラ:Aは?
わらし:AはB(C+D)の外側にくるのだから(A(B(C D)))となるわけだよ。理想的にはだけどね。
ミラ:理想的には?
わらし:例えば人間がA、B、C、Dを見たときに、CとDが一番よく似ていたとするだな。
ミラ:はあ、まあ、一番近しい親戚ですしね。
わらし:それは良かったのだが、人間にはC+D以外の皆さんは”CとDではない”という点でよく似ているように見えたとするよ。
ミラ:はいっ?
わらし:Cは青紫、Dは青だとする。Aは赤であり、Bは赤紫であったと考えてみるだよ。この場合、どう分類しちゃうと思うね?
ミラ:あー? (A B)(C D)という感じかね?
わらし:赤っぽい、青っぽいでな。
ミラ:赤っぽい、青っぽいでね。
わらし:でも正しい答えは?
ミラ:(A(B(C D)))ですね。
わらし:(A B)(C D)はだ。これは系統を反映していないよな?
ミラ:してませんね・・・・。
わらし:でも、たとえこのような分類であっても進化と系統という秩序を与えるものがあるからこそ出来た分類だと言える。
ミラ:そうかあ?
わらし:考えるだ。
___________A 赤
|_______B 赤紫
|_____C 青紫
|___D 青
これ、ものすごく単純に考えるとだ、赤色から青色へのゆっくりとした進化の過程をそれぞれの種がとどめたものなんだよな。
ミラ:はあ、まあねえ・・・。赤→赤紫→青紫→青というわけかい。
わらし:こういう秩序があるからこそ、この場合は、赤っぽい類と青っぽい類とに分類できたわけだ。
ミラ:だけども間違っているじゃない。
わらし:だけども進化という秩序を見た結果ではあるだろ。分岐学の視点からするとデータのチョイスが悪いのだけどね(共有原始形質の問題を見よ)。ともあれ、これは仮想的な例であるが人間の作った分類にはしばしばこういう事例が見つかる。
ミラ:はあ、さいですか。例えば?
わらし:魚。
ミラ:魚の何がいけないの?
わらし:陸上生活に移行して肺呼吸をするようになったもの以外は全部が魚ですという分類。
ミラ:・・・・・。魚、、、系統を反映していませんか。
わらし:してないな。言っとくけど「Fishes of the world」という魚類の系統分類学の本では陸上脊椎動物も全部魚扱いで入ってるぞ。
ミラ:そんなバカな。
わらし:さっきの赤っぽい類を否定された人も同じことを言うかもな。
ミラ:・・・・・
わらし:分類ってのは奇妙なもので、誰もが思い描く分類があるように見えるのに、その共通の認識がどこからきたのか、なぜそれが正当なのか、どういうやり方でデータを解析したのか、その妥当性はどこにあるのか、どれも誰もちゃんと説明できていないんだよ。
ミラ:でも、人間が魚だって言われると違和感だけしかないのよね。
わらし:人間も本によると硬骨魚扱いだぞ。まあ硬骨魚を硬骨動物と訳した事例があるが、あれなんかはうまいやりかただな。人間の違和感を無くしつつ、系統上の正確な位置を伝えるという点ではね。
ミラ:でも違和感しかないの・・・。
わらし:分類というのは誰もが自信たっぷりに賛成したり反対したりするけども、肝心な”どういう方法論で分類しているの?”の部分で未知な箇所が多くてな。近い、遠い、違う、違わないで分類しているとも言われるが・・・。
ミラ:違うの?
わらし:前世紀に表形分類学という学問が出現した。生物が持つ特徴のすべてを比較してその違いの度合いを距離にすれば客観的な分類が実現できるという派閥だな。
ミラ:ああ、それで?
わらし:分岐学の派閥と表形分類学の派閥で論争を繰り広げたあげくに、どっちも系統学になりましたとさ。
ミラ:はあ。
わらし:おかしなもんで、こういう論争があっても分類学は分類学だったんだな。
ミラ:どういうことなのかしらね?
わらし:分岐学は派生形質のみが使えると主張した。表形分類学はすべての特徴の距離を計るべきだと主張した。この2つの派閥の影響を生粋の分類学が受けなかったということはだよ。
ミラ:ということは?
わらし:分類学はそのどっちでもないことをやっているということじゃなかろうか。でもよく分からないな。
ミラ:でっ? 系統を反映していない場合もあると。
わらし:端的に言うとそうだね。言い換えれば分岐学と分類学の違いは”入れ子構造を作っている”という点では同じで、識別できないんだよ。
ミラ:違いがあるとしたら?
わらし:その入れ子構造をどう発見するのか? 発見すべきその入れ子構造は何であるのか? ということだね。そして、
ミラ:そして?
わらし:入れ子構造はどうあるべきか? それも問題になるだな。
参考文献として:
「系統分類学入門ー分岐分類の基礎と応用ー」 E・O・ワイリー他 宮正樹訳 1992 文一総合出版
「系統分類学」 E・O・ワイリー 宮正樹・西田周平・沖山宗雄共訳 1991 文一総合出版
「生物系統学」 三中信宏 1997 東京大学出版会
「種の起源」(上下) ダーウィン 原著1859 岩波文庫