恐竜という言葉の混乱

 恐竜という言葉に関してはずいぶんと混乱があるようですが、原因のひとつは受け取り側の考えが混乱していることにあるようです。

 実際、私たちは次ぎのような3つの動作をごちゃまぜにしているらしい。

 1:名前をつける

 2:グループを作る

 3:系統を解析する

 これらはいずれも違う動作ですが、私たちは無意識のうちにこれらを混同してしまうので、理解が混乱するようです。例えば典型的な例では、まずグループを作って、それに名前をつけて、それらはどんな系統関係を持つのだろうか?、と考えたりする。

 なんの問題もない作業のようですが、これは明らかにおかしい。

 つまり系統を解析する方法をつかわずに作った、”系統を反映している保証のないグループ”に名前をつけて、こんどはその名前に基づいて系統の問題を論じようとしている。

 こんなことをしてうまくいくわけがない。

 私たちは1、2、3のいずれの動作を行っているのか自覚しなければいけません。

 

 1:名前をつける、に関して

 私たちはあらゆるものに名前をつけ、名前がないと思考することもコミュニケーションすることもできない。しかし名前が決まったとたん、以前より知識が増えてもいないはずなのに、急に分かった気になる。そのくせ何に名前をつけたのかじつはよく把握していない。例えば野菜と自然に使っているが、それが何を指し示しているのか、じつは、私たちはほとんど理解していない。例えばアボガドは野菜か否か?。スイカは野菜か否か?。恐竜もまた同様。世間一般的には恐竜とは絶滅したなんか怖そうな動物というイメージらしい。

 名前をつけるには、そこに”命名するべき何かがある”と考える必要があります。もちろん名前をつける対象が実際にあるかどうかは別問題。天球とかエーテルとか、私たちはありもしないものにも名前をつけますからね。とはいえ、名前をつけるからには、それがあるんだと確信している、あるいはそういう概念を持っている、ということは言えそうです。

 言い換えれば、恐竜という名前をつけて、それを使うからには、なにかがそこにあると確信した、あるいはそういう概念を持っているということなのです。

 もちろんそこになにがあると考えるのか?、それは人によって違います。右の図のように名前と枠組みがあっても、その中身は人によって違っています。

 ではあなたにとって恐竜という名前とそれが指し示すものはなんでしょうか?。そしてそれは実際にあるんでしょうか?。あるいは、”ある”、と考えるのに十分な客観的な理由や確からしさがあるのでしょうか?。

 じつは恐竜という言葉はしばしば2つの異なるものを指し示しているようです。それはグループ(2)と系統解析の結果(3)です。ではそれらはどんなものなのでしょう?。

 

 2:グループを作る、に関して

 右の図に描かれたアルファベットはそれぞれ次ぎの動物を示しています。Cr=ワニ、Tri=トリケラトプス、Al=アロサウルス、T.rex=ティラノサウルス、Or=オルニトミス、Di=ディノニクス、B=鳥。

 グループを作る。この動作は私たちが日常的に行っているものです。例えば右の図の緑の枠は比較的ふつうに使われる恐竜とその言葉が指し示すだいたいの範囲ですね。これを多くの人は違和感なく受け入れるようです。しかし、このような枠がどのように決定されるのか、その過程はよく分かっていません(認知心理学でどういう成果があがっているのか北村が把握していないので、実際に分かっていないのかは少し別の問題になりますけども・・・)。

 こういう2の作業で作られた恐竜(以上の緑の枠)は、それを信じる人にも具体的にこれがいったいなんであるのかよく理解されていないようです。例えば恐竜が好きで恐竜に詳しいAさんと北村のやりとりを上げてみましょう。

 北:恐竜とはなにか?

 A:仙骨(腰の骨を支える脊椎骨)が3つ以上ある爬虫類

 北:でも翼竜も3つ以上あるよ?

 A:翼竜は直立歩行しないから恐竜じゃない

 北:じゃあ後ろ足が腰に対して直立している一部のワニの仲間は恐竜かい?

 A:違う、恐竜は仙骨が3つ以上で後ろ足が直立している爬虫類だ。

 北:では、どうしてその特徴を持った動物をグループにしたんだい?

 A:そう定義されているから、そのように分類されるから。

 北:・・・・・・・それが答えですか?。

 うわー!!、北村が思うに、彼の最後の答え方は最悪ですね。その特徴をなぜ定義につかったのか?と北村に聞かれているのに、彼はその理由はそのように定義されているからと答えている。この答えは答えになっていない。このことは彼が自分自身は何をしているのかまるで無自覚だということを示しています。

 グループを作るという動作はしばしば無自覚に行われています。ですから根拠や正統性はよく理解されていないか、あるいは直感的です。しかし、そうであるにも関わらずグループの正統性自体は疑われもしない、という場合が多いようです。そしてグループの確からしさは結局のところ客観的にはよく分かっていません。

 

 3の:系統を解析する、関して

 この動作は明確です。生物は進化する、生物の特徴は遺伝する。そうした事実に基づいて生物の特徴をかたっぱしから解析して幾つかのアルゴリズム(最節約法、距離行列法、最尤法など)によって生物の系統仮説を探し出し、その仮説が正しいかどうか検証する。

 具体的にそうして推定された系統関係には右のようなものがあります。ディノニクスは鳥にもっとも近く、オルニトミムスは両者に近縁、鳥から見た場合、ワニはトリケラトプスよりも血縁が遠い。

 これは検証が可能な仮説で、実際に検証が進められています。現時点では、この系統関係はとても手堅い仮説です。ようするに鳥はティラノサウルスとかトリケラトプスとかがつくる血縁関係の一部にはいってくるわけですね(つまり結果的に鳥は恐竜というカテゴリーに含まれる)。この仮説を疑う積極的な理由はありません。

 

 さて、ここまでは3の話。ここから先は3の結果を踏まえた1の話です。

 私たちは言葉で会話をし、名前をつかって言いたいことを伝えます。それは最初に述べた通り。さて、人間の言葉は直線上にだらだら続く1次元ですが、系統関係はもう少し複雑な形をしています。1次元というよりも2次元にちょっと近いかもしれません。ようするに2次元に近いものを1次元になおさないと言葉で系統関係は伝えられない。

 そこで血縁関係を言葉で表現する時にあるルールのようなものが考案されました。それにしたがって、

 Dinosauria(恐竜)という言葉は解析の結果示された系統仮説の”トリケラトプスと現在の鳥のもっとも最近の共通の祖先とそのすべての子孫”を指し示すとする、

と提案されました。

 このルールに従うと、右のような系統仮説では緑の枠の部分が恐竜という呼び名で呼ばれることになります。まあこの提案自体はしごく当然だったのでしょう。ようするに系統解析をしたら鳥がドロマエオサウリアと姉妹グループであることが分かった。つまり鳥は恐竜と呼ばれていたカテゴリーに呑み込まれてしまったわけですからね。

 そしてまた大事なのはここで行っている行為は系統関係のある部分に名前をつけるという動作であることに注意しましょう。

 ようするに系統解析の結果(つまり動作3)を踏まえてはいるが、この作業自体は名前をつけるという作業(動作1)なのです。

 Dinosauria(恐竜)の定義=トリケラトプスと現在の鳥のもっとも最近の共通の祖先とそのすべての子孫

とは1の動作であって、3でもなければ2でもありません。

 

 誤解

 ところが人によるとここでいっている恐竜というものを2の動作で作ったグループと混合するらしい。

 ようするに以上の2つを同じものだと勘違いするというわけ。でもこれは完全な間違い。左は2の動作。右は3の動作。この勘違いは2と3の動作と1の動作を混同しているからこういうことが起きます。

 また人によっては2の動作で作られた恐竜は直感的に理解できるけれども、3の動作である系統解析が分からないために、その結果を踏まえて名付けられた”恐竜”がおかしいのではないか?、とつめよる人もいます。ようするに直感的に理解できないから不信感を持つのでしょう。これは生物として非常にあたりまえな行動です。初めてみるものになんの警戒心も抱かないとしたらむしろその方がおかしい。子供もイヌもネコもじーさんも見た事もないものにはびっくりして同じ反応を示しますよね?。

 とはいえ、

 直感的に理解できないからといって間違っているわけではない

 逆にいうと直感的に理解できることが正しいわけでもない

例えばこうやってつめよる人に質問すると、自分達の信じる2については説明できなかったり説明になっていない説明をくりかえす。例えば、

 そう定義されているから

 そう分類されているから

 それが自然だから

 正しいじゃないですか

などなど。

読めば分かりますがこれらは説明というよりはむしろ信仰告白のたぐいですね。ようするにこれらの言葉はたいしたことを言っていなくて、自分はそれを信じているのだ!!、としかいっていない(それにしてもこういう主張をする人が一転、宗教に関しては鼻から馬鹿にしているのを見た時にはびっくらこいた北村でした。同じことをしていると思うのですが、あれは近親憎悪かなにかなんでしょうか?。まこと人間とは奇々怪々)。

 私たちは恐竜にせよ鳥にせよ、あるいはなにを語るにしても

 1:名前をつける

 2:グループを作る

 3:系統を解析する

 以上の動作のいずれを語っているのか?、それをよく自覚する必要があるのは確実です。そして自分が使う名前とそれが指し示すものの確からしさを信仰以外の方法で説明できるかどうか考えてみましょう。直感的な理解では不十分です。

 個人的には恐竜を礼拝の対象にしてはいかんとは言いませんが、信仰と科学を同じ程度に確かであるとか、自分の正統性は信仰の強さで正当化できると主張するのではちょっと・・・。

 

 ティラノサウルス全百科に戻る→  

 補完記事に戻る→  

 

 追記:あと、鳥が恐竜なのはトリケラトプスと鳥のもっとも最近の共通祖先とそのすべての子孫が恐竜であると定義されたからなんでしょう?、とある人から質問されたのには、北村、正直どぎもを抜かれました。

 考えてみれば無理もない勘違いなんですが、これは間違い。おそらく2のグループを作るという動作と1の名前をつけるという動作を混同しているのでしょう。この定義は系統のどのパーツになんの名前をつけるのか、という約束事であって、グループの定義でもいわゆるカテゴリーの定義でもありません。

 それにしても、系統解析に対して疑問は抱くのに、自分の信じている分類群には疑問を抱かず、なおかつ、そのグループや定義の正統性を質問されてもけげんそうな顔をするだけ。それはなぜなのか??。

 ひとつの可能性だけれども、グループを作るという動作のもともとの目的が利便性にあるからかもしれない。例えば整理して暗記するという目的に基づいてグループを作ったのなら、なぜその特徴が定義になるのか?、という質問に答える必要はない。つまるところそのグループは暗記するために作られているわけで、考えるためにあるわけじゃあない。

 考えるために作ったのではないのなら考える必要はそもそもないし、答える必要もない。

 そして実際に答えられないか、答えになっていない返答をくりかえす。

  

 HPトップに戻る 

 子供向け恐竜のQ&A 

 恐竜の系統トップへ 

 恐竜の科学へ