分岐学について
今回の本では分岐学の基本的な考え方、
共通の祖先から進化した生物には共通の特徴があるだろう、だから共通の特徴は生物の血縁関係を知る手がかりになる
を紹介してはいますが、分岐学の重要なキーワードである最節約については直接触れていません。というか言葉も出てこない。末尾の分岐学の解説で、”もっともシンプルに推理する”という表現に、わずかに表現されているだけです(うわっ、えらいこっちゃ!!)。
最節約自体についてはすでに他の著作「恐竜と遊ぼう」で触れていることもあるので、今回は解析結果によって得られた系統関係を分岐学ではどう検証するのか?、という側面に主眼を起きました。
そもそも一般的な誤解のひとつに分岐学は結果がころころ変わる、というのがあります。実際には研究者が新しいデータを加えてこれまでの解析結果を検証しているだけなのですが、そこのところがどうも理解されていないらしい。そこで今回はそういう部分に光をあてるような内容にした次第。
それにしても分岐学というのは誤解されている学問のひとつです。例えば、
分岐学は恐竜でしか使われていない
→実際には遺伝子を材料にした系統解析の論文や学会のポスターセッションで普通にみかける方法ですね。ただ最節約法とかMP法と呼ばれていますけど。
分岐学は分子系統学と対立している
→これは分岐学が形態しか扱えないという勘違いがもとになっている誤解のようです。もちろん、分子も材料にできます。
分岐学は分類階級を乱発する
→これはいろいろな意味でまったくの勘違い。系統を解析するという作業とその成果をどう整理整頓にいかすか?という作業の区別がついていないのでしょう。分岐学自体は系統解析をしているだけです。ただ、解析の結果が既存の分類階級に収まり切らなくなるんですね。逆にいうと既存の分類階級は系統を正確に反映させるには不十分か、あるいはもともとそのようなものとして作られていなかったということなのでしょう。ちなみに乱発するっていうのはこういう矛盾を解消する方法のひとつですが、すべてではありません。そういう点でもこの勘違いはかなり見当はずれです。分類階級をうまく使う方法もありますし、放棄してしまう方法もあります。
分岐学は結果がころころ変わる
→これは最初にいったように検証という作業を理解できていないから生じる誤解。
コンピューターにやらせているだけ
→それだけじゃだめだよ、という警句としては意味があるかもしれませんし、実際にそうだと思うのですが、だから分岐学はだめなんだ、というのはかなり自分達の頭脳を過大評価した勘違いだと思います。例えばたかが10種類の生物の系統関係を調べようとするだけで、そのありうる系統関係の組み合わせは200万通りを越えてしまう。それを生身の人間の頭脳で調べ切るつもりなんでしょうか?。
分岐学の分岐図は分類体系の入れ子と同じではないか?
→これは150年前にダーウィンが明らかにしたことをまだ知らないという勘違いでしょう。分類体系ってなんだ?、という疑問が(現代的な意味で)氷解したのはダーウィンの種の起原から。ようするに分類体系って系統の分岐(<分岐図はおおむねこれにあたる)を反映したものだったんですね。つまるところこの勘違いは本末転倒。
とまあ、以上いろいろと分岐学に関しては誤解がありますが、若い世代の方々は頭脳の柔らかいうちにがんばってね、という感じ。
ちなみに、フォーティーが著作のなかで、「当時、分岐学に鞍替えすることは仏教徒になるのと同じくらい・・・・」と述懐しているのを見た時は、ちょっと笑いました^^)。そうかあ、当時はそのくらい大変な変化だったんですね。これが典型的なパラダイムシフトというやつか?。