今、思うこと(バック) PART XLZ

     
       去りゆく者の宴(ノートW)

Z−1(2020/5/1)

私の若い頃でのテレビの出現は各家庭でも楽しめるという点で
映画以上の価値を人々に提供できるとして歓迎された。
映画関係者は初めの頃テレビが薄っぺらで本物でないと言うことで
その仕事に関わることを躊躇った。
だがその手軽さと便利さに負けて参画を余儀なくされ
ついには本物感だけは持つ斜陽産業に追いやられてしまった。
時代が移り通信技術の進歩のお陰でネットの時代が到来した。
テレビ関係者はネットは偽物が多く信用できないと軽視したが
テレビの一方通行の情報スタイルが公平性を欠きだしてから
双方向的なネットの方に関心が寄せられ
いつしか広告料もテレビを凌駕するようになった。
そして「もう何年もテレビ見てない」という人が多くなった今
テレビの存在価値はゴミと言われるまでになり下がった。
そんな歴史的環境に生きたのも私の運命だったのかもしれない。


Z−2(2020/6/1)

今、思うこと−所謂新型コロナウイルス問題雑感
武漢で発症の新型コロナウイルスは将来どのように言われるのか。
大騒ぎした割には毎年のインフルエンザ死者数よりも少なかった。
緊急事態でも国会議員は国のために奔走しなかった。
コロナ後の日本の経済はリーマンショック以上に悪化した。
政府推奨の「マイcJード」は結局有効的でなかった。
マスコミは「不安」という言葉を使いまくった。
マスコミは専門家と称する幾人かの電波芸者をデビューさせた。
今更ながらマスコミ関係者の質の劣化を思い知らされた。
朝日新聞はここぞとばかりに「アベーガー」を連呼した。
テレビ局とリベラルはやみくもにPCR検査を推奨した。
在宅勤務制やオンライン授業が具体化するきっかけとなった。
公務員など収入の保証された者には他人事の問題でしかなかった。
年金生活者の私も他人事であった幸運に感謝しなければならない。


Z−3(2020/7/1)

所謂「大東亜戦争」に敗れた日本は
勝者側のGHQによって太平洋戦争と呼び変えさせられ
戦時の日本と日本人の所業を犯罪として断罪され続けてきた。
曰く、満州に傀儡の国を作り朝鮮や台湾を植民地化し
東亜の各地に侵攻し悪逆非道の限りを尽くした等々と。
そう喧伝したのはそのGHQが作った教職員組合先生方を初め
日本の良識と僭称の岩波書店、朝日新聞、NHK等であった。
彼らは日本人に贖罪意識と自虐意識を植え付けることを使命と感じ
日本を貶めるための活動を多岐に亘って行い続け今日に至った。
このGHQとその申し子達からの洗脳がいつ解けるのか。
日本の戦争が自衛のためだったとのマッカーサーの言葉も気にかかる。
結果的には日本が東亜の国々に独立の機運もたらしたとの見直しが
現実味を帯びてきたのも気にかかるところである。
それが戦後の洗脳が溶け始める兆しとならないだろうか…。


Z−4(2020/8/1)

コロナ禍が終息しきれない今
報道機関に対して不思議に思うことがある。
どうして感染者の数だけ注目して毎日発表するのか。
医療崩壊を気にする一方で
重傷者や死亡者や退院者の推移を知らせないのか。
世界との比較で日本での数が少ないと言われる中で
国籍別の数が報道されないのは人権的配慮からなのか。
PCR検査は有料で受ければ4・5万はかかるのに
どうして安易に全員受けよと言ってしまうのか。
その上に他の検査方法あるのに
PCR検査だけを挙げるのは何故なのか。
これだけの例から見ても
今のマスコミは報道機関であると言うより
情報操作機関として機能していると見て間違いはない。



Z−5(2020/9/1)

突然の安倍辞任報道を受け急きょ差し替え的に「今、思うこと」
森友問題めぐる国会論議で
「私や妻が関わっていたのなら総理を辞める」の発言をきっかけに
一斉に起こったマスコミの安倍総理たたき。
そのリーダー格の朝日自身が「安倍葬るのは使命だ」と宣戦布告。
以後は絶えることないデモでの「安倍やめろ」コール。
結論に必ず「安倍が悪い」とする「アべガー」新聞や週刊誌。
不都合があると安倍総理のせいにする「アベノセイダース」。
今回の辞任表明においてさえも労いの言葉もなく
大事な時に体壊す癖の危機管理能力ない人と貶す「特定野党議員」。
共通するのはリベラル標榜しながら他者の多様性認めぬ二重基準…
反日マスコミ待望の「安倍総理辞任」が実現した今
安倍ロスなく他の総理の下に憲法改正に乗り出すのかどうか
楽しみでもあり心配でもある。


Z−6(2020/10/1)

犬が人間を噛めばニュースにならないが
人間が犬を噛めばニュースになると言うあの報道上のジョークが
今回のコロナ禍でも十二分に働いた。
不安感を煽り立てる所謂「感染者数」増加の連日報道。
異常なまでに推し進めるメディアによる「PCR検査」。
感染症対策でいつも「日本は駄目だ」を繰り返す政府批判報道。
戦中に生まれた私がすぐに思ってしまうのは
あの頃逡巡する軍部や多くの多くの日本臣民を煽りに煽って
戦争へと駆り立てていったNHKや朝日などの報道スタイルだ。
結局日本の敗戦で多くの日本人が戦犯として処刑されたが
あの時超A級戦犯として処刑されるべき彼らが
ちゃっかり裁く側に与して罪を逃れたように
今回のコロナ禍でも国民を不安のどん底に陥れても
素知らぬ体で逃げ切るだろうことが予想されるのである。


Z−7(2020/11/1)

今の私は選挙では日本人に適う保守政党に投票している。
以前はずっと民主主義や人権を唱う革新系の政党に入れていた。
というのは私は戦後教育の第1期生で
初めから連合国によって「日本は加害者」の烙印を押され
独立後は日教組教育によって自虐史観を植え付けられていたので
社会人になって朝日で知った南京大虐殺や慰安婦強制連行の話は
ずっと信じ込んでしまっていたからである。
しかし定年まえになって今の私の生活態度に鑑み
そんな歴史話が日本人の血には元から馴染んでおらず
一神教や儒教思想の他国の投影だったのではと思うようになった。
明らかにそれらは日本人の自然観、人間観に反していたのである。
私の変節は朝日新聞の珊瑚礁KY事件がきっかけだった。
環境保護の美名に隠れ捏造報道して日本人を貶める朝日新聞と
そのシンパ政党は日本にはそぐわないと思い直したのである。


Z−8(2020/12/1)

還暦が済み、古稀を通過し、傘寿を迎えるまでは
幾度か死地に出遭ってが死の影までは踏まなかった。
40代に劇症肝炎、50代に大腸癌、60代に脳卒中そして
70代の腎不全に襲われた時も医療の発達が命を救ってくれた。
その意味では私は恵まれた時間と空間に生かされたとも言える。
これらの大病はすべて遺伝的に決まっていたというのは簡単だが
実際には私の我欲よる不摂生に起因していた。
即ち自利と快楽の追求の代償として私の肉体が被ったものだった。
何れにしても私の80年
社会と関わろうとする気概も体力の衰えで徐々に萎え
それまでの過去の記憶も曖昧になり消えゆく中で
己の寿命まだ残れとばかりに
今あり、今何かを思っている自分を確かめようとしている。
惚け起こるまでのこんな残酷で幸せな今は他にないだろう。


Z−9(2021/2/1)

昨年11月にあったアメリカ大統領選挙にしろ
昨年来から続いているコロナウイルスの世界的蔓延にしろ
世界的にオールドメディアの報道には開いた口がふさがらない。
もちろんその偏向ぶりと恣意的な報道内容においてである。
とりわけアメリカ大統領選挙報道においては
日本のメディアの幼児性が余すところなく露呈していた。
まずCNN等のメディアの報道内容を剽窃していたことである。
これは自ら取材して報道するという原則からは逸脱していた。
だから自分の確信や思いこみを調べもせず事実として報道し
己の気に入らない事実をデマと断じて無視してしまった。
アメリカメディアの場合は反対意見表明の場が他にもあったが
日本の場合は寡頭独占の上に横並びしていただけに厄介である。
更に厄介なのはそれでも公平性を唱っているところである。
まさに「報道しない自由」に甘え大人ぶっていただけであった。


Z−10(2021/3/1)

老化現象なのだと言ってしまえばそれまでだけど
足のよろめき多くなり物忘れ酷くなると
わが人生もここまでかとつい思ってしまう。
幸いにも多少の認知能力が残っていて
自分や社会的なことに関心持てるのは幸せな方だとも思うが
その際どうしても気になることがあった。
私は戦争勝利国のGHQ統制下で育った第一期生として
白紙状態で戦争に対する贖罪意識を植え付けられて成人したので
未だに自虐史観から払拭されないまま今に至っていることだ。
だから現役生活が終わっても自分や社会を見る目が相変わらず
自虐的な日本観持った一人であったことに思い至ったたのである。
そして、病を経、人生の終わり頃になってようやく私は
自らを貶め貶められたままではなく自立する強い日本を願う
そのような日本人になりたいと思うようになってきたのである。


Z−11(2021/4/1)

平和を思う気持ちは誰にもあってそれは正しいことだ。
そして平和のために実践するのも正しい行為だ
戦後の日本人の場合はそれが高じて
かつて日本は戦争しかけ他国に迷惑かけたのだから
今の日本では反日的言動をするのは平和を愛することであり
従って愛国的で正しいことだと論理づけようとする。
戦勝国の作った「日本戦犯化作戦」の亡霊が見事なまでに
戦後75年経った現在にも跋扈しているのである。
幸いにも朝日新聞記事の捏造に遅まきながら気づいたお陰で
私はその亡霊に魂まで抜かれるまでには至らずにすんだが
魂まで抜かれた不幸な戦後っ子達は
その反日的姿勢を根っから正しいと信じ反日をし続けるだろうから
大半の国に見られるような愛国的精神をこの日本に見るには
彼らが死に絶えるまで待とうとする忍耐が必要となるだろう。


Z−12(2011/5/1)

突如私事ながら一筆啓上。
日頃政治やマスコミに対して憎まれ口たたけるのも
何の不安も感じない年金生活しているお陰だったのだと
つくづく思い知らされる寝耳に水の経済的不幸が私に起きた。
私の不在時に隣の家からの出火により家が全焼したのだ。
経済的損失はともかく
私の生きた長さが生んだ文化的精神的価値のみならず
何代にも及ぶ先祖の残したものまでも失ってしまったのだ。
火元の人は焼死するし
家にはまさかあるまいと思って保険はかけておらず
まさに踏んだり蹴ったりの状態なのが今の私である。
なのに何故に他人の前にこの不幸を晒してしまうのだろうか。
他人からの同情を買いためでも援助を期待したいためでもない。
それを晒すことで滾る動揺を何とか鎮めたいと思うからである。


Z−13(2021/6/1)

プライベートには家が全焼するという悲運に遭遇したが
命までも失わなかった事実をよしとして一件落着させて
世の中の出来事に目を向けるとどうしても出てくるのが
昨年来から続くコロナ禍騒動。
いやコロナ風邪を巡る過熱報道事件。
中国の武漢で発生したコロナウイルスが各国に蔓延し
死者数は世界的には75億人中400万人、
就中日本的には1億2千万中1万3千人(6/1現在)。
多いと見るか少ないと見るかは各国各人の価値観次第だろう。
何れにしても面白いのは日本のメディアの報道姿勢である。
ウイルスの変様によって中国株を従来株と呼び名を変えたり
一頃はPCR検査、PCR検査とお題目のように唱えていたのに
今はワクチン接種、ワクチン接種と唱え直したりしているのだ。
まるで世論誘導するのが本来の仕事と思っているかのように。


Z−14(2021/7/1)

変異までして生き延びようとするコロナウイルスと戦って2年。
そろそろ原因も分かり治療薬も出て決着つけてよさそうなのに
あいも変わらず「怖い、怖い」と脅されるままにここまで来たが
最近は天災というより人災という気がしてきた。
それも人間の無知無能のせいというより
狡智な人間の打算性のせいと思わざるを得なくなった。
感染症には素人でエビデンスも分からないが
それでも沸々とわき上がる疑問点を吐露すると
未だにコロナ風邪がSARS級の感染症にされていること。
異様なまでにPCR検査やワクチン接種が喧伝されていること。
コロナ死が水増しされワクチン死が不明にされていること。
医師会が治療を拒否したがワクチン接種にはいそしんだこと等々
数え上げればきりがないが、いずにしても今回の騒動は
国や会社など各組織の利権利権利権まみれの喜劇だった。

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