Ⅴ心、喜ぶ
喜
①よろこぶ。うれしがる。
②よろこび。
③このむ。
(角川 大字源より)
喜-前口上
読書を一つの喜びとしていたので
未だに沢山の本を買い込んでいる。
現役の頃は1冊数千円の本も気にならなかったが
さすがに年金生活者ともなると迷う。
そこで古本を買ったりするが
今では文庫本は3百円で9冊も買える
その点喜ばしい限りだが
本の有り難み感がなくなった。
案の定というか
電子書籍の時代に入って
ノート大のタブレットですべての本が納まるとなると
蔵書する喜び感も希薄になる。
映像文化で喜ぶのも新しい生き方なのだろうが
それになれるにはあまりにも老いて頑固になっている。
喜①
生きるとは未知との遭遇と考え
その数増えれば人生充実するのだと考えてきた。
眼前にただ現れる未知も
教えられ強制される未知も
求め望む未知も
生きていればこそ遭遇するのであり
それを知ることこそ生きている証だし
人生の喜びにもなるのだと悟ったつもりだったが
年取ると新たにもの知ること煩わしくなり
知らずにいることにも喜びあると思うようになった。
未知なものを探し求めるよりも
既知のものを味わうことの方に良さ見いだしたのか
それが老いゆくものの冷めた悟りなのか
煩悩の中でさまよう今の私には分からない。
喜②
新しい年迎える度に
1年を生きてきた喜びの度合いが強くなってくる。
年賀を交わし
「今、思うこと」書けるということ
このことこそ私が今生きていることと同義となっている。
近代哲学の祖デカルトが言った
「われ思う、故にわれ在り」が
まさに
「今思うことあり、故にわれ生けり」となって
私の喜びも大きくなるのである。
人生は中国の故事の「一炊の夢」のようだとも
マクベスの言った「歩いている影」とも
よく喩えられるが
私の場合はまさに「今、思うこと」の積み重ねだった。
喜③
かつて大病で危篤状態になった時
不思議と意識だけは残っていて
死に逝くものの感じと思われる貴重な体験をした。
「血圧50」で周囲があわてる様をおぼろげに感じながら
そこには死の恐怖もなければ考えようとする気もない。
当然もっと生きたいと思う気持ちもなく
ただあるがままの自分を脇から聞いているようだった。
ところがどうだろう、その危機から解放された今
体に幾つも変調感じる身でありながらも
気にくわないことがあれば腹をたて
いろんなことしてみたいと思う自分を発見した。
それこそ生きている証なのだと喜びの実感走った。
そしていずれ涅槃の世界に行く身であるにしても
生かされている自分に感謝しなければとは思った。
喜④
老眼で小さな文字読むのに苦労していたので
大きな字にしてくれる電子辞書が発売された喜びは大きかった。
その上に膨大なスペース取った各種の辞書類も
10センチ四方の薄っぺらな器具に収まっているとは
驚愕以外の何ものでもなかった。
更にはiPadなる電子書籍が販売され好まれるに至っては
その便利さ喜ぶ心にむなしさが加わった。
元々紙の本読んで糧を得てきた人間としては
そのために相当な空間占める書庫作った私の人生
いったい何であったのかと嘆くようにもなった。
そんな嘆きに拘るか
ボタン操作一つで済む便利さを喜ぶかを迷うのも
手足不自由で隠遁生活余儀なくされる私には
ささやかな選択ともなっている。
喜⑤
毎回オリンピックが来ると
「がんばれ!日本」の声が不思議と出てくる。
国家意識が昂揚されるのは喜ばしいが
済んでしまえばどこ吹く風の日本の国民。
GDPの割に金メダルの数が少ないのも
政府を含めあまり一丸となっていなかったからか。
それとも「二位」でもよいする考えをよしとするからなのか。
それで思いだしたのが
外国からのトヨタ車のリコール問題。
トヨタの奢りの姿勢にも多々問題あるが
アメリカの日本車叩きに恐れをなして
政府も国民もひたすら静観。
「頑張れ!トヨタ」と喜々として応援する国民が
政府やマスコミを含め殆どないのが今の日本の特徴である。
喜⑥
マスコミの態度なぜか気になる。
色々な情報提供するので喜んではいたが
全幅の信頼おけなくなった。
先人たちが築いた取材の権利に甘えて
今ではたいした努力もなく情報を
正義の味方ぶって喜々として伝えている。
御用学者や御用記者。
大衆におもねる御用司会者や御用コメンテーター。
一頃あった骨のあるマスコミ人は数えるほどになっていた。
というより彼らの登場しにくい雰囲気がたれ込め
国忘れたマスコミの欲惚けた経営主義によって
仕組まれ作られた情報が飛び交っている。
独り喜び悦に入っているのはそんなマスコミ人であり
読者・視聴者は知らぬ間にこけにされてきている。
喜⑦
犬が人間を噛めばニュースにならぬが
人間が犬を噛めばニュースになるという報道の鉄則が
良きにつけ悪しきにつけ日本のテレビ界をも特徴づけた。
何かの変化があるとそれを喜ぶ人の方を選ばず
厭がる人の方を選んで放映する。
政局より政治だと唱いながら
好んで政局ばかりの放映しては喜び
だから日本の政治は三流だと悦にいっている。
よってたかって被告人にした大物政治家の誕生祝いを
映す必要もないのにわざわざ映し
小遣い稼ぎでしかないコメンテーターを使って
この政治家何を馬鹿しているのだと言わせる。
さも正義者ぶって己の利害で報道するその手法は
放送が始まり今になっても少しも変わっていない。
喜⑧
かつて経済が活況を呈し
企業が大いに儲かっているという時
喜んだのは企業だけだけで
労働者に好況が少しも反映されてない事態が起こった。
何と企業は利益を従業員には回さず
ひたすら内部留保に回したということだった。
最近では官民格差のひどい中
独り喜んだのは公務員の方で
給与を決める人事院の勧告で
ワーキングプアや生活保護受給者が多出している時でも
公務員が喜びそうな勧告しか出さない。
聞けば大企業や平均年収の高いところばかりを基準にして
世間の平均値を出したらしい。
強者が弱者をいたぶって喜ぶ典型がここにかいま見られる。
喜⑨
素直に考えてどうも分からないのは
米が主食の日本人なのに米作りする跡継ぎがいなく
今は年寄りによってしか米作りされてないということだ。
別に親子でなくても後継者がいなければ
確実にその産業や文化が廃れる。
どうして日本の若者は米を作ることに喜びを感じないのか。
どうして日本の若者は都会に出たがるのか。
戦後70年
日本の歪みは多方面に漏出し出してきたが
米の場合はその中でも象徴的なケースと言えよう。
後継者が育たないのはその個人にも
その在り様作った組織や制度にも問題があったのだろうが
その内に別に米を主食とせず
西洋の食べ物食べて喜ぶ日本人となってくるだろう。
喜⑩
かつての首相の「最低でも県外」の発言が
シニカルな日本人の心を喜ばせた。
アメリカの基地は日本にはない方がいい。
さりとて沖縄県民には負担かけたくない。
その思いが首相をして言わせたのであろう。
日米安保で得して喜んでいるグループは
抑止力問題を持ち出して沖縄の重要性を持ち出すが
イージス艦持ちながらも自国守れない日本でもある。
で、アメリカの軍隊に守って貰いたいと思いながらも
わが県には来て貰いたくないと思う。
これを日本人身勝手な考えというか
それともやむを得ない考えと思うか
集団的自衛権の行使容認は戦争へ直結すると
考えるグループがいる限り頭の痛い話ではある。
喜⑪
戦後長期自民党政権を選んできたのは国民。
その時自民党を選んだ国民は喜んだ。
余りの腐敗ぶりで民主党政権を選んだのは国民。
その時民主党を選んだ国民は喜んだ。
期待したほどの力なく再び自民党政権選んだのは国民。
その時自民党を選んだ国民は喜んだ。
日本を民主義国家と認める限りは
その都度選んだ国民の選択は絶対だ。
だから自分が選んだ人が当選をすれは喜び
落ちれば憂い今度はと次に期待する。
見ようによっては国民はその一喜一憂で
成長していくのかもしれない。
こうして日本が民主主義国家として成熟してくるなら
国民の真の喜びはそれからだろう。
喜⑫
かつての日本は朝鮮を併合し
満州に傀儡政権を打ち立てた。
その時日本人は喜んだ。
それは日本のためでなくアジア全体のためであると
日本人は心から思い思わされていた。
翻って敗戦後の日本は
日本の領土に未だに外国の軍隊がいる。
しかも治外法権の上に進駐に対し経済的援助までしている。
何かあれば日本を守って貰えると
日本の国民は心から思い思わされているのである。
そういう思いになったのには
日本の大メディアが大いに関わっていた。
日本人の心を操作誘導することで
しめしめと喜んでいるのが今の大メディアなのである。
喜⑬
人間は思い込みする生き物とはよく言われる。
これまでの歴史の中で
多くの嘘を真実と思い込んできた。
そんな嘘には
偶々に思わず飛び出た嘘もあれば
作られ仕組まれた嘘もある。
悲しませたり怒らせたりする嘘もあれば
喜ばせたり楽しませたりする嘘もある。
悪意であれ善意であれ
不幸になる嘘であれ幸せな結末の嘘であれ
人間それを真実と信じれば
それはそれでそれなりの喜び持ちながら死んでいくのだろう。
それは思い込みを許された生き物の
逃れられない夢のような権利なのである。
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