W心、楽しむ

                                     楽
                                          @たのしむ。心かうきうきする。
                                      Aたのしい。心にかなっている
                                      Bたのしみ。。
                                      Cやわらぐ。ふところにする。みごもる。
                                      Dかなでる。
                                             (角川 大字源より)


 楽−前口上

卒中の後遺症で身体機能阻害され
家中での生活何となく多くなった。
当初は新聞・テレビだけから情報得ていたが
マスコミがなんとなく信じられなくなって
現実とは無関係な時代小説読みだした。
それで選んだのが池波正太郎作品。
鬼平といい、梅安といい、小平衛といい
どんなに正当化しようと
人が人を殺す話である。
それは許せぬことと野暮を言う気にならないのは
フィクションの世界の話であるからである。
かくて嘆かわしい「現実」忘れさせ
楽しい「今」と接触できるという
新たな余生の楽しみ方の一つができたのである。


 楽@

年金生活入ったら
現役の頃やれなかったことやって
余生楽しみたいと思っていた。
ところが病気が与える罰は身体の方だったので
一切のアウトドアーでの気晴らし出来なくなった。
ゴルフやボーリングは一度したかったし
魚釣りや山登りもっと続けたかった。
だが人手を借りてまでしたくなかった。
幸い本読みとパソコン使える身体機能残っていたので
仕方なく屋内で観念の世界に入り込んだ。
画面での疑似体験楽しんだりして一日を過ごした。
肉体で味わえる喜怒哀楽持たなくなっても
バーチャルな世界ででも生きられる人間の
存在の多様性と業の深さを思い知らされた。


 楽A

インターネットで世界分かる時代になった。
周囲が空き家だらけになった所に住んでも
日本どころか世界の人や組織の情報がとれ
コミュニケーションさえも出来る。
だから独りでも人生楽しめるのだと
便利な時代に生きた幸運に感謝する一方で
年取り病気になって出歩けぬのに
がんばって生きようとする強がりのようにも聞こえる。
病気になればそれなりに生き方に変えねばならないし
ネット時代に入ればそれなりに生き方を変えねばならない。
そのたびにかつての己が失われていくのがわかる。
かつての己は夢の中の他者のようにしか見えず
今の己こそ真の己だと思う変節楽しまねば
生きていけなくなった私である。


 楽B

去る者は追わず来る者は拒まずの考えで
これまでの人生楽しんできた。
それでも何人かは心に残る人たちもいた。
ご多分に漏れず老いと病の鎌に切り倒されて
現役続けることできず
先祖の地で療養生活するようになった。
今度再発したらおしまいだの覚悟しながらも
心に残った人たちとの交流想い出の財産にして
地の人たちとのささやかなこれからを楽しもうとした。
人は生きようとする限り
常に何かを試み何かをしなければならない存在だ。
そこに体に不都合があっても凌いでいかねばならない。
まさに私はそう覚悟することで
今の私を楽しんでいかねばならないのである。


 楽C

おかしな言い方だが
久しぶりに楽しく入院した。
古希になり高齢受給者証を貰える歳になったが
入院先の内科病棟では一番若かった。
老齢で手術もできず内科で入院した人が多かった。
そこは救急病院に指定されていた。
のべつ幕なく救急車のサイレンが鳴っていた。
しかしベッドは地方の病院らしく4割空いていた。
でも最近の医療技術はすばらしかった。
14mmと10mmに成長していた腸内の二つのでき物を
内視鏡使って楽しい話しながら摘出して貰った。
これは手術ではなく検査と言うのだから面白い。
気がかりだったのは、たった一つ
そのでき物が年相応に癌だったことくらいだった。


 楽D

いつでもどこからでも連絡できる電話があれば
もっと人生楽しめるのにと長い間思っていたが
それがどうだろう。
いわゆる携帯電話なるものができた。
私の生きている間に
その夢実現できたかと思うと
目の回る早さのバージョンアップ。
もはやそのテンポについていけなくなるほど年をとった。
今や数字のボタン押さなくてもよくなった点で
便利になったのだろうが
その便利さちっとも楽しさには繋がらなくなった。
急かされる思いが強くなったのである。
結局この私という人間
所詮アナログで楽しんできた人間であったということか。


 楽E

年々夏が暑く感じるようになっきている。
地球環境変化によるのか。
エアコンや化石燃料使用による人為性によるのか。
昔から私は暑さを楽しむ方で
汗出る爽快感さえ味わってきた。
高齢になり暑さ感覚麻痺しだしてきたこともあり
熱中症になりはしないかと心配になった。
私にとれば夏より冬をどう乗り切れるかが課題だったが
毎年夏になると節電節電の声かまびすしくなり
エアコン無しの生活は考えられなくなった。
節電の声は力なき庶民の智恵なのか
原発稼働させたい電力会社の謀略なのか不明だが
兎に角文明化に馴らされた身体に鞭打ちつつ
余生を楽しみたいと思う昨今である。


 楽F

便りがないのはよい知らせと言われる。
仕事に追われ連絡する暇もないのだろうと
無事信じ込む心情がそう思わせるのだ。
必ずしもそうではないと思うのは
こと年賀状についてだ。
メール世代の人には分からないだろうが
年賀状出す習慣が40年も続いていると
年賀状もらわないと
その人に何かあったとつい勘ぐってしまう。
年賀状は昔は儀礼でしかなかったが
今では古い知己からの年賀状が楽しみの一つとなった。
年賀状の文面はありきたりでも
差出人の名前を確認するだけで
過去の交友のリアリティーが彷彿としてくるのである。


 楽G

二紙を購読比較するのが昔からの楽しみだった。
特に産経新聞と朝日新聞。
どの新聞を読んでいるかでその人の立ち位置がよくわかる。
一昔前は産経は右寄りで朝日は左寄りだとか
あるいは産経は保守的で朝日は革新的だとかの
レッテル貼って新聞も読者も反目しあっていた。
私の家が朝日をとっていたので
若い時から私は朝日の側に立っていた。
時経ち時代変わるに連れて価値観も変わり始めた今
人権・革新でオピニオンリーダーを自負する朝日が
いつの間にか既存のシステムに依拠する守旧派となっていた。
そう言えば朝日を先頭に今のメディアのほとんどが
実は保守的で一番既得権を守ろうとしている気がした。
だから朝日取りつつも冷めた目で報道を楽しむようなった。


 楽H

もはや戦後は終わったの言いぐさは
エコノミックアニマルとなりはてた金持ちの常套句。
北方領土や米軍基地問題などの
国家でなければ解決できないものはすべて先延ばしして
よく言うよである。
戦後も70年近く経ち
国家忘れさせ地域忘れさせ家族忘れさせ
自利優先の経済的合理主義を金科玉条とした
戦後の人間教育のシステムが
次々とほころびを見せ始めている。
そんな戦後を冷めた目で見るのも隠遁者の楽しみだ。
幼児虐待、隣人の存在への無関心、医療崩壊等々
今さえ楽しめばよいの考えが
未来の日本を駄目にしているのかと心配にもなってくる。


 楽I

日本のアニメキャラクターや新幹線の技術を
勝手にパクッタ上に自分たちの創作だと
言い張る中国に腹立てる日本人が多い。
だがこのパクリの問題
中国に味方するわけではないが
欲に目覚め経済的文化的にも発展しようとするには
不可避の人間一般の現象か。
そう言えばわが日本でも
遠くは
和魂漢才で漢字をパクッテ見事な「かな」をつくったし
近くは
和魂洋才で技術をパクッテ日本にあった製品造っては
文化的で楽な生活を
日本人として楽しんできたのだった。


 楽J

日本の政治世界をかいま見るのも楽しみの一つだ。
政治家が三流でも
日本が持ちこたえているのは
日本の官僚がしっかりしているからだと言われてきた。
だが福島原発事故に対する霞ヶ関のもたもたぶりは
官僚が三流になってしまっていることを露呈した。
棒読みの政治家を操る術だけ長けて
政治家のよきパートナーにもなれなくなっている。
そのくせ庶民なみに政治家のせいにしたり
自らの怠慢を想定外の天災のせいにしたりして
当初の気概捨て自己保身にやっきとなっている。
大臣に更迭と言わせて水増し退職金までせしめ
当然とばかりに天下りしていく姿を見るにつけ
官僚期待する楽しみが泡のようになってきている。


 楽K

民主党政権下の代表選挙は
これまでにもなく政治の世界を楽しませてくれた。
政治と金で悪名高い老練な元幹事長と
市民運動出でクリーンとされる首相とのガチンコ勝負は
「開いた口がふさがらない」の朝日新聞などの
メディアのおかげでクリーン標榜の人が勝った。
特にわれわれを楽しませてくれたのは
メディアやその司会者やコメンテーターまでが
いかにも中立的な物言いしながらも
どちらかを支持しているのが窺えたことだった。
メディアの独りよがりで薄っぺらな正義感のもとに
指導力なくてもクリーンである方を選んだことが
結局は最低の首相を生んだが
選んだ側の背景と責任を問う声はいまだに闇の中にあった。


 楽L

日本での自民党という政党。
政党そのものが日本的であり
「日本党」と僭称して何の不思議もない。
政権維持のためには政敵と平気で組んだし
大多数党になると強行採決をなんども連発した
所属の政治家は口だけは立派でも官僚の走狗となっているし
世の空気が読めなくなってもお山の大将で居たがる。
余りの思い上がりに日本人は一度お灸を据えたが
野党の育たない土壌の日本であったのか
イデオロギーに走って自滅した民主党から
再び政権を取り戻した。
そんな政治の世界を音楽鑑賞するように楽しむのも
お上だよりで普通に欲どしくも我慢強い日本人には
ふさわしい考え方かも知れない。

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