Ⅳ心、楽しむ

                                     楽
                                          ①たのしむ。心かうきうきする。
                                      ②たのしい。心にかなっている
                                      ③たのしみ。。
                                      ④やわらぐ。ふところにする。みごもる。
                                      ⑤かなでる。
                                             (角川 大字源より)


 楽-前口上

卒中の後遺症で身体機能阻害され
家中での生活何となく多くなった。
当初は新聞・テレビだけから情報得ていたが
マスコミがなんとなく信じられなくなって
現実とは無関係な時代小説読みだした。
それで選んだのが池波正太郎作品。
鬼平といい、梅安といい、小平衛といい
どんなに正当化しようと
人が人を殺す話である。
それは許せぬことと野暮を言う気にならないのは
フィクションの世界の話であるからである。
かくて嘆かわしい「現実」忘れさせ
楽しい「今」と接触できるという
新たな余生の楽しみ方の一つができたのである。


 楽①

年金生活入ったら
現役の頃やれなかったことやって
余生楽しみたいと思っていた。
ところが病気が与える罰は身体の方だったので
一切のアウトドアーでの気晴らし出来なくなった。
ゴルフやボーリングは一度したかったし
魚釣りや山登りもっと続けたかった。
だが人手を借りてまでしたくなかった。
幸い本読みとパソコン使える身体機能残っていたので
仕方なく屋内で観念の世界に入り込んだ。
画面での疑似体験楽しんだりして一日を過ごした。
肉体で味わえる喜怒哀楽持たなくなっても
バーチャルな世界ででも生きられる人間の
存在の多様性と業の深さを思い知らされた。


 楽②

インターネットで世界分かる時代になった。
周囲が空き家だらけになった所に住んでも
日本どころか世界の人や組織の情報がとれ
コミュニケーションさえも出来る。
だから独りでも人生楽しめるのだと
便利な時代に生きた幸運に感謝する一方で
年取り病気になって出歩けぬのに
がんばって生きようとする強がりのようにも聞こえる。
病気になればそれなりに生き方に変えねばならないし
ネット時代に入ればそれなりに生き方を変えねばならない。
そのたびにかつての己が失われていくのがわかる。
かつての己は夢の中の他者のようにしか見えず
今の己こそ真の己だと思う変節楽しまねば
生きていけなくなった私である。


 楽③

去る者は追わず来る者は拒まずの考えで
これまでの人生楽しんできた。
それでも何人かは心に残る人たちもいた。
ご多分に漏れず老いと病の鎌に切り倒されて
現役続けることできず
先祖の地で療養生活するようになった。
今度再発したらおしまいだの覚悟しながらも
心に残った人たちとの交流想い出の財産にして
地の人たちとのささやかなこれからを楽しもうとした。
人は生きようとする限り
常に何かを試み何かをしなければならない存在だ。
そこに体に不都合があっても凌いでいかねばならない。
まさに私はそう覚悟することで
今の私を楽しんでいかねばならないのである。


 楽④

おかしな言い方だが
久しぶりに楽しく入院した。
古希になり高齢受給者証を貰える歳になったが
入院先の内科病棟では一番若かった。
老齢で手術もできず内科で入院した人が多かった。
そこは救急病院に指定されていた。
のべつ幕なく救急車のサイレンが鳴っていた。
しかしベッドは地方の病院らしく4割空いていた。
でも最近の医療技術はすばらしかった。
14mmと10mmに成長していた腸内の二つのでき物を
内視鏡使って楽しい話しながら摘出して貰った。
これは手術ではなく検査と言うのだから面白い。
気がかりだったのは、たった一つ
そのでき物が年相応に癌だったことくらいだった。


 楽⑤

いつでもどこからでも連絡できる電話があれば
もっと人生楽しめるのにと長い間思っていたが
それがどうだろう。
いわゆる携帯電話なるものができた。
私の生きている間に
その夢実現できたかと思うと
目の回る早さのバージョンアップ。
もはやそのテンポについていけなくなるほど年をとった。
今や数字のボタン押さなくてもよくなった点で
便利になったのだろうが
その便利さちっとも楽しさには繋がらなくなった。
急かされる思いが強くなったのである。
結局この私という人間
所詮アナログで楽しんできた人間であったということか。


 楽⑥

年々夏が暑く感じるようになっきている。
地球環境変化によるのか。
エアコンや化石燃料使用による人為性によるのか。
昔から私は暑さを楽しむ方で
汗出る爽快感さえ味わってきた。
高齢になり暑さ感覚麻痺しだしてきたこともあり
熱中症になりはしないかと心配になった。
私にとれば夏より冬をどう乗り切れるかが課題だったが
毎年夏になると節電節電の声かまびすしくなり
エアコン無しの生活は考えられなくなった。
節電の声は力なき庶民の智恵なのか
原発稼働させたい電力会社の謀略なのか不明だが
兎に角文明化に馴らされた身体に鞭打ちつつ
余生を楽しみたいと思う昨今である。


 楽⑦

便りがないのはよい知らせと言われる。
仕事に追われ連絡する暇もないのだろうと
無事信じ込む心情がそう思わせるのだ。
必ずしもそうではないと思うのは
こと年賀状についてだ。
メール世代の人には分からないだろうが
年賀状出す習慣が40年も続いていると
年賀状もらわないと
その人に何かあったとつい勘ぐってしまう。
年賀状は昔は儀礼でしかなかったが
今では古い知己からの年賀状が楽しみの一つとなった。
年賀状の文面はありきたりでも
差出人の名前を確認するだけで
過去の交友のリアリティーが彷彿としてくるのである。


 楽⑧

二紙を購読比較するのが昔からの楽しみだった。
特に産経新聞と朝日新聞。
どの新聞を読んでいるかでその人の立ち位置がよくわかる。
一昔前は産経は右寄りで朝日は左寄りだとか
あるいは産経は保守的で朝日は革新的だとかの
レッテル貼って新聞も読者も反目しあっていた。
私の家が朝日をとっていたので
若い時から私は朝日の側に立っていた。
時経ち時代変わるに連れて価値観も変わり始めた今
人権・革新でオピニオンリーダーを自負する朝日が
いつの間にか既存のシステムに依拠する守旧派となっていた。
そう言えば朝日を先頭に今のメディアのほとんどが
実は保守的で一番既得権を守ろうとしている気がした。
だから朝日取りつつも冷めた目で報道を楽しむようなった。


 楽⑨

もはや戦後は終わったの言いぐさは
エコノミックアニマルとなりはてた金持ちの常套句。
北方領土や米軍基地問題などの
国家でなければ解決できないものはすべて先延ばしして
よく言うよである。
戦後も70年近く経ち
国家忘れさせ地域忘れさせ家族忘れさせ
自利優先の経済的合理主義を金科玉条とした
戦後の人間教育のシステムが
次々とほころびを見せ始めている。
そんな戦後を冷めた目で見るのも隠遁者の楽しみだ。
幼児虐待、隣人の存在への無関心、医療崩壊等々
今さえ楽しめばよいの考えが
未来の日本を駄目にしているのかと心配にもなってくる。


 楽⑩

日本のアニメキャラクターや新幹線の技術を
勝手にパクッタ上に自分たちの創作だと
言い張る中国に腹立てる日本人が多い。
だがこのパクリの問題
中国に味方するわけではないが
欲に目覚め経済的文化的にも発展しようとするには
不可避の人間一般の現象か。
そう言えばわが日本でも
遠くは
和魂漢才で漢字をパクッテ見事な「かな」をつくったし
近くは
和魂洋才で技術をパクッテ日本にあった製品造っては
文化的で楽な生活を
日本人として楽しんできたのだった。


 楽⑪

日本の政治世界をかいま見るのも楽しみの一つだ。
政治家が三流でも
日本が持ちこたえているのは
日本の官僚がしっかりしているからだと言われてきた。
だが福島原発事故に対する霞ヶ関のもたもたぶりは
官僚が三流になってしまっていることを露呈した。
棒読みの政治家を操る術だけ長けて
政治家のよきパートナーにもなれなくなっている。
そのくせ庶民なみに政治家のせいにしたり
自らの怠慢を想定外の天災のせいにしたりして
当初の気概捨て自己保身にやっきとなっている。
大臣に更迭と言わせて水増し退職金までせしめ
当然とばかりに天下りしていく姿を見るにつけ
官僚期待する楽しみが泡のようになってきている。


 楽⑫

民主党政権下の代表選挙は
これまでにもなく政治の世界を楽しませてくれた。
政治と金で悪名高い老練な元幹事長と
市民運動出でクリーンとされる首相とのガチンコ勝負は
「開いた口がふさがらない」の朝日新聞などの
メディアのおかげでクリーン標榜の人が勝った。
特にわれわれを楽しませてくれたのは
メディアやその司会者やコメンテーターまでが
いかにも中立的な物言いしながらも
どちらかを支持しているのが窺えたことだった。
メディアの独りよがりで薄っぺらな正義感のもとに
指導力なくてもクリーンである方を選んだことが
結局は最低の首相を生んだが
選んだ側の背景と責任を問う声はいまだに闇の中にあった。


 楽⑬

日本での自民党という政党。
政党そのものが日本的であり
「日本党」と僭称して何の不思議もない。
政権維持のためには政敵と平気で組んだし
大多数党になると強行採決をなんども連発した
所属の政治家は口だけは立派でも官僚の走狗となっているし
世の空気が読めなくなってもお山の大将で居たがる。
余りの思い上がりに日本人は一度お灸を据えたが
野党の育たない土壌の日本であったのか
イデオロギーに走って自滅した民主党から
再び政権を取り戻した。
そんな政治の世界を音楽鑑賞するように楽しむのも
お上だよりで普通に欲どしくも我慢強い日本人には
ふさわしい考え方かも知れない。

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