心、哀しむ
哀
@かなしい。かなしむ。悲しみ。
Aあわれむ。
Bあわれ。ふびん。
Cも。特に父母の喪
(角川 大字源より)
哀−前口上
親父も死んだ。
お袋もとうとう亡くなった。
親戚の叔父や叔母や世話になった先輩も亡くなった。
学校時代の同級生も亡くなりだした。
あまつさえ年下の訃報聞くようにもなった。
気がつけば
人を送る側から
送られる側になっていた。
そこそこやってきた思いはあるも
それ以上やれる力もない現実の中で
とうとう自分にも順番が来たなと
覚悟すれば覚悟するほどに
哀しんでいる自分を見いだすのは
日本人の言う「無常感」持ち始めたからなのか。
哀@
高校の同窓会名簿が送られてきた。
古稀を迎えた人の名前がずらりと並ぶ。
高校では大学時代の行動的な生き方と違って
図書館の本を全部読んだことをおほえていた。
それでも同級生を懐かしく思ってしまうのは
それなりに社会的貢献をし現役退いた面々の
どこか満足げな現況報告を知るからだったが
名簿末尾に記載されている一割近い物故者の名前は
一種異様な哀しみを沸き立たせる。
今は病気療養する身の私が
名簿に沈黙の名前しか掲載できない人よりも
少なくとも哀悼示す側にいて
死に脅えつつも生きる戦い出来るのは
幸せな方と思ってよしとしなければならない。
哀A
昔から捻くれていたのか
司馬遼太郎がもてはやされた時は
山本周五郎が好きになり
西鶴がいいと言われると
芭蕉がいいという。
中国の古典では儒教思想よりも
老荘思想に引かれ
どちらかというと政治・経済の現実面よりも
宗教・哲学的な思想が好きだった。
それで悟った生き方が出来たかというと
人間やはり生身の体持つのか
年ともに気短く怒りっぽくなり
体に激痛生じるとその軽減のみに忙殺され。
今の生き様哀れむ心が次第に膨らんでくる。
哀B
時代変われば人も物も変わると悟っても。
自分の事柄に関しては言うと
それは別で
そう簡単に否定できない。
今の自分は昔の自分のおかげとつい考えてしまう。
その上に
年取り社会参加も出来なくなると
自分がしてきたことを基準に
物事を判断してしまう。
「これだけのことが何故出来ないのだ」とか
「少しは勉強してから物言いするものだ」とか
つい口走ってしまう。
こんな独り言癖になるのも
現役退いた人の悲哀の一つなのだろう。
哀C
100パーセントの年金生活者も
今では預金取り崩し崩しして生活している。
悲しいことには
文明の道具は仕方なく買い入れるのだが
すぐに買い換えられだけの余力はない。
使えるものは寿命来る迄使いたいと思っても
使えるのに強制的に捨てさせられる時が来た。
より便利になるとの名目のもとに
買い換えを強制された道具も数々あったが、
収入のあった現役時代は我慢して買い換えた。
だが使い慣れたウィンドウズXPや現使用のテレビが
強制的に命終えさせられることには悲しい思いがする。
老いぼれたお前なんぞは早く死ねばよいと
言われているような気がしてならないのだ。
哀D
古代遺跡の貝塚は
昔の人間の生活ぶりを示す証拠を残しているが
想定外の自然災害か
核使用の人為的なミスかで
現代人途絶えた後の未来人は
山積のコンピューターの残骸見て
何と思うだろうか。
貝塚は見たら原型は分かる。
本でも形が残れば何とか分かる。
コンピューターには無限の情報が隠されてはいても
寸時にして無となる特性を持つ。
ガラクタとして放置されままで
その謎解きが分からなければ
哀れにも存在のない物の怪になるのである。
哀E
ここ十年新聞テレビを賑わすのが
エリートや組織人の犯罪よりも
非正規雇用者の犯罪。
この非正規雇用者のほとんどは
企業による企業のための企業の判断から生まれた。
紛れもなく組織から疎外され差別された社会的存在である。
かつての日本にあった身分社会の時代に
身分にも入らない存在が作りだされたという歴史的事実が
何となく思い出されてくる。
企業にすれば
何かあればいつでも切り捨てられる非正規雇用者がいるから
企業やその正規雇用者が保証されているのである。
ここに組織や社会維持の犠牲者を心弱い悪人と断罪するという
悲しいパターンが現代において繰り返されている。
哀F
韓国の大統領が竹島に上陸し
韓国領土たる意思表示をし
さらには日本国の象徴たる天皇陛下にまで言及した。
それでも日本国民の虎の尾を踏ませるたことにならなかった。
厄介なことが起こったと弱腰に終始した。
確かに日本は朝鮮を日本領にし中国に満州国を建てた。
敗戦を迎え軍国主義的に行動した負い目を受け
日本の国家・国旗はその象徴として自戒した。
他国が軍国主義的に行動しても日本は強く非難しなかったし
他国の国民が日本の国旗を踏みつけにし燃やしても
老いた日本人は忍の一字だったし
若い日本人はそんなこと関係ないの一言だった。
老いた私は踏みつけられ燃やされた国旗を見て
哀しい思いだったが怒り覚えるようにもなってきてきた。
哀G
江戸時代の武士は形は支配階級に属していたが
実際は単なる事務屋に成り果て
維新迎えた時に大きな時代のうねりに対応できず
右往左往するばかりだった。
現在の役人は行政執行を本来の姿としていたが
いつの間にか政治家凌駕する力を得
自分たちに都合のよい国にしてしまった。
武士が単なる事務官僚になり
今の事務官僚が面従腹背の政治家もどきになるのも
それなりに時代背景に起因すると同情するが
その本来の姿を失い頑迷固陋になればなるほど
翻弄され嘆き悲しむのは
決まって力なき庶民であるというのは
いつも変わらぬ歴史の哀しい常態である。
哀H
福島の原発事故は天災に起因した人災だが
薄っぺらな「安全神話」が日本人を哀しませた。
政府や東電やメディアはまさにその戦犯だったが
彼らにはその罪の意識がなかつたのは
戦後日本人の考え方を具現していたからだった。
いみじくも
原発そのものが戦争しない平和のイメージ持ったし
最小の労で最大の効果の表れと信じた。
その経済主義は多岐のエネルギー政策策定の努力を封じたし
安上がりと言いながら他国より高い電気代を取った。
己の得のためには他人のことは知ったことではなかったし
企業の利益のためには国のことはどうでもよかった。
その影響は国が駄目になっても
己の延命だけは図るという元首相にも現れていた。
哀I
羮に懲りて膾を吹くの諺ではないが
戦争に敗れて日本は
国考えるに臆病になりすぎた。
お陰で経済は発展したものの、
国にとっての得損よりも
自分にとっての得損を考える習慣がついた。
個人が利益追求すれば
それが社会や国の発展になるとの考えが
信じられ実際正しかったのは
冷戦時代終わるまでだった。
一人勝ちのアメリカのグロバーリズムに盲従し
そのくせ目先の小欲ばかりに囚われて
結局国としてはずるずると
世界的地位を失っていく哀しい現実がここにあった。
哀J
かつて政権与党幹事長の政治がらみの事件で
無作為で選ばれた民で構成されたという検察審査会。
そこで「絶対権力者の犯罪」としてすべての委員が
「起訴相当」と断定した。
旧来の政治姿勢脱けきらない幹事長にも問題あるにしても
プロの検察も起訴をためらった事件を
全員一致で起訴相当と判断したことは
裏読み好きの人間としては何か胡散臭さを感じさせる。
全委員が犯罪と認めるほど明白な事実でもあったのか。
全委員を起訴相当と断定させる何かが働いていたのか。
全委員はそれぞれ主体的に判断したと言うであろうが
すべてがすべて同じ判断をしたと言うことが
日本は金時飴のような民主主義国なのかと
恐ろしいというより哀れみたい思いだった。
哀K
民主主義の世の中と思えばこその
受益者負担と自己責任の考え方。
それを受け容れるのは当然と思うが
そう思うのは国民の方でなければならないのに
日本の場合それがどうだろう。
権力持つ国や公共団体が率先して口にする。
国民の自立意識向上のために
親心として言っているのならまだしも
実際は本来果たすべきことを公権力側がしないことの
免罪のために悪用しているのである。
はてさてこの受益者負担の原則と自己責任の観念。
本来言うべき資格のある人が言える気持ちにならず
本来言ってはならない人がほくそ笑みながら言う姿にこそ
官尊民卑が土壌の日本の悲劇が隠されている。
哀L
昔から政財官の癒着とはよく言われるが
それを如実に示したのが東電の犯した原発事故。
政治家は東電より献金を受け
政治活動という名目で東電の利益図る。
東電は利益確保のため官僚の天下りを受け行政を操る。
官僚は天下りして東電から高給を貪り
東電の利益のために政治家や行政に働きかける。
この三すくみの構造は東電だけのことではない。
すべての日本の大企業に当てはまる嘆かわしい現実。
そのくせ表向きには臆面もなく
企業は企業で社会的貢献をしていると言い
政治家は政治家で国益のために活動していると言い
官僚は官僚で公僕として勤めていると言う。
泣くに泣けない泣けるような哀れな日本の実態である。
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