第九章 ユートピアニズムの変遷の中で
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オランダの歴史学者ホイジンガの『中世の秋』によれば、より美しい世界を求める人間の願いはいつの時代にもあり、その実現のためには三つの道が採られたという。第一の道は「世界の外に通じる俗世放棄の道」であり、第二の道は「世界そのものの改良と完成をめざす道」であり、第三の道は「夢をみること」である、と彼は言う。
これらについては、さらに次のような説明が加えられている。
第一の道とは、美しい世界は彼岸にあると考え、現世への関心はそこにいたる時を無駄にするのだという観点から、現世への関心を排し、そのために生活の形態や社会のしくみに対しては目をつぶり、ただ単に現世に超越的な徳がそそぎ込まれる努力のみを払おうとする道である。もっとも、俗世放棄といっても現世の社会を積極的に否定しようという気持はなく、慈善等の行為によって、現世を背後から照らそうとするにすぎないが、この道の志向は、ホイジンガによれば、キリスト教世界では文化創造の原理ともなっている。
第二の道とは、現存の社会や国家の諸制度を改良、改革することが幸福に結びつくという考えのもとに、勇気と希望にうらうちされて、人間と社会の完成を意図しようとする道である。いわば現実の枠内で美しい世界を実現しようと努力する道である。彼によれば、この意識がはっきりしてきたのは十八世紀にはいってからである。
第三の道とは、悲惨な現実とその現実の世界の放棄の道のけわしさを知るが故に、きびしい現実から美しいみかけの世界への逃避によって、現実を中和しようとする、最も安易な道である。ここでは生活そのものを、美をもって高め、社会そのものを、遊びとかたちで満たそうとする姿勢がつらぬかれているのである。
ホイジンガのこれらの定義は、これからわれわれが考えようとするユートピアを考慮した新しい人間像づくりに大いに貢献してくれるであろう。というのは、ホイジンガのこの三つの道は現実世界に対する三つのアンチ・テーゼを、即ち、第一に宗教的、第二に社会的、政治的、そして第三に芸術的アプローチによるユートピア的世界を示そうとしているからである。
さてわれわれがユートピアについて考える際、ユートピアが、トーマス・モアの虚構的世界の中にみられていた概念規定以上の拡がりをもち、いまやその言葉の乱用によって、その言葉の使用者はその都度その意味をあきらかにせねばならないほどの肥満体になってきているのに便乗させてもらえば、わたしは、ホイジンガのいう美しい世界がわれわれのまだ見ぬユートピアの世界であり、彼のこの考え方も一つのユートピア論を展開していると思いたいのである。しかも、ここでわたしは彼のあげるこれらの三つの道がユートピアへの三つの基本的な志向を最もよくまとめあげていると考えたいのである。
勿論ここで、なぜわれわれがユートピア論を展開しなければならないか、をあらためて述べる必要はないだろう。それは、ユートピア思想家のすべてが認めているように、ユートピアが現存の社会を、不満の意識のもとに、超克すべき対象として認識するところから生まれてきているからであり、当然われわれの住む現代社会を見てみた場合でも、その社会の存在様態がどうであれ、(端的にいって資本主義社会であれ、社会主義社会であれ)そこに不満の意識をもつものが少なからずいるからである。(もっとも、人間は心理学的には現状に対しては常に不満のあるものだとする即自的人間的立場からは、それはわれわれのユートピア思想の考察の理由づけにはなっていないだろう。だが、わたしはここで社会的に抑圧された者の意識のことを言っているのである。)
だがユートピアという言葉そのものが、十六世紀はじめのトーマス・モアの「ない・場所」の造語にはじまり、最初は、常識ではとても考えられない理想郷、従って単なる願望の話のテーマとして使用されるにふさわしい言葉であったにもかかわらず、その解釈にあたって、次第に現実的な重みをもつように変調をきたし、その意味内容は依然として「空想的」「幻想的」であったとしても、いつのまにか、そして特に、マルクスやエンゲルスによって、少なくとも現存しうる社会の在り様にかかわる指示的用語になり、さらには、マンハイム等の社会学者によって、現存のあるいは歴史的存在の在り様そのものを指示している学術語にまでなったという事実は、単なる言葉の乱用をいましめる以上に、人間の希求の念をあらわすこの思想の普遍的意味とその重みを感じさせていると言えよう。
従って、ユートピアが十六世紀に造られた言葉ではあるにしても、その指示しているものが、紀元前八世紀頃のヘブライの予言者アモスの社会悪と不正義に対する義憤に満ちた予言から、二十世紀の今日の、コンピューターとユートピアとの合成語によって示されるコンピュートピアのビジョンに至るまでの広範な期間の様々な考えを包摂しうる概念となっても、われわれは少しも驚くにあたらないであろう。
ただユートピア像が今までの歴史を通じて不変であったというわけではない。不変であったのはユートピア像を形成する人間精神の構造であって、ユートピア像の具体的内容は変容するばかりか、時には、相反する像を志向している場合さえ、はっきり見られているのである。
M・ベアも言っているのであるが、たとえば十七世紀初頭に出たF・ベーコンの『ニュー・アトランティス』においては、科学が人間の幸福に貢献するであろうとの仮定から、科学技術の発達した状態がユートピア社会の内実を占めていたのに対し、十九世紀の終わりに書かれたW・モリスの『ユートピアだより』においては、科学技術の典型的あらわれである機械文明は疎んじられ、生産物が手工芸品で占められる社会が理想郷として語られている。
ここでわれわれは、これらのユートピア像のどれが正しいのかと詮索しえないのは当然である。あきらかなのはユートピア像が歴史的制約をうけているという事実である。たしかに、一面では、ユートピアは、たとえば浦島伝説のように、超時間的、超空間的願望を含みうる多様性を持っているとはいえ(それ故にいつの時代の人々にも望まれているのだろうが)、そのような形態のユートピア志向は、せいぜい個人的世界にとどまる限りで許されているのであって、いやしくも人間存在が社会における人間として規定されるような場合は、われわれの誰もはそのような個人の志向を社会的問題としてとりあげようとはしないのである。人間が社会的存在であるとされる以上は、われわれの語るユートピアが、現存の社会の制約をうけるのは(従って歴史の制約をうけるのは)当然であるし、又そうでなければならないのである。
ここでわれわれが注意せねばならないのは、ユートピアについて考える際、ユートピア像が何であるかよりも、むしろユートピアを想念するところの人間の精神をより重視しなければならないということであろう。T・O・ハーツラーは「ユートピアの背後にはユートピア精神がある」と言う。
このユートピア精神こそ、人間の本性に相応する重要な社会形成の原理として機能するものとして想定されねばならないのである。それでは具体的にそれは何であるのだろうか。彼によれば、ユートピア精神とは「社会が改良されえ、合理的理想を実現するよう作り直されうるという感情である。」そして、彼はユートピア精神を「ユートピアニズム」と呼び、「諸概念や諸理想それ自身によるか、あるいは社会変化の明確な作用に具体化された諸概念による社会改良の概念」を意味していると規定するのである。
ここからユートピアとは、たとえばM・ブーバーの言うように「現実には存在しないでただ表象されるにすぎない何かについての像」、言いかえれば願望像、しかも「個々人のうちにではなく、人間的共同自体のうちにおいてのみ実現されうるところの、かの正しきものへ(傍点はブーバーによる)の渇望」の形成像として理解されたり、又、K・マンハイムのいうように「意識がそのまわりの『存在』と一致しない」場合に、「現存秩序を同時に破壊しようとするような、現実を超越する方向づけ」で「実際の行為の中に具体化して、実現しようと努める」「願望イメージ」として描かれたりするのであるが、こうなってくると、ユートピアは単なる絵そらごとではなく、現実的且つ明確な時間的、空間的性質をおりこんだビジョンとして想定されてきているのである。というのは、その背景にあるユートピア精神は、もはやそれ自身が楽しみや逃避のために作用しているのではなく、社会変革を余儀なくさせる現在の歴史的状況の要請として生まれてきているからである。
さて前述のように、ユートピア精神が、L・マンフォードの言うように、単なる逃避やゆとりある観照ではなく、再建のユートピアとしての社会を形成する現実の人間の行動原理とエネルギーとなるものとしてみなされなければならないとするように、われわれの考え方が変わってきたことは注目に値する。言うまでもなくユートピア精神がそのような観点で見られるということは、単にそれが社会学的対象になったからであるという以上に、もともとすべての理念が近代人に共通な物の考え方の影響のもとに想定されていたからであり、それ故、そのような観点での考察が近代人の心情にぴったりとあっていたからである。それはユートピア精神を宗教や芸術の領域にのみ認めていたエリート達にとっては悲しむべきことかもしれない。彼らにとってユートピア精神は、いわば自己の存在活動の原動力だったからである。
しかしながらそのようなユートピア精神なら、今の場合、打ちすてられてよいかもしれない。なぜならば、そこで生まれたユートピアは少数者の彼らにとっては大事であったかもしれないが、多数の近代的思想を身につけた人間にとっては、ユートピア的想像力は現実の糧を提供しえなかったし、又このような想像力は一部の精神的エリート達の占有物であるかのように思われていたからである。その結果、近代型のユートピア精神のしっぺ返しが、ユートピアのとらえ方の世俗化、普遍化の形を通してなされたのである。
社会科学の面からいえば、この動向はしっぺ返しといった比喩的説明で示されうるものではなく、むしろ人間の本性が近代的概念の中で規定されるようになった歴史の流れの必然的結果を示していることになるだろう。その意味から、ユートピア像として、現時点において、最も可能的に形成されうるのは、社会主義社会や共産主義社会の考え方の中においてであるという認識が生まれたのである。それはユートピア的思考が近代人すべてのものの共有物になりうる道を与えていたのである。
もっとも、社会主義社会は今や現実的な存在であり、それ故に部分的に人間感性になじまない面もあらわれているので、社会主義社会というユートピア社会は、もはや、適切なユートピア像をあらわしていないかもしれない。しかし少くとも今のわれわれがユートピア像を社会的、政治的制度を考慮して描くようになってきていることは間違いではないだろう。歴史の流れがユートピア像をみるわれわれの視点を、おのずとこのような現実の社会生活の問題にむけさせるようにしたのである。
近代のユートピア論は、エンゲルスによって「ユートピアから科学へ」と主張されることによって、一見、否定されたようにみえながら、われわれの理性的努力によって手のとどく現実社会の設計図になって復権してきたのである。
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さてここから冒頭のホイジンガのより美しい世界は、常識的な近代的思考のもとにおいては、世界そのものの完成をめざすという第二の道を志向することによって、より一層現実的なものになるということになってくるだろう。
人間の歴史において比較的新しくおこったこの志向は、最も合理的且つ科学的な手段の採用によって、またたく間に社会形成のパターンを確保してしまったのである。ここにユートピアの問題は、K・ケレーニィが規定した「無条件に到達不可能な願望」というユートピアの原義からはなれ、「条件的に到達可能な願望」の問題として展開されたのである。
勿論この推移あっては、人間の自己の存在に対する過信が大いに関与していることは言うまでもない。それ故、第一の道、第三の道は、まさにエンゲルスが言うところの空想的、ユートピア的なものとして切り捨てられねばならなかった。
なぜならば、第一の道、第三の道は、たしかに広い意味でのそして本源的な意味でのユートピアへの道であり、しかもこれまでのユートピアへの道として考えられてきたものではあるが、マルクス主義者好みの言葉を使わせてもらえば、せいぜい世界を主観的に描き、解釈しているにすぎないのであって、世界を変革する物質的力を供してしなかったからである。
われわれのユートピアがホイジンガのいう第二の道を歩むように強制しているのは、それだけが社会的人間の共同体という新しいビジョンを提供していたばかりではなく、人類の幸福を第一義的に志向していたからである。ただしこの点において、幸福の概念がきわめて近代的であることを忘れてはならない。われわれの幸福というものは、社会的政治的制度と不可分にむすびつけられているのであって、かかる制度の改善によってのみ幸福は獲得されるのだと考えられている。いいかえれば、われわれの幸福は社会的政治的に考えられてみてはじめて存在しうる、人間の存在様態をしめすようになっているのである。(過去において、たとえばアリストテレスの考えにも、このような見方は存在していたのであるが、その場合、近代において見られるように、すべての人間が物質的欲望を持つ存在であり、従って、ホモ・ファーベルとして人間が存在するのだという観念が支配的でなかったために、ホモ・サピエンスとしての人間の幸福だけが考えられていたにすぎなかった、とも言える。)
それ故宗教的ないしは芸術的に幸福を志向することは、一人よがりにおちいるか、それともむしろ全体にとっての不幸の胚種を生むものとして歓迎されないのである。このような幸福のとらえ方は、オールラウンドではないにしても、われわれの幸福感の主流を占めるほど、われわれが唯物的、功利的になってきた証左を示しているであろう。しかもこの考え方は道徳的是認をも、とりつけているところに、われわれの行動に大義名分を与え、その上に、人類の幸福のための社会形成を行なう諸行為に対しては、他の個人的諸行為に対するのとは違った寛容さを認めさえしているのである。(もっとも中途半端な抑圧的社会においては両者の諸行為の区別はなかなかにつきえない場合が多い。)
さて「世界そのものの改良と完成をめざす道」がユートピア建設の一方法と認められるには、それまでの社会の状態が発展可能性の認められる流動性を含んでおり、且つその住人である人間の生の能力に対する信頼感が横溢していなければならないだろう。しかも過去に致命的打撃を経験しなかったが故に生じる楽観主義が冒険心を喚起しているといった恵まれた条件がなければならないだろう。
このユートピアへの道はいついかなる場合にも志向されえないのであり、(プラトンやモアのように頭の中ではそうであったかもしれないが)実際のところ、ホイジンガのいう通り、近代の精神が力を持ちはじめた十八世紀になって、まじめにとりあげられたのである。
この第二の道を志向するにあたり、唯一のつまづきの石となったものは、個人と社会との関連における、不充分な認識であった。もともと、この第二の道は人間に対する尊厳性が一定の段階にまで認められてから生じており、そのため個人の人格が、あらゆる人の場合にも、独立自存のものとして一応前提され、その結果、その個人の持つ欲望の追求が権利として等しく認められた状態の中で志向されたのではあるが、ただそれだけではユートピアへの道としてつながっているというわけにはいかなかった。
というのは、かかる個人の立場の固執がいろいろな困難事を発生させているのに気づくや、個人の力ではどうしようもない困難事の解決こそが必要なのであり、そのために社会やその制度そのものの変革がなされなければならないという認識が第二の道の中に生まれてきたからであり、それが近代におけるユートピアへの道の内実を示すようになったからである。そしてこの瞬間から、近代におけるユートピアはL・マンフォードの言葉に従えば「逃避のユートピア」ではなく「再建のユートピア」に変わったのである。
とはいえ「世界そのものの改良と完成をめざす道」がユートピアへの道として規定されるにあたって前述のつまづきの石は、その当初においては、大きな矛盾となっていたにもかかわらず、たいした混乱をもたらさないで、見すごされていた事実がある。
若くして世を去ったM・L・ベルネリはその点をするどくかぎわけていた。彼女は、多くのユートピアが「権威主義的ユートピアは……経済的な不平等を廃止しようと欲する限りにおいては進歩的であったが、古い経済的奴隷制を新しい形の奴隷制におきかえるものにすぎなかった。すなわち、人びとは自分の主人や雇主の奴隷ではなくなり、民族や国家の奴隷となったのである。国家の力は、ときとして、プラトンの『国家』に見られるように道徳と軍事力を基盤としたり、アンドレアエの『クリスティアノポリス』のように宗教を支柱にしたりしている。いずれにせよ結果はいつも同じである。個人は、かれのために人為的に作りあげられた法規や道徳的規範に従うように強いられるのである。多くのユートピアに根本的に存在する矛盾は、この権威主義的な方針に由来するものである。」
このベルネリの指摘は(プルードンもそう考えていたのであるが)古いユートピア像にあてはまるばかりではなく、現在において尚且つわれわれによって描かれようとしている、社会主義社会というユートピア像にも無関係ではないのである。それ故に、最新のユートピア像は、モリスのそれあたり以後、この点を反省した上に構築されていく傾向になってきているのは当然といえるだろう。
ともあれ、幸福を社会の諸制度の改良(一八〇度転換の革命を含め)を通じて獲得するという発想は、振り返ることのない一直線上の発展的歩みを続ける姿勢だけでは不充分であって、ユートピア像を描こうとした時の個人の本源的希求が満たされているかどうかの検証作業を同時に伴っていなければいけないのである。だが近代人の考えるユートピア像では、彼らの論理的操作から考えて、究極的には、その作業が不可能ではないかと思われる。
というのはユートピア像は独立せる個人の自発的意志によって望まれたという考え方が支配しているため、一度、形成された以上は、そこには個人の願望を損なうようなものは何もないと信じられるか、それともアプリオリに個人の政治的、道徳的反逆は想定されだにせぬと決めつけられてしまっているからである。言いかえれば、先の検証作業をするという考えがどこからも生じえないのであり、しかもその態度には被拘束の観念など少しも存在していなかったのである。
この論理の典型はホッブズのコモン・ウエルスの考えに見られるのではないだろうか。ホッブスによれば、国家権力は「人工の枷」ではあるが、それも人間が平和の獲得とそれによって自己保存のために自発的に自己の権利を譲渡した結果生まれたものであるから、国家権力の発動は自己にとっても自由の意識としてうけとられるのである。ロックに至ってこの国家権力の観念は所謂民主的性格をもつにいたり、ユートピア的性格を若干失ったが、ホッブズの場合、その論理構造において、近代的ユートピア的思考のパターンを提供していると考えられてよいだろう。
それ故これまでの権威主義的ユートピアが、その権威主義的なるが故に同時に抑圧的性格を有している、とうけとられないのは以上のような意識が反映しているからである。ここからユートピア的な社会や国家の制度が権威主義的に機能していることは、中世社会や資本主義社会のもつ権威の観念でもって判断せられないことになるであろう。ただ、これでもってこれまでのユートピア思想のもつ弱点を弁護していることにはならないだろう。というのは、現実に権威主義の中に抑圧を全く感じぬ人間存在があるとは認められないからである。
わずかでもかかる存在が認められる場合、ユートピア社会にも『悪』の現象を内包しているということになろう。その場合、ユートピア社会における悪はどのように解決されているのであろうか。
その一つは、悪が個人における倫理的弱さとして認識され、その克服のためには社会ないしは国家という無謬的な全体性に包摂されるような志向性を内なる行動のエネルギーに転化させることである。従ってそこでは社会ないしは国家ははじめから善であるから、その善を維持するか、それ以上に発展させるという使命感が唯一の行動源になっているのである。
もう一つは、悪に対する過小評価である。あるいは人間に課す試練としての悪の理解を通じて、現存の社会を(ユートピア社会の場合なら、より一層)固定し、容認してしまおうとすることである。この際ユートピア社会は、自らは気づいていないかもしれないが、かの機械じかけの神を一等の味方にしているように思われる。それ故、ライプニッツの予定調和説、スミスの見えざる手、とりわけヘーゲルの理性の狡智は、それぞれ哲人の抱いた社会の矛盾を弁明しているのであるが、ユートピア社会の矛盾をも見事に弁明しているのである。
この点は何も驚くにあたらないだろう。ユートピア社会をホイジンガのいう第二の道に従って理解するわれわれの精神構造はライプニッツやスミスやヘーゲルのそれとは基本的に何も変わっていないからである。
以上、われわれはホイジンガの語る「より美しい世界」を求める第二の道をユートピアへの道とし、それが近代人の精神に最も受けいれやすいユートピア観を作りだしている点を知った。それと同時に、ベルネリの指摘に従ってユートピア社会の権威主義的傾向が近代的思考の生みだす内的矛盾の一つのあらわれである点もあきらかにした。
今のところ、この矛盾は、理論の段階では、いわばこじつけの形で解決されているかもしれない。だが、問題なのはユートピア社会における悪の現象が各個人の本源的欲求に抵触しているのかどうかである。もっとも、これとても、悪の現象としてうけとるかどうかのわれわれの精神構造の在り様に関わっていることであるから、近代的思考の枠内で結論を求められないとせねばならないかもしれないだろう。
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それにしても、今までのわれわれはユートピアをあまりにも現代的に解釈しすぎてきたので、もっと原初的な意味に戻してとらえる必要があるかもしれない。とはいっても、われわれの語るユートピアは単なる幻想として簡単に無視されるものではなく、原初的な意味においてとらえられながら、しかも新しい社会形成のプリンシプルともなりうる可能性を含んでいるものでなければならないのである。
この考察は冒頭のホイジンガのより美しい世界を求める人間の願いを成就させる三つの道の内で第一の道(俗世放棄)と第三の道(夢をみること)の復権を意図しているように見える。もともと、われわれの未来の世界を形成するには、現存の世界の中で人間の特性を駆使して改革していくか、その世界の外に立って異質の世界のモデル造りに励むかのどちらかが考えられる。
前者が現実的人間としてのわれわれのこれまで考えてきたユートピアへの道であり、ホイジンガのいう第二の道である。後者がわれわれがこれから考えようとする新しい型のユートピアへの道であり、ホイジンガの第一、第三の道に相応するものである。
この両者は次のようにも言えるだろう。即ち、社会的、政治的、経済的変革によるか、宗教的、芸術的回心によるか、あるいは物質文明志向型か精神文化志向型か、あるいは唯物論的観点か観念論的観点か、と。
この二分法の是非はともかく、われわれの思考の世界ではユートピア建設にむけて様々なアプローチがなされている。しかも、われわれの常識はかかる知的二分をした場合、一方的にどちらかを選び、他をきりすてるということはできなく、その総合の中に真の世界造りの道が存在すると考えるにきまっているのである。
本論の結論もそこに求められるのはやむをえないとしても、ただこれらが歴史的に存在する場合、どちらかが積極的に評価されているというのは事実であろう。その場合、他方の考え方は消極的に認められているどころか、時には、積極的に評価されているものの存在価値をおとしめるものとして排除されているのは、歴史的真実であろう。
われわれの考察した第二の道の場合もそうではなかったであろうか。少なくとも第二の道の志向が支配的であった場合は、たてまえはともかく、本音としては第一の宗教的姿勢、第三の芸術的姿勢は、現実の社会には(特にその社会を支えたり維持したり改革したりしていこうとする観点でみた場合には)役にたたないばかりか、有害でさえあったと見なされていたのである。
われわれが第一の道及び第三の道において新しいユートピアの内実を見ようとするのは第二の道を通して得られた世界、そしてその理想であるユートピア社会(社会主義社会からモア的社会を含めて)に対する感性的な反発が契機となっているからである。
この反発を覚えさせたのは、テイヤール・ド・シャルダンの『人間の未来』と題する書物によれば「集団化の諸力の人間世界への加速的浸蝕」の現象であったと言えよう。彼はこの浸蝕現象を、たとえば「すべてを包含する大衆の上昇、経済的関係の不断の緊密化、知的あるいは財政的なトラスト、政治体制の全体化、個人あるいは国民の群衆のなかでのようなひしめき合い、単独で存在し、行動し、思考することの不可能性の増大、われわれのまわりにおける、あらゆる形式での、他者の上昇」といった様々な事例において見ている。これらは「急速に拡大して怪物的なものにまでなろうとしている社会の……触手」であり、われわれが「不快に感じて」いるものなのである。
テイヤールは、この後、この不快の感じからの解放の可能性を彼なりの世界観で示そうとするのであるが、それはともかくとして、テイヤールの記述した様々な事例をわれわれは知るだけで先の反発の根拠があきらかにされているとみてよいだろう。
もっとも、この浸蝕現象の批判がただちに第一の俗世放棄、第三の夢みることへとわれわれを走らせることにはならないだろう。仮にそうだとしても、その内実は多分に歴史的性格を有するものでなければならない。再三再四、くりかえすようにわれわれの語るユートピアとは、どのような形態であれ、歴史的制約をうけるものである。
仮令、ユートピアが実現不可能のビジョンを本質的に内在させているものであったとしても、社会状況の条件がととのい次第、ただちにユートピアによる社会形成のプリンシプルが発動することが、自明の事実として、了解されているのである。それ故に「無条件に到達不可能な願望」(ケレーニイ)という意味でのユートピア定義は、文字通り、原義としての意義しかもっていないとされねばならない。
われわれの考えるユートピアが実際のところ第一、第三の道においてこそ生かされると言われるためには、少々の精神のきりかえが必要となってくるだろう。これまでわれわれは専ら第二の道を確固として志向していたが故に、第一、第三の道において「無条件に到達不可能な願望」としてのユートピアを所謂ユートピアとして考えていたし、そのためわれわれは第一、第三の道よりも、第二の道の方に、よりわれわれの生存にとっての有意義性と価値を見いだし、行動していたのである。
その際われわれは「世界そのものの改良と完成をめざす道」をたどっているということと、そのような行為に自己の存在意義を見いだすということとは不可分の関係にあると見なしていたのはあきらかである。しかしよく考えれば、そのような行為が事実としてなりたちえても、そのような行為にかじりつかなければわれわれの生のパターンが保証されないというわけではないのである。
その根拠はどこにあるのかといえば、いうまでもなく、この世が「過剰社会」であるというマルクーゼ流の認識にあるのである。マルクーゼが『ユートピアの終焉』において「ユートピアより科学へ」ではなく「科学よりユートピアへ」において、社会主義への道の理念を把握しなければならないというのも、実はこの認識にあるからであろう。この時、彼は「過剰社会」の実体を先進工業社会(特に資本主義社会)において見、かかる理念の把握の必要性をとくのであるが、今のわれわれはもっとつきすすんで、あるいは別の角度から、「過剰社会」を、もはや生産力の無限拡大や進歩信仰の神話が通用しなくなった、超文明社会(少なくともその萌芽)とする立場にたってもよいのではなかろうか。
マルクーゼの場合、このような社会を抑圧状態として見、そこからの解放のために「人間的存在の生物学的次元への能動化」を意図するのであるが、その意図の結果によって、異なった立場からの第二の道を歩みつづけるようわれわれを促しているようにもうけとれないこともない。むしろこの場合、過剰社会とは第二の道の志向を理念とする気持を放棄させるような、それ故、ある種の感性の飽食感を抱かせる社会であるとした方がより適切であろう。ただしこの際、世界の改良と完成の目的の放棄とは、決して不承知の断念を意味してはならないだろう。それはこの目的の自然瓦解を意味し、この目的の意志的設定の不必要性の観念の増大を意味しているのである。
もっとも、この認識はかなりぜいたくであり、偏見も含んでいる。過剰社会といっても、社会といわれるものの状態が過剰現象をともなっているのであり、そこに住む人間のすべてがその過剰の影響をうけているわけではない。それ故に、かかる認識は全人的観点を欠いているために、今までは政治的支配者を含めたエリート達の御用的役割をはたしていたとみられていた。
しかし今やエリート達は老いこんでしまったと考えられるので、彼らは抑圧のポテンシャルを喪失し始めているか、少なくとも、「禅譲」の精神を持つよう余儀なくされているとも決めつける必要があるかもしれない。従って過剰社会は抑圧社会であると認めつつも、エリート達でない者の復権の場であるともいえるのである。そしてまさにこのような場においてこそ、第一の道や第三の道がユートピアへの道であると叫ばれる時、これらの道の志向が抑圧の代償あるいは単なる精神の気ばらしとして機能するのではなく、社会変革の物質的力を供するとも考えられるのである。
なぜならば、少なくとも、現象的には、それは社会の現実的機能に対する抵抗となってあらわれているからであり、先のマルクーゼの言葉の「人間的存在の生物学的次元への能動化」が期待する以上の、社会的効果をともなうからである。しかもそれはある種の社会改善論者によっても是認される余地を残しているのである。少なくともエリート達でない者の、従って被抑圧者に甘んじている者達の権利の回復を志向する社会の建設の道にも通じていると判断されるからである。
言いかえれば、単なる遊戯や芸術やフィーリングだけではなく労働と遊戯の一致、技術と芸術の一致、思考とフィーリングの一致が認められる社会のビジョンを彷彿させるからである。今までもそうであったが、これからのユートピアの具体的内容も当然これらの一致によって決定されると言ってもよいだろう。
われわれはかの現実主義的社会改善論者にこびて、現実的になる必要はいささかもないだろう。社会が労働や技術や思考の支えによって、きわめて人為的に作られて以来、われわれは人間をホモ・サピエンス、ホモ・ファーベルとして規定することによってあまりにも厳しく自らの行動原理を保持しつづけてきた。だがホモ・サピエンス、ホモ・サピエンスとしての人間規定それ自体、人間存在の普遍的性格を言いあらわしているものでは決してないのである。言うなれば、そのように規定することが、それまでのユートピア的目的なる「世界そのものの改良と完成をめざす」ためには、都合がよかったが故に、そう規定するように人間の恣意の要請がなされたにすぎなかったのである。
われわれがこれからの人間の存在を、ホイジンガやカイヨワ等の主張するホモ・ルーデンスとか、過去にも見られたホモ・レリギオススとかいった規定の中に見いだす場合にも、同様にそれらは人間存在の普遍的性格を言いあらわしてはいないとしなければならない。 しかしながら、ホモ・ルーデンスとかホモ・レリギオススとかいった規定があらゆる人間の存在形態を指摘する中の中心点に位置するように変化しつつある事実が、近代の終焉を示す符牒になっているということは十分に理解されるところであろう。従来、人間の存在形態がホモ・ルーデンスとか、ホモ・レリギオススとか規定されることによって生じたユートピア社会は、少なくとも、現実の社会とは関わりのないそれ独自の隔絶された社会であると見なされていたか、それとも、現実の社会と関わる場合には、その社会の秩序維持の補完物以外のなにものとしても機能しえなかった。
たとえば中世の人間の特徴がホモ・レリギオススであると言われた場合、それは社会的、政治的抑圧者と被抑圧者との政治的関係の中の概念として理解された方がより適切であると思われ、とうていユートピアンとしてのホモ・レリギオススを意味しているとは考えられなかったのである。
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それではわれわれの考えるホモ・ルーデンスの世界、ホモ・レリギオススの世界とはいかなるものなのか。
これらの世界についての説明は、たかだかこれらの世界の外堀りの指摘に終止するという宿命的な制約をうけるにしても、今日ではかなり明確なものになってきている。
まず、われわれの考えるユートピアは、前述の如く、単なる幻想でないのは当然としても、他方、また、現代における「ブルジョワジーのもろもろの渇望を表象するもの」(J・セルヴィエ)言いかえればブルジョア的理想として了解されるものでもない。セルヴィエによればブルジョア的理想とは「ただ調和のうちに一致した個人的良心の声だけを法とする社会をこの世界に実現しようと欲する人びと」によって抱かれたのであるが、この美辞麗句のもたらす冷酷さは、すでにマルクス等によって批判されている。
というのは、ブルジョア社会、即ち資本主義的生産機構を持つ社会においては、多数の人間にとっては、労働や技術や思考は自らの存在の享受としては意識されず、常に強制及び疎外感を伴っていたからである。あるいはそうでなくても、このような社会は法の名目性と良心の意味の多様性によって、個人の欲望充足による不測の結果に、十分対処しえない限界性を有さざるをえなかったからである。
そこでおのずと現代のユートピアの内容は、前述の如く、社会主義的性格を要求するようになる。資本主義社会でも、同様の性格をとりいれる努力をするのは事実であるとはいえ、そこでは、実際のところ聡明な権力者が(ブルジョアジーの良心として)社会的問題を解決する点に発想の支点が求められているのであり、多分に、下からの変革を恐れる政策的意図によって、ユートピアがイデオロギー化されているのである。
ところがユートピアの社会主義的性格もそれ自体が正しいというわけではない。それ故に新しいユートピア社会は現存の社会主義社会をのりこえたものを彷彿させているのである。
では何がそうさせているのかといえば、言うまでもなく、先に述べたベルネルの言の通り、これまでの、ユートピア社会に見られた権威主義的傾向である。この傾向は実際、単に社会制度そのものだけを変革すること、そしてその制度の盲目的信頼にユートピア社会の建設と維持がなされるであろうという想定から生じているのである。
この指摘は個人主義のもたらす悪の是正が全体主義的制度の導入によってなされるをえなかった歴史的事実をわれわれに思いおこさせるであろう。それ故、ここから社会主義社会が権威主義的、全体主義的傾向を有してはならないという結論が当然生まれてくるのである。
もう一つ忘れられてはならないのは、L・コフラー言うところの「秩序形式主義」に堕した官僚主義的傾向である。もともと、官僚主義は人間の理性の功利性によって生まれたものの典型であり、官僚制は、レーニンの言葉を借りれば、「ブルジョア社会という身体に巣くう寄生虫」である。いわば、それらは資本主義社会に内在する思考形態であり制度なのである。
ところで実際は、資本主義社会から社会主義社会へとその経済制度が変えられた場合にも、マルクスやエンゲルスやレーニンの期待に反して、官僚主義的傾向が絶滅しなかったのは、あきらかな事実となっている。周知の如く今日、われわれが「スターリニズム」という名で呼んでいるソビエト組織の名称は、この事実をよく伝えている。
このように社会主義社会に認められるこれらの悪しき傾向が除去されて生まれる、新しい社会主義社会、それがわれわれのユートピア社会として設定されてくるのであるが、ではかかる悪しき傾向はなぜに生じてくるのだろうか。それは社会主義社会といわれるものも又近代的人間の思考の枠内で考えられているからであろう。
この場合、近代的人間の思考とは、各種の欲望の充足において、人間の幸福が個人的にも社会的にも獲得され、増大していくという大前提にたって、より高度な人間的社会形成を行っていこうとする精神と解釈しておこう。この枠内では権威主義は社会の秩序のために、全体主義は社会の方向づけのために、官僚主義は社会の機能のために必要とされ、人間はかかる社会において個人の欲望の充足の場を見つけようとするのである。
奇妙なことに、これらには近代的思考の諸概念が、いわば腫瘍のようにまとわりつき、信仰の形となって展開されているのである。即ち、権威主義のもたらす秩序にはリバイアサン的理性信仰が、全体主義のもたらす方向づけにはファシズム的進歩信仰が、官僚主義のもたらす機能にはサイバネーション的科学信仰が、われわれにとりついているのである。
さらにかかる信仰に共通して働いている意識というものがある。それは、人間共同体の意識であり、にもかかわらず、近代的思考のもとにおいては、人間の社会形成は、テンニエスのいうところのゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行においてなされる点を明白な事実として見つめなければならないという意識である。
近代を超克しようとしたマルクスもこの意識からのがれられなかったと考えられる。それ故に『近代人の疎外』の著者F・パッペンハイムがテンニエスの学説とマルクスのそれとの類似性を指摘するのも当然と言えよう。そうなるとわれわれはマルクスの学説が歴史において果たした役割は、彼自身の意図はともかくとして、資本主義社会という経済機構の手なおしをしたことであり、資本主義社会の精神まで変えることまでにはいたらなかった、とあえて言うこともできるのである。
従って現在の社会主義国家に見られる矛盾はマルクスの学説の不充分な、あるいは間違った適用であると言って、われわれはマルクスに免罪符を与えることはできないかもしれないのである。この仮説を伝える代表的な言明として、マルクーゼの『ユートピアの終焉』の中での次の言葉があげられるであろう。
「マルクスもまた進歩の継続という概念に非常にとらわれていたために、マルクスの社会主義理念は、資本主義の全面否定を志向するなどという理念を含んでいなかったし、これからのマルクス主義もそうであろうと思う。」
かくて、われわれのユートピア像の輪郭は従来の社会主義社会観にまとわりつく腫瘍の除去のもとに、権威主義的、全体主義的、官僚主義的性格の払拭されたものということになるのである。それ故に、現存の社会的状況と照らし合わせれば、かなりのずれが生じているので、当然、そこから「否定」の精神が生まれてくる。即ち、反理性、反進歩、反科学への回心を通じ、反権威主義、反全体主義、反官僚主義へ向かう抵抗の姿勢がとられてくるのである。
十八世紀以後、言いかえれば、ホイジンガのいう第二の道の志向が当然とされている歴史的状況のもとにおいては、かかる回心と抵抗は、反体制側、体制側を問わず、排除されたものだった。反体制側からは、それはあまりにも超社会的な主張であり、人間の物質的基盤に対する無理解からきているとして、文字通り、「ユートピア」として一笑に付されるか、ないしは、逆に体制の安全弁としての役割を果たしかねないとして、危険視されるかした。他方、体制側からは、世の中の道理や秩序を意に介せぬ暴力革命に結びつけられるとして、抑圧のいけにえにされる恰好の素材を提供することになったのである。
なぜならば、これらの回心と抵抗はまさしく「アナキズム」の精神であるからである。実に、われわれが今後抱かねばならないユートピア像においてはアナキズムの精神がその基調に流れていなければならないのである。
アナキズムについてわれわれはあまりにも偏見を抱きすぎている。われわれはまず、アナキズムが決して社会主義の考え方と矛盾していない点を知るべきである。社会主義とアナキズムはお互いの補完物なのである。われわれのユートピアがアナキズムでなければならないという表現は社会主義の中に隠された権威の存在の可能性を認めるが故になされているのであって、それ故、われわれのユートピアが社会主義を放棄するものでは決してないのは今までの論述でもあきらかであろう。
アナキズムがただ破壊と暴力だけを問題にしているという偏見は(そのような現象をもたらしたのは歴史的制約によってなのだが)アナキズムのもつ理想に対する理解を欠いた結果、生じている。しかし、アナキズムそのものは破壊と暴力を自己目的化しているわけではない。むしろここでは破壊と暴力を自己目的化しているとの解釈を要求する社会的諸関係の方が問題なのではなかろうか。
この解釈も先の第二の道の志向性が強力に作用した時に生じる一つのあらわれであると考えられる。おそらく今後のアナキズムは、今までとは違って、社会的諸関係に対して対抗的に処するという態度をとらなくなってくるのではなかろうか。言いかえれば破壊と暴力の対象(仮に便宜上、想定されたとしても)などを相手にするのではなく、むしろその対象の中にただよいながら、あたかもそれがないかのように、無視し、怠け、背をむけていくことが、アナキズムの内実となると考えられる。そして最初は第二の道の志向によって生じる挫折感の潤滑油の役割をはたす程度のものとしてしか受けいれられなかったものが、社会やその機構そのものが飽和状態に達するようになるや、無視し、怠け、背をむけることが、一種のスポーツの不参加声明にすぎないと見なされるようになってき、それと同時にあらたな波を社会にひきおこすようになってくるのである。いわばラファルグが言うところの「怠ける権利」が過剰社会において、新しい型で、しかも後向きではなく、新しい人間の生き方を示す積極的なものとして復権してくるのである。
それ故に、又、われわれはアナキズムに対して、恐怖と嫌悪感でもって見る必要もないであろう。過剰社会においてはアナキズムはスマートな形で、人々の心にくいいってくるのであり、老いた抑圧者に対しては、彼らと同一の思考基盤に立って、アンチの精神を熾烈に表明し具象化するのではなく、感性のたゆたいの中に、あるいはまだ見ぬ対象との、いつでも拒否権を行使できる、ハネムーンにおいて、自己の存在根拠を見てとろうとしていくだろうことは、はっきり、予想されるところである。
このような考え方の通用する社会、それがわたしの考えるこれからのユートピア社会である。言いかえれば、人間がホモ・ルーデンスとして遊び、ホモ・レリギオススとして楽しむ社会である。このような人間にとって、現存の社会とは、自らの欲望をかきたてさせられる場ではなく、自らの欲望を楽しむ場である。
現存の社会にとって、彼らの存在は、最初は、異端視されるだろう。しかし、もしわれわれが彼らに対し社会責任の欠如した人間、無能力者、落伍者として規定し、社会そのものによって保護し隔離しなければならないと考える場合、それはわれわれがまだあまりにも、ホイジンガのいう第二の道に拘っているからである。いわゆる社会的責任感の強い人、いわゆる心身における能力者、いわゆる成功した人間はこのユートピアンに対し苦々しく思っているだろうが、そしてそのくせ、いわゆるヒューマニズムの精神でもって相対するであろうが、いつしか彼らの圧倒的な力に、ただ沈黙し、自分達が世界を破壊しようとして抑圧的にならない限り、彼らの世界が自分たちのそれにとってかわることを悟るようになるのではないだろうか。
そしてあまりにも現実的なわれわれは、こういった事態の到来について、倫理的判断をする資格を、もはや、失っているのではないだろうか。
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