第八章 楽しみとしての宗教を




 最近のわれわれは宗教について何か語らざるをえないと思いはじめている。否、われわれは時には宗教的存在でありたいとさえ願っている。人間の本性がホモ・レリギオスス(宗教的存在)にあるとされていた中世を乗りこえて、ホモ・ファーベル(工作的存在)としての人間のあり方に重きをおくようになった近代をむかえて、われわれは宗教というものの存在を一種の遺物扱いにしてきた。
 それにもかかわらず、われわれが宗教について語らざるをえなくなってきたのはなぜであろうか。懐古趣味の保守主義者が奪われた価値観の復権を意図して、またぞろ、息をふきかえしてきたためであろうか。それとも時代の変化を敏感に感じとったわれわれの中のおっちょこちょいが、真剣に、未来における人間の新しい在り様の具体的な像を描きだしてきたからなのであろうか。いずれにしても、新たな思考形態のもとに、宗教について語り、考えなければならないのは事実となってきている。
 たしかに、もしわれわれの宗教的行為がなんらかの「恐れ」から生じているといった古代の西洋人の考え方が正しかったとするならば、われわれ現代人は今や宗教に対して真摯な態度をとらなければならないだろう。というのは、一九三○年代にM・ピカートが預言したように、人間は神よりの逃走によって、人間が自らつくりあげた「恐れ」のために、あらたな宗教的態度を必要としているといってもよいからである。
 今日までのわれわれの中の執念深い知的生命は、仮に「恐れ」を認めたとしても、それが神より逃走したから生じたなどとは決して考えなかった。むしろかかる恐れはわれわれの中の知的弱さにあるとして、ますますおのれの知性を鼓舞するべくふるまった。実際それがまた自縛的行為となって「恐れ」の拡大再生産になっていたのであるが、どういうわけか、われわれはこの知性を鼓舞しようとする習慣からぬけきれないでいたのである。
 現代にとっての「恐れ」とはあきらかに人為的なものである。それだけにわれわれは知性に期待する態度を完全にすてきれないでいるのであるが、他方、その態度に固執するときの気まずい思いを感ずるようにもなってきている。それ故に、われわれがかかる「恐れ」をなくすために、アウグスチヌス流の告白によって神を求めるようにするのと、知性を錬磨して奮闘的になるのとでは、どちらが正しい態度であるのかなどという提起をまじめにしだし、それらのうちの一つをきめかねないでいるのも現状である。
 今より一昔前までは、人間にとって、宗教心をおこさせるほどの「恐れ」などなかった。少なくとも「恐れ」はいずれ解消されるべき障害物でしかなかった。というのは、そのときのわれわれの日常生活態度は「恐れ」の問題に関してだけではなく、すべてに関して、神への告白よりも自らの知性への期待の方に傾斜していたために、われわれは宗教的存在になりえなかったからである。それ故に神への告白によって「恐れ」を解消しようなどという考え方をもちこむのは、少なくとも日常生活の中では、なかなか、きはずかしいことであり、せいぜい今までの「遊び」に対するわれわれの精神態度と同じように、うそではないにしても、まじめで真実のことではないのだ、という了解事項のもとで許されていたにすぎなかったのである。それにもかかわらず、時代が今日にまですすむや、さきほどの二つの考え方はバランスを保ち、とどのつまり、どちらの精神態度の方がより適切であるのか、わからなくなってきているのである。
 この理由について、われわれ一般の側より見るならば、それは誰もが見る如く、われわれに与える宗教的力の増大よりも、われわれ自身の知的態度への不信によって生じているからであるのはあきらかであり、そしてまさにこの点こそが、知性がわれわれの宗教的本性を長い間かかって懐柔してきた成果を一挙に台なしにしてしまい、われわれの心中にあらためて、われわれの宗教的本性とは何であるのかを考えさせてくれる機会を提供してしまったのである。
 冒頭にも述べた如く、宗教は恐れからはじまると言われる。哲学が驚きからはじまるというのとは対照的である。勿論、これらはギリシャ文明の系統をひく西洋的な解釈であるから一般的なものではないかもしれない。事実、鈴木大拙の言葉を借りれば「何も恐怖を起こさせるとか、一種の圧迫感を感じさせるものではなくて、一つの楽しみというか、安心立命というか、ここで落着いて楽しんでゆけるという……一つの慰安というては語弊があるのであるけれども……そこへ安住することのできるものを与えてくれるもの」としての宗教を考えるという東洋的な考え方もあるのである。(この問題は後で結論的にのべられるであろう。それまでは、わたしを含むわれわれ日本人は、心の随まで西洋かぶれをしてしまっているので、とりあえず、わたしはこの西洋的な思考に歩調をあわせて、宗教について考えてみよう。)
 宗教が恐れからはじまるというのも、実は、われわれが自分自身にあるいは自分の行為の対象について、はっきりと説明できない点の存することを知っていることに起因しているのである。G・マレーが『ギリシャ宗教発展の五段階』の中で言っているように、宗教が叙述したりあるいは少なくともある独特な特徴を与えることは不可能ではないけれども、定義されえないというのは、こういった事実の近代的な表明である。
 それ故に、われわれが宗教をとりあつかうに際しては「本来人間的体験の道標なき領域を取扱う」とか、「推論的にではなしにすなわち辛抱強い知的探求の定石的な方法によってではなしに、直接的に情緒のまたは副意識的な理解の方法によって取扱うことに注意すべきである」というマレーの言い方がせいいっぱいの態度であったのである。
 忘れてはならないのは、宗教とは人間がホモ・サピエンスとなった瞬間から背負った生命活動の一種であるという点である。今日、恐れの存在については、心理学的にもずいぶんと解明されてはいるが、解明されたといっても、恐れそのものがなくなるわけではない。恐れは恐れとして人間的事実の中にあるのである。ジェイムズが祈りというものについて、われわれが祈らざるをえないから祈るのだと主張することによって、祈りの行為の正当性を認めているが、この言い方とて、ある意味では実に近代的な「事実を事実としてみる態度」のあらわれてあるが、かかる人間的態度を基軸にして、われわれもまた宗教的現象を認めようとするのである。
 このように考えれば、宗教とは、われわれに取り扱われる際には、ある種の条件を必要としながらも、堂々と存在の正当性を人間におしつけてくる奇妙な存在であるとも言えよう。その結果、宗教はわれわれ人間に対して、宗教的なものの力と理性的なものの力との葛藤という形の悩みをもたらしたのである。
 だが宗教が恐れからはじまったにもかかわらず、それの除去の仕方が人間的であったがために、宗教はある意味では誤まった歴史的経過をたどったともいえよう。あるいは恐れそのもののとらえ方が人間的であったがために、言いかえれば、恐れそのものが人間によって除去されるべき運命のもとに仮の住まいを提供されたために、宗教の歩みはかなり曲がりくねってしまったともいえよう。いうまでもなく、そのお膳立をしたのがホモ・サピエンスとしての人間であった。そのことは宗教とは、いかに人間が後で理屈をこねまわしてみたところで、いずれ人間によって懐柔されるべき運命をもっているものとしてあったことを意味していた。
 われわれは今少しこの過程を追ってみよう。宗教の起源に関しては種々の説があるが、われわれの、再三再四、主張している「恐れ」にそれを求めたとするならば、F・M・ミューラーがいう自然崇拝説が最も常識的な見解となってくると思われる。これも人間がホモ・サピエンスとして機能するが故に、「説明できない」ことが、自己の意識に無力の観念を与え、心理的にはそれが恐れとなり、そのため人間は外的な対象である自然が、自分とは対照的に、無限の力をもっているかのような感じをもち、やがてその感じが自然に対する崇拝となり、自然への宗教的感情を抱くようになった結果として生じている。それ故に、宗教はもともとホモ・サピエンスである人間にとってのみ存在しうるのであるが、同時に人間をしてホモ・サピエンスとして十分に機能させえない対象、いいかえれば理性をこえた対象でもありえたのであった。その意味では、それ自体においては、正しかったのである。
 しかしこの態度に対する評価は、理性的機能の重視により下がりはじめた。もっとも、当初は、人間は控え目であった。つまり、宗教と理性とはまさに反対の方向にあったし、それ故に、宗教は当然われわれの理性では分析できるものではないと考えられていた。(現在の学者も口先ではそう言う。) せめて、宗教的思想の方は理性とは矛盾しないという考え方を導入することが、ホモ・サピエンスとしての人間のとるべき態度であった。中世の社会思想の中核であったスコラ哲学はそのような人間的態度をよくあらわしていると思われる。いわば宗教と理性との調和的関係が、人間の宗教的態度の基本となっていたのである。(トマス・アクィナスの思想はその典型であろう。)
 中世において理性と宗教、あるいは理性と信仰、あるいは人間的価値と宗教的価値とかよばれる、もともと対立的な関係にあって、われわれの日常生活において、そのどちらか一つを選択せねばならないとされていた両者の関係が、調和的なそれになっていると主張される時、実際は後者の方が勢力をもっていたのは歴史の示すところである。言いかえれば、人間がホモ・レリギオススであるとして謳歌できたのは理性との共同作業があったからなのである。そのことは何も宗教的価値そのものが滅じられたことを意味しているのではなかった。むしろ周知の如く中世の社会は最も宗教的であって、中世的人間は宗教との関係において現実的生活の形態をもっていたのである。もし、テルツリアヌスやアウグスチヌスの言のみに頼るならば、ホモ・レリギオススは社会形成の力をもちえなかったであろう。
 さて理性の側からすれば、そこでは宗教のために奉仕させられたことになり、そのため中世は「暗闇の時代」と呼ばれ、少なくとも近代の側からすれば、歴史において誤まった道をたどったとも言われたのであるが、逆にいえば、宗教的思考が先行したが故に、理性はやっと活動を保証され、後の反逆と自立の近代を迎えるにいたったとも考えられるのである。(ただしここで断らねばならないのは、理性の自律的機能なる言葉は、近代的産物なのであり、実際は、かかる言葉自体は根拠のないものであるということである。というのは、古代においては理性とは運命の理性であり、中世では神の理性であり、そして近代ですら機械の理性であるからである。いずれも理性は盲目的活動をするものに巣窟くって機能しているのである。)
 しかしながら、近代に入って理性は宗教にあいそつかしをはじめた。理性と宗教との調和的関係はくずれ、従って宗教も又、慇懃無礼に主役の地位をおろされた。その結果、宗教は理性によっては理解されえないという本来的な特徴の故に非難されるようになったばかりではなく、宗教自身が人間によって勝手に人間的なものに性格をかえられた上に、様々な宗教的生活の仮面をひっぱがされることとなった。
 たとえばE・カッシーラーは宗教生活をパラドックスとみるキルケゴールの考えをとりいれながら、次のような見解を述べている。「宗教は理論的意味ばかりでなく、論理的意味でも、依然たる謎である。それは理論的背反と論理的矛盾に満ちている。それは、自然、人間、超自然的な力及び神々自身との交わりを我々に約束する。しかし、その結果は、まさに反対である。具体的な現象においては、宗教は、人々の間の最も深刻な衝突と狂熱的な闘争の源となった。宗教は、絶対真理を所有することを要求しているが、その歴史は、誤謬と、異端の歴史である。それは、われわれに超越的世界──はるかに我々人間の経験の限界を超えた──の約束と期待を与えながら、つねに人間的であり、余りにも人間的であった。」
 理性が宗教に下した三行半は、なるほど一方的なものではあったが、人間がそれだけ現実的になってきたことの苦々しい勝利の証しである。かつて「不合理なるが故に信ずる」と言われたテルツリアヌスの言葉は残り、近代人にも使われたのであるが、それは宗教的真理を肯定するのではなく、否定するために役立つ破目におちいった。そして宗教は「パラドックス」であると言われながらも、尚、人間の理性によって安堵される時、宗教の生命は保たれえただけだった。いいかえれば、宗教は体験の世界から論議の世界へ、その住み家を変えて、生きながらえたのであり、体験は少しも社会形成の原動力とはなりえなかった。
 近代人によって捉えられたこの宗教観は、しかしながら、再び大きく揺れ動きだしたのである。次にわれわれはその過程を追ってみよう。



 近代における宗教に関する論議は色々あるようであるが、たとえば、イギリスの経験論哲学者D・ヒュームがいっているように、「理性における宗教の根拠に関する問題」と「人間本性における宗教の起源に関する問題」につきているようである。注意すべきはこれらがまちがいもなく人間本位になされている点である。これらの問題は近代人のお好みのテーマでもあり、カントを代表とする近代思想家が、それこそ心血をそそいでとりくんできたため、かなり権威のある見解もうちだされているので、今さらわたしがくどくどいう必要もないであろうし、幸いなことには、いうだけの知識をもちあわせていない。
 仮にこれらの問題の答えを知りえたとしても(奇妙にもこれらの問題は未解答のままに終るところに値うちがあるものとされるのだ。)近代のわれわれは少しも心的な満足感を覚えなくなってきているのではないかとさえ思われるのである。というのはわれわれは理づめによる了解なるものにあきあきしだしたからである。それというのも、たかだかそれは「理屈でもって、とうとうやりこめてしまったわい」なる式のむなしいおごりの感情以外の何ものでもないと気づきだしたからである。もはやわれわれの心の中では、たえず、より深まりゆく満足感でなければ承知しない理性の貪欲さに対しては、うんざりした気持が充満してきているのかもしれない。
 もともと、近代人は宗教的行為とひきかえに、宗教の論議をすることで得る知的緊張によって、宗教的雰囲気にひたっていたと思われる。その際いえることは、宗教をいかに保護しているようにふるまっていても、宗教そのものの方はどこかへとんでいってしまって、人間の欲望充足の手段になってしまっているということであろう。
 ヒュームもいう如く、宗教においては「全体が謎であり、不可解事であり、解き得ない神秘である。」この点についてはパスカルやキルケゴールといった近代思想家も認めるところである。(もっとも、彼らは弁証的思考をも身につけていて、宗教をわが身の方にぐっとおしよせている。)だがそうだからといって、それらは必らずしも、昔の人が考えていたように、畏敬の念を喚起するものではなかったのである。
 近代人は、他方では、宗教的諸原理は「病人の夢想」、「人間の姿をした猿の遊び半分の奇想」(ヒューム)であると思ったり、聖テレサの言動は「ヒステリー患者」(ジェイムズ)のそれであるとする科学的解釈のさけられないのを認めたりしているのである。
 すべて近代人は、一方では、とてつもなく貪欲でありながら、他方では、この上もなく敬虔であるという見方は、別に高名な社会学者のおすみつきをいただくまでもなく、常識になっている。
 たとえばカルヴィニズムの召命の考えは、この常識を合理化するものであったが、非情に苦渋に満ちた、まじめな倫理的態度を保持しているだけに、良心的でさえあった。時代が現代に近づけば近づくほど、われわれの態度は一種のひらきなおりにも似た宗教観を(しかも本当の宗教観と信じつつ)展開するようになってきた。フォイエルバッハのような宗教解釈をなかだちにして、たとえば、人間は神の道具であったとされていたのが、神は人間の道具であると逆転されてしまったのである。
 W・ジェイムズの著書の中には、神は人間に役立つ、いろいろな姿をとってあらわれてくる様を、さも当然であるかのように述べている箇所がみられる。神が、ある時には食物調達者であったり、別のある時には、道徳的支え、友、愛の対象であったりする。ともかくも、その人間に神が有用に働いておりさえすれば、いずれも人間に利用される、非限定者として、神はあらわれてきたのである。
 だが、近代人はこのような態度を滑稽にも、直接には、あらわさないのである。神はじっとしているわれわれの手にはとどかない所にある存在として信仰され、われわれ人間が自らの力で生き、自然の中で最も活動的にふるまうことによってのみ神の意にかなう生活が保証されるという考え方に疑いようのない人間生活の理想的姿をみいだすようになっているのである。
 最も宗教的な人間とは、中世の時代のように、禁欲的で、内面では克己的精神に生の意義を感じる人間であるのではなく、現実的利益をこの世にもたらす、なにかをする人間であったのである。それ故、近代において、なにもしないし、なにもできない人間が宗教にすがる傾向の多い事実が指摘される時、それは同情の対象にこそされ、あるべき人間の態度ではなく、蔭では、否定されていたと思われさえするのである。むしろ、そのような人間にこれまで宗教が占有されていたことが近代における宗教のあやまった姿、言いかえれば近代的宗教にとってのアキレス腱であると、思われていたのではあるまいか。
 この考え方は極論だが誤まってはいないと思う。無力なる人間が無力なる故に宗教心を抱く、という言葉ほど誤まった表現はないのである。仮にこの表現が正しかったとしても、近代的価値観においては、この場合の宗教心とは打算の塊以外のなにものでもなく、それこそ神様のおぼし召しにかなっていないだろう。
 ニーチェがキリスト教道徳を奴隷道徳といって非難した時、彼も又この表現の錯誤を踏襲していた。というのはニーチェはキリスト教も宗教の一つであるとみなしていたからであり、実は最も宗教に忠実であったのが、近代においては、なにかの出来る人間であったということを忘れていたのである。ついでながらいえば、ニーチェにあっては、人間とは常になにかの出来る人間でなければならなかった。そこから、なにもできない人間の在り様を宗教心をもつ人間の中にみいだそうとする論理のくみたては正しかったのだろうけれども、この考え方自体も、ニーチェの気概を前にしては失礼であるが、近代的であったのである。彼は理性の打算を生の打算にかえることによって、近代人に活を入れたにすぎなかったのである。
 この点、ジェイムズをはじめとするプラグマティストが、人間の宗教的態度を賞めあげつつも、見事に宗教心を利用したのは徹底した割りきり方であるといえる。近代人は、時には、ホーソンの『緋文字』にでてくる私生児を生んだことでヒロインを苦しませたような、宗教上の偏見をもつにはもつが、彼女がそれに耐え、最後に社会的貢献をし、世に至福をもたらしたというだけで充分償われると考えているのである。実際これとても、彼女がなにも出来ない人間であったならば、彼女がいかに宗教心にあふれていると自分で言ったとしても、あるいは宗教心を抱いていると言っても、認められないばかりか、むしろ背徳的な人間であると決めつけられるだけであろう。彼女はなにかの出来る人間であったればこそ、彼女に宗教心があると認められるようになったのである。近代人の考える宗教とはそのような類のものでしかなかったのである。
 それ故、神自身の存在について考えてみても、近代人は、口では神の意のままに、といいはするものの、自分のなせるわざは神から導出されるのだとは決して考えていないだろう。神は彼らの自家薬籠中のものとなった時、彼らの行為の保証のために登場させられ、そして使われているにすぎないのである。実際、神はなにかをしようとする人間にとってのみ、存在の価値をもち、なにもできないし、又なにもしようともしない人間にとっては、胸中に思いうかべられはしないだろう。
 そうなってくると、常になにかをしようとする人間、又なにかをしようとしないでは生きてはいけない人間にとっては、(それはまさに近代人すべての人の誠実さを示しているのであるが)神は、プラグマティックな意味において、必要なのであるが、その場合、神に万能の属性は賦与されなくてもよいのである。近代人は神が唯一であり、しかも万能であると思うほど、宗教的資質に富んではいないのである。万能とは無能を意味するということを知っているほど現実的であるからである。
 このような近代的、プラグマティックな神観は、ある意味では、あたかもわれわれの考え方が原初の宗教観に戻ったかのような印象を与えている。アリストテレスによれば、昔は、クシャミの神様でさえ存在したといわれているが、してみると、現代人の神観はキリスト教やマホメット教にみられるような唯一神を認めるよりは、多神教的であった方が、より似つかわしくなってきているといえるのかもしれない。
 仮にこの印象が正しいとして、なぜ現代人の神観が昔のそれのように、多神教的傾向にあるのかを考えてみるのも一興だろう。わたしなりの解釈をさせてもらえば、それは人間において理性のリゴリズム的傾向が少なくなったからだと言えるのではないだろうか。(この際、現代における唯一神の信者もいるだろうが、彼らとて、自分の信じるのと違った神の信仰者や多神教者、あるいは無神論者の存在に対しては、どうしようもない焦燥感のもとに、苦々しい寛容の態度をとらざるをえないのを認めるだろう。彼らとて、とどのつまりはリゴリズムの立場にたちえない現代的状況を知っているのである。)
 それでは昔と今とではどこが違っているのかというと、端的にいって昔の多神教的考え方は、神が目的になっていたのに対し、現代のそれは神が手段になっている点であろう。前者は人間が自然の在り様と本質とを知らなさすぎたが故に、後者は知りすぎたが故に、そうなるのである。奇妙にもこの差異が、つまり、前者から後者の考え方に移行していった事実の中に、人間それ自体のもっている能力が啓発されていったという考え方、それ故に、自然にみられる人間から、自然をみる人間へと変化していく過程の中に、いわゆる進歩する人間の真のすがたをみようとする考え方が浸透してきているのである。
 この考え方、つまりある種の進歩史観をわれわれは無批判的に過大評価してはならないのは当然としても、同時に又過小評価してもならないだろう。というのはこの過大評価によるしっぺ返しをわれわれは、たとえば公害等による自縄自縛の制裁によって受けているからだし、過小評価はわれわれをして一挙に非合理的な世界にのめりこませる危険性をもっているからである。しかしながら、そのことはともかくとして、他律的であれ自律的であれ、理性の限界を知っている人間の意識の中に多神教的な考え方が宗教的形態となって展開されている事実は否めないし、もし、われわれの未来になんらかの宗教的意識を認めるならば、この考え方が、最もふさわしいと考えられるだろう。
 そうなると、われわれが理性のリゴリズム的傾向のなくなった点、あるいは理性の限界を知りだしたという点から、宗教の存在意味をさぐりだそうとするようになってきた事実を重く見る必要があるだろう。つまり、はじめから宗教の存在意味があったのではなく、特殊に理性の存在が批判的にうけとられるようになってから、宗教がうきぼりにされたという事実を重視する必要があるのである。しかも重要なのは、近代思想が幅をきかせていた時代のように、とどのつまりは批判的理性が宗教の領域をもつつみこんでしまうのを認めるのではなく、もう一歩すすめて、批判的理性のパートナーとしての、われわれの宗教的本性、しかも西洋の中世時代に考えれていたようなあらゆるものを神のしもべだとするような世界観とは異質の考え方をもつ人間本性としての宗教的本性が、われわれの中に働きだしているという点である。
 とはいえ、現在われわれの理解している宗教が理性(この言葉に偏見を見いだすようなら、知性といってもよい。)と深くかかわっている事実は否めない。宗教の中心概念である神の問題をめぐって考えてみても、宗教が原初には多神教的であり、ついで一神教的になり、そして再び、多神教的になったのも、実は、知性の発展形態の中に、その根拠を見てとることができるのである。いいかえれば、われわれの知性が身近かの、様々な対象にしか展望を見いだしえなかった時代には、視野に入った個々の対象がそれぞれの神と結びつけられていたのであったが、やがて知性がそれらの対象の関係を説明しうるようになってからは、個々の神のその又神にすがる方がより合理的であるとする知性の内在的傾向性から一神論的な考え方が生まれたが、再び知性は神の唯一性を守る緊張的姿勢と抽象の非現実性に耐えられなくなり、今度は知的、功利的判断から限定された具体的な神々の方が、人間生活にとってより有用であると思いはじめたのである。
 この知性が具象物への消極的関わりから抽象物への志向を経て、再度具象物への積極的関わりにその機能を働かせてきた歴史的事実は、決して、単なる理論の問題として説明されるものではなく、生活上の要請として、理解されるものであった。そして忘れられてはならないのは、その間、人間自身の在り様がそれ自身主体的なものであると自覚されるようになってきた点である。(このような見方はなにも宗教的領域にのみ限られているのではないだろう。あらゆる社会現象の説明の仕方に採用されだしてきており、今日では、いわゆる多様化現象の中にわれわれ現代人の生き方の積極性を見る態度が必要視されてきているのである。)
 もっとも、このようにして宗教や神を理解することこそ、実は理性が、今度はホモ・ファーベルの担い手として、宗教をつつみこんでしまう考え方の一つであるのかもしれない。というのは宗教的対象や神はわれわれの理解可能な領域の対象にされてしまっているからであり、かの「無知」も又「知」とする理性独特のやり方によって、宗教も理性的解釈の俎上にのせられているからである。



 ところでヒュームによれば、宗教的本性は人間本性に内在的なもののようではなかったのであるが、仮に人間本性の機能として(現象的に)働くとした場合、理性と宗教的本性は、いわばシーソーのようにわれわれの精神の中で振幅をくりかえしているように思える。そしてこのくりかえしを通じて、われわれが歴史を築いてきているのだというこの考え方は、マクロに人類史を見た場合には、きわめて重要な意味をもっているとされねばならない。
 ただしこの際、われわれは次の条件を考慮しなければならないだろう。一つはこれらの理性と宗教的本性のどちらが人間存在にとってより根源的なものであるかなどという、それこそ理性好みの無駄な詮索をしないことであり、二つは理性と宗教的本性を対立的なものと考えるやり方に固執しないことである。なぜかというと、所詮これらの詮索と固執は理性の優位を証明するためのものであり、宗教的本性を人間本性の脇役におくか、ないしは歴史の進歩の妨げと見なすための、いわば、近代人の愛する理性による挑戦にすぎないからである。
 たしかに、わざわざ「理性の時代」といわれた人間の歴史の一時期には、これらの挑戦は正当性を保証されていたとも言えよう。理性の働きによってなされる判断や行為は現実のわれわれの生活にずいぶんと豊かな結果をもたらしえたし、又当面する諸問題の解決にあたって理性はわれわれが絶望におちいらないような夢を与えてくれたので、われわれは理性のなすわざには少しの疑惑ももたずに、信頼をよせていたのである。
 われわれが理性に対してこのように考えてしまうというのも、近代人がそれ以前の中世的、封建的社会における生き方と訣別した生き方を選択したり、時には訣別を余儀なくされたりしたためである。いわゆる自立した人間こそ、この世に住まうに最もふさわしい人間であると自ら規定した近代人の生活態度が理性をまつりあげてしまったのである。
 近代人にとって、理性とは人間に内在する普遍的なものでなければならなかった。実際には、理性とは自立を宣言した人間の欲望を満たす生活原理でしかなかった。たしかに理性のその科学的性格、批判的姿勢は、透明なエートスに支えられて、悪しきもの、抑圧的なものに徹底的に断罪を下す役割をはたし、中世以後のわれわれの生きる道を照らしてくれたのではあるが、効果的に機能を発揮したのは最初の頃に中世的、封建的な人間像をうちくだいたという、ただその一点だけではなかったかと思われる。
 冒頭に述べたように、理性がついでに宗教そのものに関する論議までしてしまうのは少しやりすぎではないのかと思われるのである。やりすぎというのは悪い意味ではなく、無駄をしているという意味である。というのは、理性の結論ははじめからきまっているからである。その一つは宗教は理性にとって理解不可能であるという理由で考察の外においやってしまうかであり、もう一つは宗教を理性の意のままになる、宗教ならざる宗教にしてしまうかである。いずれの場合にしても、われわれの生活の場を理性の王国の支配下に治めることには変わりはなかったのである。
 このように、われわれの中の宗教的本性の復権を願う試みも、いつとはなしに、理性に対する牽制を続けることにならざるをえなくなったのは、宗教にとっての悲劇であり、極端にいえば、理性の悪口を言い続ける中でしか、宗教の存在する場が保証されていないかのようである。これは、後でのべるように、われわれが同一の精神構造のもとに、理性と宗教(的本性)について語っているからである。それならば、口先だけで理性と宗教的本性の対等性を言うよりも、ここで再度、近代的思考によって歴史が宗教に対して下した致命的一撃を紹介して、これまでの宗教観そのものをいためつけた方が、これからの宗教観の確立のためにはかえってプラスになるであろうと思われる。そこでわたしは今までの主張の整理を兼ねて、人間解放をさけぶ二人の近代的人間の考え方を紹介してみようと思う。
 われわれは宗教の起源を「恐れ」の中に求めた。この恐れを知性によって解釈すれば、それは人間の心理的、生理的事実として、人間の自分自身に対する無力感を喚起するもの以外のなにものでもなかったが、同時に、人間によって克服されるべき障害物と見なされることによって、人類精神史上に貢献していたのであった。そして宗教は、現時点に及んで、人間によって遺物としてとりあつかわれることによってすでにその役目をはたしたともされたのである。
 ここで忘れられてはならないのは、宗教はもともと合理的なものではないとされていたが故に、独立した存在価値をもっていると承認されていたわけではなく、はじめから、理性のお引き立てに拝伏するところに存在の根拠があるとされていた点である。時には理性に対して、非合理的なものをさらけだした場合、それは自己のありのままの姿を示していたにもかかわらず、人間によって、忌みきらわれたのは、宗教の悲劇性のあらわれであった。
 そしてついにマルクスによって、「阿片」といわれ、フロイトによって「幻想」といわれた時、宗教の悲劇性は最高潮に達したのであった。ある意味で、人間解放を最も主張していたこれら二人の思想家が、こともなげに、宗教に断罪を下したのは、実は人類の進歩といわれるものにとって、宗教が一番やっかいな人間本性に根ざしていると気づいたからかもしれない。
 カントが宗教を理性の限界内にとじこめてしまった時も、ヘーゲルが宗教を精神の完成の中に見てとってしまった時も、宗教はまだ影響力をもち、考慮に値するとされていた。マルクスとフロイトはそういった宗教をいたわる気持をさえ放棄してしまったのである。彼らがあえて「阿片」とか「幻想」とかいう象徴的ないい方で宗教に断罪を下したのは次の理由によるだろう。人間的願望を現実逃避によって満たすやり方は、人間においてはありうる行為ではあっただろうが、少なくとも彼らにとってはそれは批判的精神の欠落した、幼稚さを示す以外のなにものでもなかった。
 やはり彼らは、「一人前」の人間ならば宗教によりかからないで知的努力によって、人間の理念に近づかねばならないと、心底、考えた思想家であった。この時、彼らは人間を科学的に見ていた。そして人間は個人としては種々の欲望によって生きているのであろうが、社会の進歩にも当然寄与せねばならない自立的社会的存在でなければならないと考えたのである。
 彼らが(とりわけマルクスが)このような比喩的表現をつかう最大の理由は別のところにあった。それは宗教が人間精神にとっては未熟な段階の反映でしかないという認識があったからである。われわれは彼らの考える理性とヒューマニズムが決して枯渇していないばかりか、むしろ来るべき社会を形成する推進力を提供していると考えることもできるであろう。
 その場合、われわれは自然を人間自らの力できり開き、文字通り事実の中で人間関係をスムーズにしていくなかで、自己を社会的に形成していくという信念が前提されていることを忘れてはならない。人間とはホモ・ファーベルなのであり、その限りにおいては、阿片や幻想は弱々しい人間の印籠の中にこそ、恥ずかしげにしまわれるべきであったのである。
 マルクスやフロイトにとって人間は進歩する社会の一員であった。その中で、宗教に関わろうとする人間は、系統史的には過去の時代の遅れた社会環境に住む時にこそ生きるにふさわしいとされ、個体発生史的には、まさに幼児期の時にこそ、生きるにふさわしいとされた。
 重要なのはここでは一貫として、人間の生活状態に対して理性信仰の観念が適用されている点であり、彼らがいわゆる未開、未熟の人間の生活状態に宗教の存在理由があると歴史的に裁定してしまったことである。その結果、人間の感性的解放が人間解放の十分条件である点が指摘されたのは近代的思考の超克を示していたのであるが、人間の生活状態の差異性が物質的欲望を追求する人間存在の立場にたって強調された時、最も活動的で、生産的な自立せる人間的行為が、(社会機構に対して多少の前提条件を要求しているものの)理念とされているのであって、そこでは、いわゆる未開、未熟の人間は、人間的に一段低い存在とみなされ、教化の対象とされることによって、救われるべきだという、ある種の理性的判断が介在していたのである。
 その場合いわゆる未開、未熟の人間が彼ら独自の様式に従って生をエンジョイすることは、現代のピサロやコルテスによって否定されても、それはいたしかたのないことだとして容認されてしまうことになるのではないだろうか。実にここに歴史的に克服されてしまったといわれる事象に対する理性的人間のクールな独善性があらわれていたのである。



 以上、われわれは近代における宗教観について様々な観点のもとでみてきた。わたしは、必らずしも、牧師F・O・E・シュライエルマッヘルの言うように「神の支配にも似た選ぶべからざる内なる必然性に迫られて」宗教的価値を人間世界における活動の唯一の根拠にしようとしてアジテートしているつもりはないが、さりとて「宗教蔑視者中の教養人」の非難をするつもりもない。かかる教養人は、先程の逆説を弄すれば、ある意味で最も宗教的なのであり、力強い、自立せる人間として、かの弱々しき人々が追い求めた宗教的対象の現実の似姿になりえたからである。
 さて、宗教生活は大いなるパラドックスであると認めながら弁証法的理性によって神と接触する態度、宗教を遺物であると断定しながら、困ったときに神だのみする身勝手さ、神でさえも自分の利益のために利用する徹底した功利主義的打算、宗教を阿片や幻想にしてしまうほどの知的能力を自負しうる自信、これらはすべて、いわゆる中世の神の拘束から解きはなたれた人間の苦悩のあらわれであるとともに、雄々しい自立の宣言でもあった。さすれば近代においては、無力なる人間が宗教心に頼ると称して、現実から逃避するのは、むしろ「宗教以前」の問題であったとするのが、ある意味では、正鵠を射た表現ではなかろうか。そして、近代社会では従来の宗教的なものが宗教以前のものとされ、非宗教的なものが宗教的なものとされているのではなかろうか。
 近代的人間とは、まさにホモ・ファーベルなのであり、そのホモ・ファーベルとしての人間にとっての宗教とは何であるかが、今、問われている。だがこういった考え方こそ現在われわれが論議しなければならない宗教の問題であったのである。
 われわれは話を戻して考えてみよう。われわれは今、なぜ新しい宗教について語らねばならないのか、あるいは別の宗教本性をかきたてねばならないのか。その場合、われわれは今までの思考習慣を放棄して考えてみる必要があるだろう。言いかえれば、宗教が自然や人間的本性に対する恐れからはじまり、キリストによってアジテートされ、テルツリアヌスやアウグスチヌスによって存在根拠を得、トマス・アクィナスによって合理的保証をされ、ルターやカルヴィンによって人間化され、マルクスやフロイトによって丁重に危険視され、否定されようとした歴史的経過は、まさに宗教史における主流を形成しているのであり、それ自身、合理的な根拠に基づいているのであろうが、この考え方のもとに考えるならば、われわれは、もはや宗教については論議できなくなっているのに気づくのである。
 それでも信仰あつき人間がいるという形での反論は宗教史の傍流にすがるべき根拠を見いだすか、それとも宗教的本性と理性との蜜月を放棄することによってのみ許されるだけであろう。又われわれの宗教的行為の否定しがたい情念を認めるために、突然として、人間の能力の有限性とやらを持ちだしてきたとしても(これは先程の主流的考えの持主にも認められるのであるが)所詮ポーズでしかない。惰性のついた独楽が止まりにくいように、再びかの主流的考えの起点に到りつくのは目に見えており、循環をくりかえすだけである。この循環は、人間化された宗教の死滅、いいかえれば、人間の死滅の時になって、はじめて、なくなるのである。
 宗教が理性と結びついて考察される場合、必らずといっていいほど、われわれを悲観主義の世界へ連れていく。宗教に関する理性的認識は常に悲観主義的認識なのである。それ故、今までの考え方は、この悲観主義の世界から、雄々しく、栄光ある脱出をしていくか、あるいはそれとは逆に屈辱の意識を鮮明にしながらその世界に留まるのか、のどちらかであり、要するに勝ち負けをはっきりさせる人間的態度が要求されてきた。勝ち負けをはっきりさせるといってもその精神構造は同じである。そこでの意識は鮮明であり、そのくせ常になにかをうかがっているのである。実に今までの宗教的態度がそうではなかっただろうか。
 われわれのこれからの宗教は、少なくともこのような精神構造におさらばすべきであろう。われわれが今宗教について考えねばならないのは失われた感性の復権のためである。感性の行為は、その本性においては、無為自然的なものであった筈だ。荘子の言うように、万物斉同の立場にたつことこそ、われわれのとるべき態度であるかもしれない。
 かつて兼好法師は「徒然草」の中で「可不可は一条なり。いかなるをか善といふ。まことの人は知もなく、徳もなく、功もなく、名もなし」と名言をはいた。これこそわれわれが到達すべき宗教的境地なのではあるまいか。
 にもかかわらず、人間の歴史はこの考えを非現実の彼方においやるといった過ちをおかした。近代社会ではこの言葉はもはや見えすいた感動と揶揄を示す以外のなにものでもない。すなわち「心頭、滅却すれば火も又涼し」といった快川和尚は織田信長に焼き殺されてしまったではないか、というわけである。又かつての人間のすばらしい文化といわれたものもピサロやコルテスによって、常に富を生む素材にされてしまったではないか、というわけである。このあまりにも現実主義的思考は、しかしながら、われわれの基本的生活態度を決定しているのであり、笑えない喜劇となっている。なによりも、この考え方の強さは現実的に社会形成の原動力となっている点にあり、この考え方のいきすぎさえも、よりよき社会へつきすすむ一里塚として評価される点にあったのである。
 次に宗教が失われた感性の復権のためにフットライトをあびなければならないといっても、宗教的価値が理性の横暴さを防ぐ単なるはどめとして、認められているのでは何もならないだろう。この単なるはどめとしての宗教的の役割を普遍化させた張本人こそ、実は理性なのであり、それを身につけた人間の良心といわれるものであった。
 今までの宗教の復権の主張は往々にして理性の自己修正の別の活動形態であったのである。科学者が宗教を擁護するといった奇妙な現象があらわれたのは、世の中には科学では割りきれない事象が存在するという謙虚な認識のせいであるが、実際は理性の横暴さ(この場合、人間の権力欲や所有欲なのであろうが)を防ぐ手段としてしか、宗教的価値が認められていなかったからではなかろうか。この考え方は、宗教が政治、経済上の利益に従属すると考えたルネッサンス以後の人間に共通しているのであり、われわれはなにも科学者を非難するにあたらないであろう。
 それでは感性の復権と言うが、その感性とは何であるのか。われわれは理性にとっての敵と考えられる、あの留まることなき欲望の権化としての感性を想定する傾向がある。かかる想定は理性の側よりうちたてられているにすぎないのである。仮に感性が際限なき欲望の追求にわれを忘れているということであっても、それは理性がそうさせているからにほかならない。それ故にわれわれにとっての感性とは何であるかということになると、それは理性に抵抗する感性、言いかえれば、麻痺する鈍い感性という表現によって説明されるべきものであろう。
 再びわれわれは、かの『徒然草』の兼好法師の言葉を借りよう。「しひて智をもとめ、賢を願ふ人のために言わば、智恵出でては偽あり。才能は煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、誠の智にあらず、いかなるをか智といふべき。可不可は一条なり。いかなるをか善といふ。まことの人は知もなく、徳もなく、功もなく、名もなし、誰か知り、誰か伝へん。これ徳を隠し、愚を守るにあらず。本より賢愚、失の境にあらざればなり。」真に、麻痺する鈍い感性とはこの言葉にあらわされる自然のことわりに同化しうる新しき人間の本性にほかならないのである。
 宗教について、マルクスが阿片といい、フロイトが幻想といった時、彼らは現実の中に理想的姿の実現を信じていた。しかもヘーゲルとは違って、彼らはもっとラディカルであり、又社会を動かす力を具体的な形であきらかにしえた。そのような状況の時は、宗教の役割は、マルクスに言わせれば、「民衆の幻想的役割」を与えるものでしかなかったのである。
 マルクスにとって人間の幸福は現存する社会的人間による社会参加による以外には獲得できないとされていたのである。これは近代的人間が人間関係をスムーズにしたり決定したりするためには、神やある種の世俗的権威を必要としなかったので、人間的関係という事実そのものの中で葛藤しなければならなくなった結果、下された近代人の結論である。この考え方は今までにおいては有効であり、少なくとも幸福を約束していたかもしれない。
 しかし、丁度、近代を迎えた人間が、それまでの神が保護者であったにもかかわらず同時に人間の精神の番人になってしまったため、それに対して大いなる抵抗を感性の解放という形で試みたように、現代人も又、その中で生きることが幸福への切符を手にいれるものと考え、次にはその中でしか生きられないことが重荷となってきた「人間関係」のわずらわしさに反発して、これからの感性の解放のために、大いなる飛躍を試みるかもしれない。
 その飛躍こそ、逃避としての宗教ではなく、自らを自然にまかせる、楽しみとしての宗教を現実的なものへとしていくのである。そしてそれは社会的にこれまで「なにもしないし」又「なにもできない」虐げられた人が、正当にも、過剰な精神におどおどする貪欲な人間にとってかわりうる一つの可能性を示しているのではあるまいか。 

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