三河百矢場
(資料2 鳳来町)
鳳来町の鳳来寺は松平広忠とその正室於大の方が願をかけ
家康を授かったという縁起が伝えられ
日光、久能山と並ぶ三大東照宮に数えられます
昔は東照宮に登る石段の途中に矢場があって
金的神事が行われていたのですが
伊勢湾台風で矢場が崩れ
昔のような古式では行われていません
ここは「長篠・設楽原の戦い」の主戦場でもあり
家康、信長連合軍が武田の騎馬隊を防ぐために築いた場防柵や
古戦場跡などの史跡も数多くあります
なかでも長篠の代官であり日置流雪荷派の師範でもあった
林 高英は、門弟およそ七百人といわれ、その門弟達の的中額も数多く現存し
流派弓術が盛んだったことがよく分かります
(三河弓術風土記 http://www5b.biglobe.ne.jp/~fes/hudoki.htm 参照)
これをご覧になった方で近くの神社の祭礼の日に金的神事を行っていたり、
神社に的中額がかかっていたり、
的場や矢道の痕跡が残っていたらご連絡して頂きたいと思います
今後も調査を進めていくつもりです
鳳来町及び周辺地区の矢場(順不同)
現在も金的神事が行われている神社には☆印を付けました
説明文の下が現地の写真です
こもり神社: 東照宮の仁王門下のお宮、右下写真が安土の痕跡 安土:なし 射小屋:なし 揚額:なし |
||
☆津島神社:玖老勢 日置流雪荷派師範 内藤嘉献の門人の額あり 内藤師範の後の頃から流派弓術が衰退したことが的中額から推測されます そういった事から今は正式な公文はなく、鳳来町の有志で毎年開催されています 安土:あり 射小屋:なし 揚額:あり |
||
☆海老神社:海老 近年本殿建て替えのため平成15年の的中額一枚 安土:あり 射小屋:なし 揚額:あり |
||
金毘羅大権現:連合 「日置流印西派 峯田利英門人 小山伊太郎英剛」の昭和6年の額あり 下中央の写真で分かるように向こう側が的で左側は崖です 安土:あり 射小屋:なし 揚額:あり |
||
神明山?實寺:連谷 真言宗醍醐派 下中央の安土の跡と一枚の額だけが唯一の痕跡 |
||
☆白鳥神社:一色 射小屋の側の的中額の掛かっている建物は 回り舞台形式の芝居小屋で 間口18m、奥行き9メートルの大きなもので江戸時代末期のものです いまでも奉射神事で金的が的中すると勇壮に打ち上げ花火をあげます 安土:あり 射小屋:あり 揚額:あり |
||
諏訪神社:三河河合 ここ2年ほどやっていません(ここも絶えてしまうかも知れません) 安土:あり 射小屋:あり 揚額:あり |
||
大野神社:三河大野 下中央の写真は「謹鵠中 日置流雪荷派 山本良輔 豊川市牛久保住 昭和55年」 とあります、 つまりボクの師匠の的中額です その左の額は昭和54年に同門のキクちゃん(馬場菊治)のあげた額です 師匠とその門弟が並んで額をあげたという事で、珍しい。 的中額に書き入れる文言について一言 門弟においては流派に続いて自分の師匠の名前を書き入れその門人と書きます 江戸時代には主君の名を書き入れたものもあります 流派の免許を継承した師範は、流派に続いて本人の氏名を書きます したがって下中央の的中額はうちの師匠が 日置流雪荷派の免許を継承した後のものという事になります 右下写真が的山の跡、今は奉射神事は行われていません 安土:なし 射小屋:なし 揚額:あり |
||
☆大室神社:上吉田 下中央は「奉射祭り」の安土、右下は金的神事の安土と並んで併設されている http://www5b.biglobe.ne.jp/~fes/omuro.htm 参照 安土:あり 射小屋:あり 揚額:あり |
||
☆大村神社:下吉田 安土:あり 射小屋:あり 揚額:あり |
||
☆船多神社:乗本 安土:あり 射小屋:なし 揚額:あり |
||
☆富永神社:長篠 安土:あり 射小屋:なし 揚額:あり |
||
☆荏柄天神:長篠 東方に長篠城を望み、 西方は設楽原を監視できる天神山陣地の上、 文政年間の林高英の門人達の額が何枚もあがっている 安土:あり 射小屋:なし 揚額:あり |
||