その2 親鸞聖人川越波切御名号
◎親鸞聖人の川崎波切りの御名号
越後へ流された親鸞聖人が、鳥屋野から近郷の村々を御布教して居られた、ある日のこと。 その口の御布教を終えられた聖人が、いっもの通り、寺地村(鮫洲)の渡し守、新十郎の船に乗って、信濃川を鳥屋野へ渡ろうとなされた時。急に激しい北風が起こり、川は大海原の如く波立ち、船は進退ままならず、正に沈没の状態となった。 新十郎は手のほどこしようもなく途方に暮れていたところ、聖人が懐中より紙を取り出され、南無阿弥陀仏の御名号を書かれて新十郎に与えられた。 早速、新十郎がこの御名号を船の表にひるがえしたところ、激しい烈風や入波は忽ちに静まり、船はすべるように鳥屋野に着船した。 これを世の人々は川越波切りの御名号と呼ぴ、聖人の書かれた「南無阿弥陀仏の御名号」(御真筆)は、今も寺地の鈴木伝来旧跡家に祭られている。 〈親貴聖人の川越波切御名号 御縁起より〉 信濃川を鳥屋野への渡し守、新十郎家は、親驚聖人の時代(790年余)から、寺地鮫洲(俗称)1305番地にあった古い家である。 昭和55年、そこに、西川の排水機場がつくられた時、鈴木家は940の4の現住所に移転した。 排水機場敷地内の旧鈴木家跡には、今も川越波切御名号の小碑が遺され、往時を偲ばせている。