賛美歌319番  「わずらわしき世を」

讃美歌319番 「わずらわしき世を しばしのがれ、」

■歌詞の英語の題名は(I love to steal awhile away)で、“steal away”はこの単語だけの訳は“こっそり盗み去る”だが、“awhile”即ち“しばし”であるので「しばしのがれる」の意味となる。

この歌詞は、明治初期に日本でのキリスト教の布教に努めたアメリカ宣教団の一人,S.R.ブラウンの母が作詞したものである。この歌には次のような背景があると言われている。

■ブラウン夫人(Phoebe H. Brown、1783-1861)は病気の妹と4人の子供を抱えて貧しい生活をしていたので、自分の家で祈りをささげる場所もなかった。そこで夕暮れ時になると、いつも近くにある立派な屋敷の大きな庭にある木の下で静かに祈りのひと時を持っていた。あるとき、その屋敷の女主人がブラウン夫人に“あなたは夕方になるとわたしの家に近づき、わたしの家に入らないで帰って行きます。もし何か欲しい物があるなら、何故中に入って私にそう頼まないのですか?”と言ったが、その態度が大変侮蔑的であったのでブラウン夫人は大いに傷けられ、家に帰って子供たちが寝静まった後、台所で大いに涙を流して悲しみ、その気持ちのままにこの歌を書いたという。一説には、彼女がその下で祈りを捧げていたのは梨の木で、梨の実がよく盗まれていたのでブラウン夫人に疑いがかけられたとも言われている。この詩は最初“或る婦人に宛てた私の夕暮れの散歩のお詫び、1818年8月”の題で9節であったが、後に短縮され、題名も第2節の初行である“I love to steal awhile away”となり広く愛唱されるところとなった。

■S.R.ブラウン(1810-1880)が生まれたのはコネテイカット州で生まれ、イエールとユニオン神学校を卒業後しばらくアメリカで牧会をしていたが、1839年マカオ伝道に従事、一旦帰国後、1859年(明治開国以前)来日、横浜や新潟で英語教師をしていたが1872年第1回宣教会議の議長となり日本伝道の基本方針を取りまとめる役割を果たした。新約聖書翻訳委員会委員長も勤め1873年ブラウン塾を開校,植村正久ほか多くの初期日本のキリスト教指導者の育成に貢献した。ブラウン夫人の作詞の年代が1818年となっているので,4人の子供の一人であるS.R.ブラウンはその時8歳であったことになる。

■この歌詞はS.R.ブラウンから教えを受けた植村正久(富士見町教会牧師)が「ゆふぐれしづかに いのりせんとて」の題名で訳し1888年(明治21年 楽譜つきは1890年)『新撰讃美歌』で“Cooling 落ち着き”の曲を付けて掲載された。

富士見町教会に一時期出席していた島崎藤村は、この歌詞に心をうたれ,1897年(明治30年)に刊行した『若菜集』にこの讃美歌を恋歌に変えた『逃げ水』、後に『ゆふぐれしづかに』と改題した詩を書いている。『若菜集』の『逃げ水』の原本は高知市民図書館・近森文庫のサイト  http://school.nijl.ac.jp/kindai/CKMR.html を御覧ください。
(14番
 若菜集, 島崎藤村著, 明治30 

また、『ゆふぐれしづかに』と『逃げ水』との対比を見るにはここをクリック。

1903年(明治36年)にできた『讃美歌』では訳は少し改定され現在の『わづらはしき世を しばしのがれ』となった。

■『ゆふぐれしづかに』と『わづらはしき世を しばしのがれ』との対比を見るにはここをクリック、英語との対比を見るのはここをクリック。

■曲名“COOLING”の作曲者アロンゾ・J・アビ(Alonzo Judson Abbey、1825-1887)についてはあまり詳しくは分からない。ただ、この“COOLING”の曲は1858年の“アメリカ聖歌集”に初めて掲載されて以来、19世紀のアメリカの讃美歌の旋律があまり普及しなくなった20世紀においても大変評判である。“アメリカ聖歌集”を編集した同じ編集者のその後の讃美歌集にアビの作品が多く採用されている。アビは自分でも作曲した日曜学校の讃美歌の編集者としても活躍した。

『わづらはしき世を しばしのがれ』の作詞と“COOLING”の曲の組み合わせは日本だけで、米国ではそれぞれ別の曲、或は歌詞を組み合わされている。  

 背景のmidiは新たに作成しました。  

 

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