「保元物語」の源為朝

 源為朝という人物が歴史の中でその名を現すのは、保元の乱(1156年)において、それのみである。政治的な功績は何一つ残していないので、歴史教育の中では名前すら出てこない。それでも、源為朝の名前は、人々に長く語りつづけられてきた。それは、保元の乱で見せた為朝の活躍が、敗北の将という判官びいきの感情以上に、鮮烈な印象を残しているからである。そして、人々のそうした為朝人気を背景に、馬琴の「椿説弓張月」が生まれたのである。
 しかしながら、為朝一世一代の大舞台であるはずの保元の乱の記述が、「椿説弓張月」では圧倒的に少ない。乱中の記述だけに限定してしまえば、岩波文庫版で2ページ前後しかないのだ。おそらく「弓張月」がただの「保元物語」の焼き直しになってしまうことを馬琴が嫌ったためであろうが、このようなあまりにも簡単な記述では、清盛や義朝、為朝二十八騎よばれる人々のキャラクターが見えず、不満が残ってしまう。
 というわけで、このコーナーでは、「椿説弓張月」の世界から離れ、「保元物語」の為朝の活躍を追い、為朝の凄さの再確認をしてみたい。ただ、「保元物語」はあくまで軍記物語であり、必ずしも歴史的事実を正確に描写しているわけではない。しかしだからといって、この物語の価値が減少するわけではないことは当然である。

保元物語・簡略版

為朝の活躍

為朝二十八騎

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