一騎当千・為朝二十八騎

なぜ二十八騎だけか

 新院方の兵力はおよそ千余騎であったが、その中で為朝が率いた兵力は、二十八騎しかなかった。九州を完全に制圧していた為朝としては、あまりにも少ない兵力である。これは、為朝が自分の狼藉のために、父為義が検非違使を罷免されたことを聞いて、釈明をするために急いで上洛したからである。伴を願い出る者は多数いたが、あまりに多いと移動に不便で、騒動の火種にもなるため、為朝は皆をうち捨てて上洛した。しかし影のごとく為朝に従った郎党がおり、これが為朝二十八騎と呼ばれる勇者たちである。
 とはいえ、全員の名前が「保元物語」に記録されているわけではないし、実在の人物であったかどうかも不明である。あるいは二十八という数字に、なんらかの意味があるのかもしれない。

プロフィールと戦果

 それでは、為朝二十八騎のなかで、名前の出ている人物のプロフィール、そして乱の中での戦果について解説したい。

名前読み特徴戦果弓張月での行動
箭前掃ノ
須藤九郎家季
やさきばらひのすとうくらういへすゑ為朝の乳母子にあたる。・為朝の参謀役として、為朝に助言する
・海老名源八季貞を射落とす。
須藤重季として登場する
保元の乱以前に、豊後木綿山で雷に打たれて死んでいる。
アキマカゾエノ
悪七別当
あきまかぞえのあくしちべつたう須藤家季の兄。山法師から還俗。
甲冑の隙間から敵を仕留めることを得意とする。
・豊島ノ四郎の左股を射る。
・玉井四郎を落馬させる。
・志津摩ノ小次郎を射殺す。
透間主計(すきまかすへ)悪七別當として登場。
斎藤実盛に討たれたとされる。
打手ノ城八うつてのじやうはち刀などの打物に卓越した技量を持つ。 打手紀八として登場
手取ノ余次てどりのよじ素手での組み打ちを得意とする。 手取與次として登場。
仙波七郎に討たれたとされる。
手取ノ余三郎てどりのよさぶらう余次の弟。 手取與三郎
三町ツブテノ紀平治大夫さんちやうつぶてのきへいじたいふ礫の名手。・山口六郎に右肩を斬られ、礫も打たずに退却八町礫紀平治大夫。準主役として大活躍。
トメヤノ源太とめやのげんだ  越矢源太として登場。
左仲二さちうじ  左中次
大矢ノ新三郎おほやのしんざぶらう矢束の長い矢を射る。・仙波七郎に左腕を斬られて退却大矢新三郎として登場。
大矢ノ四郎おほやのしらう新三郎の弟。 登場せず
霞五郎かすみのごらう忍術を会得か。 登場せず
吉田太郎よしだのたらう  次項参照
兵衛太郎ひやうゑのたらう  吉田兵衛として登場。
保元の乱には参加せず太宰府を守る。
菊池原田勢に討たれる
高間三郎たかまのさぶらう ・金子十郎に討たれる 
高間四郎たかまのしらう年齢三十くらい・金子十郎に討たれる吉田兵衛とともに太宰府を守る。
阿曾忠國を介錯して自決。
高間太郎の父である。
松浦二郎まつらのじらう  弓張月のみにその名が見える。

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