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マイちゃんヨーロッパ滞在記 Vol.007

さて、本来イギリスが次の滞在地となる予定だったのですが、ロイヤルオペラハウスとの話はまったく進まず。結局来年の2月からハンブルグの研修が決まったので、それまで流浪の旅人のように友人を訪ね歩き、ヨーロッパのあちらこちらへ行っては芸術鑑賞の日々を送った11〜12月。そして今年の締めくくりは結局ロンドンで過ごすことになりました。



*1*2*4*6*7*8*9*10=new exhibitions of contemporary art
約200件ほどの情報がギッシリつまったイギリスにあるギャラリーマップ参照。
たぶんこのサイトに行けば各ギャラリーに飛べるハズです。詳しくはWebをご覧ください。
Date:2005.12.6 

ロンドン生活1日目はJames Turrellという何度か本で作品を見たことがある有名なアーティストの展覧会を観に行った。まるでバスガイドさん並みの(いや、もっと専門的かつポイントをしぼっている)祐さんの解説のオプション付きなので、作品をただ漠然と見るだけでなくて勉強になる。今のロンドンにあるギャラリーの流行は、街中に狭いスペースを持つよりも少し離れた郊外に広いスペースを持つ傾向にあるらしく、ここは高級住宅マンションのベースフロアにあるギャラリーALBION(*1)。当然お金持ちが住んでいるので、オープニングや何かイベントをやる時は、それこそアートを買う余裕のある階級の人が訪れるメリットがあるので、前の場所を引っ越してきて正解だねという話。入った時は、お客さんが私達だけで、暇そうにしていたけど、帰り間際にお得意様かオーナー級のお金持ちらしき人達が入り口の前に車で乗り付けて、片手に絞めた雉(きじ)を持って参上。雉って……。エゲレスの社交界(???)だがや?。オラ、べっくらこいたべさ?。(訳:私、驚いちゃったわ?!!)
Date:2005.12.9 

今日は、祐さんが前回のイベントの件でギャラリーのオーナーに会いに行くと言うのでついて行くことにした。彼女はプレゼンのために彼からいくつかのギャラリーを教えてもらっていて、それを横で聞いていた私は、まだ「ギャラリー」とはただ観に行くための場所としてしか考えていないなぁ?と思い、ここでまたアーティストとして生きて行く覚悟・自覚が足りないことを思い知った。
名前の売れていない、スポンサーもついていないアーティストは、自分のことは自分で売り込まなければならないし、そのためのギャラリーまわりもプレゼンするならきちんと電話でアポを取ってからいかなければならない訳で。当然自分のコンセプトを説明するためには英語力は必須な訳で、今の私にはかなり難関。

Date:2005.12.12  *1*2*4*6*7*8*9*10=new exhibitions of contemporary art
約200件ほどの情報がギッシリつまったイギリスにあるギャラリーマップ参照。
たぶんこのサイトに行けば各ギャラリーに飛べるハズです。詳しくはWebをご覧ください。

*3=現代美術センター・CCA北九州

  STUDIO VOLTAIRE
今住んでいる近所にある共同アトリエ・STUDIO VOLTAIRE(*2)がオープンスタジオだったので見に行った。手前にギャラリースペースが2つあって、ひとつは普通のギャラリーみたいなしきりのある“部屋”で、もうひとつは倉庫の屋根をそのまま使った吹き抜けのホールになっていて広くていいカンジ。奥は元倉庫みたいなところをパテーションでしきったいくつかのスタジオがあった。広い部屋もあれば、4畳くらいの狭いところもあり、なぜかブランコがぶら下がっているアトリエが多かった。(ブランコはなかったけど北九州にあるCCA(*3)みたい。)

  

(写真はスタジオの内部)

こっちに来ていろんなアートスペースを見て、ようやく「オープンスタジオ」とはどーいうものかがわかってきた。アトリエの使い方も。今までの作品をドキュメンテーションで見せたり、制作中の状況を見せるのもいいけど、とにかくオープンスタジオ中はアトリエに作家がいる方がいいなーと思った。

Date:2005.12.14 


*5=まだ学生の時に、拠点にしていたオープンスタジオの一室で「状況を設定された空間に作品をあてはめるのではなく、作品を通してダイレクトに人と関わりを持てる場所がほしい」という共通の考えを持った友人と一緒に、制作と発表を一体化させた“状況ごとつくるパフォーマンス”を試みたものでカフェの形態を用いて、1年間の期間限定で週末のみオープンする“±0Cafe”というプロジェクトをしていた。
私は「自己表現の手段である衣服を中心とした制作を行って、作品を身に纏いカフェを運営し“この場所に集う人々にとって居心地の良い場所”を提供し続け、訪れる人々と共に様々な人や分野に通じる窓口をつくり、アートとの新しい関わり方を提案していくことを大切にする。」というコンセプトをもとに活動していて、このときに出会った人が(全員ではないけど…)私にとって今も欠かせない存在になっている。
■01年11月のつれづれ日録(画像あり)
■02年4月のつれづれ日録(画像あり)



*1*2*4*6*7*8*9*10=new exhibitions of contemporary art
約200件ほどの情報がギッシリつまったイギリスにあるギャラリーマップ参照。


ロッテルダムからヘルトさんが来たので、今日は3人でロンドン観光。最初に見たLisson Gallery(*4)はギャラリースペースが2つあって、ひとつはペイントの作品。Cafeプロジェクト(*5)を一緒に企画していた時の友人が好きそうな細かいタッチのほとんどモノトーンの絵で、即売れそう。もうひとつは地下が入り口になっていて、中に入ると大音響で足音が聞こえた。横を見ると壁いっぱいにプロジェクターで地団駄を踏む足のみの映像がアップで流れていて、階段を上がる途中、中2階から2階の壁も見えて、上と下の階の映像がつながっていて面白かった。
次は、Hyde Parkというロンドンの中心街で一番大きい公園の中にあるSERPENTINE GALLERY(*6)に行った。ここも結構広いギャラリーで、建築系の作家で部屋の中に迷路のようなパテーションをつくって、その中を観客が歩ける作品だったが、これまた面白かった。作品の関心をより深めるアイテムとして、1ポンドで子供向けのワークショップができるような塗り絵シート(と色鉛筆2本セット)が販売されていた。最近、こういうアプローチが増えているらしい。(書いていて思いますが、作品の解説してもイメージが浮かびませんよね。私の文章力がないからってのもあるけど…。)
「うん!オモシロイ!!」と、膝を叩けるような作品がいくつも観れるロンドンはやっぱり大都会だな〜と実感。

  イギリスのXマス風物詩か?
ヘルトさんと別れた後、シンディー・シャーマンの個展(*7 SPRUTH MAGERS LEE)に行き、途中の通り道に鳥肉屋(丸ごと羽をむしられた鳥が店一面にぶら下がっている。写真参照)を目撃、大きな衝撃を受ける。血も凍るロンドンのX'mas風景。

Date:2005.12.18 
  TATE MODEAN
(写真はTATE MODEAN)

今日は、East Endにあるいくつかのギャラリーを観に行った後、夜7:00頃にさなえさん(ロンドン在住の日本人の女の子で、祐さんのイベントで会った。)と待ち合わせしてTATE MODEAN(*8)に行った後、3人でお食事。彼女もかなりの知識人で、祐さんのアートトークについていくだけの情報をいっぱい持っていて、私はそーなるとひとりでぽつ〜んとなる。その話の結論は、もちろん作品をつくることも大事だけど、例えば似たようなコンセプトで活動している2人のアーティストがいたとして、作品の善し悪しで言うならば大した変わりはなくても
1.自分の作家活動を一生懸命誰かにプレゼンするか、どこかの企業に助成してもらうか、何かしらして作品をつくるためのお金を算出するための努力をして、そのための人付き合いとか、社交場に足を運んで積極的にアピールしている人
2.そういう努力もせず、毎日を自堕落に過ごしている人
がいた場合、誰でも「この人だったら何か面白いことをしてくれるかもしれない!」とか、「この人といると(の話を聞いてると)何か情報を得れる!」など、初めて出会った人に第一印象として「できる・使える人間」と思わせることもすごく重要だという話。

最初に「あ、この人使えねー。つまんねー。」と思われるのとではえらい違いで、こと外国では(どこでもそーだよ)その後の生活や活動を大きく左右する訳だ。

その話を自分に置き換えてみた場合(こえー話…)今まではどちらかというと何かしてもらう側にいたから、他人に有益な情報を提供することが少なかったように思う。いつまでも子供でいたいけど、知識もまだまだ少ないし、語学の壁で上手に意志を伝えられないし、まわりに「必要な人間」と認識してもらうにはより多くの努力が必要なのだ。そーじゃないと、誰も相手にしてくれなくなる。今後の身の振りを考えると、これからはむしろ反対側の立場になっていかねばならないのだから、今のままでは岐路に立っているようなもの。まさに崖っぷち。“子供らしい”のと“子供っぽい”のは、“能ある鷹は爪隠す”と“能無しは爪も隠せず”(←白戸語録)くらい天と地ほど違う訳で、英語くらいマスターしなきゃいつまでたっても使えない人間であること間違いなし。役立たず決定。キャ〜〜!!ホントに怖いっ!
Date:2005.12.20 
  (写真は、ジャパセンでのお買い物。故郷の地名入り)

(写真は、ジャパセンでのお買い物。故郷の地名入り)

今日は3つほどギャラリーを観た中にTHE ARTS GALLERY(*9)でセント・マーチンの生徒の展覧会(卒制展?)があって、ガッツリ値段がついていて「ちょっと完成度が低くいかも…」というのでも30万近く…。祐さんの感想:「自分の作品にそれだけの値段を付ける自信と根拠はいったいどこからくるんだろうね?普通は、作品に費やした時間や労力を考えてバランスとるもんだよ。学生卒業したばかりのアーティストなんて、自給500円でも多いかと思うくらいの価値だよね。」だそう。厳しいご指摘だけど、まったくもってその通りかもしれない。

でも、自分の作品に値段つけるのって難しいと思う。私の場合、例えばオーダーで服をつくるならわりと時間に換算してつけやすいけど、アート作品となると、0円のものに無理矢理価値をつけるようなものだから(つまりもともとニーズがない)謙虚でなきゃいけないんだよね、本来は。でも、別に売れなくても仕方ないと思うとつい高めに設定しちゃったりして。それってけっこう恥ずかしいことだったりするのかも…。ハンブルグにいた時に商業アートの世界に少し触れたけど、これもまたまわりとのバランスなんだわ。

Date:2005.12.21 

祐さんにロッテルダムでのプロジェクトの英訳をチェックしてもらった時に、自分の活動の再認識をさせられた。英語に訳す時に「ここはこんなカンジじゃないの?」という訳の中に“外見を変えて、改めてものを観る。”という的確な表現があった。まさに、私が今までやってきた事はソレなんだよ!自分の外見に対するコンプレックスからきてるものだとも思う。どんなに着飾っても中身は変わらないんだけど、例えば第一印象とか価値が変わってくる。そして、時には中身より外見が重要な場合もある。外見を変えて違うものに変身するとゆーのは、それこそ人間が日常でやっていることだけど、これはものにも建物にも置き換えられる。でも、そこら辺を考えると、それは私にとって山手線みたいにグルグルまわって終わりがない永遠のテーマ。

Date:2005.12.24→25 

今日はせっかくのイヴだと言うのに、祐さんもロンドンの友人に会いに出かけてしまって、私はひとりテレビの前で映画三昧。25才という若者世代最後のX'mas Eveにこれでいいのか!?私!!しかも異国の地で…こんなに孤独なX'masは初めてだわ…と、しみじみ寂しさに浸っていたら無性に悲しくなって、近所に買い物に行って家に帰ったら、間もなくして祐さんが帰って来た。(内心ホッ…)ショコラ(というよりジョニー・ディップ)を観ながら、シャンパンを開けてピザを一緒に作った。ハム卵とサービンとナストマトの具沢山で豪華なピザにすっかりご満悦。お酒もちょっと飲んだし。結局、映画大会は朝方まで続き、計5本立て。さすがに疲れた…

  クリスマスイブはピザ

(写真は、クリスマスイブのピザ)


そして翌日。日本では、イヴの夜に何かしなきゃいけない感に襲われるけど(なぜなら、子供の頃は25日の朝にプレゼントがもらえるから感覚的に一番楽しい時間はその前ってことになるというのが私の持論)それが大人になると、できれば家族といるよりはデートしたいわ☆などと、色気が出てくるものだけど(←コレも持論。とにかくひとりではいたくない)、こっちでは25日がメイン。ヨーロッパのクリスマスは家族とパーティーで、正月に恋人や友達と過ごすのが筋らしい。
そして、例えば恋人も友達もいない独り者は、正月に自分の回りに誰もいなくなり孤独感がぶわっっと襲ってきて、そのギャップにたえられなくて飛び下りたりとかしちゃうらしい…。一年で一番救急車が呼ばれるのは正月という話。寂しいなぁ〜…それ。
Date:2005.12.28 

夜にBarbican centre(*10)へ、カズコさん(ロンドン在住の女性。パフォーマー)のショーを観に行った。事前に舞台系の人だと聞いていたので、どんなカンジなのかなぁーと楽しみにしていて、アーティーなパフォーマンスとか、コンテンポラリーダンスではなくて、一種のエンターテイメントでディナーショー形式だと伝えられていたけど、まさにそんなカンジ。
  Barbican centre
 (写真はBarbican centre)

テーブルごとにボーイから30ドル分のチップとショーのメニューが渡されて、お客さんは同じテーブル内の人達と相談してメニュー(パフォーマンスの種類)を選ぶ。最初のオープニングと最後のエンディングは前にある小さな舞台でパフォーマンスされたけど、みんなで選んだものは各テーブルの上を舞台にして行われたので、例えば動きが派手でわりと近くの席からでも見えておもしろいヤツと、選んだテーブルだけが楽しめるものがあり、出演者のそれぞれが自分で考えたものを自身で演じているとのこと。やっぱり国柄が現れているのか、たぶんイギリス人と思われる人達のパフォーマンスはけっこう下ネタ系だったりアメリカンジョークならぬイギリス人ジョーク?みたいな、それからカズコさんはどこか日本の笑いに準じていた。でも、基本的には笑いがすべての根源にある。ショーの合間に司会者がショーの想い出に葉巻きとか、記念写真やお土産のセールスをしにきたり、飲み物もいくらかお金を払って注文できたりする。衣裳もまたヘンテコで、裸に見えるような全身タイツを着ていて、胸とお尻のところにもともとお金が挟んである。頭はカツラの前にかぶるキャップで、裸もじもじ君のよう。

ショーの後に、カズコさんと3人で近くのパブに寄って少し話をした。というより横で彼女達の話を聞いていたんだけど、内容はもっぱらアート活動に関するお金の話。でも現実問題としてそれはついて来る訳で、祐さんのイベントにしても、今回のカズコさんのショーにしても私には今後とても参考になる出来事だなと思った。

Date:2005.12.31  *11=とかち国際現代アート展 デメーテル
2002年の夏に帯広で行われた国際現代美術展。オフィシャルイベントの企画者の一人として展覧会3ヶ月前から期間終了までの約6ヶ月間、帯広に滞在してワークショップやパフォーマンスなどをしていました。

今年1年を振り返って、最後のまとめ。
進みたい道が何かを自分なりに頭に思い描いて言葉や形にしようともがいている時期が今年までだとしたら、だいぶ定まって来たように思う。この前の祐さんの英訳『Trying to anew recognize of items by giving a new outer look.(新しい外見を与えることによって、中身の再認識を試みること。)』これが、何かこうパァーっと降りて来て「そうなの!ソレッ!」という感覚。それを基に将来の展望を思い描いて言葉にしてみた。(でも今のところ秘密。)私の表現方法って、外観的な部分を変化させて見せることによって、受け手にその中側をもう一度考えてもらう…みたいな。衣食住どれを見ても、外見を変化させることを永遠にするし、それで価値が変わってきたりするじゃないですか。日常生活の中で。でも本質的なことは変わらなくて、じゃあ意味ないかっつーとそんなこともなく、人や状況によって重要性は変わる訳で。

  ロイヤルオペラハウス

 (写真はロイヤルオペラハウス)

帯広でデメーテル(*11)に参加した時に一緒に生活していた友人に『マイちゃんって、見えるところは片付けるよね。』と言われて、それを今でも覚えているけれど、まさに的中。これは良い意味で言われた言葉ではないけど、表面的なことに対するこだわりが今までの作品にも如実に現れている。「顔」もまたそうだけど、「服」は外見の中でも特に簡単にできる自己表現の一部だし。そこら辺が次の研究課題だな?。

さて、来年の抱負を三句ほど…。イメージを実際に行動に移すことと、去年は強く願ったら恐いくらい叶ったので、今度は運だけではない努力に基づいた根拠のある自信を身に付けること。それからやっぱり体が資本! 健康第一の手始めに、まずはお菓子断ちか…お金もたまるし、きっと痩せるし一石二鳥。そして、恋の話。私は、愛する人のために人生の全てを投げ打って生きることができるタイプじゃないし(今のところは…)優先順位としてはまずは自身を磨くことで精一杯なので、自分を見失わないうちは男で大失敗をすることはないでしょう…。でも、恋することが心に潤いを与えてくれることは確かなので、今は想い続けようかなと。

  年越しそばも食べました
 (写真は、「年越しそばも食べました」)

では、皆さん良いお年を。。。

Mai Shirato